文明のアイルランド起源 HPより05

旧世界の無秩序

【要点】大災害で西方のドルイドの伝統が欧州とアジア(近東)に移転したが、太古世界はドルイドの活躍で上流階級の者がより高尚な精神を持って居たことで治まっていた。そこに、アテン・ヒクソス・スキタイの仮想連合国家がエジプト追放後、ミレシアンとしてアイルランドを征服し、ドルイドに成りすまし、それを乗っ取り、滅ぼし、ケルトと名乗ったことで世界は混沌とした。それでも彼らはドルイドの伝統を完全に破壊できないまま、後にローマ帝国、そしてキリスト教を利用して徹底的にドルイドの伝統を破壊し、焚書した。 ―燈照隅

 

スフィンクスに関して…もう一つの碑文は、それがラー・アトゥム、「西の太陽」に捧げられたことを示し、それにより、「太陽が沈む方向のくに」、「死者のくに」、そして彼らの祖先の起源の國と繋いているのである。」
エドワード・F・マルコウスキ著「パラオ以前の時代」

 

アイルランドの伝説時代の歴史は後にそこを占領し、支配した、謎に満ちた北大西洋の中心から来たり、そして時には帰って行った複数の民族の出来事が土台である。ブリトン人の歴史(The Historia Britorum)はしばしばこの中心にハイベリア(Hiberia)という名前を付けているがそのような言葉は本当はアイルランドの呼び名で、名目上「死者のくに」、原初の北大西洋の中心を指している、マフ・モ(Magh-Mo)、トラフ・モル(Tragh-Mor)或いは、マフ・メル(Magh-Mell)の想像上のものに過ぎない。
―ユリウス・エヴォラ著「グレイルの謎(Mystery of the Grail)」

 

「文明のアイルランド起源」の中で著者は地球規模の天変地異の余波を調べ、自然の怒りは特にブリテン島とスカンジナビアで酷かったことを示した。これらの陸地は酷くやられたため、それらは「死者の國」として記述された。その猛襲は余りにも恐ろしく、西方の長老は、ブリテン島とスカンジナビアの原住民と共に故郷を引き揚げてヨーロッパとアジアの新しい領土に移ることを余儀なくされた。長老たちは、その容貌のみならず、その知識と技能のため、どこを旅しても本物の神として迎えられた。彼等とその人々は殆どの歴史家に「ケルト人」として言及されて来た。しかしながら彼等は、次のようなより正確な称号で適切に区別されている。

・アリアンAryans(アリアArya、アリオAryo、アリAriなど)

・ゴートGoths(ゴットGots、グットGuts、ゲットGets、ジュートJutes、ジャットJats、ユットYutsなど)

・ノルディックNordics/ノースNorse

・インド-ヨロピアンIndo-Europeans

・インド-アリアンIndo-Aryans

・インド-スキタイIndo-Scythians

・コーカシアンCaucasians

・ゲールGaels、イベリアンIberians、スキタイScythiansはこれ等輝かしい巨石文化の祖先の末裔であった。ドルイドは世界から忘れられた星・太陽・月のカルトの構成員で、古代の碩学でこれら西方の長老の存在と重要性のことを知らない者は誰も居なかった。

 

「…知的職業のすべてを含めた階級である。その階級は宗教的機能を持った人々だけでなく、哲学者、判事、教師、歴史家、詩人、音楽家、医者、天文学者、予言者、政治的顧問や相談役も含んでいた。」
―ピーター・ベレスフォード・エリス著「ドルイド人(The Druids)」

 

長老の人種は幾何学天文学、航海術、それに疑似科学である占星学や地占いに秀でていた。ヨーロッパとアジアの歴史に於いては元々の巨石文化の長老たちは次のものに現れる。

・シュメールSumerians (Sum Ari)

・シェムス・ホルShemsu Hor (ホルスの使徒Desciples of Horus)

・アメン信仰者Amenists (ナイルのドルイド或いはアリアDruids or Arya of the Nile)

フェニキア人 (アルカディア人 Arcadians、カナン人Kananites、ヘテ人Khethites、ペリシテ人Philistines、アモリ人Amorites、シドン人Sidonites、ツロー人Tyrians、カビリ/カブKabiri/Kab、アリ人Ari、ゲーベル人Ghebers、アドナイト人Adonites、カティKhati、ハッティHatti、クリアン人Kurians、キリアン人Kyrians、その他)

ペルシャ人 マギMagi(ミトラ教徒Mithreans)

・ルヴィア人Luvians

・シャイロ人? Shilohites? (原文はShiloites)

単純に「アイルランドの」Irish或いは「スコットランドアイルランドの」Scot-Irishと言う語を「フェニキアの」Phoenicianで置き換えると神話拡散者による欺瞞の網が融解し、明るく輝く世界史の真実がそこに残るのである。

実際、有史以前のフェニキア人の後の子孫たちはアイルランドにフィナFinnaやフェニアンFeniansとして現れているが、この言葉も未だ元々のアイルランド人を指している。Finnと言う語根は公正や立派(fair and fine)を意味する。(Fionn、Finlandなどを参照)フェニキアの船の彫像はアイルランドのミース郡ニューグレンジにある巨大なケルン(石塚)の中に見いだされる。

シュメール人(Sum Ari)の西方起源を証明する限りにおいて、著者は、L・A・ワッデルの作品を参照して置く(詳しくはこちらをhttp://www.irishoriginsofcivilization.com/l-a-waddell.html

第一巻の序論で説明したように、著者は「ケルトCeltic」と言う用語を巨石文化のアイルランド或いはそのヨーロッパの子孫のどちらを表わすにも正確な記述と見做してはいない。最近の科学的研究は、この言葉が単に宣伝工作員と神話拡散者のでっちあげであるという著者の主張を強力に裏付けている。或る明敏な評論家が述べたように、アイルランド(人)は“ケルト化”されたのである。我々はこの論評に完全に同意するものであり、またアイルランド(人)の不正確な「歴史」がそこを破壊した者や植民した者によって捏造されたことを忘れてはいけない。

 

「しかしながら、遺物そのものの伝統神話的宗教的重要性と同じく、この影響の大きさを測ることをより困難にしているのは、その基準となる枠組みを構成している礼拝儀式や神話が殆ど全てが失われている、という事実である。ドルイドはその教えを書き記すことをしなかった。そしてそのことが結果的に彼らの神聖な文学が最終的にその言語の滅亡で消滅してしまったのである。」
―オットー・ヘルマン著「ケルトThe Celts」

 

キリスト教徒が書物や図書館を破壊しつつ何年も費やした後、ギリシャ人の教会の傑出した神父であるヨハネス・クリュソストモスは誇り高く宣言した、「古代世界の古い哲学や文学のあらゆる残滓は地上から消え去った」と。
―ヘレン・エレーブ著「キリスト教の歴史の闇部分The Dark Side of Christian History

 

「ヘンリー王によるアイルランドの二度の占領は血なまぐさい冷酷なものであり、タラTaraの完全かつ徹底的な解体で剥き出しの地面となり、殆ど全ての非キリスト教アイルランド人文書の最終的破壊であった。」
―ジョージ・ローリンソン

 

ケルトの源泉文学はどれもドルイドによるものではない…アイルランドでは詩の/ドルイドの古文書類の数は…相当多くあり…大量の原典資料が発行されて居らず、しかも未だ翻訳されていない。」
―R・J・スチュワート著「ケルトのバード人、ケルトドルイド人」

 

「最初期のキリスト教宣教師は土着の宗教が絶滅していることを見出し、ドルイドの空っぽの庵室に居住しそこから彼等自身がカルディーの名前を取り入れた。」
―トッド教授Prof Todd:ブロンウィック著「アイルランドドルイドアイルランドの古代宗教Irish Druids And Old Irish Religions」での引用

 

天界からの証拠

【要点】極地方の住人には、地球や天体の運動が回転運動であることが容易に認識される。(例えば白夜には太陽が地球を一日で一周していることが容易に観察される。)また、一定の長い年月定住しないと運動の詳細は分からない。つまり、そのような地域に今の文明の基になる文明が栄えていた可能性が高い。そのような天体の観測とその結果の遺跡がヨーロッパの西側に多く巨石建造物として存在し、また、そのような伝承は、インド・ヨーロッパ語族の伝承に多くある。 ―燈照隅

 

「ヴァレンシー大佐は、真昼の白日のように判然と、古代のギリシャやローマの神々がヒュペルボレオスから来たことを証明した。」
*ヴァレンシー大佐(後に将軍)(General Charles Vallencey 1731-1812)は英陸軍が派遣したアイルランド国土測量士
―ゴドフリー・ヒギンズ

最高に教育された優れた熟達した先輩人種が北欧とアジアにかなり長い間生きていたという証拠が天文学の研究から明らかとなった。天文学的に月、惑星、星、そして星座のある周期は地球の特定の位置からしか観測・注目されない。これらの様々な星座の周期は長大な時間間隔であるのでそれらは地理的に長期に亙って安定して居ない部族や民族には単純に認識できない。要するに、正確な天文学的計算に責任を持った特別な階層の人間と、それが必須の地理的場所の住民が、西方の粉砕された居住地からヨーロッパとアジアに移動したアイルランドとノルマンの巨石文化の先輩人種なのである。彼等はヒュペルボレオス人或いはアトランティス人であり、彼等とその子孫が世界で最初の天文学者占星術師、地占い師、そして巨大遺跡の設計者なのであった。

 

「彼らは天国と星の動きの多大な知識を持って居ることを公言する」
―ポンポニウス・メラ著「ドルイドについて」

 

学者としてゴドフリー・ヒギンズは次のように説明している。

「科学のアジア起源についての三部作の論文の中で、最高に優秀で偉大な天文学者であるベイリーBaillieは、北緯40度から50度のインドの北方の國に住んでいた、エジプト人や印度人よりも一層優れた、高みの天才の、古代の深遠な智慧を持った民族の証拠に太鼓判を押した。」
―アナカリプシス(ゴドフリー・ヒギンズの著名な作品)

 

我々は巨石文化のヤード ―円形の石配置や巨石・巨大建造物の建築で古代人が使っていた長さの単位 ―は西方に行くほど数学的に正確になっていることを偶然にも発見した。これ自体、より高度に洗練された遺跡がより古い方であることだけでなく、その建設に使用された数学と幾何学が東方の達人よりも寧ろ西方の達人の考え付いたものであることを疑義を差し挟むまでもなく証明している。(これについて詳しくは、付録2をご覧ください。http://www.irishoriginsofcivilization.com/recent-discoveries.html

 

「巨石文化ヤードははるかに古い…そしてブリテンでは紀元前3500年には早くも使われて居り、その頃はまだミノス文明の究極の起こりのたっぷり千年以上前であった。中欧南欧の範囲に巨石文化の系統の存在の証拠がほぼないか皆無であるため、それが推論するところは、確かにミノス文明が究極的に応答した考え方はその起源を更に西方に持つということである。」
―アラン・バトラーとステファン・ダフォー共著「明かされたテンプル騎士団The Knights Templar Revealed」

 

古代極地方文明の存在についてジーン・D・マトロックは次の様に書いている。

「何千年か前、高く文明化・文化化した人々が幸せに豊富に北極圏近くの天国で生活していた。どのような民族のものでも地球上のすべての主な宗教がそれが元々人類の五大人種であったと強く述べている。猶太キリスト教では我々はこれをエデンと呼ぶ。インダスではこれをウッタラ・クルUttara Kuruと呼ぶ。チベット仏教徒はこれをKedar Khand(シバ神の國)、そしてシャンバラShambalaと呼ぶ。それはまたSivariya或いはSibirya(シバ神の土地)、今ではシベリアSiberiaと呼ばれている。古代ギリシャの歴史家たちと神話はヒュペルボレオスHyperboreaとして言及している。支那道教ではそれを特定の名では呼ばないが、それは人類が自然と完璧な調和の中で生活している一種の天国として記述している。」
―「トルコ民族諸国、印度、カトリック、メキシコを繋ぐ不思議な謎?What strange Mystery Unites the Turkish Nations, India, Catholicism, and Mexico?」

 

スティンソン・ジャーヴィスの「平和の価格」より次の一節を読む。

ブリテンの島々では神の名は「アード・シャガートArd-shagart」であり、それはその二つの言葉が意味する「高き僧侶」、そしてブリテン島の人々によりこの人間神が崇拝されていた。三語として読むとその称号「アード・シャ・ガートArd-Sha-Gart」は彼を「楽園の高い太陽」とも呼び、同じ人間の太陽神が創世記でその楽園を歩いているとして記述されている。何故ならイングランドはすべての僧侶の物語の楽園で天国であったからである。」

 

著名な英国の天文学者フランシス・ベイリーFrancis Baillyの発見のことと言えば、エリザ・バート・ギャンブルEliza Burt Gambleは次の様に伝えている。

「18世紀の終わりにかけて祝福された天文学者、ベイリーは『古代天文学の歴史』と言う題の作品を発行し、その中で彼は、印度人やエジプト人よりも遥かに優れた、高みの天才の、古代の深遠な智慧を持った民族が『北緯40度から50度のインドの北方の國に住んでいた』ことを証明しようと努力した。この著者は、『彼らの特異な性格から、最も名高い天文学的観測と発明がこの緯度からできず、その技術と進歩が段々と赤道に向けてたびだったのである』ことを示したのであった。」
―(「古代人の神の考え或いは宗教に於ける性」を参照ください)

 

そして、アリアンヴェーダの専門家であるL・B・G・ティラックTilakより次の一節を読む。

「頭上で回転する天のドームの円が北極の特別な性質の一つであり、その現象は非常に特異なので人々が或いはその祖先が北極の近くに住んだことがあるならば、初期の伝統の中にその足跡を見出だすことが期待できる。この試行をヴェーダの文学に応用すると、我々は天の動きを車輪に喩えて、天球があたかも軸で支えられているように記述する一節を見出すのである。」
―「ヴェーダに於ける北極の故郷(1903年)」

 

「…ヴェーダの中の文章を読めばその中には理解できないと考えられてきたものもあるが、新たな科学的発見の光が当てられる中で我々は、ヴェーダに出てくる人々の祖先の故郷は前の票が時代の前にはどこか北極の近くであったという結論を強いられるのである。」
―同上

 

文明のアイルランド起源 HPより04

アリアン人

「都市は燃える、洪水は破壊する、疫病は殺す、戦争は潰滅する、かも知れぬが、それでも言葉は生き残るであろう」
―ヘンリー・ビンクリー・ステイン著「エホバ以前の三万の神々」

 

アテンの神官は一神教的であるが、アテン信仰自体は以前の神聖な伝統の堕落版であった。神学は古くからのアメン信仰とドルイド教の土台の上に築かれた。然しながら、アメン信仰者とドルイド教徒の事実は、エジプトとアイルランドについての事実を歪め、多くの重要な用語と称号の意味を曲げるため、所謂「歴史家」に資金を出して指図したアテン信仰者の観念的子孫により故意に隠蔽されて来た。

最も誤解され、誤用されて来た称号の一つが「アリアン」である。その起源は我々が最初に想像するよりははるかに興味深いものである。今日までアイルランドゲール語の言葉エイル(Eire)とエリン(Erin)で知られている。しかしこれらの言葉は何処から来たのか? 実際、それらは直接、原始時代からの女神エリ(Eri)或いはアリ(Ari)に由来する。従って、その言葉はアイルランドが因んだ女神を指摘或いは暗示する。多くの場合、ari、ara、eriなどのような語根が見いだされるときは、その言葉は必ず、特にアイルランドの土地或いは代わって、西半球を暗示・或いは明示する。それは西方の人と同時にその聖なる国と愛する女神を意味する。

 

「女神がアイルランドを行き渡った。山、川、谷、泉、全てが女神の存在を証明した。11世紀ごろ、アイルランドは主として、三人の女神エリウ(Eriu)バンバ(Banba)それにフォトラ(Fotla)の中の一人、女神エリウ(Eriu)エールとして知られるに至り、エリウは、アイルランドに入ることを望むものは、繁栄と豊穣を願うならば誰もがこの女神たちを崇拝しなければならないことを明らかにした。
―メアリー・コンドレン著「蛇と女神(Serpent and Goddess)」

 

「ストラボンは、セレスとペルセポネがサモトラキ島と同じ儀式で崇拝されていたブリタニアの近くの島のことを語っており、これは神聖なイエルナ(Ierna, Ireland)で、そこでは常夜灯が燈されていた。」
*ストラボンは、古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家・哲学者。
セレス(ケレス)は豊穣の女神。人間に穀物の栽培を教えた神である。
ペルセポネはギリシア神話に登場する生と死との間を廻る大地の女神で冥界の女王である。
サモトラキ島はエーゲ海北東部に位置するギリシャ領の島。

―H・P・ブラヴァツキー著「オカルト信仰(Occultism)」

 

アリアン(Arya)の元の故郷と言えば、我々はイグナティウス・ドネリー、アンナ・ウィルクス、コナー・マクダリ、それにコミンス・ビューモントの見方を取る。そして、彼等は、アリアンの祖先の生活域が西方であったことを強調する。ドネリーは大洪水以前の失われたアトランティス大陸を具体的に指し、我々は心の底からこの彼の主張に同意する。北西の領域(ブリテンスカンジナビアアイスランドグリーンランド、そして可能性として北極地方)は著者の意見では失われたアトランティスの残したものである。これには広範な証拠があるが、その事実は長きに亙って、寧ろ人類とその煩わしい真の歴史は決して充分に解かれることが好ましくないとする学界により隠蔽抑圧されて来た。

 

「アリアン(Aryans)はヨーロッパも中央アジアもその原住地域ではなく、寧ろその元々の故郷は旧石器時代に何処か北極の近くにあり、そこからアジアやヨーロッパへ南に移住し、それは、「抑えがたい衝動」ではなく、その故郷の好ましくない気候条件によるものであった。アヴェスタ(ゾロアスター教の経典)はこの見方を完全に裏付ける伝承を保持している。しかしこれらは学者によって価値がないものと扱われて来た。その学者たちは人類を氷河期以降と見做してその学説に取り組み、アヴェスタの伝承はヴェーダの権威によって支持されないと信じられていた。しかし、最近の科学的発見による更に広範囲の詳しい調査(時間望遠鏡)によりアヴェスタの伝統が実在の歴史的事実を表していることを示すこと、そしてそれはヴェーダの証言により完全に裏付けられることを論証することが可能となった。」
―L・B・G・ティラック著「ヴェーダに於ける北極の故郷(The Arctic Home in the Vedas)」

 

「北極は既に幾人かの著名な科学的な人により、植物と動物の生命の最初の発生地である可能性が高いと考えられている。そして著者は、アリアンの人々の最古の故郷が北極の周縁部のどこかであることを証明するのに、殆どのアリアン人種の古代の本の中に十分な肯定的証拠があることを満足の行く程度に示すことが出来ると信じている。
―同上

 

「…民族から民族に屡々伝えられる(移動する)伝承(年代記)の強力に実証された証拠、それが多くの異なる集団の間で原初とされていることは、大半の基本的神話が一つの決まった広がりの点 ―彼らの創造の場所― を示すのである。従って、その外形的な形式に於いて彼らは完全に他とは違った特定の起源の点を基盤とする事によってのみ理解可能なのである。」
―アルフレッド・ローゼンバーグ著「20世紀の神話」

 

「太陽の神話とその分派は一般的な発展の一段階で独りでに起きたのではなく、太陽の現出が非常に重要な宇宙的出来事であった場所で生まれたもので、すなわち、それは極北の地なのである。そこでしか、一年はくっきりと二つに別れ得ないし、そこでしか、太陽が人類の復活する生命の最も内面の存在に於ける確実性、世界の根源的創造の実態であることを示され得ないのである。であるから今日、長い間導かれてきた仮説が確実となる。即ち、それは実際の海に沈んだ大西洋の大陸を前提とすることなく、嘗て復活して具現化し、距離を征服して空間を形づくることに憧れノルマンに忠誠を誓い大きく広がった戦士の大軍が出てきたところの、我々がアトランティスとも呼ぶ、北の創造の中心からなのでる。これらの大西洋の人類の流れが、白鳥や龍の船で海を渡って地中海に移動したのであった。」
―同上

 

ドルイド民族

(結局、宗教的権威として、王達から認められていた神官たちなのでは?と思われる ―燈照隅)

 

ドルイドの団体は、ヨーロッパ中のケルト民族の守備隊の役割のため、多くの地域で存在した。ドルイド、或いはアイルランド人の(ハイバーニアングノーシス主義者とも呼べる、彼等は、複数の言語に流暢であることで知られていた」
―J・ラッシュ著「その姿に、ではなく(Not in His Image)」(聖書の神は自らの姿に人を創った、という言葉の逆説或いはパロディでしょうね ―燈照隅コメント

 

アイルランドの高位神官 ―元々のアリア、或いはアリアン(Arya or Aryans)― は「ドルイド」として一般に知られていた。第一巻では著者はこの言葉を分析し、この古代の神官(制度)について信じられていることと妥当性について論じた。著者は、彼等の起源や信仰に関して如何に多くの悪意に満ちた虚偽が故意に広められたかを示した。幸運にもこの不可解なケルト以前の神官についての真実がゆっくりと浮かび上がって来た。

 

「本当のケルト人は背が高く、色白の人種であり、好戦的で専横であった… 征服と平和的な浸透によって中欧、ゴール、スペイン、ブリテン島にその支配を拡げた。彼等は先史時代からの先住民を殲滅しなかった… が、彼らは先住民にその言語、美術工芸、伝統を押し付け、見返りに間違いなく多くを取り入れ、特に宗教の重要なものを多くを取り入れた。これらの人種の間で真のケルト人は貴族階級を形成した。」
―T ・W・ロールストン(Rolleston) 著「ケルト民族の神話と伝説、1911年」

 

ドルイドと言う言葉は地域的であったが、彼等の宗教は根が深く、離れたところに起源を持つ。それはペルシャのマギ、アッシリアカルデアン、ヒンドゥスタンのブラーフマンの起源と同等の古さであった。それはこれ等とその崇高な思想に於いて、その慰め力づける約束に於いて余りによく似ており、あまりにも広範囲に分かれてくらしているこれ等の国民が同系で、ノアと大洪水前の人類の子孫であることに疑う余地はないくらいなのである。」
―W・ウィンウッド・リード著「イシスの仮面(Veil of Isis)」

 

「何故なら、ドルイドなしには王たちは何も相談などしなかったであろう、つまり、実際には統治していたのはドルイドであった。」
ヨハネス・クリュソストモス著「五世紀のコンスタンティノープルキリスト教司教」

 

「…命令するのは彼等で、素晴らしい宮殿に住んでいる黄金の王座にいます王たちは彼らのただの大臣であり、彼等の思想の召使なのだ」
―ディオン・クリソストム著「ギリシャの哲学者、ドルイドについて」

 

ドルイドは洞察力があり、繊細な精神をしており、その推論により最高の名声を得た。その推論自体が同時にまた巧みで深遠であった。彼等は最も崇高な推測を以て、幾何学と地球の大きさを測ることに精通していた、とカエサルとメラ*は両人ともはっきりと仄めかしている。」
*ポンポニウス・メラ:ローマの地理学者。43年ADに「地理誌」を書いた
―アンミアヌス・マルケリヌス著「歴史 350年AD」

 

「…私について世界の一隅に行ってみよう、そこは、少なく見積もっても多くの時代を通して宗教はその穢れなき純粋さが保持され、その僧侶は…彼らが地上で悪党となる以前は殉教者として天国に迎えられた。それは悪徳の時代の初期に於いては世界に知られていない孤立した点であった。それは今やその力とその世界中からの贅沢で知られる王国である。それはゲルマンと大西洋の青い水でかこまれており、自然の選りすぐられた恵みに溢れている。それは未だゴールの上に冷たく威圧している断崖から白い島と呼ばれており、そしてその緑に覆われた山々から緑の丘の土地と呼ばれている。吾と共にその海岸に来たれ、そしてその白いローブに身を包んだ僧侶を、その戦争の青い色に塗られた戦士たちを、そして艶やかで長いブロンドの髪の乙女たちを吾は見せよう。しかし先ず吾は汝を過去の世界に導き、この土地が何故アルビヨンと呼ばれ、何故ブリテンと呼ばれたかを語ろう。」
―同上

 

この同じ長老の集団がエジプトではアメン信仰者として知られていたのである。

 

 大災害の時代

更新世の終わり、約一万年前、多くの地上の哺乳類草食動物と肉小動物を北アメリカ、南アメリカ、オーストラリアで絶滅した出来事があった。北アメリカだけで、三十二種以上の哺乳類が絶滅した…この絶滅の原因は論争の余地がある。」
―R・W・グラハム著「更新世の終わりの新しい環境系の進化」

 

世界は大洪水以前の文明の存在に気付かないのは、それがもう存在しないと言う単純な理由による。大半の神話や伝説が我々に伝えるように、それらの帰属した大陸が激しい天変地異によって破壊されたからである。この前提は今や科学的に肯定されている。紀元前一万年~一万三千五百年前、我々の惑星は想像を絶するような自然災害によって破滅したことを示す証拠が存在するのである。その破滅的な大災害は数多くの部族や民族により記録され、アイルランドの最も初期の伝説にも描かれている。

その破滅的な地圏への影響により、地球はそれに続く大変動に見舞われた。重大な災害(津波地震、火山、そして何百年も続く干ばつや飢餓)は紀元前八千年、六千年、三千年に世界を揺さぶった。古代ミケーネの干ばつ、エーゲ海のテーラ島(サントリーニ島)の噴火、スカンジナビアのストレッガ*津波北アフリカのサハラ地域の乾燥化の始まり、地中海の水位上昇、パキスタンはインダス平野の巨大なサラスヴァティー川の水位低下(消滅)、そしてブリテン島で長引いた青銅器時代の飢饉は、元々の地球規模の「大災害の時代」の後に、違う時代に起こったとして知られるその超自然災害のほんの一部であった。

*ストレッガ海底地すべりにより起こったとされる津波(紀元前6225年から紀元前6170年の間にかけて発生したと考えられている

先史時代のアトランティスやレムリア大陸の滅亡のことを語る世界中の伝説は、人類の歴史に本当にあった、並外れて被害のあった挿話的な出来事を記録している。著者は大きな災害と、それに続くアトランティス、異邦人の来訪と遺伝的操作に於ける意識への心的外傷を扱ってきた。

 

「洪水は世界にとって一般的に曖昧模糊とした伝統で、英国の島々とスカンジナビアの土地に於ける最も恐ろしい来訪とその破壊を本当に隠すが、それは地学者の用語で「漂流(Drift)」時代と言う効果により、かなりの程度まで遡ることが可能である。それは単なる氷山の漂流ではない。それは突然で恐ろしく早く破壊的であった。」
―コミンス・ビューモント

 

文明のアイルランド起源 HPより03

【今回の要点】サリオンは、アレキサンダー大王やシーザーなどの帝国主義的拡張主義も、或いはローマの征服活動も、そのキリスト教の布教活動も、その裏に居た秘密結社による征服活動の傭兵に過ぎなかったと主張する。(それは丁度第二次大戦に於いて英米フリーメーソンの傭兵に過ぎなかったことと重なる。)そしてその秘密結社の一派がブリテン島の王家であった。(だから、捕縛されたブリテン王カラドクは処刑されず余生を不自由なく過ごせた。)また、サリオンはローマ皇帝たちも表立っては猶太教やキリスト教を迫害したり後にはキリスト教徒となったりしたが、本質的には太陽信仰の一神教カルトの一員(或いはその僕)でしかなかった、と主張する。

穿った見方をすれば、アレキサンダー大王の突然の死や、ブルータスによるシーザー暗殺事件の裏にも間違いなくセト信仰者の秘密結社が一役買っていた? それが西洋の歴史の偽らざる側面なのかもしれない。 ―燈照隅

 

アテンの僕(召使い)

「(ローマ帝国の)フラウィウス朝の皇帝の一人は、後にコンスタンティヌス帝がキリスト教に改宗したと同じように、ユダヤ教に改宗したかもしれない、という証拠がある。」
―リチャード・A・ガブリエル著「エジプト人・イエス

 

遠からぬ或る日、世界は紀元前数千年以上前に北西半球に高度な文明が存在し、そして人間が近年に得た知識も大洪水以前の知恵の下らない再現に過ぎないことが遂にわかるであろう。世界の学界内部の偏らず、心を開いた「専門家」は、文明の要素が西方の國で芽生えたこと、そして西方と東方の民族(国家)の間には時代がかけ離れた関係性があることにすぐに合意する可能性がある。彼等は終には、ユダヤ教キリスト教の本当の起源についての事実を認識し、長きに亙って西洋世界の宗教と政府の操作を指示して来た邪悪なアテン信仰のカバルに光を当てる可能性がある。我々はただそれを望むばかりだ。

 

アリストテレスは、哲学はギリシャからゴール、つまりドルイドに受け渡されたのではなく、彼等ドルイドから受け取ったものであると肯定している。ギリシャの作家だけが古代ブリテン島の哲学の名声に帰したのみならず、他の人々もそれと古代インドの間の繋がりを確立した。そこは、ブリテンの島々が「西の聖なる島々」として語られ、その一つをブレタシュタン(Bretashtan)即ち「宗教的義務の席と場所」とされた。これらの聖なる島々はヒンドゥー教徒が人類のピトリス、即ち父たちの住まいと言い伝え、キムリック*は自分たちのことを最も古い人種と呼ぶのである」
*キムリック人:現在のウェールズ人・コーンウォール人・ブルターニュ人から成るケルト人種

 ―ジョン・ダニエル著「古代ブリテンの哲学」(1927年)

 

多くの世代に亘りアテン-セト信仰者の長とその子孫は、もっとよく知られている宗派、カルト、王家の背後からその魔術を働かせてきた。その団体には次のようなものがある。

・アーロン血統(Aaronites)

・口伝血統(Oralites)*シナイ山で神の言葉を口頭伝承したと主張する結社の構成員

・レヴィ血統・レヴィ人(Levites)

・メルキゼデク結社(Order of Melchizedek、ツァドカイ人(Zadokites)、ツァドックの息子たち(Sons of Zadok)、エリートサドカイ人(elite Sadducees)

・ベニヤミン血統(Benjaminites)

・ゲオーニーム(Gaonim)(或いは光の王子たち(Princes of Light))

・東方イルミナティ(パルティア-エデッサ君主)

・シオンの結社とテンプル騎士団

・聖ヨハネ(病院)騎士団(マルタ騎士団ロードス騎士団

・シトー修道会

・ティロネシアン修道会

フリーメーソン結社(古代、スコットランド儀典、神殿派、大東社、その他)

・薔薇十字団

・セオドア・ロッジ

・慈善騎士団(Knights Beneficent)

・聖マイケル・聖ジョージ結社(勲章)

・ガーター結社(勲章)

・黒い貴族

ブリテンその他、著名なアジア、中東、欧州、英国の宗派と王朝

 (この点について更なる情報はこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

東の飛び地の人間たちだけがセト-アテン信仰者の共謀者ではなかったと著者は信じている。ウェスパシアヌスティトゥスクラウディウス、ポッパエア、コンスタンティヌス、テオドシウス、ユスティニアヌスなどの西方の国々のエリートの家族も彼らの力に誘惑されたことは間違いないと考える。例えば、ローマのフラウィウス朝の人間も権力の座に昇ったのは彼らがアクエンアテンの子孫に忠誠を誓ったからであった。これらの人間の行動がその存在がこれまでに一般には殆ど知られてこなかった強大なセト-アテン信仰者の闇のロッジによって指示され、財政支援されていたのである。

 

ティトゥス帝はフラウィウス朝のウェスパシアヌス帝(7~79年AD)の息子であった。ある記録(タキトゥス、スエトニウス、ヨセフスの資料)によるとウェスパシアヌスはプロクラトル(皇帝の執政)ティベリウス・ユリウス・アレキサンダーアレキサンドリアの僧侶バシレイデースのようなエリートの猶太人と仲間同士であった。二、三人の研究者によるとウェスパシアヌス帝とその東方の同盟者が最後にはキリスト教となった宗教を造り上げた。主犯の陰謀者が新しい宗教の創設に資金を提供したので、競争相手のカルトや宗派は弱体化し、根絶されると分かった。ウェスパシアヌス帝の後継者、息子のティトゥス帝(79~81AD)はユダヤ國を探し回り、百万人或いはそれ以上の人々を殺害し、エルサレムの神殿の聖なる宝物を護衛をつけてローマに運ばせた。フラウィウス朝は、アレキサンドリアユダヤに於けるある強大な宗派が彼らの覇権への脅威と考えた「アテン信仰者」エリートの単なる召使に過ぎなかったと我々は考える。彼等は、ドルイド教とアメン信仰の神学的要素が合一するある種の「グノーシス」的な種類の宗教の出現を恐れた。自分たちの力の減退を恐れて彼等はそのローマ人とローマ-猶太の子分たちに指図し、「パウロ」や他の律法学者に資金を出したのだ。これらの律法学者は古代の教義を剽窃し、解体して必要個所だけを利用し、帝國を元気づける新しい宗教をでっち上げられるようにした。次章で示すように、ローマの寡頭政治家はユダヤの裏のエリートであるサドカイ人と密接に協力して反乱を抑え、神権的で帝国主義的な権力を拡大したのである。これらの集団はブリテン島の高級アテン信仰者によって指図されていた。」
―マイケル・サリオン「文明のアイルランド起源 第二巻」

 

「サドカイの高位の僧侶はローマ人に指名され、熱心党(ゼロテ派)に暗殺され、ローマと提携した他のサドカイに対する大きなテロリストの戦いが始められた。」
―ベイジェントとレイ「メシアの遺産」

 

「皇帝と密接に連絡を取って、皇帝の宮廷でのエジプト系カルトの人気に貢献していた、エジプトからの多くの知識を持った人間(例えばノウクラティスのカエロモンやアレキサンドリアディオニソス)の存在があることには、疑いの余地はない。」
マルガリータ・タチェヴァ博士「小モエシアとトラキアの東方カルト」

 

クラウディウス帝もまた確実にエジプトの宗教に乗り気になっており、そしてネロ帝(中略)にはエジプト人の師、カエロモンが居た。カエロモンはローマでエジプトの知識を広める取り計らいをした。(中略)ウェスパシアヌスはナイルの大きな彫像をローマに寄贈し(中略)その息子ティトゥス帝と共に、ユダヤへの勝利の前夜(71年AD)をローマのイシス神殿で過ごし、(中略)ティトゥス帝は恐らくアレキサンドリアのコム・エル・ショカファのカタコンベにある聖なる牛の前に描かれた匿名の「ファラオ」である。」
―エリック・ホルヌンク「エジプトの秘密の伝承」

 

ウェスパシアヌス帝は、貴重なトーラーを含め、以前神殿に安全に収蔵されていたすべてのユダヤの宗教的文物を召し上げて、ローマのカピトリーネ・ジョウ(Capitoline Jove)に保管した。そして彼はユダヤの領域全体をローマ皇帝の個人資産と宣言した。彼はその決定を正式に元老院で認めさせ、(中略)ヨセフス帝は、いつの日かラビ・イエス・クノベリンからトーラーを手に入れ、神殿で置き換えたことを明かし、ウェスパシアヌス帝が個人的にそのトーラーを保管したことを記録し、(中略)エルサレムの偉大な神殿はなくなり、猶太人はその土地、宝物、そしてその宗教の物理的実体のすべてを取り上げられた。」 
―トニー・ブッシュビー「聖書の詐欺」

 

「ローマ人は…ギリシャ人よりも倫理的で宗教的に厳格な猶太人に対して敵意を抱かなかった。ローマ人はユダヤ教が非常に古い宗教であることを知って居り、それを尊重した。猶太人はローマ人の間では倫理的な人々として評判であり、完全な宗教的自由を与えられた。多くのローマ人が「神を畏れる者」、つまり、割礼を除くすべての教を受け容れ、ユダヤ教の実践者となり…。コンスタンティヌスが後にキリスト教に改宗したのと当に同じように、フラウィウス朝の皇帝の一人はユダヤ教に改宗したのではないかと言う証拠がある。」
―リチャード・A・ガブリエル「エジプト人・イエス

 

「彼は鎖に繋がれてローマに連行された、しかし伝統に反して、そして皇帝たる法的資格故に、彼は厚遇され、すべての責任を逃れた。彼とその家族はローマでそして皇帝から贈られたブリテンの城で素晴らしい人生を送った。」
―トニー・ブッシュビー「聖書の詐欺」より、捕縛後のブリテン王カラドクの扱いについて

 

「後智慧で判断できる限りでは、その戦略の目標はエルサレムと神殿の破壊を生き残った僧侶の子孫による、ローマ帝国の支配階級の完全な入替えであった。これは三世紀かからずに成し遂げられ、その時までにすべての古代の宗教が消滅し、キリスト教に置き換えられ、昔からのローマの貴族は殆ど全滅し、帝国のすべての権力と富を蓄積した元々僧侶の家族の人間に置き換えられたのであった。」
―フラヴィオ・バルビエロ著「モーゼの秘密結社」

 

「…われわれは広範囲の信仰を、猶太人とユダヤ教の信仰と感覚をローマ社会に見て来た。詩人やその他の人々の苦情が明らかにするように、ユダヤ教は強大な魅力をローマの非猶太人の間に振りまいた。」
―ジョン・G・ゲイジャー著「反猶主義の起源」

 

「世紀の終わりに向かって、ドミティアヌス帝の治世の間、再び非猶太人の間にユダヤ教の魅力の広範な証拠がある。カッシウス・ディオ*の報告では、前の執政官、アキリウス・グラブリオ、皇帝自身の従兄弟、フラウィウス・クレメンス、フラウィウスの妻フラヴィア、それに多くの他の人物がユダヤ教に靡いていた。」
*ルキウス・カッシウス・ディオ・コッケイアヌスは、ローマ帝国の政治家、歴史家。カッシウス・ディオと略称される他、ギリシャ語でディオン・カッシオスと称される事もある。 自らが目撃した同時代史を含む、神話の時代からアレクサンデル・セウェルス帝即位までの歴史を記述した大著『ローマ史』を執筆した事で知られている。
―同上

 

「…ディオ・カッシウスは猶太人が追放されたのは『ローマで多くの人間を彼ら猶太の慣習に転向させるためである』と報告している。」
―同上

 

「猶太人は部分的には崇拝する故に神を畏れ、真実に最も強大で最も情け深い神を崇拝している。彼は思慮の世界を支配し、我々がよく知っているように異なる名の下で我々に崇拝されている。」
―ユリアヌス帝

 

「彼らは常に余に取って、そしてアブラハムがしたように神を尊敬する人にとって親切な一人の神を崇拝していた、何故なら彼は非常に偉大で強大な神であるからである。」
―同上

 

これらの論評と引用は、侵略するローマ人と征服されたイスラエル人の間の関係についての大かたの印象が改定されなければならないことを指摘する。一般的に認められているよりはもっと多くのことが進行していた。実際、ローマの軍隊は最初、猶太の地域の王達によって猶太の地に招き入れられた。130年のローマ人のいた殆どの間、猶太は物質的に繁栄した。この期間、猶太の大きな人口がローマや帝国の他の部分に住み、商業的に非常によくやっていた。実際、この時代猶太人は世界でローマ自体に次いで重要な町であるアレキサンドリアの町の多数を占めていた。ローマ人は征服或いは統治したどのような人々の土着の宗教も抑圧しなかった。著者が主張するように、ユダヤの上流の立場の人間とローマ人の間にはより深い繋がりすらあったのである。

 

 

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ローマ軍による西紀70年のエルサレム掠奪を記念してティトゥス凱旋門が建てられた。神聖の中の神聖が汚され、メノーラ(ユダヤ教の燭台)とトーラーの巻物が掠奪され、ローマに運ばれた。ティトゥス帝は猶太の地で百万人を超える人々の殺害を命令した。今日に至るまで宗教的猶太人はこの凱旋門の下を通ることを拒否する。古代ユダヤ教の聖なる印の移転は古代猶太人或いはアテン信仰者の中東からヨーロッパへの物理的移転を意味する。記録によるとティトゥス帝はヨセフス・ピソと言う神話拡散者に第二神殿の陥落後そこから欲しいもの一切の配分をする完全な権限を与えた。これは、ユダヤ人の歴史がその卑しむべき手に堕ちたことを意味する。(詳しくは次を参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Arch_of_Titus

 

 

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ミトラ教の組織の最高の長は、出産の父(pater partum)或いはポープと呼ばれ、彼はローマのヴァティカン岩屋(Vatican grotto)に住む」
―フラウィウス・バルビエロ著「モーゼの秘密結社」

 

「(キリスト教以前の)異教徒は『キリスト教の神が太陽であると信じる。何故なら、我々が陽の昇る方向に向かってお祈りすること、そして太陽の日に我々自身お祝いすることはよく知られているからである』」
―ラテン教会の父:テルトゥリアヌス アド・ネーションズ(ad Nationes:ラテン語で「国家に」の意?)

 

 

 

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アイルランドの修道僧が太陽を拝んでいる図(ヴァティカン市の聖ペテロ聖堂より)所謂ケルト教会はコンスタンティヌス帝のニケーア会議以前数百年もの間、絶好調だった。彼等は新約聖書に於いて描かれているイエスを拝んでいるか?(ではないでしょう!)

 

 

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コンスタンティヌス帝と太陽。メロヴィング朝の精神異常の王クロヴィスは「既に高く昇った、太陽の光」という称号を持って居た。元々の太陽神はエジプトのアメン・ラーであった。一神教や選民(思想)はアブラハムよりも幾千年も前の時代に遡る。ユダヤ教キリスト教よりもずっと以前、4,500年以上前に、ヘリオポリスの僧侶たちは、ただ独りの神を信じていたのである。

 

文明のアイルランド起源 HPより02

著者の仮説(概要)続き

 ・キリスト教を記述し、設立した皇帝たちは彼等自身が、更に隠密のアテン信仰一派の外縁分子である太陽カルトの構成員であった。ローマのクラウディウス帝、ピソ元老院議員*、フラウィウス朝は、裕福で権力を持って居たサドカイ派ファリサイ派と密接にキリスト教の設立に取り組んだ。このアテン一派は平等主義派の教義と「ドルイド」的要素による、他の宗教の勃興を恐れた。競争相手を抑えて帝國の支配を強めるため、彼等は悪意的偽装をする(パウロやマルシオン**のような)律法学者や著作家に資金を与えて、多くの古代の太陽の英雄や神々を基にした彼等の「イエス・キリスト」を土台にキリスト教を創成したのである。聖書全体にわたる星の主題からも疑問の余地なく証明されている。然しながら、聖書の神 ―エホヴァ― は、殆ど全ての学界の歴史家が虚偽の主張をするのとは異なり、猶太の神ではないのだ。その神とは太陽カルトの神官とファラオたちの個人的な神であり、これらの人間自身が旧約聖書で暗号の裡に「古代イスラエル人」として言及されているヒクソスの貴族の末裔であった。(この古代イスラエル人(Israelite)と言う言葉は西方アリアンの神イサ(Isa)とその子孫、そして古代エジプトの王家の神であるアメン・ラー神から来たものである。)

*グナエウス・カルプルニウス・ピソは、ユリウス・クラウディウス朝の元老院議員。
**パウロは、黙示録を書いたキリストの使徒のひとり。マルシオンはポントゥスのシノペの司教の息子であった。 2世紀半ば頃、彼はローマに旅行し、そこでシリア・グノーシス・セルドに加わった。

 

・所謂、誤って名付けられた「猶太人」の、ローマのカエサルと皇帝たちの作戦を指揮した、陰謀共犯者はアテン信仰者であった。特に、彼等はメルキゼデク*(或いはアクエンアテン)の結社の指導者たちであった。彼等はファリサイ派サドカイ派の高位で、シナイ山でその祖先が伝承したと主張する、所謂「口頭伝承」の守護者であった。この魔法使いの一派はゲオーニーム(Geonim/Gaonim)としても知られている。彼等はその身分を隠すために、「太陽の息子たち」を意味するフリーメーソンと言う言葉を使い始めた。メーソンの記号に見られる大文字の「G」はこの超極秘ルシファー信仰のカバルを表している。小文字の蛇に似た「g」は、このアテン信仰者とゲオーニームが属している蛇兄弟つまり龍の宮廷[1]を表わす。(この話題に関してもっと詳しくはこちらhttp://www.femaleilluminati.com/articles.html

*メルキゼデクとは旧約聖書の登場人物で、『創世記』にて「いと高き神の祭司」、並びに「サレムの王」として紹介されている。

 

ゲオーニームは今の宗教の「猶太人」とは何ら共通項はない。この種の用語と名前は、われわれが最初に想像する種類の宗派や信仰を指さず、古代の堕落した太陽カルト(ルシファー信仰者)から受け継がれた魔法使いのカーストを指す。英国の王室の構成員はたとえ彼らがプロテスタントの宗派に属していても古代猶太人(Judites)である。教皇とその司教・枢機卿たちは同様に、カトリック教に属していても古代猶太人(Judites)である。チューダー(Tudor)という言葉は、judge(判断する、判決する)やtutor(教える)それにTeuton (チュートン)と同じように、Juda或いはJudahに由来するものである。これらの事実はメーソン結社の構成員や他の猶太アテン信仰者の民族集団には知られている。彼等にとって宗教的な加入(属性)は殆ど意味がなく、単に世界中の情報を知らない大衆に対する偽装の役割をするに過ぎないのである。

 

・述べたように、アテン信仰はドルイド教とアメン信仰の堕落した形態と理解できるが、それは太陽信仰の神学を正しく考慮したものである。然しながら、アテン信仰は太陽信仰の正しい形態として導かれたものではなかった。そうではなく、それは純粋に都合の良い偽装によって打ち立てられた。これは、スキタイ-ヒクソス-古代猶太人が実際にはセト*信者であったからである。彼等はセトとセトの女性人格化したアペプ、巨大な蛇の姿をした冥界の支配者を崇拝した。この個人的崇拝の形態は元々星が起源で破壊的な彗星と南半球の星座、例えば南十字星に由来する。それはまた黄道黄道帯の歳差運動*により地平線の下に沈む星の崇拝にもかかわっていた。セトの宗派は現在でも存在する。それは太陽神学と太陽カルトの影に隠れている。言い換えれば、猶太教とキリスト教は両方とも(古代のアテン信仰のように)ここで述べた古代の邪悪な結社を隠すために効果的に使われたのである。(詳しくはhttp://www.douglasreed.org/enemies-2.html

*歳差運動とは、独楽(コマ)がその回転と共にその回転軸が振る現象と同じように、地軸の傾く方向が一定周期で回転する運動のこと。つまり、今は北極星の方向を向いている自転軸が少しずつ回転する現象のこと。

歳差運動とは - コトバンク

 

アテン信仰の創設者(ヒクソス-セト信仰の活動の裏で)はファラオのアクエンアテン(アメンホテプ四世)であった。彼は猶太の歴史の中で暗号的にモーゼ、アーロン、アムラム、サウル、ソロモン、ザドック、メルキゼデクなどの偽名で言及される。彼は世界の作家や歴史家の98%が明らかに想像するであろうところの啓蒙家ではなかった。逆に、彼はエジプトを破壊し、その多くの驚異(の建築物等)を暴力的に破壊した誇大妄想であった。彼は終に権力を剥奪され、第18王朝の終末近くに国を追放された。研究者ラルフ・エリスが示したように、アクエンアテン一神教信仰の起こりと太陽神学の質の歪曲は重要な天文現象と時を同じくした。その天文現象とは、太陽の牡牛座から牡羊座への黄道遷移であった。(これについて詳しくは第二巻を参照されたし)

 

アクエンアテンのセト-アテン信仰者はヒクソスの貴族の構成員或いは所謂「羊飼いの王たち」であった。然しながら、著者の意見では、これらの論議の的となる王たちはスキタイ(若しくはゲール)を祖先に持つ者たちであった。言い換えると、彼等は西方の出身者であった。大災害の時代の間とその後、彼等の祖先(純粋なアリアン)はブリテン島から北欧・東欧へ逃れ、そこから更に東、シリア、パレスチナ支那、日本、パキスタン、インドへと逃れた。スキタイは元々巨石文化のアリアンと共にあったが、その中には精神的道徳的に堕落する者もいた。今日、主要な歴史家や考古学者の少数は躊躇いながら西方「ケルト」(間違ってそう呼ばれている)は中東や遠東に定住したことを認めている。これは、これらの民族移動が歴史的に見て比較的遅い時代であったためである。それはおよそ紀元前600年からである。今の学界では誰も思い切って初期の巨石文化が西方から東方に民族移動したなどと認識することも受け入れることも出来ない。既に述べたようにこの考え方は「専門家」が慣習的にそして軽蔑的に無視する煩わしい問題の数々に繋がってしまうのである。

 

・今日の歴史修正者であるラルフ・エリス、ムスタファ・ガダラ、アハメドオスマンらは、 ―コミンス・ビューモントやその他の孤高の天才たちに続いて― 所謂旧約聖書の「古代イスラエル人(Israelites)」や「古代猶太人(Judites)」はエジプト第18王朝の初期にエジプトから最初に追放され、そして、後に彼らの傀儡王アクエンアテンの治世に再び追放されたヒクソスのアテン信仰者に外ならないことを確認している。この点については著者は全面的に合意する。著者は更に、ヒクソスのアテン信仰者は元々西方からのスキタイであり、アクエンアテンの最初の妃ネフェルティティとその娘メリタテンはスキタイであったと主張する。イアフメス一世の治世(第18王朝の始まる直前)、ヒクソスの貴族たちが強制的に國を追放された。実際、イアフメスは彼等を上エジプトから追放した。上エジプトの富を維持して彼らは下エジプトで再結集したが、それ故に部外者、外国人、そしてのけ者(シャスやアピルなど)と烙印された。第18王朝の末期の王の一人であるアクエンアテン、エジプトの破壊者、は著者の意見では追放されたヒクソスの貴族に召し抱えられていた。ヒクソスはその支配した町で過ごした彼を幼少期から支配していた。彼によるエジプトの神聖破壊はイアフメスとアメニスト*の敵に対するヒクソスの復讐行為であった。アクエンアテンはその破壊行為に成功し、エジプトはその為に二度と元通りにはならなかった。彼以後の王の中でその過去の栄光に匹敵するほどの版図を回復できた王は居なかったのである。(これについて詳しくは本書を読んでほしい)

*原文:Amenist Amoneste? アメン信仰者のこと?

 

追放されたヒクソス-アテン信仰者-セト信仰者は、この世から消えず、また「囚われの身」になることもなかった。彼等は超裕福で、世界中と通じる強大なつながりを持つファラオのような貴族であった。アクエンアテンの没後彼等の子孫は下エジプトで再結集し、そのエリート部分は結局のところ西方の彼らの祖先の故郷に移動して行った。彼らの目的は新しい帝國を創立することであった。彼等はそれを成し遂げた。ブリテン島から彼らはその多くの忠実な代理人アテネ、ローマ、タニス(ナイルデルタ北東の町)、アレキサンドリアユダヤその他の地で支配した。ブリテン帝國は疑いなく太陽(アテン)の没しないアテン信仰者の帝國である(ユニオンジャックは実際、ヤコブの連合(Union of Jacob)の印である)。帝国の創設者と維持者は何世紀にも亘って計り知れない動乱を繰り出し、世界中で言い知れぬ苦しみを起こした著者の作品は、これら気狂いの金権家たちとその反人類的事業の廃墟を暴露することに捧げるものである。この闇の一団(Black lodge)が正確に特定され、破壊されるまで、ありふれた政治活動や市政改革は実効性がないことが眞實なのである。

 

・西方へのヒクソス-アテン信仰者の帰還はアイルランドスコットランドの年記に記録されている。これらは彼らの指導者ミル王に因んで、ミレシアンの名で侵略者の言及がある(ミル王はスコットランドではガテロス又はゲイテロスとして知られ、これが恐らくゲール(赤の他人)と言う言葉の由来であった。)公式にはミレシアンは紀元前600年頃にスペインからアイルランドに渡って来たと信じられている。然しながら著者はこれ等の日付が作為的に偽装されていると思う。このアテン信仰者の占領は恐らくこの公式日付より千年近く前に起こっている。この擬装が起きたのは、ゲール人アイルランド侵略、ドルイドの抑圧、キリスト教の創立をローマの勃興(紀元前700年)以前でなく、それ以後の時代にするように歴史家が指示されたためである。著者が述べたように、ミレシアン(スキタイ)の祖先は元々アイルランド人であった。アクエンアテンとアテン信仰者の時代のはるか以前に、彼等は災害の時代の混乱を経験し、ヨーロッパと中東に移動したのであった。

 

ドルイドを根絶することはミレシアン-アテン信仰者には困難であることがわかった。彼等は最後にはローマや各地にいたその代理人に手を貸すよう求めた。著者の意見では、アレキサンダー大王、ユリウスとアウグストゥスカエサル、それに他のギリシャ・ローマの専制君主による帝国主義的活動は、ブリテン島に根を下ろした上級アテン信仰者により資金提供され、指示された傭兵活動であった。この同じブリテン島を根城にしたカバルは、ビザンチンコンスタンティノープル)のキリスト教会にも資金融通し、最後にはローマにも資金融通した。キリスト教は今も昔もドルイド教のかけ合わせ宗教なのである。それは世界中で嘗て知られて尊敬されていた堕落していない学派を奪った(成りすました)のであった。更に、アイルランドカルデアン(アテン信仰の)僧侶 ―ドルイドの人喰いの伝統の責任者― がブリテン島とヨーロッパのテンプル騎士団貴族の指導員となった。(メロヴィング王家のメロヴィー二世*とダゴベルト二世**はアイルランドで初期の教育を受けた。)カルデアン***は、テンプル騎士団とシトー修道会の子孫と共に、ドルイドの食人伝統の「保護者(保存管理者)」であった。これは、キリスト教の教理や印に異教の要素が見いだされる二番目の理由である。それで敵対勢力が後年、強硬路線の教皇主義と、アイルランドの所謂ケルト教会のような「グノーシス」的なものとの間、そして教皇主義とテンプル騎士団との間に巻き起こったのである。(テンプル騎士団繋がりについては以下を参照:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

*Merovee II 不詳
**Dagobert II フランク王国の継承国アウストラシアの王。在位:675~679AD
***Culdean Culdee派のキリスト教。中世のアイルランドイングランドスコットランドの宗派。

 

英仏独それにスイスのメロヴィング朝の構成員は今も昔もセト信仰のアテン信仰者である。シオン騎士団、テンプル騎士団フリーメーソン、バラ十字団、イルミナティなどのような強大な秘密結社はエリートの王族たち(そしてその他ローマサークルや枢機卿団体などの捉えどころのない団体)の資金提供を受け、運営されている。その蔭の構成員はその血筋かイデオロギーに於いて古代の、セト信仰-ヒクソス-アテン信仰-古代猶太に関係している。これらの集団の構成員は「ルシフェリアン」或いは「光の君主」である。

 

現代の支配の構造と所謂「New World Order(新世界秩序)」は、著者がその作品の中でその存在を暴露しているセト-アテン信仰者の専制者と半神半人の新構想である。会社法人や宗教の世界に浸透している記号の大多数はこのルシフェリアンのカルトを指し示す。彼等の「新世界秩序NWO」は過去の時代に於いて彼らが失った「旧世界秩序」に代わるよう考えられた支配の構造である。この魔法使い ―ゲオーニーム或いはエクシアルク(光又はアテンの君主と兄弟たち)のカルトは、政治的に、そして神学的に人類の支配を実行している。彼等が 植え付けた宗教は人類の感情を制御する役割をし、その反逆精神を萎えさせ(平和にし)、一方でその(植え付けた)政治組織は、人類に優越と権力の見せかけを提供する。肯定的社会変革と技術の進歩の奇怪な幻想を見せびらかされて、そして「アテンの光」により目くらましにされて、人類は心理的に束縛されたままになる。結果として、人類を自分たちの地政学的勝負事に於いて、習慣的に捨て駒のように扱う支配階級層の人物に対して人類は、どのようにしても決して脅威とはならないのである。

 

支配の構造は、多くのキリスト教徒の陰謀熱狂者が主張するような、何か定義できない「謎の宗教」の継承者なのではない。彼等はキリスト教会の樹立に責任のある、同じ闇のロッジに設立された、秘密友愛団体(結社)の入会者なのである。であるから、秘密結社の働きについて暴露しようとするキリスト教徒は、大部分が自分たち自身の忠誠(信仰)に関する重要な事実に関して無知なのである。彼等は自分たちが属する当にその宗教が、秘密結社に財政支援し、指示を与える同じアテン信仰者によって創設され、財政支援されていることを知らないことにより、(既に)障碍を抱えているのである。アテン信仰者は、誤って情報操作された派閥がお互いに陥れ合いをするために、ずる賢く社会を分割した。「偽装敵対者*」が思慮なく彼らのシーソーに乗る**一方で、アテン信仰者の存在は隠されたままなのである。にも拘らず、今日知られているユダヤ教、新教(プロテスタントカトリック教、イスラム教、そしてフリーメーソンはアテン信仰者の「団体」、或いは闇のロッジに造られたブランド「焼き印」なのだ。であるから、政治的宗教的な偏りから解放されたものだけが人類をこんなにも永い間獲物としてきた極悪非道な情報戦を成功裏に戦うことが出来るのである。

*原文はOpposames。
**日本語で言う「プロレス」のこと。

 

[1] Dragon Courtとは、ヒクソスのファラオを頂点とする家系のこと。龍がその印であったのでこの名がある。蛇兄弟とは、伝説のアレキサンドリア図書館の司書の分派で歴史の真実を隠蔽しようとする一味のこと。

 

注意:文中の太字強調は燈照隅が付加した。

文明のアイルランド起源 HPより01

第一巻の付録:

フリーメーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教のシンボリズム(記号)

http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-i.html

 

「これらのすべての事実からアイルランドの住民はアジアからではなく、西方から来たように見えるのである。即ち、それはアトランティス島からの多くの人口流出の一つであり、當にここにアリアンの学者が悩んで来た問題に対する説明を見出すのである。アイルランドペルシャギリシャ・ローマ・スカンジナビアよりもパンジャブ地方から遠いため、ケルトの民族移動の波がサンスクリットの中心から送り出されたものなら、最も早いものであったに違いない。が、シュライヒャー教授やその他の学者は今やケルト語がサンスクリット母語から別れたのは他の言語よりも後であることを示し、アリアンの他のどの言語よりもラテン語と密接に類似すると主張する。これはインドヨーロッパ人種の東方起源のどの理論でも全く説明のつかない事であるが、アリアンとケルト人がアトランティス源泉の同じ頃の民族移動と認識すれば非常に容易く理解され得る。この信念には多くの確証がある。まず最初にアイルランド人の文明は、ずっと古代に遡るのである。」
―イグナチウス・ドネリー著(「アトランティス:ノアの洪水以前の時代」1882年)

 

「文明のアイルランド起源」を通して示したように猶太教、キリスト教テンプル騎士団フリーメーソンと関係する記号と伝統の多くがアイルランド起源なのである。

それらは最初西方のドルイド長老に使用され、嘗てはアリアンの世界中を通じて知られていた。アイルランドの名は元々Ari或いはArya Landを表現するものであり、これは「西方の國」を指す用語の含意があった。もう一つは「純粋な、或いは高貴な人々の國」の含意があった。

殆どの現代人には理解しにくいことであるが、嘗ては緑の小さな島が世界の元々の貴族の出身地であった。この事実は、多くの場合、所謂「ケルト」が何処から来たのか疑問に思ったり、ギリシャやローマの神話で広められた「ケルト」と言う用語が不正確で先入観に満ちたものであったことに気づいていないケルトの多くの学者には隠されてこなかった。

 

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儀式中のドルイドの高僧と若き日のエリザベス女王ドルイドと言う言葉の起源の一つは「上級僧侶」と言う意味のdar wyddである。英国王室の別名WindsorはドルイドのWin de Sieurから取り入れられ、その意味は「白い席」或いは「白い山」である。勿論、現代のドルイド教はアテン信仰に過ぎず、古代に知られていた元の形態とは似ても似つかぬものである。

 

著者の仮説(概要)

ドルイド十戒は神がモーゼに与えたものとほぼ同じである。」
リチャード・ケリー・ホスキンス

 

著者は2005年に「文明のアイルランド起源」に取り組み始め、2007年11月に二巻とも発行した。世界史に於けるアイルランドの役割についての著者の研究は古代アイルランド神話の予備的研究の後、1981年に始まった。現時点(2020年)で著者の学説と主張はほんのわずかしか現代の作家や研究者に受け入れられて居ない。それに歴史修正主義者によって深く考えられてもおらず、正しく取り組まれてもいない。然しながらそこに示された考え方は、結局は実証される可能性が高い時代に我々は居るのである。最近の考古学的発見は西方の歴史で受け容れられてきたことを根本的に変える役割を果たすのである。我々の過去の史実を隠す虚偽や欺瞞は日々、壊れつつあるのである。

 

私はその著書の中ですべての偏見のない歴史家や研究者が深く熟慮しなければならない次のような論争の的となる点を主張する:

近代文明の要素は大洪水以前の時代にその起源があり、人類の洗練された技術の出現に充てられた公式の日付よりはるか以前である。アトランティスや、北極の故郷、それに他の有史以前(およそ一万三千五百年前)の文明の破壊以降、生き残った文化的要素はブリテン島とスカンジナビアに移された。ブリテン島*は「幸運の島」として知られた。何故ならそこはヒュペルボレイオス[1](北半球)を襲った想像を絶する破壊を生き残ったからである。

*ブリテン島とアイルランド島を指すと思われる。

 

大洪水以前のヒュペルボレイオスの智を守り、広めたのはドルイドとして知られていた僧侶であった。この言葉は真実の僕或いは保護者と言う意味である。然しながら、ドルイドは世界的な僧侶であって、西方だけに囚われていたものではない。エジプトでは彼等はアメン信仰者として知られていた。インド、エジプト、イタリア、ギリシャ、その他の国々の宇宙論と神殿は原住民のものではない。それらはブリテン島とスカンジナビアが起源であった。実際、旧約聖書エノク書や他の古代の文書に於いて記述されている数多くの登場人物や出来事は、中東やアジアではなく、ブリテン島で生き、起きたものである。西方から導かれた多くの東方の國の伝説と神話は後代になってコンスタンティン大帝のような傲慢な君主に密かに雇われた元々その土地にいない神話拡散者により東方の国々と人々に伝承された。例えばよく知られたオシリスとイシスに関する神話は西方起源であり、元々のエジプト人種によって生み出されたものではなかった

 

エジプトではなくアイルランドこそは大洪水時代以後の文明の要素の揺籃であった。これらの要素が世界中に拡散したのはブリテン島とスカンジナビアからである。この議論が沸騰するであろう事実は執拗に否定されている。何故ならそれは必然的にアトランティスや大災害の時代、それにアダムに先立つ進んだ人類の古代についての憶測を呼び起こすからである。これらの話題の解き明かしは、近代の科学や宗教の基本的教義を覆すものである。加えて、ブリテン島のドルイド教の広範な影響についての事実が知られていないのは、ドルイドの徹底的な破壊と彼等の社会的伝統と宗教的中心思想が長きに亙って作為的に隠蔽されてきたことによる。

 

ブリテン島とエジプトの間には始原からの繋がりがあった。公式の第一王朝(約四千年前)のずっと以前に西方アリアンは中東と遠東*に民族移動しそこに新しい文明を築き、或いは既存の文明を豊かにした。彼等の遺物はエジプトの上流部やそれよりも東の地域で確認されている。それは、ギザのピラミッドの原型の建築物やナイル川に沿った多くの神聖な神殿である。彼等はアメン・ラー信仰、オシリス信仰、ホルスとイシス信仰(ノルマンのイス)を齎(もたら)した。東方では、西方で起きた途轍もない破壊により、アリアンは祖先の西方の住民、「死者の國」として言及された。「地底世界」、「地獄」、「Hades(國、領地、結社などを表わす語)」などの用語すら、西方とそこで有史以前に起きた破壊を表わすのに用いられる
*原典ではFar Eastとなっているが、その使われ方から判断して、中東より東の地域を漠然と指しており、支那大陸東部や日本を指していないので、誤解を避けるため、極東とは訳さず、遠東とした。

 

ブリテン島への(イベリア半島ケルト、ゲールなどの)多くの有史以前と歴史上の民族移動は多くの場合「帰還」である。所謂「大災害の時代」の間、巨大な災害(アトランティスを破壊した災害に続いて)がブリテン島の元々の住民を移動させ、今は波間に消え去った地峡を渡って大陸に避難することを強いた。

 

ドルイドはアリアンであった。この言葉は通常、狭い意味で人種を示すと解釈される。然しながらこの言葉はまた精神的カーストを示すこともある。それはまた、アイルランドの本当の名前でもあり、正しくはアリランド(Ariland)或いは「アリア人の國」を意味する。この言葉はエリ(Eri)つまり古代ドルイドの大地の女神を意味する。語源的に、アリ(ari)とエリ(eri)はarea(地域)、terra(地)、Tara、Mary、Hera、Benares、Armenia、Aramaic、それにaristocracy(貴族)などの語根として見いだされる。テラー(アブラムの父)やハラン(Haran 地名)などはアイルランド語である。(Haranはアリアンの同意語)Iberian(イベリア)、Hibernian、Hebrides、Hebericum(Yorkの古い名)、Hebronなどの形容辞はラテン語化されたヒュペルボレイオスと同等で、アイルランドや北極の故郷を暗示する。これがEber(イスラエル人の祖先の一人)の本当の意味であり、HeberやHebrew(ヘブライ)の地名や人名の本当の意味である。ナイルの僧侶 ―イバル(Ibaru)― はその名を北西のアリアンを表わすところから取った。偉大なアンナ・ウィルクス[2]が教えるように、「ヒュペルボレイオスは疑いなくドルイドとバード(Bard)の國のことで、その宗教は後のヘブライのものと全く同じである。」まさにドルイド ―バード― という言葉はBoreades 或いはBoreasと同等に「北」を意味する。イバル(Ibaru)は中東に住んでいる西方人の唯一の分流であった。関連する集団にはルヴィアン(Luvians)、シロナイト(Shilonites)、シェムス・ホール(Shemsu Hor:ホルスの使者)が居る。彼等の存在の証拠は本当に旨く隠蔽されている。

 

古代アリアンの言語は今ではアラム語ヘブライ語として言われている。然しながらこれらの言語は我々の前に偽装する言語学者やその他の所謂「専門家」により詐欺的に表されている。これらは「セム系」ではなく、早い時期の猶太やカナーン人によって編み出されたものでもない。逆に、ヘブライ語の22文字のアルファベットは古代アイルランドやアリアンのアルファベットを基にしたものである。特に、所謂「ヘブライ語」のアルファベットはブリテン島とエジプトに於いて隠された、達人が使う聖なるアルファベットであった。それはヒエログリフではない秘儀の神官の「神官文字」であり、現代の宗教的猶太人の先祖ではないイバル(Ibaru)の聖職者のアルファベットであった。それどころか、彼等こそは元々の猶太(Judites)で審判(判事)で智慧の者達であった。高度な文明の構造はやがて、聖なるものを汚す者たちによってその中心思想が剽窃され、堕落され、偽り伝えられ、低められたのであった。研究者トニー・ブッシュビー[3](Tony Bushby)によると、「ヘブライ」(Ibaru)の22文字のアルファベットは今では失われたギザのピラミッドの冠石(Capstone)であった結晶を日光が通過するときに生み出される蛇のような形状の影を土台としたものであった。これらの「文字」はカバラ信仰の「命の樹」に関する、アイルランドが起源のタロットの22のカードに割り当てられた(聖なる樹と言う概念はユダヤ教キリスト教が発祥するより千年も前に西方 ―ブリテン人、ノルマン人、ヨーロッパ人― の達人には知られていたことを疑わないでおきたい)。

 

イスラエル古代イスラエル、猶太、古代ユダヤ(Judite)、ヤフド、エホヴァ、アドナイ、アテン、アメン、エロヒム、キリスト、イエス、メシア、ヨシュア、イサク、ヤコブダビデ、ソロモン、モーゼ、ヒラム、エソウなどなどの用語や名前は元々ドルイド或いはアリアンの名称である。この用語の中にはドルイド団体の上級員を指す役職名もある。これら用語は、宗教の起源についての事実を隠すために剽窃され、故意に誤訳され、或いは誤割当された。レヴィと言う用語はルヴィアン(Luvian)の変形で、それが意味するのはメソポタミアに住んでいる専門家集団 ―ルグ(Lugh:ケルトの太陽神)の使徒― である。それは、彼らの慣習で、儀式で、名称であり、後になって我々は旧約聖書の著者によって書き直されたのを見出す。レヴィと言う用語は、述べるように、古代西方アリアンの聖なる樹、ナナカマドも意味する。ナナカマドやイチイなどのような樹はアリアンの印としてよく知られていた。

 

・猶太キリスト教ドルイド教とアメン信仰の堕落した形態である。現代の宗教の大部分の教義・教理用語と記号は故意の剽窃の結果である。それらは古代アリアンの神学と占星術を土台にしている。実際上、猶太教、キリスト教イスラム教の正統派の構成員から我々が見聞きするあらゆる言動はこれらの論争の的となる事実を隠すために立案されたものである。

 

ドルイド教とアメン信仰の堕落した形態がアテン信仰とも言える。アテン信仰は猶太キリスト教神学に見られる一神教的要素の一番初期の土台である。現代の専門家が口を酸っぱくして否定するこの事実はしかし、そのことによって少しも真実であることに変わりはない。真実は、キリスト教は、多くの間違った情報を与えられた研究者や著作家が主張するような、平等主義の猶太人やエッセネ派やマンダヤ教[4]や、ストア派やテラペウタイ派[5]アレクサンドリアグノーシス派によって考えつかれたものではない、ということである。これらの東方の宗派の殆どは古代アテン信仰の支流であった。ミトラ教やタルムード信仰についても同じことがいえる。ユダヤ教のエホヴァ ―同じくアドナイとも呼ばれる― は何あろう、光の神、アテン神なのである。

(※仮説は02に続きます) 

 

[1] ヒュペルボレオイ(Hyperboreoi)、ヒュペルボレイオス(Hyperboreios)は「北風(ボレアス、Boreas)の彼方(ヒュペル、hyper)に住む人々」の意味で、ギリシア神話に登場する伝説上の民族。

アポローンを篤く崇拝する民族として知られ、彼らの住む地(国)は一種の理想郷と捉えられていた。

ギリシャ人は極北の地を「トゥーレ」と呼んで人は住めないと考えていたが、一方では緑の楽園を夢見ていた。

[2] Anna Wilkesは、聖書・コーラン・タルムード・ケルトの古文書の研究から最初の人類やその家族が東方ではなく西方の起源であったことを19世紀に論じた著作家。「Ireland, Ur of the Chaldees (1873)(アイルランドが、カルディーのウル)」(ウルは聖書に出てくるアブラハムの出生地。)

[3] Tony Bushbyは、オーストラリアの聖書研究家。主な著書:「聖書の中の秘密The Secret in the Bible (2003)」「真実の磔刑The Crucifixion of Truth (2005)」「聖書の欺瞞:イエスキリストの語られない物語The Bible Fraud: An Untold Story of Jesus Christ (2001)」「双子の欺瞞The Twin Deception (2006)」

[4] マンダ教あるいはマンダヤ教は、グノーシス主義のひとつとされる宗教である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%80%E6%95%99

[5] テラペウタイ派は、アレクサンドリア古代ギリシャ世界の他の地域に存在した宗教の宗派。

 

注意:文中の太字強調は燈照隅が付加した。

文明のアイルランド起源 HPより00

文明のアイルランド起源 ―アイルランドと世界のもう一つの歴史―

マイケル・サリオン(Michael Tsarion)のサイト

ホームページ:http://www.irishoriginsofcivilization.com/

真実と忘却

ごく最近、世界中を巻き込む大変動が大洪水以前の進んだ文明の崩壊をもたらした。強大な大陸が塔のようにそそり立つ巨大な波の下に沈み、大地の裂け目に呑み込まれ、つまりは自然の獰猛な力により、跡形もなく消滅してしまった。この大洪水以前の文明の散逸した残滓は、途方もない誤解により、表向きには約八千年前、新石器時代の初期、に始まった所謂「有史」時代の黎明の一つに取り込まれた。世界の最初期の中石器時代や巨石文化の遺跡がその設計と建築に於いてその後のものよりも洗練されているにも拘らず、多くの人々は過去の世界に関して、理に適わない架空の話を受け容れ続けている*。即ち、古代の人間はより原始的で、今の人間は文明化されている、と。それが、圧倒的多数の人間が今信じていることである。然しながら、それは考え及ぶ限りで最も言語道断な誤謬の一つである。

*彼がここで指摘するのは、エジプトや米大陸の今は失われた優れた石の建造物の技術が有史以前の遺跡に存在することと、それ以後の石の建造物が寧ろ時代を経るに従い、より拙いものへと変遷する不思議な考古学的現象についてである。

言わば、二度目の大変動の波、は、同様に、嘗ては世界中で運営されていた威厳のあるドルイドの学寮を一掃してしまった。これらの学寮は壊滅した神々の過去の時代からの技術の要素を万人の善のために維持してきたものであった。これらの学寮とその創設者も同様に失われ、葬られ、忘れ去られた。原初の知識と文化の神聖な場に代わって、進歩や啓蒙を目指さず、寧ろ混乱と惑いに誘う制度や教えが起こったのである。これらは真実の僕が嘗て心と魂、世界と宇宙の働きについて追求したその遺跡で確立した。歴史は、この真実の僕と美徳 無き者、或いは魔法使いの賢者と邪教の魔術師*の間の闘争の物語であるとも言えるのである。原初の賢者の階層の霊知の滅失は、今日では多くが知られていない人為的な大虐殺であった。この災難こそが、連続する自然災害、たとえそれがどのように恐ろしい自然災害であっても、それよりもなお一層もっと多く人々を傷つけ、抑圧して来たものであったのだ。太古の賢人に取っては歪んだ暗い心こそは、破壊された光のない世界よりも見ていてもっと陰惨で恐ろしいものであった。

*原文「struggle between Magicians and Sorcerers」:は単にMagicianとSorcererの間の闘争

     ―マイケル・サリオン著「文明のアイルランド起源」第二巻から引用

 

※念のため、マイケル・サリオンについて再度、記載しておきます。

【マイケル・サリオンについて】

マイケル・サリオンは北アイルランドに生れたオカルト研究者である。彼はシンボリズム、星座占星学、アトランティスなどの話題の著作家で演説家である。また彼は古代の謎と禁じられた知識を探求する起源と神託の製作者で発表者でもある。

アイルランドアメリカのオカルトの歴史の専門家である彼は世界の神話の比較研究、それに自身の國の古代と不可思議なケルトの伝統について最も深い研究を行ってきた。彼のアトランティスと悪の起源に関する発表は科学的に証明できない分野の老練家から高く評価されている。

ミンス・ビューモント、イグナティウス・ドネリー、イマニュエル・ヴェリコフスキー、ウィリアム・ブラムリー、エリック・フォン・デニケンの流儀の中でサリオンは地球外の文明の関わりの結果を考慮し、他の多くの「来訪」専門家が見落とした難題を明かにしようとする。

彼の本はアトランティスと先史時代の失われた大陸についての偽情報を明らかにしてくれる。近代の巧みに演出された混沌に集中し、如何にして現代の政治的・軍事的仕組みがはるか古代にその源泉を持つものか、を明かしてくれる。サリオンは、問題を記述すると同時に、千年に亙り人類が置かれて来た道徳的社会的苦境に対する解決法をも提供してくれる。サリオンはまたヨシュア・フォールケンベリーとアラン・リードと共に霊知個人的視覚機構(the TimeGnosis Personal Timescopes system)の共同創設者でもある。サリオンは2006年7月7日金曜日にナタリー・モラレスが司会を務めるSFチャンネルの特別番組「アトランティス:新たな驚くべき秘密」に出演した。この、神話のアトランティス大陸の神秘的な歴史を取り巻く未知の部分を調査することを目的とした番組でサリオンはこの謎の國の起源と場所について自身の理論を語る。

 

【原文:Goodreadより転載】

Michael Tsarion was born in Northern Ireland and is a researcher of the occult. He is an author and public speaker whose topics include symbolism, sidereal astrology and Atlantis. He is also the producer and presenter of the Origins and Oracles series which explores ancient mysteries and forbidden knowledge.

An expert on the occult histories of Ireland and America, has made the deepest researches into the comparative mythologies of the world and into his own country's ancient and mysterious Celtic Tradition. His presentations on Atlantis and the origins of evil have been acclaimed by veterans in the field of paranormal research.

In the tradition of Comyns Beaumont, Ignatius Donnelly, Immanuel Velikovsky, William Bramley and Erich von Daniken, Michael considers the consequences to civilization of extra-terrestrial involvement and seeks to clarify many of the quandaries that other "visitation" experts have overlooked.

His book clarifies the disinformation about Atlantis and the lost continents of prehistory. It concentrates on the orchestrated chaos of modern times and reveals how the political and military machinations of the present have their roots in the ancient past. As well as stating the problems, Michael also furnishes us with solutions to the moral and social predicaments that have beset humankind for millennia. Michael is also the co-creator along with Joshua Faulkenberry and Allen Reed of the TimeGnosis Personal Timescopes system. Michael appeared Friday, July 07, 2006 on the Sci Fi Channel special Quest for Atlantis: Startling New Secrets, hosted by The Today Show's Natalie Morales. On this show, which purports to probe the murky depths surrounding the mysterious history of the mythological continent of Atlantis, Tsarion discusses his own theories as to the origins and whereabouts of this mystical land. www.taroscopes.com (less)

 

歴史・宗教・哲学の欺瞞と疑問

マイケル・サリオンのHPより

「文明のアイルランド起源 ―アイルランドと世界のもう一つの歴史―」

邦訳連載について

 

これまで私は歴史・宗教・哲学に関して多くの疑問を持ってきた。

例えば、

何故、エジプト古代文明は、先立つ文明がなく突如として高度な文明が始まったか

何故、イエス・キリストには、実在した物的証拠がほぼないのか

何故、古代の世界中の多神教信仰が今ではインドと日本を除き、潰え去ったのか

何故、アメリカ大陸に突如として堅牢な石の文明が栄えたのか

何故、日本の刀鍛冶は「神からの技術」として、そしてどこから伝わったのか

何故、猶太の伝説でしかないはずの「旧約聖書」が世界中に拡がったのか

・・・

これらの疑問は、常に私の頭の中のどこかに存在し続け、見つけようもない答えを求めて、これまでかなり広い心で様々な情報を拾い集めては思索を重ねて来た

ここ数年で近世以降の歴史の様々な疑問が氷解して来た

その中には、十字軍、宗教改革ルネサンス三十年戦争、資本主義の勃興と猶太の役割、そして果てしない欧州の戦争と植民地争奪戦、その裏に居る猶太勢力、そして金本位制による世界経済の支配…後には通貨発行権による世界経済の支配…

第一次大戦と第二次大戦を主催したフリーメーソン

ヒトラーによる民族主義の復活とそれを抑えるための「ホラコ」の捏造

日本を抑えるためのWGIPと特亜への肩入れ

などがあった。

・・・

これらの疑問に対する答えは、正史の勉強では絶対に得られない。

正史とは、それを正史とすることにより他の可能性を完全に無視することによって成り立つもので(本来はそうであってはならないが)、それを押し付けることによって我々に固定的歴史観を植え付け、洗脳する装置なのである。

では、正史以外の歴史観の可能性を見出すにはどうすればよいか?

単純に正史が無視している歴史的事実や歴史的考察を一つずつ頭に入れ、自分自身の思索に当て嵌めて、自分自身の歴史観を温めることにより、直観を得ればよいのではないか?

近代の歴史の欺瞞は、この方法論で、大方、見破ることが出来るようになった。近代の場合は、時の新聞やその論評を調べることにより正史に隠された要素を洗い出すことが出来、歴史的事実の客観的評価を得られるので調べるのは言葉の理解が重要である。(但し、この方法は第二次大戦後の画一化されたジャーナリズムの下ではかなり制限されてしまった)

しかし、古代の歴史に関しては文献が少なく、或いは既にある勢力により曲解されたもの以外は焚書されている可能性が高い。そこで役に立つのが、語源学や記号(シンボリズム)学、そして何よりも考古学的物的証拠である。

私は本来、オカルトなどに全く興味はない。いや、オカルトと雖も、結局のところ、過去の地の信仰の伝承に過ぎないと考える。勿論如何わしい伝承などはその解釈に余程の注意が必要であろうが、要するに伝承の中には何らかの真実が隠されており、それを抽出する根拠となるだけの語源学や記号学、考古学的物的証拠があれば、大胆な推理も成り立つであろうし、まやかしの正史よりも真実を抉り出す助けになると思う。

何をもって信憑性とするか、或いは証拠から炙り出される歴史的事実は一体何か、と言う判断は偏に個人に委ねられるものであるが、証拠とその信憑性についての根拠だけは客観的に判断できると思う。

           *     *     *

そのような態度で、マイケル・サリオンTsarionの「文明のアイルランド起源」のHPを読み、是非とも日本の皆さんにもご紹介したいと思い至った次第であります。

再度、言っておきますが、私は断じてアトランティスが何処にあったとか、そこにどのような技術があったとか、宇宙人が来ていたとか、そのようなことには一切興味がありません。しかし、日本の高天原のように、言い伝えの中に儼然と存在することを認め、そこから所謂西洋文明の源泉とそれがどのように間違って?伝えられ今日に至ったか、の一つの筋道としてこの考え方をご紹介するものです。

私が考える限りにおいて、このサリオンの話は、次のことを説明してくれます。

1. 西洋文明に存在し続ける悪の裏表(偽善とDS)の起源

2. 古代に多神教であった筈の人類が一神教になった道筋(その人為的欺瞞)

3. 西洋に多数存在するとされる秘密結社とその役割

4. キリスト教の発祥

5. フリーメーソンが目指すもの

 

一方、サリオンの話は古代の話については正史を疑い、様々な検証をしているにも拘らず、近代、特に第一次大戦以降の歴史に関してはとても頓珍漢な歴史観を示していることもとても気になります。

例えばナチスと第三ライヒに対する偏見などは、サリオン氏自身に対する信頼を損ねるのではないかと思う次第です。その一方で、アルフレッド・ローゼンバーグの「二十世紀の神話」を引用している辺り、とても奇異に感じます。

 

正直、このHPのご紹介に関しては、最後の段階でとても迷いました。が、公開することにした決め手が三つあります。

1. エジプト第17王朝~18王朝の混乱 ―宗教改革とヒクソスによる征服王朝時代― について歴史は何も教えてくれないが、この事件こそが今日に至る西洋の社会の原点と感じたこと。

2. 旧約聖書の内容が特に創世記と出エジプト記に於いてほぼ全て剽窃である、と言うのが真実と感じたこと。

3. キリスト教の成立過程と現代のフリーメーソン的思考の広がりが、非常に重なって見え、そこに神國日本の思想的・伝統的継承の危機を感じたこと。

であります。

 

これまで同様、公開文書の中では私個人の意見は原則として述べないことに致します。あくまでも読者各々が御自分で感じるままに受け取って頂きたいと思います。

 

令和三年三月三日

                  ―燈照隅

 

【マイケル・サリオンについて】

マイケル・サリオンは北アイルランドに生れたオカルト研究者である。彼はシンボリズム、星座占星学、アトランティスなどの話題の著作家で演説家である。また彼は古代の謎と禁じられた知識を探求する起源と神託の製作者で発表者でもある。

アイルランドアメリカのオカルトの歴史の専門家である彼は世界の神話の比較研究、それに自身の國の古代と不可思議なケルトの伝統について最も深い研究を行ってきた。彼のアトランティスと悪の起源に関する発表は科学的に証明できない分野の老練家から高く評価されている。

ミンス・ビューモント、イグナティウス・ドネリー、イマニュエル・ヴェリコフスキー、ウィリアム・ブラムリー、エリック・フォン・デニケンの流儀の中でサリオンは地球外の文明の関わりの結果を考慮し、他の多くの「来訪」専門家が見落とした難題を明かにしようとする。

彼の本はアトランティスと先史時代の失われた大陸についての偽情報を明らかにしてくれる。近代の巧みに演出された混沌に集中し、如何にして現代の政治的・軍事的仕組みがはるか古代にその源泉を持つものか、を明かしてくれる。サリオンは、問題を記述すると同時に、千年に亙り人類が置かれて来た道徳的社会的苦境に対する解決法をも提供してくれる。サリオンはまたヨシュア・フォールケンベリーとアラン・リードと共に霊知個人的視覚機構(the TimeGnosis Personal Timescopes system)の共同創設者でもある。サリオンは2006年7月7日金曜日にナタリー・モラレスが司会を務めるSFチャンネルの特別番組「アトランティス:新たな驚くべき秘密」に出演した。この、神話のアトランティス大陸の神秘的な歴史を取り巻く未知の部分を調査することを目的とした番組でサリオンはこの謎の國の起源と場所について自身の理論を語る。

 

【原文:Goodreadより転載】

Michael Tsarion was born in Northern Ireland and is a researcher of the occult. He is an author and public speaker whose topics include symbolism, sidereal astrology and Atlantis. He is also the producer and presenter of the Origins and Oracles series which explores ancient mysteries and forbidden knowledge.

An expert on the occult histories of Ireland and America, has made the deepest researches into the comparative mythologies of the world and into his own country's ancient and mysterious Celtic Tradition. His presentations on Atlantis and the origins of evil have been acclaimed by veterans in the field of paranormal research.

In the tradition of Comyns Beaumont, Ignatius Donnelly, Immanuel Velikovsky, William Bramley and Erich von Daniken, Michael considers the consequences to civilization of extra-terrestrial involvement and seeks to clarify many of the quandaries that other "visitation" experts have overlooked.

His book clarifies the disinformation about Atlantis and the lost continents of prehistory. It concentrates on the orchestrated chaos of modern times and reveals how the political and military machinations of the present have their roots in the ancient past. As well as stating the problems, Michael also furnishes us with solutions to the moral and social predicaments that have beset humankind for millennia. Michael is also the co-creator along with Joshua Faulkenberry and Allen Reed of the TimeGnosis Personal Timescopes system. Michael appeared Friday, July 07, 2006 on the Sci Fi Channel special Quest for Atlantis: Startling New Secrets, hosted by The Today Show's Natalie Morales. On this show, which purports to probe the murky depths surrounding the mysterious history of the mythological continent of Atlantis, Tsarion discusses his own theories as to the origins and whereabouts of this mystical land. www.taroscopes.com (less)