文明のアイルランド起源 HPより10

赤い人

「…全員深い青い目と明るい赤い毛をしていた。」
ヘロドトススキタイ人の容貌について)

 

「そして彼はダビデを登場させ、世に出したのである。さて、彼は赤く、その上美しい出で立ちで見るに善きものであった。」
―ドナルド・レッドフォード博士著「古代のエジプト、カナーンイスラエル

スキタイは「ケルト」であり、と言うよりはもっと正確に言うと、ゲール(Gaels)であった。このゲールと言う言葉は「純粋」や「白さ」を暗示した。ゴートと言う言葉にはよく似た意味がある。ゴートの一集団はヴィシゴートとして知られ、その意味は「白い」或いは「賢い」ゴートである。(詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Visigoths

 

「殆どすべての文化の英雄を指す言い伝え…は白人、長身、顎鬚、そして ―屡々、突如として― 出て来る土着の民により、律法、技術、有益な情報を授ける、常に優秀であると記述されるのである。」
―D・S・アランとJ・B・ディレアー著「大地が殆ど死んだ時」

 

 

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右側の図はゴートを表したモザイク画である。薄い肌色はチュートン民族、濃い髪はケルト民族からである。ケルトとチュートンは元は古代西方の親戚の民族である。

 (詳しくはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/Ingaevones

 

ゴート(ジュートJuteと同じく)と言う言葉は字義としては「ゴートの人」、「善き人」、「神の人」を意味する。音節gotは(get或いはgutも同じく)山羊を指す。ゴート(Goth)と言う言葉は故意に誤訳され、「大量の人間」或いは「押し寄せる人々」を意味するようになった。これとよく似て、同様に馬鹿げているが、スキタイ人と言う言葉は誤訳され、スキタイが馬の背に乗って駆け、侵略する野蛮なヨーロッパ人であることを世界に信じさせる試みの中で「槍の人間」を意味するようになった。実際、アイルランドスコットランドの年記が紹介するように、古い時代には(フェニウス・ファーサFenius Farsa*の下での)スキタイ人は世界中で言語の集団と難解な教えを擁し、紀元前1400年頃にはスキタイのある特異な集団がエジプトで特権的な客人であった。(フェニウス・ファーサについて更に詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Fenius_Farsa
*FéniusFarsaidは、アイルランドの神話のさまざまな異本に登場するスキタイの伝説的な王。

 

「スペインの古代の人々と川の名前は…疑いなくフェニキア人によりつけられた、ゲール人と対照されたとき、その言語のフェニキア語での特定の同等に満足な証拠を示す、例外なく。」
サー・ウォルター・ベンサム著「ゲール人とキンブリ族(1834年)」

 

「ヴァレンシー大佐に、偉大な学問の先覚者と呼ばれたムッシュー・ゲベリンの言うには、ホメロスやヘシオドス以前のギリシャ或いはペラスゴイ人*はケルト人から源を発し、同じケルト人から、ラテンやエトルリア人も発したのである。これは紛れもない事実で誰も反論できないと思う。」
*古代ギリシャ先住民族
―ゴドフリー・ヒギンズ著「ケルトドルイド

 

「聖書に出て来る人々や王国、そして註者に想定された東方のものは、実際には西方で見出されるであろう。」
―アンナ・ウィルクス著「カルディアのウルUr of the Chaldees」

 

ヘブライアイルランドの言語が互いに多くの言葉を交換していることは嘗てヘブライ語を話した人間がケルトと呼ばれる人々と共通の起源を持って居ることと同じように真実である。」
―同上

 

ケルト語とラテン語の締めくくりの言葉は異なるが、ラテン語の語根の形態がケルト語で発見できることはとても好奇心をそそられる。ラテンの最も古い家系の正式な名前はケルト語を土台に形成された。例えば、クラウディウス、カトゥルス、カト、ポンペイウス、ルクルス、カミルス、マルクス、などなど。」
―同上

 

ウェールズの熱狂者はその言葉の偉大な古さを主張するが、言語学者アイルランド語に傾倒する。『すべてのケルト言語の中でラテン語から最も消されたもののように思われ』、しかも『もっとも古いアイルランド語はただ単に現代のErse語だけでなく、Manx語の源流であることがわかっている』とエルトンElton*は主張する。アッシャー**はそれが一番ヘブライ語に近いと気付いた。オフラハーティ***はそれをフェニキアまで追跡した。サー・ウィリアム・テンプル****はそれを一つの原始の言語と見做した。H・オブライエン*****はヘブライ語の由来はこの原始言語と見た。ハミルコ******から我々は彼の時代のカルタゴ人がアルビオンの島(ブリテン島)のことよりも聖なる島のことを『ヒベルニHiberniが広く住んでいた』島としてより重く考えていたことを理解すべきである。」
*Elton 詳細不明
**James Ussherは、1625年から1656年の間、アーマーのアイルランド教会大司教で、全アイルランドの首座大司教。彼は多産の学者であり、教会の指導者であった。
***Roderic O'Flaherty (Irish: Ruaidhrí Ó Flaithbheartaigh, 1629–1718又は1716) は、アイルランドの歴史家。その著書オギュギアOgygiaでフェニキア人がアイルランド人の祖先であるという仮説を立てた。
****初代准男爵サー・ウィリアム・テンプルは、17世紀イングランドの外交官、エッセイスト。ジョナサン・スウィフトパトロンでもあった。
*****H.O'Brien 詳細不明
******Hamilco 詳細不明
―ジェームス・ボンウィック著「アイルランドドルイドと古代のアイルランドの宗教(1894年)」

 

「アリアンとセム系族の言語は根本的に違っていたが、それらの間にはいくつかの繋がる点がある。アリアン言語は遥かに優れていた。」
―エルンスト・ルナン*著「ダビデ王の時代までのイスラエルの人々の歴史」
*Joseph Ernest Renan (1823~1892) は、フランスの宗教史家、思想家。

 

「…メンフィスで崇められている多くの神はヘロドトスによるとフェニキアの神々であると考えられていた。」
―サミュエル・シャープ*著「エジプトの神話とエジプトのキリスト教
*Samuel Sharpe (1799~1881) は英国のユニテリアンの銀行家。余暇を語源学と聖書の翻訳に費やし、かなりの貢献をした。

 

上の左側の図では金髪に顎鬚のノルマン種の男の写真である。この男は日光により赤く日焼けした。古代には西方の人が航海や馬の背に揺られて近東やアジアに到着すると、その突き刺すような青い目と刺青と銅の宝飾類を以て、神々とされ、「赤い人」と言われた。これは聖書では「エドム人」とされている。

 

「経典(聖書?)に於いてはフェニキアエドムと密接に関係しており、両方とも「赤い人」を意味する…さらに彼らは、イスラエルの前に王達がおり、最も古い先史時代の最も高い文明を持った初期民族であった。」
―コミンス・ビューモント著「先史時代ブリテンの謎」

 

「巨人のことでもう一つ観察される特徴は、アダム人やエドム人がそうであったように、ほぼ常に巨人は赤毛と描かれていることである。このアダム人やエドム人の名前はヘブライ語のadom又はedom即ち赤又は血色の良い、から来ている…同じことが同株のフェニキアにも当てはまり、その名前は赤又は人参色を意味する言葉が由来で、血色の良い顔の人々と記されている。」
―同上

 

「…多くの登場人物が彼らに支配的な「赤さ」によって聖書の文章に暗示された…ダビデ王は、全く何の明確な理由もなく、赤かったと言われる。」
―ラルフ・エリス著「ソロモン:シバの女王の鷹」

 

「ローマ人の奴隷制に対する気まぐれな態度は…教皇グレゴリウス一世の…最初の英国人との出会いについての有名な逸話により、よく示されている。彼はその金髪の美女に連れられ、ローマの市場を通過するときに彼らが売りに出されていることに注目し、彼等がどのような人間か尋ねる。返事は「Angli」(アングロ或いはイギリス人)であった。機知にとんだグレゴリウスは、彼等はangeli(天使)のように見えるので適切な名前だ、と言って駄洒落に興じるのである。」
―トーマス・カーヒルThomas Cahill著「如何にしてアイルランドは文明を救ったか」

 

「ザグロスの山で、そしてチグリスの平野中で…髪の色の薄い…後にアッシリアと呼ばれるところに留まった…グティGuti(ゴートGoth)に似た人々が住んでいた。」
―C・レナード・ウーリーC. Leonard Woolley*著「シュメール人
*Sir Charles Leonard Woolley(1880~1960)は、イギリスの考古学者。メソポタミアのウルの発掘はウーリーのよく知られた業績である。

 

ギリシャの歴史家は、ピタゴラス学派が実際、アバリスとして知られた西方スキタイ人によって閃きを得たことを知っていた。そのアバリスと言う名前は、恐らく「アリ又はアーリアの偉大な人」を意味するAb Ariのことであったに違いない。いずれにしてもアバリスは明確に西方の達人である。僧侶を意味するabbeやrabbiもアバリスと同じ語根から来た。更に重要なことには、rabと言う言葉が「西」や「西方」を意味し、ラビrabbisやレヴァイトLevitesが元々西方アリアンの僧侶に関連していることを明かしていることである。

 

「…ヒメリウスはアバリスのことを、スキティアからのサゲと語るが、次の記述からギリシャ人にはよく知られている。『アバリスは弓矢を携えて、肩にはえびら(矢筒)をぶら下げて、胴体を格子縞の肩掛けにくるみ、足の裏から腰まで届くズボンを穿いて、アテネに来た。』キケロは自然の秘密の知識を告白したディウィキアクス(ドルイド僧侶で唯一名前を知られている人物)を知って居たが、彼はヒュペルボレオス人と見做された。これらの人々はタタール(韃靼)から来たスキタイであり得ようか?トゥーラーン人の放浪者としてバビロンの平野に来たり、アッシリアセム系の征服者にその宗教と楔形文字を与え、そのカルデアンの信仰をエジプトとヨーロッパにさえ伝え広めたと言う賢者の子孫であり得ようか? それは、もっと(他の?)可能性があると思われる。」
―ジェームス・ボンウィック著「アイルランドドルイドと古代アイルランドの宗教(1894年)」

 

「…ギリシャまで旅した一人のアバリス、ドルイド人でシェトランド島の原住民が居た。そのギリシャで彼は、その知識、礼儀正しさ、明敏さ、そして実業の遠征、中でも彼がアテネの言葉で話す楽々さと優美さ、それも、(ヒメリウスが言うところの)彼が学術の社会リュケイオンで育てられたと誰もが信じるような態度で、ピタゴラスと友情を結んだのであった。
―W・ウィンウッド・リーデ著「イシスの仮面」

 

スキタイ人、アテン信仰者、テンプル騎士団

 

ドルイド的宗教はブリテン島だけではなく、全ての東方地域でも同様に席捲した。」
エドワード・ヴォーン・ケニーリーEdward Vaughan Kenealy「神の書」

 

上で述べてきたように我々は西方のスキタイ人の一部がエジプトのアテン-セト信仰者と嘗て一時期、密接な連携をしたことを信じている。実のところ、これらのスキタイ人はエジプトのアテン信仰者であったと信じるに値する理由が存在する。アテン信仰者が猶太キリスト教フリーメーソン両方の源流であるので、テンプル騎士団のようなメーソン結社がスキタイ人やセト-アテン信仰者を暗示する記号を使うのを見ても驚かないのである。

著者の予測では、テンプル騎士団の当にその記章(二人の騎士が一頭の馬にまたがって西方に向かっている)がスキタイ-ヒクソス或いはスキタイ-アテン信仰者の地の繋がりを記念している。

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テンプル騎士団のスペイン支社の結社員
白いチュニック(外衣)と 赤い二重の十字架の飾りに注目

所謂「ロレーヌの二重十字架」は我々には同じ約束を暗示するもう一つの有名なメーソンの表章に見える。興味深いことに、フランスのロレーヌの家のシャルル・ド・ロレーヌは明らかにアダム・ヴァイスハウプトとそのイルミナティの主な後援者であった。ヴァイスハウプトの政治・社会的な主義がアメリカの大統領ジョン・アダムス、ベンジャミン・フランクリントーマス・ジェファーソンそれにその他の多くの世界中で影響力のある人物にも同様に影響したことは知られている。

イルミナティの結社員、もっと正確に言えばアテン信仰者の表章アメリカの銀行紙幣に現れ、殆どの町や市の建築物にも現れる。

興味深いことに、ベンジャミン・フランクリンの暗号名は「モーゼ」であった。アメリカの一ドル札の彼の個人的な意匠は出エジプトの時にエジプトを去る古代イスラエル人が描かれている。

 

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シャルル・ド・ロレーヌはイルミナティの後援者であった。イルミナティが反王政主義者であったと想像する研究者は悲惨なほど誤解させられている。それは秘密結社のエリート結社員が与えようとした印象ではあったが、真実ではあり得ないのである。ヨーロッパの王家は、そうであったように、そして今でもそうであるが、世界の有名な秘密結社を裏とする表の権力なのである。彼等の利害は正統な宗教や君主を顛覆することでもなければ人間を自由にする事でもない。この考え方は、騙されやすい、誤解させられた下位の階級の結社員だけに存在するものである。

 

 

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テンプル騎士団表章:西方に向かう一頭の馬にまたがる二人の騎士。この奇妙な記号に関して多くの馬鹿げた説明が長年に亙って供されてきたが、我々はこの表章が昔からのスキタイ-ヒクソス若しくはスキタイ-アテン信仰者の同盟を表していると信じている。つまり、大昔のアイルランドの年記に述べられているように、ヨーロッパのゲール人と下エジプトのエジプト人との古代の聯盟である。馬はスキタイの勢力拡張の象徴であった。スキタイ人がヒクソスであったとすれば、或いはその同盟者であったとすれば、彼等は勿論アテン信仰者であった。エジプトに歓迎された学者や傭兵として入ると、彼等は有力なエジプト人の家系、例えばアクエンアテン・ファラオに婚姻した。此処までのことはアイルランドスコットランドの年記で確認できる。気が狂った暴君アクエンアテンの廃位と追放の後、アテン信仰者は祖先の住んでいた西方に向けて移動した。アテン信仰者のスペインとアイルランドへの到達はおよそ紀元前600年頃の日付で「ミレシアン」の侵略と言う扱いの歴史に記録されている。ミレシアンはゲール人とされて居り、それは伝統的に彼らが「ケルト」であったことを意味する。ゲールと言う言葉はスコットランドのマイル王Mileの名前 ―ガセロスGathelos或いはゲイテロスGaythelos― が由来との説を主張される。アイルランドの彼らの祖先は、著者の想定ではエジプトのアメン信仰者の密接な同盟者であった、巨石文化のドルイドであった。これがドルイドをアテン信仰者或いはミレシアンに敵対させることになった。そしてこれは、何故ドルイド(巨石文化のアイルランド人)とミレシアンの間で急速な総力戦となる反感を見るか、を説明する。(これについて詳しくは第一巻のこの話題に関する「アテン信仰者の到来The Atonists Arrive」と題する章を参照ください)

 

「トゥアハ・デ・ダナーン*は、ゲールに道を譲り、ケルトの想像上の神々である地下世界の主となった、古代のアイルランド住民である。トゥアハ・デ・ダナーンの名前はケルト人に先立つアイルランドの先住民に与えられた名前であることは疑う余地がなく、巨石建造物を築いて来たのは彼等に違いないと言うことである。彼等の起源の不確かさはその奇異な石の建造物から彼らは謎に包まれている…ケルトが巨石文化の人々をアイルランドから駆逐したのであれば、大陸で同じことが起きなかった理由はなく、その(ヨーロッパの)ケルトが支配していた地域の多くには未だ巨石文化の遺跡が残っているのである。」
*トゥアハ・デ・ダナーンまたはダーナ神族は、ケルト神話で語られるところでは神の一族とされる一族。トゥアサ・デー・ダナンとも表記される。
―ジャン・マルカル著「ケルト人」

 

「サルマティアンはスキタイ人と繋がりのある部族で、ロシア南部の草原地帯をうろつき、支配し、死者をクルガンと言う塚に葬ったが、これはケルトのケアンによく似ている…今では彼等はアマゾン族と連携していたと考えられている。と言うのは彼らの女性は戦士、僧侶であること、そして戦いでは巧みに馬を乗りこなすことが知られていたからである。彼らは主として金髪であった。アーサー王の伝説は、ブリテン島に傭兵としてローマ軍に付き添ったサルマティアンの馬乗りから起こったということも信じられている。」

 

 

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ロレーヌの十字架は、「二重十字架」とも言われる。これは、今日に至るまで世界の王家と主要な秘密結社により維持されて来た、古代のアテン信仰者たちの間の同盟を暗示すると信じられる。アテン信仰は、猶太―キリスト教の根本である。それはまたイエスアクエンアテンをも示す。―つまり、キリストと、キリストの前のキリストである。三つ葉模様の装飾はドルイド教への先祖がえりである。

 

 

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ヨーロッパの盾形紋章は、ドルイドの樫の葉(左右13枚ずつ)、メーソンの市松模様、獅子の頭、ドルイドの三本線、ロレーヌの二重十字架、アテン信仰者の不死鳥、そしてアテン信仰者のピラミッドを描いた王冠を含んでいる。この意匠がアイルランドの樫の葉で取り囲まれていることが最も示唆に富むものである。

 

 

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前のアメリカの大東社フリーメーソン結社のホームページ。明らかに彼らは、自分たちの結社員の中にアメリカの大統領や建国の父たちが含まれていること、そして彼らが今もホワイトハウスに影響力があることを強調したがっているのである。