女イルミナティ21

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アテン信仰者とセト信仰者

 

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「そして、モーゼはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、

言葉にもわざにも、力があった。」―使徒言行録7:22 

先にも述べたように猶太人の手になる陰謀の話は迷宮のようであり、それに関する殆どの評者は実際のユダヤ教の歴史についてほとんど何も知らない。彼らは当然ながら猶太が最初に舞台に現れるのは古代エジプトの貴族としてであることにも気づいていない。

殆どの猶太人もこれに気づいておらず、また自分たちの祖先がエジプトの奴隷であったと信じるように狡猾な方法で仕組まれてきた。これ以上不誠実で誤謬に満ちたことはあるまい。

所謂古代イスラエル人はエジプトの第18王朝で異端の王アクエンアテン(アメンホテプ4世)の治世まで遡る。殆どの学者が彼を一神教支持者で太陽崇拝者として尊敬し評価するけれども、この話にはさらに先がある。彼は実際には「太陽の暗黒面」の使徒であった。彼はその用語の真の原義に於ける「古代猶太人Judite」であり「ダビデDavid」であった。君主として彼は完全に暴君であった。彼の宗派はあらゆる他の聖職と信仰を抑圧し、そして最後にはナイルの文明に完全な破滅をもたらしたのである。

彼の破壊の趣向はそのエジプトと支配的アメン信仰の神祇官に対する復讐の渇望から生み出された。アクエンアテンとその両親は、エジプトを第13王朝の間に植民地化したヒクソス貴族(所謂シャスShasu或いは羊飼いの王達)の一員であった。この集団は、それを侵略者、暴君、略奪者と考えた普通のエジプト人から嫌われた。実際、彼らの祖先は以前に土地から追放されている。アクエンアテンの家族は、アメン信仰者からエジプトに残ることを許されたヒクソス貴族の中の者であった。信頼していたアメン信仰者の中にはこれらの少数の家系と個人が比較的穏健で害がないと信じた者も居た。

アメン信仰者とアテン信仰者の間の争いの話は著書「文明のアイルランド起源」とそのウェブサイトで話している。

旧約聖書ではアクエンアテンの物語を暗号的様式に於いて見出す。彼はモーゼ、アーロン、そして謎のメルキゼデク(ツァドック)に扮して現れる。これは勿論モーゼの神(シナイの神)が本当の「猶太人の」王であるアクエンアテンの神であることを意味する。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

モーゼとアクエンアテンの間の類似について最初に問うた学者の一人が偉大なウィーンの心理学者ジークムント・フロイトであった。彼の同僚であるイマニュエル・ヴェリコフスキーもまたエジプトのこの時代の歴史に魅せられ、そしてとくにモーゼとアクエンアテンの繋がりに魅せられたのであった。フロイトは特にその評価と結論に於いてほぼ当たっていた。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Moses-Monotheism-Sigmund-Freud-ebook/dp/B01MXQ8K35/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1532361349&sr=1-1&keywords=moses+and+monotheism

アクエンアテンの宗派は、その守護神アトン或いはアテンに因んで、アテン信仰者として知られて来た。この神は、よく我々がそう信じるように誘導される、アクエンアテンに始まった神ではなかった。もっと率直な学者はアテンがフェニキアアドン或いはノルマンのドナールDonar又はオディンOdinの異形ではないかと感じている。

「ノルマンの神々はレヴァントの神々と同じであることを示す証拠は充分にある。広場、集会場、戦争、祭壇、生贄、婚礼、家庭生活は同じである。」―匿名者「害悪?の聖職Priesthood of the Illes」

ドルイドの宗教はブリテンだけでなく、同様に東方の全てでも支配的であった。」―E・V・ケニーリー著「神の書」

「ヒュペルボレイオスは疑いなくドルイドとバード(Bard)の國のことで、その宗教は後のヘブライのものと全く同じである。」―アンナ・ウィルクス著「カルデアのウル Ur of the Chaldees」

アテンは従って、間違って東方起源と言われるヤハウェ(Yahweh又はJehovah)や百にも上る他の神々と同様に、単にもう一つの西方からの輸入であった。

学界では陰険な虚偽と騙しの機構が存在し、これらの素晴らしく興味深い繋がりが隠されている。真実を見極めた専門家は沈黙させられ、降格され、嘲りを受けて来たのである。猶太教の公式の歴史について何かが疑わしいとした、ジークムント・フロイトのような人々は嘲笑され無視された。

 

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ジークムント・フロイト(1856~1939)

 「モーゼと一神教」の著者である偉大なジークムント・フロイト(1856~1939)はモーゼとアクエンアテンの繋がりに魅せられた。著者は「文明のアイルランド起源」の何章かを割いてその華々しいアテン信仰者時代の評価に捧げた。

 

然しながら偏向していない学者は、フェニキアアドン、アドナイ、ドン、ディオンなどが猶太人の出現よりずっと前の最初期の時代からメソポタミアパレスチナを通して崇拝されていたことを完全に知っている。彼らはまたこの神の別名がセト(Set、Seth)シス(Sith)セブ(Seb)などであったことも知っている。

「この地域すべてを通してアドニス土星)が様々な名前で火を崇拝する人々に崇拝されていた。レバノンではディオニソスアドンアドニス)、エルサレムではアドニとアドナイ、フィリスティア(ペリシテ人の國)ではサト、セト、アラビアではセブ又はサビの名で呼ばれていた。ユーリピデス、ヘロドトス、ムーヴァーズMoversはこの点に関して疑いを残していない。」―S・F・ダンロップ著「ヘブロンの異教徒たちGhebers of Hebron(1894年)」

「猶太人の宗教は、ディオニソス崇拝の一形態である。そしてアドニス、アドナイ、オシリスディオニソスは全て太陽である。」―同上

旧約聖書に於いては、アテン信仰者の亡命者はイスラエル人Israelitesとして暗号的に言及されている。この言葉は転じて猶太JewやヘブライHebrewと同意語と誤って考えられてきた。著者が示すようにイスラエル人Israelite、猶太人Jew、レヴィ人Levite、ヘブライ人Hebrew、ダビデDavid、ソロモンSolomonなどのような言葉は、エジプト人(アメン信仰者)やアリアンの星座カルトの構成員に使われた、民族や個人よりも寧ろカースト(階級)を表す聖職者の肩書であった。この種の用語(アリアンと言う言葉自体がそうであるが)は後に、神話拡散者によって盗用され、故意に誤解釈されたのであった。

ヘブライHebrew、イスラエル人Israelite、猶太Jewはシリア語、フェニキア語、エジプト語で神秘的な階級に使われた用語である。」―リチャード・カーライルCarlile著「フリーメーソンの手引書Manual of Freemasonry」

ラルフ・エリスや他の学者が結論として示すように、「イスラエル人Israelite」家父長のアブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ、ヨセフなどは高家の生まれでエジプトの地ではファラオでさえあった。この事実は聖書の記述では隠されたが、イスラエル人の亡命者は強大で腐敗したエジプト王家のそれであったことは疑いがない。

これらのイスラエル人が猶太人と同じであるかどうかは重要な問題である。猶太人は彼らが姻戚関係であると言うが、最近の研究ではこれは確認できない。猶太と言う言葉は、自分たちの真の身分を隠したい人間により、間違って盗用され、間違って命名された可能性がある。彼ら自らの証言によると、イスラエルの10部族は最後には世界の四方に散って行き、非猶太人と世界中で同化した。イスラエルの部族の一つからの子孫であることを証明するのはほぼ不可能である。一番良くても少数の猶太人が17~18世紀まで祖先を遡れる程度である。

何れにしても著者が手掛けた本で示すように、大追放の後、アテン信仰者(或いは聖書のイスラエル人)の子孫は新しい帝國の司令部をアイルランドに置き、そこから復讐の最終行動で世界のすべてを植民地化するべく着手したのである。彼らは自分たちがエジプトで失った王位の引き替えに世界を支配しようとしているのである。

 

 

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ファラオ・アメンホテプ4世とその娘メリトアテン

ファラオ・アメンホテプ4世は、アクエンアテンとしてよく知られている。彼はおよそ紀元前1353年から1336年にかけて即位した。彼には6人の娘があり、長期の飢饉でそのうちの4人が亡くなった。生き抜いた娘の一人であるメリトアテンは、彼の追放と死の後、彼のアテン信仰者の太陽結社の最高権威となった。彼女はその綽名スコタ(「闇の人」を意味する)で知られた。重要なことに、スコタ自身(或いは同名の子孫)はアイルランドのケリー郡(County Kerry)に葬られた。スコタ(又はスコティア)はアイルランドの古代の名前で、アイルランド部族がスコットランドに定住した際、彼らはその国に彼女の名前をあてたのであった。彼女は疑いなくこれまで存在した中で最も強大な女性であった。我々が知る世界は彼女の生物的且つ思想的子孫と召使いにより形づくられてきたのである。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

 

アテン信仰者と言う名前にも拘らず、アクエンアテンの特別な類型の神学は、意図的な虚偽で特徴づけられるエジプト学者が共通して報告するような、彼の時代に起源をもつものではない。それはもっと前の古代のセト神の信仰から起こった。姉妹同胞によって使われる多くの記号と彼らの支配下の他の秘密結社はアテン信仰者の記号と同様にセト信仰者の特色もなしている。