猶太と世界戰爭(新仮名)14

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第二章 猶太と世界戦争

一、猶太の人間還元(昭和16年5月)

― 猶太問題研究根本原則十箇条 ―

第一条 猶太人は有史以来、少くとも旧約聖書と「タルムード」以来、かの著名な選民思想に生きている。そしてその内容は、エホバの命に依る世界征服の信仰と、同じくエホバの命に依る非猶太人動物視とを根本としている。それ故に猶太人に取っては、その世界支配に役立つ限りに於ては、動物としての非猶太人を強圧し、殺戮し、掠奪し、搾取することは神命であり、また虚言と詐欺と詭辯(きべん)も神命である。猶太の本質として世界周知の「底知れぬ憎悪」がまた神命に基づくことも自明である。また猶太人が非猶太人に対して何等の「責任」を持たないのも同じ理由に依るのである。そしてこれらの神命に背く時、猶太人自身がエホバのために殺戮され、殲滅されることになっている。

 

第二条 猶太人が拝金主義に於て天下無敵であることは周知であるが、往々、猶太人が「知力」に於ても偉大であるとされることがある。しかし猶太人のこれら二方面に於ける偉大さが、所謂マイナスの偉大さであり、破壊に於ける偉大さであり、悪魔的な偉大さであることは、第一条を想起する時、直ちに理解される。「金儲けが上手」ではなく、「詐欺が巧み」なのであり、「頭がよい」のではなく、「嘘がうまい」のである。旧約聖書及び「タルムード」以来、同一事を四十幾種かずつに肯定もし否定もすることを訓練されて来ているのであり、しかもそれをエホバの神命として行って来ているのであるから、以上の偉大さは当然であろう。赤色帝國主義理論、桃色法学乃至社会学理論、黒色哲学理論等のあらゆる國境抹殺主義と、世界の金の七割乃至八割の集積とは、同じ本質の二つの方向への発現にすぎない。

 

第三条 従って非猶太人に取っては、反猶主義は単に正当な自己防衛であるにすぎない。そしてもしその反猶主義が、世界十幾億の非猶太人を防遏(ぼうあつ)と殺戮と掠奪と搾取から救い出し、虚言と詐欺と詭辯(きべん)とから守る意味を有し得る場合には、それは全く人道的である。世界の言論通信機関を独占する猶太の宣伝に躍らされて、反猶主義は少数民族の排斥であると鸚鵡(おうむ)返しに言う如きは、冷静な批判力のある非猶太人のなすべきことではない。古今東西、猶太人の集まる所に必ず排猶現象の生起することを正視せよ。あらゆる場合に猶太人のみを正当なりとする立場は、世界支配を目標とする猶太人自身のそれとしては意義あるものであろうが、非猶太人の立場としてはこれ以上に無批判にしてまた屈辱的なものはあり得ないのである。非猶太人みずから自己を獣類なりとし、猶太の世界支配に協力することによって人間猶太人の仲間となることを光栄と感ずるのでない限り、かかる宣伝に盲目的に躍って、所謂人為的猶太人の仲間入りをしてはならない。

 

第四条 猶太の金力と知力とを見て、ある者はそれを恐れ、ある者はそれを利用せよと主張する。然しこれは二つながらに猶太の本質を認識せざる所より来るのである。恐怖することは、迎合の場合と同じく、猶太を増長せしめる以外に何の効もないことは歴史の証する所であって、所謂『人情』などという如きは、この憎悪の民には薬にしたくもないのである。情をかける事によって改悛せしめ得るなどというが如き甘き感傷に捉われてはいけない。況(いわ)んやそれを利用しようというに至っては、全く言語道断である。これは単に猶太人がそれ程に甘からずまた頭もそれ程に悪くはないというためではなくて、それが実に盗金と賊品との利用又は分配を求める事に外ならないからである。世界に実例が屡々(しばしば)あるように、黄金と鉄と石油とに目が眩んで、このような恥辱に甘んじ、操を売ってはならない。殊に迎合し共謀する事によって自己の利益を図ろうとする如きは、猶太人以下に堕せるものと言われても、辯明(べんめい)の余地はないであろう。

 

第五条 猶太利用は殺人者乃至盗人との協力であるが、反対に猶太人によって利用されることもまた身を彼と同列に置くことになるのである。特に注意すべきことは、前条の利用説が多くの場合に、卑賤なる拝金宗乃至唯物論者に見られるのに反して、これは善良なる非猶太人に多く見られる現象であるということである。このうち最も恐るべき場合は、猶太の世界攻略のこれも巧妙なる手段としての内面的侵寇である。英帝國に於てなしたように、征服しようとする國の主権者と猶太とが同祖同種族なりとする遣り方と、アメリカ合衆國の場合に於てなしつつあるように、攻略せんとする國を自由と正義との國なりとして賞賛する遣り方とは、この場合の是も代表的なものである。そして前の場合には、多くは愛國主義を装う者又は國粋主義を自負する無批判者流を利用し、それによって目標國の上層部と愛國陣営とを無意識的なる猶太の援兵にしようとする。次に後の場合は、現代に於ては殆ど世界的に最も時代遅れであり、最も無批判である所の所謂インテリ層に働きかけることによって、彼等を無批判なる猶太の傭兵としようとするのである。

 

第六条 戦争と革命とを欲しないならば、殊に猶太の世界制覇に役立つ以外の意味なきそれらを避けようと欲するならば、万國の非猶太人よ団結せよ。そして猶太の本質を明らかにし、その策謀を暴露せよ。そして単に黄金帝國主義のみならず、トロツキー第四インター等に至るまでの総ての國際主義が、意識すると否とに拘らず、直接又は間接に、猶太の世界征服の機関であることを確認せよ。あらゆる平和団体、社交団体にして、奇怪なる國際的伝播力を有するものもまた然ることを確認せよ。フリイ・メイスン秘密結社(主として主権者の側近・外務・政党・軍部を目標とする)乃至ロータリー・インターナショナル(主として財界・学界・司法部を狙い、フリイ・メイスン結社の禁止されている國に於てはその代理を勤める)よりオックスフォード・グループ・ムーヴメント(主として宗教界に食い入ろうとする)に至るまで、その本質が上述のものなることを知れ。そしてそれらの会員は、かなりに上級の者にあっても、特にその会員が國家又は社会に於て上層部に属する者である場合には、結社の真の秘密に何等関与させられていないことを銘記せよ。この謀略の場合にこそ、猶太人の偉大さを認識すべきである。また、あらゆる流派のキリスト教徒もまた、ルターの誤訳を未訂正の儘に盲信してエホバを「神」乃至「宇宙神」なりと信ずる限りに於ては、上記の結社の会員達と同じく、所謂「人為的猶太人」である。

 

第七条 猶太問題は結局思想問題である。従ってそれは、自由主義に「自由」ありなどという考え方をする無批判者や、自由主義の発展が赤色帝國主義であることを認識し得ぬ程度の楽天主義者には、その存在さえも理解し得られぬ難問題である。それ故に、彼等がそれを否定し、それに反対することそのことが、既にこの問題の真実性と重要性とを証明する。あらゆる合理主義者・相対主義者・唯物主義者・利己主義者に取っても、それはその理解を超える。彼等すべてに取っては、この問題を理解することは、否、単にそれの存在を認めることその事だけが、既に彼らの存在を根底まで揺るがせるのである。その理由は、彼等の大部分は、何等かの意味に於て、前条の「人為的猶太人」であるか、或いはそれに近似する思想史上の位置を占めているからである。

 

第八条 猶太の本質と歴史に通じない人は、以上の諸箇条に於ける如き猶太批判に対して、猶太人と雖(いえど)も全部がかかる世界支配欲に生きているのではなく、従って猶太人全部をかように批判するのは不当である、と主張するのが常である。しかしこれは、軍隊に於て全兵員が統帥本部の計画の詳細に通じていないが故にその兵員は戦闘員ではないとするのと同一の論法であって、「旧約全書」と「タルムード」が猶太法師に依って猶太教会堂に於て猶太民衆に講ぜられている限りは、たとえ指導的地位にある猶太人の場合のようではないとしても、なお、各猶太人には「本能的に」以上の諸箇条に記述された傾向が存するのである。これは全日本人(時局便乗の偽装転向者をも含めての赤色人のみは例外とした方が適当であるかも知れない)が、「本能的」に忠君愛國の精神を持つのと正に同様である。

 

第九条 然らば猶太人は人間に非ずして、動物であるか。非猶太人としての吾人の立場より言えば、猶太人と雖(いえど)も動物ではなく、人間であって、この点に於ては吾人の立場は猶太人のそれと対蹠(たいせき)的である。それ故に吾人は、この人非人種族もまた何時かはその本来の「人間」としての資格を回復することを信じようとする者である。但しこの猶太の「人間」への還元は、次の如き諸条件が完全に実現する迄は、絶対に不可能である。

  • 旧約聖書を根本的に改刷し、「タルムード」の大部分を焼却し、エホバ信仰を棄て、猶太法師職を廃し、猶太教会堂を破棄し、加えて割礼を廃止すること。
  • 少なくとも四分の一猶太人に至るまでの全猶太人が同一場所に集って國家を形成すること。
  • そしてその世界征服の悪夢に生きた幾千年間と同一の年数が経過すること。

 

第十条 日本と猶太との間には、その本質に於て、その歴史に於て、その性格に於て、その道義に於て、その人間性と人倫とのあらゆる点に於て、百八十度、否、三百六十度の差がある。即ち存在の次元が全く異なるのである。それ故に、日本的原理が世界的に認識される迄は、猶太人の世界征服の欲望は断絶されることはなく、従ってまた世界に真の平和と正義とはないであろう。然もその日の以前に於て、日本と猶太との正面衝突は必然の運命であると考えられる。非猶太人と猶太人との戦いの序幕戦である今次欧州大戦に続くものは、如何なる形式となるかは別として、不可避的に日本と猶太との戦いである。そして真に猶太問題を解決し、全人類を「悪」の手より解放し得るものは、八紘為宇の精神を奉ずる日本以外にはないのである。然もその八紘為宇の精神とは、糞味噌同一視的悪平等人道主義ではなく、前世紀的空想たる猶太人東洋人説の如き安価なる感傷ではなく、何等の根拠なき猶太教盲信者の日猶同祖説の如きお目出たき神話ではなくて、まつろわざる者はこれを討ち平げる処のものでなくてはならぬ。そしてその後に於てのみ猶太其者も「人間」に還元され得る秋(とき)が来るであろう。猶太のお先棒として「世界戦争」を目指す「人為的猶太人」の群であるフリイ・メイスン結社支配下重慶政府を討つことが聖戦であるならば、その本拠を覆滅することがより大にしてより崇高なる聖戦であることは、論証の要のないことであろう。(一六・五)