文明のアイルランド起源 HPより22

 

チュートン騎士団

「地球上には、バチカン全体主義政治国家よりもよく組織された独裁体制が存在せず、そしてそれが何世紀にも亙ってあまりにも長く維持されて来たのである。その組織はキリスト教の名前をどのように使うかを洞察力を以て知って居り、そのようにして何百万人もの人々を混乱せしめ、騙すように、意志を以てキリスト教の価値観を表すのである。」
―ラファエル・ロドリゲス・ギレンRafael Rodríguez Guillén著「ヴァティカンの力」
*Monseñor Dr.Rafael Rodríguez Guillénはカトリックの聖職者で内部告発者。「Power of the Vatican」の著者であること以外、英語での本人に関する情報は極めて少ないようです。(燈照隅)

 

バチカン、新教と旧教、によって使われてきた記号はユダヤ教旧約聖書の所謂「ヘブライ人」に由来すると言うことが巧みに浸透されている。我々はそれがエジプトとアイルランドに由来することを聞かされない。新教の牧師たちは自分たちの宗教から異教の記号を排除しようとしてきたが、その努力はある点までしか出来ない。異教の記号をキリスト教から完全に消し去ることは、究極は、キリスト教を消すことになる。

ローマによって使われる記号の研究は結論として、カトリック教と異教の間には強い結びつきがあることを証明する。それはまた、ローマと様々な強大な秘密結社との邪悪な結びつきをも明かす。更に、それは我々にヒトラーのナチ党の本当の起源に関する洞察を与えてくれる。この様な研究はナチのキリスト教に対する想定されていた反感が、単に党員の大衆を騙すための見せかけであったことの証拠を提供してくれる。記号が明かしてくれるように、ナチ党とバチカンの秘密結社の結びつきは実際のところ非常に強かった。

 

バチカンがそのような投資を奨励し、ヒトラー自身にお金を寄付すらしたことは否定できない。ドイツ人修道女のシスター・パスカリーナ*はその現場に居合わせた。1920年代の初期彼女はバチカン-ナチの繋がりの大司教…当時のミュンヘン教皇大使であったエウゲニオ・パチェッリEugenio Pacelliの家事をしていた。シスター・パスカリーナは、或る夜、アドルフ・ヒトラーを迎え入れて、大司教ヒトラーに教会の大金を手渡す所を見たのを鮮やかに思い出す。」
*マドレ・パスカリーナ・レナート(本名ジョセフィナ・レナート 1894~1983)は、1917年に教皇ピウス12世がローマ法王庁バイエルン大使であった頃から1944年に教皇となり1958年に教皇として死去するまで、教皇ピウス12世の家政婦と書記を務めた。
―ロフタスとアーロンズLoftus and Aarons著「猶太に対する秘密の戦争」

 

 

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教皇の司教冠や他のカトリックの記号をあしらったチュートン騎士団の楯形紋章。楯の真ん中に黒い十字架とアテン信仰者の鷲が見える。楯の後ろには教皇の司教杖が剣と交叉している。武器は明確に戦争と征服がキリスト教の布教と生き残りの部分を成していることを明かしている*。(トカゲ連合Lizard Unionについてはこちらを:http://en.wikipedia.org/wiki/Lizard_Union_%28medieval%29

 

*近代の西洋帝国主義の象徴ですね。常に処女地を征服しないと生き残れない宗教なのかそれとも、チュートン騎士団の心意気を示すだけのものなのか? ―燈照隅

 

 

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チュートン騎士団の主な記号には黒い正方形と黒い十字架が白い背景又はチュニック(上着)の上に含まれている。

 

 

 

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黒い十字架を纏ったカトリックチュートン騎士団の小修道院長。

 

 

 

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アテン信仰者の太陽光線がカトリックチュートン騎士団と全く同じ黒い十字架の上にあしらわれたナチの鍵十字。(詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Teutonic_knights

 

 

 

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ナチ党に使用された、黒い(鉄)十字と黒鷲と一緒にあしらわれた黒い十字架と鍵十字。

 

 

 

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ナチスは自身が反基督教で反ユダヤ教であると公言していた。然しながら、その記号は違う話を物語っている。

 

 

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聖なる木と古代ドルイド教を示す二本のメーソンの円柱とピラミッドと太陽光線を上にあしらったマルタ騎士団の本部の記章。ピラミッドの中のアテンの目はアメリカの一ドル紙幣にも見られるものである。

 

 

 

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マルタ騎士団の十字架を(首に掛けた)ヘルマン・ゲーリング。この騎士団の本部はバチカン市にあった。

 

更なる研究でチュートン騎士団ナチスの両方の記号はローマカトリック教だけでなくユダヤ教の由来であることが明らかになった。勿論、著者が指摘したようにキリスト教と猶太教によって使われていた記号はさらに古い起源がある。それがその意図をもって原型を失う以前はそれはドルイド教であった。

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 レヴィ族の法服の色と縞とナチの旗のものを比べて見よう。世界が関係する限りにおいて、ナチスと猶太人の間に宗教や思想的な繋がりはなかった筈である。しかし、ここでも再び著者が既述のように、公式の歴史(正史)は何層もの嘘に過ぎないのである。一度古代イスラエル人とレヴィ族がエジプトのアテン信仰のファラオであり、祖国を求める抑圧された卑しい大衆奴隷でなかったことを知ると宗教と宗教の記号がよって立つところの謎は説明されるのである。

 

 

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マルタ騎士団の十字架を着けたイタリアのファシストベニト・ムッソリーニ。気狂いでないもので着けていない者はない。

 

 

   

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戦時中とその後のラインハルト・ゲーレン。(戦前戦中は対ソ連諜報を担当する陸軍参謀本部東方外国軍課の課長を務め、戦後はアメリカに接近して協力と引き換えにナチス党政権下での活動追及を免れ西側陣営諜報機関の要員として厚遇された。)最初はナチの将軍でその後はマルタの騎士である。(詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Reinhard_Gehlen

 

 

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何という驚き!反全体主義者で大の人道主義者である筈のネルソン・マンデラが同じ騎士団に所属している。これは、彼の聖ヨハネ騎士団への叙任式での写真ある。マルタ騎士団聖ヨハネ騎士団「病院騎士団」、チュートン騎士団、ロードス(ローズ)騎士団など、は強大な政治的経済的権力を持つ秘密結社である。

(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

*聖ヨハネ騎士団はセント・ジョンとして英連邦では救急車が殆どこの団体の活動で運営されていますね ―燈照隅

 

 

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聖ヨハネ騎士団の団長を務める、マルタ騎士団の前団長、アンドルー・バーティーは、英国のエリザベス女王から5代遡った従兄弟の孫、或いは六代遡った従兄弟の祖父に当たる。そう、結社の扉の裏では宗教の宗派は何も意味しない。それは経済界の無知な強盗用である。バーティーは78代目の団長であった。彼は2008年に78歳でこの世を去った(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

 

  

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大司教ショーン・オマリー。右はオマリーの楯形紋章にはロレーヌの十字架が一番上に示されている。シャルル・ド・ロレーヌ(ロレーヌ家の)は、公式には反カトリックと考えられている結社であるアダム・ヴァイスハウプトのイルミナティの初期の資金提供者であった。紋章には更にギザの三大ピラミッドに似た意匠が表されている。

 

 

   

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左:「教皇の銀のオリーブの枝」賞の授与。この記号は国連の旗、イスラエルの旗、世界のその他の国々の旗に見られる。その起源はキリスト教ではなく異教である。樹木は古代アリアンにとって神聖なものであった。右:オリーブの枝を持つアクエンアテンの手。今では有名な、近代アテン信仰者と彼らの世界支配の記号である。

  

 

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エルサレムの最高聖ヨハネ「病院騎士団」、ロードス、マルタ騎士団(最高マルタ騎士団(SMOM)として知られる、マルタ騎士団(Order of Malta或いはKnights of Malta)はイタリアのローマが土台のカトリックの結社である…。その二つの本部、ヴィア・デイ・コンドッティのパラッツォ・マルタ(ここでは大棟梁が住んでおり政府が会合する)とアヴェンティンのヴィラ・マルタ(ここは、ローマのグランド・プリオリーを主宰し、聖座(教皇)とイタリアへの結社の大使館の役割をする)には治外法権が認められている。
(詳しくはこちら:http://www.spirituallysmart.com/pics.htm
とこちら:http://www.andrewcusack.com/blog/smom/

  

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ローマからのカトリックの聖職者と高官がナチの敬礼をしている。教皇ピウス12世はヒトラーとの間に教皇の合意(政教条約)を結んでヒトラーの行動を大目に見た。
(詳しくはこちら:http://www.youtube.com/watch?v=KD_lBstvptE&feature=related

 

 

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後に教皇ヨハネ・パウロ二世となった、ジョセフ・ラツィンガーJoseph Ratzingerがナチの敬礼をしている。確かに、聖なる人である(念のため)。

 

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ナチスドイツの副首相、フランツ・ヨーゼフ・フォン・パーペンは、マルタの騎士であった。彼は教皇や多くのバチカン高官に近かった。戦争が終わったとき、彼は、ヘルムート・シュラクト、フォン・ティッセン、ラインハルト・ゲーレン、ヴェルナー・フォン・ブラウンらのように、戦争犯罪で告訴されなかった。

「第三ライヒは、教皇制度の原理を認めただけでなく、実行した最初の國であった。」―フランツ・ヨーゼフ・フォン・パーペン