女イルミナティ18

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結論

「我々は全ての同盟(団体)を今あるそのままで続けるように容認しなければならない…現在のように組織されたままで…しかし、我々はそれを超える典礼慣習を創らなければならないが、それは未知のままとし、またそれは我々が選りすぐる高位のメーソンと呼ばれる者たちを呼び寄せるものとなる。メーソンの同胞たちに関しては、これらの者は秘密の厳守を誓わなければならない。我々は、この至高の典礼慣習を通して、やがては単一の国際的な中心となる、全てのフリーメーソンを支配するようになる。そしてその方向性が未知であるが故に益々強大となるであろう。」―アルバート・パイク

テンプル騎士団とその親団体であるシオン修道会の分裂は恐らく14世紀のいずれかの時期に起こったものであろう。殆どのテンプル騎士団の専門家はその不和は二度と和解しなかった、と信じ、更に世界の出来事は反目する結社の継続する争いの為に形づくられた、と信じている。

然しながら、最近の発見が明かすには、実際の争いは、教皇の強硬路線とナザレ宗派の教会の間、即ちキリスト教の第五宗派と第四宗派で荒れ狂ったものであった。この対立は多くの制度と構造を生み出し、その中で最もよく知られているのがプロテスタント教である。それにもかかわらず、その対立は19世紀の終わりに、それ以降に合意され、動き出した世界支配のための新たな目標(agenda)により、終わりを迎えたのであった。

テンプル騎士団メロヴィング朝は後にナザレの宗派の大義と考えに改宗したか、或いは、それがエデッサの王族の実際の血統的子孫(だった、或いは今もそう)なのか、どちらかである。何れにしても彼らは神の、もっと正確に言うならば女神の、召使いの召使いであった。彼らは、シオン修道会としても知られる全能の女イルミナティの為の男の前線組織以外の何物でもなかったのである。

では引き続き、彼らの奇怪な歴史と活動について更に探求して見よう。

 

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仕事を仕上げるには一つの要点ではなく、
二つの要点が、分割されながらも強調して働く必要がある。

 (これで論説2は終わりです。次回から論説3「猶太人とテンプル騎士団:語られない物語」です。  ―燈照隅)