女イルミナティ28
論説4 黒い貴族
マイケル・サリオンのサイト
ホームページ:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html
序論
論説1では著者は黒い貴族の歴史のあらましを紹介した。その中で彼らはどのように女家長制で、そうあり続けたか、そして彼らの世界支配は教皇のそれと同じくらい専制的であることを示した。
それぞれ別個のオカルト(秘儀)研究を一緒にして纏めたい向きには、黒い貴族の研究は本質的である。これらの海賊的な家系 ―セト-アテン信仰者― は我々の世界を混沌と災害に向けて進め、ハナからそうして来たのである。我々が共産主義や社会主義として知っているものも、極めて少数の者しか知らない、彼らの地下世界の陰謀の20世紀版の兆候に外ならない。
「共産主義者の陰謀は単にさらに大きな陰謀の一つの枝に過ぎないと私は思う」―ベラ・ドッド博士(全米共産党の前国家委員)
ジョン・コールマン博士(前MI6(英諜報機関)局員で内部告発者)が思い出させてくれることは、黒い貴族と言うのがこれらの家族により自らをそう記述する言葉である、と言うことである。これは、過去の時点で、マフィアのように、彼らがその自らの黒い悪行で知られることを楽しんだためである。今日我々は巧みに情報流通企業(メディア)に騙され、誤魔化されているが、その情報流通企業はこれ等の家族を偉大な博愛主義者や後援者として代表し、彼らは実際、その強大な騎士団や馬術団の結社の裏に居るだけでなく、人類に対する想像を絶するような犯罪を犯している邪悪な悪魔カルトの網目組織でもある至高の権威なのである。(詳しくはこちら:https://unslaved.com/episode-122-irelands-satanic-cults-caleb-colley/)
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わが子と結婚して、自ら(女王)の名において世界の王位に就かせるために自分の夫を殺害した古代の女王たちは、道徳的代表とも人類の恩人とも考えられなかった。彼女らは、アトランティスの時代にも遡る歴史を持って居るルシファー信仰の女性カルトと一貫した(同じ)行動様式をした。 |
著者のテンプル騎士団と女イルミナティ(シオン修道会)の起源と歴史に関する黙示録は、同じく起源を古代エジプトにまで遡る黒い貴族の歴記物語に直接衝撃を与えるものだ。この古代世界との策謀的繋がりは、我々が最も重要な黒い貴族の一つであるオレンジ(オラニエ)家を研究すると、特によく見える。
オレンジ家は最も古代の組織である。この家系は長い間多くの他の貴族の家系とヨーロッパや世界を通して婚姻関係を築いてきた。プロテスタント教に改宗したのち、彼らの子孫は、1690年今日のウィンザー家の祖先が支配君主になったときにブリテンに渡った。
然し、我々は彼らの素性のことについて何を知っているだろうか? 彼らのことについては余りにも多くが書かれ、伝えられたが、その辺りの街を歩いている人間は、エリザベス女王やベアトリックス女王について何を知っているだろうか? 彼らの嘗ての敵、彼らの目指した世界権力を否定したが、敗北した者 ―教皇― について我々は何を知っているだろうか? そして彼らの手には何の権力が残っているのだろうか?
世界を支配する者にとって都合の良い仮面として役立ったプロテスタントとカトリックの呼称を以て、我々は黒い貴族がこの擬装を大きく利用したことがわかる。著者の意見では、我々が彼らをプロテスタントと考えることは全くの誤りだと考える。我々はまた、教皇を取り巻くエリートをカトリックと考えることも等しく誤りである。これらの敵対集団の構成員はルシファー信仰の、或いはセト-アテン信仰者として考えられるべきである。この意味で彼らはヴィーナス(金星)のカルト、龍宮廷、或いはシオン修道会の、使徒であり、そして場合によっては直接の子孫ですらある可能性がある。彼らの儀式、記章、紋章、記号の研究はこの事実に疑いを差し挟まない。
広報活動の仮面の後ろでこれらの家系は互いに宗教の宗派関係とは無頓着に互いに交流するのである。「プロテスタント」のオランダ王室はスペインやハンガリーの貴族と親戚であり、その各々は ―ファン・カルロス王*のように― 「カトリック」である。アルファ・ロッジの結社員にとってそれは全て大衆を欺くために練られた体裁の問題である。それは何世紀もうまく機能して来た故に、到る処に居るその内通者はほくそ笑むのである。
*Juan Carlos I(1938~)は、スペイン国王(在位: 1975~2014)。スペイン国王アルフォンソ13世の孫として誕生し、共和制下の独裁者フランシスコ・フランコから後継者指名を受け1975年11月に即位。立憲君主制下での民主化の推進に貢献し、2014年に退位した。
然し、述べてきたように、我々はこれらの寡頭権力の何を知っているだろうか? 我々は、アクエンアテンの失脚後、新たな神聖でない帝國をアイルランドに作った彼らの祖先のことについて何を知っているだろうか? フランスを植民地化し、後にテンプル騎士団を創立した、彼らのメロヴィング朝の支流のことについて何を知っているだろうか? 更に、ペルシャ、シリア、アルメニア、パレスチナを支配した彼らの東方の支流のことについて何を知っているだろうか? 我々は、自分の夫を殺して後に、自らの息子と結婚し、自らの名において支配するために息子たちを王位に就けたその女王たちの恐るべき権力を知っているか? 我々は、そのような専制君主の一人が、ネロ帝の死後、ほぼ皇帝となった、聖書のイエスであることを知っているか?
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「福音書(の源流?)は多くの点で興味深いが、特にそれが、如何に聖書の家族を極端に金持ちで影響力を持っており、マリアの両親を『裕福』と呼び、『王家の印』を持っているとして描いている点である。」―ラルフ・エリス
偉大なラルフ・エリスの研究は、黒い貴族の起源と歴史に最も深い洞察を与えてくれる。結果として著者は読者にその記念碑的重要な本である「イエス:エデッサの王」をご紹介する。2012年に出版されたこの最高の作品は、古代の黒い貴族の家系がどうなのか、そして何世紀も経て彼らがどのくらいの力を振るってきたかを明かしてくれる。
その著書でエリスが示すようにオレンジ家であるマグダラのマリアがヒクソスの貴族の子孫と親戚であり、そのヒクソスの貴族はエジプト追放の後、イラン東部のパルティアに移動した。この地域から彼らは紀元4年にシリアに移転し、その後、彼らはフランスのプロヴァンスに見出だされる。17世紀には、プロテスタントへの改宗後、彼らはその家系のオランダの傍系と婚姻し、そこからブリテンに渡り、そこで支配する君主 ―ウィンザー家― となった。
この一家は実に古い悪名高きファラオたちからその系統を引いた古代の網目構造である。この網目構造はヨーロッパと世界中に拡がる。黒い貴族はイタリア、シチリア、スペイン、ポルトガル、フランス、アルザス-ロレーヌ、ギリシャ、スイス、ベルギー、オランダ、ブリテンの支配者として一覧を為して見いだされる。この血統の中には、ハノーヴァー朝、ハプスブルク家、ロレーヌ家、ヴェルフ家、ナッサウ家、ヘッセン家、ギーズ家、エステ家、サヴォイア家、マールバラ家、グローヴナー家*などがある。
*各血統の説明を下に纏めて簡単に紹介した(燈照隅)
フィリップ殿下はオルデンブルク家、王太后はボーズ=ライアン家、エリザベス女王はザクセン=コーブルク=ゴータ王朝の子孫であり、チャールス皇太子はバッテンベルクから名前を変えてドイツの起源を隠したマウントバッテン家の子孫である。
「オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)の祖先はフランスのローヌ川の左岸、アヴィニョンの北にかけてのオランジュの町と公国から来た。13世紀にオラニエ伯は自らを公(王子)と名乗り、1544年にはそこのラーン川がプファルツとの境界をなす独逸のナッサウ家の伯爵の一人、ウィリアム沈黙公がウィレム一世としてオラニエ公となった。彼はオランダ(ネーデルランド)に広く領地を持っていた…そして1544年彼の従兄弟ルネの死によりナッサウ-ブレダ家とシャロン-オラニエ家の連結財産を相続した。」―ニコラス・ハッガー*著「西洋の秘史Secret History of the West」
*Nicholas Hagger(1939~)は英国の詩人、作家、文化史家、哲学者で、哲学的普遍主義の主要な支持者。
このパルティアの集団はブリテンに入ったヒクソスの貴族の最初の支流ではなかった。実際は、紀元1世紀より千年以上も前にヒクソスーアテン信仰者の主力は新しい王国をブリテンに築き、ドルイドの結社 ―真実の召使い― をその過程で抹殺した。
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ラルフ・エリスの著書「マグダラのマリア:オラニエの王女」は聖なる血統、聖なる杯の作家たちによって始められはしたが完結していない物語を鮮やかに継続する。この本は本当のマグダラのマリアの起源と冒険についての真実に迫る。そのマグダラのマリアの子孫は今ではオランダ、英国と世界を支配する。 |
エリスによるパルティア-エデッサの貴族の探究は女性の秘密結社については論じない。それにも拘らず、エリスの所見は、この物議を醸す問題に焦点を当てたいと思う者にとって貴重なものである。
著者の動画紹介「東方のイルミナティ」の中で著者は、世界中にその触手を拡げるセト-アテン信仰者のカバルのよく知られていない支流が成す様々な権力者の家族と後援者について言及した。著者の論説「ミトラのカルト」の中で著者はこの問題を取り上げ、如何にしてペルシャとレヴァントの秘密結社が古代マギの秘儀の伝承を受け継ぐようになったかを示した。拝火教が起こるより前、中東から東ヨーロッパにかけてのローマの兵士たち、商人、貴族はミトラのカルトに魅せられた。非常に多くのメーソンの儀式は実際、長く失われたペルシャの伝承に由来するのである。
著者はまた、ペルシャのマギが正真正銘の高邁なアリアン-ドルイド文化の支流であり、彼らもまた後にはコンスタンティヌス帝の教会、テンプル騎士団やイタリアの黒い貴族たちのような専制的な力により抑圧されたことも示した。これら各々の卑しむべき集団は今は忘れられた以前の文化の古めかしい伝承や慣習で自らを高めたのであった。王家の記号の緻密な研究は、同じく秘密結社の記号の緻密な研究のように、これを肯定する。
この古い慣習と原理がなかったならば我々が知るような王家も神権政治もメーソンも存在しなかったであろう。近代世界に於いて我々が周囲で目にするものはすべて大掛かりで、長い時代を経た植民地化、盗用、共喰いの作戦活動の結果なのである。バビロニアのゲオーニームとエジプトのアテン信仰から起こったメーソンは温存はするが、創造はしない。それは、力と狡猾により高邁なアリアンから分捕った儀式と記号を通して、自らとその結社員に権力を与えているのである。
最も重要なことには、著者の作品を通して示すように、男性の記号が使われることは滅多にない、と言うことである。殆どが絶対的に女性である。これが今日の全ての研究者や学者から完全に見落とされている事実である。
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世界で最も強大な秘密結社の目標(agenda)の著者の分析の中で、アクエンアテンの娘、王女メリトアテンが果たした役割を著者は強調する。この王女は伝説によるとアイルランドのケリー郡に葬られた。
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アクエンアテンとネフェルティティの間の娘であるメリトアテン(スコタ)。著者の女イルミナティの番組で明かされたように、彼女はその父の失脚と追放の後、セト-アテン信仰者の司令官に就任した。伝説によると、彼女の遺体はアイルランドのケリー郡に葬られている。彼女の綽名スコタは「闇の人」を意味する。それはスキタイとして知られた部族を暗示する。そのスキタイは恐らくヒクソスの貴族と同じものであった。スキタイ(Scuts又はScots)は元々北西方から来て、それがヒクソス-アテン信仰者の対部分がエジプト追放後にブリテンを目指した理由である。彼らは自分たちの古代の祖国を目指し、成功裡にその新世界秩序をそこに再び打ち立てた。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-i.html) |
メリトアテンの夫はアイルランドの先史時代にミルMil或いはマイルMileとして知られており、スコットScotsにはGaythelosとして知られていた。ラルフ・エリスは、彼こそ他ならぬファラオ・アエAye或いはアヤAyaであると信じており、アクエンアテンの失脚後、王位を追われ、エジプトから逃亡を余儀なくされた。エリスによるとアヤのお気に入りの記章 ―赤い手袋― は北アイルランドの国旗に現れる。この夫婦はダウン郡の周辺を頻繁に訪れた。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Ay)
アルスターの記章に我々はまたダビデ(アテン信仰者)の星も見るのである。赤い十字架は、通常、テンプル騎士団と関連があるが、それも現れている。それはメーソンのアルファロッジ、特にガーターの騎士、聖ミカエルと聖ゲオルギスの結社、それに五万とある彼ら支配の下部組織、例えばオレンジ結社*(Orange Order)やブラック財団**(Black Perceptory)などを表す。
*正式名ロイヤルオレンジインスティテューションは、北アイルランドに拠点を置く国際的なプロテスタントの友愛結社。また、その支部はイギリス連邦とアメリカ全土に存在する。
**ロイヤルブラック財団、英連邦の帝国グランドブラック支部、又は単にブラック協会は、プロテスタントの友愛結社であるが、一部の学者はそれがフリーメーソンの一つ、アルスター融合儀式であると主張している。
ラルフ・エリスはファラオ・アクエンアテンの母親、ティイ(Tiye)の遺体がアイルランドのタラに葬られていると言う興味深い考えを抱いている。
これが本当であればアイルランドの歴史は永遠に変わるであろう。ティエは偉大な王家の妻で、それは、彼女が女龍宮廷の一員、或いはその指導者であった可能性を示唆する。彼女の永眠の場所がアイルランドならば、龍宮廷の本部の可能性がある場所はエジプトではなくアイルランドであった。
ティエの父親(アクエンアテンの伯父)はメリトアテンの夫アヤであることから、アイルランド(スコタ)は実際にセトーアテン信仰者幹部の故郷であったことがわかる。
アイルランドの神話ではティエは女王ティー・テフィとして登場し、アイルランドの族長たち ―ミレシアンとゲールの王達― の高い首都であるタラ又はその近傍に埋葬されたと言われている。タラの ―中央の丘の― 意匠に組み込まれた記号は紛れもなく女性である。ファルの石(Scone)は元々タラに安置されていたが、今は聖エドワード(エドワード懺悔王)の椅子の下の戴冠式の石であり、英国の君主が戴冠する時に座る椅子である。何という驚きであろう!(詳しくは次の二つのリンク:http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-3.html
https://infogalactic.com/info/Stone_of_Scone)
再度、記号が我々に伝えるのは、国家や帝国は男性の主権者に公然と統治されることもあろうが、王位の裏の真の権力は女性にある、と言うことである。実際、王位のまさにその記号は女性であり、イシスの偉大な席を表す。
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高い王達の首都であるアイルランドのテラは、アクエンアテンの母であるエジプトの女王ティエに因んで名づけられたのだろうか? 彼女は此処に永眠して横たえられた(葬られた)のか? 最も強大なアテン信仰者の王朝が西方でその堕落した帝國を再構築したとすれば、それは世界史にとって何を意味するであろうか?(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Tiye) |
アイルランドは彼らの故郷となったが、セト-アテン信仰者はドルイドとバードを抹殺したことに責任がある。この物語については著者の「文明のアイルランド起源」の本及びサイトにて語られている。
古代西方のアリアンから、彼らは欺瞞と非人間的目的のために次に使われることになった文明の要素を盗用したのであった。
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有史以前のアイルランドと西方の世界史における重要性についての著者の作品を支持しつつ、ラルフ・エリスの発見はマグダラのマリアがフランスで生きたことのみならず、聖書のイエスがその生涯を終えた英国のチェスターで幽閉されたこともまた、示すのである。何故こんなにも多くの猶太-キリスト教とエジプトの歴史上の人物がイングランド・アイルランドと西方に関係しているのだろうか? それは、西方が彼らには元々の故郷で、あらゆる知恵の源泉であったためなのか? |
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Hanover:1714年から1901年まで続いたイギリスの王朝。 ステュアート朝の断絶を受けて、ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーファー家からジョージ1世を国王に迎え入れて成立した。
Habsburg:ハプスブルク家は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族。 古代ラテン人の有力貴族であるユリウス一門の末裔を自称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長した。
Lorraine:ヨーロッパ貴族の家系の一つ。シャトノワ家とも呼ばれる。元来はロレーヌを統治した公爵家であったが、18世紀に婚姻によりハプスブルク家を相続してハプスブルク=ロートリンゲン家となったことで、ヨーロッパ史上において重要かつ最も長きにわたって統治した王家の一つとなった。
Guelph:ヴェルフ家は、中世の神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツの諸侯。ヴェルフェン家とも呼ばれる。同家の先祖はカール大帝時代の、バイエルンの高貴な家系出身のヴェルフ伯である 。
Nassau:ナッサウ家は、ドイツ西部のライン地方を発祥としたヨーロッパの貴族、君主の家系。1代限りながら神聖ローマ帝国の君主も出した家系で、現在のオランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家、ルクセンブルク大公家であるナッサウ=ヴァイルブルク家はともに同家の流れをくんでいる。
Hesse:中央ドイツのヘッセン地方を支配していた諸侯の家系。ブラバント公であったレニエ家から分かれた家系である。
Guise:近世フランスの貴族の家系。16世紀のユグノー戦争の部分的責任者で、大きな影響をおよぼした。
Estes:オベルテンギ家に起源をもつイタリアの有力な貴族の家系のひとつである。家名は、11世紀の当主アルベルト・アッツォ2世がエステ辺境伯の地位を獲得し、子孫がその世襲に成功したことに由来する。 1196年にエステ辺境伯領はフェラーラ侯爵領に改められ、エステ家当主の称号もフェラーラ侯となった。
Savoy:かつてイタリアのピエモンテとフランス及びフランス語圏スイスにまたがるサヴォワ一帯を支配していた辺境伯貴族であった家系。1713年、スペイン継承戦争の結果シチリア王国の王位を獲得、1720年にハプスブルク家とシチリア島、サルデーニャ島の交換を行い、サルデーニャ王国の王位を代わりに得た。
Marlborough:イングランド貴族の公爵位。モールバラとも表記される。 この爵位は1702年にスペイン継承戦争でイングランド軍司令官を務めた初代マールバラ伯爵ジョン・チャーチルに授与されたことに始まる。
Grosvenor:ウェストミンスター公爵。連合王国貴族の公爵位の一つ。1874年に第3代ウェストミンスター侯爵ヒュー・グローヴナーが叙されたのに始まる。爵位名はロンドン中心部の地区名ウェストミンスターに由来する。ロンドン・メイフェアを中心に莫大な土地を所有しており、全ての英国貴族の中でも最も富裕な貴族である。