今日の共産主義 45の目標00(W.C. スクーセン著「赤裸々の共産主義者」13章より)

第13章 

今日の共産主義 45の目標

共産主義の45の目標[1]は、当初、1961年3月に「赤裸々の共産主義者」の第8版に発表された。それらは、様々な学者による下院での証言から、そして現・前共産主義者の書物から収拾された。1963年にこれら45の目標はアルバート・S・ハーロング(フロリダ 民主党)により米下院の記録に載せられ、それ以来、世界中で共有されている。[2]

 

45の目標の目的

45の目標の一般的な要旨は、長い間繁栄し、自由を守って来たユダヤキリスト教の土台を攻撃すること、そしてそれらを純粋な社会主義社会のレンガ、モルタル、上からの命令で置き換えることであった。純粋な社会主義のような桃源郷は不可能であるという事実、そしてこれまでの全ての試みがそれ以前の時代からの文明を破壊してきた事実にも拘らず、共産主義者とその支援者は同じ方式を取り敢えず持ってきた。結局、その目的は人類の福祉の増進ではなく、人類の支配の増進であった。

 

根競べ

民族の征服は典型的に次の二つのうちいずれかの手段でもたらされる。先ず一つ目は、軍事的に攻撃し人々を強制的に従わせる。二つ目は、人々を結び付けている國の制度を堕落させ、その上で、混乱を安定させ、秩序を確立し、安全の感覚を取り戻すことを約束する指導者を煽動する。

アメリカは軍事的に征服するには強すぎるので二番目の方法が取られた。つまり、組織の堕落である。

アメリカの制度慣習・組織全体を断ち切るにはどうするか  ―それには、気が遠くなるような長期に亙る辛抱強い忍耐を以って、良き文化を衰退させ、家族制度を破壊し、法の支配を破壊し、司法の救済を政治問題化し、伝統的価値を消し去り、私有財産制を排除する様に仕組むにつき、気付かれないようにそっと取り掛からねばならない。春秋戦国時代の指導者商鞅が紀元前350年ごろに、國民をより容易く高級官僚の支配に置く方便として商子(商君書)に「弱民」と呼んで述べている。[3]

米國民を弱くする動きは1960年代にその運動量を増した。暴動が起こり、伝統的な慣習を軽んずるようになるに連れ、「何でもあり*」という気分が新しい日常となった。これと並行して犯罪の増加、無秩序と不満が来った。アメリカの國民は解決策を自分たちに見出さず、政府に向けた。「最善の解決策」はより多くの法律・自由の縮小・より多くの支配の詰め合わせで到来した。ベンジャミン・フランクリンの作だと言われる有名な次の引用が當にこの結果を要約する。

「少々の一時的安全を買うために本質的な自由を犠牲にするような者には自由も安全も受けるに値しない。」― それがアメリカが向かっている先だ。

この典型的な成り行きに何も新しい物はない。それは、最終的に自治政府を統制政府の権力に置き換えるお決まりの進路である。この「進化するアメリカの秩序」が「New World Order」の土台として働くことになるだろう。

 

二つの世代

45の目標が出版されて知られるようになった頃、懐疑心を以って受け取る者も2~3割方居り、酷い嫌悪を以って受け取る者も居た。大方のところ、アメリカ人はそのような「アメリカ流」に対するそのような露骨に宣言された攻撃など、達成することはほぼ不可能だろうと信じていた。人々は、合衆国として知られる、偉大で侵入出来ない美徳と自由の聖域に於いて、アメリカ人は決してそのような目的の何れも容認しないだろうと信じていた。

ところが、羨望の的であった米國の自己永続的自由、美徳、教育と知力は二世代の内に、危険なまでに弱体化され、或いは忘れ去られた。そうではなく、正しいことを間違ったこと、良いことを悪いこと、光明を暗黒とする欺瞞の命名と共に所謂「啓蒙」の話、新しい時代の話があった。最終的な結果は、50年の内にそれらの内一つを除いてすべての目的の「成功」が達成されるのであった。

 

*原典では「Anything goes」 

[1] W. Cleon Skousen, The Naked Communist, 8th Edition, 1961, pp. 234-237.

[2] This chapter by Paul B. Skousen was written for the 12th Edition of The Naked Communist.

[3] Paul B. Skousen, The Book of Lord Shang, quoted in The Naked Socialist, 2014, pp. 58-60.

 

(次回より、この45の目標一つ一つの訳を提示し、その日本的問題・現代的問題を私なりに提起します。)

 

次回 今日の共産主義45の目標01