女イルミナティ19

論説3 猶太人とテンプル騎士団:語られない物語

            マイケル・サリオンのサイト

           ホームページ:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

「わが民の中には悪い者が居り、鳥を獲る者のように横たわり、わなを置いて人を捕えるように待ち伏せる。かごに鳥が満ちているように、彼らの家は不義で満ちている。彼らは裕福な者、力のある者となり、 肥えて、つやがある。その悪しき行いには際限がない。」―エレミア書5:26

世界の陰謀に於ける猶太人の役割の話は、一つの論説や一冊の本では語りつくせない。それは数千年に及び、迷宮のようなものだ。

多くの著述家が、自らが見るように事実をさらけ出そうとしてきたが、その中でかなりの人数が秘密裡に世界的な混乱を組織化してきたことに対して猶太人を殊更非難している。ネスタ・ウェブスター、クイーンズボロー婦人(エディス・スター・ミラー)、レオン・デ・ポンサン、アーノルド・リース、ダグラス・リード、ユースタス・マリンズ、リンカーン・ロックウェル、デイヴィッド・デューク、テッド・パイク、デイヴィッド・アイク、ウィリアム・ピアス、テゼ・マーズ、C・J・ビヤークネス、デアンナ・スプリンゴーラ、デイヴィッド・アーヴィング、アーメド・ラーミ、ケヴィン・マクドナルドなどの作家や研究者*は、我々の地球を悩ませている陰謀の非常に多くが世界を股に掛ける邪悪な猶太人の超陰謀の一部であると確信したのである。これらの著者は猶太の歴史に多くの汚れた話を明かし、旧約聖書、タルムード、シオン長老の議定書などからの文章を引用して、自分たちの猶太人告発を補強している。
*それぞれの代表作?一覧を載せました。一番下の「猶太追及の参考文献」をご覧ください。(燈照隅)

実際、猶太人は、破壊活動の策動に於いて、頻繁に不釣り合いにエネルギッシュな煽動者且つ活動当事者であった。しかし、なぜそうなのだろうか? これは如何にして合理的に説明できるだろうか? 特に素行の厳しい道徳律(キリスト教徒に知られているものより遥かに明白で破ることが出来ないもの)の下に育てられた人々― が何故、他の民族に対して悪を働き、暗殺、大量殺人、無秩序、社会主義、それに一般的な混乱を煽動し、そしてそれらに参加するのだろうか? 十戒の「汝殺す勿れ」はキリスト教の出現よりも何世紀も前からユダヤ人に守られて来たモーゼの律法から来たものである。神を喜ばせ、天国に至るために念入りに道徳的生活を送る絶対必要なものは、猶太教にこそ不可欠のもので、キリスト教にではない。

そして、猶太人が西洋文明を弱体化することに否応なしに興味があるとすれば、何故、そんなに多くの猶太人がその(西洋の)利益を追求するのか? 何故、そんなにも多くの猶太人が非猶太人に対してずっと役立ち、友好的であり続けたのであろうか? 何故そんなに多くが西洋の文化に、貴重な方法で、そして、音楽、美術、喜劇、文学、歴史、宗教、法律、健康、心理学、映画製作、演劇、情報などのあまりに多くの分野で、寄与したのだろうか?

「猶太人はどこにいても革命家ではない。猶太人はどこにいても自分が阻害される社会に不満であるが、それは、当然であり、不可避なのである。しかし猶太人は常に、或いは通常、屡々自分が大きく利益を得る偶然性をも孕む既成の社会秩序を顛覆することに向けてその力を行使しない。…猶太人はヨーロッパの歴史に於いて、革命の主因ではない:全く逆である。」―ヒレア・ベロック著「猶太人」

今世に出ている研究にも拘らず、我々には世界の犯罪史における猶太人の役割について多くの不可解な問題が残っている。殆どの反ユダヤ的研究者の作品を読んで、我々はその報告のあらゆることを確認できるだろうか? 彼らの告発は正確だろうか、或いは猶太人の破壊の傾向についてもっと尤もらしい説明はあるのだろうか?

そのような問題を熟考する一方、我々は本質的な点と事実に気づいている。第一の点は猶太と言うまさにその用語に関わる。その言葉が本当に民族に関して意味するところを見極めることは、簡単な問題ではない。それは、父称のユダJudah、そしてイスラエル人Israeliteの同意語のヘブライ人Hebrewやレヴィ族Leviteと関連があるのだろうか? 「J」が「Y」や「I」と入れ替わると何か変わるであろうか? その用語の起源は何なのか、そして、今日その名称を使っている人々と違う民族を表すのに(過去に)使われたことはあるのだろうか? その言葉はもっと前の時代に遡り、もっと古代の非セム系民族に遡ることは出来るのだろうか?

キリスト教が猶太教から来たことは聖職者により認識されているが、猶太教は何処にその起源があるのか、そしてどこにその祖国があるか、或いは、ヘブライ人や猶太人とは誰のことだったのか、についてはこれまで一度も誠実に暴かれたことはなかったのである。「ヘブライ人Hebrew」や「猶太人Jew」と言う用語は、欺瞞の目的でアラム語族の人々に授与され、それはこの民族 ―今の所謂猶太人― をそう呼ぶには誤称なのである。」―コナー・マクダリ

猶太人(伝統的な認められた意味で)と言う言葉の最初の使用は旧約聖書エステル記に出て来る。この書の中心的な主人公、ベニヤミン族のモルデカイは「猶太人Jew」として記述されている。研究者の中にはこの用語はこの形ではずっと後の時代まで使われなかったと主張する者や、猶太人がこの名称で自分たちを指したのは1860年になって漸くであったと主張する研究者もいる。これが本当なら、後の翻訳(解釈)者が言葉や名称を修正若しくは改竄して、正統な位置づけではない文書にしたことがあるのは最初ではあるまい。このような誤魔化しの例は数百にも上り、中には故意に人を欺くものもある。聖書学者と歴史学者はこれを指して「敬虔な詐欺pious fraud」と呼ぶ。

特定の歴史家の疑いにも拘らず、因習的な論理は猶太人Jewと言う言葉が恐らく猶太Judeaの土地が由来であると受け容れてきた。そのJudeaと言う地名は父称Judahが由来であり、それは出エジプトの後イスラエル南部に造られたJudahの部族と王国、を意味する。(Judahはこの場合、初期の家父長、即ちヤコブの息子、イサクの息子、アブラハムの息子である。)この意味においてJudite或いはJewはJudeanの先祖から母系の血統で下って来た人間のことであろう。(Judahと言う名前はYahud、Yahuda、Yehudah、それにAudaとまでなることもある。)

Yudahの部族はイスラエル王国の敵であり、10の部族から構成されていた。Judahには自らの王、聖職者、法律があり、実際には二つの部族 ―JudahとBenjamin― で構成されていた。著者は論説2でベニヤミン族の重要性について説明した。(論説2:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

f:id:caritaspes:20210531132834p:plain

 

イスラエルの12部族を表す12の宝石をあしらったコーエン・胸飾りKohen Breastplateを装着した猶太人聖職者。全ての伝統がそうであるように、キリスト教と猶太教の主題と用語、即ちコーエンと言う言葉と胸飾りの記号はドルイド信仰とアメン信仰にその起源がある。コーエン(Kohen或いはCohen)は(Canaan、Cana、Khan、Chan、Changのように)アイルランド語のConn、Cian、或いはCainその他が由来で、蛇の聖職者を意味する。この言葉のシュメール語版は「精液の守護者」を意味する。これはメーソンにも聖職者や教師として仕える人間を認証するために使われた用語である。数字の12はそれでも黄道帯を暗示する。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/High_Priest_of_Israel

ドルイドは白いローブに、詩人は青いローブに身を包んだ。首領ドルイドイスラエルの高僧の胸当てとよく似た12の宝石が付いた黄金の胸当てを纏った。そのような胸当てはストーンヘンジの墳墓の一つで遺骨の上にあるのが見付かっている。」―フレデリック・ハベルマンFrederick Haberman 著「我々の祖先の追求Tracing Our Ancestors」

「裁判の仕事に従事する時、大判事は首に鎖で掛けた、貴重な宝石で飾った小さな人形を着けた。これは真実と正義の二重の性格の下に崇拝した女神を表すもので、トメイThmeiと呼ばれた。これはそれなりの理由があって想定されて来たのであるが、即ち、これは同じ家父長的要素の堕落であったが、その後ヘブライの宗教に於いて高位の聖職者のトンミムThummimとして発達したものである。」―ジョージ・スミス著「非猶太民族(1853年)」

f:id:caritaspes:20210531133103p:plain

メノーラ。それとも、ア・メン・ラーだろうか?

ユダの形成は12部族との間に分裂を惹き起こしたので、猶太の歴史の始まりからユダの2部族は叛逆的、反抗的に行動した。それは自らを猶太人と呼ぶ人々にとって良い兆しではなく、猶太人とイスラエル人を自動的に関連付けないように我々に告げる。それは、よくある間違いである。各々の集団はそれぞれに別個の歴史を持ち、その一部が旧約聖書に開示されている。然しながら、我々は、それを、古代猶太人が古代イスラエル人と同じ神を崇拝していたと取るだろうか? そうでなければどうだろう? それは猶太人の歴史に関する謎を幾ばくかでも明らかにする手助けをしてくれるであろうか?

そして、所謂古代イスラエル人がエホバJehovahではなく、それより以前の神を信仰していたとしたらどうであろう? 古代イスラエル人と言う名称を使う人々が実際にはエジプトの高貴な生まれの貴族で、そこでよく知られた神々を崇拝していたとすればどうであろう? 彼らが女性の神々を崇拝していたとしたらどうであろう? これは何かを説明してくれるだろうか?

重要なことには、嘗てはイスラエルの存在を証明する最初の碑文を含むと報告された古代エジプトの石碑 ―メルエンプタハ石碑― は後になって紛れもない捏造であることが発覚したことであった。古代イスラエルの存在が歴史的に証明できる事実であれば、何故その証拠を捏造するのか?(詳しくは、著者の「文明のアイルランド起源」をお読みください:https://www.amazon.com/Irish-Origins-Civilization-One-Traditions-ebook/dp/B007EI6456/ref=sr_1_7?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1531855270&sr=1-7

「ヨセフスはヒクソスが『猶太人』であると断言するが、最初のヒクソスの追放以後千年、二度目の追放後何百年かまで『猶太Jew』と言う言葉は歴史的記録には現れないのであった。…我々はヘロドトスがそのような部族について聞いたことがあったと言う如何なる兆候も持って居ないし、猶太の王国については更にそうである。」D・M・マードック著「モーゼは存在したのか?」

「猶太教と言う記述的な名前はヘブライ人或いは『イスラエル人』には聞いたことがないものであって、キリスト教にのみ現れるのである。フラウィウス・ヨセフスは、自分が競争相手のギリシャ思想(ヘレニズム)よりも優れていると信じていたガリラヤの信仰の統一性、道徳的戒律、宗教的活動と儀式的慣習を暗示するために、ローマとの戦いの物語の中でこの名前を使った最初の一人であった。猶太教と言う言葉が生まれた時、最早そこにはヘブライの『イスラエルの』国家はなかった。猶太教の信経を奉じた人々は既に多くの民族と血統が混ざったものでこの(民族の)多様化は急速に進んでいた。」アルフレッド・M・リリエンタール博士著「猶太は人種に非ず」

マードックはその言葉が民族を表す限りにおいて正しい。勿論何らかの形で、或いは他の呼び名で猶太Jew(Yahud、Auda、或いはIodhなど)は古代において存在し、何らかの謎の信仰集団や社会に於いて霊的階層(カースト)と聖職者の身分を意味していた。著者が他で示したようにこの用語は元々は櫟(イチイ)の木の崇拝者に由来し、純粋にアリアン(の言葉)であった。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Trees-Life-Exposing-Holy-Deception-ebook/dp/B007OE2TI6/ref=sr_1_10?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1533212821&sr=1-10

勿論、この古代の歴史のすべてが、後に猶太人として知られる人々が何らかの形で聖書に出て来る猶太人(Judeans又はJudites)と関係していたことを証明するものではない、特にJudites が実際にエジプト人であったならば。にも拘らず、JuditesやベニヤミンBenjaminが傲慢で反抗的であったと考えると、誰が、あからさまに彼らと関係があった(親類関係があった)と認めるだろうか(誰も認めないであろう)。誰もが、伝えられるところイスラエルの地の北側の領土にあった、より偉大なイスラエルの家に関係していたいと思うはずである。何れにしても単に後の誰かが猶太教の宗教に改宗することを決心したからと言ってそれはその誰かが生物学的に古代の猶太やイスラエル(Judites又はIsraelites)と関係していたという意味にはならないのである。その人間は自らが猶太民族でなくても、父姓の猶太(Jew)を取り入れる(名乗る)のである。残念ながら、これは我々がここでこれ以上考察できる問題ではない。

二つ目の決定的且つもっと物議を醸す懸念は、もし、猶太人が実際に世界の陰謀的結社の中で主な活動家でも扇動者でもなかったらどうであろうか、と言うことである。これは滅多にその他の明らかな容疑者 ―イエズス会、赤い教皇、メーソンテンプル騎士団、黒い貴族、或いは龍の姉妹同胞(女イルミナティ)など― を見ようとしない反猶太的研究者からは歓迎されない考え方である。当然のことながら悪の召使いだからと言って罪に問われない訳でも許されるわけでもないが、しかし事実として残るのは、彼らは世界の陰謀の網構造の設計者ではなく、寧ろ召使いである、と言うことだ。彼らは一角獣ではあり得ても王家の獅子ではないのである。

歴史を通じて利巧な猶太人の家系や個人はムーア人オスマントルコ教皇や黒いヴェネチア人、ヴェルフ[1]オーストリア=ハンガリーボリシェヴィキ社会主義者、そして最も重要なのが、テンプル騎士団-メーソンの陰謀団などに仕えて来たが、この最後のテンプル騎士団-メーソンの場合には、我々が見て行くように、特殊で決定的に重要な捻じれが関わっている。

 

[1] ヴェルフ家(Welf、Guelf 又はGuelph)は、中世の神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツの諸侯。ヴェルフェン家とも呼ばれる。同家の先祖はカール大帝時代の、バイエルンの高貴な家系出身のヴェルフ伯である 。

だから著者が再三指摘するように、我々は、我々に知られている多くのより明白な陰謀性の団体は実際にはもっと得体のしれない上層団体の命を受けて働いている下層の代理人であることを受け容れなければならない。著者の作品では悪がそれによって自らを明らかにする、この悪の構造と悪性のピラミッド構造に関して取り組む。著者は「高位の権天使」と秘密の悪の計画を執行するための魔法使いや統治者に使われる方法に焦点を当てる。

 

【猶太追及参考文献】

ネスタ・ウェブスター 「世界革命とイルミナティ」(1990)

クイーンズボロー婦人(エディス・スター・ミラー)「オカルト神学(全2巻)」(1933~34

レオン・デ・ポンサン (Léon de Poncins)「The Secret Powers Behind Revolution: Freemasonry and Judaism」(1929)

アーノルド・リース 「The Jewish war of survival」(1947)

ダグラス・リード 「The Controversy of Zion」(1978)

ユースタス・マリンズ 「衝撃のユダヤ5000年の秘密―ユダヤはなぜ文明に寄生し破壊させたか?」(1968)
  (1978年再発行)

リンカーン・ロックウェル アメリカナチ党の設立者・党首

デイヴィッド・デューク 「猶太優越主義」(2003)「私の覚醒」(1998)

テッド・パイク 「Zionism and Christianity: UNHOLY ALLIANCE」(2004)

デイヴィッド・アイク 「Guide to the Global Conspiracy」(2007)

ウィリアム・ピアース 「New World Order Comix - The Saga of White Will」(1993)

テゼ(テクセ)・マーズ 「DNA Science and the Jewish Bloodline」(2013)

C・J・ビヤークネス 「ADOLF HITLER BOLSHEVIK AND ZIONIST」(2019~2020)

ディアナ・スピンゴーラ 「The Ruling Elite: A Study in Imperialism, Genocide and Emancipation」(2011)

デイヴィッド・アーヴィング 「Hitler's war」(1977)、「Churchill's war」(1987)

アーメド・ラーミ 「Tabubelagda tankar ("Tabooed thoughts") 」(2005)

ケヴィン・マクドナルド 三部作
 「A People That Shall Dwell Alone (1994)」
 「Separation and Its Discontents (1998)」
 「The Culture of Critique (1998)」

女イルミナティ18

f:id:caritaspes:20210531100326p:plain

 

結論

「我々は全ての同盟(団体)を今あるそのままで続けるように容認しなければならない…現在のように組織されたままで…しかし、我々はそれを超える典礼慣習を創らなければならないが、それは未知のままとし、またそれは我々が選りすぐる高位のメーソンと呼ばれる者たちを呼び寄せるものとなる。メーソンの同胞たちに関しては、これらの者は秘密の厳守を誓わなければならない。我々は、この至高の典礼慣習を通して、やがては単一の国際的な中心となる、全てのフリーメーソンを支配するようになる。そしてその方向性が未知であるが故に益々強大となるであろう。」―アルバート・パイク

テンプル騎士団とその親団体であるシオン修道会の分裂は恐らく14世紀のいずれかの時期に起こったものであろう。殆どのテンプル騎士団の専門家はその不和は二度と和解しなかった、と信じ、更に世界の出来事は反目する結社の継続する争いの為に形づくられた、と信じている。

然しながら、最近の発見が明かすには、実際の争いは、教皇の強硬路線とナザレ宗派の教会の間、即ちキリスト教の第五宗派と第四宗派で荒れ狂ったものであった。この対立は多くの制度と構造を生み出し、その中で最もよく知られているのがプロテスタント教である。それにもかかわらず、その対立は19世紀の終わりに、それ以降に合意され、動き出した世界支配のための新たな目標(agenda)により、終わりを迎えたのであった。

テンプル騎士団メロヴィング朝は後にナザレの宗派の大義と考えに改宗したか、或いは、それがエデッサの王族の実際の血統的子孫(だった、或いは今もそう)なのか、どちらかである。何れにしても彼らは神の、もっと正確に言うならば女神の、召使いの召使いであった。彼らは、シオン修道会としても知られる全能の女イルミナティの為の男の前線組織以外の何物でもなかったのである。

では引き続き、彼らの奇怪な歴史と活動について更に探求して見よう。

 

f:id:caritaspes:20210531100355p:plain

仕事を仕上げるには一つの要点ではなく、
二つの要点が、分割されながらも強調して働く必要がある。

 (これで論説2は終わりです。次回から論説3「猶太人とテンプル騎士団:語られない物語」です。  ―燈照隅)



女イルミナティ17

f:id:caritaspes:20210531095507p:plain

ナポレオン・ボナパルトとその尊大な甥ナポレオン三世

ナポレオン・ボナパルトとその尊大な甥ナポレオン三世。どちらもヨーロッパのテンプル騎士団により設定され、先導され、そしてどちらもその治世にテンプル騎士団の政策を進めた。ナポレオン三世は、敵対するメーソンの集団とロッジが間違いなく弱体化され、閉鎖されるように手を尽くした。彼らの秘教的背景と影響力はヨーロッパ全土でテンプル騎士団-薔薇十字団の流儀のメーソンの復活を容認した。重要なことは、この復活が教皇の容認を受けたことである。これは教皇自身がテンプル騎士団の据えた者であったことに疑いない。

「ナポレオン朝の間の秘密結社への寛容はテンプル騎士団の復活に繋がった。1808年の3月に新生テンプル騎士団(ネオテンプル騎士団)がジャック・ド・モレーの鎮魂祭を公に(公然と)執り行った。この鎮魂祭は、騎士団復活の大司教であったノートルダム規範であるアベ・ピエール・ロマンにより、統括された。」―マイケル・ハワード著「オカルト(秘教)の陰謀Occult Conspiracy」

「メーソンが今のメーソンでありつつ、君主、財産、そして社会に反する明確なあらゆる継続的運動にも拘らず、如何にして、常に王族や貴族の指導者をどうにかして獲得して来たのか、それは妙な話である。メーソンは前世紀(18世紀)にフランスの王位に反対する運動を導いた平等(égalité)の観念を持って居た。メーソンには、援助するブラウンシュヴァイクBrunswick公、フリードリヒ二世、ヨーゼフ二世が居た。今世紀(19世紀)我々はそれがルイ=フィリップ(在位1830~1848)、ナポレオン三世(大統領1848~52、在位1852~70)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ(在位1861~78)その他が名前だけの長として飾られたのを見る。ヌビウス*とパルマーストン**はどちらも保守的貴族の指導者から選ばれ、その真の長であった。」―モンシニョール・ディロン著「大東社メーソンの仮面を剥がすGrand Orient Masonry Unmasked」
*Nubiusは、Haute Vente Romaine(ローマの高級セール)という集団の首領の偽名で、この人物の二代目イルミナティ首領マッツィーニに関する記述から、この人物こそ陰でイルミナティを操っていたと思われる。
**Palmerstonは、文脈から英国のアイルランド貴族で政治家、英外相・首相を務めたパーマーストン子爵と思われる。

f:id:caritaspes:20210531095554p:plain

カトリックテンプル騎士団・メーソンの敵対

苦境にある他の仲間を助けると言うメーソンの誓いは実際にはテンプル騎士団の伝統である。イングランドのメーソンは14世紀にシンクレア一家*のスコットランド到着からテンプル騎士団の立場を引き受け、イングランド国王ジェームス一世(スコットランドのジェームス六世)の治世にはあからさまであった。これで何故、ヨーク儀式が、スコットランド儀式、大東社、厳格遵守のフリーメーソン支部と同様にテンプル騎士団の記号と伝統に満ちているかの説明がつく。テンプル騎士団の人目を避ける存在のため、メーソンの様相は変化したけれども、不思議と、そして示唆的に、それはカトリックにはならなかった。テンプル騎士団がその始まりから見かけ上は熱心なカトリックで、教会の守護者であったことに鑑みて、大半の評論家はなぜそうなのか、納得できる説明が出来ない。
*Sinclair家は、ノルマン起源(St.Clair)と言われるスコットランドの貴族。オレンジ公と共に英国征服に従事し、その後、11世紀にマルコム三世との婚姻関係からロスリン男爵となり、ハイランド地方の領地を与えられた。ここでの「14世紀の到着」は11世紀の間違いでは?(燈照隅コメント)

然しながら、その謎は、ラルフ・エリスが示すように、メロヴィング朝が女王ヘレナの直系の子孫であり、その女王自身とその王朝がナザレの宗派と提携していたことを我々が理解すれば説明がつくのである。(これについて詳しくは論説4を:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html

この忠誠心はテンプル騎士団とその関係団体を教皇に対抗させた。教皇はその最初からナザレの教会には反対していた。その結果として、教皇テンプル騎士団-メーソンの力の増大を恐れ、その影響力を抑えようと試みた。教皇クレメンス12世の教皇勅書「In eminenti」は、カトリック教徒がメーソンの集団に加入することを避ける取り組みの中で草案された。14世紀以来世紀ごとに教会からの警告が信者に対してメーソン結社との交流を避けるように警告を発していた。

テンプル騎士団はまた、暗殺教団のような東方の宗派とも密接に関わっていた。彼らはまた、アルメニア人とレバノン人のキリスト教徒、それに悪名高いキリキアの海賊(故に髑髏と骨の記号)、更に超裕福なイタリアの商人とも密接に繋がっていた。

「我々は、テンプル騎士団がその始まりから ―ロンドンに大ロッジが形成される遥か以前から― フリーメーソンに特有のものであったことを示した。」―バトラーとデフォー著「騎士と金融業者」

「ヨーク儀式フリーメーソンは、キリスト教の記号に満ち満ちながらも、未だテンプル騎士団の信仰を ―恐らく他のどのフリーメーソンよりも大きな程度で― 信奉している。」―同上

2001年9月、バーバラ・フレールBarbara Fraleは、ヴァチカンの秘密記録の中に、1308年8月17~20日付のチノン羊皮紙の複写を発見した。教皇クレメンス5世が1308年に騎士団の指導者を免罪したことを指摘する文書である。フレールは2004年に中世史ジャーナルに自分の発見したことを発表した。2007年、ヴァチカンはチノン羊皮紙をテンプル騎士団に対する審問(Processus Contra Templarios)の799の複写の限定版の一部として発表した。もう一つの1308年8月20日付のフランス王フィリップ4世宛のチノン羊皮紙は歴史家にはよく知られているが、それには異端を告白した全てのテンプル騎士団員が赦免され、『そして教会の秘跡(儀式)と統一に復帰させた』と記述されている。」―ウィキペディアオンライン百科事典「テンプル騎士団の歴史の項目」

テンプル騎士団の上級幹部はヴァチカンの支配権を引き継ぐ動きに出て、その聖職者を通してそれに成功したと言うことに疑う余地は殆どない。統御の変化は恐らく19世紀の終わりか20世紀の初めに起きた。それは第二次大戦以後、徐々に教皇社会主義へと変節して行くことを説明する。(詳しくはこちら:http://www.michaeltsarion.com/the-red-papacy.html

 

f:id:caritaspes:20210531095627p:plain

 三日月は月ではなく金星(ヴィーナス)を表す場合がある

このイスラム教やイスラム国家と関係する印は純粋に女性である。マグダラのマリアは秘教の仲間内では「三日月の聖母」として知られている。三日月はヴィーナス(金星)を表し、白い星は有名な「明けの明星」(秘教ではルシファー或いはシェキナー)としてヴィーナス(金星)を描いたものである。緑色もまた、女神に関連する。アッラーは元々はアラット(Allat)つまり女神がその土台であった。メッカのカーバは実はこの女神の神殿である。

次の論説で解るであろうが、テンプル騎士団(とシュライナー)はイスラム教の過激主義、もっと正確には現今のイスラム共産主義の脅威の裏の司令塔である。中東からの多くの扇動者は西洋で訓練され教育された。(詳しくはこちら:https://www.youtube.com/watch?v=IksrzGhLs7E&t=1857s

 

f:id:caritaspes:20210531095656p:plain

CFR(外交評議会)の記章

強大なCFR(外交評議会:チャタムハウス或いはロンドンの王立国際問題研究所のアメリカ史部)の強烈な記章。

これとテンプル騎士団の記号を比べて見よう。馬は全能の姉妹同胞(売春婦Whore)の操縦している集団を表す金星の記号である。騎手の手は天に向かってVの字を描き、金星(或いは知られているようにルシファー)の昇りに挨拶をしている。馬の下の巻物はUbiqueと言う言葉を示しているが、その意味は「どこでも」或いは「あらゆるところに」である。

この像を研究していると、騎手が馬の方向を制御しているのか、はたまた逆なのか疑問に思うかもしれない。馬の記号はまた示唆的に悪名高きヴェルフ家(Guelph Dynasty:所謂ヨーロッパの「黒い貴族」)の旗と記章に見られるものともよく似ている。イングランドの女王エリザベス二世とウィンザー家はこの、起源をフランスのテンプル騎士団メロヴィング朝まで遡る古代の犯罪一家、と親戚である。これは、アメリカのCFRが英国の支配下にあることを意味するのであろうか? 答えは「その通り」である。(詳しくはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Guelphic_Order

 

f:id:caritaspes:20210531095819p:plain

ものみの塔(Watchtower)
エホバの証人によって月に1回発行されている機関誌

モルモンやエホバの証人のようなカッコー(托卵)組織は、その暗示する記号と全体の教義から、多くの隠密な目的に仕えるテンプル騎士団支部である。十字架、王冠、甲冑の記号、それに直接アスタルテとマグダラのマリアを暗示する塔に注目しよう。エホバの証人とシオンのものみの塔の会の創設者であるチャールズ・テイズ・ラッセルは、明らかにメーソンの意匠のピラミッド型の墓石で記念されている。モルモンはその若者を「メルキゼデクの僧侶の名において…」と言う宣言と共に伝道活動に加入させる。この言葉はキリストの名前に言及するより前に語られるのである。メルキゼデク或いはツァドックは、アクエンアテンとその血統の暗号的筆名である。

 

f:id:caritaspes:20210531095857p:plain

サイエントロジー

今日のテンプル騎士団の資金による組織には、あの珍奇で超裕福なサイエントロジーも含まれる。他の表看板組織には古代神秘薔薇十字団(AMORC)やマルティニストも含まれる。

f:id:caritaspes:20210531095921p:plain

イエズス会の記号(堕天使と太陽の記号)

イエズス会が使う太陽の記号はアテン信仰に遡る。太陽の記号は啓発的でもあり、隠蔽的でもある。テンプル騎士団に関する限り、アテン信仰とセト信仰など、彼らの王族とその召使いの周りに現れる太陽の記号は、彼らの真の身元を隠す役割をする。上の図が伝えるように太陽の輝く光線の下には、その後ろと同様に何かが存在する。

堕天使サタンの脇に天使らしきものと修道士がみられる。彼らは何をしているのか? 彼らは太陽を礼拝しているのか、それともサタンを礼拝しているのか? 女性(に見える)天使は姉妹同胞を表しているのだろうか?

メーソンではヒラムとして知られる人物の復活の儀式を見出だすが、彼の生への帰還の儀式は実際はルシファーに関係する。勿論堕天使ルシファーつまり悪魔の物語は単に全く物質的な、天国ではなくエジプトでやんごとなき王位を失った背教異端の王ファラオ・アクエンアテンの失脚の暗号的隠喩に過ぎない。アクエンアテンの名前とその物語は、ツァドック、メルキゼデク、モーゼ、アーロン、ソロモン、ヒラム・アビフ、ラザラスなどの名前や肩書の裏に、メーソンの集団により狡猾に隠されて来た。追放、失われた部族、荒野、(獣の)皮を被った預言者、崩壊した神殿、壊れた円柱、棺、斬首された首と髑髏、などの像もまた、アクエンアテンのファラオの力の喪失に帰するのである。

f:id:caritaspes:20210531100015p:plain

 

オーストリア=ハンガリー帝国の紋章、そしてハプスブルクとその親戚の王朝の紋章は、エデッサの家を彷彿させるものである。

この複雑な記号は多くの場所に現れる。今日これはエルサレムテンプル騎士団の宮殿とマルタ島の島全体にあるテンプル騎士団の建築物に掲げられているのがみられる。これは、自らを今日の聖職と見做すスコットランド儀式メーソンの高位の印である。王冠の上の宝珠と十字架に注目しよう。これは、ヴィーナス(金星)カルトの優位性を表し、剥き出しの剣はアテン信仰者の復讐の渇望を表す。

ある段階ではこの像はキリスト教の第四と第五宗派、即ちナザレ-エデッサ派と教皇派の教会とイデオロギーの敵対と究極の統合を表すかもしれない。

この記号はまた、黒い貴族により考案された最も重要な戦略、即ち二つの関連した信仰の形、公と個人、或いは通俗的信仰と秘教的信仰を表す可能性もある。

もう一つの話の筋から、これはまた、アテン信仰者とセト信仰者の功利的同盟をも表わす。太陽信仰がセト信仰の運動を隠す道具として。

二元的記号(シンボリズム)が、ここで言及した秘密結社の顕著な特徴である。ここには、光と失われた光、そして双子のヴィーナスの三日月がある。太陽と太陽の暗黒面、そして馬に跨る二人の乗り手が居る。交差する剣、オリーブの枝と矢、黒い方形と白い方形がある。分割したコンパス、二重十字架、そして十字架と王冠がある。分割と統治、そして何よりも重要と思われるのが、「混沌から秩序(Ordo ab Chao)」と言う方針があることである。

女イルミナティ16

我々はメーソン流結社の飾りだけの男性首領は、単に、はっきりと見えるところから隠れた、更に秘密の(内部)結社の意を実行するだけであると告げられるのである。33階級或いはそれ以上の階級に到達して初めて平均的な男の結社員はこの事実に気づかされ、結社によって習慣的に使われる記号の持つ意図の理由を理解させられるのである。

上で述べたように、双頭の鷲はマルタ騎士団、そして黒い貴族の家系を表現する。

男根を表すオベリスク、円柱、柱、柱脚(台座)もまた、女神の記号である。アスタルテと言う女神の名前は「高い塔」を意味する。マグダラと言う名もアラム語の「塔」である。

スコットランド儀式メーソンは14世紀に地下に潜ったテンプル騎士団を保護した。

 

f:id:caritaspes:20210531094927p:plain

 バフォメットとジョージ・ワシントンの像のポーズ

フランスのオカルト信仰者エリファス・レヴィが描いた有名なバフォメットの像とワシントンDCのジョージ・ワシントンの像。テンプル騎士団の印象の重要性を軽視する試みはこの像のことを考えると失敗に帰する。偶像に重要性がないのなら、或いは、単に変人の発想に過ぎないなら、何故その偶像を表すような描き方をしたのであろうか?

この有名な像を依頼した者たちはこの問題に関して何も疑いを示さなかった。この像は、この偶像がオカルト信仰者、最も重要なのは、就中テンプル騎士団にとって正真正銘の重要性を持つため、偶像を複製するように設計された。獣に擬した形像は明らかに雌(女性)であるが、それは胸に注目すればわかる。炎を出している松明はヘレン(Helen又はHelene)つまりイエス王の母親である、その名を持つエデッサの女族長を仄めかす名前を暗示している。

実は双子の三日月は、明けと宵両方の「明星」で現れる金星の二つの「相」を表す。五芒星はまた、ヴィーナスのカルトと同じく、ヴィーナス(金星)を表す。同様に、二本の角の間の炎もルシファー或いはヴィーナスの光を表している。

テンプル騎士団の標語はエジプトの美徳と均衡の女神メテ或いはマアトに言及する。バフォメットの言葉は、プタPtahとマアトMa’atから来ており、更にまた、BaphとMetisを含意しており、「智におけるバプテスマ」を意味する。Met或いはMeteは、偉大な母なる女神、キュベレーの息子であるミトラ神を暗号的に指す。(教皇の冠りもの ―ミトラ― もこの名前から派生した。)

 

f:id:caritaspes:20210531095017p:plain

マルティニストの記章 

論説3で示すように、テンプル騎士団は14世紀初めの禁制の後、消え去らなかった。多くの騎士団員は単純に病院騎士団(今のマルタ騎士団)に加わり、一方、表舞台から退散してその結社を匿名の聖職者の手に委ねた。

1908年、フランスのマルティニスト結社の結社員がテンプル騎士団を土台とした新しい結社の設立を要求した。実態がよく解らないマルティニスト結社の指導者たち、マルティネス・ド・パスカーリとその使徒ルイ・クロード・ド・サン=マルタン、それにジャン=バプティスト・ウィラモッズとは何者なのか? 何故、新生テンプル騎士団の創立を要求するのか? 著者の意見ではこれら三人自らがテンプル騎士団にほぼ相違なく、その古い結社を公衆の面前で再設立することに着手している。換言すれば、マルティニストと言うのは、更にもう一つの、疑似メーソンを偽装した本物のテンプル騎士団の隠れ蓑であった。マルティニストは高位のメーソンに大きく影響した。彼らの主な記章がダビデの星であることが、その古代猶太(セト-アテン信仰者)宗派であることを明かしている。(論説3を参照:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

 

f:id:caritaspes:20210531095115p:plain

コロンブス騎士団とその記章 

テンプル騎士団とその官僚的効率的聖職者は、成功裡に世界の出来事を支配し続けている多くの衛星結社を形成した。その中で最も強大なものの一つがコロンブス騎士団である。彼らの髑髏の使い方に注目しよう。この記号は極度に古代のもので究極は有史以前のアイルランドまで遡るものである。

何れにしても、その主な支援者と提唱者 ―クレルヴォーのベルナルドゥスやダゴベルト2世*のような― がカルディア(アテン信仰者)の僧侶により、アイルランドで指導を受けたため、その記号はテンプル騎士団に取り入れられた。ダゴベルト2世の最初の妻マチルドはアイルランドの王女であった。髑髏はまた、それが暗号的にジャック・ド・モレーとヒラム・アビフの殉教だけでなく、さらに重く、ファラオ・アクエンアテンの殉教をも呼び起こすために採用された。
*ダゴベルト2世はフランク王国メロヴィング朝の王(在位:676年 - 679年)。

テンプル騎士団はまた、シトー修道会もその結社の宗教的翼賛として含める。シトー修道会は、クレルヴォーのベルナルドゥスに設立され、何百もの小修道院修道院と何千エーカーもの土地をヨーロッパ中に所有した。ベルナルドゥスはユーグ・ド・パイヤンからの資金の寄付を受けたが、当初の88カ所の小修道院を建てるための途轍もない資金を何処から得たかは謎のままである。これらの建築物の大半は故意にケルトと先ケルトにとって神聖な以前の異教の遺跡上に建てられた。ロスリン聖堂のような殆どのテンプル騎士団所有の建築物は地上の(遺跡の)格子点の線上或いは渦上に建って居り、先史時代の西方で最初に考案された土地占いの古い技術を再現している。多くの場合それらは偉大な女神にとって神聖な場所に建っている。

 

f:id:caritaspes:20210531095138p:plain

マルティン・ルター

プロテスタント教は、シオン修道会テンプル騎士団の暫しの仲違いの間にシオン修道会によって創設されたのだろうか? プロテスタント教の形成の日付はこのテンプル騎士団シオン修道会の間の分裂と完全に呼応する。これの証拠は、シオン修道会と古代のアディアベーンの女王ヘレナのナザレ派との繋がりにある。彼女の息子はエデッサのイザス王であり、彼らのシリア到着後エデッサの君主は自らを猶太教、特に革命的ナザレの宗派に引き寄せた。この宗派はその初めから今我々が教皇キリスト教として知っているものに反対した。このような訳でナザレ派と強大なエデッサの君主を、その一つがプロテスタント教である、反教皇社会と組織の起こりにつなぐことが可能なのである。

ルターと秘密結社の間にはもちろん繋がりがあった。実際、ルターの帳面は、バラと十字架で飾られている。論説1で示したように、薔薇十字の記号はテンプル騎士団が由来である。学者は清教徒フランシス・ベーコン*の秘密結社 ―薔薇十字友愛結社Fra. Rosi. Crosse Society― はヨーロッパのテンプル騎士団の結社と繋がっていた。プロテスタントカトリックの敵対と分割など、その程度のものなのだ。ベーコンはまた、女神ミネルヴァに因んで名づけられたヘルメットの騎士団の一員であった。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/the-goddess-minerva.html
*初代セント・オールバン(ズ)子爵フランシス・ベーコン( Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(s), PC, QC、1561~1626)は、英国の哲学者、神学者、法学者、政治家、貴族である。イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝(エリザベス朝)からステュアート朝)の人物。

次の論説で著者はルターやカルヴァン(本名コーエン)のような多くの歴史の誘導燈が、猶太教、キリスト教、そしてイスラム教の後ろに隠れた偽装したシャブタイ派である可能性があることを示した。彼らは、そうとは知らずに貴重な蔽いを与えてくれる宿主の宗教を嫌うのである。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

 

f:id:caritaspes:20210531095203p:plain

ロイヤル・ブラック財団 (Black Preceptory)

アイルランドの強大なロイヤル・ブラック財団(Black Preceptory)は、オレンジ結社としてもっと知られている結社の背後に自らを隠している。表面的には熱心なプロテスタントであるが我々はその記号がテンプル騎士団の直接の由来であることを見出す。赤十字架、十字架と王冠、髑髏と骨、棺と三角形は全て正真正銘のテンプル騎士団の記号である。Perceptory*という用語が、当に、テンプル騎士団の住処であることを表している。上で述べたように、テンプル騎士団は多くの結社に潜入し、それ以後は誰もが予期するようにカトリックではなくなった。この変節は歴史家や評論家に充分に語られず、説明もされてこなかった。狂信的なプロテスタントの秘密結社がテンプル騎士団の記号に塗れているのを見出すことは、従って、目に見えて異常である。我々はそのような結社や徒党の起源や性質の公式な報告や説明受け容れてはいけないのである。オレンジ結社の示威行進(parade)は7月12日に北アイルランドで開催されるが、ブラック財団はその翌日13日に自らの行進を執り行う。どちらの祝祭日も太陽の黄道に於ける最も高い位置を示す。これは、この種の友愛団体が古代アテン信仰者の支部であることから、偶然ではない。加えて、テンプル騎士団の大棟梁であるジャック・ド・モレーが13日の金曜日に処刑された。それ以来、この数字はテンプル騎士団により、魔力を持つ数字(sigil)として採用されたのである。彼らがほほ笑むのもなにも不思議ではない。この悪い冗談は完全に我々に対するものである。
*Perceptorから派生した語。Perceptorは、教官、教師を意味するが、ニュアンスとしては「師匠」の方が近い言葉に思われる(燈照隅コメント)。

 

f:id:caritaspes:20210531095228p:plain

シャルル・ド・ロレーヌ(1712~1780)と
その兄フランソワ・ド・ロレーヌ(1708~1765) 

(シャルル・ド・ロレーヌの兄)フランソワは神聖ローマ皇帝で大っぴらなメーソンであった。ローマカトリック教徒として生まれ、英国王ジョージ一世が設立した、大多数がプロテスタントの英国の大ロッジに入会した。シャルルはバイエルンイルミナティの真の創設者であった。ローマカトリック教徒として生まれ、アダム・ヴァイスハウプトと他のイルミナティ結社員に指示し、部分的に資金提供した。彼はまたシオン修道会の首領でもあった。ここから解るのは、通常の宗教的区別は殆ど意味をなさず、また、イルミナティの見かけの反王制の立場は完全に詐称だと言うことである。暗示的に、英国の大ロッジは1717年6月24日、バプテスマの聖ヨハネの日に設立された。聖ヨハネテンプル騎士団と病院騎士団の守護神であった。シャルルとフランソワのどちらもが、伝統的に、カトリック限定の騎士勲章である金羊毛勲章の垂れ飾りを装着している。我々はブリテンとヨーロッパで、場合によっては数十年、数世紀に亙る血まみれの殺戮の宗教戦争をして来たのだが、ロッジの扉の向こうでは彼らはみんな仲間だったのである。これはどのようにして説明がつくのであろうか?

「ハプスブルグ家もまた、ロレーヌ家の一員であり、従って、シオン修道会の構成員の第一の候補であった。」―コリン・ウィルソン著「アトランティスの青写真」

スコットランドイングランドに於いて自らをフリーメーソンと呼んだ組織は1640年頃に出来始めたと思われる。カトリック教会はそれを酷く嫌ったが、当初、特にスコットランドに於いては、その組織にはプロテスタントと同じくらいの数のカトリックが居たと思われた。」―同上

不思議なことに、金羊毛勲章は、ジョージ七世のようなプロテスタントの王族・貴族にも授与されて来た。我々はこれが極めて示唆的だと分かるのである。

次の論説からも解るであろうが、各々の王族、いや王家全体ですら、女王ヘレナに率いられた古代ナザレ宗派の信者の子孫であった。この女王ヘレナの息子が誰あろうイザス王、つまり聖書のイエスであった。これは、王族かどうか身元を明らかにする為の、強大で輝かしい血統である。プロテスタント教がエデッサ人(王族)の子孫によって設立されたものならば、何故それがこんなにも多くの王族の人間を惹きつけたか、理解できるのである。

女イルミナティ15

f:id:caritaspes:20210531093855p:plain

フリーメーソンの内部組織 シュライナーの記章 

古代アラビアの神秘の神殿の貴族の結社(シュライナー)は、スコットランド儀式メーソンの高位の支部で、多くがカトリックの会員である。スコットランド儀式の創設者の一人であるアルバート・パイクはカトリックであった。多くの著名な政治家、有力者、テレビのタレントはシュライナーである。

ファラオ・アクエンアテンの顔と五芒星に注目しよう。上下逆向きの三日月はヴィーナスの惑星とカルトを暗示する。三日月刀は(象徴的そして時には肉体的な)去勢の儀式を暗示する。偉大な女神の選ばれた奉仕者は、常にカストラートや宦官である。前の論説で述べたようにアテン信仰には西洋支部と同様にオリエント支部がある。多くのローマの兵隊や皇帝でさえもが、ミトラのカルト(それは実はキュベレーの女神のカルトであった)、アモン(アメン?)、ディオニソス、プリアーポス、セラピス、ソル・インウィクトゥスなどのような東方の疑似メーソン結社の会員であった。更には、キリキアの海賊もある。この海賊の記章が偶然にも?エール大学のスカル・アンド・ボーンズ友愛会のものにも見られる。

トルコの三日月刀は彗星の記号と重なる。そして彗星はと言うと、エジプトの悪の神、セトの記号である。(これについて詳しくは次の論説を読んで下さい。)

シュライナーの間ではオリエント神殿の貴婦人やナイルの娘たちとして知られる女の結社がある。後者の名前は最も暗示的である(番組動画を見ること)。シュライナーに関係する支部は奇妙なケツァルコアトル結社がある。(詳しくはこちら:http://www.masonicdictionary.com/dotn.html

f:id:caritaspes:20210531093926p:plain

 

テンプル騎士団の旗は、メーソンの会堂の床に見られるように、白黒である。赤い十字架はイングランドの公式な記章で、聖ゲオルギオス(セントジョージ)の十字架として現れる。示唆的に、赤い十字架はまたブリテンの最も権威ある騎士のガーター勲章、聖ミカエル、聖ゲオルギオス勲章の旗に現れ、これらの騎士団は女王エリザベス二世により指名される。プロテスタントの騎士団は自分たちが敵と見做す者の記号を使うことに反感はないのだろうか? もっとお気に入りの記号は他に五万とあるのではないだろうか? テンプル騎士団の円形の礼拝堂は、テンプル騎士団の記号で覆われた街、世界中を支配するその街、そのロンドンのど真ん中に建っているのである。勿論、「偶然」だけどね(反語)。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Temple_Church

「…テンプル騎士団はヨーロッパで起きていること全ての絶対的中心として残ったのである。そして更に言えることは、彼らは我々が今日知って居るところの西側世界の形成に部分的に貢献したのである。テンプル騎士団の国家はスイスであったし、今でもそうである。」―バトラーとデフォー著「騎士と金融業」

第一次大戦の後、國際聯盟が形成されたのはジュネーヴに於いてであった。そして国際赤十字が19世紀に存在するに至ったのもまたジュネーヴであった。それよりもっと前、スイスはプロテスタントの考え方の先駆けとなる観念を育んだ。そのプロテスタントの考え方は、ジュネーヴに重要な砦がなかったならば、16世紀と17世紀の強大なカトリック教会の遅滞と腐敗の影響力に対抗して、決して生き残る可能性はなかった筈であった。」―同上

f:id:caritaspes:20210531094002p:plain

病院騎士団 the Knights Hospitallerの紋章

病院騎士団の紋章。この騎士団は、テンプル騎士団より約60年早く西暦1060年頃に設立された。やがてはロードス騎士団へと変わり、最後にはマルタ騎士団となった。今日に至るも未だ存在し、世界で最も古い騎士結社であり、研究所の中には、テンプル騎士団が14世紀に教皇によって消滅の脅威にさらされた後、その大量の財宝を預託されたと信じる者もいる。

見かけ上、公式にはカトリックであるが、この結社はプロテスタント聖ヨハネ騎士団(正式名:最も尊ぶべきエルサレムの聖ヨハネの病院結社)と多くを共有する。実際、先のマルタ騎士団の長であるアンドリュー・バーティは、プロテスタント聖ヨハネ騎士団の長である英国のエリザベス女王から見て5代前の祖先が同じ従兄弟の孫(fourth cousin twice removed)、と言う親戚である。カトリックの病院騎士団の正式名は、エルサレムの聖ヨハネの病院の騎士団、である。この名前は威厳があり、神聖な響きがあるが、ここではヨハネバプテスマのヨハネを指す。これら二つの騎士団(カトリックプロテスタント)と衛星支団はその用語の常識からはキリスト教徒ではない。

病院騎士団は、ロードス島からキプロスを経てマルタに移動し、そこからイタリアの異なる場所に移動した。実際、最初期の病院騎士団の集団は聖地での慈善事業に献身した超裕福なイタリア商人で成っていた。それが、結果的に教皇から軍事化する許可を受けた。後年、最後には「マルタ騎士団」として病院騎士団はローマで創立し、今に至るまでそこに存在し、その本部はヴァチカンから遠くはない。その構成員は連合国(国連)で主権団体つまり国家として議席があり、合法的に思い通りに物申しているのである(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sovereign_Military_Order_of_Malta

今日に至るまでマルタ(病院)騎士団の守護聖人は「フィレルモスの聖母」である。これは、ヘレナ女王、或いはヴィーナスのカルトのもう一つの女族長を遠回しに指していないだろうか?

「Prieuré documents(プリュー文書?)によると全ての棟梁はその地位を引き継ぐ際に、ジャン(ジョン又はヨハネ)或いは、4人の女性が居たので、ジャンヌ(ジョアン・ヨハンナ)と言う名前を取り入れた。シオンの大棟梁は従って1188年以来今日に至るまで、ヨハネとヨハンナの継続的繰返しで成っていたと伝えられる。」―ベイジェント、レイ、リンカーン著「聖なる血統、聖なる杯」

エルサレムの、ロードスの、そしてマルタ(マルタの主権軍事騎士団SMOMとして知られ、略してマルタ騎士団)の、聖ヨハネの主権軍事病院騎士団は、イタリアのローマを本拠地とするカトリックの騎士団である。…そのローマにある二つの本部は、コンドッティ通り68のマルタ宮殿(大棟梁が住まい、政府の機関が会議をする場所)と、アヴェンティーノ街のヴィラ・マルタ(そこにはローマ大修道院、聖座(教皇の)大使館、イタリア大使館がある)であり、治外法権が認められている。―Wikipediaマルタ騎士団の記述

テンプル騎士団の公式の禁制の後、テンプル騎士団と病院騎士団の間で争いが起こった。この争いの中には歴史の流れを変える程重大なものもあった。著者が信じるところでは、争いは最後には決着し、しかも時を経て病院騎士団は、―ポルトガルのモンテッサ騎士団やキリスト騎士団のように― 充分に、そして真にテンプル騎士団の聖職者に潜入され、最後には完全に乗っ取られたのであった。

それからあとの聖職者は元の病院騎士団の色を自分たち自身の色として採用した可能性が高い。この場合、白い十字架は彼らの主要な記章と考えられるはずである。

テンプル騎士団禁制の前は聖職者の色は茶色と緑であった。勿論白い十字架は単純であるが、効果的な記号的置き換え、或いはテンプル騎士団の赤い十字架の反転と理解される。多くの銀行、信用機関連合、保険代理店、資産代理会社、開発会社、その他の企業がこれを使い、そして類似の赤と白のロゴを使っていることに注目しよう。(聖職者について詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

f:id:caritaspes:20210531094046p:plain

ガーター勲章の盛装

英国の騎士の最高勲章であり、最も権威のあるガーター勲章の盛装。それはこれが単に大英帝国の記章であるため、と言われるであろう。しかし、真実は、この記章がテンプル騎士団から来ていることにある。であるから、見かけがカトリックであろうとプロテスタントであろうと、共通の秘儀の繋がりが表層の下で動いているのである。

ガーター(靴下止め)は、楯と赤い十字架を包んでいる青いベルトを指す。この蛇の形状の靴下止めは姉妹同胞を表す。記号的にはそれは「二度生れ」新しい命と使命に拘束或いは繋がれたことを表す。殆どのガーターベルトは菖蒲の文様を特色とし、シオン修道会つまり姉妹同胞を表している。1955年の女王エリザベス二世の戴冠式では、ヘンデルの壮大な祝歌「祭司ツァドック」が歌われた。ツァドックとは、紛れもなく、メルキゼデク、暗号的にファラオ・アクエンアテンを指すものである。

余りにもかけ離れたことに聞こえるが、記号はこの表面上はプロテスタントの騎士団がテンプル騎士団や更に姿のはっきりしないシオン修道会と少なくとも繋がりがあることを我々に伝えてくれる。

ガーター勲章の騎士の印は、金と五枚の花びらの赤い薔薇から成る宝石で飾られた襟がちっぽけな靴下止めの中にあしらわれたものから成る…。襟からつるされているのはイングランド守護聖人である聖ゲオルギオスが龍を殺すところを表す。」―ベイジェント、レイ、リンカーン著「聖なる血統、聖杯」

「…テンプル騎士団の伝統は、エドワード二世の息子であるエドワード三世(在位:1327~1377)が創設したガーター勲章の下で新しい偽装をしたように思われる。エドワード三世の妹ジョアンナは、ロバート一世(ブルースのロバート)の息子スコットランドの国王デイヴィット二世に嫁いだ。フランスの宮廷に亡命中、ブルースのロバートを助けに来たScots Guardの名で知られるテンプル騎士団の派閥から派生したスコットランドの護り(Guarde De Ecosse)を創設したのはデイヴィッドであった。Scots Guardが何年も続く間にその歴史に関わった二つの著名な家系は、シンクレア家とスチュアート家であった。フランスでは彼らはフランスの王達の個人的な警護者となった。」―デイヴィッド・リヴィングストン著「テロとイルミナティ

f:id:caritaspes:20210531094228p:plain

アルバート・パイク Albert Pikeの像

「全ての秘密結社がそうであるように、テンプル騎士団も二つの教義を持って居た。一つは秘儀で指導者のみのもの、もう一つはこうかいされたものである。」―アルバート・パイク

「騎士団は生き残った、異なる名前で、無名の棟梁に率いられて、そしてその存在は、一連の階級を経て来た者により、危険な秘密を託すに信頼に足る証を立てた者にのみ、明かされたのであった。」―同上

ワシントンDCのテンプルの家the House of the Templeの近くにあるスコットランド儀式メーソンの創立者で長であり、テンプル騎士団のルシファー崇拝者であったアルバート・パイクの記念像。 スコットランド儀式メーソンの軍旗を持って居る女性に注目しよう。これは単なる飾りであろうか、それとも丸出しの手掛かりであろうか? 結局のところ、メーソンのどこにも正真正銘の男性の記号を見出すことは困難なのである。番組の中で示すように鷲は女性の印である。女性の像が彫像の台に座って、双頭の鷲の旗を持って居ることに注目しよう。この女性はメリトアテン[1]その人を暗示し、スコットランド儀式メーソンへの旗は彼女の ―スコタ[2]の儀式― に捧げられているのである。(スコタとスコットランド音の類似に着目 ―燈照隅コメント)

 

[1] メリトアテンは、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアメンホテプ4世と正妃ネフェルティティの長女であり、アメンホテプ4世の共同統治者スメンクカーラーの妻である。 アンケセナーメンの実姉にあたる。 メリタトンとも表記される。

[2] スコタはエジプトのファラオの娘、というアイルランドスコットランドの伝説がある。

 

註:これまでザドックと表記していた(Zadok)の読みをツァドックに変更・統一しました。(燈照隅)

女イルミナティ14

f:id:caritaspes:20210531085743p:plain

 シュヴァリエ・ビアンフェザンChevaliers Bienfaisantsの階級

オルレアン公(ルイ・フィリップ・ジョセフ)の大東社メーソンは、リヨンの街に設立された、シュヴァリエ・ビアンフェザンChevaliers Bienfaisants(奇特な騎士:「気前の良い」或いは「善意の騎士」)として知られる秘密のテンプル騎士団-メーソン組織の子組織であった。エリートのシャブタイ猶太人が居て頭でっかちのリヨンの街はセプティマニア*に近く、アテン信仰者で、マグダラのマリアに遡る王朝であるオレンジ家の祖先が頻繁に訪問した地方である。マグダラのマリアの子孫は現在ではオランダと英国の王位に就いている。
*セプティマニア(仏: Septimanie)は、南フランス地中海沿岸のローヌ川西方の地域 

f:id:caritaspes:20210601030809p:plain

セプティマニアとリヨンの位置関係 

悪名高きセオドア・ロッジLodge Theodore*は、シュヴァリエ・ビアンフェザン・ロッジの支部である。これらのロッジの会員は程なく主な国家機関や公共施設と同様に、ヨーロッパの多くのメーソン集団に潜入した。この結社からメーソンのカドッシュの騎士として知られる階級が来た。そしてそれは、他のことに相俟って、ジャック・ド・モレーの死を記念するものである。それはメーソンの「自由思想家」の誓いを記念し、王制と宗教を顛覆し、それによりモレーの捕縛と殉死に復讐をするのである。それ以降、世界の君主と指導者は薔薇十字会-メーソンとテンプル騎士団により、選ばれ、置かれ、導かれて来たのである。スコットランド儀式とアダム・ヴァイスハウプトのイルミナティはこの擬装のテンプル騎士団支部に外ならなかったのである。ヴァイスハウプトはロッジ・セオドアの構成員の最も「熱心な」者として次の様に記述される。
*Lodge of Theodoreはウェールズ地方のフリーメーソンの一派か? 開示された資料が少なく、詳細不明。

「事実は、ヴァイスハウプトは大陸のメーソンを腐敗させたのではない。腐敗は彼の結社が権力の立場に上り詰めるずっと以前にすでに始まっていた。彼は単に腐敗を完成し、組織し、指図したに過ぎないのである。」―神父クラレンス・ケリー著「神と人類に対する策謀」

「リヨン」と言う言葉は、獅子を含意し、それは太陽の円盤に次いで、アテン信仰者の最も重要な記章である。女王の母親の苗字は、スコットランドの名門一家リヨン家に因んだボウエス-リヨンBowes-Lyonであり、スコットランドのグレン・リヨンは、強大な大アテン信仰者のメンジーズ家*の頻繁な訪問先であることに注目する。さらに重要なことに、フランスのリヨンは、秘密結社の伝承の中では悪名高きコルマーKolmer、つまり他ならぬハプスブルク家の貴族でイルミナティの後援者、シャルル・ド・ロレーヌの目的地で頻繁な訪問先として知られているのである。
*Clan Menziesは、スコットランド北西部、ハイランド地方の領主の家系
(詳しくはこちら:http://www.stichtingargus.nl/vrijmetselarij/cbcs_en.html

ハプスブルク家もまたロレーヌ家の一員であり、従ってシオン修道会の会員の一番の候補であった。」―コリン・ウィルソン著「アトランティス青写真Atlantis Blueprint」

f:id:caritaspes:20210531093128p:plain

カール・ゴットヘルフ Karl Gotthelf(1722~1776) 

フォン・フント男爵であるカール・ゴットヘルフ(1722~1776)はフランスとドイツで活動するテンプル騎士団代理人であった。彼の仕事はある王家と貴族の一団を新しいテンプル騎士団-メーソンのロッジと組織に誘って(誘惑して)引き入れることであった。彼は「スコットランドメーソン」の一員であった。その名前は、スコットランドではなくアテン信仰者を暗に意味するものである。何れにしてもこの結社の上級者はスチュアート朝の支持を装った。フォン・フント男爵は、いとしのチャールズ王子(チャールス・エドワード・スチュアート)をスコットランド儀式に入れようと試みた。彼はまた、厳格遵守として知られるテンプル騎士団のメーソン支部を設立したことでも賞賛されている。研究者の中にはテンプル騎士団メーソンとカトリックの王族の間の固い同盟を否定する者も居るけれどもその立場を実証するには殆ど事実がない。多くの貴族がこの種の秘密のカバルを避けたのは事実であるが、幹部になった者や支援者も居り、今もそうである。(下を参照)公式には、厳格遵守はドイツと関連があり、一方でスコットランド儀式は主にフランスと関連がある(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Rite_of_Strict_Observance

f:id:caritaspes:20210531093218p:plain

イニゴー・ジョーンズ Inigo Jones(1573~1652) 

イニゴー・ジョーンズ(1573~1652)は英国の主な建築家の一人で、ロンドンやその他の場所で壮大な広場や建築物の責任者であった。彼はまた大陸からブリテンに運ばれてきたメーソンの新しい様式の設計者の一人でもあった。このメーソンのより悪意に満ちた形態は薔薇十字団とテンプル騎士団の要素を重く吹き込んだ。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Inigo_Jones

f:id:caritaspes:20210531093349p:plain

 

薔薇十字はヴィーナスと金星(ヴィーナス)のカルトを指す女性の記号である。薔薇十字会により記号として取り入れられ、それは初期のテンプル騎士団の教会の建物にも見出せる。赤い薔薇(薔薇十字団とテンプル騎士団に使われた)はまた、金星の記号でもある。神話によると、花の赤い色はヴィーナスの犠牲となった息子で愛人のアドニスのこぼれた血からである。ここでもメーソンの伝統の中心である儀式的傷(去勢)の思想の暗示がある。

メーソンの儀式的男根の傷 ―テンプル騎士団の禁欲の誓いの見せかけ― は明らかに女性の意味合いでもある前掛けの装着によって暗示される。コンパス(ぶん回し)はスコットランド儀式メーソンに使われる記号故に現れる。これは、スコットランド儀式やその関連階級を18世紀と19世紀にメーソンに導入したのが薔薇十字団(テンプル騎士団)であったので興味深い。もっとよく知られたスコットランド儀式の記章は双頭の鷲であり、これは元はヨーロッパの君主、特にハプスブルク王朝に使われていたものであった。これはまた、先の病院騎士団であるマルタ騎士団の記章でもある。

宝石の最上部の王冠は中心的アテン信仰者 ―ファラオ・アクエンアテンとその子孫を表す。大切な点は、王朝によっては、そして強力なメーソンの個人や家族は巧妙にキリスト教信仰の上辺を飾って主張したけれども、彼らは更に異国の個人的形態の信仰を決して捨てたわけではなかったと言うことである。

学者の中には薔薇の記号をペルシャ或いはミトラの信仰まで遡る者も居る。これは、元々のテンプル騎士団とキリキアの海賊、暗殺教団、スーフィー主義者*、イスマーイール派、その他の中東の秘密結社との間に密接なつながりがあったことを前提とすれば、納得して受け入れられるものである。テンプル騎士団は、スーフィー主義者やイスラムの蔽いの向こうに隠れた、イスラム以前の(そして更には反イスラムの)ペルシャ(イラン)のカルトと関係していることは殆ど疑う余地がない。これらのミトラ的宗派は、暫く衰退して来ており、必ずしも過去の時代からのもっと正統な形で認識できるものではない。後者(過去の正統な形)は勿論、イスラムキリスト教の起こる以前は支配的であった西方の高貴なドルイドと提携していた。ミトラのカルトは薔薇の記章を女神の普遍的記号として取り入れた。テンプル騎士団、薔薇十字団、メーソン、等々に取り入れられて、この記章は常に、その名において工作している、至高の女神と超秘密の姉妹同胞を暗示するのである。
*Sufiは、イスラム神秘主義哲学者。

「スペインに於いては、イスラム教徒が騎士団の屋敷を礼拝の場所として使うことを許されるまでに、テンプル騎士団ムーア人との和解に達していたのであった。」―ヒルシュマンとイェーツ著「スコットランドが猶太であった時代」

f:id:caritaspes:20210531093444p:plain

もう一つの有名なスコットランド儀式の記章、十字架と王冠

もう一つの有名なスコットランド儀式の記章、十字架と王冠である。十字架は赤で、テンプル騎士団に使われたものと同じと明かされていることに注目しよう。メーソンの高位の騎士的つまりテンプル騎士団的位階はメーソンの間では、最初の三つの「青い階級」と区別するため、「赤い階級」として知られる。これは、「赤(red又はreds)」と言う用語がテンプル騎士団を暗示することを意味する。王冠はアクエンアテンとその太陽カルトの子孫を表す。標語の「In Hoc Signo Vinces」は「この印に於いて我征服す」を意味する。これは、伝えられるところでは、公式なローマキリスト教の設立者であるコンスタンティヌス帝が空に見た印(像)である。この二重の意味はルシファーとその地上の士官に向けられている。

著述家ジュリ・リーナによると、アメリカとカナダの最も裕福な猶太人の中にはスコットランド儀式のロッジに属している者がいるそうだ。

テンプル騎士団に逃げ場所を提供した最も古いメーソンロッジであるフリーメーソンスコットランド儀式は、14世紀にスコットランドに亡命を求めたテンプル騎士団により設立された。これは残りのロッジがそれに続く先例となった。スコットランドのロッジの最高階級の肩書は何世紀も前にテンプル騎士団に与えられたものと全く同じであり続けている。―ハルン・ヤヒヤHarun Yahya(アドナン・オクタル)著「テンプル騎士団

これらの「猶太人」は実はシャブタイ派つまりジャコブ・フランクに率いられ、そしてそれ以前はサバタイ・ズヴィに率いられたルシファー信仰宗派の結社員である。この宗派は更にもっと以前のアテン信仰者やセト信仰者に遡る。シャブタイ派は通常の宗教的猶太人の軽蔑する敵であり、通常の宗教的猶太人は利用するだけの愚か者として、そして残りの人類のように獲物として扱われているのである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sabbatai_Zevi とこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-3.html

女イルミナティ13

f:id:caritaspes:20210529011535p:plain

アメリカ合衆国の大印章 

単頭或いは双頭の鷲はヨーロッパの大きな王家の記章に見られる。双頭の鷲の像はヒッタイトや他の印度-ヨーロッパ族の民族に使われた。そのすべての場合に於いてそれはエリート或いは貴族を表した。ドイツ語で鷲はadlerで、音節adl或いはaldは「elder(長老・古参・先輩・賢者・指導者)」の意味を持つ。だからAlder tree(榛の木)やAldermanつまり市長などの言葉がある。

古参の(elder)民族はアトランティスの人々であった。音節atlは同じくadlから派生した。この意味において、鷲はアトランティスの人々とその王家の子孫の記章である。それが合衆国の印章として選ばれたのには好奇心をそそられる。

アメリカ合衆国の大印章の鷲にある9本の尾羽は伝えられるところでは9人のテンプル騎士団創始者の記号である。これは、思われるほど突飛な考えではない。何故なら13と言う数字 ―それはテンプル騎士団の鍵となる数字― は一ドル札上に多く現れるからである。(女イルミナティの番組を見ればわかる。)ある理解では(13本の)矢がテンプル騎士団を表し、オリーブの枝がシトー修道会を表し、それらは、超秘密結社の軍事と修道の二つの分岐と見ることが出来る。矢は更にまた著者が語るところの結社を突き動かす多年に亙る復讐の渇望を表す可能性がある。彼らの世界の新秩序は彼らがエジプトに於いて失った王位を取り戻さなければならない。鷲の頭の周りの標語 ―E Pluribus Unum(多数でできた一つ)― はまた、この方法論と解決を繰返す。(大印章の完全な分析は番組を見てください)

f:id:caritaspes:20210529011608p:plain

Capitol Hill 

テンプル騎士団の印章は二人の騎士が一頭の馬に跨っている姿を描いた。印章の裏は、伝説のソロモンの神殿の立っていた場所から西に数十メートルにある、エルサレムの神殿の丘の岩のドームを描いた。神殿の丘は約70年の間テンプル騎士団の本拠地であった。これが山や塚、丘、小高い場所(mountains, mounds, hills, hillocks)がテンプル騎士団とその継承者たちによって記号として使われる理由の一つである。Shooter’s Hill、Capitol Hill、Camp David、Grassy Knollの地名や、同様に、Stormont、Claremont、Piedmont、Montferrat、Montagu、Mountbatten、Montrose、Mountjoy、Montgomery、Mountstewartなどの名前を考慮して見よう。

f:id:caritaspes:20210529011643p:plain

 テンプル騎士団の紋章


テンプル騎士団の紋章は、楯の両側に二人の薄い毛色の女天使を表す。楯、兜、ベルト(ガーター)、乙女は暗号的に姉妹同胞を指す。プロテスタントの結社と言うことになっているマークマスターメーソン(マークメーソン:マイケル・オブ・ケント王子が棟梁)は赤い十字架と双子の塔の紋章*である。塔はもう一つの女の力の源泉の記号である。アスタルテAstarteと言う女神の名前は「高い塔」を意味する。マグダラのマリアの名前はアルメニア語の「塔」を意味するマグダラから来ている。紋章の頂に王冠が見え、その王冠の最上部には宝珠と十字架が見えるが、これは金星(Venus)の占星術的記号である。この記号は至高の宝珠として知られる。それはキリスト教の記号ではない。
*ニューヨークの「双子の塔」、つまりワールドトレードセンタービルが何故テロリストにあれほど執拗に狙われたか、ここにそのヒントがあるように思う ―燈照隅コメント

王冠の上部と飾りベルト(garter)の最下部にある菖蒲の意匠は(マグダラの)マリアと嘗てマリアが首領であったその姉妹同胞を表す。王冠の中ほどの赤い帽子は式帽(the Cap of Maintenance)として知られる。これは、全ての君主と主権者は単に執事或いは代役に過ぎないことを暗示する。彼らは追放された異教の王でアクエンアテン教皇が帰還するまで支配権を維持するのである。

テンプル騎士団とマークメーソンの間の繋がりについて、次の様に書いてある:

テンプル騎士団の団員は招請でのみ集められる。候補者はメーソンの棟梁、ロイヤル・アーチ・メーソンで、キリスト教の三位一体を信じていることが求められる。テンプル騎士団はプレセプトリーと言う集会を開く。騎士団はロンドンのマークメーソンの事務所で運営される。団員はまた、マルタ騎士団に加わることも出来る」―ウィキペディア・オンライン百科事典

 

 

f:id:caritaspes:20210529011915p:plain

 

 笏と主権者の宝珠を持つエリザベス一世。後者は金星とヴィーナスのカルトの占星術的記号である。公に彼らがプロテスタントであるかカトリックであるかに拘らず、彼らの家系は勿論、エジプト人、パルティア人で、メロヴィング朝なのであった。

 

 

f:id:caritaspes:20210529012233p:plain

火あぶりにされるジャック・ド・モレー、テンプル騎士団団長

ジャック・ド・モレー、テンプル騎士団団長が1314年の13日金曜日に火刑柱の上で火あぶりにされるところ。実際には、四千人に上る騎士団の中で約五百人が捕縛され、教会当局に裁判に掛けられただけであった。大半は単に視界から消え去り、地下に潜った。ロードス島で病院騎士団に吸収された者も居たし、ポルトガルでキリスト騎士団やモンテッサ騎士団に吸収された者も居た。海賊になった者も居た一方、スペイン王室のため、ムーア人と闘った者も居た。多くが、騎士団に対する教皇の指令が効果を上げるのに緩慢なイングランドスコットランドに行った。捕獲・押収された彼らの財産は教皇とフランス王に殆ど譲渡されなかった。その殆どは、巧妙に逃れて貯め込まれたのであった。

モレーは教皇クレメンスを信頼していて彼とその同胞が捕縛されるとは信じていなかった。彼は実際に拷問と処刑をされた高々数百人のテンプル騎士団の一人に過ぎなかった。ジャコバン党として知られる悪名高き革命運動の名前は彼の名前に因んで名づけられた。このイルミナティの一派はフランス革命の混沌と大量殺戮の裏に居た。この出来事は、他の多くの歴史と同じく、テンプル騎士団イルミナティによる、この抑圧、拷問と犠牲者、それにド・モレーの判決と処刑に対する復讐の行動と見做された。デモレー・インターナショナルもまた、彼に因んで名づけられた。この結社は今日まで活動している。

テンプル騎士団が1300年代に攻撃されたとき、結社に所属した数千人の人々の中からほんの数百人が捕縛された。残りは教会と国家の強権の指導者からの逃亡者となり、完全な個人の秘密の幕の向こう側に姿を消したのである。」―サンフォード・ホルスト

「物語では、テンプル騎士団は貧困に始まったと言うことだが、エルサレム王ボードゥアン二世は彼らに古代にソロモンの神殿が築かれたという遺跡の近隣の家を与えた。ユーグ・ド・パイヤンと残りの同胞によりそれが修繕されたとき、彼らの土方仕事(発掘作業)は、値段がつけられないほどの財宝が入った鉄の小箱を発掘した。…この発見はまた、テンプル騎士団が得た富をも説明するが、それが最後にはその破滅にも繋がり…入会した騎士の三人は逃走し、長きに亙る國を跨いだ放浪の後、彼らはヘレドム山の洞窟に安住の地を得た。彼らは、同盟を結んで、自分たちの知識を授けたシッスル(Thistle)の聖アンデレ(アンドリューSt. Andrew)の騎士に助けてもらった。これを他のものから隠しながら、しかも世代を経て受け継いで行くために彼らは1340年代にメーソン結社を創立したのであった。」―A・E・ウェイト著「フリーメーソンの中のテンプル騎士団

 

f:id:caritaspes:20210529012512p:plain

聖骸布 

誰だと思う? 聖骸布は、我々が巧妙にそう信じるように誘導されて居るところの、イエスデスマスクを描いたものだろうか? 否、これは、1314年の13日の金曜日に処刑されたテンプル騎士団長、ジャック・ド・モレーの顔である。

 

f:id:caritaspes:20210529012603p:plain

女王エリザベス二世 

女王エリザベス二世、シッスル結社の棟梁。そのシッスル結社は嘗て14世紀に公式に禁制にされた後にテンプル騎士団の残党を守った団体である。この結社は他の騎士団や修道会と同様に、今も存在し、その力を増しつつある。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Order_of_the_Thistle

女王は今の所謂黒い貴族の首領である。(詳しくは論説4:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html

 

f:id:caritaspes:20210529012710p:plain

デモレーインターナショナルの紋章 

デモレーインターナショナルの紋章。デモレーインターナショナルは、ジャック・ド・モレーに因んで名づけられたテンプル騎士団―メーソン結社である。メーソンのロッジの記章、装飾帯、壁掛け飾りに頻繁に見られるメーソンの棺テンプル騎士団の殉教者ド・モレーを指す。それはまた、ソロモン神殿の建築者であったヒラム・アビフの記号としてもだぶるのである。ありとあらゆるメーソンの神殿はソロモンの神殿を表すように設計されて居り、メーソンとテンプル(騎士団)の考えの間に繋がりはないと言うメーソンの否定には何も実体はないのである。この馬鹿げた否定はメーソンの伝統とその目的が多くの非メーソンの一匹オオカミにより充分に暴露されてきたため、多くの秘密が公衆の注目を集めるところとなり、従ってメーソンとテンプル騎士団の両方に懸念と驚きを掻き立てるために起こるものである。

前の章で述べたようにメーソンは充分且つ真にテンプル騎士団とその代理人により浸透されて来た。テンプル騎士団の伝統は、ヨーク儀式や他の手段の形でイングランドのメーソンに入り込んだ。アメリカではメーソンはテンプル騎士団風のスコットランド式、ド・モレー、コロンブス騎士団、そして他の友愛結社により支配されている。

ヨーロッパに於いてはテンプル騎士団イエズス会、マルティニスト会、大東社、厳格遵守、九姉妹ロッジ、バイエルンイルミナティ、そしてその他の同等に重要なキリスト騎士団、聖墳墓騎士団、マルタ騎士団、病院(聖ヨハネ)騎士団、聖ラザロ騎士団、モンテザ騎士団、メンフィスーミスラエム式メーソンなどの裏から工作している。完全な一覧はこれよりもっと広範である。これらの結社はどれ一つとして、普通に承認されたと言う意味でキリスト教とは考えられないのである。

メーソンの秘密の浸透は、早くも18世紀そしてそれ以前かも知れない時期から明敏な内部の人間により疑われていた。

フリーメーソンは友愛団体の中の友愛団体で ―つまり外殻の組織が内部の特権階級の同胞を隠しており…一方は見えるがもう一方は見えない。見える結社は『自由で一般から受け容れられた』人間が、倫理、教育、友愛、愛国、人道の問題に献身するために集う、素晴らしい同志愛である。見えない結社は、その構成員が…Arcanum Arcandrum(聖なる秘儀)の奉仕に献身する秘密で最も威厳のある友愛会である。」―M・P・ホール

この証拠はメーソンにより使われる記号にある。論説3で著者が示すように、テンプル騎士団の聖職者の下部結社はこれらの漸進的乗っ取りの役割をしていた。であるから我々がメーソンや疑似メーソンの記章や旗に抜いた剣や交錯する剣の絵柄を見るとき、我々はそれが敵と裏切者に対する復讐と報復の行動を意味することがわかるのである。

剣はモレーの継承者が果たそうとする復讐を表す。実際、あの悪名高きジャコバン党は、大騒乱を煽動し、イタリア青年党やカルボナリ、アイルランド人連合(ユナイテッド・アイリッシュメン)や後にIRAとして知られる悪名高きアイルランド共和主義者同盟、のような多くの他のヨーロッパの革命家や無政府主義者の原型として役立てるために、彼の継承者と信者により設立された。

兜は実は女性の記号で、パラス・アテナとしても知られる、ミネルヴァ女神の印である。青地に輪状に並んだ星が、EUの記章によく似ていることに注目しよう。三日月はイスラムではなく、月を表すものではない。それは、女神ヴィーナスを表す。

金星(ヴィーナス)は明けの明星と宵の明星として現れ、二つの相を持つ。金星(ヴィーナス)のカルト、つまり女イルミナティの聖職者や次祭(下級聖職者)は、その守護の女神を表示するために、三日月、馬、兜、前掛け、ガーター(靴下止め)、ベルト、槍、塔、赤い薔薇、赤い十字架、Gの文字、その他の記号を使う。メーソンの前掛けは、手袋のように直接テンプル騎士団から来る。テンプル騎士団は前掛けを脱ぐことを入浴時さえ禁じられた。伝えられるところではそれは彼らの「禁欲」を象徴した。然しながら、著者は寧ろ、それは彼らの儀式的(或いは時には肉体的)去勢と、秘密の姉妹同胞と守護女神ヴィーナスへの異常な献身を表す、と信じる方を取る。示唆的にオカルト仲間の間ではマグダラのマリアは、三日月の貴婦人(聖母)として知られ、昇る、そして沈む(明けの、そして宵の)金星の位置を暗示する。

 

f:id:caritaspes:20210529012800p:plain

 

これ程露骨なものはなかろう。ワシントンDCの最高裁判所のフリーズ(壁上部の帯状彫刻飾り)から、我々はミネルヴァが合衆国憲法を規定する(口述させる)ところを見る。(彫刻家はウィリアム・ウェットモア・ストーリー。)彼女が兜を被っていることに注目しよう。兜は我々が通常受け止めるような男性の記号ではない。我々は女神の記号を、自由の女神から大統領執務室(オヴァル・オフィス)に至るまで、合衆国の権力の中心のあらゆるところに見出すのである。(詳しくは次のリンクへ:
https://books.google.ie/books?id=xaE-zY0jOgQC&pg=PA92&lpg=PA92&dq=goddess+minerva+dictATING+US+constitution&source=bl&ots=q8kKR9g1Bf&sig=cvyY0xGWvIAz53SUrv-Wj0-6h8U&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjZu6DZ09_YAhXlDcAKHbUEBdgQ6AEITDAL#v=onepage&q&f=false

http://www.irishoriginsofcivilization.com/the-goddess-minerva.html