女イルミナティ14

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 シュヴァリエ・ビアンフェザンChevaliers Bienfaisantsの階級

オルレアン公(ルイ・フィリップ・ジョセフ)の大東社メーソンは、リヨンの街に設立された、シュヴァリエ・ビアンフェザンChevaliers Bienfaisants(奇特な騎士:「気前の良い」或いは「善意の騎士」)として知られる秘密のテンプル騎士団-メーソン組織の子組織であった。エリートのシャブタイ猶太人が居て頭でっかちのリヨンの街はセプティマニア*に近く、アテン信仰者で、マグダラのマリアに遡る王朝であるオレンジ家の祖先が頻繁に訪問した地方である。マグダラのマリアの子孫は現在ではオランダと英国の王位に就いている。
*セプティマニア(仏: Septimanie)は、南フランス地中海沿岸のローヌ川西方の地域 

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セプティマニアとリヨンの位置関係 

悪名高きセオドア・ロッジLodge Theodore*は、シュヴァリエ・ビアンフェザン・ロッジの支部である。これらのロッジの会員は程なく主な国家機関や公共施設と同様に、ヨーロッパの多くのメーソン集団に潜入した。この結社からメーソンのカドッシュの騎士として知られる階級が来た。そしてそれは、他のことに相俟って、ジャック・ド・モレーの死を記念するものである。それはメーソンの「自由思想家」の誓いを記念し、王制と宗教を顛覆し、それによりモレーの捕縛と殉死に復讐をするのである。それ以降、世界の君主と指導者は薔薇十字会-メーソンとテンプル騎士団により、選ばれ、置かれ、導かれて来たのである。スコットランド儀式とアダム・ヴァイスハウプトのイルミナティはこの擬装のテンプル騎士団支部に外ならなかったのである。ヴァイスハウプトはロッジ・セオドアの構成員の最も「熱心な」者として次の様に記述される。
*Lodge of Theodoreはウェールズ地方のフリーメーソンの一派か? 開示された資料が少なく、詳細不明。

「事実は、ヴァイスハウプトは大陸のメーソンを腐敗させたのではない。腐敗は彼の結社が権力の立場に上り詰めるずっと以前にすでに始まっていた。彼は単に腐敗を完成し、組織し、指図したに過ぎないのである。」―神父クラレンス・ケリー著「神と人類に対する策謀」

「リヨン」と言う言葉は、獅子を含意し、それは太陽の円盤に次いで、アテン信仰者の最も重要な記章である。女王の母親の苗字は、スコットランドの名門一家リヨン家に因んだボウエス-リヨンBowes-Lyonであり、スコットランドのグレン・リヨンは、強大な大アテン信仰者のメンジーズ家*の頻繁な訪問先であることに注目する。さらに重要なことに、フランスのリヨンは、秘密結社の伝承の中では悪名高きコルマーKolmer、つまり他ならぬハプスブルク家の貴族でイルミナティの後援者、シャルル・ド・ロレーヌの目的地で頻繁な訪問先として知られているのである。
*Clan Menziesは、スコットランド北西部、ハイランド地方の領主の家系
(詳しくはこちら:http://www.stichtingargus.nl/vrijmetselarij/cbcs_en.html

ハプスブルク家もまたロレーヌ家の一員であり、従ってシオン修道会の会員の一番の候補であった。」―コリン・ウィルソン著「アトランティス青写真Atlantis Blueprint」

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カール・ゴットヘルフ Karl Gotthelf(1722~1776) 

フォン・フント男爵であるカール・ゴットヘルフ(1722~1776)はフランスとドイツで活動するテンプル騎士団代理人であった。彼の仕事はある王家と貴族の一団を新しいテンプル騎士団-メーソンのロッジと組織に誘って(誘惑して)引き入れることであった。彼は「スコットランドメーソン」の一員であった。その名前は、スコットランドではなくアテン信仰者を暗に意味するものである。何れにしてもこの結社の上級者はスチュアート朝の支持を装った。フォン・フント男爵は、いとしのチャールズ王子(チャールス・エドワード・スチュアート)をスコットランド儀式に入れようと試みた。彼はまた、厳格遵守として知られるテンプル騎士団のメーソン支部を設立したことでも賞賛されている。研究者の中にはテンプル騎士団メーソンとカトリックの王族の間の固い同盟を否定する者も居るけれどもその立場を実証するには殆ど事実がない。多くの貴族がこの種の秘密のカバルを避けたのは事実であるが、幹部になった者や支援者も居り、今もそうである。(下を参照)公式には、厳格遵守はドイツと関連があり、一方でスコットランド儀式は主にフランスと関連がある(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Rite_of_Strict_Observance

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イニゴー・ジョーンズ Inigo Jones(1573~1652) 

イニゴー・ジョーンズ(1573~1652)は英国の主な建築家の一人で、ロンドンやその他の場所で壮大な広場や建築物の責任者であった。彼はまた大陸からブリテンに運ばれてきたメーソンの新しい様式の設計者の一人でもあった。このメーソンのより悪意に満ちた形態は薔薇十字団とテンプル騎士団の要素を重く吹き込んだ。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Inigo_Jones

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薔薇十字はヴィーナスと金星(ヴィーナス)のカルトを指す女性の記号である。薔薇十字会により記号として取り入れられ、それは初期のテンプル騎士団の教会の建物にも見出せる。赤い薔薇(薔薇十字団とテンプル騎士団に使われた)はまた、金星の記号でもある。神話によると、花の赤い色はヴィーナスの犠牲となった息子で愛人のアドニスのこぼれた血からである。ここでもメーソンの伝統の中心である儀式的傷(去勢)の思想の暗示がある。

メーソンの儀式的男根の傷 ―テンプル騎士団の禁欲の誓いの見せかけ― は明らかに女性の意味合いでもある前掛けの装着によって暗示される。コンパス(ぶん回し)はスコットランド儀式メーソンに使われる記号故に現れる。これは、スコットランド儀式やその関連階級を18世紀と19世紀にメーソンに導入したのが薔薇十字団(テンプル騎士団)であったので興味深い。もっとよく知られたスコットランド儀式の記章は双頭の鷲であり、これは元はヨーロッパの君主、特にハプスブルク王朝に使われていたものであった。これはまた、先の病院騎士団であるマルタ騎士団の記章でもある。

宝石の最上部の王冠は中心的アテン信仰者 ―ファラオ・アクエンアテンとその子孫を表す。大切な点は、王朝によっては、そして強力なメーソンの個人や家族は巧妙にキリスト教信仰の上辺を飾って主張したけれども、彼らは更に異国の個人的形態の信仰を決して捨てたわけではなかったと言うことである。

学者の中には薔薇の記号をペルシャ或いはミトラの信仰まで遡る者も居る。これは、元々のテンプル騎士団とキリキアの海賊、暗殺教団、スーフィー主義者*、イスマーイール派、その他の中東の秘密結社との間に密接なつながりがあったことを前提とすれば、納得して受け入れられるものである。テンプル騎士団は、スーフィー主義者やイスラムの蔽いの向こうに隠れた、イスラム以前の(そして更には反イスラムの)ペルシャ(イラン)のカルトと関係していることは殆ど疑う余地がない。これらのミトラ的宗派は、暫く衰退して来ており、必ずしも過去の時代からのもっと正統な形で認識できるものではない。後者(過去の正統な形)は勿論、イスラムキリスト教の起こる以前は支配的であった西方の高貴なドルイドと提携していた。ミトラのカルトは薔薇の記章を女神の普遍的記号として取り入れた。テンプル騎士団、薔薇十字団、メーソン、等々に取り入れられて、この記章は常に、その名において工作している、至高の女神と超秘密の姉妹同胞を暗示するのである。
*Sufiは、イスラム神秘主義哲学者。

「スペインに於いては、イスラム教徒が騎士団の屋敷を礼拝の場所として使うことを許されるまでに、テンプル騎士団ムーア人との和解に達していたのであった。」―ヒルシュマンとイェーツ著「スコットランドが猶太であった時代」

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もう一つの有名なスコットランド儀式の記章、十字架と王冠

もう一つの有名なスコットランド儀式の記章、十字架と王冠である。十字架は赤で、テンプル騎士団に使われたものと同じと明かされていることに注目しよう。メーソンの高位の騎士的つまりテンプル騎士団的位階はメーソンの間では、最初の三つの「青い階級」と区別するため、「赤い階級」として知られる。これは、「赤(red又はreds)」と言う用語がテンプル騎士団を暗示することを意味する。王冠はアクエンアテンとその太陽カルトの子孫を表す。標語の「In Hoc Signo Vinces」は「この印に於いて我征服す」を意味する。これは、伝えられるところでは、公式なローマキリスト教の設立者であるコンスタンティヌス帝が空に見た印(像)である。この二重の意味はルシファーとその地上の士官に向けられている。

著述家ジュリ・リーナによると、アメリカとカナダの最も裕福な猶太人の中にはスコットランド儀式のロッジに属している者がいるそうだ。

テンプル騎士団に逃げ場所を提供した最も古いメーソンロッジであるフリーメーソンスコットランド儀式は、14世紀にスコットランドに亡命を求めたテンプル騎士団により設立された。これは残りのロッジがそれに続く先例となった。スコットランドのロッジの最高階級の肩書は何世紀も前にテンプル騎士団に与えられたものと全く同じであり続けている。―ハルン・ヤヒヤHarun Yahya(アドナン・オクタル)著「テンプル騎士団

これらの「猶太人」は実はシャブタイ派つまりジャコブ・フランクに率いられ、そしてそれ以前はサバタイ・ズヴィに率いられたルシファー信仰宗派の結社員である。この宗派は更にもっと以前のアテン信仰者やセト信仰者に遡る。シャブタイ派は通常の宗教的猶太人の軽蔑する敵であり、通常の宗教的猶太人は利用するだけの愚か者として、そして残りの人類のように獲物として扱われているのである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sabbatai_Zevi とこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html