ドイツ悪玉論の神話012

パリ講和会議での猶太人

戦後のパリ講和会議における猶太人の影響力の程度については、今日余り知られていないが、実のところ、世界中から猶太人が集まって来たのだ。ロシア、東欧、フランス、そして特に米英から来た。英國からは、とりわけ、ウォルター・ロスチャイルド卿、ライオネル・ド・ロスチャイルド、ハイム・ヴァイツマン、ルシアン・ウルフ、モーゼス・モンテフィオリ、ナフム・ソコロフ、ジュリアス・カーン、シルヴァイン・リーヴァイ、M・ビガーなどが参加した。

米國からは、とりわけ、ラビ・シュテファン・ワイズ、フェリックス・フランクファーター、オスカー・ストラウス、最高裁判事ルイス・ブランダイス、ウォルター・リップマン、歴史家のシモン・ドゥブノフ、ハリー・フリーデンワルト、ジェイコブ・デ ハイス、メアリー・フェルス、ルイス・ロビソン、バーナード・フレクスナー、フィラデルフィアの判事、ジュリアン・マックなど、更に、1918年にパリ講和会議の為に特設したアメリカ猶太会議のメンバーとして10人が参加した。

フランスからは、1860年にパリを拠点に設立された國際猶太人組織、Alliance Israelite Universelle(万國イスラエル同盟)を代表した猶太人グループが世界の猶太人の人権を保護するために参加した。

アメリカの銀行の利害を代表して参加したのは、猶太人銀行家で、連邦準議制度議長のポール・ウォーバーグであった。彼の弟、マックス・ウォーバーグもウォーバーグの金融会社の社長として、他の独逸からの猶太人と共に独逸の金融利害の代表として(しかし、独逸そのものを代表としてではなく、あくまでも独逸の猶太金融の利害関係者として)その場にいた。これらの猶太人は更にボルシェヴィキ・ロシア、ポーランド、そしてウクライナからの猶太人と一緒になった。これらの猶太人は建前上、それぞれ異なる國を代表していたが、猶太人の代表は、國際猶太組織の利益を最優先に、最大に保証するために一つのグループとしてまとまっていた。彼らがここに代表する様々な國益は、考慮されたとしても二の次で、ずっと低い優先順位であった。

驚くべきことに、会議に参加した連合國のそれぞれの指導者の首席補佐官は、皆猶太人であった。ウィルソン大統領の補佐官は、バーナード・バルーク、フランス首相クレメンソーの補佐官は、ジョルジュ・マンデル(本名:イェロボーム・ロスチャイルド)であった。英國のデーヴィッド・ロイド・ジョージの補佐官は、フィリップ・サスーンであり、イタリアの代表、ヴィットリオ・エマニュエル・オーランドは、自身が半分猶太人であり、且つ本人も猶太人と自認していた。

これらの猶太人は皆、あらゆるレベルで、包括的に会議で決定されるべき、そして特に彼ら自身の利害に関する、膨大な数の決定にかかわった。猶太人の利益については、ヴェルサイユ条約として知られる和平協定の最終案に説明がつかないほどの高い優先順位が与えられた。猶太人は、自分たちが追い求めた数多くの利益を手に入れたが、彼らが特に最終案に含めるように強く決心していたのは、次の三つの要求であった:(1)國際聯盟を世界政府の最初の一歩とする事、(2)東欧における猶太人の「少数民族」としての認定、(3)アラブ・パレスチナでの、将来は猶太國家となるべき最初の一歩として、英國委任統治領の創設。彼らはこれらをすべて成し遂げた。

猶太人の利益が、猶太人が独立した組織として参加しなかった戦争の結果に対して、こんなに優位を占めたのは注目すべきことに思われる。そして、また彼らの出番だ、戦争の終結時に敵味方双方の國から出て来て、和平会議にすべてに亙って参加し、戦後利権の一番の分け前を確保するのだ。猶太人の力がこれほど明白に示されたことは嘗てなかった。彼らは、獲得しようとしていたものをすべて達成したのだった。

 

英國の猶太人

猶太人は、もう、長い間英國では有力であった。あまりにも有力なので、英國の社会批評家、ヒレア・ベロックは、その著書「猶太人」(1922)の中で、大英帝國は、猶太金融と英貴族のパートナーシップ、と記述している。英國は世界金融の中心地で、ロスチャイルドは、英國の金融を支配している。べロックは、更にこのように語っている。
「...猶太人はその少数にもかかわらず、あらゆる英國の団体、特に大学や下院に入り込む(中略)猶太金融による政治家の支配を通して...」(現在のアメリカも同じことが言える。)

L.G. パインは、その著書「英國の貴族の物語」(1956)で英國の貴族は徹底的に猶太人の血が混ざっている、と主張する。実際、パインは、英國の貴族はその半分が猶太人だ、と語る。古代からの領地は、産業革命以後、金融の力が農業や大地主から製造業に移るに従って経済的に苦しくなってしまった。猶太人は、英國のカネを支配しており、英國政府さえもロスチャイルド傘下のイングランド銀行から融資を受けていた。また、彼らは、英國の工業にも融資した。古くからの名門や大地主は、カネがなくなり、裕福な猶太人の娘たちと結婚し始めた。つまり、猶太金融と英國貴族の結婚は、文字通り、実際に起こったのだ。パインは例としてイングランド銀行の社主マイヤー・デ・ロスチャイルド男爵の一人娘(唯一の嫡子)と結婚した五代目のローズベリー伯爵の結婚を挙げる。ローズベリーは、その後、1894年に英國首相となった。ローズベリーのロスチャイルドの妻は、「...猶太教徒であり続けたが、子供たちは、キリスト教徒として育てられた猶太の婦人と英國の貴族との縁組は大概この類である。妻が財産を提供し(中略)貴族は、地位と古くからの領地を持っている。子供たちは、多様な人種の祖先を顧みる事ができる。」

他にも英國の貴族社会に入り込むことが出来た裕福で有力な猶太人一家として、サスーン家、カッセル家、モンテフォリー家、モンターギュ家、ゴールズミッド家などがある。これらの猶太人は、金儲けにいそしむ重要な政治家や政治指導者の後ろに控える出資者で、特に顕著なのがウィンストン・チャーチルであった。チャーチルにはカネはなかった。しかし、「フォーカス」と言う名前で仲間内で知られていた裕福な猶太人グループの支持者のおかげで、彼は東洋のパシャの様な生活をした。このグループは、その全政治活動を通じてチャーチルを支援し、特に首相になったときは、助けとなった。これらの猶太人は全て、社会的に國王自身を含む英國で最も有力な人々と密接に関係していた。カッセルの娘は、王族のルイス・マウントバットン卿と結婚した。カッセルは、欧州でも抜きんでた猶太人一家、ロスチャイルドと姻戚関係である。この様に、カッセル家とマウントバットン家の婚姻により、ロスチャイルド家英國の王家が、姻戚関係を結んだのだ。

第一次大戦以前に(既に)英國の貴族の多くが猶太人であり、また、それ以外も猶太人の血が混ざっていた。英國には、ベンジャミン・ディズレーリと言う猶太人の首相までいた。彼は、次のように語っている。
「猶太人は英國の貴族階級と非常に密接に関係を持ったため、これら二つの階級は、一蓮托生という事だ。(共通でない損失を被る可能性は少ないだろう)」
この様に、猶太人は英國の政治の、第一次大戦の対独戦も含む、あらゆる面に関して絶大な影響力を持っていたのだ。

(次回はロシア革命の詳しい経緯を1914年以降ボルシェヴィキ革命に至る前段階までです。)