女イルミナティ31(論説1~4完)
黒い貴族 ―多くの領土と国家において、私利私欲の専制的支配者― の家系を暴露すると、彼らが猶太人でもキリスト教徒でもなく、そうであったこともない、と言うことの認識がまず必然的となる。彼らは単にプロテスタント教徒やカトリック教徒のふりをしているだけだ。彼らの行動は単にその目的のための手段であり、世界支配を活発化し維持する実益政策の問題なのである。
自分から買って出た寡頭支配者が用いる記号を読み解くことは彼らの出自と目的を調査研究する我々の一助となる。これには、ピラミッド、五芒星、赤い十字架、獅子と一角獣、白馬、双頭の鷲、双子の龍(ロンドン市の記章に見られる)、三つの獅子の意匠、髑髏と骨、(女神)ブリタニアの座像などがある。
我々がアルスターの赤い手やダビデの星に見たように多くの彼らのお気に入り記号は古代エジプト、アクエンアテンとアテン信仰者の時代まで遡る。そしてその彼らは最後にはエジプトから排除され、流浪の身となった者たちであった。
エジプトでの堕落した統治が崩壊した後、セト-アテン信仰者は他所で再起するために西方に向かった。彼らの子孫は今日に至るまで、ビルダーバーグ会議、欧州委員会、世界銀行などの非人間的な組織を経てかなりの権力と財力を享受して来た。彼らの自発的代理人はあらゆる國、政府、団体、企業、大学に見いだされる。彼らは屡々、宗教や政府の最高責任者であり、そればかりか、博愛主義的組織や公共の慈善団体の網組織を通しても働くのである。彼らの富の大部分は、公衆には知られていない海外の銀行組織同様、ベルギー、イタリア、スイスのような国々に極秘にされている。
彼らの主要な記号の一つが双頭の鷲である。それは一つの世界の半球からもう一つに延び、東方から西方に延びる彼らの支配を表す。世界の心と魂を引き裂き、その目覚めには灰と廃墟しか残さない偉大な死と破壊の鷲の下に隠れた彼らの傀儡の主人に、全ての人類は勤勉に仕えるのである。
掠奪性の双頭の鷲の像は多くのヨーロッパ国家の記章に見られる。通常、神聖ローマ帝国の記章ととられるが、それはキリスト教の記号ではない。それはカトリックとプロテスタント両方の寡頭支配者の楯と記章に現れる。それはまた、メーソン33階級の印でもあり、プロテスタントのケント公爵(現女王の従兄弟)の着物にも、そして他のフリーメーソンのアルファロッジの幹部の着物にも見られる。それは病院騎士団の記章であり、その病院騎士団は著者の意見では、狡猾で裕福な聖職者に支配された結社である。それは、もう一人の所謂プロテスタントであるヴィクトリア女王のために鋳造された硬貨に現れる。しかし、それは女性の記号であるか? ヴィーナス(金星)のカルトを象徴する王冠の上の十字架と宝珠、そして同じく女性を示す逆三角形に注目しよう。(それはまた、冥界の主であるセトと「神々」に仕えるセト信仰の聖職も表わす。)剥き出しの剣は(アメリカの印章の矢と同様に)排除されたアテン信仰者の復讐の渇望を表す。それはまた、シュライナーの選ばれた記号でもあり、「去勢された」(高位に昇った)男性の姉妹同胞に仕える召使いを表す。三重の十字架はスコタ王女を表し、そのスコタはフリーメーソンのスコットランド儀式がその名に因んで自らを名付けた王女である。これらの記号について詳細な研究は、著者の女イルミナティの番組を視聴されよ。(詳しくはこちら:https://unslaved.com/female-illuminati-program/) |
結論に当たり、著者は、世界支配の真の構造は、著者がここでの四つの論説に表した点を分解解析すれば、完全に見抜かれている、と主張する。
テンプル騎士団は、その言葉の常識的な意味合いから、決して心から誠意のあるキリスト教徒ではなかった。彼らはその成立のあと、ある時点で極秘でナザレ宗派とユダヤ教に改宗後、ナザレ宗派のイデオロギーを信奉したエデッサの君主と提携した。そうすることで、これらの集団はローマのエリートと、その主な神話拡散者であるヨセフス・フラウィウスの助力により編み出された教皇キリスト教の類と対抗する立場になった。
長い間、ナザレ-エデッサ派(東方イルミナティ)と教皇主義者は競争相手(敵対者)であった。然しながら、19世紀の終わりにこの二つの集団は、同じ讃美歌集から歌い始めた。この連盟を認識することなく、現代の時代を理解することは不可能である。
14世紀にテンプル騎士団が禁制になった後、彼らの召使い(聖職者)は結局のところ世界の支配を掌握し、その後すぐに幸運にも黒い貴族として知られる、その多くがエデッサの君主から系統を引いた、王家の網組織と提携した。
「ド・モレーの希望は、テンプル騎士団が他の名前の下に再起することであった。その名前とは、伝承によると、フリーメーソンである。厳格遵守メーソンは、その儀式と階級をテンプル騎士団を参考にして組織した。」―グレン・マギー著「ヘーゲルと秘伝の伝承」
この聖職者は結局、成功裡に病院騎士団(マルタ騎士団)に潜入し、それを乗っ取り、それ以後、シャブタイ派フリーメーソンとの同盟を交渉し、口語的にイルミナティとして知られる強大な破壊的陰謀団(カバル)を形成した。
テンプル騎士団(メロヴィング朝)とヨーロッパの他の支流の貴族との重要な繋がりは11世紀、第一次十字軍の折、ユーグ・ド・パイヤン、ゴドフロイ・ド・ブイヨン、それに残りのメロヴィング朝テンプル騎士団が、地中海を支配したイタリアの超裕福な商人から物資供給され、援助され、友人となったときに始まった。この利益となる繋がりは今日まで維持されている。これらの集団の途方もない富は、多くの海外の銀行は言うに及ばず、スイス、ベルギー、マルタのような国々に隠されている。
この富が共産主義の形成の背後にあったが、ロシアでの失敗の後、多くの改造を経た。そのもっとも成功した触手がフェビアン-マルクス主義であり、その信奉者は全地球を社会主義化する委託を受け、その過程はほぼ完了している。この企てに於ける彼らの主な武器は、日々何百万の、世界で最も強大な秘密結社の歴史、信念、策謀に全く気付かない人々の心を調整することに成功しているメディアである。
イルミナティの結社員は、表面上は全く猶太人、キリスト教徒、イスラム教徒のように見えるが(そして結社員であることなど全くわからないが)、彼らの狡猾な偽装は信頼できるものではない、と言うことを (陰謀追及の)初心者は気付く必要がある。我々は彼らの明白公然の顔色や忠誠心に惑わされてはいけないのである。彼等自身の(使う)記号が同じくらい多くを語っているのである。
著者は、読者に女イルミナティの番組を見ることを推奨する。それは、シオン修道会としても知られる死の姉妹同胞の役割に焦点を当てる。この番組で、著者は世界で最も強大な秘密結社によって用いられる記号を解読し、それが圧倒的に女性であることを明かす。一度この事実が把握されれば、誠実な研究者は、女イルミナティの存在と影響力をそれが単なる著者の想像上の虚構であるかのように装うわけにいかなくなり、説明しないわけには行かなくなるであろう。
(以上で論説4が終了です。翻訳途中にサリオンはHPに論説5~7を追加したようですが、これらについては今回は翻訳予定がありません。そのうちにまた時間を見つけて翻訳作業を行えれば公開したいと思っております。長編の連載をお読みくださいましてとてもありがたく、また、大変お疲れさまでした。 ―燈照隅)
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巻末付録:リンクと参考文献リストなど
注:黒貴(BN)=黒い貴族(Black Nobility)
主要なリンク:
女イルミナティ(番組)Female Illuminati (Program)
世界革命への序説Introduction to World Revolution
ラルフ・エリスポッドキャストThe Ralph Ellis Podcasts
東方イルミナティThe Eastern Illuminati
アイルランドの悪魔的カルトIreland's Satanic Cults
イルミナティ:事実か作り話かIlluminati: Fact or Fiction
ミトラのカルトThe Cult of Mithras
憲法のペテンThe Constitution Con
赤い教皇The Red Papacy
追加のリンク:
エデッサの歴史History of Edessa
エデッサ地方Province of Edessa
メロヴィング朝The Merovingians
オランダ東インド会社Dutch East India Company
イギリス東インド会社British East India Company
阿片戦争Opium Wars
英国と教皇庁Britain & the Holy See
超モンタノス派Ultramontanism
マリア神学Mariology
仲介者としての聖母マリアMary as Mediatrix
マリアの僕会(結社)Servite Order
カトリック社会教化会Catholic Social Teaching
レールム・ノヴァールムRerum Novarum
(ローマ教皇レオ13世が1891年5月15日に出した回勅の名称。日本語訳すると「新しき事がらについて」を意味し、「資本と労働の権利と義務」という表題がついている。カトリック教会に社会問題について取り組むことを指示した初の回勅として有名である。)
第一継承法Act of Succession
(第一継承法は、ヘンリー8世時代の1534年3月にイングランド議会が採決した法。正式名称は1533年王位継承法または1533年継承法。)
オットー・フォン・ハプスブルクOtto von Habsburg
(最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子で、長男。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子。ハプスブルク家の家長 1930年代のオーストリアにおける君主制復活運動を指導し、ナチス・ドイツのオーストリア侵略計画に対抗した。)
カール・ハプスブルク=ロートリンゲンKarl von Hapsburg
(ハプスブルク=ロートリンゲン家の現当主。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルクと、ザクセン=マイニンゲン公女レギーナの長男。最後のオーストリア皇帝・福者カール1世と皇后ツィタの孫。)
ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長Ursula von der Leyen
エリザベス女王の祖先Queen Elizabeth's Ancestry
チャールス皇太子の祖先Prince Charles Ancestry
ジョン・コールマン 黒貴についてJohn Coleman on BN
推薦図書:
イエス:エデッサの王Jesus: King of Edessa
マグダラのマリアMary Magdalene
スコタ:スコットの女王Scota: Queen of the Scots
300人の委員会Committee of 300
欺瞞の外交Diplomacy by Deception
西洋の秘密の歴史Secret History of the West
英米の支配階級The Anglo-American Establishment
自由主義の尤もらしい起源The Specious Origin of Liberalism
人間の心にある火Fire in the Minds of Men
カトリック帝国主義Catholic Imperialism
ドープ・インクDope Inc
関連サイト:
文明のアイルランド起源Irish Origins of Civilization
ラルフ・エリス(主サイト)Ralph Ellis (Main Site)
ラルフ・エリス(チャンネル)Ralph Ellis (Channel)
黒貴の鍵となる人物:
Ethelbert of Kent ケント王エゼルベルト(550~616)
Edwin of Northumbria ノーサンブリア王アングロサクソン人のエドウィン(586?~632)
Welf I of Bavaria バイエルン公ヴェルフ1世(1035?~1101)
Judith of Flanders ジュディット・オブ・フランダース (1033~1094)
Mathilda of Tuscany マティルデ・ディ・カノッサ(1046?~1115)
René de Châlon ルネ・ド・シャロン(1519~1544)
William I ウィレム一世(ウィレム沈黙公)(1533~1584)
Anne of Lorraine アンナ・ド・ロレイン(1522~1568)
Antoine of Lorraine 善良公アントワーヌ・ド・ロレーヌ(1489~1544)
René II ルネ2世。ロレーヌ公、バル公、ヴォーデモン伯(1451~1508)
Yolande of Lorraine ロレーヌのヨランド(1428~1483)
(註:ヨランド・ダンジューはYolande de Lorraineと呼ばれ、英語ではYolande of Lorraine となる。また、その娘のYolande は英国に嫁いだのでYolande of Lorraine と呼ばれる。ここのYolande は前者)
René d'Anjou ルネ・ダンジュー(1409~1480)
Isabella of Lorraine イザベル・ド・ロレーヌ(1400~1458)(ルネ・ダンジューの妃)
Charles II シャルル二世(シャルル禿頭王)(1364~1431)
John I ジャン1世(ロレーヌ伯)(1346~1390)
Adolf of Nassauナッサウのアドルフ(1540~1568)
(ナッサウのアドルフに該当する人物は次の6人居るがここではナッサウ伯アドルフを指す
・Adolf, King of Germany (c. 1255–1298) ナッサウ伯、神聖ローマ皇帝(1292~1298)
・Adolph II of Nassau (1423–1475) マインツの大司教
・Adolf of Nassau (1362-1420) ナッサウ-ディレンベルク伯ヨハネス一世の息子
・Adolf of Nassau (1540–1568) ウィリアム(ウィレム)一世の六男。ヘイリヘルレーの戦いで戦死。
・Adolph, Prince of Nassau-Schaumburg (1629–1676) ナッサウ-ディレンベルクのルイ・ヘンリーの息子
・Adolphe, Grand Duke of Luxembourg (1817–1905), ナッサウ公、後のルクセンブルク大公)
Albert Iアルベルト一世(ドイツ王)(1255~1308)
Rudolf I ルドルフ一世(ハプスブルクのルドルフ)(1218~1291)
William I Elector of Hesseヴィルヘルム一世(ヘッセン選帝侯)(1743~1821)
Elizabeth of Thuringia 聖エルジェーベト(Elizabeth of Hungary)(1207~1231)
Ernest Augustus エルンスト・アウグスト(ハノーファー王)(1771~1851)
George I of Hanover ジョージ一世(ハノーヴァー朝イングランド王)(1660~1727)
Frederica of Hanover フリデリキ・トゥ・アノヴェル(ギリシャ王パウロス1世の王妃)(1917~1981)
Sophia of Prussia ソフィア・ティス・プロシアス(ギリシャ王コンスタンティノス1世の王妃)(1870~1932)
Juan Carlos of Spain フアン・カルロス1世(スペイン国王)(1975~2014)
Prince Michael of Kent マイケル・オブ・ケント(1942~)
Prince Bernhard ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト(オランダ王配)(1911~2004)
King Willem-Alexander ウィレム=アレクサンダー(現オランダ王)(1967~)
黒貴の重要な家系:
House of Habsburgハプスブルク家
House of Orange-Nassauオラニエ-ナッサウ家
House of Hanoverハノーファー家
House of Hesseヘッセン家
House of Lorraineロレーヌ家
The Guelph Dynastyヴェルフ朝
The Black Guelphs黒いヴェルフ
Elder House of Welf 古ヴェルフ家
House of Welf (Guelph) ヴェルフ家
House of Welf-Este ヴェルフ-エステ家
Hohenstaufen Dynastyホーフェンシュタウフェン朝
Hollenzohern Dynastyホーエンツォレルン朝
House of Wettinヴェッティン家
Saxe-Coburg-Gothaザクセン-コーブルク-ゴータ朝
House of Oldenburgオルデンブルク朝
House of Bowes-Lyon ボーズ=ライアン家
House of Mountbattenマウントバッテン家
House of Windsorウィンザー家
House of Savoyサヴォイ家
House of Esterházyエステルハージ家
Kingdom of Hanoverハノーファー王国
History of Hanoverハノーファーの歴史
Holy Roman Empire神聖ローマ帝国
Monarchies of Europeヨーロッパの君主
The Teutonic Orderチュートン騎士団
世界に対抗する真実