世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)25

12. シオンの議定書一部の実現

文学的珍書か

第一議定に曰く
「あらゆる政権の動揺して居る現代に於て、我が政権は最も優越無敵なものであろう、何故ならば我が政権は如何なる奸策と雖も之を侵蝕することが出来ない程強固なものになる迄は、人目に匿(隠)れて居るからである。」

第二議定に曰く
「戦争が、領土的利益を出来るだけ与えない様にすることが吾人に必要である。之が為には戦争を経済的地盤に移すのである、此れに於てか我々の援助を受けて居る各國民は、吾人の卓越した力を認識することになって、両交戦國は、如何なる僻陬(へきすう)の地までも行き届いて居る我が数百万の國際間諜の自由になるのである。其の時我が國際法は、國法本来の意味を抹殺し、ちょうど各國民法が其の國民相互の関係を律する如く、各國民を支配するであろう」

シオンの議定書」は単に文学的珍書とするも、其の内容とする所は驚く程完全な世界的大計画であるからして、非常な魅力を持って居る。けれども議定書を単なる文学上の産物であると断定するには、余りに其の内容が現実性を有して居って、あらゆる点に於て此の断定は許されない。当然之を実際政治学と見做さねばならない。議定書には之を一貫する脈絡があって、将来に関する諸計画の外尚既に過去に於て実現したこと及び現在実行中のことが付記されてあるのであるが、世人にして若し世界事情を概観して、議定書が示して居る一般的傾向と其の確立された実現の状態とを観る時は、単なる文学的珍書に対するの興味は、進んで緊張した注意心を喚起するに至り、此の感情は更に進んで驚嘆の余り呆然自失するに至るであろう。

今二三の例を挙げ議定書の現在將に完成しようとする諸事項を説明しよう。

最高政府と立法者

第九議定に曰く
「事実に於て吾人に取って障碍と言うものがない。我が最高政府は、強烈なる独裁と言う言葉を以て名づける所の特別合法の條伴に存するものである。

現下に於て吾々は立法者であって、裁判と懲罰とを作り、或いは処刑し或いは赦免を行い我が全軍の隊長として先頭に馬を駆って居るということを、予は真実に述べることが出来る。吾々は強固な意志で政治を行おう。何故ならば、嘗ては強かったが、今は吾人に征服された党派の断片を吾々が掌握して居るからである」

第八議定に曰く
「吾人は経済学者全体で、我が政府を掩護しよう。経済学が猶太人に教授する重要課目であるというのは即ち茲にあるのであって、銀行家、実業家、資本家等主なる富豪の全部は、吾々の周囲を取り巻いているようにする、何故ならば総てのものは数の問題で解決されるからである」

是は余りに高き要求である、而も事実は歴然として此の高き要求に一致して居る、けれども彼等は更に満足することなく次第に要求を高め、軈て(やがて)この要求は事実となり現れるのである。第八議定中にも説かれてある通り、猶太人は政治的國民経済学上に卓越せんことを主張して居るが、事実は又其の成功を証明して居る。実に彼等は民衆をして不可能なる経済的目標に走らしめる偽教義の主なる著作者であり、米國諸大学に於ける政治的経済学の教授であって、更に又各階級をして國民経済理論は即ち國民経済法則なりと迷信せしめる彼の『理解容易なる書』の主著述者である。又社会破壊の手段としての思想及び理論を取り扱うものは、実に大学に巣食う猶太人及び過激派猶太人の徒である。斯かる内情が細大漏らさず世の中に公開されたならば、恐らく大学の講義と急進的なる教義の価値に関する輿論とは、変化を来たさずには措かないであろう。

第九議定の示す如く方今(現在)猶太の世界的勢力は最高政府を形成して居る。此の最高政府なる言葉は、議定書自身の用いて居るものであって、他に此の言葉程適切に其の意義を現わすに適当なるものはない。凡そ世界中如何なる國民と雖も疎の欲する所を悉く達成し得るものはないが、猶太の世界勢力のみは其の欲する所として達せざるなき有様である。而も彼等の要求たるや、非猶太人と同権たらんとする以上の要求であるに拘らず、尚且つ之を達成して居るのである。吾人は『立法者なり』と議定書には書かれて居る。然り猶太人の勢力が如何に深刻に立法に関与したかと言うことは、当事者以外の夢想だも及ばぬ所である。最近数十年間猶太インターナショナル支配権、換言すればインターナショナル猶太人団が全世界を支配し来った。加之(しかのみならず)彼等の勢力は他の健全なる法案の通過を妨害する十分なる力を有し、且つ彼等の法案にして一度法令書中に割り込まんか、遂に該書の目的をして無効ならしめる如く之を解釋せしむる力を有した。以上のことは決して虚構の言ではない、之を証明する幾多の事実が厳として存して居る。

以上の様なことを実施する為に用いる方法は、既に久しい以前から綱領内に規定されて居った、即ち「吾人は裁判所を創設す」と言う文句があり又或る所では「吾人の裁判官」と言うことについて述べて居る。目下猶太人裁判所はニューヨークに一箇所あって毎週同地の某公館で開廷して居るが、その他此の民族の爲に利用されている裁判所は到る所に構成中である。尤も猶太人の論者は「猶太民族は特殊の人種であるから」と辯明して居るが。市民権を有する猶太人に特別の猶太憲法自治とを其の國内に於て与え、以て猶太人を保護しようとの猶太人側の計画はニューヨーク以外の小都市に於ても、各所で既に実施されて居る所であって、苟も猶太人の運動が何等妨害を受けることなく進展する所では、決して猶太人はアメリカ化したものでもなく又アングロサクソン化したのでも又何々國民化したものでもない。否彼等は純猶太人式を無制限に発揮固執して居るものである。

キリスト教の瓦解

吾人が議定書の要求を観察する時更に次のことを知るのである。第十七議定に曰く
「吾人は既に非猶太法教主を信用しない様にし、之に依って目下大いに妨害となる彼等の使命を廃頽せしむるように骨を折って居る、此れが為に彼等法教主の人民に対する勢力は日一日と失墜して行く。今や到る處に良心の自由が宣言され、キリスト教の總瓦解は近年に切迫して居る。吾人がキリスト教以外の宗教を征服することは一層容易であるが、併し之を今言うのは過早である。尊憎主義及び同主義者の勢力が、昔の動揺に逆戻りするように吾人は彼等を狭い枠の中に入れるであろう」

此のことは、猶太構法博士等と協力して一種の宗教上の合同を成立させようと盡力して居る宗教家に取っては、恐らく多大の興味あることであろうと思う。斯の如き合同は善意に言えばキリストの必然的表示である、併しながらその実は誤れる猶太の預言者としてキリストが現出するに過ぎないし、又斯の如き併合が成立するとすれば最早キリスト教は特別の宗教としての存在の意義がなくなるのである。議定書に表われて居る所の最も激烈なる宗教的敵意は、カトリック教全般に対するもので、特に法王庁に対して甚だしい。

人心の頽廃

尚第十七議定中には猶太人は人々を堕落せしむる天才なることを述べて居る、即ち
「概して我が現時の新聞雑誌は凡て無定見なる言論を用い、雑多に堕落させる様に國政、宗教及び非猶太人の無能を論証する、此のことは獨り我が天才的民族にのみ為し得る所である」と。

又第十五議定には
「我が勢力の下に非猶太人法律の遂行を最小限度に縮小してしまった。又法律の権威は、其の中に伝道されたところの自由主義の解釋に因って顛覆された。最も重要な政治的事件、主義の問題、裁判問題等は、我々が彼等に命令する如くに決定され、人々は我々が非猶太人行政官をして採用せしめた其の光線下に事件を見て居る、勿論此のことは如何にも無関係な様な傀儡即ち新聞輿論や其の他の方法を以て行うのである」

第十四議定に曰く
「吾々は所謂先進國に無恥卑穢にして唾棄すべき文学を創めた(はじめた)が、尚我が政権獲得後暫くは、我が党のものが上から与える演説やプログラムの良き対照として、その存在を奨励する」

新聞紙の支配に関し第十二議定に曰く
「此の事は現在数人の諜者が世界の隅々から集中する新情報を受け付ける事に依って達せられて居る。これ等通信の諜報機関は全然吾人の施設に係るものであって、吾人の命ずる所のみを公表して居る」

第七議定には同じく新聞紙に言及して曰く、
「我が広汎なる計画は既に吾人の憧憬する地点に近づきつつあるが、之に向かって非猶太人の各政府を敢て動かして行く為には、所謂大國の出版物の援助に依り、密に吾人の製造した輿論を以てせねばならぬ、極めて少数の例外はあるが、凡ての出版物は既に吾人の掌中にある」

又第十二議定には以上の件を総括的に説述して曰く
「現在吾々が非猶太人心を支配して居る程度と言うものは、殆ど凡ての非猶太人社会が、彼等の目隠しとして吾人の与えた色眼鏡を通じて世界の諸事件を見るほどであり、又現在吾人にとって非猶太人の馬鹿共のいう國家の秘密に吾々の近寄ることを防げる障害が一國家にも存在して居らないのであるからして、若しも吾人が我が全世界王の御蔭で世界の公認支配者となった場合はどうであろう?!」と

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