国際秘密力08

第9章  マグナ・カルタ(大憲章)

     『わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう・・・<1>

 

彼らは商売領域では常に強くたくましく、カザール国の崩壊の際においても、崩壊とほぼ同時にラベンナ<2> の多数のユダヤ人たちが近くのヴェネチアに移動し、その土地のユダヤ人に合流した。ヴェネチアアドリア海北端にある町で、当時すでにユダヤ人たちが住み繁栄していた。

ヴェネチアは防衛し易い島の上にあり、また抜け目なくビザンツ帝国の許可を取り付けていたため、政治的に独立していた。ここではモンテフィオーレ家が非ユダヤ人への金貸しとして尊敬を集め、強力な地位を築いていた。

(モンテフィオーレ家については、その分家であるロスチャイルド家との関係で後でも出てくるが、ヘンリー三世<3> の時代のシモン・ド・モンフォール<4>と彼の義兄弟はモンテフィオーレ家の親類で、将来のために政治的な企みを織り込みつつ英国化したもので、その名前はモンテフィオーレをノルマン風にアレンジしたものではないかと私は時々疑っている)

1000年ごろに彼らが獲得した重要な優位性は、ビザンチン帝国における自由貿易の権利(税金免除)である。当時、税金や関税の徴収と仕事の割り当ては彼らの生業であったため、この権利取得は彼らの信じ難いほどの成功を確実にした。彼らが買い取ったこれらの仕事にかかる経費は、彼らが様々な国の領土を通過する度に多くは通行料として要求された膨大な税金に比較すると微々たるものであった。

話を少し先走ると、ポーロ兄弟によるマルコの東方への派遣はこの成功が基本にあった。マルコは数千年とまではいかないにしても、数世紀に亘ってユダヤ人たちに知られていた通路を通って行った。彼は発見の旅に出たのであろうと言われるが、私はもっと重要な役割を担っていたと信じている。それは、将来海洋で成し遂げられる『発見の航海』において実現されるある目的のための何らかの告知ではなかったのか。...私は話を先に進め過ぎたようである。 

脚註にすべきことであるが、読者はノルマン人による英国征服と、イタリア南部とその東のシチリア島でのノルマン人自身の強化とが時間的にほぼ同時期であることに注意しておいて欲しい。この事はこれから進展しようとしていた事件に強い影響を及ぼしたと考えられる。このころ、ほぼ同時期にヴェネチアはイストリア*とダルマチア**の一部を併合した。
*イストリアはイストラ半島のイタリア名。付け根にトリエステの港を擁する交通の要衝。
**ダルマチアクロアチアアドリア海沿岸地域の名称。多島海となる交通の要衝。

私たちは今鍋が急に煮え立つのを見る。というのは法王が突然、神聖なる都市エレサレムを汚す『異教徒』に対する十字軍を要請し、ヨーロッパの各王国にエレサレム遠征と『キリスト教』のためのエレサレム奪還を命じたからである。この命令を各王国は忠実に実行した。特にノルマンジー公国<5> は戦役資金のために国自身を抵当に入れ、結局借金を返せず国を失うことになった。公国の新しい所有者は英国(イングランド王国)王で、私が情報源を正しく読んでいればそれはへンリー三世であった。そして私たちにはすでにおなじみのシモン・ド・モンフォールが国王に代わって個人的支配を行っていた。

十字軍は来ては去ることを繰り返していたが、1204年に第四次がやって来た。<6> それは世界のためでなく、明らかにユダヤ人たちとそのすべての支脈のためであった。同じ参照文献からで読者はもう飽きていると思うが、再びマッケベディーの中世地図の68頁から引用する。それはこのころの事を簡潔にまとめている。

『この歴史的断片の元凶は、死につつある(ビザンツ)帝国の心臓を盲目的に切り取った無知な十字軍にあるのではなく、帝国の最終的悪化を陰険に企んだヴェネチア人にあった。ダルマチアの町ザラを騙して奪い取り(1202年)、十字軍兵士たちから通行料をせしめる事から始めて、彼らはついに貿易通路上のすべての島を強奪し独占するに至った。8世紀後の今日でも、第四次十字軍におけるヴェネチアの商業謀略の大成功は、すべての時代を通しておそらく最高の地位を保持している

           (文字強調とビザンツの言葉は本書の著者による)

 

 これらすべての密接に関連した歴史的事件の展開は、地政学のゲームのやり方をユダヤ人たちがいかに良く学んでいたかを示している、と私には思われる。彼らはこの世界に、地政学という言葉の必要性をもたらした。

ロビンフッド』で有名なリチャード一世獅子心王)が十字軍で留守にしている間、弟のジョン皇太子が摂政として英国を治めた。リチャード一世は十字軍戦争でエジプト王サラディンに打ち負かされて帰国する途中、ドイツ国<7>により牢獄に投げ込まれ身代金を要求された。この身代金は巨額の税金徴収に繋がり、貴族たちに耐えがたい生活を強いた。貴族たちは課税に苦しみ、その他の点でもジョン国王によるローマ法王軽視を含む権力悪用により侮辱を受けたりしたため、この貴族たちは武器を持って立ち上がった。ここに私たちは、ユダヤ人たちが法的領域で過去に成し遂げた成功の中でも、最大のものを見ることになる。

1215年6月15日、ロンドン郊外ラニミードの牧草地で、IJCが過去に作った中で最も重要な文書がジョン国王により承認された。それは言うまでもなくマグナ・カルタ(大憲章)である。

地球上のすべての人々はこの文書を、国王を法的に拘束することにより民主的政治を確立したもの*として知っている。この長たらしい文書にはそれほど注目を集めていない三つの附帯条項があった。
*とんでもないですね。単に金権政治確立のための準備だったのでは、と思われます。(燈照隅)

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マグナ・カルタと附帯条項 I、X及びXI

この条項を次に示す。

 

『Ⅰ.最初に、我々および我々の後継者たちのために永久に承認されたこの我々の憲章によって、英国教会は自由であらねばならない事、その権利は完全無欠であらねばならない事、およびその特権は侵すべからざる事・・・、を我々は神から許される』、そして・・・

『Ⅹ.もし誰かがユダヤ人から金を借りその返済が済む前に死んだ場合、その借金をした者の相続人が未成年である間は、借りた金額の大小に拘らず、その負債に関する利子を取り立ててはならない。たとえその相続人が誰からその負債を引き継ごうともである。そしてもし負債が我々の手の中に落ちた場合でも、我々は証文上に記載してある基本金額以外は何も取り立てないであろう』、そして・・・

『ⅩⅠ.そして誰かユダヤ人に負債がある者が死んだ場合、彼の妻は彼女の寡婦産(遺産)を受けられるべきであるが、負債については何も負わない。そしてもし故人の子供が未成年で残された場合、その子供は誰でも故人の資産を保つ中で必要なものを供給されなければならない、そして余った資産の中から負債を払わなければならない。

   なお、領主に対する貢納は行わなければならない。ユダヤ人以外の人たちから負債を受けた時のやり方の様に』

 

これは現代では、そして今日の国際社会での法律、習慣その他の多くに照らし合わせて、重要性は殆ど無いかも知れない。しかし、キリスト教創立以来利子請求は暴利であり、法律と教会によっていかなる場所においても絶対的に禁止されていたことを思い出して欲しい。それにも拘らず、ユダヤ人たちは暴利を含めた利子を取り立てていた。それは今日の標準から言えば非常に高い利率であった。

ユダヤ人たちは西欧の土地倒れの貴族たちに資金を融通していたが、それは王たちを含めた貴族たちには必要であった。そしてユダヤ人たちは高利貸し活動により、かなりの場所や国から周期的に退去させられていた。しかも彼らはキリスト教徒ではなく迫害されており、市民とは認められていなかった。

数千年の迫害を通して彼らはどうして大成功するかを知っており、そして彼らは大成功した。彼らは資金提供や貸付により権力を購入し、繁栄した。彼らは貿易を行う権利を持っていなかった、または殆ど持っていなかったにも拘らずそれを国際的規模で実行し、さらに一層繁栄していった。だが彼らは不法の存在であった。今日まで!

マグナ・カルタ(大憲章)の項目ⅩとⅩⅠの中に秘められた恐ろしい襲撃により、彼らは彼ら自身を一挙に合法化した。ユダヤ人に対し高利貸し行為のある範囲のみを禁止することにより、ジョン王は暗に、そして和平への禁反言<8>として知られていた原理を通して、ユダヤ人たちの集団により実際に行われていた他のすべての形態の高利貸しを合法化してしまったのである。

さらに進んで、この文書に織り込むことにより、以前は何の地位も所有していなかった所に彼らは地位を認められた。そしてもし私が正しければ、これは西欧で彼らに与えられた最初の市民権***に等しかった。彼らはついに到達したのであった!(燈照隅が強調)

(私たちの話を続けるための脚註として、以下の文を付け加えておきたい。前に記したマグナ・カルタ(大憲章)の最初の項目を良く注意して欲しい。というのは、もし私が正しければ、この記述は、約三世紀後のヘンリー八世の時代に起こった、英国教会のローマ・カトリック教会からの独立のための布石であったからである)

 

***燈照隅註:結局のところ、市民権や市民階級、或いは最近はやりの地球市民と言う言葉が意図するところの「市民」とはユダヤ人のことなのである。それは、私に言わせれば、土地やその民に根付かない経済力(カネ)だけの階級のことである。同じ支配階級でも、そこが、土着の王や支配者との違いであると思われる。そしてここにマグナ・カルタによりE. Michael  Jones 博士が言うところの、利殖主義による国家運営とその国家の利殖による資本主義が世界で初めて英国と言う國を創ったのである。しかもその国家の利殖を帰するところ巻き上げるのは、国際金融勢力「市民」なのである。この構造こそが欧州近代国家の特徴であろう。

 

【訳注】

 

 <1>  旧約聖書 詩編119.97より。

 <2>  ラベンナ:イタリア北東部の都市。ダンテの墓がある。

 <3>  ヘンリー三世:在位1216~1272。

 <4>  シモン・ド・モンフォール:フランス生まれの英国の軍人・政治家。同名のフランスの十字軍士の子。1264年、貴族の指導者としてヘンリー三世に反抗し、王を捕らえて最初の議会を召集したが、翌年エドワード皇太子と戦って戦死。「下院の基」とも呼ばれている。

 <5>  ノルマンディ公国: イギリス海峡に面したフランス北西部の地方。十世紀の初めに侵入して来たバイキングによって成立した国。ノルマン人のイングランド征服以後はイングランドの王室御料地となったが、1450年フランスに併合。 

  <6>  十字軍:第一次(1096~1099)、第二次(1147~1149)、

        第三次(1189~1192)、第四次(1202~1204)。

 <7>  リチャード一世を捕らえたドイツ国王:オーストリア公国のレオポルト大公。

 <8>  禁反言:自己のなした陳述や行為に反する事実を後になって主張することを禁止すること。