文明のアイルランド起源 HPより13(第二部)

第一巻の付録:

フリーメーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教のシンボリズム(記号)第二部

 http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-2.html

 

磔刑の救世主の起源

オシリスとホルスは「救い主」そして「贖い主」として磔刑に処せられた。オシリスの苦しみ、死、そして復活はエジプトの宗教の大きな謎を形づくる。ギリシャ神話のプロメテウスは、「両腕を拡げて」救い主としてコーカサス山の岩に鎖で繋がれた。そして磔刑の悲劇はアテネキリスト教の時代より500年も前に上演された。」
―ウィリアム・W・ハードウィックWilliam W. Hardwicke著「人類の進化(1899年)」

 

次の図で我々はアリアンの主、ヴィシュヌの両腕を拡げたところを見る。彼は宇宙を抱擁し、祝福する。中央はケツァクァトル(「翼をもつ蛇」)が十字架に乗っているところである。この神は、白面、即ち長身で金髪で青い目をしていると記述された。右は二つのアンク十字、即ち命の十字架を持つオシリスの彫刻である。オシリスは「磔刑にされた」神であった。彼は福音書にラザラスとして登場する。彼の古代の名前ウェシルWesirは、今の「西West」に非常に近い。

 

 

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左:ヴィシュヌ神磔刑姿勢

 

 中央:十字架上のケツァクァトル

 

 右:アンク十字を持ち腕を交差させるファラオ

 

 

「西へ、オシリスの邸宅へ、汝は行かむ。汝、人の中で最善の者、偽を嫌う者は行かむ。」
―エジプトのオシリスへの賛歌」

 

スカンジナビアの神話では、人神オディンは智(悟り)を得るためにイグドラシル(「世界のトネリコの木」に自らを逆さに吊るす。ここで語られ、見る記号はユダヤ教キリスト教の拡散のために見られるものではない。否、同じ高いシンボリズム(記号)がアリアンの民族移動のために世界中で見られるのである。ケツァクァトル同様、彼らもまた西方から来た白面の者たちである。

神話の伝承者たちはその記号や偶像のエジプトやドルイド起源を隠す試みで多くの口実を使ってきた。猶太の書物や旧約聖書の中の殆どの物語や逸話は酷い改定を経て来た。ペレツとゼラ、ダビデゴリアテサロメと洗礼者の斬首、荒野の40日、ソロモンと二人の母、無実の者の虐殺、エジプトの疫病などの例は、それぞれ「処置」を受けたのであった。

 

 

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左:人間の姿に模(かたど)られたアンク十字、アンサタ十字と太陽の円盤を持つ伸ばした腕。
右:よく知られた十字架のイエスの像。十字架或いは磔刑と伸ばした腕を見る
分割或いは四分割された人神はキリスト教の起こりより何千年も前に世界中で知られていた。エジプト人の描いたものでは二人の女性(イシスとネフティス)が十字架に寄り添っているのを見る。キリスト教の描いたものでは二人のマリア(聖母マリアマグダラのマリア)が十字架の下に寄り添っているのを見る。新約聖書で見るものの殆どが出生から復活に至るまで、アイルランドドルイドとエジプトのアメン信仰者の占星神学の正典がその起源なのである。

 

汝の足は地に
汝の首は空に
汝その腕の強さと共に立つ
しかし汝の重みは神秘に寄り掛かる
天は汝の上に、冥界は汝の下に
風は汝の鼻の内の気なり
古代エジプトのシュー(大気の神)への賛歌)

 

 

 

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 ラコタのサンダンス

 

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 サンダンスの飾り?

ラコタのサンダンスの儀式はその意図と目的すべてが「磔刑」である。志願者は空中に揚げられ、両腕を伸ばして宇宙を抱擁する。儀式の間志願者は「偉大なる魂」の存在を体験する。円と十字架、それに儀式の犠牲の考え方はキリスト教がお目見えするよりもずっと昔にアメリカ中で共通であった(メキシコでは「翼をもつ蛇」が十字架の傍らに見られた)。北米のインディアンの部族は、宇宙的、占星神学的な毎年の入念な儀式を行っていた。巨大なおまじないの輪(黄道の星座を表す)が平地に築造された。これらの土木工事の中にはおよそ一万年前のものも存在するのである。(詳しくはこちら:http://www.fiu.edu/~mizrachs/lakota.htm

 

 註*サンダンスについて:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%84%80%E5%BC%8F

サンダンスの儀式(英: Sun Dance)は、アメリカ、カナダの平原インディアンの部族が行う自然復活と和平祈願の最大の儀式。「祭」や「成人の儀式」ではない。
(省略)
アメリカ合衆国では1881年に、インディアンの宗教が非合法化された(これはアメリカの憲法に違反している)。さらに1883年には、合衆国政府とカトリック教会が「サンダンスは野蛮な行いで、インディアンの開化を妨げる」としてこの儀式を禁止した。カナダではサンダンスは1895年に禁止された。以降、儀式の話をしただけで、彼らは白人に逮捕された。インディアンたちはこっそりと隠れるようにして彼らの儀式を行わなくてはならなかった。

1904年、合衆国はサンダンスを正式に非合法化した。白人たちはすべてのインディアンのダンスや行事を非キリスト教的な野蛮な習慣であるととらえていた。1923年、BIA長官のチャールズ・バークは、「すべてのインディアンのダンスは、1カ月に1回、1日だけしか行ってはならない」と制限した。さらに50歳未満のインディアンのダンスへの参加、また収穫期にこれを行うことも禁じた。

合衆国では「アメリカインディアン国民会議」などの粘り強い交渉で、ようやく1940年代になってフランクリン・ルーズベルトが「自虐行為以外」の宗教儀式を合法化したが、「ピアッシングの儀式」などの苦行はなお弾圧禁止された。マリー・クロウドッグ(レオナルド・クロウドッグの妻)は、「サンダンスの自己犠牲の祈りはキリスト教の十字架に匹敵するほどの力を持つため、カトリック教会の執拗なサンダンスの弾圧の背景には、これに対する畏れや敵視があったのではないか」と語っている。カナダで解禁されたのは1951年のことだった。

 

 

「太陽神話に於いては、太陽神は日常的に春秋分点を通過する毎に、そして年の終わりに向けて弱る毎に「磔刑に処せられる」のである。」
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

オシリスは子午線と赤道の交わりによって形成される巨大な十字架上で体を伸ばした形で表現される。この神はフリュギアの奥義に於いて十字架に形づくられた木に宙吊りにされる。」
*フリュギアは、古代アナトリア中西部の地域名・王国名。フリギアプリュギアとも表記する。
―アーサー・ディオット・トンプソン著「人類とは:その起源と運命」

 

「古代の終わりにかけての全ての個人的宗教団体及び秘密教団に於いてその構成員はその識別或いは団結の秘密の記号を用いた。これを首に掛け、或いは衣服の中に隠した、木製、青銅製、或いは銀製のお守りの形で持ち歩くものや、衣服に縫い込んだ、或いは額、頸、胸、手などに入れ墨をほどこして持ち歩くものが存在した。これらの記号の中には十字架があり、通常古代のフェニキアアルファベットに因んで「タウ」と言う名前で記述された。」
―アーサー・デューズArthur Dewes著「キリストの伝説」

 

「…非キリスト教徒は十字架のような聖なる物を所有し、その神の偶像を十字架若しくは十字架上の形状の中に入れて崇めた。実際、テルトゥリアヌスはこの点で非常に一貫しており、異教徒のことを「あなた方の宗教はすべて十字架」で「あなた方の神々はその初めはこの嫌われ者の十字架から発した」と記述している。」
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

「多くのエジプトの女神たちは同様に、腕と羽を伸ばした、十字架状で表現され、墳墓や棺桶に共通して見いだされた。」
―同上

 

「…十字架と十字架状或いは磔刑の神の像に関してウィリアム・ウィリアムソンは次の様に記述する。『十字架…は、最も古代の象徴だが、手足を釘で打ち付けられた像の表現は後の時代に属する。最も古い十字架状の姿勢の描写は、天国で両手を広げて宇宙を祝福する神の像である。」
―同上

 

「二人の神の姉妹、イシスとネフティスのオシリスへに対する悲嘆の儀式…はフィラエ島の神殿の残骸で見出だされ、それは、四本の格子にしたナイロメーター(ナイルの水深を図る道具)の上に神の頭を乗せ、喪に服す女性の像に面する、と言うもので、磔刑の形式のオシリスの表現と繋がっている。」
―ジョン・M・ロバートソン著「キリスト教と伝説」

 

オシリス神はこの姿勢で見つかってきた。ヴィトーバー(地方神)としてのヴィシュヌ神もまた、宙に浮いた磔刑、即ち十字架のない磔刑、と言う用語で磔刑として表される。そこでは神自身が男性の姿をした十字架である。」
―ジェラルド・マッセー

 

オシリスは子午線と赤道の交わりによって形成される巨大な十字架上で体を伸ばした形で表現される。この神はフリギアの奥義に於いて十字架に形づくられた木に宙吊りにされる。」
―アーサー・ディオット・トンプソン著「人類とは:その起源と運命」

 

「メイドゥムのピラミッドから、六~七千年前のエジプトでは死者は十字架の謎に立脚した信仰から埋葬されたという証拠があり、またそれは理性的に立脚したものでもあった。何故なら、その十字架は天国自体が建設された四重の土台の形象であったためである。」
―同上

 

「十字架の記号は古代エジプトの入信の儀式の一部分として始まり、最後にはキリスト教の様式として見いだされた。教会はその歴史の中で『6世紀以降の相当遅い時期まで十字架の使用の証拠はない』と記述している。キリスト教の記録では十字架の一般の使用は680年の第六回公会議で承認されたと記録されている・・・会議は『人が十字架に掛けられている姿が今採用された』と布告し、新しい教会の印は後に教皇ハドリアヌス一世(772~795)により確認された。その約一世紀後、イエス・キリストが十字架に対して立っている最初の図が徐々に現れ始めた。」
―トニー・ブッシュビー著「聖書の秘密」

 

「作者が全てのインド-ゲルマン系民族が十字架に掛けられた救世主を崇拝して来たという事実に注意を促したことで、この主題の調査がされた。
古代アリアン人の太陽神話が全てのアーリア人が住んでいた国々の宗教の起源であると言う圧倒的な証拠が得られた。これらの国々で崇拝されていた救世主は太陽の人格化されたもので、アリアン人の主な神である。異教徒の民族が十字架に掛けられた人を崇拝したことは初期キリスト教会の神父たちにも認識されていた。神聖なる神父ミヌキウス・フェリクスは、遅くとも紀元11年には書いた作品オクタウィウスの中で、十字架の印は専らキリスト教の印だけとして考慮されるべきだという想定に憤然と反論している。そして自分自身の異教徒の反論者に反論として次の様にキリスト教の議論の提唱を表明している。即ち「十字架を崇拝することについては、あなた方は我々に反してそれをしているが、私は我々が十字架を崇拝することも望むこともしない、と言うことを告げなくてはいけない。それはあなた方異教徒なのだ。即ち、木でできた神を崇拝し、つまり、あなた方の異教の神々と同じ本質の部分として、一番木の十字架を崇拝するであろう民族なのである。」
―チャールス・モリス著「アーリア人の太陽神話」

 

「2~3世紀のキリスト教神父であるテルトゥリアヌスは異教へのに手紙で次の様に言っている。『あなた方の神々の起源は十字架上にかたどられた像から導き出された。それらのあなた方の基準の像はその十字架の付加物なのである。それらのあなた方の基準に張り付けられたものや幟は十字架の着物である』。」
―同上

 

「第六回コンスタンティノープル宗教会議(教会法令82)までに、古代にそうであった子羊の印の代わりに人が十字架に磔られている像を表すべきだ、と言うことが規定された。これらはすべて教皇ハドリアヌス一世により確認された。(デュピュイの宗教的信仰の起源やゴドフリー・ヒギンズのアナカリプシスを参照)」
―同上

 

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エジプトの生命の神 シュー(Shu)

エジプトの生命の神シュー。この神の両腕は、この神が地上から天国を分けるため、磔刑の姿勢をとっている。この神が「磔刑の救世主」の起源であった。この神は同じような様式で描かれたアリアン(アイルランド)のエスス神Esusが土台であった。シューの名前はヘブライのジョシュアとなり、それはヘブライ語ジェシュアJeshuaつまりイエスJesusを表すイェシュアYeshuaとなった。これは、我々が一度猶太の起源、つまり古代の猶太人がドルイドであることを認識すれば理解可能なことである。それは、ドルイドの、つまりアリアンの神であり、東方の人種や民族により採用された様式である。シューは「最初に生れた子」や「獅子」として知られていた。イエスは「ユダの獅子」として知られていた。神秘主義的にはこれは単に「古代猶太人のイエス、つまりドルイド」を意味し、我々が普通に考えるところの、「猶太人のイエス」を意味するものではない。事実、ウェールズ語ドルイドの称号はシャアウShaau、スウSuw或いはシェウShewである。これは現代の「ショーShaw」の名前の起源である。シューはキリスト教の「聖霊Holy Spirit」と同等である。

 

 

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シューは人間の顔で描かれるエジプトの男神の数少ない一人である。彼はエニアドゥ(エジプトの九柱の神)の一神、つまり九柱の創造主の一神である。このエニアドゥは旧約聖書にはエロヒムとして登場する。シューはその父アトゥムAtumと妹テフナットTefnutを含めた三位一体の創造主の一部である。彼は、空気(聖霊)の元素、そして天と地の間の空間で象徴される。一般に両腕を上または横に拡げた十字架の形で描かれる。キリスト以前の時代には磔刑の神は彼自身で、十字架であった。彼は、「四分割された」者であった。

彼は暗号的に創世記で言及されている。ジェホヴァが蛇と女の間に恨みを生じさせた、と言う話を聞くと、これはエジプトの神ラーがシューを遣わして恋人同士であったゲブGebとナットNutを別れさせたことを指している。創世記の殆どはシュメールとエジプトの元の話が土台である。ヘリオポリスの神秘学派は神々、女神たち、命の樹、神聖な川、天国の園などの多元主義であった。ヘリオポリス最高神はアトゥムAtumであり、そこから我々はアダムの名前を導くことが出来る。

 

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このヴィシュヌ(ヴェーダの、つまりアリアンの三位一体の二番目の神)の図は元々1810年エドワード・ムーアの決定的な本「インドの神々」で紹介された。この図は、ヴィクトリア朝の社会で醸した物議のため、その後第一版から削除された。詳しくはこちら:(リンクが無くなっていて不明)