ナチスの経済政策(1935年当時の調査)09

第六章 外国貿易政策

 第一節 貿易政策とアウタルキー

 ドイツの再農業化政策は外国貿易との関係より見れば次のことを主張するものである。即ち工業用の農業原料品の自給並びに国内市場を国外市場より重視すべき事、更に対外支払い勘定がもたらす資本的隷属は国内市場を忘れた輸出万能論を惹き起こした禍であるがゆえに、これ等よりの解放これである。

従って、その貿易政策はアウタルキーの色彩濃きは云ふをまたない。然しこのことについて責任あるドイツの政治家は貿易政策に対してこの言葉を用いることに極めて慎重である。ヒトラーの1933年3月23日の施政方針演説中に於ても『吾々は世界との提携が如何に必要であり、又ドイツ商品が世界市場に売り広められることによって数百万のドイツ国民が養われることを認識するものがある』と説き、更にまたアルトゥール博士は、ナチスアウタルキー及び外国貿易に対する態度は教義によっては決せず、国民全体の福利に基づいて決定するものであるとし、フェーダーも亦アウタルキーを以て世界経済から意識的に隔離せん為に説くのではなく、寧ろ自国生産物が国外生産物より重要であり、国内経済的事業の出来るだけの発展を来さしむる意味で、国内市場が国外市場より重要なるを説くので、決して無選択に世界市場から離れんとするものでないと述べている。

然し乍らたとえ、一貫した理論はなくとも、国民的幸福によってこれを決定するとして、而もその国民的幸福の将来をばドイツの再農化によって実現せんとする、ナチスの貿易政策には依然自給自足、封鎖経済への色彩が強い。これに対し、前経済大臣シュミットも、「外国貿易に対する我々の関係は全体の幸福に基づいて決定すると称している」が、彼はその著「新国家における経済」に於て語る所によればナチスの自足自給的貿易政策について批判的態度をとって居り、ナチスの政策と完全な一致を欠いていた。

『彼の主張によればドイツ国はまず第一に、戦債やインフレーションや資本引上げによってその基礎を震撼された自己の国家を秩序立てようとする。この目的のために、新たな農業生産を取入れた。それは農民を世界市場の嵐から保護し、農業生産を国際的投機から独立せしめようとして、農民にドイツの土地の土で確固たる健全なる生存の可能性を与え且つ維持せしめるものである。この方策は、より健全なる土地の分配、全国に亘る国内移住の強化、従来田舎から都会へと流れていた人口運動の転換と結んで、生産、消費及び外国貿易に対して広汎な経済的効果を持つに違いない。その際、自国の土地が従来よりもはるかに大なる範囲に於て全国民の食糧供給の土台となることは、自国の土地が土質、気候、面積の上からそれに充分なる限り、自明のことである。

しかし農業を極めて大切に取り扱うにしても、六千五百万以上の人口を有するドイツに於いては、一部は外国の気候の生産物が重要であり、一部は自国生産への補給が重要となるが如き農業財に対する厖大な需要は尚依然として存在する。繊維原料、皮革、木材はそれで、これ等は特に工業の操業が活発な時には、その補充需要は一層大である。更にカフェー、茶、ココア、調味料、果実、タバコ等がある。これらの材料については農業の発達に際してもその輸入が減少するとは考えられない。反対に農業が繁栄状態になれば従って一般経済状態が回復すれば、これ等の材料の消費は増大して消費国としてのドイツの意義はより大となることが予想されるのである。ドイツがその現在の生活標準を完全に破壊することなくしては、既に農業局面においても自己の土地の生産物を以て満足し得ないとすれば、この事はなお一層強い程度に於て、非農業的工業原料について当てはまる』となし、シュミットは工業局面に対してさらに次の如く述べる。『ドイツは例えば石炭と褐炭を持って居る。その生産は充分に発達している。岩塩もカリも有り余るほど豊富だ。然し燐酸塩は貧弱だ亜鉛鉱はあるが然し鉄鉱石には大なる補充需要がある。銅鉱石は余りにも少ない。錫も欠けている。石油資源は今日では需要の一部分しか満たし得ない。アルミニウム工業は外国産ボーキサイトの上に建設されている。斯くして多数の労働者群を持った繊維工業、製鉄業及鉄鋼業、機械工業及電機工業、非鉄金属工業、並びに製紙工業の根は遙かに国外の国民経済の中にまで延びている。この根を強力的に断ち切ろうとすれば、それはこれらの工業の破滅を意味し、夥しい程度の失業を意味し、経済生活の支離滅裂を意味する。

非農業人口に仕事と暮らしを拵えてやることは、数百万の失業者を前にして、当面の経済生活の恐ろしく困難な任務である。失業を克服しようとの緊急なる努力を持つ者は、ドイツの技術的文化の高い水準に相応する操業、それ故、ドイツの創造的人口の能力と教養とに適応し、科学者、起業家、建築家、芸術家、工場長、熟練工及不熟練工の能力と仕事とを発揮せしめるに足る操業を実現せしめんとする終局目的を追及しなければならぬ。この努力はただ経済政策的目標であるばかりでなく、国家政策的目標である。なんとなれば、新国家の理想的形態に応ずることは人口を原始状態に戻し下げることではなく、それを最高の発展に押し上げることであるからである』と。

ドイツは高度の工業化した国である。工業国の発展と繁栄とが外国貿易と関連していることは、近代社会においては自明のことであるが、ドイツの如き高度発達の工業国に於いては、重砲政策が行われ自足自給が目標とされ、一見、経済上の鎖国主義が祖国の隷属からの解放、独立の確保の道であるかの如く考えられる誤謬をシュミットは徹底的に排除しようとする。この場合、再農業化論者は海外市場の代わりに国内市場の重要性の増大を以て対抗する。この点についてシュミットは国内市場の問題を数的分析をもって次の如く述べている。

『経済の工業局面は工業生産物の購買者としての農業局面と緊密に結びついている。推算によれば、1928年には-現在時に対しては正確な推算がない-約500億マルクの工業生産の中、440億まるくは国内で、60億マルクは外国で売られた。国内販売の中、180億マルクはドイツ工業自身に行き、その半ばは投資の爲に、半ばは消費目的のために用いられた。農業に対しては概算によれば外国に対すると同様に60億マルクが売られた。1932年の工業的操業の大底には1928年の60%に低下し、現在68%にまで増加している工業生産の中から、農業局面はその更生と共に従来よりも遙かにより大なる割合を引き受けることは勿論のことである。従って農業の経済的確立加工業の販路として直接的な重要性を増大することも当然である。併しそれにも拘らず、農業が外国市場の完全なる代用をなし得るが如き錯覚に捕らわれてはならぬ。工業が繁栄し無数の休閑状態にある労働力を完全に就業せしめうるが爲には、我が国にとって旺盛なる輸出は依然として常に絶対必要である。』

次いで氏はアウタルキーがドイツの独立確保を意味すると云ふもう一つの根拠即ち対外支払い勘定がもたらす資本的隷属は国内市場を忘れた輸出万能論の惹き起こした禍であると云ふ説に対して次の如く論駁している。

『戦前(第一次大戦前)のドイツが支払い勘定に堪え得たのは、工業化の進まない国々に於ける投下資本の収益と世界におけるドイツの勤務給付から貿易感情の入超尻を決済することが出来たからであるが、戦争によってドイツはこの対外債権のすべてを失い、また賠償負担を支払い、戦争によって破壊された工業設備の復興のための莫大な対外債務を負った。それは史上如何なる工業国にも嘗て見なかったところである。この状態はドイツをして、支払い勘定と貿易勘定との決済に努力することを余儀なくさした。従来は原料価格の低位なるため、凡ての力の緊張の下に、貿易勘定に於ける出超を維持することが出来た。しかしこの価格の騰貴は、出超の消滅する危険を即時もたらすのである。貸借勘定と貿易勘定との内の決済のためには二つの方法がある。即ち輸入を制限し輸出を増大せしめて、貸借勘定に貿易勘定を適合せしめるが若しくは債務を二期下げて貿易勘定に適合せしめるかである。ドイツは、輸出の増大が打ち勝ち難き困難にぶつかったから、部分的引き渡し猶予によって貸借勘定の改善のために非常対策の挙に出ずるの止むなきを認めた。同時にドイツはこの非常対策をスクリップの方法による輸出促進と結び付けた。更に農業の厚遇によって食料品、特に穀物の輸入制限が貫徹され、並びに脂肪材料の輸入に際しても節約が得られた。これらの方策は国内経済上の考慮から、部分的にはまた現在の状態に顧慮することなく、根本的な国策的考慮から要求される所であるが、貸借勘定尻の改善と現在の操業状態との必要は尚遙かにこの程度を越した輸入制限、代用原料の使用、古材料の活用、予備原料の喰いこみを迫りつつある。

確かに封鎖と困窮の時代には多くの国家経済的な特殊発展をもたらすことがある。それはまた国々をして自決を促しその諸力を集中せしめる良い点を持って居る。併し封鎖が永続現実となれば、それはまた国家経済的に望ましくない需要の制限をもたらし、政治的にも経済的にも疾患現象と見らるべき人間的な構成体を発生せしめねばやまない。そしてそれはその当時の労働人口に適正な就業を保証することを絶望ならしめるであろう。

従って国内市場の大切な取扱いと強い国家経済の発展と並んで、そしてそれに基づいて、輸出の保有は常に必要である。ロンドン会議は本位貨下落の国々は、その本位貨を安定せしめる意志も有しなければ、安定出来もしないこと、彼等はこの価値下落が輸出に与える利益を断念しようとしないことを教えた。我々は当分の間なおkれらの国々の為替ダンピングによって物価の崩落が続き、我が国にとって大害毒を結果することを覚悟しなければならぬ。ドイツはドイツの商品を反対給付して、また債務の弁償として受け取る用意のある国々からのみ、主として需要を満たす態度に出でなければならぬ。従って目標はアウタルキーであってはならぬ。反対に経済的関連の深化である。だがただ給付を反対給付で償う用意のある国々に対してだけである。』

シュミットの説く所によれば、新国家の経済目標はアウタルキーではない。対外通商による外国経済との経済的関係の深化であらねばならぬ。ただ今日のブロック経済時代にはドイツの輸出品を歓迎する国から輸入を認め、専らこの輸入によって海外に依存する国内需要を充たすべきであると言う。

シュミット経済大臣の主張は前述の如く、ナチスの正統派とは若干の相違を以て居る。従って純粋なナチスの政策よりはドイツの輸出貿易にとって好都合であるべき筈であったが、ナチス政府の成立以後、特に1934年に入って貿易は甚だしい逆長をとるに至った。今1934年度上半期に於ける貿易状態を見るに次の如くである。

                              (単位百万マルク)

 

   輸入総額

   輸出総額

  収支(順+逆-)

1934年上半期

      2,302.5

      2,086.2

      -216.4

1933年同期

      2,087.1

      2,377.8

      +290.7

                  「備考」Wirtschaft u. Statistik 1934 2. Juli Heft.

即ち1934年度上半期のドイツ貿易は1928年度同期の13億7,050万マルク、1929ねんどどうきの2億8,900万マルクの入超のあって以来、五年ぶりに入超を示している。

この現象は輸出が(1)外国為替の下落、(2)各国の輸入制限禁止、及びドイツ品のボイコット、(3)対ソヴィエト連邦輸出の激減等が原因をなして著減せることと、輸入が著しく増加したことに基づくとされる。

輸入の増加は1933年上半期の20億8,700万マルクに対し、1934年23億0,200万マルクは10%の増加にして中増加の大なるは原料品の20%、完成品の11%にして、食料品は約1%減少している。

輸出は1934年上半期の20億8,600万マルクは前年同期の23億7,800万マルクに比し、価格上からは12%の減少であり、その大部分の原因は前記の如くであるが更に価格が約10%も低落していることもその主なる原因であり、しかしその内容は主として完成品の減少にあることは注目に値する。

この結果はドイツの金準備を著しく減少せしめ、ここに於てナチス政府の貿易政策は同国の為替政策と密接なる関係を維持せしめるの必要があり、シュミット経済大臣はこれに対して先ず輸出促進をなす為、間接的なマルク下落の手段を講じようとしつつあったが、これはナチスライヒスバンク総裁シャハト等の如きインフレ政策による国内景気の回復とマルク貨の安定とを主張する側の容れる所とならず、ここに於いてシュミットは病気その任に堪えずとの名目で、遂にその職をシャハト氏に譲るに至った。

シャハトの主張は前述の如く国内に於いては労働振興政策を続行し、対外的にはマルク貨を安定せしめることにある。このためには各国に対する負債の一般的モラトリアムを宣し、貿易収支の帳尻好転のため、輸入の制限を厳重にし相矛盾する政策を以て極力難局の切り抜けを策せんとするにある。彼は1934年8月27日のライプツィヒ秋季見本市開催にあたりドイツ今後の対外貿易政策を諸外国に対し全面的に理解せしめようとして大要次の如き辯明的にして且つ警告的な講演をなしている。

『現今ドイツの経済的窮状は、結局ヴェルサイユ条約により強制されたる制度にその根患を発し、ドイツはそれにより版図を剥奪され、原料供給の源たる植民地を失い、数十億の賠償金を支払わしめられたるが、この如き多額の賠償金支払いが不可能なるにも拘らず、これが支払いを継続すべく、1924年より1930年までの間に多額の外国クレディットの流入を行ないたるが、⇒クレディットは即ち刻下窮状の直接原因となったものである。しかもこの賠償金より成りたる国際信用市場は国際的協調により世界恐慌を克服するの決断力を示すことなく、賠償金は翌年に至りローザンヌ会議を以て抹消せしめられたるも、右は何等問題の根本的解決に非ずして既成事実の承認に過ぎず、賠償金は実質的には今なおドイツ経済につき纏い、賠償金支払いのために流入した外国クレディットはそのまま存続せり、即ち現今のドイツ対外負債は本質的には個人化されたる賠償金に他ならず、ドイツはかかる対外債務支払いのため極力努力し、ライヒスバンクは金並びに外国為替30億マルクをこれがために消費し尽くし、輸出促進の一方法として一種の平価切下げをも敢行した。然るに債権国は債務国をして輸出超過により流入せる為替を以て債務の償還をなさしむるの度量を示さず、ドイツ商品の輸入に対しては関税の引上げ、為替価値の引き下げ等益々対抗措置を厳にせり。斯かる状態の下にドイツ経済がその利払い並びに元金償還義務を果たし得ざるは当然であろう。しかも諸外国はドイツに対して威嚇的態度に出で最近に至りてはトランスファー協定を強制し、各国は他国に比し自国の優先的取り扱いを要求し、ドイツに対し破産者に対するが如き態度を示したるも、ドイツは断じて破産国に非ず、外国がドイツ商品を買わざるが爲、単に必要なる外貨為替の流入が不充分なるに過ぎず、そして債権国の負債問題に対する右の態度はこれら諸国対ドイツの取引関係を破壊するのみならず、ドイツ債権の所有者にも何等の利益を与えることなく、トランスファー協定は当然の順序として為替クリアリング実施の已むなきに至っている。右の如き決済並びにクリアリングの方法は各国をして孤立セル城郭と化さしめ、世界貿易の残部をも破壊し、個人の商業的活動の自由を完全に封鎖する傾向を有しつつあるものにして、またクリアリング協定がドイツと債権国との間に実施される限り、ドイツは輸出超過の収入により原料を充分購入するの余裕を有せざる次第である。

ドイツの対外貿易は1934年に入り毎月輸入超過となりたる爲、政府は為替許可制限により原料輸入を統制制限せるも、輸入統制以前に成立せる買い付け契約及ライヒスバンクに設けられたる諸外国中央銀行の特別口座に影響せられて充分なる効果をあげるに至らない。

特別口座はドイツが輸入制限を余儀なくされたる以後政府にとり絶えざる苦痛に種にして、同口座に蓄積せる残金はマルクの為替相場に悪影響を及ぼし、また輸入業者は輸入制限下に非ざる商品を右口座を頼りに過大に輸入し、為替許可の制限により輸入不可能なる商品もこれをライヒスバンクに特別口座を有する諸外国を通じて輸入するに至れるため、右口座に払い込まれる金額は愈々増加し、本年7月には同月のドイツ輸入金額の三分の一、即ち1億3,000万マルクとなるに至った。即ちこの現象はドイツ政府の輸入制限政策をある程度まで無効ならしめ、クリアリング協定の本質をも矛盾せしめたのである。』

シャハトに従えばドイツ経済の現状は已むを得ずにアウタルキーに向かって進んでいるもので、こはドイツ並びに諸外国の経済及び社会生活を害すること夥しきにより、ドイツとしては国際間の協力により経済理性を以て政治的軋轢に克たしむべく最善の努力をなすの用意が存するのである。かるが故に又諸外国における於けるドイツ公債所有者並びに輸出業者も亦このドイツの誠意を認めドイツ経済の打開と更に又ドイツにも相当の輸出を可能ならしむる様協力を欲するのである。

『現在ドイツに対して諸外国側はドイツの現情打開策としてデフレーション又は平価切下げを提案しつつあるも、デフレーションは世界貿易を委縮せしむるにより、ドイツの好むところでなく、平価切下げはドイツの対外負債を重くし、ドイツ工業の輸入原料を値上げせしむるを以て、これまた政府の欲せざる処であり、更に又現行の為替をその毎日流入せる金額に従い、割引許可する制度並びに中央銀行間に行なわれる決済制度は、最初より一時的緊急方策として考案されたるものにして、速やかに他の永続的制度を以て之に代わらしむるの必要がある。

この意味からドイツは出来るだけ支払い可能性の不確実な義務を避ける為に、その輸入をば支払い能力に当て嵌めるにあって、従って将来の輸入は全く為替許可証を有するもののみにより行われることとなすべく、しかもドイツはこれを独力でやり、外国にクレディットを設定するが如き方法を取らない。

ドイツの輸入制限強化策と国内景気維持策との矛盾に関して疑いを有する向きもあるが、ドイツとしては国内の原料の生産に必死の努力をなすべく、これが為には如何なる資本の浪費も生産費の過大も敢て意とするものでない。且つ輸出促進に向かっても引き続き努力すべきも、政府としてはダンピングの如き世界貿易を混乱せしむるが如き方法は絶対にこれを避けること勿論であり、又原料供給国との関係については政府はこれら諸国にとりても有利なる物々交換主義を徹底せしむるに努力し、これにより原料供給国の対ドイツ取引関係は相当の変動を来たすことあるも別に差し支えを認めない』と述べている

以上のシャハトの言明によって明らかなるが如く、氏はドイツ対外貿易の均衡を得んが爲の輸出促進は寧ろ断念し、専ら輸入制限によってこれを実施せんと欲するものの如くである。

然らばナチス政府成立以後シャハト経済相の就任までに於て如何なる貿易政策が行われたろうか。その対策を述べる前にドイツの外国貿易の実情を見ることにしよう。

 

第二節 ドイツ経済に於ける外国貿易の地位

 

ドイツの外国貿易はその高度に発達した工業に応じて、主として原料品を外国より仰ぎ、完成工業品を海外に輸出する高度資本主義国のそれに類似している。ただ大戦後に於ける海外領土の喪失に基づき原料並びに販売の独占的市場を持たないことに於いてその特質が存する。

今外国貿易のドイツ国民所得に対する割合をカール・ハインリッヒ・リーカーに従って掲げれば次の通りである。

 

 

       輸入(%)

       輸出(%)

  1891~1894 平均

        16.2

        12.5

  1895~1899 平均

        17.0

        13.3

  1900~1904 平均

        18.1

        15.0

  1905~1909 平均

        19.9

        16.3

  1910~1913 平均

        21.3

        18.7

「備考」Wurtschaft und Handelspolitik. SS. 9-10, Schriften des deutschen Industrie und Handelstags に拠る

 

即ち戦前に於けるドイツの輸入額は国民所得の五分の一以上に達し、輸出額は約五分の一であった。しかもこれは戦後の為替安定後にあって平均次の如くであった。

 

 

輸入(%)

輸出(%)

  1925~1928    平均

        19.1

        16.2

  1929                平均

        17.7

        17.7

  1930~1931    平均

        13.8

        17.4

 

 

 国民所得に対する輸出の割合は同時に又輸出工業に活動する労働力の全ドイツ労働力に対する割合を決定する次第なるが、ベルリン景気研究所の発表によればこの割合は1927年度には10%、1930年度は13%を占めていた次第である。

そして輸出品の大部分は工業完成品にして、貿易調査委員会の計算によれば戦前1913年にはドイツ工業生産物の29.9%、1928年には尚24%を輸出に委しており、さらにその後の年度に関して景気研究所の評価に従うと1930年には全工業生産物の31.9%、1931には35.1%が輸出に当てられ、総工業生産物の約三分の一以上はこの両年度に於ける輸出貿易量であった。しかも個々別に見ると輸出率は更に高度にて例えばガラス及ガラス器具、美術陶器時計、運動具の如きは1928年度には全生産額の半分以上を輸出に当てていた次第である。

斯かる実情からしてドイツの貿易の世界貿易市場に於ける地位は左表世界91か国に於ける数字が示す如く、1933年度は輸入貿易に於いては8.1%、輸出貿易に於いては10.0%を、そして総貿易額の9.2%を占めている。

 

国際貿易に於けるドイツの地位(単位十億マルク)

 

    輸入貿易

    輸出貿易

    総貿易

 

世界
91か国

ドイツ

世界
91か国

ドイツ

世界
91か国

ドイツ

1913年

83.4

10.8

12.9

76.8

10.1

13.1

160.2

20.9

13.0

1925年

138.0

12.4

9.0

130.0

9.3

7.1

268.0

21.7

8.1

1928年

143.9

14.0

9.7

135.0

12.3

9.1

277.9

26.3

9.5

1929年

147.9

13.4

9.1

136.2

13.5

9.9

284.1

26.9

9.5

1930年

120.1

10.4

8.7

108.7

12.0

11.1

228.8

22.4

9.8

1931年

86.6

6.7

7.8

77.3

9.6

12.4

163.9

16.3

10.0

1932年

57.8

4.7

8.1

52.0

5.7

11.0

109.8

10.4

9.5

1933年

51.9

4.2

8.1

47.2

4.9

10.0

99.1

9.1

9.2

        「備考」Wirtschaft und Statistik 1934, 1. April Heft. に拠る

即ちドイツ世界総貿易に対する最近の地位は1925年以来特別の変化を見ず、10%前後を上下しているようであり、その輸出入貿易も亦その割合に於て著しき変化を見なかった。

更に又全世界貿易の主要国たる英米独仏日の五大国との比較を見ると次の如くである。

 

 

(%)

全世界貿易

ドイツ

フランス

英国

北米合衆国

日本

輸入

1929年

100

9.1

6.5

15.3

12.3

4.4

1930年

100

8.7

7.2

16.2

10.5

4.3

1931年

100

7.8

8.1

17.6

9.9

4.9

1932年

100

8.1

8.1

16.6

9.4

4.9

輸出

1929年

100

9.9

6.1

11.0

15.9

4.5

1930年

100

11.1

6.5

11.0

14.6

4.5

1931年

100

12.4

6.5

9.6

12.9

5.2

1932年

100

11.0

6.3

10.4

12.8

5.3

総貿易

1929年

100

9.5

6.3

13.2

14.0

4.5

1930年

100

9.8

6.9

13.6

12.4

4.4

1931年

100

10.0

7.3

13.8

11.4

5.0

1932年

100

9.5

7.5

13.7

11.0

5.1

        「備考」Statistisches Jahrbuch für das Deutsche Reich, 1932,1933. に拠る

即ちドイツの地位は1932年度まで輸入に於いてフランスに近く、輸出に於いて米国に次いで世界第二位を占め、貿易総額に於いては英米に次いで第三位にある次第である。

次いでこれらの貿易が斯く大陸別に見ると如何なる状態にあるかを見るに左表の如くである。

 

 

輸  入

輸  出

収支出入超+/-

 

1932年

1933年

1932年

1933年

1932年

1933年

 

実数

実数

実数

実数

実数

実数

ヨーロッパ州

2,499.4

53.56

2,281.4

54.27

4,646.5

80.96

3,801.1

78.03

2,147.1

1,519.7

オランダ

273.1

 

232.0

 

632.8

 

612.8

 

+359.7

+380.8

ソヴィエト・ロシア

270.9

 

194.1

 

625.8

 

282.2

 

+354.9

+88.1

英 国

258.5

 

238.4

 

446.0

 

405.6

 

+187.5

+167.2

フランス

189.9

 

184.0

 

482.5

 

395.0

 

+292.6

+211.0

イタリア

181.3

 

166.4

 

223.1

 

227.3

 

+41.8

+60.9

ベルギー・ルクセンブルク

146.3

 

138.8

 

301.5

 

278.1

 

155.2

139.3

デンマーク

122.0

 

104.4

 

164.7

 

144.7

 

42.7

40.3

アフリカ州

255.6

6.22

242.6

5.77

110.3

1.92

105.8

2.17

-145.3

-136.8

アジア州

587.7

12.59

533.9

12.70

398.1

6.94

368.7

7.57

-189.6

-165.2

中華民国

177.1

 

153.2

 

82.4

 

80.1

 

-94.7

-73.2

英領印度

158.8

 

153.9

 

109.4

 

86.8

 

-49.4

-67.1

蘭領印度

122.3

 

111.7

 

43.5

 

38.6

 

-78.8

-73.1

アメリカ州

1,177.6

25.24

1,004.5

23.90

555.1

9.67

565.2

11.60

-622.5

-439.5

合衆国

591.8

 

482.8

 

281.2

 

245.9

 

-310.6

-236.9

アルゼンチン

191.6

 

149.4

 

90.1

 

100.3

 

-101.5

-49.1

ブラジル

81.4

 

68.7

 

48.4

 

76.5

 

-33.0

-7.8

大 洋 州

111.4

2.39

131.1

3.12

25.9

0.45

26.6

0.55

-85.5

-104.5

豪 州

92.4

 

101.1

 

20.3

 

20.6

 

-72.2

-83.1

総計(その他含む)

4,666.5

100

4,203.6

100

5,739.1

100

4,871.4

100

+1,072.6

+667.8

        「備考」Wirtschaft und Statistik 1934, 2. März Heft. に拠る

 

これによってドイツよりの輸出仕向け地を見るに、1932年度には全輸出の81.0%、1933年度には78.0%は欧州大陸(英国を含む)に対するものである。然るに輸入に於いては、1932年度には全輸入の53.6%、1933年度には54.3%が欧州大陸より為され、他の一半は欧州外の海外諸国より輸入されている。かく輸出貿易と輸入貿易に於いて地理的に著しき偏奇を認めらるることは謂うまでもなく、完成品を欧州大陸に売り、その必要とする原料を海外諸国に仰いでいることを示すものであり、従って、貿易収支に関しては常にドイツは旧大陸への輸出によって海外諸国よりの原料その他の輸入を決済しなければならぬと言う事情にあることが判明する。ナチスのドイツは原料品自給自足主義を目標としているが、これは前表に於いて明らかなるが如く、ドイツの貿易は地理的に見て原料産出国に於いて逆長を辿って居り、完成品の輸出先に対して順調を示している点から見て明らかであり、若し原料輸入にして防遏し得る場合はたとえ輸出がこのために減じてもやむを得ぬとの立場から生ずるものである。

ドイツの工業の問題に関してはグレゴール・ビエンストック氏は次表の如き分類をなしている。

 

     ドイツ工業の原料消費に対する外国原料消費割合(%)

 

1913年

1914年×

1927年

1928年

1929年

溶鉱炉消費の鉄鉱及満俺鉄鉱

31.5

52.3

71.4

73.9

74.2

銅精錬所に於ける銅消費

0.5

0.5

1.1

0.7

1.6

亜鉛工場における亜鉛消費

42.2

98.6

82.4

98.2

98.7

鉛及水銀の消費

46.5

54.5

34.5

37.1

35.3

硫安工場における黄鉄鉱消費

88.3

88.0

79.8

80.1

82.3

製油所における原料消費

32.7

34.3

75.7

ゴム精製所におけるゴム及再生ゴム消費

5.4

22.6

23.9

33.8

羊毛消費

88.0

92.0

亜麻消費

53.0

80.0

        1.×印は現在領土に拠る。前掲の外、綿花は殆ど全部海外よりの輸入に拠る

        2.Gregor Rienstock; Deutschland und die Weltwirtschaft S. 89

 

ドイツ工業の外国原料に対する依存性は大戦前より既に大であったことは右の表より覗われるが、殊に著しく戦前と戦後に於て変化を見たるは、鉄鋼と亜鉛で、これは大戦の結果として東部および西部国境の割譲により、重要なる資源地帯を喪失した爲であり、右の外、化学工業資源としての黄鉄鉱、エネルギー資源としての石油、軽工業原料としての羊毛、綿花、亜麻等に於て75%乃至99%まで外国の輸入に俟たねばならぬ。

更に食料品については世界大戦の経験以来極力自給自足に力瘤を入れて来てはいるが、尚ドイツ国産の食料品は全人口需要の約80%を充たすにとどまり、自余の約20%は輸入に仰がねばならぬ。即ちこれを数字似て示せば次の如くである。

 

        ドイツに於ける食糧自足自給割合(%)

 

輸入飼料算入

輸入飼料除外

 

輸入飼料算入

輸入飼料除外

 

輸入飼料算入

輸入飼料除外

1924年

80

77

1927年

78

67

1930年

85

78

1925年

81

75

1928年

80

71

1931年

86

80

1926年

77

70

1929年

83

75

1932年

87

79

      「備考」Wochenbericht des Instituts für Konjunkturforschung 30. August 1933. に拠る

 

そして更に又原料及半製品に於いて外国に依存する程度を全般的輸入貿易統計に於いて見ると次の如くである。

 

          ドイツ輸入内容目別(%)

 

家畜類

生活資料

原料半製品

全製品

総計

1913年

2.7

26.1

58.3

12.9

100.0

1925年

1.0

32.5

50.3

16.2

100.0

1926年

1.2

35.7

49.5

13.6

100.0

1927年

1.2

30.4

50.6

17.8

100.0

1928年

1.0

29.9

51.6

16.9

100.0

1929年

1.1

28.4

53.6

17.3

100.0

1930年

1.1

28.6

53.0

17.3

100.0

1931年

0.8

29.3

51.7

18.2

100.0

1932年

0.7

31.9

51.7

15.7

109.0

1933年

0.6

25.7

57.7

16.0

100.0

      「備考」Statistisches Jahrbuch für das Deutsche Reich各年度外国貿易覧よりとる

 

原料及半製品のドイツへの輸入は1929年まで累年増加し、全製品も亦僅少ながら増勢を示していた。これに対し家畜類は減少の一途を辿り、生活資料も亦停滞又は減少の実情にある。然るに1933年に入るや原料及半製品の輸入は急激に増加し、全輸入に対する割合は従来の51%前後より57.7%に増加した。これはナチスの失業対策のための工業振興策による刺激による増加もあるだろうが、ドイツ工業における原料輸入地位の重要さ依然として変わらない事実をも物語るものであろう。

従ってドイツの外国貿易政策は必然に工業原料品の輸入を中心として、特にアウタルキーを主張するナチス政府に於ては論ぜられざるを得ないが、今これを輸出促進と輸入制限の両方面より見ることにする。