女イルミナティ26

ユダヤ教の仮面

コンスタンティヌスが後にキリスト教に改宗したのと当に同じように、フラウィウス朝の皇帝の一人はユダヤ教に改宗したのではないかと言う証拠がある。」―リチャード・A・ガブリエル*
*Richard A. Gabriel(1942~)は歴史家で作家。 カナダ王立軍事大学歴史戦争学科およびトロントのカナダ軍カレッジ国防省の元非常勤教授。スキピオアフリカヌス:ローマの最大の将軍、ハンニバル:ローマの最大の敵の軍事伝記などの著者。

前の論説(論説1、2)で我々は古いアテン-セト信仰者が支配する主要な組織の一つであるテンプル騎士団の力が如何に重要で広く染み渡っているかを見た。

我々はまた、テンプル騎士団と他の集団(教皇、貴族、シオン修道会、病院騎士団など)の間で起きた主要な、そして些細な敵対関係について注目して来た。我々はテンプル騎士団が東方の宗派やカルトと提携したこと、そして彼らが世界で最初の金融業者で金貸しであったことを見て来た。我々は、猶太人の共同体が常に著名なテンプル騎士団の町や地方と密接な親しい関係にあることに気づくことになり、そして猶太人の家系の中にはテンプル騎士団のエリートに守られ、或いは好意すら持たれていた者がいたことを見て来た。これらの裕福な猶太人とは、後にテンプル騎士団の聖職者が猶太教・キリスト教・メーソンに潜入する手助けをしたシャブタイ派である。

著者はまた、テンプル騎士団が自らに対する教皇やヨーロッパの貴族からの攻撃を乗り切り、その想定された終焉後に何世紀にも亙ってより大きな力を獲得し続けた方法についても説明した。

これは、謂われているように、多くは、実際の騎士よりも人口比率的に、恐らく約20対1の、圧倒的だった匿名の官僚的聖職者により成し遂げられた。彼らはテンプル騎士団網のあらゆる下部結社を形成し、そして、彼らこそが、14世紀の粛清以後、テンプル騎士団の財宝のありかや生き残った上役の身元と居場所の秘密を守った者たちであった。彼らはその大義の手助けに特定の猶太人家系や個人に助けを求めた者たちである。

この広範に拡がった聖職者の下部結社は殆どのテンプル騎士団の作家に滅多に取り上げられなかった。然しながら彼らは歴史を変えることに取り組んだ。我々の日常経験する世界は彼らが作った世界なのだ。

何故これが重要なのか?

 

 

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メーソンの著者ロバート・ローマスLomasとクリストファー・ナイトKnightはユーグ・ド・パイヤンとそのテンプル騎士団は、元ソロモン神殿の遺跡であるエルサレムの彼らの本部の遺跡の下から古代の巻物を発見した。これらの文書は、伝えられるところの死海文書の作者であるエッセネ派によって秘密にされた。明らかにその文書はイエスとジェームスのことを救世主として記録していたが、神ではなく、宗派の指導者で、ローマ人とエルサレムの教会の熱烈な反対者としてであった。彼らはエッセネ派として知られるユダヤ教の宗派の構成員であり、この宗派にはまたイエスの従兄弟であるバプテスマのヨハネも指導者としていた。然しながらエッセネ派は、キリスト教の正統版を破壊し、太陽化された形に変造したサウル(聖パウロ)に潜入され、キリスト教はローマの皇帝と司教たちの監督下に置かれることになった。テンプル騎士団にとってこれは、深刻極まる心乱れる発見であった。それから後彼らは迫害されたエッセネ派によって信奉された真のキリスト教の継承者として見るようになった。ローマスLomasとナイトKnightは教皇テンプル騎士団に鉄槌を下した理由はこの文書の内容のためであると信じている。ここでは微細に立ち入らず、著者は単純に疑問に思うのは、テンプル騎士団の指導者が文盲で、読み書きが出来なかったならばだれがこの文書を通訳して彼らに読み伝えたのだろうか? それは彼らの高い学識を持った聖職者でなければならない。明らかにこの文書や他に明かされた秘密で利益を得られることに気づいたのはこの聖職者たちであった。彼らは公式の教会を奪い、破壊する力を得、或いは高位聖職者、司教、枢機卿教皇を強請り、自らの安全を確保する力を得た。

ラルフ・エリスは、パルティア-エデッサの貴族に関する作品を通してこの理論を進歩させた。このパルティア-エデッサの貴族の紀元1世紀の指導者こそ聖書のイエスであった。この場合、テンプル騎士団は、教皇キリスト教の構築者によって歴史から抹消されたこのナザレの宗派を発見したことになる。その時点で彼らは教皇版のキリスト教を棄教し、そのことが我々が知っているように彼らにローマへの不評をもたらした。教皇は、以前にナザレ宗派を壊滅したように、テンプル騎士団を壊滅することに成功した。然しながら、その時以来今日まで、テンプル騎士団とその勤勉な代理人は、見えないところで教皇を打倒し世界支配を取り戻すために働いている。

 

 

こんなところで、まあ、我々が見てきたように悪の猶太人 ―シャブタイ・ツヴィやヤコブ・フランクのような― はイスラム教やカトリック教に改宗することが好都合であることに気づいた。彼らの多くの使徒たちは、大量にこれら同じ宗教に改宗して、それを見習いそれに続いた。これは悪だくみの手段として陰険に行われた。追跡され、拘束され、常時邪魔されるのではなく、彼らはお忍びで行動することが出来た。

そのような潜入者や第五列に警戒するようにユダヤ人社会のラビや賢者から警告が発せられ、事情をよく知る猶太人研究者の中には、ルシファー信仰の猶太人にとって一番の敵はユダヤ教自身であると述べる者もあった。そのような地下潜入集団がキリスト教徒や非猶太人たちに知られるよりずっと以前に、猶太人の指導者は自らの社会に彼らの存在を警告し、これらの破壊分子と地下組織がユダヤ教やその他の宗教の打倒を目指していることを認識していた。これらの事実は、「猶太の陰謀」を暴露することに囚われてしまった大半の反ユダヤ主義作家が決して認めることも言及することもしない。彼らの作品のかなり多くは、その功労にも関わらず、修正されねばならないのだ。

これで我々は1314年に、そしてテンプル騎士団の首脳部の公式の迫害とその悪名高き結社の全世界での弾圧に立ち戻ることが出来るであろう。

大混乱にもかかわらず、聖職者は逮捕されることも懲罰されることもなかった。彼らはテンプル騎士団の財産(今日も未だ明かされていない)のありかや亡命したその指導者の身元の秘密を守っている。逃亡し、地下に潜ったこれらのテンプル騎士団指導者はその困窮の取り計らいを完全にその召使いに依存していた筈である。そして、実際、聖職者は忠誠を守り続けた。これがテンプル騎士団が今日に至るまで世界の出来事の支配者に留まり続けた理由である。

「騎士団は消えた…。それにも拘らずそれは一連の階級を経ることを通じて危険な秘密を共にするのに信頼に足ると証を立てられたものだけに自らを明かしながら、匿名の首長に統治され、他の名前で生き続けた。」―アルバート・パイク著「道徳と教理」

 

 

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 何故、騎手は二人なのだろう? 一人は騎士でもう一人はその聖職者、後者なしには全く無能な前者? 騎士たちは文盲で、一方聖職者は極端に熟練し、見聞が広く有能であった。彼ら(聖職者)が、日々その厩、厨房、総会、礼拝堂、領地、実業、金貸し業、税の徴収業を監督しつつ、テンプル騎支団帝國を動かしていた。テンプル騎士団の日常、日程、生活のすべての面が匿名の聖職者により組まれ、記録された。テンプル騎士団が禁制になった後、その権力と義務の重責が彼らの肩に掛かった。視界からは注意深く隠れたけれどもその実業はいつも通り続けられ、その様は前よりも却って精力的で効果的であった。結局、崩壊した帝國は極秘に、これまでよりもより強く難攻不落に再建されなければならなかった。この聖職者の話には光をあてなければならない。(衝撃的で示唆的な彼等自身の馬術の記号に関しては、猛る馬が女龍宮廷―売春婦―を表すことも忘れずに。)

 

聖職者の話は興味深いもの、何故なら特に彼らの子孫が法律の専門職に就いたからである。ロンドンにある名門法律総合施設 ―法曹院― はテンプル騎士団法曹界にあり、かつてロンドンや他の主要な中心地の広大な地域を所有していた(今もしているかも知れない)テンプル騎士団にちなんで名付けられた。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Temple_Bar,_London

多くの聖職者は一流の計理士、内科医、薬剤師、役所勤め、王家の職員、系図学者、出版社、金融業者、醸造業者、建築家、都市計画者、荘園代理人、政治家、閣僚になった。我々が見てきたように彼らはプロテスタント系のブリテンのメーソンや他の多くの騎士結社や同業組合に効果的に潜入した。彼らはまたブリテンやヨーロッパの通信業に寄生し、(情報)操作した。彼らの記号は通信会社の印や図(エキスプレス紙The Express、The Starスター紙、ザ・サン紙The Sun、アングリアテレビAnglia TV, グラナダテレビGranada TVなど)、宣伝文句(コピー)や映画会社のロゴに溢れかえっている。それはまた、公共機関の建築物にも頻繁に見いだされる。彼らの代理人は多くの秘教的響のある本や映画に資金を出している。(例えばダ・ヴィンチ・コードナショナル・トレジャーに見られる)

 

 

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 エルサレム聖ヨハネ騎士団は、怪しい聖職者に設立された唯一の見かけ上プロテスタントの結社である。エリザベス女王や他の英国の貴族たちがその構成員である。この結社は、元のテンプル騎士団の直接の継承者であり、彼らの財宝の想定される受取人である、マルタ騎士団支部である。女王は、ローマに本部を置くマルタ騎士団の前の団長、アンドリュー・バーティーの血縁(5代前が共通の父母である従兄弟)である。(興味深いことにマルタ騎士団テンプル騎士団両方の守護聖人バプテスマのヨハネである。)女王はまた、英国の二大有名騎士団であり、どちらも赤いテンプル騎士団の十字架を主な記章とする、ガーター騎士団と聖ミカエルと聖ゲオルギオスの騎士団の長でもある。女王の従兄弟であるケントのマイケル王子は、強大な秘密結社、マークメーソンの長である。これらフリーメーソンのアルファロッジの結社員は世界の運命を決めるのである。所謂黒い貴族の女家長であるオランダのベアトリックス女王もまた、世界の出来事の主な動かす人間である。彼女はガーター騎士団である。ガーター(靴下止め)と言う言葉は暗号的に女龍宮廷を暗示する。誤魔化しの試みにも拘らず、これらの意匠はテンプル騎士団に遡ることが出来る。これらはテンプル騎士団の垂れ飾りと記章で、女王の外套に見られるのと同じマルタの十字架があしらわれており、これら二つの結社の間の提携には疑いを差し挟む余地はない。

一度我々がテンプル騎士団の聖職者によって採用され、遂行された世界支配の戦略を理解すれば全ては説明される。14世紀からこれまで、この下部結社は多くの結社に潜入した。結社(order and society)の中にはプロテスタントの顔を持ったものもあり、カトリックの顔を持ったものもある。それは、偉大な策略、「偽装敵対Opposame」の策略をするものにはよく知られた勝利の戦略である。(詳しくは以下二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Order_of_Mark_Master_Masons
https://infogalactic.com/info/Order_of_Saint_John_(Bailiwick_of_Brandenburg)

 

 

聖職者とその偽装(隠ぺい)への執念には、彼らのイスラム教や猶太教への改宗も含まれる。彼らのイスラム教の秘密結社への関心は前の論説で説明した。それは十字軍と彼らの中東時代までさかのぼる。そこにいた間、テンプル騎士団と聖職者は、強大で、更に影のゲオーニームである、東方のイルミナティとして正確に言い表せるかもしれない、ナザレ宗派とも同盟した。上で述べたように、これらの東方のカバルは、シャブタイ派のような集団を活発に広めていた。(詳しくはこちら:https://unslaved.com/eastern-illuminati/

14世紀の後期、テンプル騎士団の禁制の後、聖職者は、生き残って引き続き自分たちの棟梁の秘密の事業を続けるためにユダヤ教に改宗することを選んだ、と著者は信じている。換言すれば猶太教は彼らの最良の偽装として働いたのである。従って、「猶太人」とテンプル騎士団の秘密の連合である。

もっと重要なことに、聖職者は間もなく、猶太教の外套の後ろにこっそり隠れた非正統派の邪悪な宗派 ―即ちゲオーニーム、ナザレ宗派、シャブタイ派― と提携した。諺に言うように、類は友を呼んだのである。