文明のアイルランド起源 HPより09

ペルシャのアリアン人(Arya)

 

「ザグロスの山で、そしてチグリスの平野中で…髪の色の薄い…後にアッシリアと呼ばれるところに留まった…グティGuti(ゴートGoth)に似た人々が住んでいた。」
―C・レナード・ウーリーC. Leonard Wooley著「シュメール人

 

 

f:id:caritaspes:20210310175124p:plain

山羊の角を持つ混成動物の権力の指輪。この指輪は古代ペルシャ(現イラン)で王様と魂の権威の至高の象徴であった。ペルシャはアリアンの國であった。今の國の名前―イラン―はファールシー語で「アーリア人」を意味する。指輪は最高神アフラ・マズダからの授かりものと考えられた。アフラとペルシャ王の精巧な描写が示すようにペルシア人は西方起源であった。彼等の祖先であるエラム人とメディア人はスキタイ人と密接な関係があった。(詳しくはこちら:http://iranpoliticsclub.net/culture-language/mythology1/index.htm

 

 

f:id:caritaspes:20210310175151p:plain

 

f:id:caritaspes:20210310175207p:plain

アフラ・マズダの古代の彫像二点。ノルマン人の特徴が最も顕著である。マズダと言う言葉は「知識」或いは「智慧」の意味がある。
アフラ・マズダについて詳しくは:http://en.wikipedia.org/wiki/Ahura_Mazda

 

 

 

f:id:caritaspes:20210310175229p:plain

アワン朝のシュシナク(インシュシナク?)イランでもっとも古い神話の王の一人である。彼の一族は八千年以上も遡ることが出来る。その頭飾りには様式化された角が付いている。角の頭飾りは最終的に王冠となった。神話の王様の容貌は目立って西方風である。ペルシャの影響力は、遠くバビロニア、インド、アフガニスタンとその近隣地域に及んだ。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Bactria

 

「人は、ペルシャ人がすべての彼等(ドルイド?)の魔術を習ったと思うであろう。」
プリニー著「ドルイドについて」

 

「紀元前六世紀より続々とイランはペルシャ人によるアリアンの広大な拡張をした。アルシャマArshamaの治世、インド-ヨーロッパ族の歴史で最も偉大な人物の一人、スピタマ(ゾロアスター或いはザラトストラ)が現れた。アリアン人少数派の行く末を案じ、彼は北欧の西に於いてごく最近復活し始めた考えを持ち始めた。即ち、親戚同士の同族結婚により民族を守ろうとしたのである。しかしアーリア人の支配貴族階級は広範囲にまばらに散らばっていたため、ゾロアスターは信仰の共同体を拘束するイデオロギーを作り出すことで、この命令を強化しようとした。アフラ・マズダと言う永遠の光の神を広大無辺な(普遍の)考え方、つまりあらゆる場所で神聖なアーリア人の保護者にしたのである。彼にはオリエントの神々や後のローマの神々のような特別な住まいも神殿もなかった。彼は単に完璧なる神聖な白(自体)であった。彼の敵は、世界支配のために彼と戦うよう定めを負った闇のアーリマンである。」

―アルフレッド・ローゼンバーグ著「20世紀の神話(1930年)」

 

古代ギリシャの作家がアッシリア人をアラム人或いはシリア人と区別することを欲し、ギリシャ人はアッシリア人を「レウコシリ」と呼ぶが、これは「白い」或いは「金髪の」を意味し、今もメソポタミアに住むまさに浅黒いシリア人から区別するためである。」
―ヘルマン・ホー博士Dr. Herman Hoeh著「明白な真実(1963年1月)」

 

「1907年、多数の粘土銘板が(現トルコの)ボアズキョイの宮殿保管庫跡で発見された。ボアズキョイは古代ヒッタイトの都でアナトリア高原の北にある。これらの粘土板には「ミトラ」の名前の最初に記録された言及が含まれていた。ミトラは天の主と共にヒッタイトと近隣国ミタンニとの間の条約の守護者として呼び出された。条約の日付は紀元前14世紀の頃のものである。」
―M・J・ヴェルマセレン著「ミトラ人、秘密の神」

 

「インド-ヨーロッパ語族は奴隷制を信じていないし、それは全能の主への虐げられた奴隷の哀願を全く含んでいないが、寧ろ神と人間が構成する共同体の信頼する成果を信じていた。プラトンはその書饗宴(188c)の中で『神と人間の間の相互共同体(フィリア)』のことを語っている。チュートン人は全幅の信頼を置くその神の友情のこと、アストヴィンastvinやフルトルイfulltruiを、オデッセイ(XXIV,514)の中のヘレネスと共に確信していて、同じ確実性が『神の友人たち(theoi philoi)』と言う言葉にも表現されているのが解る。インドのバガヴァド・ジータ(IV, 3)の中ではクリシュナ神が人間アルジュナを友人と呼んでいる。ゼウスのような最高神は『神々と人類の父』として崇拝され、それは家族の父親として、ゼウス・ヘルケイオスとしてであり、専横者としてではない。この考え方は神々の名前の中にも表わされている。つまり、インド人とジャウス・ピタールDjaus pitarそれにローマ人とジュピターである。インドの神ミトラMitraの名前は、イランのミトラMithraに呼応するもので、『友人』を意味する。ゾロアスターに確立されたマズダ信仰は道徳的に行動する人間を普遍の神、アフラ・マズダの友人と呼び、その神はアケメネス朝時代にはペルシャ帝国の神となった。プラトン(Laws,IV,716)によると謙遜と自己抑制の人間は中でも特に『神の友人』なのである。」
―ハンス・F・K・ギュンター著「インド-ヨーロッパ人の宗教的姿勢The religious Attitudes of the Indo-Europeans」

 

角のある人神
 

f:id:caritaspes:20210314045917p:plain

 
 

f:id:caritaspes:20210314045951p:plain

 

「『吼える獅子』…このポルティコ・ドッタヴィア通りのガイウス・マニリウスの邸宅(ロレンツォ・マニッロの邸宅)の浮彫細工は獅子(ローマの象徴)が鹿を捕えたところを示す」
―「ローマ、クノップフ案内書(1994年)」

 

スキタイ人と言う言葉は語根Sacaが由来で、それはまた聖なるsacred、sacrament、sage、saga、stagなどの言葉が由来とする語根でもある。この語根は古代アイルランドのstagの神を指す言葉の変形である可能性が最も高い。このstag神はまたケルヌンノスCernunnos或いはハーン(ヘルネ)Herneとしても知られる。Zak或いはZtakhと言う言葉は「stag」を意味する。スキタイ人の又の名はScutsであり、それはScotsともなり得る。

 

「この祖先のsakには地理的制限がなく、有名な、特に今でも世界の驚異である記念碑的建築物の場所に現れる。」
―スーザン・B・マルティネス博士Susan B. Martinez Ph.D.緒「小人の失われた歴史」

 

「シベリアのシャーマン(霊媒師)の中には鹿のように着飾ったり、鹿の枝角を頭にかぶったりするものがある。実際、鹿或いは雌鹿は北極地方の文明の聖なる動物であった可能性があり、しかも氷河期の間にそれは地中海地域まで南に拡がった…これらの行動は古代スキタイ人の人々には多く共通している。事実、多くのアジアのスキタイ人の墳墓、特に東アジアのもので、アルタイの東、パジリクの墳墓で注目されたが、鹿の枝角、或いは馬頭を鹿角状の飾りで飾ったもので敬意を払われた人や動物を表わす像が見付かっている。」
―ジャン・マルカル著「ケルトの女性たち」

 

牡鹿、山羊、雄羊のような角のある動物はスキタイ人、ゴート、西方の國のドルイドの先住者にとって聖なるものであった。牡鹿や雌鹿の絵は多くの盾の紋章やまた多くの古い栄華を誇る家系の紋章に見られる。

 

「ホルスの神は屡々雄羊と山羊の両方の角で表される」
―フランク・ヒギンズ著「古代のフリーメーソン

 

「生きている男根としてのオシリスの意味は、メンデスと言う彼が崇拝されていた他の場所と結びつけ、聖なる山羊と結びつけるのである。」
―エーリッヒ・ノイマン著「意識の起源と進化」

 

「幕屋の屋根は山羊の毛でできていた。」
―ロバート・フェザー教授著「クムラン(遺跡)の銅製巻物の謎」

 

 

f:id:caritaspes:20210310175701p:plain

角の生えた山羊の神として描かれたバッカス或いはディオニソス(酒の神)。この神はアリアンのハーン或いはケルヌンノスギリシャ・ローマ版であり、角のある神はキリスト教の神話拡散者にサタン(悪魔)として悪魔化された。ケルヌンノスの神殿や像は組織的にブリテンとヨーロッパ中から跡形もなく消されてしまった。

 

 

 ※          ※          ※          ※

 

 

f:id:caritaspes:20210310175726p:plain

神聖な古代エジプトの町メンデスの雄羊の神。二組の角(雄羊と山羊のもの)、太陽の円盤とそれを守る蛇に注目しよう。シュメールの神話ではエンキの神が角の生えた山羊で象徴されていた。エンキはバビロニアではエアEaとして知られていた。エンキと言う言葉は、「大地の主」と言う意味であると信じられている。そうすると、エンキはアイルランドの森の神ハーンと同様のものである。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175744p:plain

アイルランドの神ハーン(角付きの神)はケルヌンノスやニコーNikorとしても知られた。この像はグンデストルップの大釜(Gundestrup cauldron)のものである。ハーンは固有の棘の冠を被る。インドでのハーンの同格神は動物の神シバ・パシュパティである。ハーンは蛇と首輪、智慧と王権の象徴を携える。この種の首輪はエジプトの墳墓でも見つかっており、例えばツタンカーメンのものがある。牡鹿はアリアンの象徴である。stagと言う言葉はSagaの語源とも考えられスキタイを意味する。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175803p:plain

先史時代の大きな牡鹿の洞窟壁画。牡鹿と雌鹿は、イチイの木を食べることが出来、食べても食中毒にならない唯一の動物であった。イチイの木はドルイドにとって最も神聖な木の一つであった。猶太(Jew)は元々は「イチイの木の人(Man of the Yew)」を意味していたもので、それはドルイドの賢者を暗示するものであった。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175825p:plain

山羊を脇にするマーキュリー。マーキュリーはギリシャの神エルメスのローマ版であった。エルメスは、アイルランドの神ハーンを取り込んだものであった。エジプトの神々の中ではトートがハーンと同格神である。インドでは彼はシバ神であり、オルペウス教徒にとってはオルフェウスであった。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175844p:plain

山羊の鼓腸症と角を持つパン神(牧神)。パンは更にもう一つの森の神起源の一種である。ミケランジェロはモーゼを山羊の角と共に描いて(彫って)いる。この偉大な彫刻家は角が神性と智慧の象徴であることを知っていたのだろうか?彼は、我々に「古代イスラエル人」の偉大な指導者モーゼは自分達の民族と同じ、西方から来たと知らせているのだろうか?

 

 

f:id:caritaspes:20210310175903p:plain

ミケランジェロの山羊の角を持った古代イスラエル人モーゼの描写は古代アリアンとスキタイ人の神を表わす。サミュエル記(16:1-13)の記述を思い出してみよう。それは、次の様にある:祭司ツァドックは膏の入った角を幕屋から出して来てソロモンに塗った。そこで我々は古代世界の王様たち、同様にメシアは、神聖な角に入った油で聖別したのを見た。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175921p:plain

子羊と羊飼いの杖を持った色白のイエス。キリスト以前の異教の伝統から剽窃、切り取りがされなかったキリスト教の聖像や神学の外観などは殆ど一つもない。

 

 

f:id:caritaspes:20210310175941p:plain

雄羊とローマの神マーキュリー。この像は多くのキリスト教の子羊を抱いているイエスの肖像とよく似ている。

 

 

f:id:caritaspes:20210310180057p:plain



山羊の頭の飾りをつけたフェニキアの肥沃の神タスキオTascio。古代には、山羊は神性を象徴した。

 

 

 f:id:caritaspes:20210310180014p:plain

崇拝する雌鹿を持つローマの女神ディアナ。狩りと森の女神で、この女神は古代ドルイドダヌが土台であった。雌鹿と共に居るエジプトのイシス神の像もある。これらは殆どの歴史の本では見つからない。イシス神もディアナ女神も両方ともに月と繋がりがある。

 

 

f:id:caritaspes:20210310180115p:plain

山羊の玉座「ゴチック」の首領や貴族階級に使われた。

 

 

f:id:caritaspes:20210310180132p:plain

初期の英国の硬貨:山羊の象徴が使われている。この動物はゴート族、フェニキア人、ヒッタイト、それにその他のアリアン文化の主な部族の印であった。山羊は屡々十字架や様々な星の記号の近くに描かれた。

 

 

f:id:caritaspes:20210310180150p:plain

バフォメットの偶像(エリファス・レヴィにより想像されたもの)はテンプル騎士団によって崇拝されたと主張されている。アテン信仰者のテンプル騎士団とメーソンはドルイドのあらゆる集成の相応しくない継承者であった。彼等の儀式と階級の殆どはユダヤの伝統から導き出されたように見えるのであるが、実際のところはアイルランドとアリアンの伝統から導き出されたものである。彼等のバフォメットは単にハーン神の一表現に過ぎない。ゴートgoatと神godの言葉は同じ語根から来た。猶太-キリスト教の源流についての真実を隠すことに余念がない神話拡散者によって悪魔化される以前は山羊の像は神を表していた。これは、既に述べたように、最も初期に崇拝された神は森の神ハーン神であったためである。ハーン神は入門者の精神世界への門番であり、手引きであった。この偶像は男性的なものと女性的なものの極性の統一を表している。