女イルミナティ17

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ナポレオン・ボナパルトとその尊大な甥ナポレオン三世

ナポレオン・ボナパルトとその尊大な甥ナポレオン三世。どちらもヨーロッパのテンプル騎士団により設定され、先導され、そしてどちらもその治世にテンプル騎士団の政策を進めた。ナポレオン三世は、敵対するメーソンの集団とロッジが間違いなく弱体化され、閉鎖されるように手を尽くした。彼らの秘教的背景と影響力はヨーロッパ全土でテンプル騎士団-薔薇十字団の流儀のメーソンの復活を容認した。重要なことは、この復活が教皇の容認を受けたことである。これは教皇自身がテンプル騎士団の据えた者であったことに疑いない。

「ナポレオン朝の間の秘密結社への寛容はテンプル騎士団の復活に繋がった。1808年の3月に新生テンプル騎士団(ネオテンプル騎士団)がジャック・ド・モレーの鎮魂祭を公に(公然と)執り行った。この鎮魂祭は、騎士団復活の大司教であったノートルダム規範であるアベ・ピエール・ロマンにより、統括された。」―マイケル・ハワード著「オカルト(秘教)の陰謀Occult Conspiracy」

「メーソンが今のメーソンでありつつ、君主、財産、そして社会に反する明確なあらゆる継続的運動にも拘らず、如何にして、常に王族や貴族の指導者をどうにかして獲得して来たのか、それは妙な話である。メーソンは前世紀(18世紀)にフランスの王位に反対する運動を導いた平等(égalité)の観念を持って居た。メーソンには、援助するブラウンシュヴァイクBrunswick公、フリードリヒ二世、ヨーゼフ二世が居た。今世紀(19世紀)我々はそれがルイ=フィリップ(在位1830~1848)、ナポレオン三世(大統領1848~52、在位1852~70)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ(在位1861~78)その他が名前だけの長として飾られたのを見る。ヌビウス*とパルマーストン**はどちらも保守的貴族の指導者から選ばれ、その真の長であった。」―モンシニョール・ディロン著「大東社メーソンの仮面を剥がすGrand Orient Masonry Unmasked」
*Nubiusは、Haute Vente Romaine(ローマの高級セール)という集団の首領の偽名で、この人物の二代目イルミナティ首領マッツィーニに関する記述から、この人物こそ陰でイルミナティを操っていたと思われる。
**Palmerstonは、文脈から英国のアイルランド貴族で政治家、英外相・首相を務めたパーマーストン子爵と思われる。

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カトリックテンプル騎士団・メーソンの敵対

苦境にある他の仲間を助けると言うメーソンの誓いは実際にはテンプル騎士団の伝統である。イングランドのメーソンは14世紀にシンクレア一家*のスコットランド到着からテンプル騎士団の立場を引き受け、イングランド国王ジェームス一世(スコットランドのジェームス六世)の治世にはあからさまであった。これで何故、ヨーク儀式が、スコットランド儀式、大東社、厳格遵守のフリーメーソン支部と同様にテンプル騎士団の記号と伝統に満ちているかの説明がつく。テンプル騎士団の人目を避ける存在のため、メーソンの様相は変化したけれども、不思議と、そして示唆的に、それはカトリックにはならなかった。テンプル騎士団がその始まりから見かけ上は熱心なカトリックで、教会の守護者であったことに鑑みて、大半の評論家はなぜそうなのか、納得できる説明が出来ない。
*Sinclair家は、ノルマン起源(St.Clair)と言われるスコットランドの貴族。オレンジ公と共に英国征服に従事し、その後、11世紀にマルコム三世との婚姻関係からロスリン男爵となり、ハイランド地方の領地を与えられた。ここでの「14世紀の到着」は11世紀の間違いでは?(燈照隅コメント)

然しながら、その謎は、ラルフ・エリスが示すように、メロヴィング朝が女王ヘレナの直系の子孫であり、その女王自身とその王朝がナザレの宗派と提携していたことを我々が理解すれば説明がつくのである。(これについて詳しくは論説4を:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html

この忠誠心はテンプル騎士団とその関係団体を教皇に対抗させた。教皇はその最初からナザレの教会には反対していた。その結果として、教皇テンプル騎士団-メーソンの力の増大を恐れ、その影響力を抑えようと試みた。教皇クレメンス12世の教皇勅書「In eminenti」は、カトリック教徒がメーソンの集団に加入することを避ける取り組みの中で草案された。14世紀以来世紀ごとに教会からの警告が信者に対してメーソン結社との交流を避けるように警告を発していた。

テンプル騎士団はまた、暗殺教団のような東方の宗派とも密接に関わっていた。彼らはまた、アルメニア人とレバノン人のキリスト教徒、それに悪名高いキリキアの海賊(故に髑髏と骨の記号)、更に超裕福なイタリアの商人とも密接に繋がっていた。

「我々は、テンプル騎士団がその始まりから ―ロンドンに大ロッジが形成される遥か以前から― フリーメーソンに特有のものであったことを示した。」―バトラーとデフォー著「騎士と金融業者」

「ヨーク儀式フリーメーソンは、キリスト教の記号に満ち満ちながらも、未だテンプル騎士団の信仰を ―恐らく他のどのフリーメーソンよりも大きな程度で― 信奉している。」―同上

2001年9月、バーバラ・フレールBarbara Fraleは、ヴァチカンの秘密記録の中に、1308年8月17~20日付のチノン羊皮紙の複写を発見した。教皇クレメンス5世が1308年に騎士団の指導者を免罪したことを指摘する文書である。フレールは2004年に中世史ジャーナルに自分の発見したことを発表した。2007年、ヴァチカンはチノン羊皮紙をテンプル騎士団に対する審問(Processus Contra Templarios)の799の複写の限定版の一部として発表した。もう一つの1308年8月20日付のフランス王フィリップ4世宛のチノン羊皮紙は歴史家にはよく知られているが、それには異端を告白した全てのテンプル騎士団員が赦免され、『そして教会の秘跡(儀式)と統一に復帰させた』と記述されている。」―ウィキペディアオンライン百科事典「テンプル騎士団の歴史の項目」

テンプル騎士団の上級幹部はヴァチカンの支配権を引き継ぐ動きに出て、その聖職者を通してそれに成功したと言うことに疑う余地は殆どない。統御の変化は恐らく19世紀の終わりか20世紀の初めに起きた。それは第二次大戦以後、徐々に教皇社会主義へと変節して行くことを説明する。(詳しくはこちら:http://www.michaeltsarion.com/the-red-papacy.html

 

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 三日月は月ではなく金星(ヴィーナス)を表す場合がある

このイスラム教やイスラム国家と関係する印は純粋に女性である。マグダラのマリアは秘教の仲間内では「三日月の聖母」として知られている。三日月はヴィーナス(金星)を表し、白い星は有名な「明けの明星」(秘教ではルシファー或いはシェキナー)としてヴィーナス(金星)を描いたものである。緑色もまた、女神に関連する。アッラーは元々はアラット(Allat)つまり女神がその土台であった。メッカのカーバは実はこの女神の神殿である。

次の論説で解るであろうが、テンプル騎士団(とシュライナー)はイスラム教の過激主義、もっと正確には現今のイスラム共産主義の脅威の裏の司令塔である。中東からの多くの扇動者は西洋で訓練され教育された。(詳しくはこちら:https://www.youtube.com/watch?v=IksrzGhLs7E&t=1857s

 

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CFR(外交評議会)の記章

強大なCFR(外交評議会:チャタムハウス或いはロンドンの王立国際問題研究所のアメリカ史部)の強烈な記章。

これとテンプル騎士団の記号を比べて見よう。馬は全能の姉妹同胞(売春婦Whore)の操縦している集団を表す金星の記号である。騎手の手は天に向かってVの字を描き、金星(或いは知られているようにルシファー)の昇りに挨拶をしている。馬の下の巻物はUbiqueと言う言葉を示しているが、その意味は「どこでも」或いは「あらゆるところに」である。

この像を研究していると、騎手が馬の方向を制御しているのか、はたまた逆なのか疑問に思うかもしれない。馬の記号はまた示唆的に悪名高きヴェルフ家(Guelph Dynasty:所謂ヨーロッパの「黒い貴族」)の旗と記章に見られるものともよく似ている。イングランドの女王エリザベス二世とウィンザー家はこの、起源をフランスのテンプル騎士団メロヴィング朝まで遡る古代の犯罪一家、と親戚である。これは、アメリカのCFRが英国の支配下にあることを意味するのであろうか? 答えは「その通り」である。(詳しくはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Guelphic_Order

 

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ものみの塔(Watchtower)
エホバの証人によって月に1回発行されている機関誌

モルモンやエホバの証人のようなカッコー(托卵)組織は、その暗示する記号と全体の教義から、多くの隠密な目的に仕えるテンプル騎士団支部である。十字架、王冠、甲冑の記号、それに直接アスタルテとマグダラのマリアを暗示する塔に注目しよう。エホバの証人とシオンのものみの塔の会の創設者であるチャールズ・テイズ・ラッセルは、明らかにメーソンの意匠のピラミッド型の墓石で記念されている。モルモンはその若者を「メルキゼデクの僧侶の名において…」と言う宣言と共に伝道活動に加入させる。この言葉はキリストの名前に言及するより前に語られるのである。メルキゼデク或いはツァドックは、アクエンアテンとその血統の暗号的筆名である。

 

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サイエントロジー

今日のテンプル騎士団の資金による組織には、あの珍奇で超裕福なサイエントロジーも含まれる。他の表看板組織には古代神秘薔薇十字団(AMORC)やマルティニストも含まれる。

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イエズス会の記号(堕天使と太陽の記号)

イエズス会が使う太陽の記号はアテン信仰に遡る。太陽の記号は啓発的でもあり、隠蔽的でもある。テンプル騎士団に関する限り、アテン信仰とセト信仰など、彼らの王族とその召使いの周りに現れる太陽の記号は、彼らの真の身元を隠す役割をする。上の図が伝えるように太陽の輝く光線の下には、その後ろと同様に何かが存在する。

堕天使サタンの脇に天使らしきものと修道士がみられる。彼らは何をしているのか? 彼らは太陽を礼拝しているのか、それともサタンを礼拝しているのか? 女性(に見える)天使は姉妹同胞を表しているのだろうか?

メーソンではヒラムとして知られる人物の復活の儀式を見出だすが、彼の生への帰還の儀式は実際はルシファーに関係する。勿論堕天使ルシファーつまり悪魔の物語は単に全く物質的な、天国ではなくエジプトでやんごとなき王位を失った背教異端の王ファラオ・アクエンアテンの失脚の暗号的隠喩に過ぎない。アクエンアテンの名前とその物語は、ツァドック、メルキゼデク、モーゼ、アーロン、ソロモン、ヒラム・アビフ、ラザラスなどの名前や肩書の裏に、メーソンの集団により狡猾に隠されて来た。追放、失われた部族、荒野、(獣の)皮を被った預言者、崩壊した神殿、壊れた円柱、棺、斬首された首と髑髏、などの像もまた、アクエンアテンのファラオの力の喪失に帰するのである。

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オーストリア=ハンガリー帝国の紋章、そしてハプスブルクとその親戚の王朝の紋章は、エデッサの家を彷彿させるものである。

この複雑な記号は多くの場所に現れる。今日これはエルサレムテンプル騎士団の宮殿とマルタ島の島全体にあるテンプル騎士団の建築物に掲げられているのがみられる。これは、自らを今日の聖職と見做すスコットランド儀式メーソンの高位の印である。王冠の上の宝珠と十字架に注目しよう。これは、ヴィーナス(金星)カルトの優位性を表し、剥き出しの剣はアテン信仰者の復讐の渇望を表す。

ある段階ではこの像はキリスト教の第四と第五宗派、即ちナザレ-エデッサ派と教皇派の教会とイデオロギーの敵対と究極の統合を表すかもしれない。

この記号はまた、黒い貴族により考案された最も重要な戦略、即ち二つの関連した信仰の形、公と個人、或いは通俗的信仰と秘教的信仰を表す可能性もある。

もう一つの話の筋から、これはまた、アテン信仰者とセト信仰者の功利的同盟をも表わす。太陽信仰がセト信仰の運動を隠す道具として。

二元的記号(シンボリズム)が、ここで言及した秘密結社の顕著な特徴である。ここには、光と失われた光、そして双子のヴィーナスの三日月がある。太陽と太陽の暗黒面、そして馬に跨る二人の乗り手が居る。交差する剣、オリーブの枝と矢、黒い方形と白い方形がある。分割したコンパス、二重十字架、そして十字架と王冠がある。分割と統治、そして何よりも重要と思われるのが、「混沌から秩序(Ordo ab Chao)」と言う方針があることである。