国際秘密力00

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紫霄閣 ロゴ

紹 介

ジョージ・L・ウェスト博士に初めてお会いしたのは一昨年(1994年)初夏のことであった。辱知(じょくち:尊敬する知り合いの)長田恒彦氏から博士の講演会が靖国神社遊就館で開かれるとの案内を受けたが、その時までウェストと言う人については聞いていなかった。案内書を見ると米国の法律家で日本神道家であるという。これは出席すべき会合であると考え、当日参加してお話を陪聴(ばいちょう:お聴き)した。印象に残ったのは講演の最後に博士が音頭を取って『天皇陛下万歳』を三唱されたことで、感銘深い会合であった。

その時博士の著書『憲法改悪の強要』を求めたが、帰って一読すると言々句々誠に肯綮(こうけい)に中(あた)った指摘であり、しかもそれは単に正義を貴ぶ法律家としての見地に止まらず、日本の古き道統(伝承の系統)とご自身の心魂が同一化した心境からの発言であり、この人は比倫を絶する卓越した人物であることが分かった。直ちに私は同氏にお会いすべく連絡したのであるが、当夜列車で夫人の郷里米子に帰られるとのことでその折は機を失した。

私は毎夏山口県の郷里に帰省するのであるが、米子とはさほど遠くないので途次に適当な場所で落ち合うことにし、博士は岡山まで出向かれるとのお申出があったので私は新幹線で西下し、岡山駅で初めてご夫妻とお会いした。これより先私は博士に共著の提案をしており、私の著書の幾つかをお贈りしてあった。博士は共著を快く応諾され、当日はかなりの資料を持参された。私はその九月郷里から東京に戻る途上松江でご夫妻と再会し、さらにこの件について相談するところがあった。

戴いた資料と談話テープによって新著の構想を練っていたところ、博士から分厚い原稿が届いた。拝見すると内容の梗概(こうがい:あらすじ)は古代から現代までの人類の真実の歴史を、その最深層から分析、剔抉(てっけつ:暴き出すこと)したもので、それは私がかねて考えて来たところと殆ど一致していた。けれども博士は西洋文明の只中で育ち、実務の面では中東における国際政治の機微に直接関与されたと言う、私の及ばない経歴、経験をお持ちであるのみでなく、世上周旋の単なる史家の到底希求し得ざる境地、すなわち強大な霊性的透視力を具(そな)えておられる。

かくて本書は史上現れた如何なる史書も到底企及(ききゅう:比肩)し得ない、嶄然(ざんぜん:抜きんでた様)としてあらゆる群書を遥かに抜く、史上嘗(かつ)て現れたことのない書となった。本書の述べるところに部分的には気づいており、または漠然として同感し、わが意を得たりと考える向きはあるだろう。しかし精細に包括的に

『猶太教レビ族の中核ラビが、古代の離散以来漸次世界に拡散し、自己に属せざる人間と文明の一切を覆滅(ふくめつ)し、自らの絶対的世界支配を求めて数千年を閲し、その隠れた活動は現在ますます盛大である』

と断固として宣言し、その倫理と証拠を真正面から提出した人は、ただ我がウェスト博士のみである。

博士はその生国アメリカに対しては勿論であるが、日本を思い憂える気持ちが特段に強い。それは単なる感情的高揚からではない。日本の神霊が博士を捉えて離さないからである。

遠い昔のアーネスト・フェノロサ[1]ラフカディオ・ハーン[2]に似て、博士は若年の日から日本に特に惹かれていたようだ。遠く離れてはいても人類普遍の<神>が日本に現に座すことを直感していたものであろう。博士は古代のギリシャ、ローマの神もまた真正の神であったことを本書中で述べている。しかしその神はヘブライの魔力・キリスト教に駆逐されてしまった。今真正の神が辛うじて残っているのは日本列島だけである。ウェスト博士の日本への熱き想いは此処にその源がある。(※燈照隅による強調)

この尊い神の本地である日本の人たちが、ラビたちとその眷属(けんぞく)に完膚なきまでに操られ、可惜(あたら)対米戦争に引き据えられ、莫大な人命と物質の損害を与えられたうえ、すでに勝敗の定まったのち原爆を落とされてさらに20万人近い犠牲を払っている、その明々白々たる事実に半世紀経って気づかず、今なお狡猾なる国際秘密勢力の為すが儘と言う無惨に、博士の憂慮と焦燥は募る。私の想いもまったく同じだ。(※燈照隅による強調)

 

[1]アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853年2月18日~1908年9月21日)は、アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で明治時代に来日したお雇い外国人。日本美術を評価し、紹介に努めたことで知られる。

[2]小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 ~1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にはファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。

 

ウェスト博士は何よりも先ず強大な神霊感受能力を備えて居られる。同類の人物は世に居なくはないが、いずれも出自が十分でなく学識不足で、尊貴(そんき)なる神霊とは無縁の、世を惑わす存在に過ぎない。著者は嘗て私が面悟したあらゆる人物とはまったく選を異にした正大なる霊性的能力を持ち、それが過去三千年の世界史の駆動力の正体を的確に把握する契機をなす。それはまた本書における歴史事態の分析の、鮮やかさと比類ない透徹性の源泉でもある。さらに博士は、書中に国際法律事務から得たところの、他に得られない貴重な知見を鏤(ちりば)めて居られる。これは日本語に変え速やかに上梓(じょうし)すべきものと考え、直ちに友人に回し翻訳して貰った。本書はこの翻訳原稿を私が十分に推敲したものである。

博士は少年の日から日本にとくに心牽(ひ)かれたと言う。西洋人で日本に霊性的に牽かれた人物は他にラフカディオ・ハーンが居る。事実ウェスト氏は少年のころハーンの文章に触れ日本への眼を開いたともされる。文学と法律ではまったく畑違いの人生行路ではあるが、神の国の認識、思慕は一世紀を隔てて両者符節を合するが如くである。

明治開国以来本邦に来り、この国の文化と人情に深く傾倒した欧米人は何人かいる。だがそれらは多く美術工芸や文学に跼蹐(きょくせき:きょくてんせきち【跼天蹐地】の略、肩身がせまく、世間に気兼ねしながら暮らすこと。ひどくつつしみ恐れること。)して、この国に偏満(へんまん:広く行きわたること)する神気に正面から関わりあってはいない。また汪精衛[3]汪兆銘)の配下として政治的に活動し、戦後我が国に永く亡命生活を送った胡蘭成[4]の様に、伊勢神宮をこよなく崇敬した人物もいた。彼は伊勢神宮の清掃夫として生を送りたいとも述べている。正統の文明の始原性を日本に於て直覚したと思われる。

 

[3] 汪 兆銘(おう ちょうめい、1883年5月4日 - 1944年11月10日)は、中華民国の政治家。行政院長(第4代)・中国国民党副総裁。辛亥革命の父、孫文の側近として活躍して党の要職を占めた。字は季新。号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)。
知日派として知られ、1940年3月、南京に日本の傀儡政権である汪兆銘政権を樹立し、同年11月には正式に主席となった。1944年、名古屋市にて病死。広東省の生まれ。原籍は浙江省紹興府山陰県(現在の紹興市柯橋区)。著作に『汪精衛文存』などがある。

[4]胡蘭成(こ らんせい、1906年2月28日-1981年7月25日)は、中国の政治家・作家・思想家・書家。浙江省嵊県に生まれる。燕京大学を国民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府にて法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。中国の著名な小説家、張愛玲の文学の才能に惚れ込み、1944年に結婚するも1947年に離婚し、1950年に日本に政治亡命。離婚した原因は胡蘭成の浮気行為。張愛玲は彼と離婚する際の手切れ金として大金と手紙を渡した。のち、上海黒社会の大物呉世宝の未亡人であった佘愛珍と再婚した。
1974年、台湾の中国文化学院(今は中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、1976年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪曼派の保田與重郎川端康成等々と親交を結んだとされる。1981年、東京都福生市で永眠。

 

わがウェスト博士は明晰な頭脳、高級な修学、広範な見聞と実務経験の上に、そのすべてを覆う独自の歴史哲学を築いて居られる。その総ての奥底には博士独特の霊性的直覚がある。私は何時も思うのだが知性には自ら限界がある。それはその人なりの桎梏(しっこく:人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの)として働く。それを脱却する最終的機縁は神授のものである以外はない。本書は大冊ではないが他に決して見る事の出来ない、古代から現代に亘る歴史の真相を暴く、深刻切実な書である。史上世に現れた他の如何なる史書をも越えた稀有の文献と言わねばならない。(※燈照隅による強調)

人格の芯核は血統と育ちで決まる。人は生まれ落ちた時、その命運は正確に定まっている。ウェスト博士は『義』の人である。法律家たるべき宿命を持つ。聞くところによれば博士は四百年前にイギリスからアメリカに移住した家系に属する。この家は時を経てテキサス西部に落ち着き大牧場主になった。テキサスには日本の一県の面積を持つほどの巨大牧場主もいると言う。

国際秘密力に深く侵された北部と異なり、米国南部は在りし良き欧米文明の伝統を今なお何程か残している。博士はこの環境で育ちサンアントニオ市の少年士官学校(Texas Military Institution、戦前の陸軍幼年学校のようなもの)を経てテキサス州立大学に進み、法律と歴史を学んだ。この学校は後に著者が痛烈に批判することになるダグラス・マッカーサーも学んだと言う。

私は米国に幾年か滞在したがその間ずっとニューヨークに滞在し、テキサス州にはヒューストンとガルベストンにしか足を伸ばしていない。したがってテキサス西部の様子はまったく知らない。ただ米国南部一帯を広く旅行はした。其処は米国において私のもっとも好む地方である。セントルイスからミシシッピー河に沿って南下し、途中道草しながらニューオルリーンズに行き、メキシコ湾に沿ってフロリダに出たこともある。仕事で毎週ニューヨークからノースカロライナのウイルミントンに通っていた頃もあった。其処からサウスカロライナに廻りチャールストンに足を伸ばしたことを懐かしく想い出す。辺りの道路は当時行きかう車も少なく、両側の松林の景観は日本とまったく変わらない。車を止めて林の中に入り独りで逍遙(しょうよう)する。深閑たる林間、梢(こずえ)を透して見る青空。日が落ちれば街道沿いの静かな小さいモーテルに泊まる。

ああ、在りし良きアメリカ。

しかしこの在りしアメリカは60年代半ばにして突然変異した。社会と人心が崩壊した。ニューヨークに住んでいた私の目にそのように映じた。当時私にはその変移の表面だけにしか目が届かなかった。何故そんな急激な変化が起こったのかと言う疑問は、眼前の仕事に忙殺されていた私の脳裏を過ぎることは無かったのである。

人生には自ら定められた行路がある。人はある定められた「時」に至らなければ「事」を悟ることは無い。今にして私はこのアメリカの急激な崩壊が決して自然の成り行きではなく、この国の建国以来のプログラムであったことを悟ることになった。アメリカの崩壊を眼前にした私はこの国の測られた行路に図らずも立ち会った訳である。かくて本書の成立に立ち会うことになった機縁は30年前にあったことになる。不明にしてその事に気づくのが遅すぎたが。

わがウェスト博士は大学では法学の他に歴史をも専攻されている。そして歴史を駆動しているのは一体何かと言う、最も根源的な疑問を常住に抱き続けてこられた。この疑問は総ての歴史家がその心底に抱き、その考究に心肝(しんかん)を砕くべきであるにも関わらず、ヘロドトス司馬遷の時代以来この問題に本格的に取り組んだ学者、思想家を知らない。もちろん納得のゆく体系的、包括的説明を与えたものはいない。著者は大学の学者ではない。にも係らずこの歴史学の根源に横たわる疑問に関心を抱き続け、終に熱海在のある宗教施設において喝然と大悟した。その始終は本書に詳しい。

私は博士が日本の熱海で天啓を受けられたということに深い印象を持つ。恐らくは、恐らくは人類に最後に残された真正の神の座(いま)すこの列島にえいて、「神」は時と処を得てこの人に降りたのではなかったか。

著者が少年の日から日本に惹かれたことの意味はまさしくこの一瞬の為に在ったのだろう。ハーンと違い、フェノロサと異なり、蘭生と袂(たもと)を別つ所以は、その法律実務家の知識経験が歴史洞察力と合体し、霊性による天啓を得て、前人未踏の真実の歴史認識に至ったと言う事実である。日本なかりせば本書はもとよりウェスト博士もまた在り得なかった。

本書を読み進まれる読者がただちに理解されるように、本書は今日に言う中東において普遍的アラブの中からヘブライユダヤ民族が現れ、ユダヤ教の中核ラビ達がすでに第一回離散のとき以来、如上(じょじょう:前述)の意図をもって広く地球上をくまなく徘徊して、自らの目的を達すべき遠大の計略を廻らして来たとする。

このような全体図を呑み込むは誰にしてもまったく困難であろう。とくに日本人には不可能と思える。だが、たとえばもっとも遠隔の日本古代史においてでさえこれを曇り無く見据えると、重要なる史実がポッカリと抜け落ちていることが分かる。何物かの手がこの間に侵入したことを推定せざるを得ない。況(いわん)や西洋古代史においておや。

既にしてウェスト博士は、そして私も早くこの結論に達していた。この事情は現代史にそのまま当てはまる。総ての現代史の講釈はペンキ塗りの薄い表皮を撫でているに過ぎない。真実は工作者本人(複数少数者)しか知らないのは当然だが、ウェスト博士がこの問題の捜査に適任である所以は、この人に検事の経歴があったと言うことである。この人類と文明に対する犯罪を摘発する為の準備として、これは正に天与のものであろう。

 

ここに本書を私家印行して親しき知友に配る。

 

                                     

             平成8年1月  S・U[5]

 

[5] このイニシャルは馬野周二氏であることはまず間違いない。(以下に氏の関係書籍を挙げる)
馬野 周二氏(うまの しゅうじ 1921~)は日本の技術者、著作家。工学博士、技術士。専門分野の論文、報告書の他、国際政治や国際経済についての著書を多数執筆した。父親は内務省官僚であり、朝鮮総督府の高官であった。(wikiより)

■以下に馬野周二氏の著書等をご紹介いたします。(以下は燈照隅による付記:wikiより)
著書

『石油危機の幻影 エネルギーをめぐる地政学』 ダイヤモンド社 1980年
『石油危機の解決 日本のエネルギー・システム』 ダイヤモンド社 1980年
アメリカ落日の論理』 ダイヤモンド社 1981年
アメリカ帝国の大謀略 日本に最も危険な国』 徳間書店 1982年
『大日本技術帝国』 光文社 1982年
『大凶慌 世界経済の破局が襲来する』  ABC出版 1983年
『衰亡の法則 文明・社会・国家・産業・企業』 PHP研究所 1983年
アメリカは信頼できるか レーガン政略の読み方』 ABC出版 1983年
『日米最終戦争』 徳間書店 1983年
『技術文明の法則 1990年代日本の条件』 ダイヤモンド社 1984
破局の論理』 PHP研究所 1984
『日米逆転の大予言 歴史構造の必然を明かす』 ABC出版 1985年
『栄枯盛衰の科学』 PHP研究所 1986年
『日本の危険 日米対決の深層』 東明社 1986年 (藤原肇との共著)
『日本に亡国の音(おん)が聞こえる』 経済界 1987年
『大転換の力学 1990年代 日本の条件』 PHP研究所 1987年 (『技術文明の法則』の新版)
『経済裏陰謀の常識 日本人は何も知らないのか』 青春出版社 1987年
『日本はどう進むべきか 1989年の大恐慌』 竹井出版 1988年
『嵌められた日本 日米相克の深層を抉る』 プレジデント社 1989年
アメリカの詐謀 日本の大愚』 天山出版 1990年 (『日米最終戦争』の新版)
『平成日本は本当に平成か 日本はどう進むべきか』 竹井出版 1990年
『米ソが仕掛ける騙しの経済』 かんき出版 1990年
『人類文明の秘宝「日本」』 徳間書店 1991年
『壊される日本 「心」の文明の危機』 プレジデント社 1993年
『村山政権と日本の命運』 本の森出版センター  1994年
『この日本人を見よ 在りし日の人たち』 フォレスト出版 1998年
『世界最終戦争論 文明と戦争の大潮流を解く』 東興書院 1988年、2000年
朝鮮半島の真実 日本人の魂朝鮮人の魂』 フォレスト出版 2000年


翻訳及び監訳(解説)

ロバート・C・ベックマン『ダウンウェーブ 大恐慌は避けられない』 徳間書店 1983年
エマニュエル・ジョセフソン 『ロックフェラーがアメリカ経済をダメにした』 徳間書店 1989年
ネスタ・H・ウェブスター『世界革命とイルミナティ』 東興書院 1990年
カーチス・B・ドール『操られたルーズベルト』 プレジデント社 1991年
エマヌエル・ジョセフソン『ルーズヴェルトが20世紀をダメにした』 徳間書店 1991年
『対日宣戦教書! 暴かれた「悪魔の選択」 米CIAレポート「JAPAN2000」の深層を抉る』 徳間書店 1992年
ネスタ・H・ウェブスター『世界秘密結社(1)』 東興書院 1992年
ネスタ・H・ウェブスター『世界秘密結社(2)』 東興書院 1992年
ジェームス・パーロフ『権力の影 外交評議会「CFR」とアメリカの衰退 アメリカ国際謀略の伏魔殿を抉る!』 徳間書店 1992年
ジョージ・アームストロング『ロスチャイルド世界金権王朝』 徳間書店 1993年


論攷

『秀真伝講解 巻一』
『秀真伝講解 巻二』
『秀真伝講解 巻三』
『論攷集成 巻一 』
『論攷集成 巻二(全貌論文)』
『論攷集成 巻三 』
『20世紀の深層』(『月刊公論』の連載「深層を読む」収録)
アメリカ Vs 日独 経済闘争』
『論攷・エネルギー』
『エネルギー技術特論』
『歴史工学特論』
『日本の時代が来る』
『日米対決の構図』