筈見一郎著 「猶太禍の世界」02

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  階級には健全な区別を設けよ(猶太式ブルジョワは無用の長物)

ブルジョアジーの演ずる役目はもうお終いになったよ。永久におさらばだ。蛙の表皮を剥いた骸(むくろ)に電流を通じて、それが暫くの間死んだ筋肉をいくら動かしたからとて、そんなものにだまされちゃいかん。だが、今日の上層階級でも苟も健全な純乎たる(純粋な)分子に至りては、余はそれを撲滅しようとは決して考えて居らぬ。そういうのは却って助長して行く方針でさえある。そればかりか新たな上層階級を大いに創造する必要さえ感じている。そいつは実力による闘いによって適宜選択して行くより外はない。だが此処に重大な誤解を防ぎたい。マルキシストのように労働者が新しい主要な社会的勢力たるべきユンケルス*(貴公子)の地位を奪うなんてことを容認する考えは絶対にない。政治的見地から見ても今日の労働者に端的にそのような地位を与えることは、単なる貴族やブルジョアジーにそうした地位を与えるのと同じく、消え去ろうとしている古い意味の社会的階級の余波が依然たゆたって残っているに過ぎないから到底問題にはならない。余は社会に新しい中堅の階級をさえ設けようとしているのだ。これなくしては折角の我が国家社会主義の国家も健全たるを得ないこと勿論だ。凡ゆる異なった要素を含むあの歴史的な実力で鍛えられた紳士階級も同じく必要だ。ナチスの党員は勿論新しい中堅階級の一つに居るべきものだ。こうした中流階級の下には最大多数の大衆の階級があるべきで、それが集団的に国家のために奉公すべきもので、この中に在来の旧き意味のブルジョアジー、地主階級、労働者、或いは独立の生計を営む商工業者などが当然含まれるべきものである。これらの点独逸の国家社会主義は実質に於いて猶太性を持った共産主義とか、民主主義とか自由主義とかとは大いに趣を異にするのだ。」宰相の言々句々は益々熱を帯びて行く。一座のものは水を打ったように粛として、しわぶき(咳)一つしないでそれを傾聴する。

 *ユンケルスとは、ドイツの領主(地主)貴族のこと。

猶太式の教育は駄目だ

「無暗矢鱈に人を選ばずして教育を平等に施したのは猶太性自由主義の自滅の手段とさえ図らずもなった。教育には実力に応じて総統の隔たりや差などを設けるのが当然である。単に知識があればとて、それだけでは、直接何も世渡りの手段とはならない。それぞれ自己の力にふさわしい実行や応用が出来なくては時と勢力の浪費だ。国家自身の損失は金銭などでは計られない。大衆には大衆に相応した教育だけを授ければよいではないか。其方が大衆自身も要らぬ苦しみをせず却って幸福だ。それだけ早く世の中に活動出来るからである。」

このヒットラーの深く実際に即した教育論は、どこやらの國の青年子女の多くに三斗の冷水を浴びせかけるものだ。能ある者もなき者も、狭き門へと、ひしめき合って、一旦、入学して仕舞えば、もう占めたものだと安心してしまって御座なりの勉強しかしない。それを指導する先生も至って熱のない十年一日のようなノートを読み上げる講義だけをする。学生はただペンを走らせる器械でしかあり得なく試験前になって急にそれを棒暗記する。これを大学を卒業した。カレッジを終えたと称する。こんな先生、こんな生徒を莫大な国費又は公費を賄って養成する。そんなユニヴァーシティーやカレッジが国内到るところにある。それを大学教育又は高等教育が普及したと称する。これは猶太製の『でも暮らし』の余弊の最も甚だしいものである。全体主義にありては、こんな御座なりの教育を絶対に排除するのである。誰か、猶太禍が、こんなところにもおよび、一時はデモクラシイの美名の下に、世界各国のもっともっと健全で有用であるべき国民教育を殊更委縮させ行き詰まらせていたのを、これより先、洞察し得たものがあろうか。

ヒットラーはこういう有名無実な大学教育高等教育を、その何より熱愛する独逸大衆のために先ず廃絶せねばならぬと言う剴切(がいせつ:適切)極まる意見をここに吐いたのであった。ヒットラーは愈々熱して、その異常な力に充ちた拳をば自分の胸に再三擬して、その卓越した論旨を進めた。

「一国最高の教育を何らの拘束なく選択し得るのは、国家社会における我も斯く信じ人も左様に許すなる秀れた真の国の精華と認められる分子のみの特権であるべきである。彼のアメリカに見受けられる生半可な知識を振り廻す労働者による自縄自縛の現象も、国家の手によって教育に真の選択がないから始まるのだ。英仏その他の労働者だって、畢竟(ひっきょう:結局)、この亜流たるを免れない。殊に今日のフランスが、何か大きい問題にぶつかったり、いざ緩急と言う場合にも、国内にいらざる意見の対立を来たし、ややもすれば、挙国一致たらざる傾向あり、その本来の独逸に優るとも劣るまじき優秀さを発揮し得ないのは、その原因に色々あろうが、その一つは慥かにこの教育の選択に失敗しているからだ。デモクラシーの余弊はここに至って極まれりというべしだ。」

ヒットラーは昂然とその眉を挙げた。この信条に基づき、彼の胸にはヒットラー・ユーゲントの計画其他ナチス独特の教育施設の目論見が徐々に実行に突入すべく熱しかけていた。

一九三三年の七月十四日にはヒットラーは斯くてナチス党をば法律的にドイツの最も須要な中堅たらしめるのに成功した。在来存した大小の政党の息の根を全く止めてしまった。独逸で合法的な政党はナチス党より外無くなってしまった。