筈見一郎著 「猶太禍の世界」21

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第十一章 今次聖戦の目的(終章)

 

ベルヒテスガーデンの秋夜

ヒトラーが総統になってから間もなくのことであった。彼はその重立った部下と打ち連れて、フレデリック大王の映画を観覧に行き帰って来た或る晩のことであった。夜色は、沈々としてベルヒテスガーデンの内外に立ち肇(はじ)めていた。

きらめく大小の星の無数の光は、山荘の薄暗いながらも澄み切った秋の夜空に一入(ひとしお)の風情を添えていた。

ゲッベルスが、先ず口を切った。

「素晴らしい映画でしたね」

ヒトラーはそれに異議なく相槌を打った。

「刻下、フレデリック大王の映画の如きはドイツ民族精神を高揚するには持って来いのものだね。」

ゲーリングはあの小柄ではあるが精悍な顔を突き出して、微笑を一杯に口許の浮かべて和した。

「そうですとも。現在のドイツには、ああいう映画こそ、最も好適するものでしょうね。」

ヒトラーの話が続く。

「宗教と言うものは煎じ詰めると一つさ。だから、ムッソリーニファシズムがローマの教会と妥協し得られるんだよ。僕とても、それをやろうとすれば出来るがね。」

「だが、此処に一つ問題が横たわるよ」と、ヒトラーは咳一咳して説く。

「それは国民性の相違だ。イタリア人は、あれで、却々(なかなか)無邪気な国民だよ。同時に、ローマの古来の英雄崇拝を中心としたイタリア民族精神の発祥ともいうべき、古ローマのアポロ以下の多神教をも信ずることも出来れば、また、今まで通りローマン・カトリック教徒でもあることも出来るのだよ。ローマ法王がイタリアの民族精神の源流である上古の多神教をさえ敢えて正面から否定しなければ、それでよいのだ。国民性のこの段になると、フランス人も同一轍のところがあるよ。元来、イタリアやフランスは基督教にのみ拘泥わらずして済むのだよ。彼等固有の民族の神々をも信じ得るのだ。その点になると、彼等の基督教と言うものは、美人と似て、皮一重さ。」

ヒトラーは、そこで、その面持ちは漸次紅潮を帯びて来る。彼は、シトロンのコップを半分やおら飲み、彼一流の論陣を進める。ヘス、ゲーリングゲッベルスヒムラー、リッベントロップの面々が孰れも、じっと耳を傾ける。「ところが、わがドイツ人は違うんだ。根本的に違うんだ。ドイツの国民性は、何でもやることには真剣で徹底しなければ承知しないんだ。つまり、宗教の問題となると、ドイツ民族自身の固有の神を信仰すべきか? それとも、基督教を無条件に信仰すべきか? 二つに一つの問題しか考えないのだよ。ドイツ国民はね。民族固有の神をも信仰し、同時に基督教徒たることは到底出来ないんだ。そこに難関があるのだ。解ったかね。」

一座のものは、ドイツ魂が満身に漲(みなぎ)っているのでこのヒトラーの言には正に彼等の胸奥を衝き、魂の底の底まで揺り動くような気がした。ところが、そこにヘルマン・ラウシュニングと言う、ドイツ人ではないが、ヒトラーの当時、相当に信頼して、ポーランドのフェルターとの連絡に絶えず奔走を命じている男があった。彼は、基督教徒で凝り固まり本当の独逸精神には、到底、触れることが出来ぬので如何にも解せぬ顔をして坐っていた。

ヒトラーは、それを目敏(めざと)く、眺めた。

「貴様だけには、可哀想に、この話がよく会得行かぬようだの。まあ、仕方がない。それだから、お前のようなポーランド人は困るよ。却々(なかなか)、ドイツ精神の本当のよさが君には解らんのも無理はないさ。まあ、折角、ドイツ精神を、今のうちに勉強して置くさ。」

これには、流石のラウシュニングも恥ずかしくなって目を伏せてしまった。しかし、その内心は相かわらず不服そうに見受けられた。ヒトラーは最早、彼に構わず話をどんどん進めた。

「のみならず、ムッソリーニは、ファシストの仲間から英雄が出るとは期待していないんだよ。ムッソリーニは彼一人のみが、将来のイタリアを指導すべき唯一無二の英雄的人物だと信じ切っているのだよ。だから、ファシストの連中が、基督教徒であろうが、そうでなかろうが、大して問題にはしていないんだよ。よいかね。これはムッソリーニ自身著わした『全体への闘争』の彼独自の思想的発展を辿って行けば、誰にも、よく判ることなんだ。彼の伝記そのものが、また、僕のこの観点を一層よく明らかにするよ。ムッソリーニは、あれで、却々(なかなか)偉いところがあるよ。彼は千年、二千年の後には、イタリアの新興の神様と基督以上に崇められるであろう。わがドイツは、イタリアと将来提携して行くのでなければ損だよ。いま世界をずっと見渡しても、ムッソリーニだけの人物は一寸見つからんよ。正直のところ、あれも一代の英雄さ。僕は、ひそかに、ムッソリーニには敬意を払っているんだよ。」

一座の者は無言で顔を見合わせた。英雄よく英雄を知るとは、恐らくこの事であろう。ヒトラーは残ったもう泡も立たない、しかし香りは失せないシトロンをそこで、ぐっと、甘そうに呑み乾してしまった。

「だがね。わがドイツ国民と来ては、あの女々しい憐憫を専ら信条とする猶太性の基督教をそのまま認めるか? それとも、ドイツ民族の祖先の間に自然に胚胎して来た、力強い英雄的神の信仰、即ち、換言すれば、我等の心中にある神、我等ドイツ国民の運命そのものの裡(うち)に存する神、我等の暖かい血液の中にたぎっている神そのものを信仰するか? 孰れか、一つを選び、他を断然棄ててしまわなければならぬと言う根本問題からして先ず解決して行かないと、困るんだ。」

「どうだい。君等は、どっちをとるかね」

一座の者は、ラウシュニング一人を除く外は、皆異口同音にドイツ民族の神をとるのが正しいと主張した。これにはヒトラー総統は、非常に満足な表情を顔一杯にただよわせた。

「勿論、そうでなくては、ドイツ民族は興隆しないよ。何が大切と言ってこの信仰問題ほど大切なものはないよ。

君等、ハウストン・スチュワート・チェンバレンの書を読んだことがあるかい。

それに拠るとね。旧約であろうが、新約であろうが、はた又、イエスの単純な言葉であろうが、悉く、猶太人の欺瞞に過ぎぬものだと言うのだよ。

そんなものを信仰しては、決してドイツはいつまでも自由であるわけには行かないよ。」

ラウシュニングの顔色は、ここに至ってさっと変わってしまったが、皆がヒトラーの話がますます佳境に入ったので夢中になっているので、それに気付かないので、僅かに彼の胸をほっと撫でおろした。

 

ヒットラーの教会観と民族観

「ドイツの教会や、ドイツのキリスト教は、ペテンに過ぎないよ。

そこで問題がもっと、はっきりした見解を取らねばならないことになる。

即ち、われわれドイツ国民は、こういう大問題に結局ぶつからねばならぬことになるのだ。

つまり、我等がドイツ国民であるか? それとも基督教徒のコスモポリタンであるのに甘んずるか? 孰れか一つを断固として選ばねばならぬことになるのだ。

この場合、双股膏薬*(ふたまたこうやく)は断じてならないのだよ。

*双股膏薬:定見なく、あっちへついたり、こっちへついたりする節操のない人。 ▽「二股」は内股の意。 「膏薬」は練り薬。 内股に貼はった薬は、歩くうちに左右の足にあちこちつくことからいう。

君等はあの癇癪(かんしゃく)の発作同然のパウロの奴を基督教から追い出す位の程度なら無論出来るさ。それを断行した前人もあるからね。

君等はイエス・キリストを崇高な道徳的人間として取り扱おうとすれば、その通りにも出来るさ。だがね、その場合には、論理の必然的帰結として、折角のイエスの神性なり、彼の救世主としての役割をば当然否定しなければならないことになるよ。

実のところ、世人はこれを幾世紀もなして来たのであった。

即ち、現在でも、英国や米国の所謂基督教徒で、全くそういうユニタリアン又はそれに類したような態度を執るものがあるよ。彼等自ら、それを言明さえしているのだ。

ところが僕はドイツ国民の一人として、そんな生ぬるい中途半端なことは大嫌いなのだ。

我等の衷心から要求するのは、神様が我等の中に在りと直覚し悟りを開き得るような真の拘束なきドイツ国民なのだ。

今更イエスをアリアン人種にするわけにはどうしても行かないね。

かくまで悟って来ると、チェンバレンの説だって、ひいき目にも、何をくどくどと謂っているかと、馬鹿らしく感じて来る位だよ。

大衆の心が再びキリスト教として帰って来ると真に誰かが考えているとすると、それはナンセンスだよ」

ヒトラーの視線は眩しげに見上げているラウシュニングに皮肉たっぷりの様子で落ちた。しかし、ラウシュニングも、ここに至って、平気を装うよりしか外はなかった。

「決して、基督教と言うものは、断じて、我が大衆の心には戻らないと予は敢えて誓うよ。そいつは、もう昔の譚(はなし)さ。牧師先生が、そんな時代錯誤を試みようとすると、自分で自分の墓を掘らなければならなくなるわけだ。その暁には、彼等のみじめな小さい葬式とか結婚とかに関わる仕事や収入が、まるっきり台なしになってしまうかも知れぬよ。

イースター祭なんて、最早、復活祭じゃないよ。それは永遠の我国民の更生を寧ろ意味することになるのだ。

クリスマスとは結局、我等自身の中に在るイエスとは全く違った、もっとドイツ国民としては力強い頼もしい意味を持つ新しい救世主の誕生のこととならなければいかんね。

即ち、僕の言う新しい救世主とは、我が国民の英雄主義及び独立主義の精神そのものを謂うことになるのだよ。

今後、ドイツの教会なり、牧師なりには、こういう民族的信仰を伝えさせねばならぬ。

彼等は、皆、唯々諾々として予の指導に従う外ないよ。それがいやなら彼等自身が勝手に破滅するがいいさ。

ヘッケルやダーウィンゲーテや、ステファン・ジョージは勿論、彼等基督教の預言者たちは、孰れも、そうでなかったかね。

それと同様に彼等はその十字架を我等のスワスティカと喜んで代えるに違いないよ。

最早今後は、彼等の従来の救世主の疾くに死んだつまらない血を崇拝せずして、わがドイツ民族の内部に現実に暖かく通う、いとも貴い純血を崇拝することになるだろう。

予は幸いにしてカトリックであった。それだから、カトリックでなければ洞察し得ぬ教会の弱点をよく承知している。

ビスマルク、彼が偉人であったことを認めはするが、彼はこの点ではえらい手抜かりをしたものじゃった。なぜなら、彼はプロテスタントであったので、教会のからくりを、どうしても、彼の燗眼(らんがん:慧眼)を以てしても、愚かしくも見抜くこと出来なかったのじゃ。

プロテスタントでは、今日でも、如何な賢人でも、教会がどんなものか、解りっこはないのさ。

ビスマルクはただ法律の文句に拘っていただけであった。彼としては、それが関の山であったのじゃ。抜本塞源*(ばっぽんそくげん)的なことはビスマルクには無理じゃったよ。だから、ビスマルクの排猶政策には、時々、緩厳を免れなかったのじゃ。是非もない次第さ。

*抜本塞源:一番もとになる原因を抜きとって、弊害を大もとからなくすこと

カトリック教会は、真にそれ自身尨然(ぼうぜん:巨大なこと)たる本体を持って居るよ。立派な驚歎(驚嘆)すべき組織から成っているよ。何しろ殆ど二千年もあの形体は無事に続いたのだからね。

我等は政治をなすに、カトリックから大いに学ばねばならぬところがあるよ。カトリックの組織の背後には人間性の目から鼻へ抜けたような賢(さか)しさと、知性の結晶があるのだよ。

カトリックの坊さんは流石に、靴のどの辺が痛むか、先刻ご承知なのだから全く恐れ入るよ。

だが、愈々彼等の最後の日が来たんだ。しかも、彼等は、もう、それを知っているんだよ。

カトリックの坊さんは、実に賢い。それだから、是を知らないでいるなんてことは断じてないのだ。彼等は希望のない戦いを挑もうとは最早しないのだ。

第一、あのムッソリーニの鉄腕の下に、ぐうの音も出ないカトリック教会の姿を見るがよい。

僕は出来ればカトリックの仮面を剥ぎ取り赤裸々のところを世間に見せてやりたいと思う位なのだ。

あの今迄のカトリックの一部のナンセンス、利己主義、圧制主義、偽瞞(欺瞞)は暴露されるべきである。

彼等は、今まで、如何に国家から金子を搾り取って来たか? 如何に世界人類の幸福を無視して、その代わりに猶太人と不正な結託をして来たか? 如何にペテンの限りを尽くして来たか? 僕はわが親愛なるドイツ国民に一番手っ取り早くてわかりよいシネマで、いずれそのうち暴露して見せる計画である。」

 

ドイツ民族精神を解し損ったポーランド

一座はそれに対し拍手を一斉にした。ラウシュニングも、自分一人だけそうしないでも居れぬので同じく形式ばかり気のない拍手をして見せて、ヒトラーの演説に応じたかのように装った。彼の母国はドイツ民族の精神を理解できず、今次の大戦の序幕を演じ、忽ち亡国となるに至った。その果敢ない運命をばラウシュニングには到底前以て想到する(想い到る)ことが出来なかった。

「若し自分がそう望んだならば、数年にして教会みたいなものは打破してみせるよ。あれは、最早、内部はうつろで、中心は全く腐りきっているからね。一つ押せば、全体のあの建築は忽ち崩壊してしまうよ。」

ここに至ってヒトラーの意気は愈々昂然として上がって行くのであった。

「だが、今数年間は彼等に死刑猶予を与えてやるつもりだ。教会の奴らは決して馬鹿じゃないからね。」

ヒトラーはここで、その持ち前の侠気(きょうき:弱いものの味方をする男気)を見せたのであった。

 

プロテスタントカトリック

プロテスタントじゃ、教会は一体どんなものか、毛筋程も解りっこないよ。プロテスタントでは、真剣に考え得る程度の宗教的内容が第一欠如しているではないか? また、其方では、一向にローマのような彼等自身を擁護すべき大きな機構と言うものも無いではないか?」

このヒトラーの言は、日本の基督教徒ことに新教の範疇にある信者なり指導者なりに少なからざる反省を促さねばならぬサムシングが大いにあるようだ。

「ドイツの農民はその真の宗教を忘れないでいることは、いつぞや、僕が話した筈だがね。

基督教の伝説が今迄はそいつを厚く脂肪の層で隠蔽していたのだ。だが今やその民族精神が蘇みがえり旺んになったのはドイツ國のために大いに祝すべきことである。

さあ、わが愛すべき誇るべきドイツ国のため、在り合わせのシトロンで乾杯をあげて今晩のところは散会としよう」

皆はそこでドイツ国のために一斉に乾杯をあげた。ゲッベルスは、次にはフューエラーのために乾杯しようと提議した。皆は元気よくそれに和した。

「ハイル・ヒトラー、ハイル・ヒトラー

その声は山荘を勢いよく震撼した。客は悉く新興ドイツの清秋の息吹を、ここにも強く感じてヒトラーの許を辞去(じきょ)した。