女イルミナティ16

我々はメーソン流結社の飾りだけの男性首領は、単に、はっきりと見えるところから隠れた、更に秘密の(内部)結社の意を実行するだけであると告げられるのである。33階級或いはそれ以上の階級に到達して初めて平均的な男の結社員はこの事実に気づかされ、結社によって習慣的に使われる記号の持つ意図の理由を理解させられるのである。

上で述べたように、双頭の鷲はマルタ騎士団、そして黒い貴族の家系を表現する。

男根を表すオベリスク、円柱、柱、柱脚(台座)もまた、女神の記号である。アスタルテと言う女神の名前は「高い塔」を意味する。マグダラと言う名もアラム語の「塔」である。

スコットランド儀式メーソンは14世紀に地下に潜ったテンプル騎士団を保護した。

 

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 バフォメットとジョージ・ワシントンの像のポーズ

フランスのオカルト信仰者エリファス・レヴィが描いた有名なバフォメットの像とワシントンDCのジョージ・ワシントンの像。テンプル騎士団の印象の重要性を軽視する試みはこの像のことを考えると失敗に帰する。偶像に重要性がないのなら、或いは、単に変人の発想に過ぎないなら、何故その偶像を表すような描き方をしたのであろうか?

この有名な像を依頼した者たちはこの問題に関して何も疑いを示さなかった。この像は、この偶像がオカルト信仰者、最も重要なのは、就中テンプル騎士団にとって正真正銘の重要性を持つため、偶像を複製するように設計された。獣に擬した形像は明らかに雌(女性)であるが、それは胸に注目すればわかる。炎を出している松明はヘレン(Helen又はHelene)つまりイエス王の母親である、その名を持つエデッサの女族長を仄めかす名前を暗示している。

実は双子の三日月は、明けと宵両方の「明星」で現れる金星の二つの「相」を表す。五芒星はまた、ヴィーナスのカルトと同じく、ヴィーナス(金星)を表す。同様に、二本の角の間の炎もルシファー或いはヴィーナスの光を表している。

テンプル騎士団の標語はエジプトの美徳と均衡の女神メテ或いはマアトに言及する。バフォメットの言葉は、プタPtahとマアトMa’atから来ており、更にまた、BaphとMetisを含意しており、「智におけるバプテスマ」を意味する。Met或いはMeteは、偉大な母なる女神、キュベレーの息子であるミトラ神を暗号的に指す。(教皇の冠りもの ―ミトラ― もこの名前から派生した。)

 

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マルティニストの記章 

論説3で示すように、テンプル騎士団は14世紀初めの禁制の後、消え去らなかった。多くの騎士団員は単純に病院騎士団(今のマルタ騎士団)に加わり、一方、表舞台から退散してその結社を匿名の聖職者の手に委ねた。

1908年、フランスのマルティニスト結社の結社員がテンプル騎士団を土台とした新しい結社の設立を要求した。実態がよく解らないマルティニスト結社の指導者たち、マルティネス・ド・パスカーリとその使徒ルイ・クロード・ド・サン=マルタン、それにジャン=バプティスト・ウィラモッズとは何者なのか? 何故、新生テンプル騎士団の創立を要求するのか? 著者の意見ではこれら三人自らがテンプル騎士団にほぼ相違なく、その古い結社を公衆の面前で再設立することに着手している。換言すれば、マルティニストと言うのは、更にもう一つの、疑似メーソンを偽装した本物のテンプル騎士団の隠れ蓑であった。マルティニストは高位のメーソンに大きく影響した。彼らの主な記章がダビデの星であることが、その古代猶太(セト-アテン信仰者)宗派であることを明かしている。(論説3を参照:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

 

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コロンブス騎士団とその記章 

テンプル騎士団とその官僚的効率的聖職者は、成功裡に世界の出来事を支配し続けている多くの衛星結社を形成した。その中で最も強大なものの一つがコロンブス騎士団である。彼らの髑髏の使い方に注目しよう。この記号は極度に古代のもので究極は有史以前のアイルランドまで遡るものである。

何れにしても、その主な支援者と提唱者 ―クレルヴォーのベルナルドゥスやダゴベルト2世*のような― がカルディア(アテン信仰者)の僧侶により、アイルランドで指導を受けたため、その記号はテンプル騎士団に取り入れられた。ダゴベルト2世の最初の妻マチルドはアイルランドの王女であった。髑髏はまた、それが暗号的にジャック・ド・モレーとヒラム・アビフの殉教だけでなく、さらに重く、ファラオ・アクエンアテンの殉教をも呼び起こすために採用された。
*ダゴベルト2世はフランク王国メロヴィング朝の王(在位:676年 - 679年)。

テンプル騎士団はまた、シトー修道会もその結社の宗教的翼賛として含める。シトー修道会は、クレルヴォーのベルナルドゥスに設立され、何百もの小修道院修道院と何千エーカーもの土地をヨーロッパ中に所有した。ベルナルドゥスはユーグ・ド・パイヤンからの資金の寄付を受けたが、当初の88カ所の小修道院を建てるための途轍もない資金を何処から得たかは謎のままである。これらの建築物の大半は故意にケルトと先ケルトにとって神聖な以前の異教の遺跡上に建てられた。ロスリン聖堂のような殆どのテンプル騎士団所有の建築物は地上の(遺跡の)格子点の線上或いは渦上に建って居り、先史時代の西方で最初に考案された土地占いの古い技術を再現している。多くの場合それらは偉大な女神にとって神聖な場所に建っている。

 

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マルティン・ルター

プロテスタント教は、シオン修道会テンプル騎士団の暫しの仲違いの間にシオン修道会によって創設されたのだろうか? プロテスタント教の形成の日付はこのテンプル騎士団シオン修道会の間の分裂と完全に呼応する。これの証拠は、シオン修道会と古代のアディアベーンの女王ヘレナのナザレ派との繋がりにある。彼女の息子はエデッサのイザス王であり、彼らのシリア到着後エデッサの君主は自らを猶太教、特に革命的ナザレの宗派に引き寄せた。この宗派はその初めから今我々が教皇キリスト教として知っているものに反対した。このような訳でナザレ派と強大なエデッサの君主を、その一つがプロテスタント教である、反教皇社会と組織の起こりにつなぐことが可能なのである。

ルターと秘密結社の間にはもちろん繋がりがあった。実際、ルターの帳面は、バラと十字架で飾られている。論説1で示したように、薔薇十字の記号はテンプル騎士団が由来である。学者は清教徒フランシス・ベーコン*の秘密結社 ―薔薇十字友愛結社Fra. Rosi. Crosse Society― はヨーロッパのテンプル騎士団の結社と繋がっていた。プロテスタントカトリックの敵対と分割など、その程度のものなのだ。ベーコンはまた、女神ミネルヴァに因んで名づけられたヘルメットの騎士団の一員であった。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/the-goddess-minerva.html
*初代セント・オールバン(ズ)子爵フランシス・ベーコン( Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(s), PC, QC、1561~1626)は、英国の哲学者、神学者、法学者、政治家、貴族である。イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝(エリザベス朝)からステュアート朝)の人物。

次の論説で著者はルターやカルヴァン(本名コーエン)のような多くの歴史の誘導燈が、猶太教、キリスト教、そしてイスラム教の後ろに隠れた偽装したシャブタイ派である可能性があることを示した。彼らは、そうとは知らずに貴重な蔽いを与えてくれる宿主の宗教を嫌うのである。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

 

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ロイヤル・ブラック財団 (Black Preceptory)

アイルランドの強大なロイヤル・ブラック財団(Black Preceptory)は、オレンジ結社としてもっと知られている結社の背後に自らを隠している。表面的には熱心なプロテスタントであるが我々はその記号がテンプル騎士団の直接の由来であることを見出す。赤十字架、十字架と王冠、髑髏と骨、棺と三角形は全て正真正銘のテンプル騎士団の記号である。Perceptory*という用語が、当に、テンプル騎士団の住処であることを表している。上で述べたように、テンプル騎士団は多くの結社に潜入し、それ以後は誰もが予期するようにカトリックではなくなった。この変節は歴史家や評論家に充分に語られず、説明もされてこなかった。狂信的なプロテスタントの秘密結社がテンプル騎士団の記号に塗れているのを見出すことは、従って、目に見えて異常である。我々はそのような結社や徒党の起源や性質の公式な報告や説明受け容れてはいけないのである。オレンジ結社の示威行進(parade)は7月12日に北アイルランドで開催されるが、ブラック財団はその翌日13日に自らの行進を執り行う。どちらの祝祭日も太陽の黄道に於ける最も高い位置を示す。これは、この種の友愛団体が古代アテン信仰者の支部であることから、偶然ではない。加えて、テンプル騎士団の大棟梁であるジャック・ド・モレーが13日の金曜日に処刑された。それ以来、この数字はテンプル騎士団により、魔力を持つ数字(sigil)として採用されたのである。彼らがほほ笑むのもなにも不思議ではない。この悪い冗談は完全に我々に対するものである。
*Perceptorから派生した語。Perceptorは、教官、教師を意味するが、ニュアンスとしては「師匠」の方が近い言葉に思われる(燈照隅コメント)。

 

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シャルル・ド・ロレーヌ(1712~1780)と
その兄フランソワ・ド・ロレーヌ(1708~1765) 

(シャルル・ド・ロレーヌの兄)フランソワは神聖ローマ皇帝で大っぴらなメーソンであった。ローマカトリック教徒として生まれ、英国王ジョージ一世が設立した、大多数がプロテスタントの英国の大ロッジに入会した。シャルルはバイエルンイルミナティの真の創設者であった。ローマカトリック教徒として生まれ、アダム・ヴァイスハウプトと他のイルミナティ結社員に指示し、部分的に資金提供した。彼はまたシオン修道会の首領でもあった。ここから解るのは、通常の宗教的区別は殆ど意味をなさず、また、イルミナティの見かけの反王制の立場は完全に詐称だと言うことである。暗示的に、英国の大ロッジは1717年6月24日、バプテスマの聖ヨハネの日に設立された。聖ヨハネテンプル騎士団と病院騎士団の守護神であった。シャルルとフランソワのどちらもが、伝統的に、カトリック限定の騎士勲章である金羊毛勲章の垂れ飾りを装着している。我々はブリテンとヨーロッパで、場合によっては数十年、数世紀に亙る血まみれの殺戮の宗教戦争をして来たのだが、ロッジの扉の向こうでは彼らはみんな仲間だったのである。これはどのようにして説明がつくのであろうか?

「ハプスブルグ家もまた、ロレーヌ家の一員であり、従って、シオン修道会の構成員の第一の候補であった。」―コリン・ウィルソン著「アトランティスの青写真」

スコットランドイングランドに於いて自らをフリーメーソンと呼んだ組織は1640年頃に出来始めたと思われる。カトリック教会はそれを酷く嫌ったが、当初、特にスコットランドに於いては、その組織にはプロテスタントと同じくらいの数のカトリックが居たと思われた。」―同上

不思議なことに、金羊毛勲章は、ジョージ七世のようなプロテスタントの王族・貴族にも授与されて来た。我々はこれが極めて示唆的だと分かるのである。

次の論説からも解るであろうが、各々の王族、いや王家全体ですら、女王ヘレナに率いられた古代ナザレ宗派の信者の子孫であった。この女王ヘレナの息子が誰あろうイザス王、つまり聖書のイエスであった。これは、王族かどうか身元を明らかにする為の、強大で輝かしい血統である。プロテスタント教がエデッサ人(王族)の子孫によって設立されたものならば、何故それがこんなにも多くの王族の人間を惹きつけたか、理解できるのである。