ナチスの経済政策(1935年当時の調査)08

第五章 企業政策

 第一節 カルテル政策

 農業に対するナチス政府の保護的統制の周到なる施設については大体前述の如くである。ナチスの農業偏重の傾向については勿論ドイツ資本主義経済の言段階的諸情勢柄の要求ではあるが、尚見逃し得ざるはナチスの政治的地盤の主要部分が農民階級に存しているということであった。だがしかし高度資本主義の段階にあるドイツ国民経済を対象とする限り、農業と同様にその商工業に対する政策をも無視するわけには行かない。然らばこれに対してナチスは如何なる対策を行ったか。先ずこれを大別すれば大企業に対してはカルテルの強化を中心とした政策が行われた。中小企業に対しては百貨店に対する防衛政策並びに個々の企業に対してのかなり行き当たりばったり的な政策をしかも、ナチスのモットーたる「公益は私益に先んずる」の原則に基づき、更にまた私人活動の拡張を中心として施行したものの様である。

カルテル政策についての政策は如何なる根拠に基づいて行われたか。

抑も、企業の集中は資本主義経済発展の必然的所産として、近代の何れの資本主義国においても見られる現象なるが、就中ドイツに於いては、既に(第一次)大戦前に於いてもこの傾向が顕著たりしことはレーニンヒルファーディング等の著書を俟つまでも無き事実であった。しかもその後インフレーション次代を経て1925年以後の合理化運動の結果として、企業集中は促進され、殊に原料カルテルに対抗するための機関として製造業カルテルの続出を見た。例えば白熱灯カルテル、銑鉄カルテル等の如き國市場独占のための国際カルテル、イー・ゲー染料トラスト、写真、車輛、リノリューム、真鍮板製造トラスト等の輩出を見た。この結果ドイツに於けるカルテル数は漸増し、コールマン氏のドイツカルテル法によって見ると、1905年には385団体に過ぎざりしものが、1924年には約1500団体、25部門に至り、更に現在にありて2000乃至4000団体に達している。即ちこれによれば次の如くである。

 

鉱山業                   51          鉄・鋼鉄製品           234          製鉄業                       73

電気・光学器具     56          金属工業                    17          製材                           44

機械工業             147          皮革                           46          汽缶製造業                48

石炭・土砂            30          鉄道機関車                  1          製陶                           10

航空機政策              8          ガラス                       20          金属商品製造             78

被服                      71          化学                           20          醸造及同関係事業      97

石油脂肪               36          砂糖                           24          紙                             107

食料品                   49          紡績                         201          運送                             4

 

そしてこれらの企業のカルテル化に伴い、これに属せざる諸企業の問題所謂中小企業問題の存することは何れの資本主義社会にも免れざる現象である。就中ドイツに於ける中小企業の沈滞は大戦後いとど辛酸を極めて居り、ナチス運動台頭の経済的基礎として有力な要素をなしたものは農業と共にこの中小企業そのものであった。

従ってナチス政府の成立以後の企業対策は一応この大企業に対するものと、中小企業に対するものとの二方面より見るを得るであろう。

カルテル・トラスト等の独占的弊害に関してはナチスは在野以来これを稱導し、国有化等によってこれを解決せんと叫んでいたのであったが、政権獲得の後のこれに対する態度は、これ等を国有化する代わりに、寧ろこれに公共的性質を与えることにありとした。かくてナチスは従来の組織を破壊する代わりに、これを利用せんとし、これから個人的な利己的な性質をとって公共的な性質を付与し、これを公共事業となさんとした。それゆえにカルテル・トラスト・コンツェルンの如き大企業対策に関する根本問題は、国有化か否かの問題に非ずして、如何にすればこれら大企業が全体の幸福に役立ち、且つより公共的意義に合致するかにあった。

ナチスはこれによって自己の国有化策を放棄したのみならず、従来のドイツのカルテル政策たるカルテル抑圧政策をも廃した。そしてこれに対しては少なくとも立法上に於いては、一面不当不正の競争を禁止し産業の向上を図る為にカルテルを助長し、他面カルテルによる価格の暴騰による公共の福利の侵害を監督すると言う趣旨を明らかにしている。

以上の如き大企業観に立って先ず発布されたものはカルテル強化に関する諸法令であった。

(1)カルテル令改正法(Gesetz über Aenderung der Kartellverordnung)-本法は1933年7月15日に発布されこれにより1922年11月2日の経済力濫用に対する命令の改正をなし、以てカルテル禁遏の手を緩和した。その要点は、カルテル協定中の約款にして公共の福利に害あるもの、殊に国民経済的見地より是認し得ざる生産販売の制限、価格の釣りあげをなさんとするものの無効の宣告、執行の停止、又はその変更を命ずることは、従来国経済大臣の申請によってカルテル裁判所がこれを為すこととなっていたのを改めて、國経済大臣自らが政策的立場よりこれをなすこととし、又カルテル違反者に対して取引停止その他の制裁をなす為に必要なるカルテル裁判長の認可は従来容易に与えられなかったのを改め、経済的に不信な企業または国民経済上不当なる値段即ち暴利値段若しくは捨て売り値段で販売する者に対する制裁は常にこれを認可すべきものとなした。

(2)強制カルテル法(Gesetz über Errichtung von Zwangskartellen)-本法は1933年7月15日に発布されたが、これは従来1919年の所謂社会化法に依り、カリ及石炭両工業についてのみ強制カルテルの設立が認められていたものを、これをさらに拡張して全産業部面に亘って強制カルテルの設立を認めんとしたものである。本法の立法理由として政府の与えた説明によれば「経済的不況は特に生産能力の過剰なる経済部門に打撃を与えること甚だしく、その結果斯かる経済部門内の同種企業間の競争激甚となり来たれるをもって、国家の介入に依りてこれを抑制することひつようとなれり。然れども強制的カルテル設立法は決して現存経済組織を根本的に変更し、国家的統制経済の基礎を築かんとする目的を有するものに非ずして、その実際的適用は寧ろ私経済が自力によって窮地より脱出し得ざる場合に限るを要す。従って本法の規定は過渡的性質を有し、経済的事態の改善せる暁には直ちに撤廃せらるべきものなり」とあり、以てそのカルテル政策の意義を明示している。

本法はその第一条に於いて、経済大臣(又は食糧農業大臣)は企業の重要性並びに一般経済及び公共の福祉を考慮し、特に必要なりと認めるときは、市場統制の目的をもって、企業をシンジケート、カルテル、コンヴェンション若しくはこれと類似の協定に結合せしめ、又は既存の斯かる企業結合に加入せしむることを得ると定め、更に第二条は経済大臣に対して前条の施行上必要なる権限を付与し、就中(1)協定加入者の権利義務及びこれらの結合に関するその他の法律関係を規律すること、(2)既存の結合に企業を加入せしむる場合に於いて契約上の合意に反して組合員の権利義務を規律すること、(3)定款の変更はその同意を得たる場合においてのみこれを成し得ることを命ずることなどの権限を与えたのである。

尚本法第五条は、一定の経済部門に於いて全体経済及び共同の福祉に鑑み必要アリと認めるときは、経済大臣は当該経済部門の範囲内に於いて一定期間新企業の創設及既存企業の営業若しくは能力の拡張を禁止し、又は経済大臣の許可に依らしむることを命ずることを得るとなし、更に同一条件の下に既存営業の利用範囲をも統制することを得ると定めた。尚本法七條は本法に基づきて発布せらるる規則に違反するものに対し、カルテル裁判所により秩序罰として最高無制限の罰金を課し得る旨を定めた外、更に経済大臣は前記第五条に基づきて発せらるる命令実行のため、各邦法律に準じ警察強制の適用に関する規定をなし得る旨を定めている。

本法に基づく国家干渉の態度は農業に於ける如く積極的ではない。が然し本法に基づいて各種の施行規則が公布され、それによって次の如き各種のカルテル組成、新設拡張の制限が行われた。

(イ)洋紙工業における生産制限それは1933年8月30日の命令によるものであって、どうねん10月31日まで風向とされた。但しこの業については各地方に自発的組合がその官に組成されたので、強制カルテル法に依る統制の必要が希薄になったために、早くも同年10月1日に廃止された。

(ロ)伯林漆喰業組合は1933年8月31日の命令によって、1934年1月31日までにドイツ漆喰業組合に加入することを命ぜられた。

(ハ)溶鉄引延し加工業の市場統制は1933年10月7日の命令によるものである。これによって國経済大臣は引延し組合の協定又は約款による統制規則をば拒否する権限を得たのみならず、組合契約の実行を監督し且つその決議を停止し、一定の実行を禁止し得ることになった。溶鉄引延し加工の新規企業の設立は許されない。

(二)黄麻紡績の新設拡張の制限は1933年10月13日の命令に基づくものであって、1934年12月31日まで、(a)黄麻紡績の新規生産、(b)既存企業の於ける錘数及機台数の増加、(c〉既存企業の他繊維紡績生産に移ること等の諸事項が禁止された。

(ホ)ミルク・クリーム・バター製品並びに乾酪素生産組合の設立は1933年10月14日の命令であって、強制カルテル法のみならず、1930年のミルク法、1933年7月20日の同法改正法及び同年9月13日の農産物価格統制規則及び國食料生産職分共同体法に基づくものである。これによって設けられた組合は貯蔵とミルク生産者組合なる名称を有し、本部をベルリンに置く事になった。その直接の監督機関はミルク業連邦委員会であってその統制的任務を負わしめられており、この種企業の新設に際しては、1935年12月31日まで、國食糧農業大臣の許可を要する。

(ヘ)新聞印刷用紙の市場統制は1933年10月15日の命令によるもので、これにより新聞用紙生産者は1933年11月15日までに市場統制のために組合を結成せしめられ、その価格協定生産割当に服従せねばならない。ただ1933年12月31日までに引き渡されるべき用紙についてのみ、任意な販売が例外的に許された。

(ト)中空ガラス器カルテルに対する六会社の加入は1933年10月15日の命令によるものであって、六個の会社は差し当たり四週間を限って中空ガラス器カルテルに強制加入せしめられ、組合員と同等の権利義務を与えられrことになった。これによって國経済大臣はこの期間内に於いてこの業に対する特殊な監督をなし得るのみならず、その期間中に当該諸工場を慫慂(しょうよう:推奨)して自由意思による永久的加入を可能ならしめんとするものである。

(チ)各種未加入会社のドイツ商用螺線(ネジ?)組合への加入は1933年10月9日及17日の命令によるものであって、従来この組合の加入者は既に多数に上るが、尚少数のアウトサイダーがあり、市場撹乱の恐れが少なくないためである。

(リ)30ボルト以下の電球生産制限は1933年11月2日の命令によるものであって、1934年3月31日まで有効とされる。

以上の外左の如き事業が一定期間事業の新設若しくは拡張を禁止または制限せられた。

 

強制カルテル法に依る統制業種事例

業  種

強制統制事項

発令年月日

期  限

化学医薬用ガラス器

作業時間及機械使用制限・新設拡張禁止

(…)

1934/9/30

下着用ボタン

新設拡張禁止

(…)

1935/12/31

方状鉄鋼

強制加入

(…)

1934/9/30

石鹸

同上

1934/1/9

1934/12/31

葉巻煙草箱

新設拡張禁止

1934/1/

1934/12/31

窒素

同上

1934/1/24

1934/6/30

靴下及手袋仕上及染色

同上

1934/1/27

1934/12/31

凹状ガラス

強制加入・あるグループに対する製造保証、新機械自働器禁止

1934/2/15

1935/12/31

洋灰

従来のカルテル加盟社に対する規制結合、非加盟社の価格規律、持ち分譲渡禁止、新設拡張禁止

1934/2/17

1935/12/31

高圧及絶縁電線

新設拡張禁止

1934/2/24

1934/12/31

亜鉛製品

同上

1934/2/24

1936/3/31

時計(腕時計を除く)

同上

1934/3/7

1935/12/31

金属及赤色砒素

同上

1934/3/13

1934/12/31

岩塩及煮沸塩

強制加入・新設拡張禁止

1934/3/13

1938/12/31

紙巻煙草

同上

1934/4/19

1934/9/30

紙及板紙

新設拡張禁止あるグループに対する製造保証

1934/5/14

1935/12/31

ラジオセット

同上

1934/5/15

1936/12/31

陶磁器

新設拡張禁止

1934/5/15

1935/12/31

泥炭

同上

1934/5/18

1937/3/31

過リン酸

同上

1934/5/28

1936/12/31

煙草

強制加入・大經營拡張禁止

1934/6/15

1934/11/30

土木工事用石材

新設拡張禁止

1934/6/22

1935/12/31

蹄鉄

同上

1934/6/22

1935/12/31

石灰製品

同上

1934/7/17

1935/12/31

自動車用タイヤ

強制加入・新設拡張禁止

1934/7/18

1934/12/31

天然及人造原宝石

強制加入

1934/7/23

-

鉛白・亜鉛華・リトポン
・鉱物染料等

新設拡張禁止

1934/7/30

1935/6/30

鉛工場

同上

1934/7/31

1935/6/30

ネクタイ材料

同上

1934/8/16

1935/6/30

顔料

同上

1934/-

1937/3/31

鋼管

同上

1934/8/22

1935/6/30

備考:本統計は三菱経済研究所発行「世界経済の現勢」題250~251頁に拠る

カルテルの強化と新投資の禁止とは、確かに一方では市場の統制化を増したであろうが、他方では既存の独占力を増したものである事も疑いない。従ってこの如き事態に当面して政府の為すべき重要なる任務は、これら団体の市場独占から生ずる所の価格吊り上げ防止策でなければならない。

(3)食料品最低価格決定禁止令(Verordnung über das Verbot der Festsetzung von Mindestpreisen)-本法は1933年6月13日に発布され、差し当たり団体及び組合による生活必要品取引に於ける最低価格の決定を禁止したものである。この規定によって生活必要品の価格決定については価格監督局(Preisbewachungsbehörde)の同意を要することとなり、1933年5月31日以後、又は本令施行前に為された価格決定は同年6月末限りとして、それまでに許可を得ないものは無効とされた。そして1931年12月8日の第四次緊急令によって設けられたる国立価格監督委員会の権限及任務は、1933年7月15日の法律によって國経済大臣及び國食糧農業大臣の管轄下に移されるに至った。

 

第二節 中小企業政策

 

大企業に対する政策は上述の如くであるが、しかしナチスのプログラムに於て最も大きな意義を持って居る中小企業に対しては如何なる政策をとったか。ナチスの理論家フェーダーも「吾々はドイツ中産階級に於いてドイツ国民の最も価値ある部分を認め、且つ国家、地方団体が中産階級を維持する為に凡ゆる力を惜しまざらんことを要求する」と言い、又ナチスのプログラム第16条にも「吾々は健全なる中産階級の創設とその維持、百貨店の即時公有化及小営業者に対するその低廉なる貸与並びに國、邦、市町村に対する販売の際に一切の小営業者に優先権を与えるべきことを要求する」と規定されている、中小工業はナチス政府によって、如何なる待遇を与えられたか。

抑も利子収入を主な生活の基礎としていた中産階級は戦役のインフレーションで殆ど全く没落し、今日のドイツの中産階級と言えば小売商手工業者が中心となっている。ナチスの地盤は農民の外にこの層にも亦多数存在している。従ってナチス政権獲得によってその未来に光明を見出さんとしたものはやはり農民とこの階級であった。然し農民に対する政策はその巧妙なる宣伝にも拘らず、実質的には大農層にあって小農民が無視されたように、中小工業の方面においても大した功績をあげなかった。

(1)小売商保護法(Gesetz zum Schutz des Einzelhandels)-本法は百貨店、均一店等の圧迫と同業の輩出によって悩む小売人保護のために1933年5月1、2日に発布された。本法制定に関しては1933年7月15日の本法追加法の発布に際して伏せられたる理由書に於いて次の如く述べられている。
「國委員会は本年6月1日全員一致を以て決定したる請願書を政府に提出し、曩(さき)に弱化店又はその他の小売販売經營に於ける酒類販売(清涼剤販売店)の経営に与えたる許可を取り上げる権利を最高邦政庁に賦与する様請願せり、蓋し最近数年特に百貨店に於いて設けられたる食堂経営はこれを必要なる限度に於いて行うことは行政上不可能なるが故である。百貨店とは最早何等の関係なき食堂を経営し、さなきだに既に過剰となれる接客業を著しく圧迫すとの非難は接客業者並びに小売業者の間に叫ばれる所であるがこの非難は尤もである。それ故小売商保護法を補足し、百貨店又は購買店に於ける酒類販売の必要現れ、且つ他方食堂経営を停止するも企業状態が脅かされざる時は曩(さき)に与えたる許可を取り上げる機能を邦官庁に賦与するを妥当とする。営業許可の取り上げに対しては、企業の経済性を脅かす危険の審理に関する限り國軽罪裁判所に不服の申し立てをなし得る事とし、被処分者に対し法律的保護を与えるべきである」と。

本法第一条によって所謂均一価格店の設立、拡張及移転は無期限に延長された。ついで第二条は一般に商品の販売を目的とする経営の設立及拡張を1933年11月1日まで原則的には禁止することとした。以上の禁止規定は店を他地域に移すことには適用されない。そして設立拡張の禁止には本法施行令により左の如く多くの例外が付されている。

  • 公の道路、広場、市場等に於ける商売は例外とする。
  • 新しく住宅地、商業地として開けた土地、遊覧地等は例外とする。
  • 既に存在し従来は使われて居ない店舗用の空き間には商店の新設が出来る。だが、百貨店等の新設はこの場合にも許されない。
  • 純国産又は国産と見做される商品を生産している企業がその商品を販売する為に焦点を新設するを得る
  • 既存の経営面積の四分の一を超えない場合には監督官庁の許可を得て営業の拡張をなし得る
  • 視点の設置も監督官庁の許可を得た場合には、人口三万人以上の都会では例外として認められる。

10月25日の同法改正法律は商店の新設、拡張の制限を34年7月1日まで延期した。同時に例外規定を一層拡張し、この法律の発表された時すでに建築に着手せられていた建物の店舗用空き間には、百貨店を除く商店の新設が許されることとなった。さらに同第七条に於いては独立の手工業經營は百貨店、均一価格店、小売各販売店その他特種の価格制度を採用する販売店、消費組合又は工場購買部の販売乃至配給部においてこれを設立することを得ずとなし、國政府は以上の所謂經營にして本法施行以前既に設立されたるものにつきては特定の条件を掲げてその閉鎖をなすべき旨を規定し得ることを定め、併せて邦の最高政庁は本法施行前百貨店、勧工場若しくはその他の小売販売所に於ける酒類の販売に与えられたる許可を全部または一部取り上げ、百貨店、購買店若しくはその他の小売販売所における即席用調理食物の販売を全部または一部禁止することを得ると規定した。

そして政府はさらに前述の小売商保護法第七条第二弾の規定に基づき1933年7月11日「百貨店における独立手工業経営の撤廃に関する命令」(Verordnung über den Abhan der selbständigen Handwerksbetriebe in Warenhäusern vom 11. Juli 1933)を発布してその徹底を計った。

即ち同命令の第一条においては、腸詰製造、麺麭(パン)、菓子及菓子類製造設備、製靴、光学機械製作、毛皮製品、家具製造、時計修繕、自動車及び自転車修繕設備、理髪業経営設備は1933年9月1日限り、及び上着及下着調整設備、写真作成設備は1933年12月31日限り、百貨店、均一価格店、小価格販売店チェーンストアー又はその他特殊の価格制度を採用する販売業と結合し、その企業家の計算において独立の手工業経営としてこれを維持するを得ずと規定し、右の規定に違反せる手工業経営者は同令第二条に基づき閉鎖を命ぜられる事となった。

右の百貨店対策はナチス在野以来の百貨店速時公有化政策に対しては著しい幻滅でなければならない。然しこれらの矛盾は初めから予想されたるそれであって、これを信じてナチスを指示したとすれば、信ずる側の錯誤にして掲げた政党の罪ではないのかも知れない。とまれそれは原則と離れて枝葉末節を忠実に実行したことには変わりはない。

(2)その他の保護法-以上の外に尚幾多の類似法令がある。就中注目に値するものは左の諸法令である。

(イ)は、1933年5月12日の景品付き売り出し制度の関する法律(Gesetz über das Zugabewesen)であり、これによって景品売り出し制度が整理され、即ち1932年3月9日の緊急大統領令に基づき認められていたる景品売り出し制度の例外は本法第一条によって廃止されることとなり、しかも本法は1933年9月1日より実施されるに至った。

(ロ)は同年11月25日の価格割引法(Gesetz über Preisnachlass)である。本法も亦価格割引を制限するものである。即ち価格割引法の不合理な処置によって明らかになった偏奇を矯正するための処置であり、割引の方法は合理的な原則に基づき不当なる割引の行われざる様に規定され、尚これに対しては更に1934年2月21日に価格割引法の施行法の発布を見ている。

(ハ)公共団体による経済企業の審査義務に関する規定施行廃止の命令(Verordnung zur Durchführung der Vorshriften über die Prüfungspfricht der Wirtschaftsbetriebe der öffentlichen Hand)は1933年3月30日に発布され、あまり必要ではない凡ゆる公企業の廃止を要求するものにて、これにより私企業と公企業との間の競争を排除せしめんとした。ナチスの政府はこの点においても従来の主張と異なり、個人の活動の自由を広げしめんとした。

(ニ)小営業に対する信用設定に関する法律(Gesetz Über die Übernahme von Garantien und Krediten an das Kleingewerde)は窮乏に当面する小営業を保護する為に1933年10月31日に発布され、これにより大蔵大臣は一千万マルクを限度として工業信用組合及私的組織による小企業家への信用設定を保証するの機能を付与せられ信用難にある小企業を保護した。

(ホ)内国羊毛使用に関する法律(Gesetz zur Verwendung inländischen Schafwolle)-は完全に崩壊に当面せるドイツ羊牧業の振興を計る為に1933年6月12日に発布された。國経済大臣及食糧農業大臣は、これにより内国羊毛の供給を高めるための命令を発布する権能を与えられ、且つドイツ関税領域内において存在し且つ羊毛加工企業はある程度まで國産羊毛を使用すべき様奨励するの権能を与えられた。

(ヘ)煙草製造業における機械使用制限の法律(Gesetz über die einschränkung der Verwendung von Maschinen in der Zigarenidustrie)-はナチスの「公益は私益に先んず」の標語を実現せるものとして、1933年7月15日に発布されたこれによって煙草製造業に働いていた労働者の失業を緩和する為に、たばこ製造のための新機械はこれ以上の設置を禁止され、休止状態にある機械の再び使用することが許されぬことになった。

ついで手工業者に対しては後述する統制組織の項に於いて明らかにした手工業団体の創設に関する法令のある外は、あまり多くの施設は見られなかった。