猶太と世界戰爭(新仮名)08

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第一章 猶太魂の本質(続き)

五、猶太聖典及び法典の成立と猶太的「タルムード論理」(昭和16年5月)

猶太問題が単なる宗教問題でないことは言う迄もないことであるが、然し猶太民族の場合に於てもその特質がその宗教に於て最も本質的に現れていることは、他の民族の場合と同一であって、猶太民族の過去・現在・未来を知るためには、何よりも先ずその宗教をよく理解しなくてはならない。勿論、或る宗教を真に理解するためには、その祭式の実際を詳細に知る必要のあることは言う迄もないが、しかしそれと同時に、否、それよりも一層重要なのは、その宗教の聖典を充分に検討することである。この意味に於て吾々は、第一には「トーラ」と称せられる旧約聖書の最初の五巻、次には「タルムード、」次には「シュルハン・アルフ」、そして最後には「シオンの議定書」にまで及ぶ所がなくてはならない。勿論この他にも、旧約聖書の残部、猶太諸法師或いはマイモニデスの著作等は考慮されねばならないであろうが、しかし前の四つを問題とすることで、充分ではなくとも、大体に於ては事足りるのである。それ故にここでは、これら三つをその成立と内容とに亘って極めて簡単に述べて見ることにしよう。殊にわが國に於ける猶太問題研究の最大の欠点は、現在の問題に目を向けることに急なる結果として、その根底を充分に明らかにせざる所にあり、従って、屡々余りにも早急に「八紘為宇」の大理想を持ち出すなどして、猶太に関する相当の知識を有するにも拘らず、極めて容易に猶太の張り巡らす陥穽に陥るのである。無知から来る傲慢さと同じく、原理の確立せぬ知識が如何に危険であるかは、この場合にもよく窺われるのである。

さて「トーラ」であるが、それは「数」を意味するものであって、猶太教の原典をなしている。旧約聖書の始めの五書がそれであることは ―広義には旧約全部を指すこともある― 記述の通りであるが、猶太人のそれに対する尊敬の念は極度に深く、それが「意味」の点から神の言葉である許りでなく、その一語一語、その一綴一綴、その一文字一文字が、その儘神の言葉であって、今伝わっている儘の姿で神より直接にシナイ山上でモーゼに伝えられたというのである。否、それ位ではなくて、「トーラ」中の神の言葉は、シナイ山でモーゼに伝えられる前に、更に正確に言えば、この世界が神によって創造される前に、現在のものと一言一句の相違なしに創造されてあったというのである。自分の宗教聖典に対するこの強烈な信仰は宗教的信念の表現としては尊敬すべき熱意を帯びているのであるが、しかしここに既に見られる物質的文字への執着は、猶太民族に於ける唯物主義の深さを暗示していないと如何して言えるであろうか。殊に創世記の宇宙創成史その他の内容が、印度乃至バビロンよりの輸入品であることを考慮し、またその中の神観乃至道徳観がその儘神の言葉であるという猶太の信仰を問題として考えるならば、かかる言葉をモーゼに伝え或いはそれ以前にそれを創造した神エホバは、決して民族神とさえも言い得ない程度の妖怪乃至悪魔と見做されても差支えないのである。

真のキリスト教に生きんとする者は、キリスト教と猶太教の差を知らなくてはならないし、従って新約と旧約との根本的差異をも知らなくてはならない。旧約の名に欺かれて猶太の世界政策の手先となることは、「われ等の父なる神」の御旨にも叶う筈はなく、況んや身を捨てても猶太の不正を矯(た)めんとした(不正を正そうとした)と称せられるキリストその人の意志に副(そ)う筈はないのである。例えば、米國のブルックリンに本部を有する「万國聖書研究会」という看板の陰謀団体及びそれに類似のものの如きは、何れも、キリスト教の名に於ける猶太帝國主義の一機関たるに過ぎない。ユダヤ民族自身が「神の選民」たることを主張するのに対して、その歴史が果してそれを証しているか否かを見ることもせず、猶太聖書を旧約とする信仰に属することが人を「高等民族」にするという如きお目出度い迷信を抱いて、真の信仰の本質と自己の本質とが何であるかを反省することを忘れる者が如何に多いことであるか!例えばカンタベリー僧正の如くにユダヤ教会のみを保存しているソ連を反宗教ならずとして感激し、また米國のブラウン僧正の如く幾百万ドルの遺産を共産党に寄贈する程度の盲信者はわが國にはないであろうが、しかし「戦争と真理」という如き三歳の童子と雖(いえど)も正気ではなし得ぬ相関概念を作成する無教会派「人工猶太人」の如きがキリスト教者であるというに至っては、キリスト教のためにも遺憾この上もない事であろう。

ここで猶太聖典そのものに帰ろう。さて猶太人の「トーラ」に対するかくの如き唯物主義的盲信は、健全な常識を持つ程度の人に取ったならば「トーラ」の到る処に存することの明らかな無数の矛盾に面しても、猶太人をして矛盾を矛盾として認めるだけの余裕を許さなかった。即ち、神の言葉に矛盾があると認めることが神を冒涜することと感ぜられるのは尤もであって、ここに、その成立史から見ても存在し得ない筈の統一をかかる矛盾のうちに認めようとする努力が生れて来る。神の言葉に矛盾が見えるのは、いまだ神の心に徹しないからだというのである。かくて所謂「解釈」又は「註釈」の必要が生じ、極めて牽強付会(けんきょうふかい:道理に合わないこと)な無数の説が生れて来るが、然しこれらの解釈が単なる解釈と認められる限りはそれらに強制力がないので、かかる解釈に従事する猶太法師連は、彼等のなす解釈は単なる解釈ではなくて、モーゼが神より伝授された神の言葉の一部が口伝によって彼等に伝えられて来たのである、と説くようになったのである。かくして成立したのが「解釈」を意味する「ミトラシュ」であるが、時代と共にそれがまた整頓され、解釈されて、やがて「繰返し」を意味する「ミシュナ」が生れた。旧約聖書と並んで猶太人によって尊崇されている上に、猶太人の本質を知るためには或いは旧約よりも一層適切であるかも知れない「タルムード」は、この「ミシュナ」と、更にこれに加えられた解釈の集成で「完成」を意味する「ゲマラ」とから成っているのであって、これは後にも論及したいと考えるが、猶太聖典として重要な「タルムード」は、その成立史から見る時には、解釈の解釈であるのである。この「タルムード」が現在の形に於て完成したのは西暦四百年から五百五十年に至る頃であるが、現在ではパレスチナ系の小部のものと、バビロン系の極めて大部のものとがあり、欧米に於て普通「タルムード」と称せられるのは後者を指すのである。細字大型書十幾冊と称せられているから、その大部であることは容易に想像がつくであろう。

然しこの大部の書は、現在のキリスト教徒の全部があらゆる神父連の書を読破することはなく、又現代の仏教徒があらゆる仏教経典を通読することのないのに照応して、決して猶太教信者によって全部が読まれることはないのである。然しながら、猶太人が亜細亜の西部から欧州へと黄金を追って流浪するようになっては、個人的乃至団体的の一々の重大事に際してパレスチナの大法師の裁断を受ける暇がなくなったので、ここにより簡便な律法の書を必要とするに至ったのであるが、西暦千年頃にスペイン・フランス・西部独逸の地方に於て書かれた猶太哲学者マイモニデス[1]の著、ヤコブ・ベン・アシェル[2]の著、及びヨゼフ・カロ[3]の著等は、その使命を持っていたのである。いずれも「タルムード」を抜粋し、それに猶太的「解釈」を加えたものである。そのうち最後の書が最も広く読まれたが、これがまた既に大部の著であったので、更に著者自身によって抜粋が作られ、一五六四年から翌年へかけて初めてヴェニスで出版されるに至った。「シュルハン・アルフ」(「用意の出来た食卓」の意)と称せられるものがこれであるが、しかし猶太の他のあらゆる場合と同じく、この書もまた直ちに「解釈」を生んで、現在「シュルハン・アルフ」として我々の手に入るものは、クラクフの猶太法師モーゼ・イッセルレス[4]の書いた部分の加えられたものである。かくてこの書もまた相当大部のものとなっているが、この程度ならば実用的であるので、現在も盛んに活用されている。四部からなっていて、日常生活の諸般の事を規定した巻、祭事を規定した巻、民法乃至刑法の巻、婚姻の巻となっている。唯物論マルクスが常に懐中して、人目を避けては読み耽ったというのも、恐らくこの書か、それの抜粋であるらしく、改宗猶太人で表面的には宗教排斥の元祖であるマルクス(本名モルデカイ)に於てすら既に然りであるから、他の猶太教猶太人に於てこれらの猶太聖典が今に於ても如何なる拘束力を持っているかは、到底吾人の想像を許さぬ所であろう。しかしこの事情は、大部の猶太史の著者猶太人グレッツ教授や日本に於ても一時渇仰随喜の対象となった猶太的「純粋」派の猶太哲学者コーエン等が、或いは著書の中で、或いは法廷の前で、猶太教とその聖典とが現在の猶太人に取っても唯一絶対の価値の標準であり、現行の規矩(きく:考え方の基準)である、と公言しているのを見れば充分に明瞭であろう。

 

[1]ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン(MayimōnMoses Maimonides:1135.03.30~1204.12.13)は、スペインのユダヤ教ラビで、哲学者。医学・天文学・神学にも精通していた。アリストテレス主義者、新プラトン主義者。ルネサンスヒューマニズムの先駆者と評価される。

[2] ヤコブ・ベン・アッシャー(Jacob ben Asher:1269~1343)アッシャーは影響力の大きな中世のラビの権威であった。その主な著書「ハラカー」(猶太律法)、「アルバートゥリム」(四つの隊列)に因み、Ba'al ha-Turim (隊列の親方) と呼ばれる。

[3] ヨセフ・ベン・エフライム・カロ(Joseph ben Ephraim Karo:1488~ 1575.03.24)は、今も全てのユダヤ人社会に権威があるユダヤ法の最後の大法典であるシュルハン・アルーフの著者。彼はしばしば「マラン」(我々の主人)と呼ばれている。

[4]ラビ・モーシェ・イセルレス(Moses Isserles:1530~1572)は、ポーランドの著名なアシュケナージ猶太のラビであり、タルムード主義者であり、ポーゼック(猶太教に於てハラカ(タルムード文学)で決着していない解釈や先例のない解釈を決定する権威を持った法定学者のこと)であった。

 

既に論及したように、これらの猶太聖典乃至法典はすべて解釈であり、解釈の解釈であり、そのまた解釈であるが、これは吾々が猶太人の本質を知る場合には極めて興味深い事実を暗示しているのであって、猶太人は「創造的でない」とされるかと思えば、同時に他方では猶太人は「頭がよい」とされるという、一見しては矛盾と見える事柄が、決して真の矛盾でないということも、猶太聖典の成立史に見られる上述の事実を知る者には直ちに明らかになるのである。つまり猶太人の「頭のよさ」とは、「トーラ」又は「タルムード」の解釈の場合のように、本来の矛盾であるものに統一を見出すことであり、勇猛な詭辯によって対象を無視しても或種の「解釈」を成立せしめるだけの大胆さを持つという事に外ならない。それ故に猶太人の頭のよさとか解釈のうまさは、猶太人の実生活の殆ど全部を形成していると称せられる。「虚言・詐欺・裏切り・暗殺」等の諸傾向が頭の仕事として発現したものに外ならぬことが判明する。「タルムード」の成立そのものが既に「トーラ」に対する嘘言であり、詐欺であり、裏切りであり、暗殺であることは、「タルムード」には既に「トーラ」の面影が殆ど全くないと称せられていることによっても判明する。猶太精神の本質が「技術的」であると称せられるのも、真の創造力がなく、解釈のみに終始するがためであろう。一体に解釈的精神は非創造性の一面であって、これは個人的に見ても、民族の歴史を見ても、よく理解の出来ることである。ゲーテの言う創造的批評が如何に稀であり、解釈のうまさという技術の点に捉われない真の創造的解釈が如何に少ないかということが、これを証する。猶太精神の以上の側面を吾々は「猶太的論理」と呼びならわして来ているのであるが、この技術的精神が技術の世紀である唯物主義の十九世紀に支配的地位を占め得たのも、蓋し偶然ではないであろう。兎に角、猶太の「トーラ」崇拝は、表面的には宗教的熱意を帯びているが、実際に於ては「トーラ」は、その解釈者、即ち、猶太法師の「頭のよい」解釈によって、口伝もまた神の言葉なりという詭辯の下に、如何とも変更され得ることになっているのである。

宗教聖典に対してさえもかような態度であるから、他の解釈の場合が如何であるかは容易に想像し得られるであろう。所謂「純粋法学」、「形式社会学」等と呼ばれる猶太系の思想がすべてそれであって、例えば猶太法学が國家をも「純粋」化して××機関説*に及び、また偉人天才の研究に於ては対象の本体を猶太化し、それによって解釈者の「頭のよさ」を誇示するのも、同じ「嘘・詐欺・裏切り・暗殺」的精神の一表現に外ならない。(一六・五)

*美濃部達吉の「天皇機関説」を揶揄していると思われる

 

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