国際秘密力00

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紹 介

ジョージ・L・ウェスト博士に初めてお会いしたのは一昨年(1994年)初夏のことであった。辱知(じょくち:尊敬する知り合いの)長田恒彦氏から博士の講演会が靖国神社遊就館で開かれるとの案内を受けたが、その時までウェストと言う人については聞いていなかった。案内書を見ると米国の法律家で日本神道家であるという。これは出席すべき会合であると考え、当日参加してお話を陪聴(ばいちょう:お聴き)した。印象に残ったのは講演の最後に博士が音頭を取って『天皇陛下万歳』を三唱されたことで、感銘深い会合であった。

その時博士の著書『憲法改悪の強要』を求めたが、帰って一読すると言々句々誠に肯綮(こうけい)に中(あた)った指摘であり、しかもそれは単に正義を貴ぶ法律家としての見地に止まらず、日本の古き道統(伝承の系統)とご自身の心魂が同一化した心境からの発言であり、この人は比倫を絶する卓越した人物であることが分かった。直ちに私は同氏にお会いすべく連絡したのであるが、当夜列車で夫人の郷里米子に帰られるとのことでその折は機を失した。

私は毎夏山口県の郷里に帰省するのであるが、米子とはさほど遠くないので途次に適当な場所で落ち合うことにし、博士は岡山まで出向かれるとのお申出があったので私は新幹線で西下し、岡山駅で初めてご夫妻とお会いした。これより先私は博士に共著の提案をしており、私の著書の幾つかをお贈りしてあった。博士は共著を快く応諾され、当日はかなりの資料を持参された。私はその九月郷里から東京に戻る途上松江でご夫妻と再会し、さらにこの件について相談するところがあった。

戴いた資料と談話テープによって新著の構想を練っていたところ、博士から分厚い原稿が届いた。拝見すると内容の梗概(こうがい:あらすじ)は古代から現代までの人類の真実の歴史を、その最深層から分析、剔抉(てっけつ:暴き出すこと)したもので、それは私がかねて考えて来たところと殆ど一致していた。けれども博士は西洋文明の只中で育ち、実務の面では中東における国際政治の機微に直接関与されたと言う、私の及ばない経歴、経験をお持ちであるのみでなく、世上周旋の単なる史家の到底希求し得ざる境地、すなわち強大な霊性的透視力を具(そな)えておられる。

かくて本書は史上現れた如何なる史書も到底企及(ききゅう:比肩)し得ない、嶄然(ざんぜん:抜きんでた様)としてあらゆる群書を遥かに抜く、史上嘗(かつ)て現れたことのない書となった。本書の述べるところに部分的には気づいており、または漠然として同感し、わが意を得たりと考える向きはあるだろう。しかし精細に包括的に

『猶太教レビ族の中核ラビが、古代の離散以来漸次世界に拡散し、自己に属せざる人間と文明の一切を覆滅(ふくめつ)し、自らの絶対的世界支配を求めて数千年を閲し、その隠れた活動は現在ますます盛大である』

と断固として宣言し、その倫理と証拠を真正面から提出した人は、ただ我がウェスト博士のみである。

博士はその生国アメリカに対しては勿論であるが、日本を思い憂える気持ちが特段に強い。それは単なる感情的高揚からではない。日本の神霊が博士を捉えて離さないからである。

遠い昔のアーネスト・フェノロサ[1]ラフカディオ・ハーン[2]に似て、博士は若年の日から日本に特に惹かれていたようだ。遠く離れてはいても人類普遍の<神>が日本に現に座すことを直感していたものであろう。博士は古代のギリシャ、ローマの神もまた真正の神であったことを本書中で述べている。しかしその神はヘブライの魔力・キリスト教に駆逐されてしまった。今真正の神が辛うじて残っているのは日本列島だけである。ウェスト博士の日本への熱き想いは此処にその源がある。(※燈照隅による強調)

この尊い神の本地である日本の人たちが、ラビたちとその眷属(けんぞく)に完膚なきまでに操られ、可惜(あたら)対米戦争に引き据えられ、莫大な人命と物質の損害を与えられたうえ、すでに勝敗の定まったのち原爆を落とされてさらに20万人近い犠牲を払っている、その明々白々たる事実に半世紀経って気づかず、今なお狡猾なる国際秘密勢力の為すが儘と言う無惨に、博士の憂慮と焦燥は募る。私の想いもまったく同じだ。(※燈照隅による強調)

 

[1]アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853年2月18日~1908年9月21日)は、アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で明治時代に来日したお雇い外国人。日本美術を評価し、紹介に努めたことで知られる。

[2]小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 ~1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にはファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。

 

ウェスト博士は何よりも先ず強大な神霊感受能力を備えて居られる。同類の人物は世に居なくはないが、いずれも出自が十分でなく学識不足で、尊貴(そんき)なる神霊とは無縁の、世を惑わす存在に過ぎない。著者は嘗て私が面悟したあらゆる人物とはまったく選を異にした正大なる霊性的能力を持ち、それが過去三千年の世界史の駆動力の正体を的確に把握する契機をなす。それはまた本書における歴史事態の分析の、鮮やかさと比類ない透徹性の源泉でもある。さらに博士は、書中に国際法律事務から得たところの、他に得られない貴重な知見を鏤(ちりば)めて居られる。これは日本語に変え速やかに上梓(じょうし)すべきものと考え、直ちに友人に回し翻訳して貰った。本書はこの翻訳原稿を私が十分に推敲したものである。

博士は少年の日から日本にとくに心牽(ひ)かれたと言う。西洋人で日本に霊性的に牽かれた人物は他にラフカディオ・ハーンが居る。事実ウェスト氏は少年のころハーンの文章に触れ日本への眼を開いたともされる。文学と法律ではまったく畑違いの人生行路ではあるが、神の国の認識、思慕は一世紀を隔てて両者符節を合するが如くである。

明治開国以来本邦に来り、この国の文化と人情に深く傾倒した欧米人は何人かいる。だがそれらは多く美術工芸や文学に跼蹐(きょくせき:きょくてんせきち【跼天蹐地】の略、肩身がせまく、世間に気兼ねしながら暮らすこと。ひどくつつしみ恐れること。)して、この国に偏満(へんまん:広く行きわたること)する神気に正面から関わりあってはいない。また汪精衛[3]汪兆銘)の配下として政治的に活動し、戦後我が国に永く亡命生活を送った胡蘭成[4]の様に、伊勢神宮をこよなく崇敬した人物もいた。彼は伊勢神宮の清掃夫として生を送りたいとも述べている。正統の文明の始原性を日本に於て直覚したと思われる。

 

[3] 汪 兆銘(おう ちょうめい、1883年5月4日 - 1944年11月10日)は、中華民国の政治家。行政院長(第4代)・中国国民党副総裁。辛亥革命の父、孫文の側近として活躍して党の要職を占めた。字は季新。号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)。
知日派として知られ、1940年3月、南京に日本の傀儡政権である汪兆銘政権を樹立し、同年11月には正式に主席となった。1944年、名古屋市にて病死。広東省の生まれ。原籍は浙江省紹興府山陰県(現在の紹興市柯橋区)。著作に『汪精衛文存』などがある。

[4]胡蘭成(こ らんせい、1906年2月28日-1981年7月25日)は、中国の政治家・作家・思想家・書家。浙江省嵊県に生まれる。燕京大学を国民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府にて法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。中国の著名な小説家、張愛玲の文学の才能に惚れ込み、1944年に結婚するも1947年に離婚し、1950年に日本に政治亡命。離婚した原因は胡蘭成の浮気行為。張愛玲は彼と離婚する際の手切れ金として大金と手紙を渡した。のち、上海黒社会の大物呉世宝の未亡人であった佘愛珍と再婚した。
1974年、台湾の中国文化学院(今は中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、1976年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪曼派の保田與重郎川端康成等々と親交を結んだとされる。1981年、東京都福生市で永眠。

 

わがウェスト博士は明晰な頭脳、高級な修学、広範な見聞と実務経験の上に、そのすべてを覆う独自の歴史哲学を築いて居られる。その総ての奥底には博士独特の霊性的直覚がある。私は何時も思うのだが知性には自ら限界がある。それはその人なりの桎梏(しっこく:人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの)として働く。それを脱却する最終的機縁は神授のものである以外はない。本書は大冊ではないが他に決して見る事の出来ない、古代から現代に亘る歴史の真相を暴く、深刻切実な書である。史上世に現れた他の如何なる史書をも越えた稀有の文献と言わねばならない。(※燈照隅による強調)

人格の芯核は血統と育ちで決まる。人は生まれ落ちた時、その命運は正確に定まっている。ウェスト博士は『義』の人である。法律家たるべき宿命を持つ。聞くところによれば博士は四百年前にイギリスからアメリカに移住した家系に属する。この家は時を経てテキサス西部に落ち着き大牧場主になった。テキサスには日本の一県の面積を持つほどの巨大牧場主もいると言う。

国際秘密力に深く侵された北部と異なり、米国南部は在りし良き欧米文明の伝統を今なお何程か残している。博士はこの環境で育ちサンアントニオ市の少年士官学校(Texas Military Institution、戦前の陸軍幼年学校のようなもの)を経てテキサス州立大学に進み、法律と歴史を学んだ。この学校は後に著者が痛烈に批判することになるダグラス・マッカーサーも学んだと言う。

私は米国に幾年か滞在したがその間ずっとニューヨークに滞在し、テキサス州にはヒューストンとガルベストンにしか足を伸ばしていない。したがってテキサス西部の様子はまったく知らない。ただ米国南部一帯を広く旅行はした。其処は米国において私のもっとも好む地方である。セントルイスからミシシッピー河に沿って南下し、途中道草しながらニューオルリーンズに行き、メキシコ湾に沿ってフロリダに出たこともある。仕事で毎週ニューヨークからノースカロライナのウイルミントンに通っていた頃もあった。其処からサウスカロライナに廻りチャールストンに足を伸ばしたことを懐かしく想い出す。辺りの道路は当時行きかう車も少なく、両側の松林の景観は日本とまったく変わらない。車を止めて林の中に入り独りで逍遙(しょうよう)する。深閑たる林間、梢(こずえ)を透して見る青空。日が落ちれば街道沿いの静かな小さいモーテルに泊まる。

ああ、在りし良きアメリカ。

しかしこの在りしアメリカは60年代半ばにして突然変異した。社会と人心が崩壊した。ニューヨークに住んでいた私の目にそのように映じた。当時私にはその変移の表面だけにしか目が届かなかった。何故そんな急激な変化が起こったのかと言う疑問は、眼前の仕事に忙殺されていた私の脳裏を過ぎることは無かったのである。

人生には自ら定められた行路がある。人はある定められた「時」に至らなければ「事」を悟ることは無い。今にして私はこのアメリカの急激な崩壊が決して自然の成り行きではなく、この国の建国以来のプログラムであったことを悟ることになった。アメリカの崩壊を眼前にした私はこの国の測られた行路に図らずも立ち会った訳である。かくて本書の成立に立ち会うことになった機縁は30年前にあったことになる。不明にしてその事に気づくのが遅すぎたが。

わがウェスト博士は大学では法学の他に歴史をも専攻されている。そして歴史を駆動しているのは一体何かと言う、最も根源的な疑問を常住に抱き続けてこられた。この疑問は総ての歴史家がその心底に抱き、その考究に心肝(しんかん)を砕くべきであるにも関わらず、ヘロドトス司馬遷の時代以来この問題に本格的に取り組んだ学者、思想家を知らない。もちろん納得のゆく体系的、包括的説明を与えたものはいない。著者は大学の学者ではない。にも係らずこの歴史学の根源に横たわる疑問に関心を抱き続け、終に熱海在のある宗教施設において喝然と大悟した。その始終は本書に詳しい。

私は博士が日本の熱海で天啓を受けられたということに深い印象を持つ。恐らくは、恐らくは人類に最後に残された真正の神の座(いま)すこの列島にえいて、「神」は時と処を得てこの人に降りたのではなかったか。

著者が少年の日から日本に惹かれたことの意味はまさしくこの一瞬の為に在ったのだろう。ハーンと違い、フェノロサと異なり、蘭生と袂(たもと)を別つ所以は、その法律実務家の知識経験が歴史洞察力と合体し、霊性による天啓を得て、前人未踏の真実の歴史認識に至ったと言う事実である。日本なかりせば本書はもとよりウェスト博士もまた在り得なかった。

本書を読み進まれる読者がただちに理解されるように、本書は今日に言う中東において普遍的アラブの中からヘブライユダヤ民族が現れ、ユダヤ教の中核ラビ達がすでに第一回離散のとき以来、如上(じょじょう:前述)の意図をもって広く地球上をくまなく徘徊して、自らの目的を達すべき遠大の計略を廻らして来たとする。

このような全体図を呑み込むは誰にしてもまったく困難であろう。とくに日本人には不可能と思える。だが、たとえばもっとも遠隔の日本古代史においてでさえこれを曇り無く見据えると、重要なる史実がポッカリと抜け落ちていることが分かる。何物かの手がこの間に侵入したことを推定せざるを得ない。況(いわん)や西洋古代史においておや。

既にしてウェスト博士は、そして私も早くこの結論に達していた。この事情は現代史にそのまま当てはまる。総ての現代史の講釈はペンキ塗りの薄い表皮を撫でているに過ぎない。真実は工作者本人(複数少数者)しか知らないのは当然だが、ウェスト博士がこの問題の捜査に適任である所以は、この人に検事の経歴があったと言うことである。この人類と文明に対する犯罪を摘発する為の準備として、これは正に天与のものであろう。

 

ここに本書を私家印行して親しき知友に配る。

 

                                     

             平成8年1月  S・U[5]

 

[5] このイニシャルは馬野周二氏であることはまず間違いない。(以下に氏の関係書籍を挙げる)
馬野 周二氏(うまの しゅうじ 1921~)は日本の技術者、著作家。工学博士、技術士。専門分野の論文、報告書の他、国際政治や国際経済についての著書を多数執筆した。父親は内務省官僚であり、朝鮮総督府の高官であった。(wikiより)

■以下に馬野周二氏の著書等をご紹介いたします。(以下は燈照隅による付記:wikiより)
著書

『石油危機の幻影 エネルギーをめぐる地政学』 ダイヤモンド社 1980年
『石油危機の解決 日本のエネルギー・システム』 ダイヤモンド社 1980年
アメリカ落日の論理』 ダイヤモンド社 1981年
アメリカ帝国の大謀略 日本に最も危険な国』 徳間書店 1982年
『大日本技術帝国』 光文社 1982年
『大凶慌 世界経済の破局が襲来する』  ABC出版 1983年
『衰亡の法則 文明・社会・国家・産業・企業』 PHP研究所 1983年
アメリカは信頼できるか レーガン政略の読み方』 ABC出版 1983年
『日米最終戦争』 徳間書店 1983年
『技術文明の法則 1990年代日本の条件』 ダイヤモンド社 1984
破局の論理』 PHP研究所 1984
『日米逆転の大予言 歴史構造の必然を明かす』 ABC出版 1985年
『栄枯盛衰の科学』 PHP研究所 1986年
『日本の危険 日米対決の深層』 東明社 1986年 (藤原肇との共著)
『日本に亡国の音(おん)が聞こえる』 経済界 1987年
『大転換の力学 1990年代 日本の条件』 PHP研究所 1987年 (『技術文明の法則』の新版)
『経済裏陰謀の常識 日本人は何も知らないのか』 青春出版社 1987年
『日本はどう進むべきか 1989年の大恐慌』 竹井出版 1988年
『嵌められた日本 日米相克の深層を抉る』 プレジデント社 1989年
アメリカの詐謀 日本の大愚』 天山出版 1990年 (『日米最終戦争』の新版)
『平成日本は本当に平成か 日本はどう進むべきか』 竹井出版 1990年
『米ソが仕掛ける騙しの経済』 かんき出版 1990年
『人類文明の秘宝「日本」』 徳間書店 1991年
『壊される日本 「心」の文明の危機』 プレジデント社 1993年
『村山政権と日本の命運』 本の森出版センター  1994年
『この日本人を見よ 在りし日の人たち』 フォレスト出版 1998年
『世界最終戦争論 文明と戦争の大潮流を解く』 東興書院 1988年、2000年
朝鮮半島の真実 日本人の魂朝鮮人の魂』 フォレスト出版 2000年


翻訳及び監訳(解説)

ロバート・C・ベックマン『ダウンウェーブ 大恐慌は避けられない』 徳間書店 1983年
エマニュエル・ジョセフソン 『ロックフェラーがアメリカ経済をダメにした』 徳間書店 1989年
ネスタ・H・ウェブスター『世界革命とイルミナティ』 東興書院 1990年
カーチス・B・ドール『操られたルーズベルト』 プレジデント社 1991年
エマヌエル・ジョセフソン『ルーズヴェルトが20世紀をダメにした』 徳間書店 1991年
『対日宣戦教書! 暴かれた「悪魔の選択」 米CIAレポート「JAPAN2000」の深層を抉る』 徳間書店 1992年
ネスタ・H・ウェブスター『世界秘密結社(1)』 東興書院 1992年
ネスタ・H・ウェブスター『世界秘密結社(2)』 東興書院 1992年
ジェームス・パーロフ『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退 アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』 徳間書店 1992年
ジョージ・アームストロング『ロスチャイルド世界金権王朝』 徳間書店 1993年


論攷

『秀真伝講解 巻一』
『秀真伝講解 巻二』
『秀真伝講解 巻三』
『論攷集成 巻一 』
『論攷集成 巻二(全貌論文)』
『論攷集成 巻三 』
『20世紀の深層』(『月刊公論』の連載「深層を読む」収録)
アメリカ Vs 日独 経済闘争』
『論攷・エネルギー』
『エネルギー技術特論』
『歴史工学特論』
『日本の時代が来る』
『日米対決の構図』

 

 

国際秘密力000

※必ずお読みください

国際秘密力は以前「紫霄閣(ししょうかく)」と言うホームページに長らく記事として掲載されていた作品です。内容が非常に興味深かったため、私、燈照隅が全てのページをダウンロードし、ワード形式に転載・保存していたものです。ある日、友人にそのページを紹介しようとお気に入りのリンクを久々にクリックしたところ、「このページは存在しません」と表示され、とても驚きました。私の記憶ではそれは2015年頃でありました。

当HPにはコピーライトも
©Copyright Shishoukaku, all right reserved.
と表示されておりましたので、これまで当ブログに於いて公開すべきかどうか、非常に迷っておりました。

本年、2022年二月に露烏戦争が勃発し、ロシアが自国(国民と民族)の国益のため、ウクライナが国際金融勢力の利益の代理として戦争を始めたのをきっかけに、私は日本人が未だに戦後のGHQから強制されている人為的に閉ざされた言論空間に閉じ込められ、その保守や愛国の士までが、この戦争の本質を見誤っていることに衝撃を受けました。

私は当ブログに於いて、私自身が大変衝撃を受けたベントン・ブラッドベリー氏の「ドイツ悪玉論の神話」をはじめ、多数の「歴史の真実」を暴いて、歴史の真実、と言うよりも歴史の本質に気付けよかし、と暗に日本人に諭してきたつもりでした。別に上から目線ではありません。実際問題、歴史の真実などと偉そうに説いた所で、そんなものは超人でもない限りそのすべてを知る術もないことなのですが、それに気付いた人間が、意識を変え、歴史認識を新たにすることで、自由な言論空間を構成し、健全で建設的な民族と国家を再建できるようになる、と言う願いを込めてこれまで努力してきたつもりでした。

然るにこの戦争の報道を見ていて私が気付いたのは、相も変わらず国際金融が作り上げた生ぬるい湯の中で少しずつ茹っていく茹でガエルのわが祖国とわが同胞なのでした。

このまま祖国が国際主義者の唯物論無神論・物質中心主義に埋没し、一昔前まで神国日本に普く坐しました天神地祇を他の一神教支配地域の神々のように忘れ去り、大和の精神性・霊魂を滅ぼしてしまうことなど、どうして黙って傍観して居られましょうか?

 

ことは、わが子々孫々のみならず、日本の天神地祇のみならず、世界中のこれまで忘れ去られた尊い神々と数多の滅亡した民族、何よりも人類の霊魂の存在の問題であり、人類がその霊性・精神性を後世に伝えられるかどうかの瀬戸際なのです。

 

そこで、一大決心しまして、本書を公開することといたしました。

私が「ドイツ悪玉論の神話」からユダヤの一部の人間に対する批判を始め、何故、一見根も葉もない象徴主義に魅入られたサリオンのHPに注目したのか、その謂わば「欠けている繋がりの鎖(missing link)」がジョージ・ランボーン・ウェスト博士の本書であることは、本書をお読みいただきましたら自ずと理解して頂けると思います。

また、紫霄閣を運営しておられた方々も私の意図をご理解下さったならば、剰え既に公開されていたHPの文章を今一度公開することにご異存なかろうと誠に勝手ながら事後承諾を戴けるものとさせて頂きます。

 

なお、本書については、1970年代に分っていたこと、ウェスト博士が御存知であったことがその基盤になっており、一部に新たに解明されたことや、間違って解釈されていたことなどがあると思いますが、1970年代のウェスト博士の思索が元であることを念頭にお読みくださいますよう、お願い致します。(本の発行は平成八年)

       令和四年三月 燈照隅

 

世界世論に関する法廷のための論議
  大和魂を持つ日本人に捧ぐ

 

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Dr. George Lamborn West
故ジョージ・ランボーン・ウェスト博士 (1929年~2009年11月12日)

「私は日本人になりたい」「どうしてですか?」
「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから私は日本へ来たのです。もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」・・・ ―難波江通泰著(なばえ みちやす)「ウヱスト博士の想ひ出」より―

 

                                *          *          *
(ジョージ・ランボーン・ウェスト博士は著者(燈照隅)がどうしても連絡を取りたいと願い、その近況をネットを駆使して調べたのですが、誠に惜しむらくは、2014年のある日、2009年11月12日に逝去されていたことを知りました。博士のご冥福をお祈りし、その事績を生かすべく生きてゆくことをお誓いしました。
そして、ここにその時確認した死亡記事を転載いたしました。)

George Lamborn West passed away peacefully November 12, 2009 at the age of 81.  Mr. West was only child of W. Fred and Mary Lamborn West of Bracketville, Texas. He graduated from TMI, earned his BA, LL.B and JD degrees from UT Austin with post doctoral studies at SMU and Harvard University. Mr. West was an international Lawyer and Educator in Texas and Tokyo. He is survived by his devoted wife Chioko of San Antonio, his son, Thomas Mellen West and wife Susan; daughter, Angela West Brooks ; and granddaughter Amelia Zarrilli, all of Dallas, Texas. Memorial donations may be made to The San Antonio Food Bank.

Published in Express-News on Nov. 18, 2009

 

ジョージ・ランボーン・ウェスト氏は2009年11月12日安らかに永眠した。享年81歳。ウェスト氏はテキサス州ブラケットヴィルのW・フレッドとメアリー・ランボーンのウェスト夫妻の一人っ子であった。彼は、TMI(テキサス州サン・アントニオにある高校で、監督派(エピスコパル)系の前のテキサス少年士官学校)を卒業後、UT(テキサス大学)オースティンにて学士号BA、法学士号LL.B及び法学博士号JDを取得し、その後、南部メソジスト大学とハーバード大学で博士課程修了後の研究に携わった。氏はテキサスと東京に於いて国際弁護士であり、教育者であった。ご遺族は、サン・アントニオ在住の献身的な千代子夫人、ダラス在住の、御子息トーマス・メラン・ウェスト氏とスーザン夫人、御息女アンジェラ・ウェスト・ブルックス夫人、そして孫のアメリア・ザッリーリさんである。追悼寄付金は、サン・アントニオ食糧銀行にて可能。

―2009年11月18日 エキスプレス新聞に掲載の記事より(拙訳)

 

コロナ脳覚醒の為の特別編:イルミナティの誓い

「イルミナティの誓い」:(会員を「我等」、会員以外を「余人」で表現している。)

それは余りにも大きく余りにも広大な幻想となり、余人の知覚から逃避する。それを見るものは、狂人と思われるのである。我等は我等の間の繋がりを余人から隠すため、別々の戦線を造らむ。我等は幻想を生かし続けるために繋がりなきが如くに振舞わむ。我等が目標は、我等自身に疑念をもたらさぬよう、一度に一滴ずつ達成されよう。これはまた余人に起きる変化を見ることをも妨げるであろう。

我等は絶対的なるものの秘密を知る故、常に余人の相対的な経験の分野の上に立つであろう。我等は常に共に働き、血と秘密により結ばれ続けるであろう。口外するものには死が来たるであろう。

「我等はその逆(延命、心を強めること)をしているように見せかけながら、余人の命を短く、心を弱く抑えるであろう。」我等は、余人にその起きつつあることを悟られぬよう科学の知識と技術の巧妙なるやり方を用うるだろう。我等は食糧と水、それに空気に軟金属、老化促進剤、鎮静剤を用いるであろう。余人は、至る所で毒に包(くる)まれるであろう。

軟金属は余人をして耄碌を起こすであろう。我等は我等の多くの戦線からその治療を見出す約束をするが、反ってもっと毒を盛るであろう。毒は余人の皮膚と口より吸収される。毒は余人の心と生殖機能を破壊するであろう。これら全てより余人の子供は死産となり、我等はこの情報を隠匿するであろう。

毒は余人の周りのあらゆるもの、余人が飲むもの、食べるもの、呼吸するもの、着るもの全てに隠されるであろう。余人は遠方を見ることが出来るので我等は毒の投与に巧妙であらねばならない。我等は楽しい印象と楽音を以って毒が良い物であると余人に教えるであろう。余人が尊敬するものは助けるであろう。我等は毒を推し進めるために余人を集めるであろう。余人は我等の製品が膜状に使われているのを理解しそしてそれに慣れて行き決してその真の効果を知らないであろう。余人に子供が生まれるときは、我等はその赤子の血に毒を注入し、余人にはそれが助ける為だと説得するだろう。我等は早くから始めるであろう、未だ余人の心が若い時、我等は子供が好きでたまらないもの、甘いものを以って余人の子供を標的にするであろう。彼らの歯が虫歯になれば我等は子供の心を殺し、将来を奪う金属でそれを詰めるであろう。彼らの学ぶ能力がその影響を受ければ我等は更に病気になり、他の病気を誘発する薬を創り、更にその為の薬も創るであろう。我等は余人を我等の力の前に従順でひ弱にするだろう。余人は憂鬱に、緩やかに、肥満に成長し、我等に助けを求めに来れば、我等は余人に更なる毒を与えるであろう。我等は余人が内なる自己と繋がることが無い様に、余人の注意をカネと物質に向けるであろう。我等は余人が決してその一体性を持たぬように余人を淫乱、外面的悦楽とゲームで注意散漫にするであろう。余人の心は我等に属し、余人は我等の言う通りを行なう。余人が拒めば、我等は余人の生活に心変わりする技術を組み入れる方便を見出すであろう。我等は恐怖を武器として用いるだろう。我等は余人の政府を打ち立て、反対勢力もその内部に打ち立てるだろう。我等は両側共に所有するだろう。我等は常にその目的を隠匿するが、その計画を実行するだろう。余人は我等の為に労働を為し、我等は余人の骨折りから繁栄するであろう。

「我等の家系は決して余人と交わらないであろう。我等の血は常に純粋でなければならぬ、それがしきたりである故。」我等は我等に必要な時は余人を互いに殺させるであろう。我等は余人を教理や宗教を通じた一体性から引き離しておくであろう。我等は余人の生活のすべての面を統制し、余人が何をどのように考えるかを指図するであろう。

「我等は、余人を親切に優しく導き、余人が自分たち自身を導いている様に思わせるであろう。」

我等は我等の派閥を通して余人の間に敵意を煽るであろう。余人の間に光が輝くとき、我等はそれを嘲りか死か、何れか我等に最善の方を以って消し去るであろう。我等は余人をして互いの心臓を引き裂かしめ、子供を殺さしめるであろう。我等はこれを憎しみを同盟者として、怒りを友人として成し遂げるであろう。憎しみは余人を完全に盲目にし、我等が余人の統治者として起こす余人の紛争からはそれが決して解らないであろう。

余人はお互いに殺し合うのに忙しいであろう。余人はその血の風呂に浸かり、その隣人を我等が良いと思う限り殺すであろう。我等はこれにより大いに利を得る。何故なら余人は我等を見ず、余人には我等は見えないからである。我等は余人の戦争と余人の死により繁栄し続けるであろう。我等はこれを我等の目標が成し遂げられるまで幾度も幾度も繰り返すのである。我等は余人を印象と音を通じた恐怖と怒りの中で生かしめ続けるであろう。我等はこれを成し遂げねばならず、あらゆる手段を使うであろう。その手段は余人の労働により提供されるであろう。我等は余人をして同士をそしてその隣人を憎しませるであろう。我等は常に余人から我等は一体なりと言う神の真実を隠すであろう。これは余人が決して知ってはならぬ!余人は色が幻想であることを決して知ってはならぬ。余人は常に余人らが平等でないと思わねばならぬ。一滴一滴、我等は最終目標に進むであろう。「我等は余人を完全に統制するために、余人の土地、資源、富を接収するであろう。」我等は余人にその持っている自由を少し掠める法律を受け容れるように欺くであろう。「我等は余人を永久に閉じ込める通貨の仕組みを打ち立て、余人とその子供たちを負債状態に置くであろう。」余人がみんな一緒に追放する時、我等は余人の犯罪を告発し、世界に違う話を提示するであろう。-我等は全ての報道を所有しているからである。我等は我等の報道を用い情報の流れと余人の感傷を我等に都合よく統制するであろう。余人が我等に蜂起すれば我等は虫けらのように余人を打ち砕くであろう。何故なら彼らは虫けら以下だからである。余人は武器もなくどうすることもできないであろう。

我等は我等の計画を実行するために余人の人材を用いるだろう。我等は余人に永遠の命を約束するが、余人は決して永遠の命を得られない。何故なら余人は我等の内ではないからである。採用者は「初歩加入者(initiate)」と呼ばれ、より高い領域への移行の虚偽の儀式を信じることを教え込まれるだろう。この集団の構成員は決して真実を知ることなく、我等と共に一体であると考えるであろう。

余人は決してこの眞實を学んではならぬ。何故なら余人は我等を裏切るからである。余人の功績には地上のものと偉大な肩書を以て報いられるであろうが、決して不死身とはならず我等の仲間にならないし光を受けて星を旅することもない。余人は決してより高い領域に達しないであろう。何故なら余人の類(たぐい)の殺人(つまり余人同士の殺人)は悟りの領域への通路を妨げるからである。これは余人には決してわからぬ。

眞實は余人の顔から隠され、余りにも近すぎて余人には焦点が合わず、気付いた時にはもう遅い。そう、自由の幻想は余りにも壮大で、余人は自らが我等の奴隷であることが分からないであろう。

「すべてが落ち着くと、我等が余人の為に創作した現実が余人を所有するであろう。この現実が余人の監獄となろう。」余人は自己欺瞞の中で生きるであろう。

我等の最終目標が成し遂げられる時、新しい支配の時代が始まるであろう。余人の信念が余人の心を束縛する、我等が太古の昔に打ち立てた信念が。

然し余人が我等と同等であることを万が一見出せばその時、我等は滅亡するであろう。余人はこれを決して知ってはならぬ。余人が一緒になれば我等を征服することが出来る事を万が一余人が見出せば、余人は行動を起こすだろう。余人は決して、我等が為したことを見出してはならない。何故なら、見出せば我等には逃げる場所が無くなる。何故ならば一度仮面が剥がれると我等が誰であるか容易に見えるからで、そうなると余人は我等を追い詰めるであろう。そして我等を庇護する者はいない。

これが我等が残りの人生に於いて、そしてまたこの現実は多くの世代とその寿命を超越するであろうから、未来の人生に於いても、拠って生きる秘密の契約である。血が、我等の血がこの契約を封印する。我等、天より地上に来るもの。この契約は決してその存在を知られてはならない。

この事は決して書かれたり喋られてはならない。何故なら、それが産む意識が造物主の激怒を我等に放つからである。そして我等は我等が来た深淵に投げ込まれ、未来永劫に亙ってそこに留まることになる。

-匿名イルミナティ構成員

安岡正篤 「政体と天皇制」

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表紙

 

天皇制 研究第一号(部外極秘)

天皇制護持の積極的合理的根拠に付各方面専門家の協力援助を得て徹底的研究を進め居る処本稿は金鷄学院々長安岡正篤氏より提出せられたる意見なり

昭和二十年十二月

             外務省調査局第一課長

 

 

政体と天皇

             安岡正篤

 

政体は学者に依って色々に分類せられるが、此処ではやはり一般に慣用せられている旧分類、即ち君主、貴族、民衆の三政体に分かってその長短得失に対する古来の学者の批判を点検してその立場から日本天皇制を観察してみよう。今や日本を挙げて天皇制存廃問題に賛否の論が喧しいが、随分感情や偏見を含んだものが多いから冷静に学問的に論述してみたい。

こういう場合誰しも先ず一応遡って調べて見るのはプラトンPlato、アリストテレスAristotleである。

 

プラトン

プラトンに依れば人間精神には形而上的要素と形而下的要素とがあって前者は人間を絶対者(イデア)ideaに結び、後者は人間を生滅流転の感覚世界に結ぶ。その前者を理性と言い、後者のうち理性の命に聴従して感覚世界を浄化向上せんとするものを意志とし、これに逆らおうとするものを情欲と言う。人生は理性の馭者(ぎょしゃ)により、意志の駿馬(しゅんめ)に鞭ち、情欲の衆を率いて絶対地(イデア)に帰往するにある。国家もこの意味に於て正しく一つの大なる人である。乃(すなわ)ち人間の情欲に相当する民衆があって、それに対して理性の命に従い、内[に]民衆の安寧秩序を保ち、外[に]外国の来侮を斥ける意志の権化としての文武官吏があり、この両者の上に最高の理性に当たる治者、君主がなければならぬ。君主は理性そのものなるべきが故に、最も高き道徳的精神の人、即ち哲人でなければならぬ。哲人にして国家に君主となれば、政治様式等はどうあろうとも問題はない。哲人が国家に君主とならぬ限り或いは現在の治者君主にして真に哲人とならぬ限り民衆は到底災厄を免れることは出来ないと言うのである。

専ら科学を旨とする現代人からはプラトンのこう言う主観主義的の考え方よりも、次のアリストテレスの客観的な説の方に遥かに学問的な魅力を発見されるであろう。

 

アリストテレス

アリストテレスは政治上質は量に伴うものであって民衆政治はどうしても少数政治に勝るものと考えた。

1. 多くの事例に於て民衆の輿論は如何なる個人よりもその判断が勝れているのが常である。

2. 多数は少数より腐敗し難い。例えば感情に駆られたり、人に欺かれたりして正道を誤ることが少ない。

3. 多数は徒党を作るがその性質は常に多数そのものの性質と同様に比較的善である。

と言うのが彼の見解である。政治の合理性を民衆の方に認めた者で世人に聊(いささ)か意外に感ぜられるのはマキャヴェリMachiavelliである。

 

マキャヴェリ

彼は君主の為に政道を説いたその有名な政治論の故に極端な専制君主政治論者の様に一般に考えられているが、彼はローマの政治学者ポリビウスPolybiusが唱えた様にかの三政体について各々正と不正との二種に分かち、都合六種政体の循環を説いて民衆政治をそのうちまだ一番マシなものと考えた。それは、

1. 無法の君主は無法の民衆と変わりはない。

2. 一時の激情に煽られて大事を誤り易い事も同様である。

3. 忘恩且つ恒心(こうしん)のないことについても亦然り。

4. 見識批判にかけては民衆は君主に勝る。

5. 官吏の選任は君主よりも民衆の方が誠実にやる。

6. 民衆は君主より善言に耳を傾け易い。

等の理由からである。然し乍らアリストテレスマキャヴェリとは正反対な見解も亦民衆について行われている。

 

トーマス・アキナスSt. Thomas Aquinusは多数政治は到る処不和と闘争であることを指摘し、トーマス・ホッブスThomas Hobbesも民衆の方が君主よりも小人に誤られ易いと観て居り、フィルマーRobert Filmerに至っては民衆政治を次の様に観察して君主政治を主張している。

1. 民衆政治と言っても実は一部少数の者が民衆の名を仮って野心を恣(ほしいまま)にするに過ぎない。

2. 民衆の性質は本来放縦に趨(はし)り易く随(したが)ってその政治は危険である。市場の実例に徴(ちょう)しても民衆政治は多くの賢人を害している。ギリシャアリスタテスやテミストクレスは追放され、ミルチアデスは投獄され、フォシオンは死刑となりローマでもシピオ兄弟は追放、タキトゥス、クセノフォン、キケロ等は民衆を「多頭の獣」と呼んだ程である。

3. 君主政治に付いては暴君の専政を恐れるのが常であるが暴君は責任を免れ難いこと到底民衆の様な好い加減なものではない。英国史上でもノルマン征服後六百年間二十六王一[人]も暴君と言うべきほどの者はない。英国の内乱は暴君よりも民衆の放縦から起こっている。

 前掲のホッブスは又、

1. 君主の方が政治から利己的目的を排斥して公益に合致せしめ易い。

2. 君主政治の方が政務を統一し簡捷にする便宜がある。

として君主政治に賛成している。こう言う現実問題の外にアキナスは彼独特の哲学から次の様に君主政治論を主張している。

 

アキナス説

自然の法則を観るに、凡て一元的に統制が行われている。肉体は心により、宇宙は神に依る。政治においても多数は到る処不和と闘争とである。どうしても絶対的な一者に依る政治、即ち君主政治でなければならぬ。但し君主政治は最良であると同時に一度暴君が出ると却(かえ)って最悪のものとなる。そこで君主政治には暴君を廃することを考えねばならぬ。之についてある者は偉大な人物をして暴君を放伐し、国民生活の脅威を除かしめねばならぬと言う暴君放伐論を主張する。然し之は聖書からも認められない。ペテロも言った様に人は正邪を裁判くべきではない。又不正なる主人とて罰することは出来ぬ。それは全く神の権に委ねらるべきことである。暴君の虐政に対する反抗は個人の判断に待つべきではなく、公的権威に依って決せられねばならぬ。然らばその公的権威は如何にして発動し得るか。

1. 国民が君主の選任権を有する場合、選任機関即ち元老院や議会で廃立することが出来る。

2. 上級機関有って君主を選任する場合、例えばローマ皇帝の下のユダヤの如き、皇帝に訴えてその暴君を排除することが出来る。

3. そんな手段が一切ない場合、その時は神に任す外はない。

人類の社会生活には統一秩序がなければならず、統一には中心(太極)がなければならぬと言う見地からダンテDanteも君主政治を主張し、これを推して世界の君主国の対立は人類の禍であるとして世界平和の為に世界国家Universal Stateを考え、世界は一大君主に統治されねばならぬとした事は有名である。

マキャヴェリと同様の意味に於て一般人の考え方から寧ろ意外に思われる[の]は、民主主義の本山と目されているルッソーRousseauである。彼は君主政治嫌いで民衆政治の謳歌者の代表的人物の様に解されているが、実は公正に各種の政治形態を観察して君主政体は理論として極めて好い政体であるが君主を世襲とすれば名主は出難いし、選挙とすれば毎に国家の不安動揺を招く。それに政道は民情に通ずるを要するが、君民の間は兎角疎隔(そかく)し易い。何れにしても困難な政体である。貴族政体は人民に貧富に依って堕落せず、門地や閲歴を重んずる淳厚な風俗があれば賢人を推戴し政務を簡捷(かんしょう)にする便があるが稍(やや)もすれば階級的反感闘争を免れない。これに対して民主政体は、

1. 人民相互が相知り得る程度に小国なること

2. 風俗が簡素で政務が煩瑣(はんさ)でないこと

3. 貧富の懸隔(けんかく)・階級闘争の為に組織が瓦解する憂いの無いこと

等の諸条件が備われば良いが現実に於て之程政変の起こり易い不安な政体はない。恐らく之は神のみに適する政体であって人間には適すまい。凡そ政治には集約するContract作用と解消するDissolve作用と相待(そうだい)的に含まれて居って、前者に傾けば民衆→貴族→君主と帰往するが、後者に傾けば君主→貴族→民衆に向かい遂に暴民政治Ochlocracyになってしまう。故に民衆政治程集約向上を図って常に正しく公共の福利を目的とする民衆の共同意志の実現に注意せねばならぬと説いている。

この点に就いてはモンテスキューも亦彼と意見を同じくしている。

これらの諸説を仔細に考察してくれば、政体の得失についてはもう十分論が尽くされている。君主政治が善いか民衆政治が善いかと言う様な事を抽象的に一般的に論じて見てもそれは無駄である。正しくは國民の教養、経済や宗教をも含めた生活状態、慣習、伝統、文化、つまり国民の歴史的展開に即してその國民の秩序、平和、自由、文化を促進し世界人類の幸福に寄与すべき共同善Common good[1]を達成せんとする文明社会の真意Real will[2] とも言うべきものを体現運用するに最も相応しい自然な政体が決定されねばならぬ。シュライエルマッハーSchleiermacherも三個の旧分類(即ち君主・貴族・民主)は毎に相矛盾する。例えば民主制で指導者は貴族制に類似し、又ペリクレスの様に一人が君主的支配をする事もある。君主制でも亦そうで、ミラボーも或る意味で君主制は共和制であると言って居るが正しくその通りである[3]と論じて居る。政治の成立活動する形式や理論にばかり拘泥するとこういう矛盾に陥る。

英国の元首相ボールドウィンBoldwinは我々は他の国民より勝れて居るのではない、ただ我々はたまたま他の国民と違った経験を得た。それは問題の解決に当たって暴力では得られないことを永い経験の結果お互いの隔意ない協力の下に充分の討議を以て解決すると言う方法を選定したことである。従って政党は理論闘争をやって相排斥するものではない。ある党が他の党を容れなくなったらもう憲政はお終いである。互いに礼を以て国家の為に民情を尽くして意見を交える処にデモクラシーの意義があるのである。ウィルソンが曾(かつ)て言った事がある。デモクラシーは誤って一個の理論か、政治の一形式に過ぎぬものの様に解されているがそんなものではなくて文明の一段階である。それは何かあれば寄り合うとか、物は相談とか言う漸次の風習から出来て居る。イギリス人が独りこの風習を自然に民政に移すことに成功したが他の国民達は大早計に之に突入(rushed into)していろいろ培養もせずに之を採用したのであると言い[4]、流石に教養の高い実際政治家の卓見である。日本は今敗戦の衝撃からウィルソンの所謂平生の培養もなくデモクラシーに突入rush intoして天皇制を単に政治の形式と多分に感情的な理論とに捕われ過ぎて論議して居ないであろうか。

[1] このcommon goodと言う言葉はT.H.GreenのPrinciples of Political Obligationから借りたものである。

[2] real willと言う言葉はBosanquetのPholosophical Theory of Stateから採った。

[3] 1814年ベルリン化学学会に彼が寄せた論文「種々なる政体の概念に就いて」に依る。

[4] 1939年4月カナダのトロント大学に於ける彼の英国及び英国人に就いての講演に依る。

 

 

日本天皇

歴史的に観察して日本人の素質をその美点から言うと元来明るい、理想主義の宗教的情緒に豊かな、然し乍ら決してそんな排他的で偏狭なものではなく寛容な人道的精神に富んで、洒落humourである。

どんなに自國を愛し誇りとしても他国を根から軽蔑し排斥するような性格とは凡そ縁遠い。一時的感情は別問題である。日本人の生活趣味を見てもすぐ分かることであるが日本人のように世界中の飲食を愛好して、支那のでも欧米のでもそれらの生活様式を容易に摂り入れる様な國民が何処にあるだろうか。儒教でも仏教でも基督教でも科学でも音楽、芸術でも何でも他國民の宗教や学芸をこれ程寛容に熱烈に共鳴した國民が何処にあるだろうか。それ丈[に]欠点をいうと、感情的で激し易く消気易く、ともすれば軽佻で、移り気である。唯終始一貫して日本民族は他國民と違った一つの経験を大成した。他民族が國家を為してゆく裡(うち)に絶えず主権者の安定を欠いて、所謂易姓革命を免れなかったにも拘らず、日本民族は西紀で言えば五・六世紀までに対立する諸豪族を完全に統一して元主たる地位を確立された皇室を推戴し、これを単なる政治的機関たるに止めず、プラトンの言葉を借りて言えば、民族最高の理性に当たる治者たらしめんとし、天皇より現実の個人的意思actual will, individual willの放恣を去って超個人的社会的意志とも言うべき真正意志real will民族社会成員の共同善common goodを実現せんとする一般意志general willの権化たらしめんとする哲学的道徳的努力が君民一致して続けられた。それは全く宗教的情熱を以て行われた。日本人は一切に内在する絶対者を認めてこれを神とし、国家の生成発展は神の生活であり、神は天皇にあって生きるとした。これが現人神の思想である。決して天皇を色も形も声もない神秘的存在とするものではない。象徴を愛するのは東洋人の特質である。東洋人は真理を抽象的概念的に思惟するに止まることが出来ない。必ずこれを象徴しようとする。天皇制の発達も一つはこの民族心理の特徴に因るものであって単なる偶像礼拝と同視することの出来ないものである。この民族的努力の長い間に皇室は次第に浄化せられて「私」を消失し、「公」に帰し、他国の王室に在る様な「姓」もなくなり、天皇の御名にも「仁」の字が付く様になった。「仁」とは造化creationを意味する。斯くして日本天皇には他国の君主の様な暴君と言うべきものが出現し得ない様になってしまった。フィルマーは英国史上案外暴君と言うべき程の者はないと言っているが、日本史上は全く無くなってしまった。

アキナスの憂いは日本に無くなったのである。勿論皇室の地位権威の確立後も、之を奪って新たに自ら取って代わろうとした者も無いではなかったがまるで問題にはならなかった。北条軍閥、足利軍閥の勢力威望を以てしても皇室を迫害はし得たが自らこれに代わることは思いも寄らず、結局皇族の何人かを求めて新天皇を擁立するに過ぎなかった。國民を個々に見れば愚昧なものが多くても全体となればそこに超個人的社会的精神が発現するから、所謂民の声は天の声voice public, voice Deiで真の権威は私心私欲からは到底長く成立しない。秦の始皇帝は朕より始めて子孫萬世に至らんと期したが、二代にして終わり、あれ程ハイル・ヒトラーと呼ばせて自己を神聖化し、フューラーの権威を確立しようとしたヒトラーも一代ではかなく敗れた。日本の皇室が連綿として絶えず、天皇の権威が絶対化したと言うことは実に地上稀有なことで、それは全く君民一致して天皇を単なる政治的地位に止めず、さりとてローマ法王の様に政治的地位より完全に分離もせず、真の創造的立場に中したaufhebenからである。

日本の政治上注意を要する危険は暴君ではなく、この天皇の権威を仮って専制を行う特権階級の出現である。自己に対する民衆の不服を抑圧するために天皇の権威を利用する事を「袞竜(こんりょう)の袖に隠る」という。これは日本の政治道徳上最も重大な戒律である。東條大将も始終自分の威令の行われ難いことには「聖慮」をふりかざした。然しこの事が度重なるにつれてその部下も国民も次第にその不当不敬を自覚して東條を非難し排斥する声が高くなった。東條一派の焦慮と反比例に國民が非協力的になって行ったのはここに一つの大きな原因がある。

日本の政治上もう一つの危険性は、政治の要職にある者が身の安穏を計る為に「累を皇室に及ぼす」と言うことを好い遁辞にして責任を逃れ無為無策に甘んじ國民の進取発展を阻害する事である。日本近代の重臣は一様にこの傾向が強かった。これがどれくらい國民の気分を腐らせたか測り知れぬものがある。戦争末期に民衆の間から盛んに起こった大権発動論、天皇親政論はこういう両様の政治家に対する民衆の不信と絶望との反映であって外国ならば当然民衆革命の起こるところであるが日本の國體ではそういう時に必ず民衆は創造的地位に立つ天皇に直結しようとするのである。こう言う弊害を調整する(checks and balances)為に政府に対して両院と枢密院とがあったのであるが、それが何れもその職責を尽くさなかったので政治的責任は主として政府議会枢密院にある。天皇に政治的責任はない。然し乍ら天皇の道徳として深い「自責」は御ありにならねばならぬ。歴代天皇詔勅を拝見すればその点実に厳粛である。

天皇は決して単なる政治的元首に止まるものではなく、前述の通り長い長い間に民族の生活と理性とから築き上げられてきた國家の創造的主体であって、国民から言えば天皇は絶対であるが天皇からは完全な民本主義である。只これを近代的デモクラシーの形に於て政治に組織運用するだけの十分な培養が欠けて居った。これを注意深く育て上げれば日本独得の天皇制の下に他国とは趣の異なったデモクラシーの運用が行われねばならぬ道理である。天皇制を廃すると言う様なことは民族の歴史を抹殺する事であり、天皇制以上のものは百年、千年かかっても日本人に出来るものではない。

世には日本国家成立期の科学的研究により、皇室は必ずしも民族の宗家でないとか、皇室と対抗する諸豪族を征服して始めて支配権を確立した特権階級であるとか、古事記日本書紀を多分に皇室の政治的意図の下に作成された記録として皇室の権威を否認し、天皇と國民との関係を薄めようとする学者もあるが、その時局に阿諛(あゆ)するか否かの学者的良心問題は別にして、そう言う研究は今日何等日本國家と天皇との関係を動かす事は出来ない。若しそう言う理由に依って天皇の権威を否認するならば、人間の祖先は猿と連枝(れんし)である。英国民の祖先は海賊である、アメリカの先達(パイオニア)は略奪者であるからと言う理由で人間の権威や文明の意義を無視するに侔(ひと)しい。人類の歴史的展開の意味を知らぬ非学問的見解と言わねばならぬ。日本人もボールドウィンやウィルソンの説いた様に自然にして真実な生活の中から注意深く政治を育て、一朝一夕の激情偏見を以て永久の不安と混乱とを招かぬ様にせねばならぬ。

 

 

 

女イルミナティ31(論説1~4完)

黒い貴族 ―多くの領土と国家において、私利私欲の専制的支配者― の家系を暴露すると、彼らが猶太人でもキリスト教徒でもなく、そうであったこともない、と言うことの認識がまず必然的となる。彼らは単にプロテスタント教徒やカトリック教徒のふりをしているだけだ。彼らの行動は単にその目的のための手段であり、世界支配を活発化し維持する実益政策の問題なのである。

自分から買って出た寡頭支配者が用いる記号を読み解くことは彼らの出自と目的を調査研究する我々の一助となる。これには、ピラミッド、五芒星、赤い十字架、獅子と一角獣、白馬、双頭の鷲、双子の龍(ロンドン市の記章に見られる)、三つの獅子の意匠、髑髏と骨、(女神)ブリタニアの座像などがある。

我々がアルスターの赤い手やダビデの星に見たように多くの彼らのお気に入り記号は古代エジプトアクエンアテンとアテン信仰者の時代まで遡る。そしてその彼らは最後にはエジプトから排除され、流浪の身となった者たちであった。

エジプトでの堕落した統治が崩壊した後、セト-アテン信仰者は他所で再起するために西方に向かった。彼らの子孫は今日に至るまで、ビルダーバーグ会議欧州委員会世界銀行などの非人間的な組織を経てかなりの権力と財力を享受して来た。彼らの自発的代理人はあらゆる國、政府、団体、企業、大学に見いだされる。彼らは屡々、宗教や政府の最高責任者であり、そればかりか、博愛主義的組織や公共の慈善団体の網組織を通しても働くのである。彼らの富の大部分は、公衆には知られていない海外の銀行組織同様、ベルギー、イタリア、スイスのような国々に極秘にされている。

彼らの主要な記号の一つが双頭の鷲である。それは一つの世界の半球からもう一つに延び、東方から西方に延びる彼らの支配を表す。世界の心と魂を引き裂き、その目覚めには灰と廃墟しか残さない偉大な死と破壊の鷲の下に隠れた彼らの傀儡の主人に、全ての人類は勤勉に仕えるのである。

 

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掠奪性の双頭の鷲の像は多くのヨーロッパ国家の記章に見られる。通常、神聖ローマ帝国の記章ととられるが、それはキリスト教の記号ではない。それはカトリックプロテスタント両方の寡頭支配者の楯と記章に現れる。それはまた、メーソン33階級の印でもあり、プロテスタントのケント公爵(現女王の従兄弟)の着物にも、そして他のフリーメーソンのアルファロッジの幹部の着物にも見られる。それは病院騎士団の記章であり、その病院騎士団は著者の意見では、狡猾で裕福な聖職者に支配された結社である。それは、もう一人の所謂プロテスタントであるヴィクトリア女王のために鋳造された硬貨に現れる。しかし、それは女性の記号であるか? ヴィーナス(金星)のカルトを象徴する王冠の上の十字架と宝珠、そして同じく女性を示す逆三角形に注目しよう。(それはまた、冥界の主であるセトと「神々」に仕えるセト信仰の聖職も表わす。)剥き出しの剣は(アメリカの印章の矢と同様に)排除されたアテン信仰者の復讐の渇望を表す。それはまた、シュライナーの選ばれた記号でもあり、「去勢された」(高位に昇った)男性の姉妹同胞に仕える召使いを表す。三重の十字架はスコタ王女を表し、そのスコタはフリーメーソンスコットランド儀式がその名に因んで自らを名付けた王女である。これらの記号について詳細な研究は、著者の女イルミナティの番組を視聴されよ。(詳しくはこちら:https://unslaved.com/female-illuminati-program/


結論に当たり、著者は、世界支配の真の構造は、著者がここでの四つの論説に表した点を分解解析すれば、完全に見抜かれている、と主張する。

テンプル騎士団は、その言葉の常識的な意味合いから、決して心から誠意のあるキリスト教徒ではなかった。彼らはその成立のあと、ある時点で極秘でナザレ宗派とユダヤ教に改宗後、ナザレ宗派のイデオロギーを信奉したエデッサの君主と提携した。そうすることで、これらの集団はローマのエリートと、その主な神話拡散者であるヨセフス・フラウィウスの助力により編み出された教皇キリスト教の類と対抗する立場になった。

長い間、ナザレ-エデッサ派(東方イルミナティ)と教皇主義者は競争相手(敵対者)であった。然しながら、19世紀の終わりにこの二つの集団は、同じ讃美歌集から歌い始めた。この連盟を認識することなく、現代の時代を理解することは不可能である。

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14世紀にテンプル騎士団が禁制になった後、彼らの召使い(聖職者)は結局のところ世界の支配を掌握し、その後すぐに幸運にも黒い貴族として知られる、その多くがエデッサの君主から系統を引いた、王家の網組織と提携した。

「ド・モレーの希望は、テンプル騎士団が他の名前の下に再起することであった。その名前とは、伝承によると、フリーメーソンである。厳格遵守メーソンは、その儀式と階級をテンプル騎士団を参考にして組織した。」―グレン・マギー著「ヘーゲルと秘伝の伝承」

この聖職者は結局、成功裡に病院騎士団(マルタ騎士団)に潜入し、それを乗っ取り、それ以後、シャブタイ派フリーメーソンとの同盟を交渉し、口語的にイルミナティとして知られる強大な破壊的陰謀団(カバル)を形成した。

テンプル騎士団メロヴィング朝)とヨーロッパの他の支流の貴族との重要な繋がりは11世紀、第一次十字軍の折、ユーグ・ド・パイヤン、ゴドフロイ・ド・ブイヨン、それに残りのメロヴィング朝テンプル騎士団が、地中海を支配したイタリアの超裕福な商人から物資供給され、援助され、友人となったときに始まった。この利益となる繋がりは今日まで維持されている。これらの集団の途方もない富は、多くの海外の銀行は言うに及ばず、スイス、ベルギー、マルタのような国々に隠されている。

この富が共産主義の形成の背後にあったが、ロシアでの失敗の後、多くの改造を経た。そのもっとも成功した触手がフェビアン-マルクス主義であり、その信奉者は全地球を社会主義化する委託を受け、その過程はほぼ完了している。この企てに於ける彼らの主な武器は、日々何百万の、世界で最も強大な秘密結社の歴史、信念、策謀に全く気付かない人々の心を調整することに成功しているメディアである。

イルミナティの結社員は、表面上は全く猶太人、キリスト教徒、イスラム教徒のように見えるが(そして結社員であることなど全くわからないが)、彼らの狡猾な偽装は信頼できるものではない、と言うことを (陰謀追及の)初心者は気付く必要がある。我々は彼らの明白公然の顔色や忠誠心に惑わされてはいけないのである。彼等自身の(使う)記号が同じくらい多くを語っているのである。

著者は、読者に女イルミナティの番組を見ることを推奨する。それは、シオン修道会としても知られる死の姉妹同胞の役割に焦点を当てる。この番組で、著者は世界で最も強大な秘密結社によって用いられる記号を解読し、それが圧倒的に女性であることを明かす。一度この事実が把握されれば、誠実な研究者は、女イルミナティの存在と影響力をそれが単なる著者の想像上の虚構であるかのように装うわけにいかなくなり、説明しないわけには行かなくなるであろう。

 (以上で論説4が終了です。翻訳途中にサリオンはHPに論説5~7を追加したようですが、これらについては今回は翻訳予定がありません。そのうちにまた時間を見つけて翻訳作業を行えれば公開したいと思っております。長編の連載をお読みくださいましてとてもありがたく、また、大変お疲れさまでした。 ―燈照隅)

 

***

 

巻末付録:リンクと参考文献リストなど

注:黒貴(BN)=黒い貴族(Black Nobility)

主要なリンク:
イルミナティ(番組)Female Illuminati (Program)
世界革命への序説Introduction to World Revolution 

ラルフ・エリスポッドキャストThe Ralph Ellis Podcasts
東方イルミナティThe Eastern Illuminati
アイルランドの悪魔的カルトIreland's Satanic Cults
イルミナティ:事実か作り話かIlluminati: Fact or Fiction
ミトラのカルトThe Cult of Mithras
憲法のペテンThe Constitution Con
赤い教皇The Red Papacy

追加のリンク:
エデッサの歴史History of Edessa
エデッサ地方Province of Edessa
メロヴィング朝The Merovingians
オランダ東インド会社Dutch East India Company
イギリス東インド会社British East India Company
阿片戦争Opium Wars
英国と教皇庁Britain & the Holy See
超モンタノス派Ultramontanism
マリア神学Mariology 
仲介者としての聖母マリアMary as Mediatrix
マリアの僕会(結社)Servite Order
カトリック社会教化会Catholic Social Teaching
レールム・ノヴァールムRerum Novarum
ローマ教皇レオ13世が1891年5月15日に出した回勅の名称。日本語訳すると「新しき事がらについて」を意味し、「資本と労働の権利と義務」という表題がついている。カトリック教会に社会問題について取り組むことを指示した初の回勅として有名である。)
第一継承法Act of Succession
(第一継承法は、ヘンリー8世時代の1534年3月にイングランド議会が採決した法。正式名称は1533年王位継承法または1533年継承法。)
オットー・フォン・ハプスブルクOtto von Habsburg
(最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子で、長男。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子。ハプスブルク家の家長 1930年代のオーストリアにおける君主制復活運動を指導し、ナチス・ドイツオーストリア侵略計画に対抗した。)
カール・ハプスブルクロートリンゲンKarl von Hapsburg
ハプスブルク=ロートリンゲン家の現当主。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルクと、ザクセン=マイニンゲン公女レギーナの長男。最後のオーストリア皇帝・福者カール1世と皇后ツィタの孫。)
ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長Ursula von der Leyen
エリザベス女王の祖先Queen Elizabeth's Ancestry
チャールス皇太子の祖先Prince Charles Ancestry
ジョン・コールマン 黒貴についてJohn Coleman on BN

推薦図書:
エス:エデッサの王Jesus: King of Edessa
マグダラのマリアMary Magdalene
スコタ:スコットの女王Scota: Queen of the Scots
300人の委員会Committee of 300
欺瞞の外交Diplomacy by Deception
西洋の秘密の歴史Secret History of the West
英米の支配階級The Anglo-American Establishment
自由主義の尤もらしい起源The Specious Origin of Liberalism
人間の心にある火Fire in the Minds of Men
カトリック帝国主義Catholic Imperialism
ドープ・インクDope Inc

関連サイト:
文明のアイルランド起源Irish Origins of Civilization
ラルフ・エリス(主サイト)Ralph Ellis (Main Site)
ラルフ・エリス(チャンネル)Ralph Ellis (Channel)

黒貴の鍵となる人物:
Ethelbert of Kent ケント王エゼルベルト(550~616)
Edwin of Northumbria ノーサンブリアアングロサクソン人のエドウィン(586?~632)
Welf I of Bavaria バイエルン公ヴェルフ1世(1035?~1101)
Judith of Flanders ジュディット・オブ・フランダース (1033~1094)
Mathilda of Tuscany マティルデ・ディ・カノッサ(1046?~1115)
René de Châlon ルネ・ド・シャロン(1519~1544)
William I ウィレム一世(ウィレム沈黙公)(1533~1584)

Anne of Lorraine アンナ・ド・ロレイン(1522~1568)
Antoine of Lorraine 善良公アントワーヌ・ド・ロレーヌ(1489~1544)
René II ルネ2世。ロレーヌ公、バル公、ヴォーデモン伯(1451~1508)
Yolande of Lorraine ロレーヌのヨランド(1428~1483)
(註:ヨランド・ダンジューはYolande de Lorraineと呼ばれ、英語ではYolande of Lorraine となる。また、その娘のYolande は英国に嫁いだのでYolande of Lorraine と呼ばれる。ここのYolande は前者)
René d'Anjou ルネ・ダンジュー(1409~1480)
Isabella of Lorraine イザベル・ド・ロレーヌ(1400~1458)(ルネ・ダンジューの妃)
Charles II シャルル二世(シャルル禿頭王)(1364~1431)
John I ジャン1世(ロレーヌ伯)(1346~1390)
Adolf of Nassauナッサウのアドルフ(1540~1568)
(ナッサウのアドルフに該当する人物は次の6人居るがここではナッサウ伯アドルフを指す
・Adolf, King of Germany (c. 1255–1298) ナッサウ伯、神聖ローマ皇帝(1292~1298)

・Adolph II of Nassau (1423–1475) マインツ大司教
・Adolf of Nassau (1362-1420) ナッサウ-ディレンベルク伯ヨハネス一世の息子
・Adolf of Nassau (1540–1568) ウィリアム(ウィレム)一世の六男。ヘイリヘルレーの戦いで戦死。
・Adolph, Prince of Nassau-Schaumburg (1629–1676) ナッサウ-ディレンベルクのルイ・ヘンリーの息子
・Adolphe, Grand Duke of Luxembourg (1817–1905), ナッサウ公、後のルクセンブルク大公
Albert Iアルベルト一世(ドイツ王)(1255~1308)

Rudolf I ルドルフ一世(ハプスブルクのルドルフ)(1218~1291)
William I Elector of Hesseヴィルヘルム一世(ヘッセン選帝侯)(1743~1821)
Elizabeth of Thuringia 聖エルジェーベト(Elizabeth of Hungary)(1207~1231)
Ernest Augustus エルンスト・アウグスト(ハノーファー王)(1771~1851)
George I of Hanover ジョージ一世(ハノーヴァー朝イングランド王)(1660~1727)
Frederica of Hanover フリデリキ・トゥ・アノヴェル(ギリシャ王パウロス1世の王妃)(1917~1981)
Sophia of Prussia ソフィア・ティス・プロシアス(ギリシャ王コンスタンティノス1世の王妃)(1870~1932)
Juan Carlos of Spain フアン・カルロス1世(スペイン国王)(1975~2014)
Prince Michael of Kent マイケル・オブ・ケント(1942~)
Prince Bernhard ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト(オランダ王配)(1911~2004)
King Willem-Alexander ウィレム=アレクサンダー(現オランダ王)(1967~)

 

黒貴の重要な家系:
House of Habsburgハプスブルク家
House of Orange-Nassauラニエ-ナッサウ家
House of Hanoverハノーファー
House of Hesseヘッセン
House of Lorraineロレーヌ家
The Guelph Dynastyヴェルフ朝
The Black Guelphs黒いヴェルフ
Elder House of Welf 古ヴェルフ家
House of Welf (Guelph) ヴェルフ家
House of Welf-Este ヴェルフ-エステ家
Hohenstaufen Dynastyホーフェンシュタウフェン朝
Hollenzohern Dynastyホーエンツォレルン朝
House of Wettinヴェッティン家
Saxe-Coburg-Gothaザクセンコーブルク-ゴータ朝
House of Oldenburgオルデンブルク朝
House of Bowes-Lyon ボーズ=ライアン家
House of Mountbattenマウントバッテン家
House of Windsorウィンザー
House of Savoyサヴォイ家
House of Esterházyエステルハージ家
Kingdom of Hanoverハノーファー王国
History of Hanoverハノーファーの歴史
Holy Roman Empire神聖ローマ帝国
Monarchies of Europeヨーロッパの君主
The Teutonic Orderチュートン騎士団

 

世界に対抗する真実

女イルミナティ30

前に著者は教皇に言及し、それは何世紀も黒い貴族の敵対者であったと述べた。エデッサの王族 ―その女王に率いられた― のことで我々が知っていることは、大ペテン師のヨセフス・フラウィウスに捏造された猶太教「Lite」(軽猶太教)の流派(brand)に従った人々により、究極の力を否定された、ということである。ラルフ・エリスがその多くの驚くべき作品を通して示すようにヨセフス・フラウィウスの策謀が、我々が現在教皇キリスト教として知るものを導き出した。とても誤魔化しで紛い物であったが、この宗教の仕組みが秘密主義のゲオーニームとそのローマのエリート同胞によって権威づけられたのである。彼らはそれがイザス王(イエス)の第四宗派とそのナザレの信者を覆い隠すように手を尽くしたのであった。コンスタンティヌス大帝はその専制的な治世の間、この偽(にせ)のキリスト教が世界を支配することを確実にした。

 

 

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奇怪な集団

奇怪な集団 ―枢機卿の会議― はもう一つの世界に先駆けるセト-アテン信仰者の囲い込みであった。彼らの女性の盛装が古い女神のカルトを示唆していることに注目しよう。全ての聖職が秘儀の定義では「女性」或いは月で、男性と太陽である王族の対局にあった。全ての聖職は、従って、女の龍宮廷の支部である。ローマ教皇権はその不道徳な終身職権を通してマリア神学に扮した異教の教えを信奉したのである。二十世紀の初め、この狂信的教皇支部は終に弱体化し、侵入された。イエズス会と同じく彼らもまた今は献身的な社会主義者である。これは彼らが、エデッサの王族の子孫である黒い貴族に乗っ取られたことを意味するのである。(詳しくは次の四つのリンク:

https://infogalactic.com/info/Mariology
https://infogalactic.com/info/Ultramontanism
https://infogalactic.com/info/Catholic_social_teaching
https://infogalactic.com/info/Rerum_novarum

 

然しながら、時が経つにつれ、ヴァチカンは徐々にそして密かにテンプル騎士団-聖職者とそのシャブタイ派代理人により転覆されたのである。教皇ヨハネ・パウロ二世の時代までにそれは並外れて社会主義的であった。時を同じくして、世界の王族もまた、第四宗派の教えと一貫している社会主義的ものの見方と支配的歴史観を信奉し始めたのである。1970年代からこちら、我々は王冠(王族)も正装(聖職)もイデオロギー的に政治的にその立ち位置を変えて協力してきたことがわかる。どちらもフェビアン社会主義、国際主義、グローバリズムに参加したのである。NWO(新世界秩序)は神権政治と独裁政治と言う二つの手が同じ精神病的な脳に仕え、結婚するところから生まれるのである。

 

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赤い教皇と赤い王族

 赤い教皇と赤い王族が世界支配の次の段階を始めるために会談する。元々黒いヴェルフ家 ―女王の祖先― は熱心な教皇の守護者であった。それでは、如何にして大の保守の教皇と王家のどちらもがこんなにも短い期間で、こんなにも自由主義化したのであろうか? 何れにせよ、近代の王制の破壊の計画は、恐らく、ヴィクトリア女王の息子で女王エリザベス二世の曽祖父に当たる王エドワード七世の新構想であった。示唆的に、彼はローマに本部を置くカトリックの結社、マルタの騎士である。エドワードは教皇と会談した最初のプロテスタント英国王だった。彼はレオ13世1903年に会談した。その13年後、ロシアのツァーリが裏切られ暗殺され、彼の領土は殺人的ボリシェヴィズムにより破壊された。近代の世界の「民主的」政党は単に「マルクス主義 Lite」(軽マルクス主義)の御用拡散者に過ぎないのである。(詳しくは次の二つのリンク:
http://www.michaeltsarion.com/the-red-papacy.html
https://infogalactic.com/info/Edward_VII

 

 

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メーソンの鍛冶屋

 18世紀の終わりごろ、英国のメーソンが黒い貴族に刷新された協会を設立した。フェビアンの記号は政治的左翼と右翼が一緒になって、黒い貴族の夢想家により指示されたルシファー信仰のNWOを如何にでっち上げて来たかを明かしている。「メーソンの」鍛冶屋の乱れた衣服?と中央の狼が羊の着物を着ている絵に注目しよう。これらの煽動家は自らを社会主義者と呼ぶけれども彼らは普通の労働者のことなど一切気にしない。それとは逆に、彼らは人類の精神的奴隷化のためにしか働かないのである。(詳しくはこちら:http://www.michaeltsarion.com/an-address-to-the-dead.html

 

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共産党宣言

 19世紀を通して黒い貴族は狂信的革命家のカバルと集団がヨーロッパで猛り狂うように取り計らった。それは全てが世界支配のための総合計画の一部であった。保守的な政府は、不満を抱いた反逆者と社会的不満の大群を鎮めるため、どんどんリベラルになることを余儀なくされた。何十年もの間の絶え間ない叛乱と過激な無政府主義的運動の拡がりの後、舞台は共産主義の発生へと整えられた。

マルクスエンゲルスは、黒い貴族の代理人である大東社メーソン(イルミナティ)を通して、黒い貴族に資金提供され指示された。黒い貴族は世界革命を避けることを望み、自前の似非社会主義の銘柄を発明することを決心した。彼らは、世界中の自由主義的知識層と中産階級の不満分子を連合する政治制度を心に描いた。

保守的な人々とその国家が個人主義、自由、資本主義を好む傾向があることを認識して、新しい制度は、到底不可能な不合理な理想への遵奉は言うに及ばず、人道主義集団主義、国際主義、共同体主義を信奉した。政治的な模範よりも更に、彼らの刷新された民主社会主義は、セト-アテン信仰者の最早必要としない古い仮面である三つのアブラハムの宗教(猶太・キリスト・イスラム)を最後には、紛れもない世俗宗教と置き換えるように仕組まれていた。エリートは、近代人が伝統的な宗教に間もなく飽きるであろうことをしばらく前から気付いていた。1960年代に若者文化の振舞いはこれが絶対に本当であることを確認した。その(伝統宗教の)空白は埋めなければならず、新しく誂えた教理を注文通り作った。1917年にロシアを崩壊したそれが残りの世界をも崩壊させるように改造できる可能性がある。社会主義の新しい宗教(軽共産主義)は、然しながら、明らかに物質主義、快楽主義、虚無主義である。それこそが、人類を檻に閉じ込めて、非霊化するための計画なのであった。(詳しくはこちら:

Fire in the Minds of Men: Origins of the Revolutionary Faith - Kindle edition by Billington, James H. Politics & Social Sciences Kindle eBooks @ Amazon.com.

 

 

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EUの旗と処女マリアの頭の周りの星

 既に注意を促したが、EUの旗は、意図的にイエスの母である処女マリアの頭の周りの星を描くように立案された。勿論、元々の像は純粋に異教のもの、エジプトのものである。しかし、我々が実際にはマリアは女王ヘレナであったと分かると、これは全部繋がり、そして女家長の記号は完全な意味を成すのである。女王テア・ムーズの苗字オウラニアは「天国」を意味する。彼女の名前は「星の女王」或いは「天国の女王」として解釈される。これはテア・ムーズとヘレナの秘密結社の地位を暗示する。記号はEUがパルティア-エデッサの王家の子孫、つまり黒い貴族の直接の祖先の発明であることを明かしてくれる。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Flag_of_Europe#Marian_interpretation

 

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Ursula von der LeyenとMerkel(本名Kasner)

 優しい方の性?とんでもない、それは最初のヨーロッパ合州国の女王なのだ。2019年7月時点で女性が欧州委員会の委員長となる。ウルズラ・フォン・デア・ライエンの家系は裕福なドイツの貴族である。今や、遂に、記号が相応しくなるのだ。男性の働きアリが神殿の建設を終え、蜂の(巣の)女王が今やバルコニーにその姿を見せたのだ。万歳…勝利よ、こんにちは!(詳しくは次の二つのリンク:https://www.ctvnews.ca/world/von-der-leyen-confirmed-as-new-european-commission-president-1.4511330

https://infogalactic.com/info/Von_der_Leyen_(family_from_Krefeld)

 

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Jeffrey Epsteinとそのカリブ海の島にあるアラビア式「神殿」

 ジェフリー・エプスタインの奇妙なアラビア様式の「神殿」がカリブ海の島に建っている。島は、黒い貴族に仕えるシャブタイ派テンプル騎士団の重要な特徴である。エプスタインはサウジのパスポートを所持し、サウジの市民である。彼は一体本当は誰のために働いているのだろうか? 一体どこから来たのか? 彼を操作しているのはメディア王、ロバート・マクスウェルの娘、ギレーヌ・マクスウェルなのか? この島がその相応しく名付けられた「ヴァージン財閥」の首領リチャード・ブランソンの持つもう一つの島の隣にあるのは偶然なのか?(「ヴァージン」と言う言葉はこの意味では女性を指すのではなく男性の「カストラート(去勢者)」つまり姉妹同胞の召使いを指す) このろくでなしどもが頂点の王家と何の関係があるのか? 彼らは代理人か、周旋人か、悪徳商人なのか、或いはそれよりもっと悪人なのか?

ジェフリー・エプスタインがCFRと三極委員会両方の一員であることは、黒い貴族に直接支配されている組織他の組織同様、驚くにはあたらない。(詳しくはこちら:https://www.counterpunch.org/2019/07/15/jeffrey-epstein-and-the-collapse-of-europe/

 

この謎の神殿の変わったつくりは、エデッサの近くの古代アレッポにあるものとほぼ同一である。何という偶然だろうか。加えて、フリーメーソンのアルファロッジの一つは、島のクラブとして知られる。その最も著名な会員が(故)フィリップ殿下、アンドリュー王子の父親である。ケントのマイケル公(女王の従兄弟)は超秘密のマークメーソンの棟梁である。換言すれば、通常のメーソンのはるか上に秘密結社が存在するのである。そしてそこには王族とその選んだ子分だけが属するのである。これらのロッジの結社員は世界中の全ての政府や組織の役割と政策を指令しているのである。これこそが本当のイルミナティである。(詳しくは次の二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Order_of_Mark_Master_Masons
http://american_almanac.tripod.com/largest.htm

 

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アンドリュー王子とその仲間ギレーヌ・マクスウェル

 血に飢えて見えるアンドリュー王子とその仲間ギレーヌ・マクスウェル。彼女はその父と同様、猶太人と言われている。しかし、彼らの祖先をもっと遡るとどうであろう? 彼らがパルティア人或いはシリア人であったならばどうであろう? それは彼らのイスラムの記号への偏好やサウジアラビアの心からの支持を説明しないだろうか? ギレーヌは頻繁に、黒い貴族に仕えるシャブタイ派の中心人物であるロスチャイルド卿のお供をしている。

 

女イルミナティ29

          *

 

セト-アテン信仰者のパルティア支流に話を戻すと、二人の女性が指導的人物として登場する。それは女王テア・ムサ・オウラニアThea Musa Ourania*とその娘、アディアベネの女王ジュリア・ヘレナである。彼女らは紀元1世紀に生き、権力に狂った女族長クレオパトラ7世の縁者であり、彼女らはローマ帝国全土の支配権の合法的主張者であった。猶太教に改宗して後、ヘレナはエデッサに住み、その息子をローマ帝国の王位に就けようと策謀し、それによって自らの名において世界の支配者になろうとした。

 

 

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 Thea Musa Ourania*

*原文はThea Muse Ourania

 女王テア・ムサ・オウラニア*(紀元前44年生まれ)はラルフ・エリスに明かされたところでは、聖書のイエスの祖母に当たる。収奪性利己主義の女王クレオパトラ七世の親類として彼女とその娘ヘレナは著者が東方イルミナティと呼ぶものの最高の女族長であった。彼女らの歴史の言い伝えは、新約聖書に、そしてヨセフス・フラウィウスの作品中に、隠された形式で部分的に開示されている。(テア・ムサも、その母親同様にクレオパトラとして知られていた。テアは「女神」を意味する。)シリアにあった彼女の國が本当の「天の國」であった。彼女の娘、女王ユリア・ヘレナ・オウラニアこそが聖書の処女マリアであった。

これらエデッサの王族は元々はエジプトのアテン信仰者であった。紀元一世紀にシリアの住人であった間に彼らはユダヤ教の改宗し、第四宗派**のナザレのキリスト教に支援の手を差し伸べた。これが彼らをして、今ローマに本部を置く教皇キリスト教として我々が知っている第五宗派に対抗せしめることになった。

(注意:当時のエジプトからペルシャには、クレオパトラを名乗る女性王族は多く居た ―燈照隅)
*原文はThea Muse Ourania。
Thea Musaとしても知られるMusa(又はMousa)は、紀元前2年から西暦4年までパルティア帝国の支配的な女王であった。 元々はイタリアの奴隷の少女だったが、ローマ皇帝アウグストゥス(27BC〜14BC)からパルティアの君主フラーテス4世(37BC〜2BC)への貢ぎ物として贈られた。 彼女はすぐに女王になり、フラーテス4世のお気に入りになり、Phraataces(Phraates V)を出産した。 紀元前2年、彼女はフラーテス4世を毒殺し、フラーテス5世と一緒に
自分自身も帝国の共同支配者となった。 彼らの治世は短命であった。 彼らは、オロデス3世を王として戴冠させたパルティアの貴族に追放された後、ローマに逃げることを余儀なくされた。
(これって、そのままヒクソスの出エジプトの話の縮小版ですな。 ―燈照隅感想)
**当時の猶太教には、パリサイ派サドカイ派エッセネ派の三つの宗派が存在した。そこに、ヘロデ王の裏切りでローマの属州となった猶太地方の独立を叫ぶ「熱心党(Zealots)」がガリラヤに起こり、これをナザレの第四宗派と呼んだ。彼らは一時的にエルサレムを奪還したが、却って第二神殿の破壊を招いたローマの再占領に繋がり、西暦70年に神殿は破壊された。
これに対して、ローマに移って「キリスト教」によってローマを逆に乗っ取ろうとした(そして成功した)猶太教(教皇キリスト教)を第五宗派と呼んでいるようだ。(―燈照隅)
福音書に出て来るイエスの足跡はこの第四宗派の起こりからエルサレム奪還に似せてある。そして、パウロの登場とペテロの殉教により、ローマは猶太教第五宗派(キリスト教)の支配に陥る ―燈照隅感想)

 

ラルフ・エリスが非常に巧みに証明するように、このパルティア-エデッサ王家のことは、新約聖書と猶太人歴史家で、自らもこの王家の群小の一員であったヨセフス・フラウィウスの作品に暗号的に語られている。彼らは事実上歴史から消されたが、この王朝は多くの歴史的登場人物と出来事に繋がっている。ヒクソスの貴族の子孫として、彼らはバビロニアパレスチナペルシャ、シリア、アルメニアギリシャ、フランス、ドイツ、オランダ、ブリテン、そして言うに及ばず他の多くの場所、の強大な力と密接に繋がっているのである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Edessa

勿論、ラルフ・エリスにとって重要な中心の論題は聖書のイエスの身元(正体)である。エリスが関係する限りにおいて、イエスは、アディアベネの女王ヘレナの息子で他ならぬエデッサのイザス王であった。

 

 

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 エデッサの王でローマの王位の主張者である本当のイエスの頭部を描いた古い硬貨。彼を「ユダヤの王様」と呼んだ、茨の王冠に注目しよう。

 

エリスの研究は魅力に満ちていて適切であるが、著者はその話の中で、世界の秘密の歴史と黒い貴族の起源の問題に関しては、女性の登場人物が遥かに興味深く、重要だと気付いた。

女王ヘレナとその子孫の秘密結社は後に悪名高きシオン修道会テンプル騎士団を生んだ原型だったのだろうか? これらの結社は、古代の龍宮廷の女を網羅する支部使徒となったのだろうか、それとも龍宮廷の血統子孫であろうか? 神殿の丘でのユーグ・ド・パイヤンとその九人の仲間の振舞いは我々をそう信じるように導くのである。エルサレムで彼らが発掘した遺物はイエスの母である女王ヘレナのものであったのか? テンプル騎士団の悪名高き女性の頭蓋骨はマグダラのマリアのものなのか、それともその母のものなのか?(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

 

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 メロヴィング朝テンプル騎士団の祖先であるシカンブリ系のフランク族は女家長制であった。メロヴィング朝テンプル騎士団が髪を長く伸ばしたのは、彼らが女王ヘレナとその有名な子孫の率いられた、ナザレの宗派の使徒であったからであろうか? テンプル騎士団(とメロヴィング朝)は正真正銘のエデッサの王家の血統子孫だったのだろうか? 何れにしてもテンプル騎士団、メーソン、王家に使用される圧倒的多数の記号は男性ではなく、女性である。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

ラルフ・エリスによって明かされた最も好奇心をそそられる新事実はマグダラのマリアの正体に関わる。実際、彼女は女王ヘレナの娘でイエスの姉妹であった。その著書「マグダラのマリア」でエリスは彼女がフランスに移住しそこで独自の血統を始めたことを示した。この母系が我々の今メロヴィング朝として知る人々と婚姻関係を持った。この家系がまた、ギリシャアルカディア)のベニヤミン族、メリトアテン時代以来のブリテンの住人であったゲール系アトン信仰者の貴族のような他の強大な支配集団(Concerns)とも婚姻関係になった。フランスから彼女の血統はドイツとオランダに移動し、悪名高きハノーファー王朝やオラニエ家を築いた。オラニエ家の「オレンジ色」は、マグダラの血統の主要な記章であった。

 

 

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 聖書に出て来るマグダラのマリア赤毛とオレンジ色の衣装で描かれる。彼女はオランダのオラニエ家の祖先であり、元はフランスでそれ以前はエデッサ(シリア)とアディアベネ(パルティア)から来た。これらの家系や個人のことをカトリック教徒やプロテスタント教徒と考えるのはその言葉の常識的な意味から充分ではない(無理がある)。それはこれ等の寡頭支配者に支配されている大衆にとってのみ充分である。実際、彼らはどんな種類のキリスト教徒でもなく、セト-アテン信仰者であり、太陽の暗黒面への献身者である。かれらは今も昔もヴィーナス(金星)-ルシファーの信仰者なのである。

 

色に関しては、パルティアのオウラニア女王は「金色の女王」として知られていた。

テンプル騎士団の陰謀を暴露する以前の試みは一人の女性主役であるマグダラのマリアに焦点を当て過ぎ、女結社のことには触れなかった。これは修正が必要な大きな見過ごしである。シオン修道会は有名な王朝からの謎の女家長に率いられたのではない。全くそうではない。偉大な王家の妻たちがエジプトのファラオを支配したように、後の時代には、女イルミナティが、その男の代理人によって世界の運命を方向付けているのである。

 

 

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 オランダのベアトリックス女王はオラニエ家の現在の女家長である。彼女はガーター騎士団であり、ビルダーバーグ会議の一員、恐らく最高支配者、である。何れにせよ、この赤毛の一家はマグダラの血統の直接の系譜で、現在のブリテンの君主の親戚である。女イルミナティは著者の想像の作り事ではないのである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Beatrix_of_the_Netherlands


「…イエスとマリアが赤毛であったとすれば、このジンジャーゲノムが北方ヨーロッパの王家に入った未だもう一つの文化的遺伝的経路があることになる。「マグダラのマリア-オラニエの王女」の中で、マグダラのマリアが南フランスのオラニエの街に定住した、と更に議論されている。しかしフランスのオラニエの王子たちは結局その小さな都市国家から亡命して代わってオランダのオラニエの王子になる。しかしオランダの王家はずっと長い間、8世紀後半のギヨーム・ド・ジェローヌ -オラニエ(Guillaume de Gellone-Orange)以来、現在のオラニエのウィレム・アレクサンダー王子に至るまで、ずっとジンジャー髪の原種であった。」―ラルフ・エリス著「イエス:エデッサの王」

 

 

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 サセックス公爵ハリー王子、チャールス皇太子の息子。彼の髪色に注目しよう。彼の祖先はイングランドメーソンの大棟梁であった。また別の王家の祖先であるジョージ1世(最初のハノーファー朝の君主でイングランド王)の下でブリテンでは黒い貴族は再構成されフリーメーソンと統合したのであった。黒い貴族がパルティア-エデッサの子孫であるとすれば、彼らの思想的な忠誠は常に、密かに、ナザレの第四宗派であったことになる。この事は英国のメーソンが社会主義的な様相を示し、結局は政治的ファビアン主義を生んだことの説明になるだろうか?(詳しくは下のリンク:)

https://infogalactic.com/info/Prince_Augustus_Frederick,_Duke_of_Sussex#United_Grand_Lodge_of_England

 

 

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 英国のプロテスタントから神格化されたウィリアム3世は、オランダとベルギーの猶太人金融業者から120万ポンドを(年利8%で)借りて、その献身的な民を奴隷にしてしまった。そして借金の見返りにウィリアムは金融業者の意図を躊躇いながらも認め、イングランド銀行を設立し、それにより金融業者が英国民に徴税できるようにし、巨大な貸金が取り戻せるようにした。イギリス人の偉大な解放者などその程度である。加えて、彼の妻であるメアリー女王は、カトリックの敵である、見かけ上、有名なボイン川の戦いで敗れたジェームス二世の娘であった。宗教上の教派の違いに拘らず、血統の観点からは何も変わっていなかった。実際、ウィリアム王の下で民は永久に合意の下での税の奴隷となった。その後も他にも多くの戦争が続いたため、ウィリアムによって負わされた元の借金は返済されないままとなった。今日の英国の労働者は今でも王家と政府によってナポレオン戦争を戦うために負わされた借金を返済しているのである。サバタイ派の金融業者と王家(黒い貴族)の関係は(お互い)儲かる関係である。誰でも良いから敵を作り戦争を煽り、その資金に「借金」を認め、旗振りの市民とその子孫に永久に徴税するのである。ビリー(ウィリアム)王万歳!さ!!!


実際のところ、殆ど知られていないことであるが、金融業者の資本は元は王家から来たものである。金融業者は今も昔ももっと裕福なセト-アテン信仰者がその下部組織の人員と代理人を通して操る世界の出来事のための単なる周旋屋であり、投資資本家である。例えばロスチャイルドの金融王朝はその家系の家父長がヘッセン選帝侯ヴィルヘルム一世のために実業に手を出した後に始まった。1769年、ヴィルヘルム王子はナポレオンの軍隊がフランクフルトに入った後、ナポレオンから隠すために300万クローネをアムシェル・ロートシルトに貸し付けた。王子は、その財産と税徴収から、アメリカに対抗する完全武装の傭兵を売るだけでも4,000万クローネ以上を稼ぎ、既に驚くほどに裕福となっていた。彼は黒い貴族の幹部であった。

所謂猶太人金融業者は自分たちが貸すお金を貸し出され、もう既に久しく、テンプル騎士団、聖職者、イタリアのフォンディ、黒い貴族と切っても切れない関係*を享受していた。
*原文「a “tassel to purse” relationship 房から巾着へ」意味がよく解らないJargon?

ウィリアム三世のカトリックの祖先であるオラニエのウィリアム一世はハノーファー家(在ドイツ)の家柄でオラニエ家と繋がる。殆どのドイツ人はハノーファー朝を下卑た裏切者と考えた。この意味で英国の王族のことを正真正銘のドイツ人と言うのは全く間違っている。更に、オランダとフランスの王族の血統の繋がりは、他所のことは言うに及ばず、基本的に母系であった。

ヴァチカン市国で見つかった文書は実際、プロテスタントのウィリアムがその戦いで教皇インノケンティウス11世から資金援助され、しかもカトリックの兵士はボイン川の戦いで、教皇の指示でウィリアムの連帯のために戦ったことを示す。この発見が確実に示すのは、殆どの人が信じていることとは異なり、王族の様々な策略や征服は、宗教とは全く関係ない、ということである。それは本のうわべ飾りに過ぎないのである。述べてきたようにこれらの寡頭勢力は誰も真にキリスト教徒などではないのである。

「私は正真正銘の記録から示して来たが、修道僧によるそのフランスへの導入から国王ジェームス一世の治世の到来まで、英国のメーソンは、純粋にカトリックで私が公式の一覧を指示したその大棟梁は専ら宮廷、貴族或いは高位聖職者から選ばれた…1694年のオレンジ公ウィリアムの特有のメーソンの誕生にも拘らず、古代ブリテンのメーソンはその古代の法令をプロテスタントの国王の下で温存し、ローマカトリックのままでいた。この事の証拠は、私が発行を提案する、そして、1747年の近代メーソンの改革者の手による狂った過度の破壊騒ぎを逃れた貴重なメーソンの記録に見いだされる。」―テダー平修士著「フランス大東社の不正行為(1909年)」(Brother Teder L’irregularite du Grand Orient de France, 1909)

上の絵に注目して見よう。或る肖像では王の剣が馬の耳の間を通り、それは潜在意識に姉妹同胞の神話の記章である一角獣の姿をもたらす。白馬はハノーファー朝の黒いヴェルフ家の記章に見いだされ、その標語は、ナザレの第四宗派を思い起こさせる、「我々は恐れない」或いは、「我々は何ものも何人も恐れない」であった。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Royal_Guelphic_Order

 

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 黒い貴族網の最高の女家長、ヴィクトリア女王大英帝国の女王で、インド帝国の女帝であった。彼女は、ザクセン=コーブルク=ゴータの一族で、ヴェルフ朝の鍵となる支流、ハノーファー家の子孫であった。隠遁的、コウモリ好き、うすらバカとして知られ、ベンジャミン・ディズレーリのような ―そのお気に入りの政治家は、彼女の名前に於いて英国政府と帝國の采配を揮った。ヨーロッパの殆どあらゆる君主、大きな君主もそうでない君主も、が彼女と親戚であり、女王エリザベス二世もそうである。ヴィクトリアの顧問は抜け目のないルイーゼ・レーツェン男爵夫人で、謂わば王位の後ろにある権力であった。ヴィクトリアとその従僕たちは、アヘン貿易で支那や印度それに他の國を破壊しつつ、途方もない富を築いた。この麻薬王達は今ではアメリカを支配し、合衆国をただの黒い貴族の世界帝國の荘園と為しているのである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Louise_Lehzen