筈見一郎著 「猶太禍の世界」09

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第六章 第一次大戦の真因とフラン・マソン(フリーメーソン

キリスト教内部の猶太勢力

今日の国際猶太人の指導階級は最早単なる猶太教の狭くて古い殻の中にのみに閉じ籠っているのは決して得策ではないとし、その最後の怪奇極まる目的なり理想なりを達すべく、その手段を選ばないようになった。否、これは既に古くからそういう傾向になって居ったので、あのジェスイットの東洋布教なんかにも、この目的が潜在していたことは歴史の證明(証明)するとことである。

だから、今日では、猶更、表面上、どんなに猶太教と基督教との間には、犬猿の間柄しか存在しないかのように見えていても、その実、基督教の現在享有している国際的の最大勢力を彼等猶太人は何で見逃すであろうか、疾くの昔から、彼等はその内部組織に様々の方法を用いて散々喰い入って、彼等の本当の勢力をそこに既に扶植してしまっているのである。それが特にプロテスタントに於いて今日では甚だしいように思われる。否、世界のあらゆる宗教、マホメット教やヒンドゥー教その他にも彼等の勢力が最早喰い入っているものとさえ見なければならない。仏教でさえも多少その影響を受けている点がなきにしもあらずである。

 

猶太性に感染した日本の自称史学者

真に純乎(じゅんこ:混じりけがないさま)として清醇玉のような内容を持って居るのは日本の神道あるのみだ。尤も、この日本の神道又は我が国の発祥地をさえも、猶太と結びつけようとした酒井勝軍とか、木村鷹太郎とか其の他四五の不心得の自称史学者がこの日本にもあった。又現にあるようだ。これらの人々は、恐らく意識的ではなかろうが、本人自身もそれと気付かない間に世界的の影響を与えている猶太性に感染してしまったのであろう。これは日本人として大いに警戒しなければならぬ。

皇道日本は世界無比の國體なのである。汚らわしい猶太なんかとは寸毫もそうした意味の高尚らしいものは認められないのだ。皇室の尊い菊の御紋は猶太から始まった形跡があるそれが日本を猶太に結び付け得る一つの証左だと得意然と説く不敬観さえも居るが、それは明らかに時代錯誤を犯しているのである。

彼等は後鳥羽上皇の頃から日本皇室の菊の御紋御使用が始まったことを露知らず、あんな迷論を吐くのである。これは固より真面目に相手にする価値のあるものではないが、うっかり、そういう違見に迷わされるような日本人があってはならないから爰(ここ)に一寸老婆心を以て書き添えて置く次第である。

元来、日本人外来説すら違っている。一寸と(ちょっと)した言語の偶然の類似から日本人を馬來(マレー)人種と同一視するが如き議論が一部の史学者に行われていたことがあったから、こんな名論卓説が我が物顔に行われるのだ、実に歎(なげか)わしい次第ではあるまいか。

 

猶太と日本の戦い

それは偖て措いて(さておいて)実際、基督教の隠然たる国際的の団結力と布教力とは、ますます猶太人に利用されて行く傾向が今日において甚だしい。あの英国のカンタベリー大僧正は日支事変に際して如何なる暴言を日本に対して吐いたか? 英国の教会における猶太の勢力の浸潤と言うものは実に想像にあまるものがあるのだ。

それも彼等は、背後のマソンの勢力に操られていたからだ。

ドイツのアルフレッド・ストッス少佐の如きは、その著『猶太と日本との戦い』で、この問題に触れており、国際猶太人はその世界支配の目的野望を達成せんがために、単に英米の基督教のみならず、ローマ旧教にも喰い入り、彼等の世界的支配力を遺憾なく利用して、所謂基督マソン的な世界支配体制と雁行(がんこう)して、両々相応じて、その物凄い計画を是が非でも遂行せずしては止まないとまで指摘しているのである。

 

フォードの猶太観

アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは誰の耳にも熟している人だ。この人は、反猶太主義の急先鋒と認められる人物であるが、その著『世界の猶太組織』の中でこう言っている。

若し基督教会のあらゆる神学校のライブラリー(図書室)に、既往十五ヶ年間のアメリカに出た限りの在米猶太人の文献と言う文献が、すべて備え付けられ、神学生が、それらを読むように要望されたとすれば、アメリカ合衆国の教会への猶太的宣伝にとって、これほど棚ぼた同然なうまい話はなく、また、その実現は洵(まこと)に易々たるものだ。

いやそれ処か、次の四分の一世紀の間には、あらゆる神学校が、近代猶太人の影響とプロトコールとの研究講座を設ける必要に迫られるだろう。猶太人がモーゼの律法に忠実な旧約の民であると言うお伽噺(おとぎばなし)同然なお話は、その時に至ってこそ打破されなければならなくなる。

そうして臆病な基督教徒さえも、彼の「われ、汝らを祝福するものを祝福し、呪詛するものを呪詛せん」と言う一章の誤解とやらを去り、猶太人のことは口だにしないと言う迷信を棄て去らなければならなくなる。勢い、そうなると、牧師は新約の所謂猶太の恐怖とやらから教会を解放する使命をば否でも応でも負わされるだろう。否、牧師は、亦、猶太とイスラエルが同義語であるとの誤謬とやらから、教会を解放する使命をさえ、そうなると、結局、負わされるに違いない。

聖書の誤読から、猶太とイスラエルとの混同が起こり、イスラエル人と言う言葉を悉く猶太人を意味する言葉に今では一般に解釈されているが、そういう混乱はなくなるであろう。(!!)教会内の猶太勢力の根源を究めようとする牧師には、所謂ドイツ(?)の聖書高等批評家の学説を知らせ、それらの人々の人種が実は猶太人なることを考えさせるがよかろう。

それに、あの無神論者で金箔付きの猶太人であるフランス人? を加えたならば、何人も近世の自由主義の源流を完全に知り得るようになるだろう。即ち、ヴェルハウゼン、シュトラウスエヴァルト、キュウネ、ヒッツィヒ、ルナンの手合いの何たるかを知りさえすれば。

このフォードの言説は多大の示唆を投げかけている。尤も彼の猶太とイスラエルとは別だとの主張には、却って、飛んでもない誤謬が横たわっていると思う。これはフォードが基督教徒である立場から生じた気やすめの意見に過ぎないと、我等は寧ろ軽くその行き過ぎをば見逃すがよいであろう。

 

ルーデンドルフと猶太禍

ドイツのルーデンドルフ将軍は次の如くその『国家総力戦』で謂っている。

基督教を信じている国民は、あの政府と国民との結合、国民と軍隊との結合、並びに全体の形を以てする国民生活を基調とする固有の信仰を持って居る日本国民の如き幸福な境遇に置かれているものは一つもない有様である。抑も基督の教義は我等ドイツの民族的伝統とは、甚だしくその根本精神が排馳していて、ドイツ国民の伝統を絶ち切り、固有の精神的団結力を奪ってドイツ民族の抵抗力をば皆無にしようとしているものである。

元来、猶太人や基督教会は、民族の血統を全然絶やさせることは出来ないので、止むを得ず、各国民の民族的をある程度まで認めてはいるが、他方では、それを利用して各国民をばお互いに反目嫉視させるように仕向けているのである。

でも、これがために、各国家の中にいる個人へ及ぼす基督教の効果には別段変わりはなく、それは依然有害であるのを免れない。即ち、基督教の教義そのものに従えば、結局、猶太民族のみが、自分の民族の欲するままの生活を許されているわけになるからである。

予が、この由々しい一大事を認識したのは、世界大戦で、ドイツ国民の死活を制する戦争に臨み、どうして、猶太人やローマ教会が、ドイツ国民の団結を破壊することが出来たのであろうかを検討これ努めた結果であり、他方、戦争そのものの経験に基づき、歴史の典拠並びに聖書自体の研究をば一層深刻にやり遂げた結果なのであって、実際、聖書の明文の中には、猶太人の目的と宣伝の方法を教える基督教義があまりに露骨に現れている。(著者註、本書の第二章をさらに参照熟読せば、このルーデンドルフの意見の当たれることが一層よく判然するであろう)

以上の真剣な検討で気付くことは、全く世界共和国又は基督教国家(勿論猶太式の)の建設を目的とする猶太人及びローマ教の努力に於いて、基督教それ自身こそは、やがて、各国民の特性を奪うのみか、その国民間に彼等に好適な宣伝を果たすのを何よりの使命としている点である。

旧約聖書は猶太民族の神であり且つ基督教徒の世界神とも認めるべきエホバの選民であるところの猶太民族に対する各国民支配への指標と、その目的達成の方法とを率直に明示し、この教は、またローマ法王がそのまま取って、その宗教的支配を正当づけ、これを行使するために、恰もそれが神意を出たかのように示すのに用いられている。

このルーデンドルフの意見は、取りも直さず、現在のヒトラー自身の意見をそのまま既に代弁していたのであった。

尤も、現在のローマン・カトリックに於いては、ムッソリーニのイタリア全体主義の非常な勢力が自然働きかけている関係上、反猶勢力と言うものは意外に澎湃(ほうはい:盛んな勢いで盛り上がるさま)としてその内部に高まっている。

その点は、大いに意を強うせねばならない。しかし英米プロテスタントには、却々(なかなか)、それどころか、一層熾烈に親猶主義が蔓延しようとしている。否、英米の新教のチャーチは最早猶太人によりて、すっかり乗っ取られているといっても過言ではあるまい。

 

フラン・マソンの潜勢力

それなら、それは如何なる方法によってかと言うと、猶太マソンの勢力を通じてである。フラン・マソンはこの意味に於いて、その全組織中に必然的に非猶太人を夥しく包容しているとはいえ、それ自身、人為的ユダヤ人と称せられている。

仏国の如きは、その左右両翼の政党とも巧みにこの猶太式フラン・マソンの蚕食に遭い、すっかり、マソンの勢力で固められ、殊更、内訌(内紛)など起こさしたりして、遂に、手もなく独伊の鋭鋒の下に無条件の降伏を敢えてしなければならぬ運命を見るに至ったのである。

 

猶太人アンドレ・モーロワ*(原典はモーロア)

それで、あの猶太人のアンドレ・モーロワの如きは『フランス敗れたり』と言う書を颯爽(さっそう)として著わし、その持ち前の猶太人的気味の悪い怪笑をニタリとその蔭に洩らしたのであった。モーロワの如き輩には、勿論、フランスに対する愛国心などは微塵もないのである。彼の『英國史』の如きも、猶太人の立場から書いたものであって、真実の英國史とは言えない。あれには、マコーレーの『英國史』に見られるような英国固有の民族主義が熾烈に要求するであろうところの気魄などは全然見受けられない。平気で殺風景な自由主義のジユウ(猶太)的精神が低劣に流れているだけである。

私はあの本を読んで、そのあまりにコスモポリタンで、一向に真実の英国国民の姿を捉えて居らぬのに驚き呆れた。殆ど何の感興も起こさぬこんな本が活字になって多少でも読者があったとはどうしても解せられなかった。強いてその長所を言えば、流石は彼がジュウであるだけクロムウェルを従来とは多少違った角度からスケッチしている点であろう。しかし、私には彼のクロンウェル観にはどうしても同意が出来兼ねる箇処がある。英国の歴史を如実に活写しているのは、何といっても、時代こそ古けれ、マコーレーの『英國史』であろう。私は青年時代にそれを通読し、一種のマナリズム(マンネリズム)を免れないとは言えその驚く可く華々しいスタイル、その奔馬空を行くような豊かな想像力、時流を抜くよく透徹した彼一流の史眼、その燃え上がるような民族精神、歴史の本当の書き方は、これでなくてはと、大いに敬意を払ったことがある。

私は一日も早く、英国の国民が挙って、こうした健全で溌剌(はつらつ)たる彼ら自身を発見する民族精神に復(かえ)らんことを希望してやまない。若し、現在のようなマソンの魔手に躍り、猶太の財閥の頤使(いし:威張って人をあごで使うこと)に何処までも甘んずるような英国であったならばただもう永久に亡国の憾(うら)みを喞つ(かこつ)に至る外はないだろう。独伊の今、英国と戦っているのは、この意味で、英国民の真の更生を促す救世の手段であると解釈し得るであろう。

哲人は達観するとは、よく謂ったものである、猶太のデモクラシーの中毒を完全に受けている憐れむべき英国民も、孰れ近いうちに、カーライルのあの『英雄及び英雄崇拝』の精神に復帰し、より力強いジョン・ブルの本然の姿に戻るであろう。しかし、その必然の過程として、ヒトラーの益々猛烈に浴びせるであろうところの戦火の洗礼を十二分に受けなくては、そうした更生がどうしても出来ぬのは、蓋し亦やむを得ない彼ら英国民の運命でもあろう。それは恐らく彼等の不心得千万の為政者それを蔭から操る財閥の永年犯し続けた罪に対する宿業の致す所であって、今更、詮方(せんかた)ないことであろう。

 

フラン・マソンの意義と歴史

さて斯くも恐ろしい影響を国際的に与えている仏語で、フラン・マソン、英語でフリー・メーソン、ドイツ語ではフライ・マウレライと呼ばれる秘密結社なるものは、元来、どういうものかと言うと、最初は、左官、石工、大工などの共済乃至博愛を目的とする組合を言うのであって、その棟梁(メートル)に当たるものが、建築とか土木とかの職業上の秘密をその徒弟或いは職人に伝授することより始められたのである。

この古い職工本位のフリー・メーソンの歴史と謂えば、随って、少なくとも、十世紀の昔にまで遡り得るわけである。中には、こうしたマソンは夐(はる)かに遠くソロモンの殿堂を建てた石工が組織したのに始まるとか、或いはローマの建築組合に起源があるとか、但しは十字軍時代の聖堂騎士団の名残だとか称するものもある。併し現存しているもっとも古い証拠は、西暦九三六年の英国でこの種の結社集会の記録であろう。

これらは、英国やスコットランドの外、ドイツでも相当隆盛を極めたものであったが、その後、土木建築術の衰退と共に、いつしか、この種の職工組合と言うものは衰えて行った。そこで、一七一七年(日本の享保二年)、ロンドン並びにウェストミンスターにあった四つの由緒の古いフリー・メーソン組合の如きは、遂に合同して一個の大きい組合を形成し、同年六月二十四日のセント・ヨハネスの洗礼日に大饗宴を催し、一人の大棟梁(この大棟梁は英語でグランド・マスター、フランス語でグラン・メートルと呼ぶ)を選挙し、それと一緒に、幾人かの学者、神学者などの後援を依頼することとして、組合そのものの儀式とか憲法とかを集大成するに至った。これには、勿論、古来の伝統的メーソンの紋章とか、秘密にされた合図即ちその記号、言葉、ゼスチャーなどが、神話的に伝えられたまま、保存されたわけであって、それらが、今日まで相変わらず伝承されているのである。この規約は一七二二年に印刷され、今日、全世界に広がっている、あらゆるマソンの約款の基準ともなっている。実にフリー・メーソンが、秘密結社の組織となったのは、この時からであった。

この結社員の第一の義務は服従であった。結社員はその民族および信仰の如何に拘らず、飽くまで、善良であり、忠実を期し、名誉を重んじ、公明正大でなければならぬと言う信条が、何より大切だとされた。

この信条からして、結局、結社員たるものは、全人類の一致する宗教を信奉しなければならぬということを強調するに至った。これは頗(すこぶ)る注目すべき、マソン自身の精神的霊的統一の企図であった。

それで、組合なるものは、これを転機として、単に石工等を中心とする建築方面の職工のみならず、何ら、往時の組合員の本業とは何らの関係のない人々をすら、その組合員として受け入れると言う、フリー・メーソン自身の内容の変化すらいつしか遂げるに至ったのであった。即ち古の単なる職工メーソンから、ずっと広い意味合いの精神的メーソンとなったのであった。

同時にいつの間にか、このメーソンが猶太人そのものの機関同然となってしまった。智、真理、愛とかを行いの規範として、唯一絶対無限の神を信じ、組合員各自の品性を陶冶(とうや)し、引いては、社会なり国家なりを真善美のユートピア(理想郷)にまで改善しようと殊勝らしく唱えているのであるが、それは、その組合員中に普(あまね)く非猶太人を吸引しようとするカムフラージュに過ぎないこと勿論である。否、それどころか、フリー・メーソン自身に直接の不利を来たさない限りは、結社員は、一定の約束された前提の外なれば、謀叛及び革命を煽動し得る権利あることを規約命令しているのであるから驚かざるを得ない。

一八七五年(フランス共和国憲法が制定された年、我が明治八年のこと)ロンドンで発行される結社の機関新聞の『フリー・メーソン・クロニクル』には次のような記事が掲げられた。

若し、我ら結社員が、フリー・メーソンなるものは、どんな事情に置かれても、悪政府に対し、武器を取って反抗してはならないと言うのであるならば、結社員自身の最高にして最も神聖であるべき筈の市民としての責務をば破棄することになるではないか。

謀叛は、ある場合に於いては、一つの神聖な義務である。

こういう不逞な目的を有しているフリー・メーソンは、特に各国の猶太人の歓迎するところとなり、時日を追うて、驚くべき迅速な発達を遂げるようになり、忽ち全欧州に行き亘るような勢いを示し、すべての國の首府には大組合が続々創設されるようになった。ところが、何分、既に述べたように、謀叛の権利を行使するも辞せずと言う規約があり、しかも、それを頻々(ひんぴん:しきりに)と実行するに至ったため、いずれの国家でも治安維持上、これを圧迫又は禁止するに至った。

たとえば、ナポリ(一七三一年)ポーランド(一七三四年、後再建され、一七三八年再び禁遏(きんあつ:禁止)を見る)、オランダ(一七三五年、その後許さる)、フランス(一七三七年、その後許さる)、ローマ法王庁(一七三八年)など、それぞれ創立されるや否や禁止されるの運命を見た。現在、フリー・メーソンは、ドイツ、イタリア、ハンガリーポルトガル等では、格別、峻烈な弾圧が加えられていることは、読者周知の通りである。

オーストリアの如きは、フリー・メーソンは、一七九四年以来禁ぜられており、これを犯すものは、結党罪に問われて来たが、それでも、何分、秘密結社のこととて、政府の耳目を掠(かす)めて、組合が益々増加するの有様であったが、最近のアンシュルス(独墺統合)以後はそれらが全く屏息(息を殺してじっとすること)解散するに至ったらしい。何となれば、それらの結社の骨子をなす猶太人のオーストリア居住それ自身が事実上不可能となったからである。だが、これらマソンの新規会員への呼びかけは却々(なかなか)に美しい言葉を以てするのである。

曰く、「結社員たらんとする者は、高尚なる思想を持し、自覚して、人類の使命を果すために努力すべし」と。

フリー・メーソンの結社員自身から言えば、フリー・メーソンなるものは、別段、秘密結社ではなく、単に公開されて居らない結社であって、彼等の秘密としているのは、その記号とか儀式とかの類だと主張するに違いない。フリー・メーソンの地方支部又は集会所をば、通常、ロッジと名付ける。それが合したものが、グランド・ロッジであって、それが、全世界に普及、統一的に各国へ号令するの組織となっているのである。結社員たるものは沈黙の宣誓を、先ず、しなければならない。元来、フリー・メーソンの記号の大部分と言うものは、結社員がこの沈黙の誓いを破った場合に受けるべき重い罰を思い出させるようなものばかりだ。例せば、そうした記号のあるものは、斬首とか、心臓摘出とか、腹部切開とかを意味しているのだ。その他はしかるべく類推すべきである。

フリー・メーソンの公用語、象徴や儀式を吟味すれば殆ど猶太的起源を有していることを何人も発見するだろう。しかも、それらの多くは、旧約のソロモンの殿堂建立に関する記事から引用されたものだ。例せば、メーソンの象徴でも、殊に大切なものと認められている「ヤビンの柱*」とか、「ポアズの柱(ソロモン神殿の正面の2本の柱のうちの一つ)」とかは、慥かにそれに由来している。

*ヤビンは旧約聖書ヨシュア記に出て来る猶太に対抗したパレスチナの王の名、ヤビンの柱については不明?

殊にフリー・メーソンの中でも、世界的に勢力を伸ばしていて、嘗ては日本へも働きかけたと言われる、あのスコットランド系統のメーソンの儀式に於いては、その公文書の期日は全部ヘブライ語の月日を用い、年号の唱え方さえも猶太的なものを採用し、その書き方は、サマリア系又はフェニキア系のヘブライの文学に基づいているのであるから驚くではないか。

 

マソンと猶太関係濃化

フランス大革命以降には、フランスに於いてのフリー・メーソンと猶太人との関係は一層濃厚で密接なものとなった。そのフランスに於ける一大分派である大東社(グラン・トリアン)の最高会議では一八六八年乃至一八八十年に亘って、猶太人アドルフ・クレミュー(Adolf Cremieu)をば、その首領と仰いだことだけでも、大凡(おおよそ)その模様は知れよう。

尤もドイツでは長い間、猶太人がロッジの会員たることを禁ぜられていた。これに関し、一八三六年(我が天保七年)に、アムステルダムのロッジから、ドイツのグランド・ロッジに対し、なぜ、前者に属した猶太人の会員を受け容れないのかと抗議したことさえもあった。だが一八四四年には名実ともに猶太人の加入を許すようになり、その後は間もなく猶太人が専ら重要な地位を壟断(壟断:独り占め)するに至った。

英国では、猶太人が最初から何より幅が利き、猶太人結社員のみの多数のロッジさえあり、その他、普通のロッジでも猶太人は大手を振ってその会員になっている有様である。しかも、その会員でも却々(なかなか)重要な階級に上っている者が多い。

 

なぜ英国ではマソンが危険視されぬか

英国では、他の國とは違って、マソンは別にその国家の利益と背馳(はいち)した行為には出ないが他の国家に対しては如何なる陰謀も術策も施すに躊躇しない危険な存在である。その理由は至って簡単である。何となれば今の英国と言うものは猶太人の治めている国家であると殆ど称しても差支えないからである。事実、英国は、オランダのアムステルダムを中心として活躍して居た猶太人が、ロンドンを占領し、海賊王朝をまんまと乗っ取ることによって、始めて、その七つの海に君臨する日没せざる世界帝国へと発展することが出来たからである。

現在のグレート・ブリテンなるものは、彼のクロンウェルの革命以来濃厚に猶太色を呈したのみならず、又それから四十七年経って、ウィリアム・オレンジ公が例のロンドン入りをなしたことによって、即ち一六八九年(我が貞享二年)以来と言うものは、全くその政権は猶太化するに至ったと言うも差支えない処へ、剰(おま)けに現在、事実上、王様或いは皇帝陛下なるものは単にイギリス王国又は帝国の所謂、立法政体に於いては、表面上の機関であるに過ぎず、即ち、王政乃至帝政なるものは名義丈に過ぎないので、その実、猶太共和国も同然であるから、いくら猶太人だって、既に自己のものであるものを殊更顛覆(てんぷく)する様な愚挙には出る筈がないからである。

*しかし、猶太人の財力の中心がアメリカに移るにつれて、英国は無用となりつつあり、徐々に見放されるようになってきた。それが英国の20世紀の偽らざる歴史であろう。―燈照隅

嘗て、我が国の憲法学者で、こういう本質的な英国の國體乃至政体の成り立ちを一向に辨えず、英国の憲法論をそのまま直訳して我が宇内(うだい:世界)に比類のない尊い國體なり政体なりをよく承知せず天皇機関説を主張したものがあったのは、今から顧みれば洵(まこと)に申すも畏れ多き次第であった。現在では、そのような邪説僻見(偏見)と言うものは全く粉砕され、妖雲(よううん)がすっかり晴れ、赫々(かくかく)たる一点曇りなき太陽が我が至重至貴な國體の上に照り輝き、我が皇道は愈々神武天皇以来の国是となっている八紘一宇の大理念を世界に拡充せんとしつつあるのは我ら大日本国民の最も意を強くしなければならぬ欣快(きんかい:喜ばしいこと)事である。

元来、英国は一二九〇年(我が伏見天皇の正庁二年)エドワード二世時代に、ユダヤ人追放を行って以来、約四百年と言うものは猶太禍と言うものを全く知らなかったのであった。

ところが、あのクロンウェルが一六四二年(寛永一九年)に叛旗を翻し、革命を企てた時以後、十六世紀末から、オランダ、ポーランドポルトガルなどの国籍を装った猶太の商人が、続々と英国の商界乃至財界に侵入し、クロンウェルの清教徒を表看板とする猶太マソン的存在(「清教徒ヘブライ主義から出たものである」と猶太人の歴史家のヒヤムソンが断言している)を一層強化し、英国を挙げて、遂に猶太人の前に殆ど全てのものを捧げるを余儀なくされたのであった。