女イルミナティ04

ヴァイスハウプトのイルミナティは部分的に猶太人のロートシルトロスチャイルド)一家により財政支援されていたが、ロートシルト家がローマ教皇の騎士団であり、そしていまでもそうであることを思い起こしたときに全てが明るみに出た。ロートシルトのスイスの分家*(支部)は、特に、黒い貴族(ハプスブルク家枢機卿団体、そしてイタリアの寡頭独裁者を作り上げた家々)の忠実な僕であり続けて来た。ロートシルト一家の成員、そして他のホッフユーデン、即ち宮廷猶太人は現在教皇を支配する者ども、即ちマルタ騎士団テンプル騎士団の現代版により高い名誉を許し与えられてきた。そしてこの集団は掴みどころのない上層のシオン修道会、つまり死の姉妹同胞(Sisterhood of Death)から命令を受けるのである。
*原文はThe Swiss branch of the Rosthchildsだが、ロスチャイルド家には表立ってスイスの分家は見当たらない? しかしスイスが《奴ら》の拠点であることは明々白々で興味深いです。(燈照隅コメント)

実際テンプル騎士団イエズス会は、猶太人が取り上げる以前は、金融と税金取り立てに打ち興じていた。ロートシルトは金融事業を18世紀に始めたが、それまではテンプル騎士団が11世紀、12世紀、13世紀に金融に関わっていた。(猶太人が如何にして黒い支部(ロッジ)と切っても切れない関係になったかについては論説2を見ること。http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

「…テンプル騎士団は、ヨーロッパの全ての王位への金融業となった。彼らは低い金利で貧乏君主にカネを貸し、そのカネを金融業者に送った。約束手形の制度を通じて、彼らはある都市で預けたカネを他の都市で引き出すことを許可した。彼らは、君主間の外交を仕切る両替商で強大な資本主義者となった。英国ではテンプル騎士団の棟梁は、程なくどのような大小の修道院長よりも高い優先権を与えられたのであった。」―ニコラス・ハッガー著「西洋の秘史Secret History of the West」

テンプル騎士団は、結局、あまりにも裕福になったので王国の君主の中には、國内の運営が彼らの支援に丸ごと依存する者もいた。イングランドの何人かの王は実際、彼らが騎士団に負う巨額の借金に対する保証として領土の財務をロンドンのテンプル騎士団本部に差し出した。これがテンプル騎士団に政策決定への影響力を行使する巨大な権力を与え、彼らは決まって戦争する君主の仲裁者として行動した。」―アラン・バトラーとステファン・デフォー著「明かされるテンプル騎士団The Knight Templar Revealed」

「13世紀の初めまでにテンプル騎士団はヨーロッパの国際金融業者となっており、フランスの王家とヴァチカンの財務担当者に指名された。」―マイケル・ハワード著「オカルト(秘教)の陰謀Occult Conspiracy」

ロートシルト家は、その並外れた権力と富にも拘らず、更に秘密主義で輝かしい黒い貴族の召使であったし今もそうである。多くが悪名高きバビロニアのゲオーニームの子孫と代理人である。

この集団 ―メーソンのコンパスと定規の中にその印が現れる― は、紀元70年のローマによるユダヤの潰滅の後、バビロニアで再結集したエリートのパリサイ人とサドカイ人から成る。名目は猶太人であるが、ゲオーニームは女神崇拝に戻り、太陽(アテン)の同胞を意味するフリーメーソンの名称で歴史に再登場するのである。

時代を経て、より自由主義的なゲオーニームの構成員は、イエズス会イルミナティは言うに及ばず、ナザレ宗派[1]テンプル騎士団、薔薇十字団と密接な関係を形成した。ゲオーニームは道徳的宗教的猶太人と混同してはいけないので念のため。これが理解されるとパズルの多くの部分がそのあるべき場所に収まるのである。

[1] これはエッセネ派の起源となる猶太教第四宗派、とサリオンは呼ぶ。(因みにローマ教会「教皇キリスト教」は第五宗派)この宗派はイエスが実在のエデッサのイザス王と説き、このエデッサの王家はクレオパトラの血統のパルティア系のヒクソスの末裔で、マグダラのマリアはイザスの姉(妹)且つ妻で、メロヴィング朝の始祖とサリオンは説く。

 

「猶太人は歴史的にカトリック教会の隠れた結社として使われて来た。カトリック教会がするのを見られたくないことを彼らがするのである。猶太人はその仕事にはうってつけだった… 人々が猶太人を罵る限り、そして猶太人がそれに対して罵り返す限り、猶太人の向こう側を見ようとする者はいない ―そしてそこで始末が付くのである*」―リチャード・ケリー・ホスキンス**著「最初に:国際貿易カルテルの物語」
*原文は、―and where the body is buried. そしてそこに死体は埋められる
**Richard Kelly Hoskins(1928~)は宗教・霊性・政治に関するアメリカ人の著述家・活動家。

「猶太人はカトリック教会の惨めな召使に見える… 『アルファ・ユダヤ』にとっては、教会組織の門は広く開放されていた。数え切れない猶太人聖職者、何十人もの猶太人枢機卿や司祭、それにアナクレトゥス二世、グレゴリウス六世、グレゴリウス七世のように教皇になった者もいるのである。」―同上

「…金融の世界に於てロスチャイルド家のことを耳にするだろう。彼らは金融とその実務の支配の創始者ではなく、世界の人々の金銭面を支配する特権を与えられて来たのである。この支配を実践し、口を閉ざす見返りに彼らは通貨の操作のかなりの特権を与えられ、勿論飛躍的にその富を増やす特権も与えられた。」―ノーマン・ドッド(リース委員会*の調査部長)
*Reece Committeeは合衆国下院の非課税法人調査特別委員会1953年11月1日~1954年4月30日で、その最終報告書は、1954年12月16日に調査委員長であるノーマン・ドッド議員に提出された。(Reece Committee Final Report 12.16.1954)。ネット上では、全ての厖大な公開記録が検索できる

「早くも1791年にはメーソンとイルミナティの役割に関する説が既に流布し始めていた。その多くは1789年に異端審問で逮捕されたカリオストロの供述が土台であった。カリオストロは自身の命を守るために告発者に対してイルミナティ、新テンプル騎士団フリーメーソンによるフランスの國中で革命を始める国際的陰謀について語り…ロスチャイルド家フランス革命に資金を提供*し、しかもイルミナティ代理人として活動していることまで主張した。」―マイケル・ハワード著「オカルト(秘教)の陰謀Occult Conspiracy」
*ロスチャイルドフランス革命に資金提供したことは証拠(書類)が挙がっている事実である

ロスチャイルドヘッセンの君主に託された資金や、ワーテルローの戦いで英国が敗れたという嘘の噂を流して得た利益により富を蓄積したと主張する話は、彼らの莫大な富の説明できるようには見えない。それは、猶太人の金融業のメディチ家の時代以来、いやそれよりも以前からの蓄積のためにそれだけ大きな富となった可能性がある。」―クリストファー・ジョン・ビヤークネス著「猶太人のアルメニア人虐殺」

これは、明らかに本当らしく聞こえる。猶太人は一つの部族としてちっぽけな人口構成で何千年もの間世界中に暮らして来た。彼らはその言う処のアッシリアバビロニアからの「追放」の時代から同じくらい長い期間イスラエルの故国を切望して来た。キリスト生誕よりずっと以前からである。みんなが信じる程に彼らに力があって裕福ならば1948年よりもずっと前にイスラエルを確保できたはずである。しかしこれは、不思議なことに、西欧の異教徒が遂に策謀をめぐらしてイスラエルを与えるまで、何世紀もの間、不可能であることに気づいていた。これら西欧の主権者(君主)や大臣は、オスマン帝国のスルタン、ロシア、スペイン、ポルトガル、イラン、ペルシャバビロニア、その他の国の王たちすべてがどうしても出来なかったことを ―世界で最も金持ちのユダヤ人たちが出来なかったことを― 一夜で成し遂げたのであった。さて、この光景の何が間違っているのだろうか?

 

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ロスチャイルド家とモーゼス・メンデルスゾーン 

サバタイ主義者*-フランク主義者**-イルミナティは、悪名高きロスチャイルド家の人間 ―テンプル騎士団-ルシファー崇拝者の代理人― を含むだけでなく、バイエルンイルミナティ創始者の五人のうちの一人であるモーゼス・メンデルスゾーンも含む。

「猶太人」が如何にしてテンプル騎士団と関わるようになったかの話は論説3で説明している。

*サバタイ主義者とは、救世主を自称したサバタイ・ツヴィを中心に17世紀の半ばに誕生した、メシアニズムを信奉するユダヤ教の党派の教えの信奉者。

**フランク主義者とは、18世紀と19世紀のサバタイ(シャブタイ)派のユダヤ教の宗教運動で、1726年から1791年まで生きたユダヤ教のメシアの原告であるヤコブフランクの指導者を中心とする考えの信奉者。

 

テンプル騎士団イエズス会の関係に関しては、ロヨラフランシスコ・ザビエル他の初期のイエズス会士が、自分たちはその駆け出しの結社を、意図的に嘗て14世紀に教会が抑圧した背教者のテンプル騎士団の線に沿って組織している、と書いている。ならば、さらに高い権威によって一時的にイエズス会に幕引きがされた18世紀には一体どのように状況が違っていたと言うのか? 著者は違いはなかったと思う。イエズス会は単にその親結社 ―テンプル騎士団― の構造をそのまま取り入れたのだと思う。また、教皇ピウス7世*の治世に教皇クレメンスの禁制をひっくり返してイエズス会を合法的にその元々の傑出した地位に戻すために動いたのは、ヴァチカン内部に居たテンプル騎士団代理人であると著者は信じている。(註:1814年にイエズス会の解散命令は取り消された)
*ピウス7世(Pius VII、1742~1823)は、第251代ローマ教皇(在位:1800年~1823年)

これで我々が分かることは丁度イルミナティがその同様の理由で後の時代に形成されたように、イエズス会が狡猾なテンプル騎士団によりその従者の結社として確かに設立されたと言うことである。イエズス会は熱心なカトリックを装いながら、密かに、その主だった代理人(書記官、つまり聖職者)を通じてヨーロッパと世界中の多くの組織を破壊した、秘密のテンプル騎士団の棟梁たちに忠誠を尽くし続けたのである。(聖職者の話は論説3で述べる)

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イグナティウス・ロヨラ(1491~1556)と
アダム・ヴァイスハウプト(1748~1830)

 どちらもイエズス会で「イルミナティ構成員」であった。ロヨラとその結社は、聖母(処女)マリアに異常なほど拘って献身し、一方のイルミナティの結社員は、女神ミネルヴァMinervaに因んで自分たちを指して「ミネルヴァルMinerval」と名乗った。ミネルヴァの縁起物の一つが梟、つまり夜に狩りを行い、昼行性の動物には見えないものが見える鳥であった。マリアとミネルヴァはどちらも「処女」の偶像である。これは性の対象ではなく、より人目につく男性の結社の裏で仕切る龍宮廷の女性を指している。ミネルヴァは、プロメテウスが天界の火を盗むのを手助けした「叛乱」の女神である。この女神の起源はエジプトの最も古代の女神であるネイトNeith、「赤い女王Red Queen」にある。ロスチャイルドの家紋に現れる赤い楯と矢はネイトを暗に示しており、そのネイトは、(ギリシャの)パラスアテナ即ち(ローマの)ミネルヴァに魔法のように一変した。片目はまた最上の女神の記号でもある。イルミナティのフランクフルト支部は「すべてを見る目ロッジ」と称号され、嘗て悪名高きフランク主義者のセト-ルシファー崇拝者の結社の長であるヤコブ・フランク*に率いられていた。(ミネルヴァについて詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/the-goddess-minerva.html教皇クレメンスによるイエズス会の禁制について詳しくはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/Suppression_of_the_Society_of_Jesus
*ヤコブ・ジョセフ・フランクは18世紀のポーランドユダヤ人の宗教指導者で、自称メシアのサバタイ・ズヴィと聖書の家父長ヤコブの生まれ変わりであると主張した。

 

ロヨラとヴァイスハウプトがどちらもイエズス会士であったことは興味深く、示唆に富んでいる。彼らは、祖先が猶太系であった可能性もある。何れにしてもどちらも若い頃にメーソンになった後、彼らはテンプル騎士団代理人により登用され、教化されたのであった。

「我々が疎外されて以来、未だ嘗てなかったように、この自由のための戦いは今や全てのドイツ人によって戦えるもので、我々の敵 ―猶太人、フリーメーソンイエズス会ローマ教皇― を明確に認識する中で高潔に終わったのである。」エーリッヒ・ルーデンドルフ将軍著「フリーメーソンの破壊」

「友愛団体(フリーメーソン)がその存在をテンプル騎士団に負っているだけでなく、友愛団体はそれをまた喧しく多くの手段で宣言している。」―アラン・バトラーとステファン・デフォー

「私は正真正銘の記録から示して来たが、修道僧によるそのフランスへの導入から国王ジェームス一世の治世の到来まで、英国のメーソンは、純粋にカトリックで私が公式の一覧を指示したその大棟梁は専ら宮廷、貴族或いは高位聖職者から選ばれた…1694年のオレンジ公ウィリアムの特有のメーソンの誕生にも拘らず、古代ブリテンのメーソンはその古代の法令をプロテスタントの国王の下で温存し、ローマカトリックのままでいた。この事の証拠は、私が発行を提案する、そして、1747年の近代メーソンの改革者の手による狂った過度の破壊騒ぎを逃れた貴重なメーソンの記録に見いだされる。」―テダー平修士著「フランス大東社の不正行為(1909年)」(Brother Teder L’irregularite du Grand Orient de France, 1909)

テンプル騎士団の最後の団長であるジャック・ド・モレーはその処刑の前、マインツの聖職者(聖堂参事会会員)であるユーゴ・フォン・サルムHugo von Salmにテンプル騎士団の記録をスコットランドに密輸する使命を命じた。ド・モレーの願いはテンプル騎士団を別の名前で再起させることであった。その名前とは、言い伝えによると、フリーメーソンである。シュトリクテ・オプザーヴァンツ・メーソン(厳格遵守派のメーソン)はテンプル騎士団に関してその儀式と階級を取り入れたのであった。」―グレン・マギーGlenn Magee著「ヘーゲルと秘伝の伝統Hegel & the Hermetic Tradition」

研究を続けるうちに、これらの人間とその組織に関して多くの虚偽が語られてきたことに気づくであろう。アダム・ヴァイスハウプトの集団は、間違って反王制であるかのように考えられてきた。この主張は図々しい嘘である。アダム・ヴァイスハウプトは追加の支援と資金を様々な貴族と王族、例えばクニッゲ男爵、そしてもっと重要なことに、シャルル・ド・ロレーヌやオルレアン伯爵から、つまりは、スチュアート家、ハプスブルク家ブルボン家、ロレーヌ家、カペー家や他のもっと古く捉えどころのない黒い貴族の家から受け取った。(これについては論説4をどうぞ:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html