ナチスの経済政策(1935年当時の調査)12

第四節 アンチインフレーション政策

ナチスデフレーション政策は対外的には全部的なモラトリアムを実施して、金本位制度を維持したにも拘らず種々の破綻を現わさざるを得なかった。これを対外的に見ても各種の閉鎖マルクによる事実上の金本位制の打破が行われているが、特に国内的には景気振興を目して行われた各種経済政策を通じて内在的なるインフレーション政策が遂行された。

ナチス政府によりルーテルに代わってライヒスバンク総裁となったシャハトは1934年6月14日のライヒスバンク中央委員会の席上に於いて、ドイツに於けるインフレーションの危険を説くものに対して次の如き辨明を試みて居り、一面これによって現下ドイツの金融政策の動向をも示すこととなした。

「過去に於けるデフレーション政策の行き過ぎとドイツ輸出に対するロックアウトの結果、ドイツは600万の失業者を出し、爲に社会秩序混乱の危険に直面した。凡ゆる国際契約の尊重と凡ゆる全意図を以て極力契約を履行せんとするといつ国民も、三人の中一人の失業者を該当に投げだすの危険を繰り返すことを欲しない。とは云えドイツは今なお相応の価格形成によってその輸出貿易を維持することに全力を尽くしている。もしそれ外国にして、ドイツの失業救済政策をインフレーションなりとなす者あらば、予はこれに対し次の事実を指摘して辯駁を加えるであろう。即ち本年5月のドイツに於ける一切の支払い手段流通高は、昨年末に於けるとほぼ同様であり、1932年のデフレーション時代よりも却って低位に在ることこれである。これらの数字は正にドイツに於いては如何なる意味のインフレいーしょん政策も、拒否せられている事実の決定的証左である。同様に又吾人は所謂デヴァリエーションとして知られるドイツ通貨価値引き下げ政策をも拒否する。蓋し通貨価値引き下げによって強要せられる輸出政策は必ずや外国の憤激を買う事明らかなるのみならず、他方に於いて吾々は必要なる原料品輸入のために価値低下せる通貨を以て今日以上に多数の支払を必要とするために、斯くの如き強制的輸出政策によっては外国為替受取額の増加をも期待し得ないからである。諸外国の新聞紙上には、近時益々ドイツのインフレーション又は通貨価値引き下げに関する報導が喧伝せられているが、かくの如きは全く無責任な冗舌に他ならない。吾人はあくまでもライヒスマルクの安定を維持すべくまたその実力を有する。これが爲に政府及ライヒスバンクは1924年に於けると同様の努力を払い又同様の効果を治めるであろう。」と。

然し乍ら既にナチス以前に於いてすらインフレーションの危険の明らかに見えたドイツの財政は、殊に貧弱な資本市場を控えて、ナチスの大規模の労働振興政策を賄って行くには著しき困難を伴わねばならなかった。加えるに世界恐慌下のドイツ中小市民階級を地盤としている、ナチス政府にとっては彼等が恐怖するインフレーション政策を露骨に表明する訳に行かなかった。かくてこれが為に凡ゆる機会を通じてドイツ通貨価値の擁護又は通貨減価政策の否定が為された。健全通貨論者シャハト総裁が這般の声明を為せるも蓋しこのような事状に於いてであった。然し乍ら、ドイツの現状は、必ずしもこれらの声明を額面通り実行するわけには行かなかった。以下述べるが如き諸項目は何れもアンチインフレーション政策と相反する何らか潜在的なインフレーションの危険を帯びるものである。

 

第五節 資本市場政策

 

上述の如くインフレーションの実行は極力否定はされたが、資本市場に於いては或いは低金利政策による資本市場の統制により、或いは銀行法の改正を通じての兌換券発行増しを通じて幾多のインフレーション的政策が遂行された。

(一)低金利政策

ナチスの金融政策の中心たる利子の低下は国内一般の指示を受けた。蓋しドイツに於ける金利の趨勢は国際的水準に比して大体高位を維持して来た。即ちライヒスバンクの割引歩合は1932年3月には6%であったが順次低下されて同年9月22日に4%に定められて以来ずっと維持されてきた。しかもこれを主要各国中央銀行がいずれも三分五厘以下に在るのと比して高位なことは云ふまでもない。

ここに於いて資本市場の振興を計ることが重要な政策として努力せらるることとなり、1933年5月31日の閣議により、ライヒスバンク総裁を会長とする委員会が設置され、同委員会には金融及び資本市場に関する凡ての事件を規律監督する権限が与えられた。かくて同年9月20日開催されたる同委員会は不況打開の基礎として失業救済の大規模続行の外に、(イ)短期債務の整理及び公共支出の大削減による公共団体財政の基礎強化、(ロ)金融及び資本市場の融化等を決定した。ここに於いて同年9月21日付「市町村債借り替え法」(Gemeindeumschuldungsgesetz)なるものが発行され、短期債務に悩む市町村にして認可を与えられたものは負債整理組合に加入し、その債務を組合の発行する政府保証の四分利付、1936年以降三分償還の債券と借り換えを求めることを得るとされた。債権者は必ずしもこれを承認するを要せぬのではあるが、斯かる場合は向こう五ヶ年間元利ともこれを請求し得ざることとされた。更に農業政策の項に述べしが如く農業界の為に行った整理政策により不動産所有者の利益を擁護した。

しかもこの整理は同時に債権者を利した事は云ふまでもない。何となれば後述の如くライヒスバンクは1936年10月27日付銀行法改正によりオープン・マーケット政策を行う権限を獲得したが、同行は同政策の採用により資本市場に大いに活動し、これによって高きに過ぎる長期金利と低きに過ぎる短期金利との開きを縮小せしむる可能性を得た。この結果、国債及邦債相場は額面に近づき又はこれを超過し、市債及び町村債も亦従来の低相場より回復したるを以て、債権者は低金利政策によって従来固定化した債権を流動化することによって大いに利得した。

(二)銀行法の改正

既に述べた1933年10月20日付の銀行法の改正は前記委員会法定の(ロ)の方策によるものにして、これについては前記委員会は次の如きコミュニケを発表している。即ち「最後に特に考慮すべき重要問題は資本市場の形成であって、この方面のみは未だ経済界の諸方面の一般的改善を反映して居ない。ライヒスバンクは従来資本市場に関与しなかったために、特に金融及び資本市場間に横たわる間隙を削減せしむることが出来ず、資金は明確に存在するのであるが、これを資本市場に導入せしむることができなかった。故にライヒスバンクは金融市場に対すると同様の方法を以て資本市場に活動力を与え、その機能を漸次向上せしめ、それによって有価証券所有者特に確定利付き証券所有者の資本市場の受容能力に対する信認を確保しなくてはならない。ライヒスバンクは今やこの方向に専ら邁進しつつある」と。

抑々ドイツの銀行法はインフレーション以後1924年8月30日ロンドン議定書の精神に則って制定されたものであるが、ナチス政府はバーゼル国際決済銀行の承認を経た後1933年10月27日の銀行法改正を実施した。同改正法はドイツの発券銀行に対して、新時代の要求に応じ就中オープン・マーケット政策により従来以上の活動力を付与せんとするものであった。

これによりライヒスバンクは第一に銀行法第21条第3項(イ)及(ロ)に基づき動産担保貸付の担保たり得べき凡ての内国有価証券を売買し、そして斯かる有価証券担保の信用を発券準備に繰り入れる権限を与えられた。これによりライヒスバンクの業務範囲が大いに拡張された。即ち1924年銀行法ライヒスバンクの業務範囲をも比較的狭隘ならしめた結果、同行は自らオープン・マーケット政策実行の権限を欠いて居たのみならず、兌換準備規定中保証準備物件の如きも割引手形又は小切手に限定されていた。然るにこの改正により、有価証券を基礎とする資金供給力は大いに増大し、ナチス政府の希望する低金利政策遂行に大なる便宜をもたらした。第二に監事会は1930年外国監事の除去により既にその本来の目的を失っていたが、この機会に廃止された。又相殺及理事は今後前者はライヒスバンク理事会の意見を徴したる上、後者は総裁の推薦により大統領これを任命することとした。第三にライヒスバンクの最低準備の限度を事実上撤廃し、同法第29条大1項即ち例外的事情ある場合に於ける金及外国為替準備の最低限(4割)保持の義務免除に関し、従前同条第2項乃至第4項に定められた課税の規定を撤廃した。因みに最近に於けるライヒスバンクの金及外国為替準備は次の如くである。

ライヒスバンク準備状況(単位百万マルク)

 

金準備

準備率

 

在内

在外

外国為
替手形

銀行券
流通高

流通高対金及外手

流通高
対 金

1932年12月31日

 

 

 

 

 

 

 

1933年12月30日

343

43

386

9

3,444

11.6

11.4

1934年1月28日

352

23

376

6

3,458

11.1

10.9

同2月28日

307

26

333

6

3,494

9.7

9.5

同3月29日

165

71

237

8

3,064

6.7

6.5

同4月30日

165

39

204

6

3,640

5.8

5.6

同5月30日

105

24

130

5

3,625

3.7

3.5

同6月30日

52

17

70

6

3,776

2.0

1.8

        「備考」Völkischer Beobachte 発表によるライヒスバンク週報に拠る

 

(三)銀行制度調査委員会の設置

部分的な金融制度の改正に次いで、ナチスの金融政策として最も広く宣伝されていた金融機関の固有の問題の解決がなさるべき筈なるに拘らず、ナチス政府はこれに関しては何等の対策も為さず、僅かに「1933年銀行調査委員会」を召集したに過ぎない。この調査は1908年以来の大規模のものとなされているが、要するにその信用制度内に於ける欠陥を探及し、そしてこれを是正すべき新法律の基礎を作るために設けられたものであって、その第一回会議は1933年9月6日に開催され、爾後各方面の専門家の意見を徴しつつ前後27回に亘って審議を行い、その結論は1924年11月に発表され、次いで同年12月4日の閣議に於いて銀行制度及金融並びに信用業務の各方面にある改正法の決定を見た。

以下に於いて同委員会の報告を述べ次いでこれに基づき発布されたる法律の内容を見ることにする。

委員会報告によれば過去に於けるドイツ信用制度の欠陥は大体次の如くである。

ドイツの信用制度に存する欠陥は第一にはその構成や形式の中に求められるべきものではなく、ナチスが政権を獲得して以来消滅し始めている古い経済組織及びこれに応対する政治組織の中で、信用機関の指導者たちがその指導的態度を誤ったために生じたのである。これらの欠陥の中で最悪なるものは第一には短期外国信用制を過度に受け入れたことである(1930年末に於ける諸銀行の短期対外債務は70億マルクに達した)。斯くの如き巨額の債務を生じた根本原因はヴェルサイユ講和条約および無謀なる賠償政策に求められるのであるが、それと同時にかかる巨額の債務が政治的領域に対して及ぼす関係及びこの如き短期債務が固定化する危険を過少に評価した当時の信用機関の指導者たちもその責を免れ得ない。即ちこの如くして短期信用を以てする固定的な投資は許されるべき限界を超えて行われるに至ったのである。

第二には経済並びに信用政策上の欠陥として大会社、コンツェルン等に過大な信用が授与されたことを挙げ得る。1932年8月末日に於けるベルリン大銀行の当座貸し越し、商品前貸し、乗換貸付及び海上荷為替担保貸付の総額を金額によって分類すると二万マルクまでの信用は総額の78%、二万マルク以上百万マルク迄の信用は45.6%であり、百万マルク以上の信用は合計46.6%に達している。斯くして工業に於ける資本の集中は行われ、国民経済上重要なる意義を持つ中小商工業者の維持繁栄は閑却されるに至ったのである。

第三に多くの信用機関は信用の授与に際してその安全性を過大評価し過ぎた。ドイツの信用機関の支払準備は恐慌前に於いて既に不充分であったのであるから、諸機関は巨額の資本が凍結したために有志能力を失いしかも巨額の減価償却を行わなければならなくなった結果その経済的機能は益々減殺されるに至った。

第四に外国資本が流入したために戦後まもなく始まった信用機関の増加傾向は益々助長された。1913年末に3万4,451を数えた全信用機関数は1932年末に4万0,432に増加した。然るにこの間に於ける諸金融機関の実力は低下して来た。即ち同期間内に短期的信用機関の諸勘定総計は497億8,000万マルクから429億6,000万マルクに低下している。

右の如く金融機関は一方に於いてその数を増加すると共に他方に於いてはインフレーション次代に自己資本金の四分の三を失った上、顧客の破産によって莫大な損害を蒙り、更に営業分野を公共的金融機関により削減され、しかも証券発行等業務等の利潤獲得の源泉を表類した。それと同時に為替管理、破産の整理等就役の上がらない業務が増大して経費は益々嵩むに至った。然るに人件費の如きは社会的な理由から切り下げ不可能故、金融機関の経済性は愈々失われるに至った。

報告書は以上の如き諸欠陥を指摘した後、活動力ある金融機関の恢復を解き、そのためにはその経済性即ち収益の確保が必要であることを強調している。

この報告書に基づき新法律の核心はナチス刻下の任務を遂行するに適応せる金融市場を作り出すことを目的として、自由主義時代の如く事態を放任せず、必要なる手段を包括的に講じ得るような信用制度をば法律によって管理せねばならぬ、

として、(1)信用機関全体に対する監督、(2)全信用機関を認可義務に服せしむること、(3)支払準備を充分にすること、(4)金融市場と資本市場の分離及び貯蓄業務の分離、(5)秩序ある信用取引を確立すること、(6)信用業務の管理及び公開性の拡大、(7)監督官庁を合目的的に統一することなどを挙げてこれに関しては次の如く主張する。

(1)全信用機関に対する監督

従来の監督方法に於いては権力ある中央機関を欠いていた爲全体の統一が取れず、また全体的貨幣及び信用政策の重要諸問題に容喙(横から口出し)することが出来なかった。従って個々の金融機関は過度の自由を享け国民全体の福祉を蔑(ないがし)ろにして個別的利益の追及に走り過ぎた。それゆえに全権を委任さるべき強力なる監督官庁の設立は絶対に必要であり、全金融機関は余すところなくその統制に服せしめられ、以て国家の貨幣並びに信用政策と諸金融機関の授信業務とか一致せしめらるるようにすべきである。

(2)全信用機関を認可義務に服せしめること

信用制度の無計画な発展及び過剰なる存在は貯蓄の集中及び資本の分配上有害なる結果をもたらすものであるからこれを回避するため委員会は許の制度の採用を進める。そして許可すべきや否やは一定の物的人的条件に拠らしむべきである。現状に処する為には一定の過渡的期間内に既存の信用機関を廃して整理すべき権能が与えられる必要がある。更に企業の合同および他の信用機関に対する継続的参与を為す場合には届け出義務を課すべきである。尚信用機関に非ずして信用業務を行うものに対しては信用機関を保護する為「銀行」「個人銀行」「貯蓄銀行」その他これらの意味を含む称号の使用を限定する必要ありと信ずる。

(3)支払準備を充分にすること

信用の固定化を防止する為資本の運用にあたってはその形態のみならず、その性質をも厳重に分類しなければならない。支払い準備の規定は消極的に固定的性質を有する資産の最高限を画すると同時に積極的に、特に流動性に富む投資を保有すべき最低限を定るものでなければならぬ。各時の支払準備の大きさはライヒスバンク適格の手形及びライヒスバンクに於いて担保資格を有し又は有し得べき有価証券の大きさによって定まる。

必要欠くべからざる国家の経済的任務を遂行する為に要する資金は租税財源が不充分である限り貸し付けに俟たなければならない。既に1933年10月の銀行法改正によってライヒスバンクは万一の場合には証券の担保資格を拡張できるようになったが、今後これらの有価証券は支払準備として益々役立たしめるようにせねばならぬ。

(4)貨幣市場と資本市場の分離及び貯蓄業務の分離

短期的性質の資本を長期的形態に運用することは資本の流動性を奪い、又長期的性質の資本を短期に使用することは短期市場を不必要に圧迫すると同時に資本市場を枯渇せしむる原因である。従って委員会は貯蓄預金を受け入れる信用機関に対してはその資金を長期的形態を帯びるものに運用すべき義務を課し又帳簿上貯蓄業務をその他の業務から分離すべきことを提議する。

(5)秩序ある信用取引を確立すること

信用貨幣による支払流通は一般経済上の利益であると同時に又重大なる障碍を起こす原因ともなる。従って現在の利益を既存しない様に注意を払いつつライヒスバンクの統制下に置くべきである。但し小切手の流通は特別な管理から除外するも可なりとする。

(6)信用業務の管理及び公開制の拡大

信用制度を再編成するに於いて輿論(世論)は三つの方法を指摘している。即ち、イ、信用機関の国有化、ロ、地方分権地方銀行の設立)ハ、個人銀行業の再建である。

併し乍ら委員会は信用機関の国有化には反対である。寧ろ貯蓄銀行の立場さえ侵されないならば私経済的な創意こそ最も目的に合した信用機関の組織であると考えている。但しこの如き見解に基づいて信用制度を構成することが無条件的に一般国民の利益と一致しなければならぬ。地方銀行の設立については非常なる意義があると考え又個人銀行業の再建についても一考すべき価値があると考えている。

信用機関及びその債権者の安全性を高める為に、現在の自己資本他人資本との比率を改善しなければならぬ。この改善は実情及び実際上の必要を吟味して初めて行われ得るものであるからこれが解決は監督官庁の権限に委ねられるべきである。

与えられた信用を出来るだけ広く分配し又個々のものが過度の危険を負担するのを避ける為、監督官庁には各信用機関の授信額を随時制限する権能が与えられるべきである。併し乍らナチス国家は巨額の資金を必要とするものであるから、斯かる場合に適当な措置を講ずることが出来るように立法者は考慮しなければならない。

無準備の信用が許されるべき最大限度を超える場合には受信者(即ち金融機関)をしてその業績を発表せしめなければならない。

信用機関の安全性を高め預金者の信用を厚くするために凡ての信用機関に対して年度報告を、また諸勘定合計が百万マルクを超える場合には月末報告をもライヒスバンク重役会に提出するの義務を課せんことを提議する。個人商会、合名会社、合資会社の形態を採る企業にして諸勘定合計が百万マルク以上のものはその他の信用機関と同様年末報告及び六月末中間報告を提出すれば足りる。しかもこれらの報告については詳細なる説明が与えられなけらばならず、その他にも要求ある場合には報告を行うようにせねばならない。

(7)監督官庁の統一

新たに講ぜられる諸手段の効果は監督官庁の能力によって左右されるものであるから、この意味に於いて国家の最高方針を直接伝達すべき権威ある監督官庁が必要であり、ライヒスバンク及びその他の諸官庁はこれに協力しなければならない。監督官庁の長官にはライヒスバンク総裁を任命し、且つ個々の場合に監督官庁内部の見解が不統一である場合には当該諸手段は閣議の承認を経て実行されるべきである。

 

(四)信用制度に関する改正法の発布

銀行制度調査委員会の前項の如き報告に基づき1934年12月5日付を以て「信用制度に関する法律」(Reichsgesetz über das Kreditwesen)が発布された。本法は十一章五十九節より成る厖大な法文であり、まず第一章は「本法適用範囲を定むる一般法規」、第二章は「営業許可及び禁止」、第三章は「報告義務」、第四章「称号の保護」、第五章「信用業務及び清算に関する規定」、第六章「貸付対照表の提出」、第七章「貯蓄預金」、第八章「信用支払流通に関する規定」、第九章「監督機関」、第十章「強制手段及び罰則」、第十一章「特別規定」第十二章「経過諸規定」より成る。今その大要を紹介すれば次の如くである。

(1)本法の適用範囲はドイツに国内に存する一切の信用機関及び貯蓄銀行(但しライヒスバンク、ドイツ金割引銀行、ドイツ郵便局の施設、抵当貸付機関及び住宅企業を除く)。

(2)営業の許可及び拒否報告義務及び称号の保護 (イ)これによって凡ての信用機関は営業する為には検査官の認可を受けるを要す。但し本法発布当時既に存在し業務を行い、又1934年7月30日以前に設立されたる信用機関は特に認可を受けるを要せず。(ロ)営業が拒否される場合としては人的要素の不備、営業資本の不充分、国民経済上の自由からして客観的諸条件の具わらざる場合及び信用制度合理化の目的より拒否される場合、(ハ)検査官が営業許可を取り消し得る場合としては、許可後一年内に営業を開始せざる場合、許可を受ける場合不正ありしとき、公益に反する場合、預金及び有価証券の安全性が脅かされる場合等、(ニ)役員の更迭、営業及び支店の廃止、合同、資本変更、他の信用機関に関する継続的参与については検査官に報告の要あり。(ホ)「銀行」及び「貯蓄銀行」等の称号を用いるものは本法の規定により許可されたものに限る。

(3)大信用の統制に関する規定としては(イ)一信用機関に於ける一受信者の全負担額が一ヶ月の間百万マルクを超える場合には、同月末に要求せられたる信用の授与を拒否すると共に、その受信者の姓名及び商会を検査官に報告すること、(ロ)一信用機関より同一受信者に対して与えられる信用額は自己資本金に対する一定比率を超えるを得ず、その比率を超えて信用授与を行う場合には業務執行者の同意を要すると共に、検査官に報告する、(ハ)この際信用として見做されるべきものは手形信用、債務保証その他の債務及び受信者の企業に対する継続的参与を云ふ。(ニ)国家及び地方団体に対する信用、若しくはこれらにより保証せられたる信用に対してはこれらの規定は適用されない。

(4)業務執行者並びに使用人に対する信用の規定については(イ)一信用機関がその役員、株主、その企業に従事する官吏又は使用人に対して信用を与える場合には業務執行者の満場一致の同意及び相談役若しくは監査役の明瞭なる同意を要す。(ロ)信用機関の業務執行者が受信者側の企業執行者若しくはその他の機関の一員として関係せる場合には、その受信に際しては信用機関の業務執行者全員の同意及び監査役又は相談役の明瞭なる同意を要す。受信者側の企業の役員が信用機関の役員として関係ある場合も亦同じ。(ハ)業務執行者の責任を明らかにし彼等の責任に帰すべき損害を補填せしめるため、信用機関の業務執行者に対して分配せらるべき利益の中、監督局の決定する比率に相当する部分を積み立てるべし。但しその比率は該利益金の50%以上に定められるを得ず。

(5)対人信用に関する規定として、一受信者に対して与えられる無担保信用の総額が5,000マルクを超える場合には信用機関は同受信者の経済状態の公表を要求し、又はその貸借対照表の閲覧を要求する義務を負う。検査官は一般的に又は個別的に5,000マルクと異なる限界を定めるを得る。

(6)支払準備及び投資に関しては(イ)現金準備は全負債額より貯蓄預金を差し引ける額に対して監督局の定める比率を形成すべし。但しその比率は10%以上たるを得ない。(ロ)株式、鉱山持ち分證券、鉱業組合持ち分等の有価証券の所有及取引所取引を許されざる有価証券の所有は全負債額より貯蓄預金を差し引ける額に対する一定比率を超えるを得ず。但しその比率は5%以下たるを得ず。(ハ)土地、建物および継続的参与に関する投資は貸借対照表に記入せる金額により計算して総計が自己資本額を超えることを得ない。(ニ)検査官は信用機関の要求に基づき又は自ら各信用機関の個々のものに又はそれらの一定種類、一定群に関して政府の定める期間内に於いてこれらの規定を免除し得る。又一定限界を守らざる配当乃至利益配分を制限し得る。

(7)公開性の規定としては(イ)信用機関は凡て年末貸借対照表を損益計算と共にライヒスバンク重役会に提出せねばならない。株式会社、株式合資会社有限責任会社、組合等の組織を有する信用機関及び公共信関機関にして諸勘定科目合計が百万マルクを超えるものは更に各月末中間貸借対照表を提出すべし。その他のものは六月末中間貸借対照表を提出すべし。(ロ)信用機関は要求ある場合にはライヒスバンク重役会に対し貸借対照表に関する報告及び説明を為すべし。貸借対照表の組織は監督局の定める規定に拠る。

(8)貯蓄預金に関する規定としては(イ)貯蓄預金とは支払流通の目的で預け入れるものではなく、投資の用に供せられ且つその出納は通帳によって行われるを特徴とするものを云い、利子は確定的であり通帳の見易き場所に明記すべし。(ロ)預金のための有価証券の売買及び預金準備の目的を有する投資を帳簿上分離して行う信用機関は年末決算に於いては貯蓄業務に要せし費用を明らかにすべし。(ハ)貯蓄預金の投資については特に流動性と安全性に留意すべし。これに関する規定は監督局これを定める。

(9)信用支払流通に関しては(イ)監督局は支払流通団体とその他の機関と、國の種々なる信用機関相互関の、また同一信用機関の本支店間の信用支払流通に関する規定を設けまたその規定を交互に錯綜せしめて適用するを得る。(ロ)監督局は信用支払流通がライヒスバンク、同支店若しくはドイツ郵便小切手局を経由すべきその程度を決定し得る。

(10)監督方法

(A) 監督局

本法によって全ドイツ国内の信用機関の本店及び外国銀行支店はライヒスバンクにより設立されたる監督局の監督に服する。(イ)監督局の構成を見るにライヒスバンク正副総裁、総統に任命されるもの一人、内務、大蔵、経済及び食糧農業省の諸機関より成り、ライヒスバンク総裁をその長官とす。(ロ)監督局は本法に於いて定められたる任務の外に信用並びに銀行政策に於ける一般国民経済上の立場に対し注意を払い、又信用制度に発生する不都合の除却につき配慮すると共に、監督局は信用機関の営業原則及び検査官の大綱を決定し得る。(ハ)監督局の決定及びその処分は委員協議せる後長官がこれを施行する。但し疑いある場合は政府これを決定す。

(B)検査官の資格は国家の官庁であり、ライヒスバンク総裁に諮問して相当より任命される。検査官はドイツ官吏法を遵守し経済大臣の監督に属す。その権限として検査官は監督局の一員に非ざれどその凡ゆる会合に出席し忠告的発言を為すことを得る。検査官は本法の執行にあたり、本法の規定に定められたる外検査官は次の権限を有す。(イ)信用機関に対して各期考課状(財産状態・営業内容などの報告書)の提出を要求すること、(ロ)帳簿書類の検査、(ハ)その他検査審問すること、(ニ)信用機関の総会その他の役員会(相談役会、監査役会をも含む)等に自ら出席し又は代理人を派し発言すること、(ホ)信用機関の総会の招集、執行及び監督機関会議開催の時日を定めること、及貸借対照表につき必要なる事項の報告を求めること、(ヘ)国内に於ける凡ての企業(信用機関に非ざる企業をも含む)からそれらが為替法上の意味における外国に対して負う支払い義務の状態に関して報告を要求すること、(ト)緊急なる場合にはその他の規定を設けること。

(五)『私立発券銀行に関する法律』(Zweites Gesetz zur Änderung des Privatnotenbank-Gesetzes)本法は1934年12月29日付を以て発布された。これは現存する四つの私立発券銀行バイエルンザクセン・ヴュルテンベルグ発券銀行及びバーデン銀行)が1933年12月18日の法律により、1935年12月末日に至り、その発券権を喪失することになっているがこの発券権の喪失による地方財界の急激な変化を起こさせない様にするための過渡的規定である。その要点次の如し。

1、私立発券銀行はその経営業務を私立信用銀行業務に変更する為、経済大臣の同意の下に私立発券銀行法に規定する範囲を超えてその業務を拡大し得る。

2、右の際しても1935年末まで発券権を放棄するの要なし。

3、今回の規定を利用する私立発券銀行は兌換券の増発を行い得ない。但し流通する範囲内に於いて還流兌換券を再び流通せしめ得る。

4、兌換準備全体は経済大臣がライヒスバンク重役会に諮り任命する管理官により監視される。

5、兌換準備中信託的監理に不適当なる手形ある場合には、政府、地方団体、ドイツ鉄道若しくは郵便小切手局の確定期限付き短期証券により、代用準備が行われる。

(六)1934年12月4日『有価証券の取引上場許可に関する規定(VO. betr. die Zulassung von Wertpapieren zum Börsenhandel)及び有価証券取引に関する法律(Gesetz über den Wertpaierhandel)がある。

本法は取引所及び取引所上場有価証券の整理を行い以て取引所の健全化を計り、より完全なる資本需要充足を行わんとすることを主眼としている。

(1)かくて従来21カ所に存した取引所を9カ所に廃合整理した。即ち、ベルリン、ブレスロー、ハノーヴァー、シュツットガルトバイエルン、ハンザ、ザクセン、ライン、ウェストファリア、ライン・マイン取引所これである。

(2)ベルリン取引所に於いて上場を許さるべき一定金額を示す有価証券は、各券面金額合計が最低150万マルクを下るを得ない。ライン・マイン及びハンザ取引所に於いては最低50万マルク、その他の取引所に於いては最低25万マルクを下るを得ない。

(3)上場の許可を与えるべき官庁は一定の場合この規定を免除し得る。

(4)経済大臣はベルリン取引所に上場される300万マルク又はそれ以下の有価証券にして、(イ)その大部分が一人又は数人の手中にある場合、(ロ)ベルリン取引所に於ける取引量少なく、地方取引所に上場するを有利とみられる場合には同証券上場の許可を取り消し得る。

(5)総額300万マルク又はそれ以下の有価証券にして新たにベルリン取引所に上場するを許されるものは地方取引所に上場するを不利とせられる場合に限る。

(6)ドイツ取引所に於いて、上場を許されていた有価証券は経済大臣の規定に依って1935年7月1日まで、他の取引所で取引せられるを得る。

(7)経済大臣は官庁の認可を受け設立されたるものでなくて、有価証券取引の目的のために行う銀行の会合に対して規則及び個々の規定を発する権限を有す。かかる会合は取引所なる名称を用いるを得ず、また相場を発表するを得ない。