ナチスの経済政策(1935年当時の調査)15

第五節 公債政策

 ドイツに於ける中央及地方債の1933年3月末の現在額については第一節第三項に於て明らかにした次第であるが、これ等の公債に対する政策は然らば如何になされたか。

抑々ナチスの公債政策は第二節のナチス財税制論中に於て述べている通り利子奴隷制打破の見地からして、私的資本に対する公債を破棄するか、または少なくとも幾十億の利子負担の減少を計ることにあった。このプログラムは政権獲得後に於て如何に行われたか、これを先ず国債と地方債との二方面に分けて述べよう。

国債に対する政策を述べる前にドイツ國際の内容を1934年3月末現在につき見ると大要次の如くである。

ドイツ國際各年三月末現在内容別表(単位百万マルク)

 

1932年末

1933年末

1934年末

1.切替公債

 

 

 

 償還請求権付のもの(Altbesitz)

3,940.4

3,793.0

3,640.9

2.1924年4月1日前に成立せる其他の公債

 

 

 

 (1)レンテンバンクよりの借入金

427.0

427.0

408.9

 (2)ライヒスバンクよりの借入金

179.5

178.5

177.5

 (3)1923年償還請求権付K号国庫證券

0.4

0.4

0.3

 (4)1923年国庫證券(1935年満期)

18.2

18.2

10.9

 (5)1923年六分利付国庫證券(1933年満期)

1.3

 (6)ドル貨国庫證券

4.4

4.4

    計

630.9

628.5

597.6

3.新規公債

 

 

 

 (1)外国債

 

 

 

  (イ)1924年外債

741.6

695.8

410.3

  (ロ)1930年五分半利付國際公債

1,424.1

1,387.0

1,078.8

  (ハ)1930年六分利付外債

525.0

525.0

314.1

  (ニ)ルーマニアの為に発行せる無利子国庫證券

  (ホ)短期外債

524.4

429.4

256.6

  計

3,215.2

3,037.2

2,059.9

 (2)内国債

 

 

 

  (イ)長期内国債

2,454.1

2,716.9

3,562.9

  (ロ)短期内国債

1,193.4

1,514.4

1,931.4

  計

3,647.5

4,231.3

5,494.3

1.及 2. 合計

6,862.6

7,268.5

7,554.2

1.~ 3. 合計

11,434.3

11,689.9

11,792.8

外に償還請求権なき切替公債(Neubesitz)

703.3

641.4

614.3

「備考」Statistisches Jahrbuch für das deutsche Reich 1934, Wirtcshaft u. Statistik 1934, Juni Heft.

 

以上の国債は成立の時期より見て三部に別たれ得る。即ち第一は1924年の通貨安定前の公債であり、これは1921~23年の間のドイツを襲ったインフレーションの爲殆ど無価値になったものであるが、政府は1925年7月16日これらに対しある程度の保護をなさんとして、国債切替法に依って切替公債となし、そのある部分に償還請求権を与えたこの額は1926年当初の48億マルクより1934年3月末には36億4,000万マルクに減じている。

第二は通貨安定のための過渡期における国債であり、第三は通貨安定後のものであって、外債と内債とに分かれる。

今外貨について見るに(イ)の1924年公債は所謂ドウズ公債であり、(ロ)は1930年のもので所謂ヤング公債、(ハ)は所謂クロイガー借款であり、(ニ)の「ルーマニアの為に発行せる無利子国庫證券」とは1929年2月8日のドイツ・ルーマニア間の財政係争調停協定に関する法律に基づき発せられたるものなるが、1931年度に償還済みとなり現在は存在しない。(ホ)の短期外債は種々の分子よりなるものである。

そしてこれらの外債の額は1931年3月末を基準として見れば、以後1933年3月末に至る迄別段の変化がない。即ちルーマニアの為に発行せる無利子国庫證券が償還済みとなれる外、クロイガー借款は変わらず、ドウズ・ヤング両公債は成規の通り償還が続行され、短期外債に於ては1932年3月の償還により1億マルクの減少を見た。この結果1931年から33年に至る三年間に外債の減少額は約2億6,800万マルクに達した。

然るに1934年3月末現在の総額は前年同期のそれに比して総計9億7,700万マルクの減少を示している。これは主として従来外債を平価に計上せるものを、為替相場の現実に換算した差額を考慮して計算せるためにして、従ってこれらの中実際に償還されたる額は僅かに一億4,800万マルクに過ぎず、これを1932年の償還の2億1,400万マルクに比せば著しい現象である。従って残りの8億2,800万マルクは為替相場の変動に基づく現存に過ぎないのである。

されば以上を考慮してドイツ国債の総計額の推移を見るに外債における8億マルク余の帳簿面減少にも拘らず、1931年以来110億マルク台に安定している。これは要するに実質的にはドイツ国債が著しき増加を示せることを物語るものにして、就中1933年度中の増加は約8億4,600万マルクに上り、最近数年間の増加速度たる2、3億マルクに対して著しい増加である。増加の内容を為すものは何れも内国中期及び長期債である。而もこの増加は失業減少法による労働政策遂行のための費用である。この意味でナチスの公債政策は失業救済と非常な関係を有する。

ナチスの公債政策はこの失業対策の遂行に応じて二方面より実行された。一は即ち1933年3月29日付資本会社の公債資本形成に関する法律(Gesetz über Bildung eines Amleihestocks bei Kapitalgesellschaft.)であり、二は即ち新規借換公債政策これである。

抑々失業減少法に予定されたる労働政策のために要する巨額の費用を如何にして調達せらるべきかこの点につきランスブルグ氏は1933年7月5日のバンク誌上に於て述べているが、氏に拠れば少なくとも次の三通りの方法が考えられる。即ち一は外国信用の利用、二は信用機関による借款の引受(例えば第一に労働国庫證券)三には募債これである。

第一の方法即ち外国より信用を受けることは、その余裕無しと云うのではないか、その好ましからざる副作用を伴うべきが故に擇ばるべきはない。好ましからざる副作用とは、即ち外国より信用を得るに当たり、対価的に経済的譲歩の要求を受ける虞おおきこと、及び同じく政治的にも自己決定の権利を制限せられるに至ることこれである。

第二の方法たる信用機関、特に銀行による借款の引受であるが、これもまた実行不能である。蓋し目下投資は殆ど全く停止し、資金の動きは一般に不活発である爲、銀行は信用の要求に対し容易に応ずることが出来ぬ。且つ又銀行はその手持ち証券を必要なる時容易に換金するを得ざるに至れるため、勢いその現金準備を増すことを要求され、爲に金融市場を活躍せしめ、延いて生産の勃興を援(たす)くべき資金の供給が甚だしく減殺されて居る。そしてさらに預金増加が亦微々たるものであり、それは辛うじて銀行の負債銷却に足るに過ぎず、積極的に供給資金となるだけの余裕はない。かかる不活発なる情勢の中に立つ銀行に対し信用の許与を求むるは遂に不可能であろう。

然らば第三の方法は如何、公債発行の成行は次の条件を前提とする。即ち現在必要とされる如き多額の資金を調達する為の公債に市場が応ずるためには、銀行手持ちの現金準備を減少してこれを投資せねばならぬのであるが、これは又斯くして獲られたる公債が常に投ぜられたる現金と同等の価値に於て換金せられ得ること、従って発行公債の完全なる成功と強固且つ吸収力に富む資本市場の形成に懸かる。然らば公債発行の完全なる成功の見込みは如何。少なくとも甚だ疑わしきものなりと為すに於て何人も異論ないであろう。そして、これだけで既に公債発行の方法は尋常には成功し得ざることが明らかになるであろうと。

ナチス政府のとった前記の二公債政策の一つはランスブルク氏提案せる方法の中の第二のものに類似し、後者はその第三の方法によるものである。今この二方策について説明すれば大要次の通りである。

(一)1933年3月29日付資本会社の公債資本形成に関する法律は一名投資法Kapitalanlagegesetzと云い、資本会社(株式会社、有限責任株式合資会社、植民会社、鉱山法に依る産業組合、有限責任会社等)をして、その資本の一部を公債を以て形成せしむるを目的とする。斯くして形成せられたる資本の部分を公債資本と謂うのであるが、公債資本の形成義務は二個の条件に係る。(1)1933年10月1日より1934年12月31日までの期間に於いて営業年度を終了し、前年度より多き配当を為し、(2)その配当が払込資本金の六分を超えるとき(第一条第一項)、公債に投資すべき額は第一条第二項により、前年度の配当が六分を超える部分。公債資本を形成し得る公債は國、邦及び自治体のそれにして、継続利子を有し、国内に於てのみ支払わるべきもの、且つドイツの取引所に於て取引せらるるものに限り(第三条)、その償還ありたるとは償還金を以て直に右の要件を具備せる他の公債に投資せざるべからず(第四条)、更に会社の解散又は会社財産に関し破産手続き又は和議手続きが開始せられたる場合の外、1936年3月31日迄取引を禁止せらる(第六条)。その他貸借対照表に於ける記載方法(第五条)、罰則(第八条)、委任命令(第九条)、及び適用排除の場合(第一条第三項、第七条)等が規定されている。

本法の目的は一種の強制公債であって、ナチス政府は財政上の必要からその強制手段を公債政策の上に適用したものである。本来この種の方法は決して望ましきものではなく市場より歓迎される性質のものでない。果たして本法は初期の効果を挙げ得なかった。故に、別にこれの欠点を補充する為に1934年12月4日付で「資本会社に於ける利潤分配に関する法律(Gesetz über die Gewinnverteilung bei Kapitalgesellscchaft)が発布された。本法は前記の投資法が充分効果を示さざるに鑑み、之に代わり適用されるものにして、私有財産権の原則を侵さない範囲内に於て会社の超過利潤を政府公債、特に失業救済事業金融に誘導せんとするものである。

本法により、従来会社の利益中より出でたる公債投資準備金は、会社の資産目録中に保存せられざるべからざりし所、右金額はドイツ金割引銀行へ委託せられねばならない。又旧法に従い、既に配当されつつありたる率を超過せざる限り、公債投資準備を為すの義務を免れたる配当金も、新法の規定によれば、それが8%を超過する限り、その超過額は、委託投資するを得ることになった。即ち資本会社は原則として資本金に対し払込資本の6%以上に達する現金配当を為すことを得ず、前年に6%以上の配当を為せる会社に限り8%までの現金利益配当を為すことを得る。それ以上に達する純益の配当が可能なる場合は、右諸超過額はドイツ金割引銀行へ委託せられ、同行はこれを委託会社の爲に政府発行の公債並びに地方債借替公債に投資し金割引銀行は斯くして生ぜる資産を、資本会社資本主の為に受託管理し、第四営業年度経過後再び開放するものである。

本法は株主の立場よりは、著しき権利の侵害なるも、政府側は事業会社の増配をなし得るに至りたるは政府の労働振興策による景気回復によるものなる故、事業投資家をして利子引き下げを目標とする政府の資金市場政策を援助せしむるは当然なりとの理由を付してこれを辯護している。

(二)借換公債政策に関しては1934年6月1日新規借換公債法を発布し所謂ヒルファーディング公債及償還請求権なき切換公債の借換を目的とする長期四分利公債を発行した。

新公債発行目論見書に従ってその内容を見るに大要次の如くである。

ドイツ國は四分利付公債を発行す。その取得方法左の如し。

(1)1934年7月1日満期となるべき1929年6分(旧7分)利付ドイツ國公債に対する乗換。

(2)償還請求権なきドイツ國切替公債(Neubesitz)に対する乗換

(3)現金払込による応募

本公債は1934年7月1日以降向こう十ヶ年内に償還せらるべく、しかも毎年当初の額面金額の百分の十宛償還し、1944年7月1日前に総額の償還を完了すべきものとす。

償還方法左の如し。

(イ)市価が額面異常なる時は抽籤(抽選)を以て額面償還

(ロ)市価が額面を下回る時は買入償却。

本公債に対する利子発生期は1934年7月1日を以て始まる。利子の支払いは毎半年一月二日及七月一日これを行い、第一回支払いは1935年1月2日これを行う。

本公債の利率は年百分の四とし、これに添加利子を付すその大要左の如し。

額面未満の買い入れ償却に依り獲たる利益、即ち買入価格100%の価格との差額は、四分の利払いに対する添加支払いとして未償還債券所持人を潤すべきものとし、当該年度7月1日期限の利札と引き換えにこれを支払う。斯くして買入に依る利得は債券所持人に帰すべきものとす。

償還の目的を以てする1934年四分利付ドイツ國公債の買い入れはライヒスバンクによりこれを行う。

添加利子額の通告は遅くとも毎年月中旬これを行う。第一回の添加利子支払いは1935年7月1日満期の利札と引換にこれを行う。

1934年四分利付公債発行単位は100マルク、200マルク、500マルク、1,000マルク、5,000マルク、10,000マルク及び20,000マルクとす。

新公債は申込によりこれを国債簿に登録することを得る。

下記銀行団は大蔵省の委託により爰(ここ)に本公債の獲得を慫慂(しょうよう:勧誘)す。

1934年四分利付公債取得の申込は、上述の諸公債乗換に依ると現金応募に依るとを問わず。1934年6月8日乃至21日までの間に本目論見書の末尾に掲げたる借換及募債所又は右の取引期間内設置せられるその在独支所を通じて行うべし。借換及募債所は申込に対し申込者より手数料を受けることを得ず。乗換及現金応募は借換及募債取扱所に依る外、他の総ての銀行、銀行業者、貯蓄銀行信用組合の仲介に依りてもこれを行うことを得る。

乗換の目的を以てする1929年六分(旧七分)利付ドイツ國公債証券の引渡に対しては大蔵大臣の告知により取引所税を課することなし。1934年四分利付ドイツ国債を乗換又は現金応募により取得したるものに対しては大蔵大臣の定る所のより、取引所税を課することなし。

以上の説明に依って明らかなる如く、新公債はヒルファーディング公債の借換、新取得切替公債借換、及現金応募募集の三種より成り、その目的は政府歳計の窮乏緩和の目的をも有するも、その主たる目的は旧債の整理即ち借換と低金利への趨勢促進とにある。

そして本借換の特殊な意義についてはフランクフルター・ツァイトゥング紙(1934.6.3)に従って述べれば大要次の如くである。

第一、抑々従来と雖も利子切下げ及借換は屡々行われたのであるが、これ等は皆強制によるものであった。例えば1931年末の法律のより行われたる後の長期内債の利子切下げ、更に自治団体債務の借換、裸麦債務農業債務或いは住宅債務の借換等皆その例に漏れぬ。然るに吾々は今新公債に於て初めて本来の財政技術的意義に於て真に借換と称し得べきものを見る。そは全く強制を含まざるものであるからである。そは額に於ては多しと言うを得ないけれども、吾人のこれに期待するは先駆者たるの任務である。

第二、新公債の償還は毎年発行額の十分の一宛、十年間にこれを終わるべく、その方法は公債の時価により抽籤による額面償還又は買入償却の方法を採る。買入償却は時価が額面を割る場合に行われるのであるが、こは後述の添加利子の制度と相俟って、新公債の市価維持に貢献するものと期待せられている。即ち通常の公債の如く、一定の据え置き期間を設けずして発行後直ちに毎年十分の一宛返済するものであり、公債相場が額面に達せざる限り総発行額の十分の一と言う大なる需要が提起せられるを以てである。

第三、新債の利子は年四分としこれに場合により添加利子を付する。従って新公債の利率は添加利子の為に実質的には四分より相当高いのであるが、名目的に一応四分利を選んだのである。これはドイツの現状に於ては四分利長期債の募集は不可能にも拘らず、経済界の要求たる金利引き下げの動きに対する政府の助力を意味するものに他ならぬと見得るのである。

この名目利子に加えるに添加利子が付されるのであるが、これは新公債の時価が額面に達せざる時は既述の如く買入償却を行うのであるが、買入価格と額面との差額は添加利子として未償還債券所持人に四分の利子と共に之を支払う。従って添加利子の率は公債時価の下落度が大なれば大なるほど、また未償還債所持人の範囲が減少すればするほど、従って年を経るにつれて増加する。しかもこの添加利子に依って、実質的利子の増大と公債市価の安定をもたらすことになる。されば新公債は名目は四分なるも実質的には添加利子と四分の名目利子と95%の発行価格とを総合しての利回りによって算定され得るもので、財政技術的にも本公債の借換が極めて有意義なものとして認められた所以もここにある。

(三)政府は以上の国債政策の外に前述労働政策の項に述べし如く、1933年9月21日の「市町村債借換法」(Gemeindeumschuldungsgesetz)により市町村短期債の整理と利子引き下げを行った。即ちこの法律は短期債を有し且つ自力を以てその償却不能の市町村をして債務整理組合を組織せしめ、加入市町村は債権者に対し、その債務を同組合発行の債務証券に変ずることを提案し得ることとした。この証券は年4%の利率にして、1936年以後は3%の割合に引きされられるものであり、自治体における低利借り換えを実行せるものに外ならない。

 

第六節 労働振興費の調達方法

 ナチス政府の公債政策は前節に示す如く、低金利政策等への誘導と労働振興財源の調達に向かって行われた。そして公債額は形式的には1933年3月末に比し1934年3月末には総額に於て1億300万マルクの増加に過ぎないが実質的にはこの一年間に於て約二十億の増加を示したものである。即ち外債の部に於ては為替相場に依る換価に基づき約8億2,800万マルクを切り下げたるにも拘らず、内国債に於ては約12億1,200万マルクの増加である。この内債の増加は所謂労働振興費に基づくものである事は云うを俟たない。そしてこの借金政策が1934年度のテンポで進められるとすれば治世二年間にナチス政府は総額40億マルクの新債務を拵えるであろうと言われる。

従ってナチス政府の労働振興政策はドイツ現下の財政政策の上に持つ意義は極めて大と言わねばならない。以下に於てこれらの費用は如何にして調達されるかに関する一応の序述を必要とするであろう。

抑々ドイツに於いては失業救済手段としての労働振興計画は、既に1932年ブリュウニング内閣末期より始められたのであるが、その具体的実施は寧ろバーベン内閣によって為された。そしてこれが、大規模な宣伝と共に国民的事業として行われたのは実にヒトラー政府の成立後1933年5月1日の国民的労働日の創設にあたって発表された四か年計画に基づいてであった。これが具体的内容は既に第三章労働政策に於て明らかにした次第なるを以て、ここではこれが金融方面について見ることにしよう。

今ドイツに於ける直接的労働振興実施のために用意された資金の総額を事業別について見るに次表の如くである。

1934年6月末現在労働振興政策実施のための資金(単位百万マルク)

一、中央政府による施設

交付

貸付

合計

(1)金融機関をして融資せしめたるもの

 

 

 

 (イ)バーベン内閣当時の計画(1932年6月14日緊急令によるもの)

288

288

 (ロ)緊急計画によるもの(1933年1月)

500

500

 (ハ)緊急計画の拡張(1933年7月)

100

100

 (ニ)第一次ラインハルド計画(1933年6月1日)

70

860

860

  小計

70

1,748

1748

(2)国庫より投費したるもの

 

 

 

 (イ)1933年1月末日以前の諸計画

105

93

198

 (ロ)同条期日以後の諸計画

930

10

940

    内第一次ラインハルド計画分: 70

 

 

 

     第二次ラインハルド計画分:860

 

 

 

  計

1,035

103

1,138

二、その他の機関による施設

 

 

 

 (イ)鉄道会社事業計画

 

 

1,068

 (ロ)逓信局(郵便局)の事業計画

 

 

111

 (ハ)自動車専用道路建設(1934年割当分)

 

 

550

 (ニ)国民労働促進費

 

 

140

 (ホ)建築及土地銀行の建築資金供給(1933年秋・1934年春)

 

 

70

 (ヘ)職業紹介及失業保険局の緊急事業不辨額

 

 

553

  計

 

 

2,492

総額

 

 

5,448

「備考」Vierteljahrshefte zur Konjunkturforschung. 9. Jahrg.  Heft2, Teil A, S. 70に拠る

即ち右の表に示せる如く、1932年以降1934年半ばまでの間に直接労働振興政策実施のために用意されたる資金は約54億5,000万マルクに達する。この中国家の施設に属するものは29億5,000万マルクにして、うち1億マルクは純然たる救済に向けられ、又18億5,000万マルクは德月金融機関を通じて長期貸付として融通されるものであり、残りの約25億マルクは国家以外の公共機関例えばドイツ鉄道会社、逓信(郵便)局等の施設に属するものである。そしてこれらの資金は全部支出し尽くされしものでなく、1934年6月半ばまでに消費された金額は前記の約半額見当と見られている。

そしてこれらの中、國による施設に関する資金の調達方法については二種の手段が用いられている。一つは即ち租税信用証券制度であり、他は即ち第一次失業減少法の第一条による労働大蔵省証券制度である。

(一)租税信用証券制度は、経済界の負担軽減並びに振興の手段として1932年秋バーベン内閣によって採用され、ヒトラー内閣によって踏襲された制度である。この制度は「経済生活における起動力はどこまでも自己責任の上に立つ個人の独創力にある、産業の振興はこれが発揮を以て基調とする」見地からしてバーベンによって採用された。即ち当時の財政状態の下に於いては直ちに減税によって国民経済の直接匡救を図ることが不可能なところから、22億マルク余の租税信用証券を発行して戻し税によりその目的を達せんとしたものであり、1932年9月4日の緊急大統領令を以て発布され、その要点は次の如くである。

(1)1932年10月1日より翌年9月30日までの期間左記種類の租税を納付したる者に対しては一定の割合を以て租税信用証券(その額15億2,200万マルク)を交付すること、そしてその税種次の如し。

(単位百万マルク)

 

実収見込

戻し税率

戻し税額

取引税(国税

1,500

40%

600

営業税(地方税

600

40%

240

不動産税(地方税

1,280

40%

512

運送税(国税

170

100%

170

 

(2)同上期間に於いて新規に労働者を雇い入れた起業家に対し、その労働者一人当たり年額400マルク(四半期ごとに100マルク)の割で租税信用証券を交付すること(その額7億マルク)

(3)これら租税信用証券は1934~35年以降五ヶ年間に、その総額の五分の一宛を所得税以外の納付に使用し得ること、尤もこの証券には年四分の利子を付してある故、規定年度に政府に還流する総額は24億8,870万マルクになる勘定である。

斯くして発行されたる租税信用証券は、公共事業の担保としてライヒスバンクに供託中のもの1934年6月末までに6億マルクあり、流通中のものが同年8月末に11億8,230万マルクに達していた。

(二)労働大蔵省証券は、1933年6月1日の第一次失業減少法第一条によって大蔵大臣は10億マルクの労働国庫證券を発行し得ることに基づいて発布された制度である。この資金は次の如き方法によって貸し付けられるものである。

(1)時局匡救(公共)事業の担当者は各邦及その他の地方公共団体なるが、中央政府はこれら事業担当者の必要に応じ資金を貸与する。そしてこの特別支出に対しては将来公共団体から長期賦払の方法によって政府に償還するものである。

(2)政府と地方公共団体との間には右の融資関係に於て何ら直接の交渉を持たない。即ち一方政府はドイツ公共労働会社、ドイツ建物及土地銀行、ドイツ移民銀行、ドイツ・レンテンバンク・クレディット・アンシュタルト等の所謂公共金融機関に、信用の基礎として年額10億マルクを限り労働大蔵省権を交付し、他方事業担当者たる地方公共団体は予めその事業計画を前記公共金融機関に提出して、必要なる信用の貸与を求める。

(3)公共金融機関は労働大蔵省証券をライヒスバンクに預託して事業資金の調達を行うが、その資金も多くは直接事業遂行者に撒布せられることがない。即ち事業遂行者が賃銀支払及び諸材料購入のために資金を必要とする時は、所謂失業救済手形を振り出し、前記公共金融機関の引受を得、更に事業担当者たる公共団体の裏書きを添えて、銀行その他の金融機関につき右手形の割引を求める。

(4)失業救済手形は三か月期限となって居り、政府はその支払を保証し、支払の都合によっては適宜切替を行い得る。手形期限の到来と共に政府は引受人たる公共金融機関に代わって手形を決済し、これと同時に右決済額と同額の労働大蔵証券を回収する。尚失業救済手形に対してはライヒスバンクが全幅的割引許諾を与えている為、金融市場もこれを第一流の投資物として歓迎し、目下諸銀行の第一線準備を形成している。

(5)公共信用機関の公共団体に対する信用の期限は平均20ヶ年となっている。そしてこの償還金は公共信用機関から順次政府に返還せられ、これに依って政府の中間金融の手続きが完了するのである。

そしてこの労働大蔵省証券は1934年より1938年度までの各会計年度に於て五分の一ずつ償還されるもので、大蔵大臣は必要なる金額を右年度の国家予算に編入する権限を有し、且つ同証券の償還を確実ならしむる為に、国の特別財産として償却資金を設置しこれを管理することになっている。

以上述べたるが如く労働振興費の調達方法は総て所謂時前金融制度によって賄われている。従ってこれらの資金が将来国の歳出を増加せしむることになるのであるが、これが今後如何に支払われるかを見るに、大蔵次官ラインハルドの発表によれば1934年以降の四会計年度に於て約40億マルクの金額がほぼ次の如くにして分割支出されるはずである。

1934年度        900(万マルク)

1935年度        700

1936年度        780

1937年度        750

1938年度        715

 

しかもラインハルド氏によればこれらの支出増も恐らくは景気回復の結果予想される租税収入増加年額10億マルクによって充分支辨せらるべきを以て、これ等の支出増は決して実質上財政膨張を来たすには至らないはずである。

従ってもしラインハルドのこの楽観説にして的中する限りは、ドイツが目下行っている失業救済事業は決してインフレーションに非ずとするシャハトの見解に一致するであろう。だが然しこのことは現在における若干の税収入増しをのみ観て将来を予断し難きを以て、将来のことは決して楽観し得ざる実情にあるものの如くである。否少なくとも現情よりこれを観察すればナチスのドイツには潜在的なインフレーション過程を歴然として蔵していることをば何人も否定し得ない次第である。