女イルミナティ23

エジプト学者のロレイン・エヴァンス*はイアフメスの治世のことを我々に次の様に語る:
「第18王朝は、エジプトがそのもっとも偉大な繁栄の時代を謳歌した。國の成功はその最初の支配者で創始者、紀元前1550年頃に非常に嫌がられたヒクソスの支配者を成功裏に国から取り除き、エジプトを再び統一した偉大な軍の指導者イアフメスの活動に依って立つところのものである。」―「箱舟(契約の箱?)の王国Kingdom of the Ark」
*Lorraine Evansは、埋葬考古学者、死に関する象徴・歴史学者Lorraine Evans | Home

歴史家リチャード・ダーロウ*はヒクソスのエジプト征服の記述を次の様に提示する:
「…ヒクソスはまず北部でメンフィスを急襲し、それからエジプトの中心、テーベの街を(エジプトに)優る数と武器により包囲し、攻撃した。ヒクソスの歩兵部隊は遥かに致死性の高い武器を振り廻し、青銅の厚い鎧を着ていた。その射手は非常に優れた複合弓を装備しており、その向上した射程、威力、精度は当時の他の弓をはるかに上回っていた。野戦ではヒクソスは恐怖したエジプト軍を散逸させ、馬に牽かれた戦車の波状攻撃を行い、それ(馬に牽かれた戦車)は防衛軍がこれまでに遭ったことのないものであった。」―「古代エジプトのモーゼ」
*Richard Darlowは、「Moses In Ancient Egypt & The Hidden Story Of The Bible」の著者。詳細不明。

彼の記述はヒクソスが元はスキタイであった、或いは少なくとも彼らに関係する腐敗した背教支族であったと言う議論の的となる考えを支持する。

ホルエムヘブ(紀元前1319~1292)による二度目の大量追放以後、アテン-セト信仰者は、追放者、異国人、山賊、のけ者(Apiru又はHapiru)として罵られた。或る時期に彼らは階級によって分裂した。その中には位の高い生まれの個人的にセト-アポフィスをその元々の形式で崇拝していた聖職者がいた。この比較的少数の分隊は残りの仲間の追放者とは別であった。その仲間の追放者とは、セトの太陽化された形の外面をヤハウェ(Yahweh、Yehew、Yahu、又はJavehなど)として崇拝していた低い位の浮浪者や盗賊(yahus又はyahoos)などの大衆であり、これは彼らが以前のスキタイとフェニキアカナーンの神々とその伝承で出来た混成であったことを完璧に満たすのである。

この大失敗は今日まで続いている。上級のラビと学者は何がどうなのか知っている。彼らの黒い法衣、ヤムルカ、礼拝の日、それに他の思想や言葉の綾は全てセト崇拝を指摘している。大きな天文学的周期への彼らの極端な拘りもそれを肯定している。(詳しくは、番組をご覧ください:https://unslaved.com/female-illuminati-program/

「ヒクソスの中に、何世紀も後に集まってイスラエルの國を建国した様々な民族の祖先がいたかもしれない。」―D・M・マードック著「モーゼは存在したのか?」

「ストラボStraboが言うには、エジプト人、アラブ人、フェニキア人の混成集団で、エルサレムの神殿に関して信頼できる人々の最も正しい報告は今日イオウデアンIoudeans(猶太)と呼ばれる人々の祖先としてエジプト人を提示する。」―S・F・ダンラップ

ラビや聖職者によるとジェホヴァの名前は決して口にしてはいけない。そうするには神聖すぎる。口にするべき仮名(呼び名)はアドン或いはアドナイとする。これは勿論恐るべき間違いである。何故なら、それは直接、太陽神にされたセトの異形であるアクエンアテンのアテンを言い表すからである。所謂「専門家」の専らの否定と暗黒化にも拘らず、語源学はイスラエル人、猶太人とアテン信仰のエジプト人の間の真の繋がりについて我々に伝えている。

アテン-セト信仰者の上流集団はレヴィ族を形成し、後にはさらにゲオーニームや光の君主(Princes of Light)を形成するようになった。彼らの学寮や組織はメルキゼデク(アクエンアテンの偽名)の結社の支部である。この宗派から後の時代のエリートのパリサイやサドカイが生まれるのである。

ゲオーニームは後にフリーメーソン(Phre Massenつまり「太陽の兄弟」から)の名称で西欧に入った。世界中の多くの秘密結社を支配しているのは、この古代アテン-セト信仰者の集団なのである。彼らのテンプル騎士団との繋がりは話が進むにつれて説明する。

レヴァントに定着していた間に、今日我々が猶太教の宗教として知るものを考えつき、創立したのはゲオーニームである。一般の人間のために作られた宗教の教義は、十戒とモーゼの律法が土台であったし今もそうである。然しながら、ゲオーニームの人間の亡命指導者は知っていたように、シナイ山(大ピラミッド)の上で70人の長老たちにジェホヴァ(セト-アテン)から伝えられた秘密の口頭の伝承があったのである。この口頭の律法は一般の宗教的猶太人とは全く関係がなかった。それは、セト-アテン信仰者の魔術師によりその側近の使徒に開示された秘密の「レヴィ族の」教義で、ゲオーニームフリーメーソン、薔薇十字団、サバテアン、イルミナティ結社員、そして、それらの同じ召使いによって設立された多くの他の宗派と結社により何世紀も通して執行されて来たのである。(詳しくは次の二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Oral_Torah
https://infogalactic.com/info/Levite

 

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 不思議なメーソンの印「G」は、後に自らの結社をフリーメーソンの名前で偽装したゲオーニームのことである。ゲオーニームは古い、エジプトから追放されたセト-アテン信仰者の子孫であった。ゲオーニーム結社員もまた、紀元70年にローマによるエルサレムの神殿破壊後にバビロニアに逃れたエリートの、裕福なサドカイで構成されていた。これらのサドカイは通常の意味での猶太人ではなかった。逆に、猶太の伝承に完全に外れたところで、彼らはアシェラーAsherah(Ashtoreth/Astarte/Ishtar/Isisなど)のような女神たちを信仰することに立ち返っていた。

小文字の「g」は蛇を意味する記号でゲオーニームが女龍宮廷の召使いであることを示したし今も示している。メーソンでも同じことである。

一方バビロニア(スラやプンベディタなど)では彼らはカルデアン、ペルシャギリシャの多くの秘教(オカルト)の伝承を吸収した。

論説1で示したように、ゲオーニームは、猶太教の第四宗派に繋がるエデッサの君主と密接な同盟を形成した。教皇キリスト教により退けられたこのカバルは、その伝承と考え(主義)を秘密結社の網を通じて拡げるように取り組んだ。彼らはメーソンだけでなく、薔薇十字団、マルティニスト、フランキストなどの設立を取り計らった。プロテスタント教の出現に我々が見るのは、彼らの策謀である。

然しながら、猶太教とキリスト教の体裁の裏で、信仰の個人的形式は、公衆の知らないところで継続している。

極端に裕福な秘密のゲオーニームの構成員は恐らくカトリックの聖職者や司教(同様に枢機卿)を誘惑して教皇キリスト教から引き離すのを容易いことと気付いた。そのような改宗者はジェホヴァの女配偶者であるアシェラーを崇拝し始めることに惹き付けられた。全ての聖職は実際、たとえ各々の聖職者が知らなくても、女イルミナティ支部なのである。

 

 

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米一ドル札にあしらわれたピラミッドと分離した冠石(Capstone) 

 アメリカの一ドル札にあるピラミッドの絵の下に刻まれた「世界の新秩序」と言う標語はセト-アテン信仰者の失われた帝國の復元を指す。彼らは手を替え品を替えて何とかその復讐を遂げようと意図している。切り離された冠石はエリートがその支配する大衆とは異なる神を崇拝していることを仄めかす。これは数千年もそうであり続けている。アテンは、セトやアメン・ラーなどと同様に、主に個人的に崇拝された神であった。大衆はその理解の水準に合った公然の神々の混成で満足していた。(この事はジェホヴァがモーゼにも古代イスラエル人にも認知されなかったと何故我々が教えられたかを説明する。これは最も啓発的(真実を露わにするもの)である。結局のところ、これはアブラハムの神と言うことになっている。モーゼやエジプトの「奴隷」の一団にとって、何故彼が謎である筈があろう? 一体奴隷であった期間中、彼らはどの神を礼拝していたのであろうか? 出エジプト記3:13を参照すること)

 

 

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ピラミッドの周囲、六芒星上に置かれた「MASON」の文字 

 ピラミッドの周りには完璧な六芒星が形成され、MASONを構成する五つの文字を特定することが出来る。何という偶然であろう! 見たところ猶太のダビデの星で、それが微妙に明かす言葉は(偶然にしては出来過ぎだ)。その記号に注意した方が良い!

メーソンが「未亡人の息子」であることから、我々は誰がその謎の女性か?を問う。

 

では、明確にしよう:猶太の民族と宗教に関して我々は、それぞれ二つの階級、カースト、伝承を取り扱っている ―一つは通俗的でもう一つは秘教的。実際、アテン(もっと正確にはセト-アポフィス)は主に、そして元々が個人的に崇拝された神であった。(選民の神一柱と汚れた大衆の神一柱。)

ある時点でセト信仰者は光 ―そして光の神― が大衆の目をくらます(騙す)のに利用できると気付いた。そこで、太陽信仰の暗黒面がアクエンアテンとその配下に好まれた。ルシファー信仰が、謂わば光の幕の後ろで彼の個人的信仰を続け、そうすることで多くを成し遂げた。記号が明かすように、何も変わらなかった。幻惑は誰一人それに気付くことなくまた、教え諭す者の誰も取り組むことなく、衰えずに続いている。

「初期のイスラエル人はほぼ太陽崇拝者であった。後年になっても太陽神バールは猶太の信仰をジェホヴァと分かった。サウル・ヨナタンダビデはその子供をこの神を讃えて名付けた。」ジョン・E・レムズブルク

 

 

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太陽神にされたセトの異形神、アテンを礼拝する
ユダのライオンの姿で描かれたアクエンアテン

太陽神にされたセトの異形神、アテンを礼拝する、ユダのライオンの姿で描かれたアクエンアテン。上級ラビは、平民が決して想像だにしないことであるが、アドナイがアテンのように太陽神化されたセト(El Sadi又はEl Shaddai)であることを知っている。このような画像は、我々が不合理に支配層の押し付けたユダJudah、古代猶太人Judite、猶太人Jewの定義に固執している限り、解読することが不可能である。

アドナイと言う用語は猶太のラビに、口にしてはいけない名前であるジェホヴァの同意語として使われる。然しながら、これは著者の言い分を肯定するもので、つまりアテン、アドン、アドナイなどのように、ジェホヴァやヤハウェは更にもっと闇の存在の作り変えであると言うことである。それは全て、アクエンアテンとメリトアテン、その従者たちが率いるセトの聖職の仕組みであった。

セトの聖職者が太陽の光を崇敬した理由は、それが明かすところではなく、それが隠すところであった。彼らは太陽の暗黒面を崇拝し、それはエジプト学者、歴史家、陰謀追及著作家によって取り扱われない極めて重大な観念である。それにも拘わらず、それはオカルト仲間の間では最も進んだ教義と原理の一つである。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Irish-Origins-Civilization-Two-Akhenaton-ebook/dp/B007HI1KIE/ref=sr_1_8?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1532954166&sr=1-8