文明のアイルランド起源 HPより04

アリアン人

「都市は燃える、洪水は破壊する、疫病は殺す、戦争は潰滅する、かも知れぬが、それでも言葉は生き残るであろう」
―ヘンリー・ビンクリー・ステイン著「エホバ以前の三万の神々」

 

アテンの神官は一神教的であるが、アテン信仰自体は以前の神聖な伝統の堕落版であった。神学は古くからのアメン信仰とドルイド教の土台の上に築かれた。然しながら、アメン信仰者とドルイド教徒の事実は、エジプトとアイルランドについての事実を歪め、多くの重要な用語と称号の意味を曲げるため、所謂「歴史家」に資金を出して指図したアテン信仰者の観念的子孫により故意に隠蔽されて来た。

最も誤解され、誤用されて来た称号の一つが「アリアン」である。その起源は我々が最初に想像するよりははるかに興味深いものである。今日までアイルランドゲール語の言葉エイル(Eire)とエリン(Erin)で知られている。しかしこれらの言葉は何処から来たのか? 実際、それらは直接、原始時代からの女神エリ(Eri)或いはアリ(Ari)に由来する。従って、その言葉はアイルランドが因んだ女神を指摘或いは暗示する。多くの場合、ari、ara、eriなどのような語根が見いだされるときは、その言葉は必ず、特にアイルランドの土地或いは代わって、西半球を暗示・或いは明示する。それは西方の人と同時にその聖なる国と愛する女神を意味する。

 

「女神がアイルランドを行き渡った。山、川、谷、泉、全てが女神の存在を証明した。11世紀ごろ、アイルランドは主として、三人の女神エリウ(Eriu)バンバ(Banba)それにフォトラ(Fotla)の中の一人、女神エリウ(Eriu)エールとして知られるに至り、エリウは、アイルランドに入ることを望むものは、繁栄と豊穣を願うならば誰もがこの女神たちを崇拝しなければならないことを明らかにした。
―メアリー・コンドレン著「蛇と女神(Serpent and Goddess)」

 

「ストラボンは、セレスとペルセポネがサモトラキ島と同じ儀式で崇拝されていたブリタニアの近くの島のことを語っており、これは神聖なイエルナ(Ierna, Ireland)で、そこでは常夜灯が燈されていた。」
*ストラボンは、古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家・哲学者。
セレス(ケレス)は豊穣の女神。人間に穀物の栽培を教えた神である。
ペルセポネはギリシア神話に登場する生と死との間を廻る大地の女神で冥界の女王である。
サモトラキ島はエーゲ海北東部に位置するギリシャ領の島。

―H・P・ブラヴァツキー著「オカルト信仰(Occultism)」

 

アリアン(Arya)の元の故郷と言えば、我々はイグナティウス・ドネリー、アンナ・ウィルクス、コナー・マクダリ、それにコミンス・ビューモントの見方を取る。そして、彼等は、アリアンの祖先の生活域が西方であったことを強調する。ドネリーは大洪水以前の失われたアトランティス大陸を具体的に指し、我々は心の底からこの彼の主張に同意する。北西の領域(ブリテンスカンジナビアアイスランドグリーンランド、そして可能性として北極地方)は著者の意見では失われたアトランティスの残したものである。これには広範な証拠があるが、その事実は長きに亙って、寧ろ人類とその煩わしい真の歴史は決して充分に解かれることが好ましくないとする学界により隠蔽抑圧されて来た。

 

「アリアン(Aryans)はヨーロッパも中央アジアもその原住地域ではなく、寧ろその元々の故郷は旧石器時代に何処か北極の近くにあり、そこからアジアやヨーロッパへ南に移住し、それは、「抑えがたい衝動」ではなく、その故郷の好ましくない気候条件によるものであった。アヴェスタ(ゾロアスター教の経典)はこの見方を完全に裏付ける伝承を保持している。しかしこれらは学者によって価値がないものと扱われて来た。その学者たちは人類を氷河期以降と見做してその学説に取り組み、アヴェスタの伝承はヴェーダの権威によって支持されないと信じられていた。しかし、最近の科学的発見による更に広範囲の詳しい調査(時間望遠鏡)によりアヴェスタの伝統が実在の歴史的事実を表していることを示すこと、そしてそれはヴェーダの証言により完全に裏付けられることを論証することが可能となった。」
―L・B・G・ティラック著「ヴェーダに於ける北極の故郷(The Arctic Home in the Vedas)」

 

「北極は既に幾人かの著名な科学的な人により、植物と動物の生命の最初の発生地である可能性が高いと考えられている。そして著者は、アリアンの人々の最古の故郷が北極の周縁部のどこかであることを証明するのに、殆どのアリアン人種の古代の本の中に十分な肯定的証拠があることを満足の行く程度に示すことが出来ると信じている。
―同上

 

「…民族から民族に屡々伝えられる(移動する)伝承(年代記)の強力に実証された証拠、それが多くの異なる集団の間で原初とされていることは、大半の基本的神話が一つの決まった広がりの点 ―彼らの創造の場所― を示すのである。従って、その外形的な形式に於いて彼らは完全に他とは違った特定の起源の点を基盤とする事によってのみ理解可能なのである。」
―アルフレッド・ローゼンバーグ著「20世紀の神話」

 

「太陽の神話とその分派は一般的な発展の一段階で独りでに起きたのではなく、太陽の現出が非常に重要な宇宙的出来事であった場所で生まれたもので、すなわち、それは極北の地なのである。そこでしか、一年はくっきりと二つに別れ得ないし、そこでしか、太陽が人類の復活する生命の最も内面の存在に於ける確実性、世界の根源的創造の実態であることを示され得ないのである。であるから今日、長い間導かれてきた仮説が確実となる。即ち、それは実際の海に沈んだ大西洋の大陸を前提とすることなく、嘗て復活して具現化し、距離を征服して空間を形づくることに憧れノルマンに忠誠を誓い大きく広がった戦士の大軍が出てきたところの、我々がアトランティスとも呼ぶ、北の創造の中心からなのでる。これらの大西洋の人類の流れが、白鳥や龍の船で海を渡って地中海に移動したのであった。」
―同上

 

ドルイド民族

(結局、宗教的権威として、王達から認められていた神官たちなのでは?と思われる ―燈照隅)

 

ドルイドの団体は、ヨーロッパ中のケルト民族の守備隊の役割のため、多くの地域で存在した。ドルイド、或いはアイルランド人の(ハイバーニアングノーシス主義者とも呼べる、彼等は、複数の言語に流暢であることで知られていた」
―J・ラッシュ著「その姿に、ではなく(Not in His Image)」(聖書の神は自らの姿に人を創った、という言葉の逆説或いはパロディでしょうね ―燈照隅コメント

 

アイルランドの高位神官 ―元々のアリア、或いはアリアン(Arya or Aryans)― は「ドルイド」として一般に知られていた。第一巻では著者はこの言葉を分析し、この古代の神官(制度)について信じられていることと妥当性について論じた。著者は、彼等の起源や信仰に関して如何に多くの悪意に満ちた虚偽が故意に広められたかを示した。幸運にもこの不可解なケルト以前の神官についての真実がゆっくりと浮かび上がって来た。

 

「本当のケルト人は背が高く、色白の人種であり、好戦的で専横であった… 征服と平和的な浸透によって中欧、ゴール、スペイン、ブリテン島にその支配を拡げた。彼等は先史時代からの先住民を殲滅しなかった… が、彼らは先住民にその言語、美術工芸、伝統を押し付け、見返りに間違いなく多くを取り入れ、特に宗教の重要なものを多くを取り入れた。これらの人種の間で真のケルト人は貴族階級を形成した。」
―T ・W・ロールストン(Rolleston) 著「ケルト民族の神話と伝説、1911年」

 

ドルイドと言う言葉は地域的であったが、彼等の宗教は根が深く、離れたところに起源を持つ。それはペルシャのマギ、アッシリアカルデアン、ヒンドゥスタンのブラーフマンの起源と同等の古さであった。それはこれ等とその崇高な思想に於いて、その慰め力づける約束に於いて余りによく似ており、あまりにも広範囲に分かれてくらしているこれ等の国民が同系で、ノアと大洪水前の人類の子孫であることに疑う余地はないくらいなのである。」
―W・ウィンウッド・リード著「イシスの仮面(Veil of Isis)」

 

「何故なら、ドルイドなしには王たちは何も相談などしなかったであろう、つまり、実際には統治していたのはドルイドであった。」
ヨハネス・クリュソストモス著「五世紀のコンスタンティノープルキリスト教司教」

 

「…命令するのは彼等で、素晴らしい宮殿に住んでいる黄金の王座にいます王たちは彼らのただの大臣であり、彼等の思想の召使なのだ」
―ディオン・クリソストム著「ギリシャの哲学者、ドルイドについて」

 

ドルイドは洞察力があり、繊細な精神をしており、その推論により最高の名声を得た。その推論自体が同時にまた巧みで深遠であった。彼等は最も崇高な推測を以て、幾何学と地球の大きさを測ることに精通していた、とカエサルとメラ*は両人ともはっきりと仄めかしている。」
*ポンポニウス・メラ:ローマの地理学者。43年ADに「地理誌」を書いた
―アンミアヌス・マルケリヌス著「歴史 350年AD」

 

「…私について世界の一隅に行ってみよう、そこは、少なく見積もっても多くの時代を通して宗教はその穢れなき純粋さが保持され、その僧侶は…彼らが地上で悪党となる以前は殉教者として天国に迎えられた。それは悪徳の時代の初期に於いては世界に知られていない孤立した点であった。それは今やその力とその世界中からの贅沢で知られる王国である。それはゲルマンと大西洋の青い水でかこまれており、自然の選りすぐられた恵みに溢れている。それは未だゴールの上に冷たく威圧している断崖から白い島と呼ばれており、そしてその緑に覆われた山々から緑の丘の土地と呼ばれている。吾と共にその海岸に来たれ、そしてその白いローブに身を包んだ僧侶を、その戦争の青い色に塗られた戦士たちを、そして艶やかで長いブロンドの髪の乙女たちを吾は見せよう。しかし先ず吾は汝を過去の世界に導き、この土地が何故アルビヨンと呼ばれ、何故ブリテンと呼ばれたかを語ろう。」
―同上

 

この同じ長老の集団がエジプトではアメン信仰者として知られていたのである。

 

 大災害の時代

更新世の終わり、約一万年前、多くの地上の哺乳類草食動物と肉小動物を北アメリカ、南アメリカ、オーストラリアで絶滅した出来事があった。北アメリカだけで、三十二種以上の哺乳類が絶滅した…この絶滅の原因は論争の余地がある。」
―R・W・グラハム著「更新世の終わりの新しい環境系の進化」

 

世界は大洪水以前の文明の存在に気付かないのは、それがもう存在しないと言う単純な理由による。大半の神話や伝説が我々に伝えるように、それらの帰属した大陸が激しい天変地異によって破壊されたからである。この前提は今や科学的に肯定されている。紀元前一万年~一万三千五百年前、我々の惑星は想像を絶するような自然災害によって破滅したことを示す証拠が存在するのである。その破滅的な大災害は数多くの部族や民族により記録され、アイルランドの最も初期の伝説にも描かれている。

その破滅的な地圏への影響により、地球はそれに続く大変動に見舞われた。重大な災害(津波地震、火山、そして何百年も続く干ばつや飢餓)は紀元前八千年、六千年、三千年に世界を揺さぶった。古代ミケーネの干ばつ、エーゲ海のテーラ島(サントリーニ島)の噴火、スカンジナビアのストレッガ*津波北アフリカのサハラ地域の乾燥化の始まり、地中海の水位上昇、パキスタンはインダス平野の巨大なサラスヴァティー川の水位低下(消滅)、そしてブリテン島で長引いた青銅器時代の飢饉は、元々の地球規模の「大災害の時代」の後に、違う時代に起こったとして知られるその超自然災害のほんの一部であった。

*ストレッガ海底地すべりにより起こったとされる津波(紀元前6225年から紀元前6170年の間にかけて発生したと考えられている

先史時代のアトランティスやレムリア大陸の滅亡のことを語る世界中の伝説は、人類の歴史に本当にあった、並外れて被害のあった挿話的な出来事を記録している。著者は大きな災害と、それに続くアトランティス、異邦人の来訪と遺伝的操作に於ける意識への心的外傷を扱ってきた。

 

「洪水は世界にとって一般的に曖昧模糊とした伝統で、英国の島々とスカンジナビアの土地に於ける最も恐ろしい来訪とその破壊を本当に隠すが、それは地学者の用語で「漂流(Drift)」時代と言う効果により、かなりの程度まで遡ることが可能である。それは単なる氷山の漂流ではない。それは突然で恐ろしく早く破壊的であった。」
―コミンス・ビューモント