文明のアイルランド起源 HPより05

旧世界の無秩序

【要点】大災害で西方のドルイドの伝統が欧州とアジア(近東)に移転したが、太古世界はドルイドの活躍で上流階級の者がより高尚な精神を持って居たことで治まっていた。そこに、アテン・ヒクソス・スキタイの仮想連合国家がエジプト追放後、ミレシアンとしてアイルランドを征服し、ドルイドに成りすまし、それを乗っ取り、滅ぼし、ケルトと名乗ったことで世界は混沌とした。それでも彼らはドルイドの伝統を完全に破壊できないまま、後にローマ帝国、そしてキリスト教を利用して徹底的にドルイドの伝統を破壊し、焚書した。 ―燈照隅

 

スフィンクスに関して…もう一つの碑文は、それがラー・アトゥム、「西の太陽」に捧げられたことを示し、それにより、「太陽が沈む方向のくに」、「死者のくに」、そして彼らの祖先の起源の國と繋いているのである。」
エドワード・F・マルコウスキ著「パラオ以前の時代」

 

アイルランドの伝説時代の歴史は後にそこを占領し、支配した、謎に満ちた北大西洋の中心から来たり、そして時には帰って行った複数の民族の出来事が土台である。ブリトン人の歴史(The Historia Britorum)はしばしばこの中心にハイベリア(Hiberia)という名前を付けているがそのような言葉は本当はアイルランドの呼び名で、名目上「死者のくに」、原初の北大西洋の中心を指している、マフ・モ(Magh-Mo)、トラフ・モル(Tragh-Mor)或いは、マフ・メル(Magh-Mell)の想像上のものに過ぎない。
―ユリウス・エヴォラ著「グレイルの謎(Mystery of the Grail)」

 

「文明のアイルランド起源」の中で著者は地球規模の天変地異の余波を調べ、自然の怒りは特にブリテン島とスカンジナビアで酷かったことを示した。これらの陸地は酷くやられたため、それらは「死者の國」として記述された。その猛襲は余りにも恐ろしく、西方の長老は、ブリテン島とスカンジナビアの原住民と共に故郷を引き揚げてヨーロッパとアジアの新しい領土に移ることを余儀なくされた。長老たちは、その容貌のみならず、その知識と技能のため、どこを旅しても本物の神として迎えられた。彼等とその人々は殆どの歴史家に「ケルト人」として言及されて来た。しかしながら彼等は、次のようなより正確な称号で適切に区別されている。

・アリアンAryans(アリアArya、アリオAryo、アリAriなど)

・ゴートGoths(ゴットGots、グットGuts、ゲットGets、ジュートJutes、ジャットJats、ユットYutsなど)

・ノルディックNordics/ノースNorse

・インド-ヨロピアンIndo-Europeans

・インド-アリアンIndo-Aryans

・インド-スキタイIndo-Scythians

・コーカシアンCaucasians

・ゲールGaels、イベリアンIberians、スキタイScythiansはこれ等輝かしい巨石文化の祖先の末裔であった。ドルイドは世界から忘れられた星・太陽・月のカルトの構成員で、古代の碩学でこれら西方の長老の存在と重要性のことを知らない者は誰も居なかった。

 

「…知的職業のすべてを含めた階級である。その階級は宗教的機能を持った人々だけでなく、哲学者、判事、教師、歴史家、詩人、音楽家、医者、天文学者、予言者、政治的顧問や相談役も含んでいた。」
―ピーター・ベレスフォード・エリス著「ドルイド人(The Druids)」

 

長老の人種は幾何学天文学、航海術、それに疑似科学である占星学や地占いに秀でていた。ヨーロッパとアジアの歴史に於いては元々の巨石文化の長老たちは次のものに現れる。

・シュメールSumerians (Sum Ari)

・シェムス・ホルShemsu Hor (ホルスの使徒Desciples of Horus)

・アメン信仰者Amenists (ナイルのドルイド或いはアリアDruids or Arya of the Nile)

フェニキア人 (アルカディア人 Arcadians、カナン人Kananites、ヘテ人Khethites、ペリシテ人Philistines、アモリ人Amorites、シドン人Sidonites、ツロー人Tyrians、カビリ/カブKabiri/Kab、アリ人Ari、ゲーベル人Ghebers、アドナイト人Adonites、カティKhati、ハッティHatti、クリアン人Kurians、キリアン人Kyrians、その他)

ペルシャ人 マギMagi(ミトラ教徒Mithreans)

・ルヴィア人Luvians

・シャイロ人? Shilohites? (原文はShiloites)

単純に「アイルランドの」Irish或いは「スコットランドアイルランドの」Scot-Irishと言う語を「フェニキアの」Phoenicianで置き換えると神話拡散者による欺瞞の網が融解し、明るく輝く世界史の真実がそこに残るのである。

実際、有史以前のフェニキア人の後の子孫たちはアイルランドにフィナFinnaやフェニアンFeniansとして現れているが、この言葉も未だ元々のアイルランド人を指している。Finnと言う語根は公正や立派(fair and fine)を意味する。(Fionn、Finlandなどを参照)フェニキアの船の彫像はアイルランドのミース郡ニューグレンジにある巨大なケルン(石塚)の中に見いだされる。

シュメール人(Sum Ari)の西方起源を証明する限りにおいて、著者は、L・A・ワッデルの作品を参照して置く(詳しくはこちらをhttp://www.irishoriginsofcivilization.com/l-a-waddell.html

第一巻の序論で説明したように、著者は「ケルトCeltic」と言う用語を巨石文化のアイルランド或いはそのヨーロッパの子孫のどちらを表わすにも正確な記述と見做してはいない。最近の科学的研究は、この言葉が単に宣伝工作員と神話拡散者のでっちあげであるという著者の主張を強力に裏付けている。或る明敏な評論家が述べたように、アイルランド(人)は“ケルト化”されたのである。我々はこの論評に完全に同意するものであり、またアイルランド(人)の不正確な「歴史」がそこを破壊した者や植民した者によって捏造されたことを忘れてはいけない。

 

「しかしながら、遺物そのものの伝統神話的宗教的重要性と同じく、この影響の大きさを測ることをより困難にしているのは、その基準となる枠組みを構成している礼拝儀式や神話が殆ど全てが失われている、という事実である。ドルイドはその教えを書き記すことをしなかった。そしてそのことが結果的に彼らの神聖な文学が最終的にその言語の滅亡で消滅してしまったのである。」
―オットー・ヘルマン著「ケルトThe Celts」

 

キリスト教徒が書物や図書館を破壊しつつ何年も費やした後、ギリシャ人の教会の傑出した神父であるヨハネス・クリュソストモスは誇り高く宣言した、「古代世界の古い哲学や文学のあらゆる残滓は地上から消え去った」と。
―ヘレン・エレーブ著「キリスト教の歴史の闇部分The Dark Side of Christian History

 

「ヘンリー王によるアイルランドの二度の占領は血なまぐさい冷酷なものであり、タラTaraの完全かつ徹底的な解体で剥き出しの地面となり、殆ど全ての非キリスト教アイルランド人文書の最終的破壊であった。」
―ジョージ・ローリンソン

 

ケルトの源泉文学はどれもドルイドによるものではない…アイルランドでは詩の/ドルイドの古文書類の数は…相当多くあり…大量の原典資料が発行されて居らず、しかも未だ翻訳されていない。」
―R・J・スチュワート著「ケルトのバード人、ケルトドルイド人」

 

「最初期のキリスト教宣教師は土着の宗教が絶滅していることを見出し、ドルイドの空っぽの庵室に居住しそこから彼等自身がカルディーの名前を取り入れた。」
―トッド教授Prof Todd:ブロンウィック著「アイルランドドルイドアイルランドの古代宗教Irish Druids And Old Irish Religions」での引用

 

天界からの証拠

【要点】極地方の住人には、地球や天体の運動が回転運動であることが容易に認識される。(例えば白夜には太陽が地球を一日で一周していることが容易に観察される。)また、一定の長い年月定住しないと運動の詳細は分からない。つまり、そのような地域に今の文明の基になる文明が栄えていた可能性が高い。そのような天体の観測とその結果の遺跡がヨーロッパの西側に多く巨石建造物として存在し、また、そのような伝承は、インド・ヨーロッパ語族の伝承に多くある。 ―燈照隅

 

「ヴァレンシー大佐は、真昼の白日のように判然と、古代のギリシャやローマの神々がヒュペルボレオスから来たことを証明した。」
*ヴァレンシー大佐(後に将軍)(General Charles Vallencey 1731-1812)は英陸軍が派遣したアイルランド国土測量士
―ゴドフリー・ヒギンズ

最高に教育された優れた熟達した先輩人種が北欧とアジアにかなり長い間生きていたという証拠が天文学の研究から明らかとなった。天文学的に月、惑星、星、そして星座のある周期は地球の特定の位置からしか観測・注目されない。これらの様々な星座の周期は長大な時間間隔であるのでそれらは地理的に長期に亙って安定して居ない部族や民族には単純に認識できない。要するに、正確な天文学的計算に責任を持った特別な階層の人間と、それが必須の地理的場所の住民が、西方の粉砕された居住地からヨーロッパとアジアに移動したアイルランドとノルマンの巨石文化の先輩人種なのである。彼等はヒュペルボレオス人或いはアトランティス人であり、彼等とその子孫が世界で最初の天文学者占星術師、地占い師、そして巨大遺跡の設計者なのであった。

 

「彼らは天国と星の動きの多大な知識を持って居ることを公言する」
―ポンポニウス・メラ著「ドルイドについて」

 

学者としてゴドフリー・ヒギンズは次のように説明している。

「科学のアジア起源についての三部作の論文の中で、最高に優秀で偉大な天文学者であるベイリーBaillieは、北緯40度から50度のインドの北方の國に住んでいた、エジプト人や印度人よりも一層優れた、高みの天才の、古代の深遠な智慧を持った民族の証拠に太鼓判を押した。」
―アナカリプシス(ゴドフリー・ヒギンズの著名な作品)

 

我々は巨石文化のヤード ―円形の石配置や巨石・巨大建造物の建築で古代人が使っていた長さの単位 ―は西方に行くほど数学的に正確になっていることを偶然にも発見した。これ自体、より高度に洗練された遺跡がより古い方であることだけでなく、その建設に使用された数学と幾何学が東方の達人よりも寧ろ西方の達人の考え付いたものであることを疑義を差し挟むまでもなく証明している。(これについて詳しくは、付録2をご覧ください。http://www.irishoriginsofcivilization.com/recent-discoveries.html

 

「巨石文化ヤードははるかに古い…そしてブリテンでは紀元前3500年には早くも使われて居り、その頃はまだミノス文明の究極の起こりのたっぷり千年以上前であった。中欧南欧の範囲に巨石文化の系統の存在の証拠がほぼないか皆無であるため、それが推論するところは、確かにミノス文明が究極的に応答した考え方はその起源を更に西方に持つということである。」
―アラン・バトラーとステファン・ダフォー共著「明かされたテンプル騎士団The Knights Templar Revealed」

 

古代極地方文明の存在についてジーン・D・マトロックは次の様に書いている。

「何千年か前、高く文明化・文化化した人々が幸せに豊富に北極圏近くの天国で生活していた。どのような民族のものでも地球上のすべての主な宗教がそれが元々人類の五大人種であったと強く述べている。猶太キリスト教では我々はこれをエデンと呼ぶ。インダスではこれをウッタラ・クルUttara Kuruと呼ぶ。チベット仏教徒はこれをKedar Khand(シバ神の國)、そしてシャンバラShambalaと呼ぶ。それはまたSivariya或いはSibirya(シバ神の土地)、今ではシベリアSiberiaと呼ばれている。古代ギリシャの歴史家たちと神話はヒュペルボレオスHyperboreaとして言及している。支那道教ではそれを特定の名では呼ばないが、それは人類が自然と完璧な調和の中で生活している一種の天国として記述している。」
―「トルコ民族諸国、印度、カトリック、メキシコを繋ぐ不思議な謎?What strange Mystery Unites the Turkish Nations, India, Catholicism, and Mexico?」

 

スティンソン・ジャーヴィスの「平和の価格」より次の一節を読む。

ブリテンの島々では神の名は「アード・シャガートArd-shagart」であり、それはその二つの言葉が意味する「高き僧侶」、そしてブリテン島の人々によりこの人間神が崇拝されていた。三語として読むとその称号「アード・シャ・ガートArd-Sha-Gart」は彼を「楽園の高い太陽」とも呼び、同じ人間の太陽神が創世記でその楽園を歩いているとして記述されている。何故ならイングランドはすべての僧侶の物語の楽園で天国であったからである。」

 

著名な英国の天文学者フランシス・ベイリーFrancis Baillyの発見のことと言えば、エリザ・バート・ギャンブルEliza Burt Gambleは次の様に伝えている。

「18世紀の終わりにかけて祝福された天文学者、ベイリーは『古代天文学の歴史』と言う題の作品を発行し、その中で彼は、印度人やエジプト人よりも遥かに優れた、高みの天才の、古代の深遠な智慧を持った民族が『北緯40度から50度のインドの北方の國に住んでいた』ことを証明しようと努力した。この著者は、『彼らの特異な性格から、最も名高い天文学的観測と発明がこの緯度からできず、その技術と進歩が段々と赤道に向けてたびだったのである』ことを示したのであった。」
―(「古代人の神の考え或いは宗教に於ける性」を参照ください)

 

そして、アリアンヴェーダの専門家であるL・B・G・ティラックTilakより次の一節を読む。

「頭上で回転する天のドームの円が北極の特別な性質の一つであり、その現象は非常に特異なので人々が或いはその祖先が北極の近くに住んだことがあるならば、初期の伝統の中にその足跡を見出だすことが期待できる。この試行をヴェーダの文学に応用すると、我々は天の動きを車輪に喩えて、天球があたかも軸で支えられているように記述する一節を見出すのである。」
―「ヴェーダに於ける北極の故郷(1903年)」

 

「…ヴェーダの中の文章を読めばその中には理解できないと考えられてきたものもあるが、新たな科学的発見の光が当てられる中で我々は、ヴェーダに出てくる人々の祖先の故郷は前の票が時代の前にはどこか北極の近くであったという結論を強いられるのである。」
―同上