筈見一郎著 「猶太禍の世界」20

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大戦の血を吸う猶太財閥

英米の猶太財閥は、第一次大戦の死傷者二千八百万人の血を吸って、五十倍の太りかたをしたバンパイアであるが、それに慊(あきた)らず、又もや大きい戦いを枢軸国に挑んで、もっと、もっと太りたいというのである。それに対し、フンク独経済相の画期的声明は、慥かに頂門の一針(一番痛い所を突かれることの喩え)と言うべきであったろう。例せば、かのバシル・ザハロフの如きは、第一次大戦の時の英首相ロイド・ジョージに政治資金を惜しげなく貢ぐと共に、英国として盛んに彼に軍属品を注文させ英国民の膏血(こうけつ:苦労して得た収益や財産)を絞り、世界一の軍需品王といわれるに至ったのである。

 

支那事変と猶太禍

猶太人は決して赤禍を以てのみ支那に迫っているのではない。猶太人の赴くところ、その現在の国籍如何を問わず、何らかの問題を起こさないでは居られないのであるから、実に困ったものである。彼のヘルツルは、その著『猶太國』(一八九六年刊)で「猶太人は資本家としても、又社会主義者としても顕著な地位を占めている」と指摘したが、その資本家が、その社会主義者に劣らず、その活動している国に非常な害毒を与えているのである。だから、嘗て、タイムスの主筆であった故ダブリュー・ステッドの如きは、「著述家も、政治家も、外交官も、猶太問題に、思い切って、手を突っ込まなければ一人前とはなれない」と、言った位である。

啻(ただ)に、猶太人は、社会主義者共産主義者の方面で、世界のバチルス(病原体)であるのみならず、また世界金融の争うべからざる統制者支配者でもあり、同時に世界言論界の少なくとも八割は彼らの手に帰しているのであるから、猶太問題の真相を知るのは実に容易ならぬことなのである。そうして彼等ユダヤ人の遣り口が遣り口なので自ら墓穴を掘りつつある現状を知るまでには、世界の本当の政治外交の動きかた、国際経済金融の消長、思想の行くべき方向を悟るのは寧ろ困難であろう。

逸早く一九三八年九月三十日を以て、フランスの反猶紙ラ・フランス・アンシェーネーの如きは、

日独伊三国が敵として戦っているのは、実は、猶太人を隠れた相手としてである。

第一次大戦で金儲けしたところの彼等ユダヤ人は、今、正に第二次大戦をば発火させようと、そのせい一杯の秘策を講じつつある最中だ。

と報じている位なのである。

勿論、支那事変の蔭には、単にコミンテルンが跳ねていたのみならず、それにも増した英米仏等の猶太財閥の盛んな糸引きがあるのである。先ず第一に現在、蒋政権の首脳部は、孰れも、紛れなくフリー・メーソンの秘密結社に属して居るのは見逃し難い事実である。

 

孫文と日本

孫文は、その革命の資金を当時、米国系ユダヤ人の有力者アルフレッド・モーリス・コーエン(コーエンは『米国猶太人連合協議会』と言う年々金五千万ドルの基金を積み立てていると伝えられる猶太人最高司令機関を一九三三年六月廿二日に成立させるのに尽力したので有名な男である)から貰ったという説もあるが、日本を孰れかと言えば大いに徳としていた。彼は清朝に圧迫されて日本へ亡命、犬養毅頭山満などの志士の心からなる義侠心と同情との下に私的援助を受けた関係もあり、決して彼自身排日などの挙措(きょそ)に出たことはなかった。

これを排日テロまで発展させたのは、英国側の猶太閥の使嗾(しそう)に遂に乗った蒋介石の不見識なのによったことは勿論であろう。

孫文の昔は、支那では、寧ろ排英こそあったものの、未だ排日と言いうことはなかった筈である。

孫文の唱えた三民主義蒋介石一派には大分に歪曲されている形跡あることは勿論であって、現在の汪兆銘に率いられている正しい国民党は、この点に於いて、その依然信条とする三民主義に関しては孫文の昔に帰り、漢民族数千年来の伝統的思想を近代的に科学する心で体系づけているばかりか、一切の不純とか誤謬とかの潜入の跡あるを悉く清浄化してしまったのを、我等はよく銘記しなければならぬのである。

 

蒋介石と親猶

蒋介石は、何を隠そう、米国のマサチューセッツ大結社所属のパゴダ・ロッジの会員なのである。彼のほか、孔祥熙宋子文、王正延、顧維釣、顔恵慶は皆それぞれ、マソンの会員である。お多分に洩れず蒋の婦人宋美鈴さえも同じくマソンの秘密結社員なのである。この見地から蒋介石以下所謂欧米派と言うものは、凡てマソンである関係上、ソ連よりも寧ろ英米仏の猶太財閥とより以上交渉が深いわけで、蒋としては単にその政策上コミンテルンの援助を求めんがために所謂国共合作をはかったのであった。そうして、陽にコミンテルンとの親しさを装ったのであった。

蒋の最近の新四路軍の抑圧および征討は、彼の本心を暴露したものであるから、コミンテルンは最早蒋政権に愛想づかし、却って日本と相互中立条約を結ぶの機運をさえ遂に迎えるに至った。

 

猶太財閥の大芝

此処に不思議に堪えない現象が一つ見受けられた。それは、常識ではどうしても理解の出来ない現象であった。連戦連敗の蒋政権の対外信用の目安ともいうべき法幣の為替率が大して下落しない事であった。しかも、将来性のますます薄弱となって行く法幣を支えるべく英米は数次の巨額のクレジットを争って供与するのであった。

これこそは支那にはびこっている英米などの猶太財閥の死に物狂いの援助によるものに外ならなかった。上海には特にこうした猶太人の金持ちがすっかり根を下ろしている。サッスーン、エヅラ、カドリー、ジョセフ、ハードンなど上海の五大財閥と言われているが、孰れも悉く猶太人であるから驚く。

中でもサッスーンと言うのは、その旗頭とも称すべきもので、サッスーン・バンキング・コーポレーションを経営し、上海の財界を壟断(ろうだん:独り占め)している有様。その本拠は、ロンドンにあり、英、米、仏、ベルギー、その他の猶太の銀行または会社をその組合員とし、香港上海銀行や英蘭銀行とも連絡を保って、上海のありとあらゆる事業に関与し、それが金融とか保証とか為替の売買などを行っているのである。

あの事変の初期に支那飛行機の盲爆に遭い、敵性英米の連中が殊更、それをば、日本の飛行機の所為に帰せようとまで計って日本側をして切歯扼腕*(せっしやくわん)させたものの、色々の現実の証拠が支那側に全く不利なるを暴露した、あのキャセイ・ホテルのある上海第一の高楼サッスーン・ビルディングをその根城として、何でも、総額数十億ドルに上る種々な事業をコントロールしているのだ。その勢力は今に牢固(ろうこ)として抜く能わざるものがある。またエヅラは、どうかと言えば、あの上海の目抜きである南京路、俗に上海の銀座と言われる場所の土地や家屋の大抵のものは彼の所有と称しても可なる位なので、それに上海名物のハイアライダンスホール、競馬場、映画館、カフェ等の享楽機関の目ぼしいものは、彼によって経営されてるか、彼の息が、ちゃんと、かかっているのである。エヅラがこれらによって日々儲けるあぶく銭と言ったら大したものである。

*切歯扼腕:歯をくいしばり、自分の腕を握りしめて、ひどくくやしがったり怒ったりすること。

その他、猶太の表裏のすべての重なる機関と言えば、こういう調子で、猶太人に独占せられて居る次第である。これら英米等の猶太閥は、上海だけでは、彼等の巨資の活用が思うようにできないので、実は満洲方面へも旺(さか)んに手を出しかけようとした。それで張親子(張作霖・学良)を裏面から盛んに焚きつけて、あの満洲事変を起こさせるような風に誘って行った。つまり、邪魔になる日本の勢力をば満洲から総退却させようと計ったのだ。しかし、その彼等の計画は固より、まんまと失敗してしまった。

 

ハリマンと小村

満洲には日本の生命線である満鉄がある。遂に、これが、きっかけで、満洲帝国の誕生とまでなった。今に敗残蒋政権が満洲恢復(回復)を叫ぶのは、その背後に猶太財閥が儼然(厳然)と控えているからだ。必ずしも蒋政権そのもののみの声ではないのである。日露戦争の結果、日本は満洲を租借することとなり、満鉄は日本の領有に帰した。それなのに、小村外相がポーツマス会議から帰朝に先立ち、逸早くアメリカの猶太人ハリマンが、やって来て日本の要路の大官をうまく説きつけて満鉄譲与を承諾させてしまった。

小村が帰って来て、その不所存を詰(なじ)ったので、それは急に沙汰やみとなった話は今更詳しくここに述べるまでもなく有名なものである。その時分から英米仏等の猶太閥は隙さえあれば満鉄へ喰い込もうと図っていたのだ。

 

支那事変に喰い込む猶太の金持

支那事変に於いて悉く日本に敵性を発揮して来たのは、何も彼等が支那を ―否、蒋政権を― ひいきにしたり、又はかわいがっているためではなく、彼等自身の財的勢力を極東一円に拡め、彼等猶太人の企む世界共和国の一翼たらしめんことを希望しているがために外ならない。蒋政権なんかは、一時、彼等のそうした飽くなき貪欲のために便宜利用せられるだけに止まっているのである。然るに蒋以下は、そんなことには一向気がつかず、真実に支那をそういう魔手から救おうとしている義侠日本に対して楯をついているのだからお話しにならないのである。

さて、そういう彼等自身の資本のみが可愛いと言うわけ合いで、乗りかかった船の都合もあり、彼等は是が非でも、敗残蒋政権を援助している。その一つの現れこそは、先年の支那の幣制改革であった。

 

支那の幣制改革

これを目論んだのは、サッスーンであり、態々(わざわざ)これが実行のため英本国から政府の経済顧問であるリース・ロス(猶太人)を極東へ呼び寄せたのであった。サッスーンは、これが実施には、英国政府の後援のみでは不充分であると見て取り、ひそかにアメリカに渡り、ロサンゼルスに病気と称して滞在、ナショナル・シティ銀行の猶太人の支配人であるエマーソンと会見、彼を通じてアメリカの猶太財閥やアメリカ政府の諒解(了解)を得ることに遂に成功、あの大がかりな幣制改革という彼一世一代の芝居を打ったのであった。

リース・ロスは、態(わざ)と日本へ立ち寄って、支那に於ける銀貨廃止によるこの幣制改革の相談を真面目に持ち込み、その協力を依頼したが、固より日本当局はそのような一見無謀な計画には絶対反対を表明したのは、却ってリース・ロスやサッスーンの一味の思う坪に嵌った。彼らは斯くして日本をば、のけものにして、この計画を熟させることにしてしまった。

かくて、銀貨とか銀塊とかは一つ残らず、支那から英米猶太閥の彼等の手中にそのまま転げ込むことになった。その代り、彼等が支那へ交付したのは、結局は無価値になっても差支えない米国で彼等が勝手に印刷した新しい法幣なのであった。結局、それが実施されるに至るとは、夢にも思わない日本側は、この幣制改革の具を大いに笑っていたのであった。だが、彼等の計画の実行には、日本の財界などは全然眼中になかった。英米両政府の後援もあるので彼等の成功率は百パーセントであることが始めから解っていた。

これがためには、イギリスの駐米大使ヒューゲッセン(猶太人)やフランスの駐支大使ナジャール(矢張り猶太人)は、サッスーンやリース・ロスのため、あらゆる尽力を惜しまず、犬馬の労をとったものであった。この時の彼等猶太財閥のこの幣制改革によるボロイ金儲けと言うものは素晴らしいものであった。何しろ、これが実施されることになって、銀を持って居る支那人は一人残らず、その保有銀を法定の通貨即ちサッスーン自身発行のペーパー・マネーに現銀一円に対し紙幣六十銭の割で無理やりに交換させられてしまったのであった。

ところが、実際のところ、英米クロス・レートの関係上、海外の市場では支那一円の現銀というものは、ロンドンで一円八十銭の相場をその直前まで唱えていたのであるから、それまでに支那の銀と言うものは奔流の勢いで海外へ逸走(いっそう)していた。そいつへ、当時の国民政府は、多大の輸出税を課して一挙に前後二重の利益を獲得した。

かくして、引き上げられた銀貨と言う銀貨は、右から左へと、猶太系銀行により、ロンドンやニューヨークで一円八十銭の相場で盛んに売り飛ばされてしまった。それは凄まじい彼等の金儲けとなってしまったことは言うまでもなかった。

日本側の在支銀行はそんなことになるとは夢にも知らず現銀を後生大事と抱えたままであった。間もなく、それが一円八十銭から三分の一の六十銭となるとは一向に事前には関知し得なかったのである。これがためわが*日本財界が受けた損害と言うものは、蓋(けだ)し莫大なものであったことは、云うまでもない。支那四億の民衆と日本とは同時に同じような損害を隠して一挙に背負い込まされたのであった。実に言語道断な処置であった。かくて、支那に於ける財界の実勢力と言うものは、北支を除いては完全に猶太財閥の手に帰してしまったのであった。

原文:これがわがため

これらの夥しい利得が、やがて支那側の抗戦資金ともなり、前に数倍した猶太財閥側の抗日助勢の手段ともなり、日本側の苦痛を幾重にも増したのであった。

その他、支那に於ける猶太財閥の対日敵性の悉くを一々列挙しようとしたならば並大抵のことではないのである。これでも猶太人の財閥は果たして日本へは全く無害だったといえるであろうか?ここにも、我が日本がドイツやイタリアと連携して三国同盟を結び、東亜大共栄圏をつくろうとする企図に益々邁進するのは、自営上、まことに至緊至要なることが何人にも解るであろう。