安岡正篤 「政体と天皇制」

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表紙

 

天皇制 研究第一号(部外極秘)

天皇制護持の積極的合理的根拠に付各方面専門家の協力援助を得て徹底的研究を進め居る処本稿は金鷄学院々長安岡正篤氏より提出せられたる意見なり

昭和二十年十二月

             外務省調査局第一課長

 

 

政体と天皇

             安岡正篤

 

政体は学者に依って色々に分類せられるが、此処ではやはり一般に慣用せられている旧分類、即ち君主、貴族、民衆の三政体に分かってその長短得失に対する古来の学者の批判を点検してその立場から日本天皇制を観察してみよう。今や日本を挙げて天皇制存廃問題に賛否の論が喧しいが、随分感情や偏見を含んだものが多いから冷静に学問的に論述してみたい。

こういう場合誰しも先ず一応遡って調べて見るのはプラトンPlato、アリストテレスAristotleである。

 

プラトン

プラトンに依れば人間精神には形而上的要素と形而下的要素とがあって前者は人間を絶対者(イデア)ideaに結び、後者は人間を生滅流転の感覚世界に結ぶ。その前者を理性と言い、後者のうち理性の命に聴従して感覚世界を浄化向上せんとするものを意志とし、これに逆らおうとするものを情欲と言う。人生は理性の馭者(ぎょしゃ)により、意志の駿馬(しゅんめ)に鞭ち、情欲の衆を率いて絶対地(イデア)に帰往するにある。国家もこの意味に於て正しく一つの大なる人である。乃(すなわ)ち人間の情欲に相当する民衆があって、それに対して理性の命に従い、内[に]民衆の安寧秩序を保ち、外[に]外国の来侮を斥ける意志の権化としての文武官吏があり、この両者の上に最高の理性に当たる治者、君主がなければならぬ。君主は理性そのものなるべきが故に、最も高き道徳的精神の人、即ち哲人でなければならぬ。哲人にして国家に君主となれば、政治様式等はどうあろうとも問題はない。哲人が国家に君主とならぬ限り或いは現在の治者君主にして真に哲人とならぬ限り民衆は到底災厄を免れることは出来ないと言うのである。

専ら科学を旨とする現代人からはプラトンのこう言う主観主義的の考え方よりも、次のアリストテレスの客観的な説の方に遥かに学問的な魅力を発見されるであろう。

 

アリストテレス

アリストテレスは政治上質は量に伴うものであって民衆政治はどうしても少数政治に勝るものと考えた。

1. 多くの事例に於て民衆の輿論は如何なる個人よりもその判断が勝れているのが常である。

2. 多数は少数より腐敗し難い。例えば感情に駆られたり、人に欺かれたりして正道を誤ることが少ない。

3. 多数は徒党を作るがその性質は常に多数そのものの性質と同様に比較的善である。

と言うのが彼の見解である。政治の合理性を民衆の方に認めた者で世人に聊(いささ)か意外に感ぜられるのはマキャヴェリMachiavelliである。

 

マキャヴェリ

彼は君主の為に政道を説いたその有名な政治論の故に極端な専制君主政治論者の様に一般に考えられているが、彼はローマの政治学者ポリビウスPolybiusが唱えた様にかの三政体について各々正と不正との二種に分かち、都合六種政体の循環を説いて民衆政治をそのうちまだ一番マシなものと考えた。それは、

1. 無法の君主は無法の民衆と変わりはない。

2. 一時の激情に煽られて大事を誤り易い事も同様である。

3. 忘恩且つ恒心(こうしん)のないことについても亦然り。

4. 見識批判にかけては民衆は君主に勝る。

5. 官吏の選任は君主よりも民衆の方が誠実にやる。

6. 民衆は君主より善言に耳を傾け易い。

等の理由からである。然し乍らアリストテレスマキャヴェリとは正反対な見解も亦民衆について行われている。

 

トーマス・アキナスSt. Thomas Aquinusは多数政治は到る処不和と闘争であることを指摘し、トーマス・ホッブスThomas Hobbesも民衆の方が君主よりも小人に誤られ易いと観て居り、フィルマーRobert Filmerに至っては民衆政治を次の様に観察して君主政治を主張している。

1. 民衆政治と言っても実は一部少数の者が民衆の名を仮って野心を恣(ほしいまま)にするに過ぎない。

2. 民衆の性質は本来放縦に趨(はし)り易く随(したが)ってその政治は危険である。市場の実例に徴(ちょう)しても民衆政治は多くの賢人を害している。ギリシャアリスタテスやテミストクレスは追放され、ミルチアデスは投獄され、フォシオンは死刑となりローマでもシピオ兄弟は追放、タキトゥス、クセノフォン、キケロ等は民衆を「多頭の獣」と呼んだ程である。

3. 君主政治に付いては暴君の専政を恐れるのが常であるが暴君は責任を免れ難いこと到底民衆の様な好い加減なものではない。英国史上でもノルマン征服後六百年間二十六王一[人]も暴君と言うべきほどの者はない。英国の内乱は暴君よりも民衆の放縦から起こっている。

 前掲のホッブスは又、

1. 君主の方が政治から利己的目的を排斥して公益に合致せしめ易い。

2. 君主政治の方が政務を統一し簡捷にする便宜がある。

として君主政治に賛成している。こう言う現実問題の外にアキナスは彼独特の哲学から次の様に君主政治論を主張している。

 

アキナス説

自然の法則を観るに、凡て一元的に統制が行われている。肉体は心により、宇宙は神に依る。政治においても多数は到る処不和と闘争とである。どうしても絶対的な一者に依る政治、即ち君主政治でなければならぬ。但し君主政治は最良であると同時に一度暴君が出ると却(かえ)って最悪のものとなる。そこで君主政治には暴君を廃することを考えねばならぬ。之についてある者は偉大な人物をして暴君を放伐し、国民生活の脅威を除かしめねばならぬと言う暴君放伐論を主張する。然し之は聖書からも認められない。ペテロも言った様に人は正邪を裁判くべきではない。又不正なる主人とて罰することは出来ぬ。それは全く神の権に委ねらるべきことである。暴君の虐政に対する反抗は個人の判断に待つべきではなく、公的権威に依って決せられねばならぬ。然らばその公的権威は如何にして発動し得るか。

1. 国民が君主の選任権を有する場合、選任機関即ち元老院や議会で廃立することが出来る。

2. 上級機関有って君主を選任する場合、例えばローマ皇帝の下のユダヤの如き、皇帝に訴えてその暴君を排除することが出来る。

3. そんな手段が一切ない場合、その時は神に任す外はない。

人類の社会生活には統一秩序がなければならず、統一には中心(太極)がなければならぬと言う見地からダンテDanteも君主政治を主張し、これを推して世界の君主国の対立は人類の禍であるとして世界平和の為に世界国家Universal Stateを考え、世界は一大君主に統治されねばならぬとした事は有名である。

マキャヴェリと同様の意味に於て一般人の考え方から寧ろ意外に思われる[の]は、民主主義の本山と目されているルッソーRousseauである。彼は君主政治嫌いで民衆政治の謳歌者の代表的人物の様に解されているが、実は公正に各種の政治形態を観察して君主政体は理論として極めて好い政体であるが君主を世襲とすれば名主は出難いし、選挙とすれば毎に国家の不安動揺を招く。それに政道は民情に通ずるを要するが、君民の間は兎角疎隔(そかく)し易い。何れにしても困難な政体である。貴族政体は人民に貧富に依って堕落せず、門地や閲歴を重んずる淳厚な風俗があれば賢人を推戴し政務を簡捷(かんしょう)にする便があるが稍(やや)もすれば階級的反感闘争を免れない。これに対して民主政体は、

1. 人民相互が相知り得る程度に小国なること

2. 風俗が簡素で政務が煩瑣(はんさ)でないこと

3. 貧富の懸隔(けんかく)・階級闘争の為に組織が瓦解する憂いの無いこと

等の諸条件が備われば良いが現実に於て之程政変の起こり易い不安な政体はない。恐らく之は神のみに適する政体であって人間には適すまい。凡そ政治には集約するContract作用と解消するDissolve作用と相待(そうだい)的に含まれて居って、前者に傾けば民衆→貴族→君主と帰往するが、後者に傾けば君主→貴族→民衆に向かい遂に暴民政治Ochlocracyになってしまう。故に民衆政治程集約向上を図って常に正しく公共の福利を目的とする民衆の共同意志の実現に注意せねばならぬと説いている。

この点に就いてはモンテスキューも亦彼と意見を同じくしている。

これらの諸説を仔細に考察してくれば、政体の得失についてはもう十分論が尽くされている。君主政治が善いか民衆政治が善いかと言う様な事を抽象的に一般的に論じて見てもそれは無駄である。正しくは國民の教養、経済や宗教をも含めた生活状態、慣習、伝統、文化、つまり国民の歴史的展開に即してその國民の秩序、平和、自由、文化を促進し世界人類の幸福に寄与すべき共同善Common good[1]を達成せんとする文明社会の真意Real will[2] とも言うべきものを体現運用するに最も相応しい自然な政体が決定されねばならぬ。シュライエルマッハーSchleiermacherも三個の旧分類(即ち君主・貴族・民主)は毎に相矛盾する。例えば民主制で指導者は貴族制に類似し、又ペリクレスの様に一人が君主的支配をする事もある。君主制でも亦そうで、ミラボーも或る意味で君主制は共和制であると言って居るが正しくその通りである[3]と論じて居る。政治の成立活動する形式や理論にばかり拘泥するとこういう矛盾に陥る。

英国の元首相ボールドウィンBoldwinは我々は他の国民より勝れて居るのではない、ただ我々はたまたま他の国民と違った経験を得た。それは問題の解決に当たって暴力では得られないことを永い経験の結果お互いの隔意ない協力の下に充分の討議を以て解決すると言う方法を選定したことである。従って政党は理論闘争をやって相排斥するものではない。ある党が他の党を容れなくなったらもう憲政はお終いである。互いに礼を以て国家の為に民情を尽くして意見を交える処にデモクラシーの意義があるのである。ウィルソンが曾(かつ)て言った事がある。デモクラシーは誤って一個の理論か、政治の一形式に過ぎぬものの様に解されているがそんなものではなくて文明の一段階である。それは何かあれば寄り合うとか、物は相談とか言う漸次の風習から出来て居る。イギリス人が独りこの風習を自然に民政に移すことに成功したが他の国民達は大早計に之に突入(rushed into)していろいろ培養もせずに之を採用したのであると言い[4]、流石に教養の高い実際政治家の卓見である。日本は今敗戦の衝撃からウィルソンの所謂平生の培養もなくデモクラシーに突入rush intoして天皇制を単に政治の形式と多分に感情的な理論とに捕われ過ぎて論議して居ないであろうか。

[1] このcommon goodと言う言葉はT.H.GreenのPrinciples of Political Obligationから借りたものである。

[2] real willと言う言葉はBosanquetのPholosophical Theory of Stateから採った。

[3] 1814年ベルリン化学学会に彼が寄せた論文「種々なる政体の概念に就いて」に依る。

[4] 1939年4月カナダのトロント大学に於ける彼の英国及び英国人に就いての講演に依る。

 

 

日本天皇

歴史的に観察して日本人の素質をその美点から言うと元来明るい、理想主義の宗教的情緒に豊かな、然し乍ら決してそんな排他的で偏狭なものではなく寛容な人道的精神に富んで、洒落humourである。

どんなに自國を愛し誇りとしても他国を根から軽蔑し排斥するような性格とは凡そ縁遠い。一時的感情は別問題である。日本人の生活趣味を見てもすぐ分かることであるが日本人のように世界中の飲食を愛好して、支那のでも欧米のでもそれらの生活様式を容易に摂り入れる様な國民が何処にあるだろうか。儒教でも仏教でも基督教でも科学でも音楽、芸術でも何でも他國民の宗教や学芸をこれ程寛容に熱烈に共鳴した國民が何処にあるだろうか。それ丈[に]欠点をいうと、感情的で激し易く消気易く、ともすれば軽佻で、移り気である。唯終始一貫して日本民族は他國民と違った一つの経験を大成した。他民族が國家を為してゆく裡(うち)に絶えず主権者の安定を欠いて、所謂易姓革命を免れなかったにも拘らず、日本民族は西紀で言えば五・六世紀までに対立する諸豪族を完全に統一して元主たる地位を確立された皇室を推戴し、これを単なる政治的機関たるに止めず、プラトンの言葉を借りて言えば、民族最高の理性に当たる治者たらしめんとし、天皇より現実の個人的意思actual will, individual willの放恣を去って超個人的社会的意志とも言うべき真正意志real will民族社会成員の共同善common goodを実現せんとする一般意志general willの権化たらしめんとする哲学的道徳的努力が君民一致して続けられた。それは全く宗教的情熱を以て行われた。日本人は一切に内在する絶対者を認めてこれを神とし、国家の生成発展は神の生活であり、神は天皇にあって生きるとした。これが現人神の思想である。決して天皇を色も形も声もない神秘的存在とするものではない。象徴を愛するのは東洋人の特質である。東洋人は真理を抽象的概念的に思惟するに止まることが出来ない。必ずこれを象徴しようとする。天皇制の発達も一つはこの民族心理の特徴に因るものであって単なる偶像礼拝と同視することの出来ないものである。この民族的努力の長い間に皇室は次第に浄化せられて「私」を消失し、「公」に帰し、他国の王室に在る様な「姓」もなくなり、天皇の御名にも「仁」の字が付く様になった。「仁」とは造化creationを意味する。斯くして日本天皇には他国の君主の様な暴君と言うべきものが出現し得ない様になってしまった。フィルマーは英国史上案外暴君と言うべき程の者はないと言っているが、日本史上は全く無くなってしまった。

アキナスの憂いは日本に無くなったのである。勿論皇室の地位権威の確立後も、之を奪って新たに自ら取って代わろうとした者も無いではなかったがまるで問題にはならなかった。北条軍閥、足利軍閥の勢力威望を以てしても皇室を迫害はし得たが自らこれに代わることは思いも寄らず、結局皇族の何人かを求めて新天皇を擁立するに過ぎなかった。國民を個々に見れば愚昧なものが多くても全体となればそこに超個人的社会的精神が発現するから、所謂民の声は天の声voice public, voice Deiで真の権威は私心私欲からは到底長く成立しない。秦の始皇帝は朕より始めて子孫萬世に至らんと期したが、二代にして終わり、あれ程ハイル・ヒトラーと呼ばせて自己を神聖化し、フューラーの権威を確立しようとしたヒトラーも一代ではかなく敗れた。日本の皇室が連綿として絶えず、天皇の権威が絶対化したと言うことは実に地上稀有なことで、それは全く君民一致して天皇を単なる政治的地位に止めず、さりとてローマ法王の様に政治的地位より完全に分離もせず、真の創造的立場に中したaufhebenからである。

日本の政治上注意を要する危険は暴君ではなく、この天皇の権威を仮って専制を行う特権階級の出現である。自己に対する民衆の不服を抑圧するために天皇の権威を利用する事を「袞竜(こんりょう)の袖に隠る」という。これは日本の政治道徳上最も重大な戒律である。東條大将も始終自分の威令の行われ難いことには「聖慮」をふりかざした。然しこの事が度重なるにつれてその部下も国民も次第にその不当不敬を自覚して東條を非難し排斥する声が高くなった。東條一派の焦慮と反比例に國民が非協力的になって行ったのはここに一つの大きな原因がある。

日本の政治上もう一つの危険性は、政治の要職にある者が身の安穏を計る為に「累を皇室に及ぼす」と言うことを好い遁辞にして責任を逃れ無為無策に甘んじ國民の進取発展を阻害する事である。日本近代の重臣は一様にこの傾向が強かった。これがどれくらい國民の気分を腐らせたか測り知れぬものがある。戦争末期に民衆の間から盛んに起こった大権発動論、天皇親政論はこういう両様の政治家に対する民衆の不信と絶望との反映であって外国ならば当然民衆革命の起こるところであるが日本の國體ではそういう時に必ず民衆は創造的地位に立つ天皇に直結しようとするのである。こう言う弊害を調整する(checks and balances)為に政府に対して両院と枢密院とがあったのであるが、それが何れもその職責を尽くさなかったので政治的責任は主として政府議会枢密院にある。天皇に政治的責任はない。然し乍ら天皇の道徳として深い「自責」は御ありにならねばならぬ。歴代天皇詔勅を拝見すればその点実に厳粛である。

天皇は決して単なる政治的元首に止まるものではなく、前述の通り長い長い間に民族の生活と理性とから築き上げられてきた國家の創造的主体であって、国民から言えば天皇は絶対であるが天皇からは完全な民本主義である。只これを近代的デモクラシーの形に於て政治に組織運用するだけの十分な培養が欠けて居った。これを注意深く育て上げれば日本独得の天皇制の下に他国とは趣の異なったデモクラシーの運用が行われねばならぬ道理である。天皇制を廃すると言う様なことは民族の歴史を抹殺する事であり、天皇制以上のものは百年、千年かかっても日本人に出来るものではない。

世には日本国家成立期の科学的研究により、皇室は必ずしも民族の宗家でないとか、皇室と対抗する諸豪族を征服して始めて支配権を確立した特権階級であるとか、古事記日本書紀を多分に皇室の政治的意図の下に作成された記録として皇室の権威を否認し、天皇と國民との関係を薄めようとする学者もあるが、その時局に阿諛(あゆ)するか否かの学者的良心問題は別にして、そう言う研究は今日何等日本國家と天皇との関係を動かす事は出来ない。若しそう言う理由に依って天皇の権威を否認するならば、人間の祖先は猿と連枝(れんし)である。英国民の祖先は海賊である、アメリカの先達(パイオニア)は略奪者であるからと言う理由で人間の権威や文明の意義を無視するに侔(ひと)しい。人類の歴史的展開の意味を知らぬ非学問的見解と言わねばならぬ。日本人もボールドウィンやウィルソンの説いた様に自然にして真実な生活の中から注意深く政治を育て、一朝一夕の激情偏見を以て永久の不安と混乱とを招かぬ様にせねばならぬ。