世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)13

三 反猶太主義は米國に生ぜんとす(生じようとしている)               

扨て米国に於てアンチセミティズムは以上の中如何なる形をとって現われて来るのであろうか、兎に角猶太人の大衆を排斥する様な形式を取らないことだけは確実であって、寧ろ群衆行動は却って猶太人自身の側に存在して居る、即ち非猶太人の各個人に対し、若しくは公衆の注意を猶太問題に向けようとするあらゆる行為に対しては、猶太人は一致団結して衆の力を以て之に向かって来るのである。

(1)反猶太主義は米国に現われん(現れるだろう)

アンチセミティズムはアメリカにも軈て(やがて)は来るであろう。この精神運動及び思想は地球を漸次西進する、この西進の法則に従ってアメリカにも必ず来るであろうと思う。

彼のパレスチナは猶太人が最も久しく居住した所で、現在もその数は中々多数である。此のパレスチナの北方に於てはアンチセミティズムが明瞭に存在し而も中々きわどい所まで突き進んで居る。その西方ドイツに於てはアンチセミティズムは同様に明確なる形をとるが、併し其の力及び強度は未だ革命を齎(もたら)すには不十分であった。更に西方に進んで英國に於てはアンチセミティズムは認め得るほどになって居るが、元来英國居住の猶太人の数が比較的少数であること及び彼等が支配階級と緊密なる関係にある等の結果、英國のアンチセミティズムは寧ろ感情上のアンチセミティズム位の程度で未だ運動としては存して居ない。合衆國にあってはアンチセミティズムは未だ判然と輪郭を明らかにしては居ない、併しある程度の不安を惹起して居り且つ一問題となって居る。

アメリカに於ける猶太問題は、切実になりつつあるから、凡そ具眼(ぐがん)の士は猶太人の短見者流の反対等に拘泥することなく、諸外國の如き禍を未然に防止することを心掛けねばならない。そしてこの問題を根本自政党に見解し、永久の解決に必要なる根本的の材料を諸外國に供給することはこれアメリカの公然義務である。然らば之が為に如何にすべきか、唯々次の如くするより外に策はないのである、即ち従来諸民族が苦しみの本源に触れることなく悩んだ状態を悉く解剖分解し、極めて公明正大に論究するより外に此の目的を達する方法がないのである。

(2)米國に猶太問題の生ずる原因

何故に猶太問題がアメリカに於て重要な問題となって居るかと言う第二の理由は猶太人が計画的に大挙アメリカに流れ込んでくるからである。此れは単に人間が這入って来るばかりと考えてはならない、思想も共に這入って来ると考える必要がある。抑々猶太人は其の内心に於て、非猶太人に就いて如何なる観念を持って居るか、従来猶太人の著者中一人もこれを大観して完全に説述したものはいない。

併し猶太人は恐らく将来も斯様な説明は為さないであろう、何故ならば若し猶太人にして極めて厳正に何の遠慮もなく、事実に立脚して之を論述するならば、其のものは必ずや猶太民族から烈しく排斥されるからである。

扨てこれらの入國者は非猶太人を祖先伝来の仇敵と見做して居るものである -彼等にして見れば斯う思うだけの相当な理由があるであろう。 -そしてこの観念に基づいて猶太人自身の行動を律すべきものと信じて居るのである。そして此の入國者は如何にも孤立無援の様に見えるが、事実は決してそうではない。例えばポーランドに於て猶太人は、大戦間非常に虐待され、其の所有品は何一つ残らぬ迄没収されてしまったという。然るにポーランドにあるアメリカ領事館には日々数百名の猶太人が、アメリ渡航の手続きをしに来たのであった。即ち彼等は斯程虐待され、何一つ残らぬ迄に奪われたのであるから、ちょっと考えれば非常に苦悩と貧窮のどん底に陥っている様にも見える。然るに豈計らんや彼等は斯かる長途の旅行を企て且つ移住を為し得るのである。斯様に多数のものが旅行するということは、他の國民の到底為し得ざる所で、ただ猶太人のみが行い得る所である。吾人は彼等が喜捨や施しや其の他これに類似の慈悲事業を頼って居るものでないことをも知って居る、猶太人の生活と言う船は他の諸民族の船が難船する様な嵐の場合にも依然として浮かんでいるのである。猶太人は能くこれを承知して居る、そして之を喜んで居る。併し彼等が渡米の時に於ても矢張り彼等が以前の住地に於て、其の地の人々に対して抱いて居ったと同様彼等独特の感情を抱きつつ移住するのである。彼等は名簿には露國とかポーランド人とかその他の某國人となって居る、併し彼等は立派な猶太人である。

以上斯の如く述べたからと言って是は決して人種的偏見ではないのである。

(3)猶太問題の中心

嘗て欧州で蔓延した思想も、アメリカに到れば必ず変化したものである。自由の思想、政治の思想、戦争の思想等皆然りである。さればアンチセミティズムに於ても亦同様米国に於て変化するであろう。猶太問題の中心はアメリカたるべく、又吾人が慎重に行動し且つ敢て此の問題に畏縮する様なことがないならば、此の問題はアメリカに於て解決されるであろう。ある猶太人記者が先頃次の様な意見を発表した、「猶太人と言えば現今主としてアメリカの猶太人のことである…過去の猶太人の中心は悉く大戦間に破壊され、今では猶太人の中心はアメリカに移って居る」と。此の点から観察すると猶太問題は米人が欲し様が欲しまいが、純然たるアメリカの問題となって居るのである。然らばこの問題は如何なる経路を取るであろうか?要は米人の行動如何に因るのである。第一の現象は、恐らく猶太人の経済的成功に対する不快の表現であろう、就中経済的成功を贏(か)ち得る要素たる所の猶太人の団結ということに対する不快の表現であろう米國國民は彼のモルモン教のことをある程度知って居る、モルモン教モルモン教を奉ぜざる米人の間にあって如何なる状態となったか、遂にはモルモン教は退散したのだ。即ちイスラエル人も亦同様にエジプトに帰り、その人民を征服するべきであろう。

(4)偏見と煽動

アンチセミティズムの表われる第二の形は、疑いもなく偏見と煽動に於て現出するのである。アメリカの國民が斯かる態度に出るのも固より無理からぬ点もある、併し國民と言う多数の者が、悉く常に真に理性の儘に動くとは言えない。猶太人も非猶太人が偏見を以て居ると認めている。又非猶太人も同様に猶太人が偏見を持つと認めて居る。お互いに斯う偏見を持って居ると言うのであるから、従って両者に取っては誠に遺憾の極みだが、此の偏見は頗る激烈な形をとって現われることがないとも言えない。何となれば偏見を持つ者も、持たれる者も、共に精神に蟠まり(わだかまり)があり、濶然たる気分(広い心)を持たないからである。

(5)正義の反動

此の点について吾人は、アメリカ人の誇りとする正義と言う観念に俟つことが出来ると信じるものである。此の正義と言う観念から見れば、恐らく斯様な問題はアメリカ人の精神を以てすれば訳なく解決がつくことであろうと思う。元来アメリカ人の怨恨を招いた様な諸現象も、此の特性たる正義的観念の御蔭で常に緩和されて居った。感情の儘に動くと言う様なことは、アメリカに於ては決して長くは続かないことであって、直ぐに理性及び徳義上の判断と言う反動がやって来るからである。アメリカ魂なるものは、各人に対して敵意を起こした儘、何時までも敵意を棄てないという様なことは嘗てなかった、されば此の問題に対しても、アメリカ人は探りの針をさらに深く突っ込むであろう、即ち理性を以て十分に此の問題を研究するであろう。斯の如き態度は、既に英國に於ても亦アメリカに於ても事実看取し得る所であって、アメリカ人の特性は人が正道を進みさえすれば何時までもその人を非難することなく、さらりと忘れてしまうという点にある。

先ずアメリカ人は探り針を以て禍根を探索する、そしてその後には斯くして得たる事実を考査し、その結果迷宮を開く鍵は発見されるのだ。ちょうど地中の暗がりから根を引き出して太陽に当て枯死させる様に、総ての紛糾の禍根を明らかにし之を死滅させるのである。その次には猶太人自身をして事件の整理に配慮する様に仕向けるのである。固より猶太人は彼等の特性を棄てる必要はない、又彼等の事業力を委縮させるにも当たらない、彼等の光輝を鈍らすこともいらない - 併し彼等は斯様な力を悉く今までにも増して更に清純なる運河に向かって注ぐ様に、自らを指導しなければいけない。斯くしてこそ彼等は優越支配権を要求しても差し支えなく、又要求し得る資格あるものとなるのである。

吾人は猶太人を根絶させ様とは思わない、併し彼等が従来人類社會を苦しめた様なことを将来も為すことは断じて許さぬ所である。

猶太人は組織によって利益を独占している、併し此の組織は其の内容其のものを完全しなければならないものだ。従って世界に於ける彼等特有の地位を正当に確保しようとするためには、彼ら自らを変更し且つ高尚なる目的に向かって進む様にしなければならないと思う。

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