示唆的記号(続き)
(聖ヒエロニムスと獅子)
ヒエロニムス(Jerome)はキリスト教会初期の聖人であった。彼は347年にダルマチア(現クロアチア)の近くで生まれたと称される。歴史家の中には彼がイリュリア人であったと信じる者もいる。彼の歴史的名声は聖書のラテン語訳から来ている。聖ヒエロニムスの聖書はウルガタ聖書として知られるようになった。彼は外にも膨大な量の神学の作品を遺している。ヒエロニムスはバチカンと東方正教会(両方)から聖人と考えられている。彼はローマで勉強し、改宗後、非常に信心深くなった。彼はそのキリスト教徒の聴衆に、信仰を無くして宗教的不道徳の人生に戻ると(あとで)待っている地獄の恐ろしさについて多くを語った。実際、ヒエロニムスは明らかに死と地獄に取り憑かれていた。フランスとシリアに住んだのち、最後に彼はより禁欲的になった。彼はシリアのハルキスChalcisの砂漠にある隠修士の集団に加わった。そこにいる間、彼はユダヤ人の改宗者からヘブライ語を習った。その晩年、彼はパレスチナに赴き、洞穴で生活した。彼は後に教会によって翻訳者の守護聖人と考えられた。
後の時代の多くの有名な芸術家がヒエロニムスをその書いた本と書き物に囲まれた一人ぼっちで洞穴に暮らす禁欲隠遁者として描いた。美術作品の中では彼の象徴としてローマ教会の枢機卿の位を示す赤い帽子或いは外套、明確に禁欲主義と生死の謎についての熟考を表す骸骨、十字架、学ぶことを表すフクロウ、獅子が含まれた。
中世にでっち上げられた外典の一つによると傷ついた獅子がヒエロニムスとその兄弟たちが住んでいた修道院に辿り着いた。この風変わりでありそうもない説明は、獅子が占星術の太陽の家である獅子座だけでなく、アクエンアテンと他のエジプトのファラオの高位の神祇官(枢機卿)の記号でもあるため、興味をそそられる。エジプトの文脈では獅子はよく知られた王家の記章であった。
十字架と獅子とヒエロニムス
示唆的記号(続き)
(戴冠式の椅子)
國王の戴冠式の椅子の歴史は長くてここでは語れない。少しだけ言及できるとすれば、エドワード王の椅子はアイルランドからスコットランドを経て盗まれたものであった。それは最初のアテン信仰のミレシアンのアイルランド王*がタラでの戴冠式の後に座った椅子であった。伝説によると、その椅子は聖なる「Falの石」つまり「石の石」の上に鎮座しており、偽りの王が権力の手綱を掴もうとすると叫んだと言われる。アテン(太陽)信仰者の記号はこの椅子の意匠に明らかである。それは四頭のアテン信仰の獅子の上に乗っており、その椅子の背はエジプトのピラミッドを表す三角形が一番上に飾られている。
*ミレシアン(ミレー族又はマイリージャ族Milesians):公式にはミレシアンは紀元前600年頃にスペインからアイルランドに渡って来たと信じられている。然しながら著者はこれ等の日付が作為的に偽装されていると思う。このアテン信仰者の占領は恐らくこの公式日付より千年近く前に起こっている。
―燈照隅のブログ:「文明のアイルランド起源 HPより02」サリオンの仮説より
上の二つの写真から分かるように、女王の玉座は、エドワード王の椅子に倣って様式化されたものだが、高位フリーメーソンによって使用される椅子と様式が全く同じである。右側の写真ではフリーメーソンの大棟梁が、(ホルスの)目とピラミッドで飾った椅子に座っているのが解る。女王は公式にはフリーメーソンの会員ではないが、聖マイケル、聖ジョージ、ガーターの騎士、聖ジョンの騎士、など、その他の多くの強力な結社の長である。女王の多くの家族が英国の最も強力な秘密結社の幹部会員である。(著者の「エリザベス二世女王の戴冠式」の案内をご覧ください:https://unslaved.com/the-queens-coronation/)戴冠式の椅子に組み込まれた記号は君主とメーソンの間の密接な繋がりを明かすのである。
エドワード王の椅子について:http://en.wikipedia.org/wiki/King_Edward%27s_Chair