国際秘密力18

第19章  再起した運命顕示説  米国の帝国主義思想

               『その鋭い鎌を地に突き入れて・・・<24>

 

世紀の変わり目の1898年、殆どの解説書によれば、スペインはキューバハバナ港で米国の戦艦『メイン号』を爆沈した。それは今日、知見のある歴史家には疑問視されている。

(事実は米国戦艦のボイラーが事故で爆発したのであって、スペインの水雷や魚雷によるものではなかった様である) 

この事故を理由に米国はスペインに戦争を仕掛けた。スペインに領有されていたプエルトリコキューバ、グアム、フィリピンその他諸々の島々への派兵という形で、この戦争は終了した。それらの島々は、米国が19世紀後半に無垢で幸せな土着の人々から取り上げたサンドウィッチ諸島(ハワイ諸島の旧称)に加えらた。

このハワイ諸島の事件について米国国民は、島の原住民を『キリスト教化』する必要があったからだと説明された。そして海軍には、ハワイ諸島は日本に対する塁壁として計画され米国領土に加えられた、と説明したと私は判断している。本当の理由は、ハワイ諸島が日本に向かって太平洋を直線的に貫く米国の槍を形成するからであって、それは今まで見てきたようにIJCの長年の目標であった。

とにかく、今や米国はこの様な植民勢力であり、あらゆる方向と分野に進出しようと待ち構えていた。そして足場となる島々の中に完全所有の領土を設けて前線基地とし、『槍』の側面固めを行った。

日本の巡洋艦が、何らの脅迫的活動でも、軍事的活動でも、好戦的活動でも無く(!)、単なる調査と測深のためにカリフォルニア南方の海上に現れた時、米国国民がいかに金切り声で叫んだかを、読者は知るべきである。この行為はスペイン・アメリカ戦争の何十年か後に、自己防衛の意味で行われたものであったが、日本に対して行われた他の行為について、この章で関係づけることにする。

スペインとの戦争においてキューバのサンフアンの丘<25> を、新聞は一般的に邪悪の丘(Wrong Hill)と呼んでいた。これらの新聞によれば、セオドア*・ルーズベルトは乱暴にもこの丘への突撃を指導したと言われているが、とにかくこの宣伝のお陰でルーズベルトはマッキンレー政権下で米国副大統領に選出された。宣伝・評判(publicity) という言葉はこの本では始めて現れたが、読者はこの言葉を今後何度も聞くようになる。

*原文:セオドル(Theodoreのカナ表記の違い)

そして都合良くマッキンレーが射殺されると、ルーズベルトはまんまと権力者の地位を登り詰めた。私たちはすでに彼が、独占禁止法およびそれによる『トラスト解消』により、彼の賢明なる顧問たちをいかに補佐したかを見ている。また前に述べた様に、彼は『ポーツマス条約』において日本の出鼻をくじき、『黄禍』を封じ込めることを望んでいた米国社会内部のある人種をなだめた。つぎに彼が彼らのために行った他の行為を見てみよう。

南北戦争前からの古い言葉遣い**である『運命顕示説(MANIFEST DESTINY:領土拡張政策)』がまず使われ始めた。そして米国は、パナマがコロンビアから離脱し、太平洋と大西洋を結ぶ運河を建設するために米国に領土を割譲する原因となった革命を工作した。その巨大な建設費は、万人単位での黄熱病による労働者の死亡や、公衆衛生のための勝利という言葉で呼ばれたすべての災害と同様に正当化された。

**原文:言葉使い

すべては米国国民が言われていたように、戦争時または戦争の危険性がある時に、戦艦オレゴンカリブ海に到着するのにホーン岬を再度回らなくて済むようにということであった。黄熱病は結果的には根絶されたが、その運河によって米国または世界の艦船が、日本の都市を砲撃するために日本の海岸沖によりすばやく集結できるということについては何も明かにされなかった。それは約50年前に鹿児島で不成功に終わったことであった。これはまさしくそうなのであって何の誤解もないことである。

セオドア*・ルーズベルトは米国がかって作ったこともないほどの艦船を建造し、白ペンキで the US Navy(米国海軍)と塗り付け、『平和使節』として世界中に送り出した。それは『偉大なる白色艦隊』と呼ばれ、その最初の寄港地は日本であった。これは全くの事実であり、このことは日本人の記憶から忘れ去られてはいないと思う。そして米国海軍は日本と戦争をする計画を始めた。私は強く信じているが、この戦争計画の情報は意図的に日本に漏らされた。

大統領の第一期の任期が1908年に満了した後、セオドア*・ルーズベルトは大統領の職を降り、猛獣たちを虐殺(猟)するためにアフリカに旅立った。蛇足ながら、そこでは猛獣から撃ち返される危険はない。

彼は大統領の職を同じ共和党のウィリアム・ハワード・タフトに譲った。タフトはフィリピンの統治者としての経歴を持っており、ダグラス・マッカーサーの父であるアーサー・マッカーサーの助けを借りてフィリピンのモロ族を鎮圧していた。

奇妙に符合するのであるが、アーサーは日露戦争を観戦していて偶然にも乃木将軍に教えられたことがあり、戦争後は東京の乃木将軍宅に同居していた。そこでアーサーは、いやでも日本流の政治を学ぶことになった。これらすべては約50年後に殆ど確実な日本の破壊という形で戻ってくるのであるが、幸いなことに、また大和魂を断じて守ろうとする人々が僅かでも残っていたお陰で、その結果は今でもまだ曖昧であり、また施された邪悪な所行はその殆どがまだ逆転可能な状態にある。

1912年にIJCはウッドロー・ウィルソンを選び、米国大統領選挙に民主党員として彼らの旗を持ち込ませた。彼の当選を確実にするために、セオドア*・ルーズベルトはタフトと『仲たがい』した。別の言い方をすれば、タフトの統治に関する信念と方法から分裂し、タフトが共和党から再指名されるのに反対したのであった。

タフトが再指名された時、ルーズベルト共和党から分離し、米国中に広がる支持票を狙って新党を結成した。『ブルムース党<26> 』と呼ばれたその党は共和党員の票を分裂させることによって、実に有効的にウィルソンを支援し、1912年の選挙においてウィルソンを当選させた。すべては計画通りであった。

 大統領に当選したウィルソンは、民主的議会でこれ以上は不可能という早さである法律を通過させ、それに署名した。それはIJCが長年希求していた米国中央銀行に関する法律で、外観上は連邦準備法を装っていた。そして彼の指導の元で米国憲法が修正され、所得税が認められた。

(以前、リンカーン政権の下でこの試みがなされたが、米国最高裁憲法違反が宣言されていた) 

これにより、新しい税金ゲームのやり方を知らなかった巨大浪費家や反IJCの企業家たちは止めを刺された。読者が博愛主義の公開慈善事業を起こし、自分および家族を最低年限21年の終身指導員に選ぶとしよう。当然その間の生活費をすべて払ってである。実はそれが、新しい法律下でうまくやる唯一の方法なのである。

IJCが行った基本的な例は、ジョン・D・ロックフェラーの財産を一人の死にそうな老人から剥ぎ取ったことである。それは、実質的には彼の死のベット上で作られた遺言の中に記載された信任に基づいていた。その鍵となる点は、その老人が支配権を握っていた銀行が、その巨額の資金と資産に関して受託人を設定されたことであった。

その鍵に近づくための鍵は、ウォーバーグ家<27> が、合併後の名前で世界的に有名となったチェース・マンハッタン銀行の支配権を結果的に握ったことである。言い替えれば、ウォーバーグ家は単純にロックフェラー銀行を購入することによって他の全銀行を出し抜いたのであった。

この様にまんまと受託者になり、それによってすべての資金と資産および売り上げ高に関して法的な所有者および支配者になった。それは詮索されることもない個人的な約束またはその他の処置によってであり、それらはすべてウォーバーグ家に有益な取り決めであった。ウォーバーグ家は現在でもそのロックフェラーの古い資金を支配している。比較的若い婦人がその資金を管理しており、彼女は世界中に分散している彼らのビジネスを率いている。

それに比べると、ロックフェラー家には僅かな額しか残されなかったが、彼らは税金避難所である『博愛主義財団』に安全に避難した。それは世界中にロックフェラー財団として、また公開慈善事業で知られている。しかし、その財団の設立目的が、IJCのために書かれた遺言書による異議のない継承権を保持するためであったという事実は全く言及されていない。

しかしこれは世界中に出現した財団の一例に過ぎず、それらはごく一部の例外を除いてIJCに支配または鼓舞されている。世間をほぼ完璧に愚弄している財団の一つは、ノーベル賞を授与しているノーベル財団である。

今やノーベル平和賞は、その授賞者の政治的または人生的な名誉ある引退を世界に表明するようなものになっている。ゴルバチョフの場合が本当に良い例であった。ゴルバチョフソ連崩壊においてIJCのために働き、エリツィン***を頭とするカザール人をほぼ生き返らせた。そのエリツィンユダヤ人軍隊を指導して公然とした武装反乱を起こし、合法的に選定された国民の代表者たちに敵対したのである。世界を支配しているIJCはそれに対し見て見ぬふりをした。
***原文:エルツィン

ここでアルフレッド・ノーベルの名前を紹介するのは意味のあることである。彼はダイナマイトの発明者であり、強力な爆薬であるトリニトロトルエン****の溶液をおがくずに染み込ませ、紙で包んで輸送と取扱いを容易にした。ダイナマイトの出現により、爆発に関してあらゆる形態の改善が為され、工業化時代におけるトンネル、橋、高層建築の建設が可能になると同時に、人類を遥かに迅速に、効率的に全滅することが可能になった。
****当初はニトログリセリンであったと思われる

豊かさと、魅力と、美しさと、作法と、そして気品を持った世界は、1914年のサラエボの夏で終わりを告げた。オーストリアの皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が始まったのである。今まで誰も確かには言えなかったが、IJCがその暗殺によってヨーロッパを戦争に巻き込んだと私は信じている。

バーバラ・タッチマン*は彼女の『8月の銃声(Guns Of August)』の中で戦争開始に関する彼女の見解を述べている。また彼女は、米国が後に参戦させられた経緯について、前作である『ツィンメルマン**の電報(Zimmerman Telegram)』の中でも見解を述べている。これらについては後に適当な箇所で取り扱うことにしたい。
*バーバラ・ワートハイム・タックマン(Barbara Wertheim Tuchman, 1912年~1989) はアメリカ合衆国出身の作家、歴史家。東欧系ユダヤ人出身。タックマンの父は、アメリカ・ユダヤ人委員会(American Jewish Committee)議長も務めたことのある銀行家モーリス・ワートハイム(Maurice Wertheim)、母はヘンリー・モーゲンソーの娘であるアルマ・モーゲンソー・ワートハイム (Alma Morgenthau Wertheim)で、恵まれた知的環境で育った。
**原文:ジンマーマン

この戦争は実に恐ろしいものであった。南北戦争の時に脆いものが初めて作られたばかりの塹壕と防御拠点は、本大戦で強靭なものとなりその極に達したが、これらによって逆に死者の割合は今まで想像もできなかったほどに高いものになった。

アルフレッド・ノーベルの『ダイナマイト』に由来する火薬は大砲の破裂弾に使用され、西部戦線でドイツ軍を消耗させて供給不足を生じるほどになった。そこで1915年、大量の弾薬が秘密裏に大西洋を輸送された。その輸送には定期船が使用され、大西洋を渡る最初の乗客が乗船していた。この行為は、客船の武装化および綿花薬の輸出を禁止した米国の法律に違反していた。

またイギリスは、イギリス国籍の船はその様な行為には従事していないと嘘をついていた。ドイツはこの事実をさらに良く知っており、このことが二つの国民の遭遇をもたらしたのであるが、それは私の最も興味深いものの一つになった。それは後日のもう一つの遭遇のためのリハーサルであり、それはこの時と同じ二つの国民を含んでいた。

私はこの関係を平成6年6月、靖国神社で思いついた。その時天皇陛下は日本を留守にしており、米国の戦死者に敬意を払ってワシントンD.C.近くのアーリントン共同墓地を訪問されていた。これは昭和天皇天皇陛下として靖国神社を初訪問し、日本の勇敢なる戦死者に同様の敬意を払うための準備とリハーサルに違いなかった。

 

【訳注】

 

 <24>  新約聖書 ヨハネの黙示録 14.18より。

 <25>  サンフアンの丘:キューバ東部のサンティアゴ付近の丘で、アメリカ・スペイン戦争の戦跡。1898、セオドア*・ルーズベルトはこの丘への突撃で荒馬騎兵隊を指揮して勝利を得たとされている。ルーズベルトはこの勝利で一躍有名になり、後に米国大統領となった。

 <26>  ブルムース党:Bull Moose(雄のおおしか) Party。 セオドア*・ルーズベルトが1912年の選挙で率いた進歩党(progressive Party)の異名。

 <27>  ウォーバーグ家:ロスチャイルド家の下で一身同体となって暗躍したユダヤの有力家族。
 当時の長兄、マックス・ウォーバーグはヒトラーナチスを初期のころから資金援助し、また1917年封印列車でロシアに帰還したレーニンを資金援助したと言われている。
 また弟のヤコブ・シッフは米国支配総指令官としてクーン・ロエブ商会を率い、また1917年にニューヨーク港からロシアに向かったトロツキーを資金援助したと言われている。そのお返しとして、ロシア革命スターリンは、1918~1922年にかけて6億ルーブルをクーン・ロエブ商会に振り込んだという。
 もう一人の弟、パウル・ウォーバーグは、魔法の杖である米国の連邦準備委員会(FRB)を設立した。