女イルミナティ27

お知らせ:6月12日公開分の欠落部分は、本日解消し更新ております。是非、再度お読みください ―燈照隅)

----------

これらの論説を以て、我々は聖職者がその棟梁に成り代わって実行した破壊活動の幾つかを検知することが出来る。彼らの代理人の中には世界の運命を変えるような手段で行動した者も居るのである。結局のところ、ロシアでツァーリ・ニコライとその家族を暗殺したボリシェヴィキとは誰だったのか? オランダの王家オラニエによってブリテンの乗っ取りを資金援助したアムステルダムの猶太人とは誰だったのか? 悪名高きロスチャイルド一家とは誰なのか? 彼らを「猶太人」と宣言するだけでは充分ではない。我々はこれ等のようなものがそう宣言する場合でもそうするのであろうか? 我々は見張りをしてはいけないのだろうか、そして少なくとも疑義を楽しんではいけないのだろうか? 「隠れ猶太!これ以上我々を騙す勿れ!」と叫んではいけないのだろうか?

著者が正しいとするなら、我々は大英帝国の最初の猶太人首相と伝えられるベンジャミン・ディズレーリのような人間の経歴を再検証できることになるのである。英国の王家のお気に入りで、ヴィクトリア女王自身に我が子のように可愛がられ、誇り高く、声高にイスラエルの女家長との繋がりを宣言した男、彼は実際には何だったのだろうか? 我々は本物の猶太人として彼自身、自分の独力でそのような高い地位に昇りつめることができたであろうか? 著者はそうは思わない。少しも思わない。しかし、隠れ猶太の聖職者として、聖職者の家系から、テンプル騎士団の秘密の支援で、だったら、彼は地上で最大の帝国の首相に出世してなれたかもしれなかったのではないか?

 

 

f:id:caritaspes:20210603083913p:plain

Benjamin Disraeli(1804~1881)

 ベンジャミン・ディズレーリは英国の最初の猶太人首相であった。彼は1868年2月から12月までその役職にあった。この邪悪な戦争屋は公然と並外れて強大な秘密結社の国際的存在について書き、話し、そしてその猶太人会員に(皆の)注意をひいた。彼は単に自分が所属する地下結社、つまり、一般の猶太人を無知な非猶太人が常習的に非難し暴力を振るう身代わりとして差し出すことに躊躇いがない、隠れ猶太のサバタイ派を取り上げただけであった。同じような腐った策略は今日も続いている。サバタイ派はヨーロッパを自分たち自身の悪い印象に形づくるのに何世紀もの間働いて来た。

 

 

 

f:id:caritaspes:20210603083936p:plain

Menasseh Ben Israel(מנשה בן ישראל)又はManoel Dias Soeiro 

 メナセ・ベン・イスラエル(1604~1657)はプロテスタントの指導者であるオリバー・クロムウェルに資金をつぎ込んだポルトガルのラビで、それにより、彼が教皇からイングランドを取り上げる手助けをした。このベン・イスラエルとそのポルトガルやオランダの仲間たちは、すぐにそれと分かる、権力に飢えた専制者を利用してヨーロッパのカトリックの締め付けを弱体化しようとする、隠れテンプル騎士団ではなかったか? 彼ら隠れ猶太のサバタイ派が自分たちがその後ろでもっと容易く工作できる、競争相手となる宗教を立ち上げるのに忙しくして居たところに於いて? そして、その宗教こそがプロテスタント教ではないのか?

アムステルダムから来た猶太の金貸しがオランダのプロテスタントのオレンジ家に資金提供し、ジェームス二世を倒し、英国の王位に就き、英国銀行を設立するに及んだ。オラニエ家自体がフランスからオランダに到着する前はカトリックであった。そしてそのフランスでは彼らは最も強大なメロヴィング朝の貴族の一派であった。王家の間の王朝の争いが人類の正史となり、一般の旗振り役の市民から秘儀(オカルト)の動きは大かた注目されなくなったのである。多くの有名な世界の指導者がテンプル騎士団聖職者とその「猶太人」代理人支配下に居たと著者は信じる。これらの有力者や煽動家の中には、オリバー・クロムウェル、シャフツベリ卿、フリードリヒ五世、ナポレオン、シャルル・ド・ロレーヌ、アダム・ヴァイスハウプト、ベンジャミン・ディズレーリ、フリードリヒ・エンゲルスカール・マルクスベンジャミン・フランクリンなどがいたのである。これより先は論説4をご覧あれ。http://www.femaleilluminati.com/article-4.html(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Menasseh_Ben_Israel

 

 

f:id:caritaspes:20210603084000p:plain

Johann Adam Weishaupt

 ヨハン・アダム・ヴァイスハウプト(1748~1830)テンプル騎士団は公式には1314年以降壊滅した。教皇パウロ三世により勅書が可決された後イエズス会が1540年に現れた。イエズス会はシャルル・ド・ロレーヌ、フォン・クニッゲ男爵、ロレンツォ・リッチ将軍や他のスチュアート家やハプスブルク家の人々のような、見かけはカトリックの貴族により設立された。アダム・ヴァイスハウプトは会の公式の表看板となった。イルミナティの結社はスペインのアランブラドス結社がひな形であった。それは若きイグナティウス・ロヨラが隠れカトリックイエズス会を設立する前に属した結社であった。著者の意見では、イエズス会(とイルミナティ)はこれ等著名な「聖職者」によりテンプル騎士団の大棟梁ジャック・ド・モレーの指示で形成された。モレーは、囚われの身で、自分の結社がいつか復権することを誓ったのであった。イエズス会イルミナティを設立する前、テンプル騎士団の聖職者は薔薇十字団、大東社、スコットランド儀式、厳格遵守やその他の結社、ロッジ、儀式の偽装の下、英国とヨーロッパのフリーメーソンに潜入した。示唆的に、薔薇十字団はテンプル騎士団教皇により金星になった直後に立ち上がった。(論説1を参照:http://www.femaleilluminati.com/article-1.html

「私は正真正銘の文書から示して来たが、英国のメーソンはその修道士によるフランスへの導入からイングランドのジェームス一世の治世の出現に至るまで、純粋にローマカトリックであったし、私が公式一覧を提供した、その大棟梁たちは宮廷、貴族、高位聖職者から選ばれた…。1694年にウィリアム・オレンジ独特のメーソンの誕生にも拘らず、古代のブリテンのメーソンはプロテスタントの王の下でもその古代の規則を守り続け、ローマカトリックであり続けた。この証拠は、私が出版することを約束する、そして、1747年の近代メーソン刷新者たちの気違い沙汰の破壊の手を逃れた貴重なメーソンの文書に見出すことができる。」―結社員Teder著「フランス大東社の変則(不規則性)L’irregularite du Grand Orient de France(1909年)」

 

 

 

f:id:caritaspes:20210603084041p:plain

マルティニスト結社の記章

 ポルトガルの猶太人秘教主義者であるマルティネス・ド・パスカーリが始めたマルティニスト結社は、薔薇十字団やメーソンなどのように、隠れ蓑として使われたもう一つのテンプル騎士団支部であった。表面ではキリスト教徒であるが、そのロッジは、新しい会員を募ることを許し、最後には社会の幹部に据えて、サバタイ派のための完全な養成所を提供していた。その幹部たちは、古代のコハニムKohanimつまりゲオーニーム(セト-アテン信仰者)を思い起こすコーエン(Cohen)として知られていた。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Martinism

 

f:id:caritaspes:20210603084112p:plain

 

 左:テンプル騎士団の記章。右:マルタ主権軍事結社の記章。後者の結社は古い病院騎士団から継承したが、その古い結社はテンプル騎士団と密接に関係していた。病院騎士団は最後には狡猾な聖職者に乗っ取られ、しかも後にこの結社はキリスト教教皇派を打倒することに役立ったと著者は信じている。この嬉しい出来事は、1869年に病院騎士団がその主権を持った本部を、ローマのヴァチカンからすぐ横丁に設立したその日に、暗号的に記念された。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sovereign_Military_Order_of_Malta

最高に重要なことは用いられた記号である。マルタの旗はテンプル騎士団のものの入れ替え或いは反転であることに注目しよう。これは我々に聖職者の存在と親結社の代理としての彼らの義務の手がかりを与えてくれる。マルタの騎士の色はまた、スイスのそれと同じでもある。そのスイスではテンプル騎士団がその途方もない財産を隠し、或いは経由した。赤と白は元々はミトラのカルトと関連のある者で、そのミトラは、テンプル騎士団とその聖職者が秘密裡に連携していた(し今もしている。)

聖職者はその広汎な影響力のある銀行と金融の帝國を設立した。そしてそれは世界の借金を取り締まるだけだなく、多くの破滅、押収、動乱、戦争も組織した。彼らは合衆国の連邦準備銀行と英国銀行に資金提供している。

「……テンプル騎士団はヨーロッパで起きていること全ての絶対的中心として残ったのである。そして更に言えることは、彼らは我々が今日知って居るところの西側世界の形成に部分的に貢献したのである。テンプル騎士団の国家はスイスであったし、今でもそうである。」―バトラーとデフォー著「騎士と金融業」

テンプル騎士団の歴史と理想と、特定のフランスの王朝 ―メロヴィング朝― との間の非常に強い関連を多くの著者が示して来た。最初のキリスト教徒のフランス君主であるクロヴィス1世はこの血統に生れたのであった…テンプル騎士団の思想とメロヴィング朝の核心にあった、メロヴィング朝と彼らが代表していたものが、我々が今日スイスと呼ぶ地域で特に強かったことはほぼ確実である。アルプスの彼らの拠点の中で最も重要なのは、今日シオンとして知られている町であり、当にその名前がテンプラリズム(神殿の思想)を叫び、第1回十字軍の核心であるシオン ―エルサレム― に対する実質上の執着への証として生きているのだ。」―同上

 

 

f:id:caritaspes:20210603084155p:plain

 

 ロンドンはもう一つのテンプル騎士団の権力の砦である。世界のすべてがロンドンの街から支配されており、その街の中心にはテンプル騎士団イングランドの本部であるテンプル教会が建っている。そう、それはただの偶然で何も気にするような事ではない(反語表現)

円柱の造形、丸屋根と櫓状の塔は偉大な女神を表す。テンプル騎士団の記号と飾り模様は、スコットランドの他の街は云うまでもなくロンドンの街中に見いだされる。ロンドンの当にその記章は赤いテンプル騎士団の(聖ゲオルギオスの)十字架である。龍の紋章は金融街の門に見いだされる。もう一度言うが、それは純粋に偶然なのだ。近くを流れるテームズ川は女神イシュタルつまりヴィーナス(金星)の愛する犠牲となった(去勢された)息子であるタムズTammuzに因んで名づけられた。(詳しくは次の二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Temple_Church
https://infogalactic.com/info/Clerkenwell

「その同じ年、ド・パイヤンはイングランドのヘンリー1世を訪問し、王家の歓迎を受けた。その翌年、1129年、イングランドで最初のテンプル騎士団の拠点が、ロンドンの今ではホルボーン地下駅の場所に設立された。」―コリン・ウィルソン

 

 

 

f:id:caritaspes:20210603084220p:plain

 論説4で明かされるようにテンプル騎士団の聖職者はまた、黒い貴族とも提携し、何世紀も彼らに仕えて来た。これは、テンプル騎士団が、女王ヘレナとその息子イザス王、聖書のイエスに率いられるナザレの第四宗派と提携したためである。この君主は明白に自由主義に傾倒しており、近代の社会主義に資金提供したのはその子孫である。社会主義の構造はそのすべての形に於いて、正真正銘のユダヤ教徒キリスト教徒とは考えられない。またその関心は下層民の解放などではない。それは、厳密に、洗脳(マインドコントロール)と普遍的奴隷化のことである。

 

聖職者たちは都合よい猶太教の隠れ蓑を取り入れたけれども、彼らは一般の宗教的猶太人が何度も何度も害を与えに来るように念を入れた。そこで、ここやあそこの犯罪集団、政権、国家によって多くの残虐行為が猶太人に対して為された。イスラム過激派の起こりは、道徳的宗教的猶太人のみならず、西側世界全体にとって、一番最近に組織化された危険である。

「ホフユーデン(宮廷猶太人)を猶太の人々と混同すべきではない。最も乱れた国民によって犯された犯罪のために、国民全体が非難されないのと大方同じように、宮廷猶太人によって何世紀にも亙って犯されて来た犯罪のためにすべてのユダヤ人を避難することはできない。宮廷猶太人が猶太と持って居る唯一の関係とは、迫害者と拷問者の関係のことである。」―Dope Inc

聖職者は正統派のキリスト教徒と猶太教徒に大きな憎しみを抱いていた。前者に裏切られ、迫害され、後者には隠れ蓑を依存し、どちらの集団との関係も純粋に便宜上の、実用的な、そして一方的なものであった。聖職者はキリスト教徒と猶太教徒に苦痛と危害が降りかかると大きなゾクゾク感を得るのである。実際、その代理人が両方の集団におさまっているので共謀している聖職者はどちら側も頻繁に争い、敵意、非難を繰り返すように取り計らっているのである。

であるから、我々が、モーゼス・ヘス、カール・マルクス、アレクサンドル・パルヴス、タラート・パシャ、モーゼス・メンデルスゾーンロスチャイルド家などの陰謀の企みについて語るとき、我々は今やこれらの「猶太」は実際にはテンプル騎士団シャブタイ派に外ならないことを理解するのである。ロスチャイルド家がヴァチカンの財務担当で、元はテンプル騎士団から変態したマルタ騎士団の幹部であることを忘れてはならない。明快に述べたが、これらの「猶太人」家系はペテン師なのである。彼らは、その幹部がイエズス会イルミナティの両方を設立することになった、隠れテンプル騎士団なのである。

         *

結 論

「スプリンゲットはその『シリアの秘密宗派』の中で名高いアレキサンドリアグノーシス派とマニ教徒への猶太人哲学者の影響力、そして彼らを通してテンプル騎士団への影響力を追跡している。」―(蛇の足跡Trail of the Serpent)

本質的な点を復習すると:ドンメーはどのような理由があれ、イスラム教に改宗した猶太人のことである。マラーノは、屡々追放や死の懲罰の下でキリスト教に改宗した猶太人のことである。これはよく知られ、歴史学者にも学界にも受け入れられている。しかし、テンプル騎士団の14世紀の弾圧以降、その団員のユダヤ教への改宗は、未だ公には発表されていない物語なのである。

我々はこれらの論述から、社会政治的陰謀やテンプル騎士団やその代理人が猶太を隠れ蓑として使った残虐行為に関して一般の宗教的猶太人が関係があるとするのは全く間違いであると結論しなければならない。これは、独り独りの猶太人の事業、金融、政治における無作法を免責することではないし、特定の極端な猶太人のその民族的そして神学的優秀性や他の如何なる偏狭な断言の大言壮語を免責するものではない。我々は単純に空威張りと犯罪性は普遍的であり、非猶太人も丁度少数の猶太人が折にするように、不愉快な迷惑行為を自分達自身することも出来ると言うことを忘れてはならない。

著者は勿論、アテン信仰者にせよ、セト信仰者にせよ、ナザレ宗派にせよ、ゲオーニームにせよ、フランク主義者にせよ、イルミナティにせよ、イエズス会にせよ、或いは共産主義者にせよ、その忠誠心が古代の秘密結社にある秘教主義(オカルト)「猶太人」を免責しているのでもない。不道徳な、そして犯罪者の集団や個人を告発する時、我々はそれが猶太人も非猶太人も両方の背景から来ることを理解し、しかも多くの場合、それはよく知っている宗教や社会政治的区分や忠誠心を超越していることを理解している。

要するに、比喩的に話すと、狼は羊の皮を被っていると最もうまく狩りが出来て最も栄える。それは魔術師にはよく知られ、そして悪用される原理である。どのような陰謀集団でも西欧文明を弱体化するのに充分長い間継続できるとすれば、それは、そこで、没収、恐喝、破壊の卑劣な行為を隠すために偽装を取り入れる一人の専門家となるはずである。(複数での陰謀は充分長い期間継続できない、つまり悪を為している陰謀集団はただ一つと言いたいのだろうか? ―燈照隅)

 

 世界に対抗する真実

(これで論説3は終わりです。次回から論説4です ―燈照隅)