女イルミナティ15

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フリーメーソンの内部組織 シュライナーの記章 

古代アラビアの神秘の神殿の貴族の結社(シュライナー)は、スコットランド儀式メーソンの高位の支部で、多くがカトリックの会員である。スコットランド儀式の創設者の一人であるアルバート・パイクはカトリックであった。多くの著名な政治家、有力者、テレビのタレントはシュライナーである。

ファラオ・アクエンアテンの顔と五芒星に注目しよう。上下逆向きの三日月はヴィーナスの惑星とカルトを暗示する。三日月刀は(象徴的そして時には肉体的な)去勢の儀式を暗示する。偉大な女神の選ばれた奉仕者は、常にカストラートや宦官である。前の論説で述べたようにアテン信仰には西洋支部と同様にオリエント支部がある。多くのローマの兵隊や皇帝でさえもが、ミトラのカルト(それは実はキュベレーの女神のカルトであった)、アモン(アメン?)、ディオニソス、プリアーポス、セラピス、ソル・インウィクトゥスなどのような東方の疑似メーソン結社の会員であった。更には、キリキアの海賊もある。この海賊の記章が偶然にも?エール大学のスカル・アンド・ボーンズ友愛会のものにも見られる。

トルコの三日月刀は彗星の記号と重なる。そして彗星はと言うと、エジプトの悪の神、セトの記号である。(これについて詳しくは次の論説を読んで下さい。)

シュライナーの間ではオリエント神殿の貴婦人やナイルの娘たちとして知られる女の結社がある。後者の名前は最も暗示的である(番組動画を見ること)。シュライナーに関係する支部は奇妙なケツァルコアトル結社がある。(詳しくはこちら:http://www.masonicdictionary.com/dotn.html

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テンプル騎士団の旗は、メーソンの会堂の床に見られるように、白黒である。赤い十字架はイングランドの公式な記章で、聖ゲオルギオス(セントジョージ)の十字架として現れる。示唆的に、赤い十字架はまたブリテンの最も権威ある騎士のガーター勲章、聖ミカエル、聖ゲオルギオス勲章の旗に現れ、これらの騎士団は女王エリザベス二世により指名される。プロテスタントの騎士団は自分たちが敵と見做す者の記号を使うことに反感はないのだろうか? もっとお気に入りの記号は他に五万とあるのではないだろうか? テンプル騎士団の円形の礼拝堂は、テンプル騎士団の記号で覆われた街、世界中を支配するその街、そのロンドンのど真ん中に建っているのである。勿論、「偶然」だけどね(反語)。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Temple_Church

「…テンプル騎士団はヨーロッパで起きていること全ての絶対的中心として残ったのである。そして更に言えることは、彼らは我々が今日知って居るところの西側世界の形成に部分的に貢献したのである。テンプル騎士団の国家はスイスであったし、今でもそうである。」―バトラーとデフォー著「騎士と金融業」

第一次大戦の後、國際聯盟が形成されたのはジュネーヴに於いてであった。そして国際赤十字が19世紀に存在するに至ったのもまたジュネーヴであった。それよりもっと前、スイスはプロテスタントの考え方の先駆けとなる観念を育んだ。そのプロテスタントの考え方は、ジュネーヴに重要な砦がなかったならば、16世紀と17世紀の強大なカトリック教会の遅滞と腐敗の影響力に対抗して、決して生き残る可能性はなかった筈であった。」―同上

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病院騎士団 the Knights Hospitallerの紋章

病院騎士団の紋章。この騎士団は、テンプル騎士団より約60年早く西暦1060年頃に設立された。やがてはロードス騎士団へと変わり、最後にはマルタ騎士団となった。今日に至るも未だ存在し、世界で最も古い騎士結社であり、研究所の中には、テンプル騎士団が14世紀に教皇によって消滅の脅威にさらされた後、その大量の財宝を預託されたと信じる者もいる。

見かけ上、公式にはカトリックであるが、この結社はプロテスタント聖ヨハネ騎士団(正式名:最も尊ぶべきエルサレムの聖ヨハネの病院結社)と多くを共有する。実際、先のマルタ騎士団の長であるアンドリュー・バーティは、プロテスタント聖ヨハネ騎士団の長である英国のエリザベス女王から見て5代前の祖先が同じ従兄弟の孫(fourth cousin twice removed)、と言う親戚である。カトリックの病院騎士団の正式名は、エルサレムの聖ヨハネの病院の騎士団、である。この名前は威厳があり、神聖な響きがあるが、ここではヨハネバプテスマのヨハネを指す。これら二つの騎士団(カトリックプロテスタント)と衛星支団はその用語の常識からはキリスト教徒ではない。

病院騎士団は、ロードス島からキプロスを経てマルタに移動し、そこからイタリアの異なる場所に移動した。実際、最初期の病院騎士団の集団は聖地での慈善事業に献身した超裕福なイタリア商人で成っていた。それが、結果的に教皇から軍事化する許可を受けた。後年、最後には「マルタ騎士団」として病院騎士団はローマで創立し、今に至るまでそこに存在し、その本部はヴァチカンから遠くはない。その構成員は連合国(国連)で主権団体つまり国家として議席があり、合法的に思い通りに物申しているのである(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sovereign_Military_Order_of_Malta

今日に至るまでマルタ(病院)騎士団の守護聖人は「フィレルモスの聖母」である。これは、ヘレナ女王、或いはヴィーナスのカルトのもう一つの女族長を遠回しに指していないだろうか?

「Prieuré documents(プリュー文書?)によると全ての棟梁はその地位を引き継ぐ際に、ジャン(ジョン又はヨハネ)或いは、4人の女性が居たので、ジャンヌ(ジョアン・ヨハンナ)と言う名前を取り入れた。シオンの大棟梁は従って1188年以来今日に至るまで、ヨハネとヨハンナの継続的繰返しで成っていたと伝えられる。」―ベイジェント、レイ、リンカーン著「聖なる血統、聖なる杯」

エルサレムの、ロードスの、そしてマルタ(マルタの主権軍事騎士団SMOMとして知られ、略してマルタ騎士団)の、聖ヨハネの主権軍事病院騎士団は、イタリアのローマを本拠地とするカトリックの騎士団である。…そのローマにある二つの本部は、コンドッティ通り68のマルタ宮殿(大棟梁が住まい、政府の機関が会議をする場所)と、アヴェンティーノ街のヴィラ・マルタ(そこにはローマ大修道院、聖座(教皇の)大使館、イタリア大使館がある)であり、治外法権が認められている。―Wikipediaマルタ騎士団の記述

テンプル騎士団の公式の禁制の後、テンプル騎士団と病院騎士団の間で争いが起こった。この争いの中には歴史の流れを変える程重大なものもあった。著者が信じるところでは、争いは最後には決着し、しかも時を経て病院騎士団は、―ポルトガルのモンテッサ騎士団やキリスト騎士団のように― 充分に、そして真にテンプル騎士団の聖職者に潜入され、最後には完全に乗っ取られたのであった。

それからあとの聖職者は元の病院騎士団の色を自分たち自身の色として採用した可能性が高い。この場合、白い十字架は彼らの主要な記章と考えられるはずである。

テンプル騎士団禁制の前は聖職者の色は茶色と緑であった。勿論白い十字架は単純であるが、効果的な記号的置き換え、或いはテンプル騎士団の赤い十字架の反転と理解される。多くの銀行、信用機関連合、保険代理店、資産代理会社、開発会社、その他の企業がこれを使い、そして類似の赤と白のロゴを使っていることに注目しよう。(聖職者について詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

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ガーター勲章の盛装

英国の騎士の最高勲章であり、最も権威のあるガーター勲章の盛装。それはこれが単に大英帝国の記章であるため、と言われるであろう。しかし、真実は、この記章がテンプル騎士団から来ていることにある。であるから、見かけがカトリックであろうとプロテスタントであろうと、共通の秘儀の繋がりが表層の下で動いているのである。

ガーター(靴下止め)は、楯と赤い十字架を包んでいる青いベルトを指す。この蛇の形状の靴下止めは姉妹同胞を表す。記号的にはそれは「二度生れ」新しい命と使命に拘束或いは繋がれたことを表す。殆どのガーターベルトは菖蒲の文様を特色とし、シオン修道会つまり姉妹同胞を表している。1955年の女王エリザベス二世の戴冠式では、ヘンデルの壮大な祝歌「祭司ツァドック」が歌われた。ツァドックとは、紛れもなく、メルキゼデク、暗号的にファラオ・アクエンアテンを指すものである。

余りにもかけ離れたことに聞こえるが、記号はこの表面上はプロテスタントの騎士団がテンプル騎士団や更に姿のはっきりしないシオン修道会と少なくとも繋がりがあることを我々に伝えてくれる。

ガーター勲章の騎士の印は、金と五枚の花びらの赤い薔薇から成る宝石で飾られた襟がちっぽけな靴下止めの中にあしらわれたものから成る…。襟からつるされているのはイングランド守護聖人である聖ゲオルギオスが龍を殺すところを表す。」―ベイジェント、レイ、リンカーン著「聖なる血統、聖杯」

「…テンプル騎士団の伝統は、エドワード二世の息子であるエドワード三世(在位:1327~1377)が創設したガーター勲章の下で新しい偽装をしたように思われる。エドワード三世の妹ジョアンナは、ロバート一世(ブルースのロバート)の息子スコットランドの国王デイヴィット二世に嫁いだ。フランスの宮廷に亡命中、ブルースのロバートを助けに来たScots Guardの名で知られるテンプル騎士団の派閥から派生したスコットランドの護り(Guarde De Ecosse)を創設したのはデイヴィッドであった。Scots Guardが何年も続く間にその歴史に関わった二つの著名な家系は、シンクレア家とスチュアート家であった。フランスでは彼らはフランスの王達の個人的な警護者となった。」―デイヴィッド・リヴィングストン著「テロとイルミナティ

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アルバート・パイク Albert Pikeの像

「全ての秘密結社がそうであるように、テンプル騎士団も二つの教義を持って居た。一つは秘儀で指導者のみのもの、もう一つはこうかいされたものである。」―アルバート・パイク

「騎士団は生き残った、異なる名前で、無名の棟梁に率いられて、そしてその存在は、一連の階級を経て来た者により、危険な秘密を託すに信頼に足る証を立てた者にのみ、明かされたのであった。」―同上

ワシントンDCのテンプルの家the House of the Templeの近くにあるスコットランド儀式メーソンの創立者で長であり、テンプル騎士団のルシファー崇拝者であったアルバート・パイクの記念像。 スコットランド儀式メーソンの軍旗を持って居る女性に注目しよう。これは単なる飾りであろうか、それとも丸出しの手掛かりであろうか? 結局のところ、メーソンのどこにも正真正銘の男性の記号を見出すことは困難なのである。番組の中で示すように鷲は女性の印である。女性の像が彫像の台に座って、双頭の鷲の旗を持って居ることに注目しよう。この女性はメリトアテン[1]その人を暗示し、スコットランド儀式メーソンへの旗は彼女の ―スコタ[2]の儀式― に捧げられているのである。(スコタとスコットランド音の類似に着目 ―燈照隅コメント)

 

[1] メリトアテンは、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアメンホテプ4世と正妃ネフェルティティの長女であり、アメンホテプ4世の共同統治者スメンクカーラーの妻である。 アンケセナーメンの実姉にあたる。 メリタトンとも表記される。

[2] スコタはエジプトのファラオの娘、というアイルランドスコットランドの伝説がある。

 

註:これまでザドックと表記していた(Zadok)の読みをツァドックに変更・統一しました。(燈照隅)