国際秘密力01

                     

 

献 辞

この本が出版に至ったのは二人の方のお陰である。一人は20年連れ添った私の妻、チヨコ・荒鳶・ウェスト<1> である。彼女はたゆまずに、私自身および私たちの信念を支え続けてくれた。また彼女は19年間倦むことを知らずに働き続け、私の執筆を励ましてくれた。そしてこの書の原稿ができ上がりつつあった1995年には、日々その内容を聞き、助言を与えてくれた。忍耐という言葉では、彼女の私に対する姿勢を十分に表しきれない。

この20年間、私は彼女を辛い目に会わせ続けてきた。このような状況の中で、共に生き、共に堪え忍ぶことができるような心性の持ち主を、私は他に知らない。適切な言葉が見つかる筈はないが、私の心からの感謝の気持ちをここに表したい。

もう一人はSU博士[1]であり、私がこれ以上は出来ないほど感謝している方である。博士とは最近知り合ったのであるが、彼はこの内容を本にするよう勧めてくれた。彼に対しても、感謝の深さを表す適当な言葉を私は持っていない。私がかって幸運にも出会えた人の中で、SU博士は疑いなく最も知性的な人物である。私が崇敬、尊敬しているSU博士は孤高の紳士であり、信じ難いほどの教養と経験をお持ちである。また、これまでに会った人の中でこれほど無私な人もいなかったと感服している。

[1] 馬野周二氏:馬野氏については、国際秘密力00 註5をご覧ください。

 

彼以外に考えられるとすれば私の妻とMN教授<2> である。MN先生は、昭和44年に私を日本そして特に伊勢神宮に導いて下さった方である。彼の奥様と愛らしい子供たちには家族同様に迎えて頂いた。

これらの方々に、そしてお名前を出すことは憚られるかも知れないので差し控えるが、私が設立した団体に所属されるすべての方々に、お会いして以来の多年に亘るご支援に対する深謝を申し上げる。また、すでに故人になられたが、私とともに大和魂のために精力的に活動された実に多くの方々、およびそのご家族の方々に感謝する。これらの方々すべてに、生きておられる方にも、亡くなられた方にも、私は申し上げる。

1969年、あなた方および大和魂を持つ人々に奉仕することに、私は生命を捧げた。

1995年、あなた方および大和魂を持つ人々に奉仕するために、私はこの本を書いた。

世界の人々に、今日の世界における日本の立場を、そして人類が自由で独立した人々の集まりとして生き残るために、日本人がその責務を何故果たしているのかを理解してもらうのに、本書が少しでもお役に立てば幸いである。

 

前 言

この本は読書からだけで生まれたものではない。これは私の生身の体験に基づいたものであり、私が見聞した事件および私自身に降り懸かった事件を基礎にしている。

それは、1973年の第4次中東戦争の後、エジプトの刑務所に引き立てられた時から始まった。その時私は日本の顧客相手に仕事をしていたのだが、そこで私はイスラエルによるアラブ連盟の買収を暴露したのである。そして極端に暴露し過ぎた結果、私は米国における幸福な生活に代えて、屈辱的な人生を強いられることとなった。

私の経歴に対するこの打撃は、陰険に考え出された重苦しいものであった。米国内には私を中傷する情報が公表され、専門的な職業に就くことは殆ど不可能になった。私は堪え忍び、私が人生を捧げた闘争を続けた。この苦闘には後に私の最愛の妻が加わった。次の期間には、私は大学で政治学を教える傍ら守衛として働いた。私は職業上の経歴については道を塞がれたが、これからお話しするように別の意味での成功を得ることができた。

私の経歴に対する最大の攻撃は、米国のダラスを本拠とする大学のある教授によって為された。それは1974年、私がエジプトから帰国した直後のことであった。彼は元GHQ(マッカーサー元帥麾下の米国日本占領軍最高司令部)のメンバーであり、その後ダラスに帰国する直前までは東京米国商工会議所の会長であった。ダラスに戻ってからは、日本の投資家のダラスへの誘致を行っていた。

彼がダラスの多くのユダヤ人企業とユダヤ人資産家たちの為だけに活動し、国や社会への損失を何故顧みないのかは、彼のGHQの経歴とGHQの本質を知った時に理解することができた。

私が日本の為に行った仕事の中で最も顕著な成功例は、福田赳夫氏が首相候補となり、彼の名前が日本経営研究所(Japan Management Institute、以下JMIと略す)と関係していた時のものであった。(彼は大蔵省出身で、当時は外相であった) 

アイルランドに本部がある『リコン・アンド・アソシエイツ』という会社が、JMIと提携して日本にある五十余りの事務所と一緒に仕事をしたいと申し入れてきた。JMIの唯一の外国人顧問であった私は、この『アソシエイツ』が何者であるか誰も知らないことと、彼らがユダヤ人関連の回し者で、危害を及ぼそうとしているかも知れないことに気づいた。そこで私は処理方法を助言したところ、数日後の休日の朝、JMIの一団が私の家を突然訪れて私を驚かせた。私は今でもこれらの人々と、彼らが酒樽を持って来たのを他愛なく覚えている。

JMIが『リコン・アンド・アソシエイツ』との提携を断った直後に、このアイルランドのグループは自らの破産処理を行ったのであった。その事により私は、このアイルランドの会社の意図はJMIを、またそれによって福田赳夫氏を妨害することであったのを知った。後日談であるが、GHQを日本に遣わしたのと同類の外国の人たちが影響力を及ぼし、JMIに長い間雇われていた私を解雇させた。

このJMIの事件が起きたのは69年から70年にかけてであったが、この事件は私に、このグループの持つ強さと生存競争における彼らのやり方を教えた。そしてまた私は、私の当時の妻が、日本におけるユダヤ人グループのために私を働かせようとしていたことに気づいた。私は彼女と離婚し、76年に現在の妻と再婚した。後に何年間か、日本を旅行した時には、暗殺をほのめかす脅迫を受けていたため、護衛を付けるように言われ、付けて頂いた。この本が出版されると、私はまた同様の状況に陥るであろう。

本書の『前言』は1975年に書いたものを収録したが、JMI事件当時は、そして今日でもまだそうではあるが、世界および日本の政治的状況はこの様な本の執筆を許さなかった。今回この本を出版するが、今日の世界状況からすれば、この様な資料が十分な部数印刷されて将来の研究・比較の基礎とならなければならないと考えている。

オズワルドの単独犯行とされ、そうでない確率は数十億分の一であろうなどとされてきたケネディ暗殺事件のような例は、誤りでなくて何であろうか。当然の成り行きとして、多くの重要な証言は決して死なないのである。

私は75年に書いたこの文書を、そのまま本書内で使うことにする。感傷的な理由が一つと、もう一つの理由は、日本においては、良い方向に向かってきてはいるものの、当時から今日まで実質的には何も変わっていないからである。

但し感謝すべきことに、日本では覚醒が起きつつある。

 

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小説というものは読者をとても楽しませてくれる。しかしこの地球で53年間(本文執筆当時)暮らしてみて、私は、真実というものは遥かに有りそうもないことであり、従って小説よりも甚だ面白いことを発見した。『真実』に関する唯一の問題点は、事象がより複雑となり、また捉えるべき対象が大きくなるほど、判定を下すのがより難しくなるということである。

それは、事象が複雑になればなるほど、解明することがより難しくなるということが部分的な理由である。一本の紐に繋がっている個々の結び目だけでも、それは複雑で解くのが難しいかも知れない。まして多くの似たような紐とそれに繋がっているもっと大きな結び目があった時には、解くことは殆ど不可能なほど難しくなる。そこで、各々の紐を一本毎に分けて並べ、少しずつ真実の光に曝していくことが必要となる。

真実の強い光の下で見るのは不適当であると、誰もが思うような事が行われる時がある。また真実と知識によって精査されては成功できないような、己の願望や欲望を強行するための陰謀が企てられる時がある。このような時、彼らはその真実を深く暗い秘密のベールの中に隠そうと努力する。

その様な努力が事柄の複雑さを増し、真実を暴くことを難しくさせるのである。さらにその利己的な陰謀を企てる犯罪者に関する何の文書も発見されず、また秘密に関する如何なる供述も得られないというような方法で真実が隠匿されると、それを暴くことは無限に近く難しくなる。

本書で採り上げている問題では、これに加えて人類の歴史の中で比較的長い年月が経過している。その長い時間の経過の中で、秘密が持続されているばかりでなく、真実の暴露が抑圧されており、一連の陰謀を暴露し『真実』に到達する上で恐ろしい問題が生じている。

特に不必要な複雑さを意図的に加えて陰謀が強化された場合に、この問題が生じる。すなわち、陰謀を助長するために必要ではないが、単に注意を反らしたり陰謀を包み隠したりするために『煙幕』を生じさせている場合である。

私は、読者の方々が、ある陰謀の本性について興味を抱く気持ちになって欲しいので、この様な長い説明をしているが、その陰謀とは一体何なのか? 

それは『世界支配』の陰謀に他ならず、この陰謀は少なくともジュリアス・シーザーの時代にローマ人がユダヤ人を征服して以来、拡大され続けている。そして彼らが国土を失って以来およそ20世紀の間、この陰謀は拡大され続けてきたと私は信じている。それは曲がりくねった道を辿りながら、究極的な目標に向かって常に前進しているのだ。私の基本的な信念は多くの日本人および真正な米国人と共通であり、次の様なものである。

いかなる人種、集団といえども、人類の運命を支配し、またそれによって人類を奴隷化することはできない。またいかなる人種、集団といえども、それを企ててはならない。

なお次のことを急ぎ付け加えておきたい。私は、ここで対象としている陰謀を行っている集団が、ユダヤ人種・教徒全体であるとは信じていないし、また疑ってもいない。私はむしろ、ユダヤ人指導者たちにより構成される大変小さな『核集団』が陰謀を企てているのだと信じている。この核集団は今日まで約二千年の間存在し続け、過去も現在も世界の独裁を求めて止まない。この核集団はその野望を満たすために、彼らの宗教的信仰の促進に忠実に参加している無知なユダヤ人たちを、無慈悲に酷使していると私は信じている。

菓子が美味しいかどうかは、食べてみなければ分からない。読者の方々には我慢して私にお付き合い頂き、この後に続く頁を繰って頂きたい。そして、元米国大統領リンドン・ジョンソンの言葉でいえば、『一緒になって論じていこう』。

 

緒 言

世界の法システムは種々様々であるが、すべては真実の追求と提示を基礎としている。それは『証拠』の形で行われ、裁判所は事実を判定する過程でそれを聞かなくてはならない。法システムはすべて、『証拠』の『容認』のための規定を定めている。

英国の法システムでは、犯罪認定の基礎となる『容認』証拠には二種類がある。最良の証拠は、その事件の目撃者による証言または供述したことを示す文書である。それに対して『状況証拠』は、それだけでは十分ではなく、事実を追求する者によるさらなる綿密な調査を必要とする。

この『状況証拠』は、犯罪の判定に導く事象または出来事であり、犯罪実行時における犯罪の意思ばかりでなく犯罪との関りをも示すもの、と定義されている。今日、状況証拠的な証拠はいかなるものであろうとも、裁判所は注意深く吟味しなければならず、有罪確定のためには、多くの証拠の積み重ねが必要である。それに対して直接的証拠は、一つの短い供述で十分な場合も有り得る。『私はそれを聞いた』という伝聞証拠は常に除外されなければならない。

個人または集団に対して犯罪事件を論告する検察官は、まず最初に調査を行い、予定している論告に有利な事実を収集しなければならない。そして次に、その犯罪が法律に違反しているか、どの法律が適用されるかを決定しなければならない。

私自身、論告のために事実を収集し適用すべき法律を探す検察官の役割を果して来た。但し、状況証拠類の提出要求に対して提示されたものについて、それが実際に事実であるかどうかを判定すべきその法廷は、有罪確定を支援するものであった。

幾つかの法システムでは、一度検察官から告訴状によって告発されると、被告は自分または自分たちが『無実』であるか、または『身に覚えのない』ことを証明する義務があると定めている。英国の法システムは世界の法制度と同様に、告発され犯罪者と言い立てられた者は、有罪が証明されるまでは法廷においては無罪と推定されると定めている。この本の執筆に当たって私は、検察官としての役割を出来る限り公平にするために後者の考え方に準拠し、より強く、より高く被告を無罪と推定する立場を取っている。

八千年の世界史を見直そうなどとは誰であろうが厚かましいと、読者が言われるのはもっともであり、それはそれで正しい。しかし、公表されている限りでは訴追者的視点によって世界史を見直した人を見つけられない以上、誰かが最初にそれを行わなければならないと私は切実に感じている。もしそれによって十分な興味が喚起されれば、他の人たちがさらに徹底した調査を行い、おそらくもっと決定的な証拠が発見または暴露され、そして発表されて世界の人々の目に触れるであろう。私はそうなる事を切に祈っている。

日本の読者の多くは、『一体それと私とどういう関係があるのか?』と尋ねられるかも知れない。このご質問に対しては単に次の様にお答えしたい。

日本は本書で告発されているある集団によって最近成功裏に征服されたばかりである。そして物質的側面では過去よりも確かに改善されたかも知れないが、その精神的側面およびその存在理由(レーゾンデートル)においては、マッカッサーによる占領前、さらにはペリー提督来航以前の良さに比べるまでもなくなってしまった。しかし日本の人々は、他の世界の人々とは異なり、自分に取り付けられた軛(くびき)を取り外せる可能性をまだ残している。

もしあなたの興味がお金と個人的な事だけであるなら、本書をこれ以上読まれる必要はない。それは時間の無駄使いであろう。もしあなたが日本民族とその精神の存続に興味がお有りなら、どうか私と一緒に人類が人類を征服して来たこの世界の歴史、を検証して頂きたい。そして幾つかの事実を私と一緒になって確かめて欲しい。そしてこれらの事実が、人間性裁判所への論告を正当化するのに十分であるかどうかを判断する立場に、あなた自身を置いて見て頂きたい。

 

[訳注]

 

  <1>  ウェスト博士の夫人:大阪出身。旧姓、荒鳶(あらとび)千代子さん。

  <2>  難波江 通泰(なばえ みちやす)氏:伊勢市の皇学館高校、および国士館大学武徳研究所にて教鞭を取られる。

 

難波江 通泰(なばえ みちやす、大正15年11月18日(1926年11月18日)~平成19年(2007年)6月20日)は、日本の文学、歴史、哲学の学者。愛媛県出身。愛媛大学卒。小・中・高校の教諭を歴任。福岡県立戸畑高等学校三重県伊勢市皇學館高等学校皇學館中学校中高一貫6年制)教諭を経た後、国士舘大学武徳研究所助教授。専門は王陽明支那文学(漢文)、支那哲学。

王陽明全集の中で非常に難解とされ、誰にも訳されることの無かった王陽明全集 第五巻「公移」を詳細な注釈つきで現代語訳(明徳出版社、1985年5月)。以上Wikiより