筈見一郎著 「猶太禍の世界」19

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第十章 極東と欧米猶太閥

 

長髪賊*と猶太人(*太平天国の別名)

遠い昔のことは此処では不問に付して置いて、欧米の猶太閥が支那にその著しい勢力を扶植(ふしょく:増加)するに至った第一にきっかけをつくったのは、何といっても、一八四〇年の阿片戦争、この結果イギリスが香港を奪取するに至って以来、それから、あの長髪賊の乱(太平天国の乱)ありて愈々その勢いを熾(さかん)にするに至った時からのものと見てよい。

*太平天国の乱では、支那全土で二千万人以上が犠牲になったと言われる。住民の虐殺も相次いだらしい

長髪賊の首魁(しゅかい:首領)洪秀全清朝に叛旗を翻したのは西暦一八五〇年即ち我が嘉永三年のことであって、彼は、広東から起こって、忽ち疾風枯葉を捲(ま)くがように、江西、湖南、湖北等を席捲(席巻)し、長江に沿うて下って、遂に、我が嘉永五年、即ちフランスではナポレオン三世が帝位に即(つ)いた年に、南京に都し、国号を太平天国と称し、それから、一八六四年、我が元治元年、日本では尊王攘夷問題がクライマックスに達した年に滅亡するまで、猛威を逞(たくま)しうした。

この長髪賊を平らげるのに功績のあったのは、英の常勝将軍といわれたゴードン(猶太人)であった。ゴードンの成功したのは、よくナポレオン戦争後の近代戦術を応用し、進んで火器を使用したがために外ならなかった。このゴードンの勢威は、これを契機として、素晴らしいものとなり、清朝は彼の一切の提言には唯々諾々としてただこれ従うと言う有様であったので、ゴードンは印度その他の東洋の地方に既に来て居った間に合いそうな人物、それも主として猶太系のものを専ら羅致(人材登用)して、彼等の思う存分の活躍を許した。

これがため、上海の如きは、漸次、集り寄って来た欧米の猶太人のため、殷賑*(いんしん)の土地となり、遂に、今日のような、あの特殊なコスモポリタンな都市を形成し、その租界の如きは、支那にとりて容易に治し難き一種の癌とさえなってしまった。

*賑やかで活気に満ちたさま。

 

猶太人の世界的活躍

一八六九年(明治二年)、仏国系ユダヤ人レセップスによって例のスエズ運河が開鑿(開削)されたので、欧州と東洋との接触は一層頻繁なものとなり、西力東漸の勢いは最早支那方面でも決定的なものとなったのであった。

次いで、同じ猶太人の計画によって成るに至ったパナマ運河のその後の開通は、欧米の猶太閥をして世界征伐と言うとんでもない一大野望を起こさせてしまった。大西洋、地中海、印度洋、太平洋等の沿岸の都市では猶太人が勢力を振るっている。東洋と西洋との間に行われる貿易や商業を独占しながら海上に雄飛している。そればかりか、彼等猶太人は、西印度(米大陸・カリブ海方面)へ向けて初航海の商船を支度したり、南米や中米との通商を開いてブラジルを開拓したり、西半球に製糖業を興したり、ニューヨークをして今日あらしめる基礎を作ったりした。

 

猶太人の嘗つてのみじめさ

しかも、流石に、こういう猶太人たちも、ドイツでは、見すぼらしい、不安な生活を送っていたことがあった。十四世紀には、三百五十数区以上の猶太人が斬り殺され、溺死し、焼死した。彼等の折角の紡績機械は破壊され、生命や財産のみか家庭まで奪われた。

生き残ったうちで、大抵の者はポーランド方面へさまよって行ったが、それ以来と言うものは、名にし負う神聖ローマ帝国に住む猶太人の人口も、めっきり減ってしまって、ドイツ人六百人に対し、猶太人一人と言う割合となった。その僅かな猶太人たちは、一般ドイツ人を始め、官憲の巧妙な圧迫の下に、不安で、難儀な、憂鬱な日を送っていた。手工業、その他、自由職業と名付けられるものは禁止される。当局から否応なしの命令で、ひどく厄介な物品を購(あがな)わされ、服装にまで干渉される。狭苦しいゲットーとやらに追い込まれる。

こうした猶太人の特殊街は、彼等の人口が殖えても平面に拡がることを許されない。止むを得ず上へ上へと階を積み重ねて行く。

それなので、猶太人の町は、ますます狭く薄暗く、迷宮のように廻りくねってしまう。勿論、草木や花などの繁茂するような地面の余裕なんてない。雑草が陽の通らない、碌々空気さえ通わない、汚れ切った湿っぽい泥土に、かたまり合って生えているのが精々だ。

此処で生まれた子供は、十人のうち七人までは死んでしまう。それでも、彼等は互いに助け合い、支え合って、悲惨の中にも親密に暮らし続け来た。みんな秘密をも分けあっていた。彼等に、法律では何ら庇(かば)って貰えない不安とか危険とかを、保護して呉れるものは、ただ金、金、金あるのみだった。それが、この世のあらゆる危なっかしい足場の中でも、たった一つの頼みになる堅固な土台であった。

同じ猶太人の中でも、金持ちの家の前には、その筋の見張りが立つようなことはなかった。金さえあれば評判も悪くなかった。政府のかしら立った人達でも、白い眼を向けるどころか、特別な扱いをして呉れて、帽子さえかぶるのを許された。王侯や領主たちにとっても、金持ちのユダヤ人がなかった日には、何しろ、戦争することも、軍隊を集めることも、出来なかったので、彼等の斯くして段々に勢力を張って行くのを、黙って見ているより外はなかった。だが、そういう金力による特権を得ているユダヤ人は極めて少数に過ぎなかった。

欧州、アメリカ、印度を含む東洋の通商貿易を一手に支配し、自分らのオフィスで、各国の戦争や平和までも左右して勝ち誇った顔をするユダヤ人が居た、ドイツのユダヤ町には、汚らしい、踏みにじられた卑しいその同族が住んでいた。

 

今のユダヤ人は白色人種のみではない

マホメットの王宮、ペルシャの宮廷、はてはモロッコのサルタンのハレムなどでは、猶太人の大臣や医者などが、素晴らしく羽振りを利かせているのに、ポーランドの諸市では、虱(しらみ)だらけの、ユダヤ人の連中が、下積みになって、悲惨な状態の中に辛うじて呼吸を続けていた。

そうした不遇の時代に、地方を歩いて居たユダヤ人の行商人たちは、犬に追われたり、町の悪童に狩り立てられたり、官憲に小突き廻されたりして、だんだん屈辱的な境遇へと落ち込んでいった。多くの無知なユダヤ人にとって、それは不可解な現象だった。

だが、インテリのものには、その原因が、何から何まで明白なものであった。でも、彼等は、それを、知って知らぬふりをしていた。ただ、単に権力の行使とか維持とかは、決して本当に大切なものではないことを信じていたらしい。巨人の偉大な権力でも、跡から跡へと破壊されて、亡ぶに違いないことを信じていたらしい。

 

猶太人は権力を信ぜず

権力が無価値と言うのは、当たれりや否やを知らないが、猶太人なれば、地位の高下、政治自由があるかないかを問わず、老若男女を区別するまでも無く、その官能の中に体得していたものと見える。それが、猶太人をして、敵を向こうに廻して、必ず謎のような、不遜(ふそん)な微笑を口許に我知らず洩れさせ、余計に相手を怒らせるのであった。

二千年間の歴史を、この様な状態で辿って行くうちに、彼等ユダヤ人は、いつしか、他民族と雑婚をさえ試みて、単にホワイトのそれのみにあらず、茶、黒、黄などの異なった皮膚のユダヤ人を生ずるに至った。この意味で、嘗て二百五十年の鎖国を続けたことのある日本は、世界のどの人種よりも純血を保ち久しく、ユダヤ禍を免れることが出来たのであった。

ユダヤ人には政府もない。故国もない。パレスチナをば彼等の國と称しても、実は彼等ユダヤ人の祖先が例のカナーンに移り住むまでに、既に今のトルコ人やアラビア人の祖先のものであり、彼等は一時的にそれを占めたもののついにそこからも放逐されてしまったのだ。彼等の本当の故国はメソポタミアで、そこで有史以前に亡んでしまっていたのだ。だが、彼等はパレスチナのたった三代のあの果敢なかった栄華とやらが、未だにどうしても忘れられないのである。彼等のあたまの中にシオニズムが、こびりついて離れないのも無理はない。のみならず、あのエホバの約束が、「神の選民たる」(?)彼等を今に鼓舞しているのであるから、どうにも、こうにも、致しかたがない。彼等ユダヤ人には、この世で唯一絶対のものは、ただイスラエルの神久遠無限と信ぜられるエホバがあるのみである。旧約聖書は今に伝えられるバイブルの実に九分の七を占めているが、ユダヤ人にとって、お互いに結び合うただ一つの貴い紐帯(ちゅうたい)となっている。これは、表向きだけ、巧みに装う例の改宗ユダヤ人にも無論適用されるわけである。或いは、無神論を叫び又は都合のよいゼスチャーをするユダヤ人ですら、結局は、彼等が然(さ)か欲すると欲せざるとに論なく、それに、しっかり金剛不壊の状態で結ばれているに違いないのだ。

 

聖書はユダヤ人の唯一の持物

広い意味で、聖書は、ユダヤ人の種族であり、国家であり、家庭であり、祖先からの遺産であり、全財産であるのである。そうして、これを真実所有し、理解し、判断するはユダヤ人を措いて他にはないことを彼等は確信しているのである。

基督教が弘がるということは、随って、それがギリシャ正教であろうが、天主教であろうが、新教であろうが、間接に、彼等の精神的心霊的優秀さを知らせる良い宣伝になる、彼等の将来世界に覇王たらんとする善き手段となると、考えているのだ。モーゼの第五の書(ふみ)の中には、嘗て人間の頭脳がつくった最も恐ろしい呪文がしるされているのだ。

「神、汝の上に呪いとなやみとそしりを与えむ。そは、汝をして他人に然(さ)かせしめんがためなり。」

「汝、妻を娶らば、他人これを横取りせむ。汝、家を建てんとも、その中に住む能わじ。」

「神、汝を敵の前に撃ち倒さるるものとせむ。敵に抗(む)かう道は一つにして、そを逃るる道は七つなり。」

「神、汝らを四方の國民(くにたみ)の中に散りじりにせむ。汝等、その中にありて平和なるを得じ。また、足は休息(やすみ)を得る能わず。神の汝等に与ふるものは、ただ胸のおののきと、眼の衰えと、心の悲しみなり。」

「汝の命は風前の灯(ともしび)の如し。日夜恐るるとも、汝等の命を守る者あらじ。」

これらの文句は余りに冷酷極まるので悉くのユダ人が、そんな不幸な目に遭うまいとて、恐れ戦いて読みとばすところなのである。だが、彼等は、その空恐ろしい運命が、やがて他民族の上に訪れるべきを確(かた)く信じているのである。

 

金銭万能主義の猶太人

嘗て、人の価値は地位と門閥とのみによって決定されたが、今日では金銭のみによって決まるのではないか? 論より証拠、ユダヤ人は、要するに、他民族の侮蔑と罵詈*(ばり)との間から起こって、遂に、世界の金銭の独裁者や統制者となり、時に超国家の威力を発揮しているのではないか? 即ち金銭こそは、国家組織、社会組織の血液となってしまっている。そこに彼等の世界を動かす原動力あり、決定力ありとしている。この世に金銭より貴いものはない。若しやその歯車を世界から撤去してしまうとすると、国家も社会も個人も、忽ち、立ち行かなくなるとは彼等の唯一の信条なのである。

*口ぎたなくののしること。罵詈雑言ばりぞうごん)。

哀れや、ユダ人こそは、例外なしに、こうした行き過ぎた資本主義金銭万能主義の奴隷なのである。そこに彼等が人生の目的を取り違えて、彼等自身行き詰まりを来たした原因が伏在するのである。今度の枢軸大半枢軸の戦いこそは、一面、正にこの堕落した思想を是正し千年の平和を将来せんとするにある。そうして精神は物よりも貴く、物は金銭より貴く、即ち精神があり、物ありてこそ金銭が始めて貴くなる所以が、実践の上で、もっと、もっと、はっきり、解る時が来たらんとしているのである。

 

フンク獨経済相の爆弾的意見

昨年七月、ドイツのフンク経済相が、欧州新秩序の構想を述べた際、

金は将来、ヨーロッパの通貨の基礎としては、もはや、如何なる役割をも演じないであろう。けだし、通貨なるものは、その金準備に依存するものではなく、却ってその通貨こそは、国家 ―即ち、国家によって規制された経済秩序が与える価値に依存するものであるからである。

と言及したことが、国際的センセーションを捲き起こしたことは、読者の猶(なお)、まざまざと記憶するところであろう。わけても、これは全世界保有金の八割即ち二百億ドルあまり、円に換算して八百五十億円以上を一手に擁するアメリカ及びその背後の猶太金融閥に最も大きな聳動*(しょうどう)を与えたことは、諸君も承知であろう。

*恐れおののくこと。恐れおののかせること。

 

虫のよいモーゲンソーの反駁

これに対し、アメリカのヘンリー・モーゲンソー財務長官は、むきになって反駁した。

世界が一つ乃至二つの国家または国家群に統一されて国際決済が廃絶されぬ限り金の国際決済の機能は失われない。

一つの健全な方法は、米国への金流入を減少せしめると共に、米国に流入した金の復帰を促進して、これを金流出国において有効に使用させるようにすることである。

かくの如き方法こそは、米国が全力を尽くして、世界を平和な状態に戻すと同時に、貿易を通常の状態に復帰せしめることにほかならない。

この典型的猶太政治家は、却々(なかなか)虫の善い我田引水な見解を以てフンクに酬(むく)いているのである。

 

英米クロス・レートと日本経済

兎に角、将来は、英米等の猶太財閥が、その勝手に上下する英米クロス・レートによりて国際為替相場を動かし、巨利を博するが如きことは、最早行われず、彼等は如何に金を多く持つとも、勢い、従前より、もっと公平で正しいバーター制度、為替清算制度により、世界の通商が実施されることとなり、物を提供せざる以上、宝の持ち腐れとなる時代がやって来ることだけは明らかであろう。下手をすれば、モーゲンソーが、第一に懸念したことさえ実現する可能なしとしない。

 

マイダス王の黄金禍

彼のマイダス王の黄金禍*がその時には文字通り行われ、黄金を持ちながらも破産するという面白い現象さえ見られるに至るかも知れぬ。その時こそは、黄金万能の思想の全く破れるときであろう。

*ミダス王とも。触ったもの全てを黄金に変える能力("Midas touch")のため、愛する人まで全て黄金に変えて嘆いたというギリシャ神話に出て来る王様。

けだし、金そのものは、これによって物資を獲得し得られる限り、経済的価値を有するのであって、要するに、我等に必要なものは物資であって、黄金ではない以上、金はたといなくとも、フンクの賢くも道破した如く、独自の経済秩序を樹てることは慥かに可能なのである。しかし、これは金が絶対に要らぬというのではなくて、ない場合よりも有るに越したことはないのは勿論である。

この意味で、世界に上述のような経済新秩序がたとい予期せられても、我が日本としては万全の策として、金の集中策をますます強化し、産金奨励に力を入れているのは固より当然の処置であろう。