ドイツ悪玉論の神話051

1934年ニュルンベルクに於けるナチスの党大会

國家社会主義党は、1934年9月にプレビサイトから僅か二週間後、ニュルンベルクで年次党大会を開いた。その大会中、総統の「千年帝國」大宣言が朗読された。
「独逸の生活様式が次の千年に向けて明確に決定された。19世紀の神経質な時代は、吾らと共に終焉となった。独逸には次の千年、革命はないであろう。」

猶太人の米國人ジャーナリスト、ウィリアム・L・シャイラー(「第三帝國(ライヒ)内情」“Inside the Third Reich”)は、ナチの華やかな儀式と見世物は一体何なのか見物するために参加した。彼は次の様に書いている。「私は、ヒトラーの驚くべき成功の理由を幾分か理解し始めていた。ローマカトリック教会から一場面を借りて来て彼は見世物と色と神秘主義を20世紀独逸の単調な(面白くない)生活に復活させた。この朝の開会の集会は(中略)、豪華なショー以上のものだった。そこには、何か神秘主義とゴチック様式の大聖堂でのイースターかクリスマスのミサの様な宗教的熱気が漂っていた。会場は色鮮やかな旗で埋まっていた。ヒトラーの到着でさえ、劇的に演出された。楽隊が演奏を止め、会場に詰め掛けた三万人の人々は、静まり返った。そこで楽隊は、バーデンヴァイラー行進曲を打ち叩いた。(中略)ヒトラーが講堂の後ろに現れ、ゲーリングゲッベルス、ヘス、ヒムラーとその他の助力者を従えて、三万人が手を挙げて挨拶する中、ゆっくりと会場中央の通路を歩いて行った。」

シャイラーにとって、その会場内のうっとりするような空気は、「ヒトラーの口からこぼれる言葉の一つ一つが高みからもたらされる啓示の言葉のように思われる」ようであった。

 

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1934年のニュルンベルクの党大会でヒトラーは「千年ライヒ」を宣言した


ニュルンベルク党大会の前に行った演説で、ヒトラーは、直近に起こった血の粛清(長いナイフの夜)を起こした事件のあらゆる連座から突撃隊褐色シャツを免責し、彼らのヒトラーと党に対する揺るぎない忠誠心を認定した。5万人の褐色シャツはこの機会に集合し、「ジーク・ハイル」の声を限りの大合唱でこれに応えたのだった。これでもはや突撃隊の忠誠心には何ら疑問は無くなった。

ニュルンベルク党大会は、1938年に中止されるまで毎年9月に開かれた。大会は世界に独逸の指導者とその主義に一糸乱れず従う國民國家を見せることを意図していた。大会はまた、独逸人民の國家主義的誇りを活気づけた。ヒトラーは、独逸の映画女優で監督のレニ・リーフェンシュタールの協力を得て1934年のニュルンベルク党大会の記録映画を制作した。

 

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ニュルンベルク党大会での「共同体の日」のマスゲーム ヒトラーと國家社会主義者は、独逸人民の統合・修養・健康・体力を振興した。


レニ・リーフェンシュタールは、アーノルド・フランク監督の作品、所謂「山岳映画」に出演して独逸の映画産業に於いて名を成した。この映画の中でリーフェンシュタールは、模範的なはまり役で、典型的なアリアンの顔をした健康的な独逸の少女を演じた。この映画のジャンルは間もなく、発展段階のナチス党の國家主義発揚と関連付けられ始めた。彼女は更に1932年には山岳映画「青の光」を自身で書き、主演・監督した。経験が浅いにもかかわらず、映画は視覚効果に於いて特筆に値するほど洗練されていた。その雪の白さと主人公女性の溢れんばかりのチュートン的活力により、「青の光」は、アリアンの人々の精神と生命力の祝典であった。それは、當に國家社会主義の中心の主題であった。

リーフェンシュタールが國家社会主義を有利な方向に導く記録映画を制作するためにヒトラーによって選ばれたのは、偶然ではない。これらの内で最初で、そして最も影響力の大きかった映画は「意志の勝利」であった。この映画は1934年のニュルンベルクでの党大会の記念として撮影されたものだ。この映画はこれまで制作された中で、最も輝いて成功した宣伝映画と呼ばれた。

 

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ヒトラーリーフェンシュタール

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