ナチスの経済政策(1935年当時の調査)07

第二項 農産物自給の爲の保護政策

(1)農産物保護の一般化 -農産物の自給政策、即ちナチスアウタルキーの理想は、リスト以来の伝統を持つドイツに於いては戦後特に著しくなったことは前述の如くである。この爲に従来採られた政策は農業保護関税政策により主として穀物を中心とする大地主擁護と言うことにあった。これに拠り穀物の自給策はほぼ満たされ、特に家畜飼料、佐藤、馬鈴薯の如き二、三の農産物は生産過剰をさえ来たした。だが多能に於いて蛋白性の飼料や、三四の脂肪性物質の供給については益々多く外国に依存すると言う事が起った。
然も地主保護策はこの辺で行き詰まり掛けた、何故ならば国内の穀価は以前は世界市場価格プラス関税と言う水準にあったのに、現在では大衆の所得減による、消費減退の為に、穀物価格は人民の中最も貧困なる諸層の購買力に依存するようになって、強度の低落傾向を示したからである。これらは特に牧畜業の如き高価生産物にあてはまる。例えば屠畜の価格指数は次の様な様相を示して居る。(1913年=100)

      1929年                1930年                1931年                1932年

        126.6                    112.4                     83.0                      66.3

穀物耕作の大地主連はこれらの農産物下落により、一般農民がますます牧畜から穀物耕作へ移行し、その結果として穀物市場の過剰供給がこの上高まって行くだろうことを恐れる。この故に各種の農産品輸入防遏(ぼうあつ)を従来の如く穀物方面のみに限らず種々の部内に向けたのであった。だから各種の輸入防遏は農民的生産物の価格を高めようとして行われ、就中脂肪類はその主たるもので、この外木材、各種の飼料等にまで拡張され、アルゼンチンとの商業戦争、スウェーデン、フランスとの通商条約破棄をすら持ち来たした。

だが一方、この事は最小限の生産能力を利用して操業して居る工業の生産費を高め、且つ外国販路を損失せしめる。更に又他方では工業の衰微による大衆失業を増加せしめ、食料品に対する大衆の購買力を減少せしめ以て、農業生産物価格を圧迫する。ドイツの経済はこの堂々巡りから抜け出す血路を見出さざるを得ない。

この様な事情の下でドイツ経済政策の具体的目標としてのアウタルキーの思想が新たな重要さを持つようになる。シュライヘル内閣によって幾分緩和された重農主義が、ナチスの理論と合して再び強化されたるも故なきでない。

ナチス政府の引き上げた関税品目は大要次の如くであり、何れも油脂類およびそれと関連して家畜類が重要な費目である。例えばスウェーデンとの通商条約の有効期限の満期を利用して1933年2月15日より引き上げ実施せるものとしては、獣脂、ベーコン、生牛、生羊、生豚、肉類等がある。

フランスとの通商条約破棄によって、1933年3月1日より関税引き上げの実施された品目中には、種子類、甘藍(キャベツ)類、玉葱、サラド、豆類、漿果(葡萄)類、水産物、食卓用チーズ、その他豚脂、鵞鳥脂、硬脂(ステアリン酸)類がある。

尚窮境にある独逸森林業(林地面積の約半分は各邦及び市町村に属す)救済のために、1933年2月17日の命令を以て諸木材関税の引き上げを実施した。

(2)油脂経済統制計画の実施 -周知の如くドイツは往年の世界大戦中脂肪の欠乏によって苦い経験を嘗めた。ドイツが食糧品の自給自足を実現するには何よりも先ず脂肪の国内供給確保が必要である。従って脂肪の国内増産計画はナチス政府だけの政策ではなく歴代政府の企図せるものであった。特に穀物自給策の完成後は、この脂肪価格の引き上げは之によって農民を、小麦その他の穀物耕作から引き離し、一方パン用穀物の国内生産を減少せしめ、以て減退した食糧消費に適合せしめんとして取られた意識的な政策であった。ナチス政府の直前シライヘル政府が1932年12月23日の「内国産動物性脂肪及び飼料の使用促進に関する緊急令」を発布し、これにより人造バター、人造食料脂肪、食料油、植物性脂肪及び硬性魚油の製造量を規定し、更に内国産脂肪果実の使用強制を指令するの権限を得たものである。これは1930年12月1日以来存する獣脂肪使用強制の補完を意味し、一般経済恐慌下に沈淪して畜産物及び乳製品等の価格低落に悩めるドイツ農業、就中ドイツ国民経済全般の不可欠なる移住拓殖事業の運命を左右する農産物加工産業を援助せんとした。

従って「民族自決は食糧の自給自足から」なる標語を持つナチス政府の下に、これが一段と発展せしめられたことは言うを待たない。

食糧品中でその自給の必要最も大きいとされていた脂肪の国内生産統制をナチスは如何に実行したか。これに関してはナチス政府成立後約一か月に亘り論議されたものであった。而してこの結果先ず1933年3月23日にこの問題に関する二つの命令が発せられた。その一は「内国産動物脂肪及び飼料使用の促進」(Zweite VO. Zur Forderung der Verwendung inlandischer tierischer Fette und inlandischer Futtermittel)に関する緊急大統令であり、その二は「マルガリン工場及び搾油所製品の営業的製造に関する命令」(VO. Uber die gewerbsmassige Herstellung von Erzeugnissen der Margarinefabriken und olmuhlen)である。前者はシュライヘル内閣の発布した緊急大統領令の補足であったことは言うまでもない。

而して二命令の主要目的は多量の輸入原料を以て製造されていたマルガリン、人造食用脂肪、食用油、植物性脂肪類、硬化魚油等の生産を極度に制限し、国産動物性脂肪を以て之に代わらしむると共に、国産含油種子の利用を油房側に強制せんとするにあった。

本命令の内容はほぼ次の如き一連の諸施設からなるものである。

  • 人造バター、人造チーズ、人造食料油及び獣脂の関税の著しき引上げ。
  • 人造バターの原料となる諸油脂の輸入分配を政府が独占的に営む。
  • 人造バターの生産を現在の60%に制限する。
  • 人造バター及びその代用物の生産に対して一ポンド当たり二十五ペンニッヒの課税を為し、この税収入をば貧困者に安価なるバター供給のために使用すること。即ち中産階級以下の消費者に対する脂肪証券の創始之である。
  • 旅館、飲食店、菓子店等に於いて人造バター及び人造食料油脂を使用する場合にその旨を明記すること。
  • 政府は油脂統制のための官庁を設置し、食糧農業大臣の任命する長官を置く。

この法令によって、外国産バターに次いで更に人造バターの原料品の統制を行なったのである。蓋しドイツ農業保護の対象としては脂肪類のそれは前述のそれの如く極めて重要なる地位を占め、シュライヘル内閣以来その輸入制限が行われ来たった。然しバターのドイツへの輸入国はドイツの工業完成品の顧客である。従って無暗に関税を引き上げ得ない事情にあり、更にまたバター価格の引き上げは、之に代わる人造バターなる代用品がある。故に若しバターの価格を引き上げるときはこの代用品がこれに代わるをもって、その目的を達し得ない。然し人造バターの輸入国もドイツにとっての顧客である。従って若し国内バター製造業の利益を維持し、工業輸出を阻害せぬ方法としては人造バターの原料品の輸入制限に俟つより方法がない。幸い人造油脂の原料輸出国はドイツの主要販売市場でない。そこで政府はバター及び内国産の天然油脂の価格釣り上げの為に第一に人造油脂原料の政府独占を実行した。この政策は一方人造油脂の生産を制限すると同時に、従来主として外国から輸入せられた人造油脂原料に代わって国内産の亜麻、油菜、豚脂等の生産を増大せしめることとなる。同時に又国内の人造バターの生産を現在の60%に制限し、且つ人造バターの代用品となる凡ゆる油脂の関税引き上げ或いはその輸入を政府の統制下に置き、旅館、菓子屋等に於いて人造バターの使用を明記せしめ、その使用を制限せしめた。

この結果国産バター及び獣脂に対する需要が増し、価格も騰貴した。バターの値上がりはミルクの値を吊り上げ、更に重視の価格騰貴と相俟って家畜の価格を引き上げた。左は即ち1933年2月以来の価格表である。

 

1933年

 

 

二月

三月

四月

五月

六月

七月

バター

百キログラム当り価格
ライヒスマルク)

174.92

171.34

176.00

217.78

218.44

224.76

指   数

100

91

101

125

125

128

獣 脂

百キログラム当り価格
ライヒスマルク)

58.94

54.95

55.86

64.73

62.34

56.49

指   数

100

93

95

110

105

95

人造バター

百キログラム当り価格
ライヒスマルク)

44.00

44.00

44.00

69.00

69.00

69.00

指   数

100

100

100

157

157

157

 

人造バター生産の制限不作の効果は上述の如く脂肪製品の価格を騰貴せしめた。これは政府の牧畜小農民保護の政策の成功の様に見え、従ってこの方策は脂肪の輸入を減ぜしめ上述の如くバター価格の飛躍的な投機を引き起こした。外国産脂肪の禁止、人造バター輸入割当及脂肪に対する課税によって、農民の製酪業の収利性を元の様に高めるのだと称された。だが、これと同時に外国産の飼料、即ち玉蜀黍(とうもろこし)、油粕等々の独占価格の引き上げによって一般的な飼料価格の騰貴が起こり、農民的製酪業の鋭い負担過重が生じた。

これに反して、外国産資料の閉め出しによって、小農は穀物生産を制限してより多くの飼料を造らなければならなくされたのであった。穀物市場はそれだけ供給を緩和さえたので、穀物耕作を主とする大農の有利になった。

更に尚指摘されねばならぬ事実がある。即ち都市消費者層の所得状態が依然として逼迫しているこの際、脂肪価格の引き上げは他の食料品の買入までも縮小させた。殊に肉の需要は著しく減退した。のみならず、脂肪類の価格騰貴に次いで、都市小市民及農民の広汎な人民層の間に猛烈な激昂が起こった。プファルツ州の小売商たちは、顧客の経済状態を考えると、この様な高いバター価格をこきゃっくに対して要求することを得ないと称して、バター販売の中止を決議した。ミュンヘンでは政府はバターについて暴利を貪ったと言う廉で百六十九人の小売商を逮捕させ、刑務所に収容して、バター価格の騰貴をもって小売商に責任があるかのような宣伝をした。

かくて食糧生産物価格つり上げは、このように回り道をして間接に穀物価格を釣り上げようとするのであるが、都市人口の不十分な購買力はこの釣り上げ方針を失敗に至らしめておる。

ナチスの脂肪計画の基本見地は略(ほぼ)以上の如くであるが、この計画実行のために講ぜられた措置は甚だしく多岐に亘る。今これに関する立法のみを列挙するも、前記1933年3月23日の二命令の他に、同年四月十三日には「脂肪調和税の引上げに関する命令」同じく四月十九日には「脂肪追加税令」が発せられ、その後幾度か右の所謂脂肪調和税の改正令が発せられた。その他1933年4月4日には「油及脂肪管理庁設置に関する命令」及「油及脂肪取引令」が発せられ更に同年5月22日には「脂肪調整に関する命令」が発せられた。これらの法令は要するに、脂肪統制によって生ずる消費大衆の反感に対する対策も含まれたことは言うまでもない。だがしかしナチス政府はこの脂肪政策の失敗を以て当時の食糧農業大臣フーゲンベルクの無能に帰せしめ、ナチスの外郭団体を扇動して、遂に閣内の違分子たる国権党首フーゲンベルクの辞職強要の具に供したのであった。

しかしながらこの脂肪統制の目的は如何にあれ、これは前述の如くこの方面の資本の極端なる保護を意味し、無力な消費大衆に対しては僅かに脂肪証券の交付くらいで誤魔化しておいて、而もこれが恩恵に浴する範囲は極めて局限されていることからしてみても分かるようにこの脂肪対策は、前記の世襲農地法同様決して額面通り受け取り得ざるは言うまでもない。

 

第三項 公正なる価格形成

ドイツ農業の窮乏は恐慌後の打ち続くデフレーション政策による農産物価格の下落によっていることは前記景気研究所報告に述べている所であり、更にヒトラーの演説にも農家経済の収支を償わしむることの必要なることが力説されている。

即ち之を数字的に見てもドイツの農産物価は1929年以後1934年まで櫃ら漸落の傾向を辿り、例えば1913年を100とする指数によって示せば、1929年には130.2、1930年に派113.1、1931年には103.8、1932年には91.3、1933年には86.8となっている。然るに1934年1月に入ってこの数字は92.9に騰がり、2月には91.9に下がったが、3月には101.7、4月には109.6へと次第に打ち返し、ナチス政府成立以来上向きを示している。

そしてこの農産物価の吊上げ政策はアウタルキーを主張するナチスの政策から当然生じて来る現象であるが、特に彼等は「公正なる価格」の実現の指導原則に基づきこれが吊上げ政策を意識的に取った。

このために採られた第一の方策は1933年9月26日の「穀物価格保障に関する法律」(Gesetz zur Sicherung der Getreidepreise)と同29日の「穀物価格に関する命令」(VO. über Preise für Getreide.)である。この法令はドイツ国内に於て生産される穀物の中、特に裸麦及小麦に就いて一種の法定価格を設け以て穀價の騰貴をはかったものである。そしてこの精神を拡充し鞏固化する為に、更に1933年9月15日の「製粉所合同法」(Gesetz über den Zusammenschluss von Mühlen)があり、 更に1933年9月13日食糧生産職分共同体法と同時に発布された「農産物の市場及価格統制施設に関する法律」(Massnamen zur Markt und Preisregelung für landw. Erzeugnisse.)が存する。

(1)穀物価格保障法-之は穀物固定価格の組織を形成するもので、公定価格は市場渡りの標準相場で、今年の収穫高と国民の購買力を参酌して作製される。今後公定価格以下でなさるる売買契約を無効とし、違反者には体刑を課するもので、同法の適用を受けるものの大部分は小麦と裸麦で、自家用に使用される燕麦と大麦とは除外されてある。公定価格は次表の如く、収穫期より端境期に向かって次第に高くなり、東部は西部より安くなるように仕組まれている。

1ツェントネル穀物公定価格(第一回)(単位ライヒスマルク)

年月                                   裸麦                            小麦

1933.10                  147                             182

1933.11                  148                             183

1933.12                  145                             184

1934.01                  153                             186

1934.02                  155                             187.5

1934.03                  157                             189

1934.04                  159                             191

1934.05                  162                             193

1934.06                  165                             195

参考「外務省国際事情386号」

 

(2)製粉所合同法-本法の目的は穀価安定法の目的を拡充し、更に農産物価格と工産物価格との鋏状価格差の撤廃にあるものである。その内容は次の如くである。

(イ)食糧農業大臣は内地産小麦、裸麦の消費調節のため、小麦、裸麦を材料とする製粉業を合同せしむりことを得る。食糧農業大臣は尚製粉業務、新製粉場の新設又は現存製粉場の拡張、現存製粉場の利用範囲に関し規定を定める。

(ロ)食糧農業大臣は製粉所合同員の権利義務を定め、必ずしも現存合同内の規約に拘束せれることなし。
食糧農業大臣は製粉業者以外の小麦、裸麦消費業者が製粉業合同に代表される方法、製粉業合同各員が一定期間に購入する小麦並びにそれによって生産する麦粉の総量製粉場に購入する小麦、裸麦の価格、製粉場より売り出す製粉の価格を定ることを得る。

(ハ)農業食糧大臣は製粉業合同に対し監督権を有す。監督権の行使によりて生ずる費用は合同員の負担とする。

(二)本法違反者は懲役に処され、十万マルク以下の罰金を課せられ、更に営業を停止せられることあるべし。

(ホ)本法の措置によりて生ずる損害は政府補償の責に任ぜず。

尚、全国食糧生産職分共同体法の意義の評価は後述する次第であるが、これは全国農業者身分たるものを打って一丸とする組織隊を結成し、工業に於けるカルテル・シンジケート・コンツェルンと同等の部類を農業にも設けようとしたものである。独り純農業的のもののみでなく、農産物の販売者、加工業者までも包含される。

本法は然し乍ら穀物価格維持政策がこの種食料品の生産を拡張するの恐れあること、そして資本主義的地盤の上に於て、農業のみをその影響から切り離すことは困難事に属する。かくてダレ農相は農民に向かって今後穀物耕作の拡張を止める様に次のような警告を成している。

  • 如何なる農民も今年の秋は1932年秋より多くの穀物を耕作してはならない。
  • 右の外各農民は、経営上可能な範囲で自発的にその穀物耕作を眼に見える程度に縮小すること。
  • 第一に小麦耕作の縮小をなすべきこと。
  • 公正な固定価格は国民経済が現実に要求するだけの数量の穀物に対してのみ保証されうるに過ぎない。穀物生産が来年度に於て需要を凌駕する様な事になれば、やむを得ず国家が制限方策を取って、これに基づいて生産および保証価格による販売を国民の需要関係に適合させることになるだろう。

以上の説によっても明らかなるが如く穀物価格の騰貴による利益は誰によって得られるかは現存社会制度の下に於いてはダレ氏の理論の如何を問わず明らかに中小農のそれでないことは明らかである。ナチス農業政策も亦詳細に吟味して決してドイツ農業の全構成分子の保護とは言えないようである。

 

第四項 農家負債軽減に関する各種施設

農業収支を相償わしめるの第二の方策として農家負債軽減に関する施設がある。蓋し経済恐慌に基づき大打撃をこうむった農家にあっては、その債務を大量的に焦げ付かしめたことは、どこの国にもあるようにドイツにとっても存在し、それはドイツ国民経済にとって大きなる悩みであった。ドイツ統計局の試みた見積もりによれば1932年6月30日現在における農家負債総額は長期短期その他を合して約115億マルクに及んでいる。しかもこれらの負債は戦後如何に発展したかを見ると次の如くである。

農業負債(単位百万マルク)

                               総額

1925年                        8,023

1927年                        9,884

1928年                      10,831

1929年                      11,392

1930年                      11,630

1931年                      11,765

1932年                      11,425

即ち1932年度は前年度に比して3億5000万マルクの減少を見たるも、尚訳115億マルクの負債があった。従ってこれに対する利子だけでも1932年12月末利率により算出すると5億6800万マルクの巨額に達する。農産物価格の下落が巨額の農業債務者に対して致命的な打撃を与えた。この救済策としてドイツにはエルベ東岸地方救済法と称する法律があって、課題負債を背負い最早清算できない大経営農地は政府が肩代わりしてこれを国内移民のための土地に振り向けようとした。シュライヘル政府までの農業負債整理方針は少なくともこの程度であった。これに対してシュライヘル内閣を倒すに与って力のあった大地主の政治的団体であるライヒス・ランドブンドの要求の一つは、農村モラトリアムの施行であった。ナチス政府はこれに対して所謂エルベ東岸地方救済法と称せられる法律の適用範囲を拡張することによってこの大土地所有者の要求を容れた。即ち従来部分的に認められた農業差し押さえ保護法が一般化された後、6月1日農業負債整理法が発布された。

(1)農業差し押さえ保護法(VO. über den landwirtschaftlichen Vollstreckungsschutz)

本法は1931年12月8日ブリュニング1内閣時代に決定された緊急令の一つである。同命令は大体次の如き内容を持って居る

第一には一般の土地に適用せられるきていである。債務者の債務不履行が一般経済情勢に基づくものである時には、債務者の申し込みにより土地に対する強制執行を最大6か月間猶予することを得る。但し、差し押さえの一時的停止によって債権者の經營に本質的損失を及ぼす時には強制執行は猶予せられない。さらに差し押さえ猶予中に起源の到来した週期的支払いに対し期限到来後二週間以内に支払いを履行しなかった場合にも差し押さえの猶予は解除される。

第二には農業用、林業用、園芸用土地の対してのみ適用せられる規定である。即ち上述せるような差し押さえの猶予を解除すべき条件が備わっていた場合にも、債務者の秩序ある經營の続行が保証され、しかも債務の不履行が天候或いは家畜伝染病の如き不時の災害に依るか、又は1930年以来の農産物価格の特に甚だしい下落による場合は、1932年7月に至るまで差し押さえの猶予が行われ得る。更に農業経営者に対しては、差し押さえの履行によって32年度の収穫を行なう事が出来なくなる場合には動産に対しても差し押さえが猶予される。

以上の如き差し押さえ保護法は大体1932年度の収穫終了期までをその期限としたのであったが、バアベン内閣時代の1932年9月及シュライヘル内閣時代の33年1月に再度延期され、33年の収穫終了期たる10月30日まで延期せられてきたのであった。フーゲンベルグ農相は2月14日付け緊急令及同施行令により、この保護法の適用範囲を更に一層拡張し、全国におけるすべての農地および付属地に拡張するに至った。

その拡張は次の点にあった。従来は債務者の申し込みにより、一定の条件の下に差し押さえが猶予されたのであるが、この改正により、原則的には農業用、林業用、園芸用土地に対する差し押さえは1933年10月末まで停止され、差し押さえは債権者の申し込みにより一定の条件が備わった場合にのみ履行される。債権者が差し押さえの履行を許されるのは次の場合である。

(イ)農業金庫、不動産抵当銀行、貯蓄銀行その他長期信用の授与を許されている機関乃至は第一抵当債者に対しては、債務者がこの法令発表以前で周期的な支払いを怠納し、法令発表後も尚怠納を続けた場合に差し押さえの履行を許容される。但しこの場合にも、債務者の支払い怠納が、天候家畜の伝染病などの不時の災害又は、農産物価格の著落に基づく時には差し押さえは履行せられない。

(ロ)債権者の債権が、1931年1月末以後に於ける農業の経営上の支出に基づいて生じた場合、若しくは同期日以後に為された給付によって生じた場合には、(イ)に述べた例外を除き政権者の申し込みに基づいて差し押さえを履行することを得る。

(ハ)裁判所が農業経営所有による秩序ある経営が持続されえないと信じた場合にも、債権者の差し押さえの申し込みが許される。

この外農業経営に属する動産に対しても、法律上の扶助義務、労賃、保険料、租税の支払いに戻づく債権以外に対しては、原則的に33年10月まで差し押さえ履行を停止した。

この動産、不動産に対する一般差し押さえ停止規定によって一種のモラトリアムが実施された次第である。然しながら、この法令実施によって最も打撃を受けるものは、抽象農業経営に主として信用を与えている債権者たる中小商工業者である。第一に彼等には何等の優先的地位も与えられて居ない。第二に資本力に乏しいこれらの人々は、債権回収の不能に堪え得る力を持って居ない。ここに於いて中小商工業者の猛烈な反対運動が起こり、政府はこれが緩和策として2月21日の閣議に於いて、右差し押さえ停止によって蒙ることあるべき損失の補填のため、今後五年間に千五百万マルクを債権者保護のために支出することを決定した。

(2)農業負債整理法-差し押さえ保護法の一般化は農業負債整理の前提と認められて居り、ライヒス・ランドブンド会長カルトロイト伯は、2月18日のブラウンシュワイグ農業大会に於いて、10月30日迄の間に40億マルクに達する短期農業債務の長期切り替えの必要なるを力説せる次第であった。農務次官ロールも亦2月22日のラジオ演説に於いて新政府の農業政策に関し述べている中に、この点に関しては東北地方のみならず全国に亘り農業債務の切り替えを実行すべしと言及している。

1933年6月1日の日付を以て発表されたるこの新しい整理法(Gesetz zur Regelung der landwirtschaftlichen Schuldenverhältnisse)は7章106条に亘る厖大な規定であるが、大体次のような内容を持って居た。

農業用、林業用、園芸用の土地所有者にして自力によって債務の償却を行うことが不可能の場合には、債務の整理を裁判所に申し込む事が出来る。裁判所の行う農業債務の整理については、差し押さえによらないで為されると否とによって根本的な差異を有する。

(A) 差し押さえによらぬ農業債務の整理は次の4項より成る。

(イ)1931年7月13日(ドイツ金融恐慌の起こった日)以前に成立し、安全確実な抵当(土地価格の三分の二)によって保証されて居ない債権は利子を4.5%に引き下げられる。又若しその債権が回収の予告を成し得べき者であった時は、回収予告権なき債権に転化され、元本償却率は0.5乃至5%に決定される。回収予告権なき債権に転化することが債権者に対し著しい不利を及ぼすものと認められた場合には、その債権は債務整理證券なる一種の短期証券を以て償還される。

(ロ)1931年7月12日以後に成立した債権については、若し債権者がその債権の現金償却を要求しなかった時にのみ第一の規定が適用される。債権者が現金償還を要求した場合には、債務整理所なる機関を通じて未払いの利子と共に償還せられる。但しその利子は最高5%に決定され元本は10ないし20%切り下げられる。

(ハ)1932年3月31日以後に成立した労賃、俸給に基づく債権又は手工業者その他の物品給付業者の有する債権は、債権者の要求なくとも現金を以て償還される。元本の切り下げには債権者の同意を必要とする。

(二)債務整理所により、債務の現金償還が行われる場合には、債券は同期間の所有に移り、利子は4.5%に定められる。

(B)差し押さえによる債務整理の場合

(イ)安全確実な抵当により保証せられている債権の元本は切り下げない。

(ロ)これ以外の債権は債権者の同意を得ずして半分に切り下げられる。

政府はこれによって農業負債の利子を4.5%に引き下げ、且つ債権を出来るだけ切り下げ以て政府の資金によって債務の償還を行なうということにあった。そしてこの債務整理を行うためには莫大な費用を必要とする。これが金融の方法は、1940年から42年に至る三か年間毎年一億マルクを大蔵大臣が農業債務の整理のために支出する。この間は、必要に応じて利子付きの大蔵省証券をレンテンバンク信用銀行に交付する。同銀行は、交付された大蔵省証券に基づいて債務整理所に金融する。更に同銀行は3億マルクを限り、債務整理證券を発行し得る事とし、要は将来に於ける国庫負担を以て実施された。

そしてこのために債権者は利子の引き下げにより、収入の減少を来たしてはいるが、他方これにより全く固定した農業債務を流動化することになり、低減されたとはいえ利子所得を確実に得るに至ったのである。

農家負債軽減のための方策によって過重債務負担がどの程度に軽減されるかは不明であるが、ナチス政府のとった農業政策特に農業負債軽減に関する方策は強弱の差こそあれ、他の資本主義各国に於いて試験済みの政策外の何物にも非ざることは敢えて一言するまでもないものの様である。