国際秘密力13
■ 第14章 銀行と混乱 『・・・敵のただ中で支配せよ <9>』
コンスタンス・バターシィ夫人は、ロンドンのマクミラン社から1922年に一冊の本を出した。本のタイトルは『追想録』で、それは彼女の日記であるが、歴史上重要なものである。何故なら、彼女は英国ロスチャイルド家のある人の妻であったからだ。しかしそれ以上に重要な理由がある。彼女は鼻高々の自慢話の中で喋り過ぎたのだ。私が持っている470頁の本は彼女の自慢話で埋め尽くされている。
彼女は極めて危険な人物であったに違いない。というのは、彼女は、自分が知っている卓越した地位の人物や名士たちについて、際限なく記述しているからである。読者はそれを見て、いかに彼らが裕福であったかを知ることができる。彼女は嘘をつくこと、策謀的なこと、そして言葉を省くことができなかった。そのためこの本は粘り気のある甘い密をかなり良く滴らせており、それはすべての頁から滲み出ている。それはこの本全体を満たしている辛辣な皮肉を少しは和らげるかも知れない。
自惚れの激しいこの本は、当時のモンテフィオーレ家やロスチャイルド家出身のIJCのメンバーについて、多くのことを暴露している。それはまた当時の歴史の裏面について明かにしているところが多い。ある事象について一つのことしか書いてなくても、その中には他の事象と結び付ける何かしらのヒントが含まれている。
例えば、ある夕食会の描写の中には客として閣僚たちが含まれており、後の閣僚会議ではこれらの客たちが財政問題や植民政策問題を議論している。それらの議論は後に一連の法律になったり、国の誕生になったり、平和条約になったり、世界に影響を与える協定になったりするのである。
この本は真に貴重であるため、この問題について真面目な研究をする学生には、この本を読むことを推薦する。この本はIJC、ロスチャイルド家、そしてモンテフィオーレ家の歴史の重要な部分を伝えている。もし一冊取り上げるとしたら、この本を研究して欲しい
1760年ごろ、マイヤー・ロスチャイルドという人物が家族的な個人的銀行を、現ドイツのフランクフルトに設立した。そこは、当時ドイツ中に数多く存在していた小さな、取るに足らない王侯の領地の一つであった。その銀行は繁盛して成長し、1805年、この一族はロンドンに支店を開設した。
ここで、私はギルバートの地図10を取り上げることにする。読者はその地図を詳しく研究して欲しい。というのは、この地図は他の何よりも私たちの物語を良く伝えているからである。
18世紀の中ごろ、フランスの王は財政の失敗によって信用を失墜していた。またイギリスは、IJCが支配していた先程と同じドイツの小王侯領地から、すでに王を引っ張って来ていた<10>。
これと同じころ、フランスで『イルミナティ』が創立された<11>。 そのメンバーは、おそらくその知性のゆえに選ばれたのであろう。しかしもっと強い選択理由は、彼らのIJCに賛同する信念であり、更に強い理由は、IJC司令部の指令を遂行しようという彼らの熱意であったと、私は信じている。そして、ジャコバン党<12> がイルミナティとその仲間たちにより組織された。
またアメリカでは、ジョージ・ワシントン自身が大陸会議<13> に出席した。その会議で彼は軍服を着て、イギリスからの独立宣言を発表したのである。彼はそれをし得るただ一人の人物であり、それは彼が最高の地位にいる指令官であることを確信させた。アメリカの全13植民居留地からの『良心的愛国者たち』から成る連絡委員会<14> が具合良く設置されていたが、この委員会は何年も前から彼を支援していた。イギリスから別れたいという意向に対して、1年前にはイギリス側からの拒絶があったが、今回はなかった。何故なら戦いが始まったからであった。
(先の会議に至るまでにも戦火は交えられていたが、独立といったものは試みられてはいなかった)
それにしても、すべてはIJCが自らの国を得るためにお膳立てされていた。そのように名付けられてはいなかったものの、そのように操作されていた。戦いに勝つことだけが必要であった。
(フリーメーソンに関しては、その団体とともに活動した私の過去の経緯により、意図的に何の記述もしてこなかった。しかし私は、この団体はイルミナティやジャコバン党の活動と、そしてまたアメリカ独立運動とも密接に関係していたと確信している。また彼らはIJCの仕事をするという同じ目的のために、読者がこの本を読まれているまさにその瞬間も、日本においてまだ活発に動き続けている。
私はどのような誓約も破りたくはないし、それによって私が、賛成にしろ反対にしろ、裏の動機を持っていると責められるようなことについては書きたいとは思わない。これが、私がフリーメーソンに関して話すと決めたことのすべてである。というのは、これらの紙面を通して最善を尽くしているように、私の人生の目的は他の何よりも、IJCを暴露することにあるからである。この本を翻訳している時の翻訳者が、言葉は違っていても、この本を書いている時の私と同じ位に冷徹であることを祈るばかりである)
ベンジャミン・フランクリンは、フランスおよびフランス国王からの支持を勝ち取るために、アメリカ人たちによって送られたもう一つの道具であった。フランス国王は天皇制下にある人たちとは違って、自分の喉を掻き切られたくなかったら、暴徒からの要求に答えざるを得なかった。フランクリンは外交官として申し分がなく、多くの人々が彼に魅せられ(多くの女性たちがそうであったように)、フランス国王は彼を受けいれた。こうして兵器、兵士たち、艦隊が送られ、支援行為が実行され、1783年にパリ条約が交わされた。この条約は他にも多くの事項を含んでいたが、アメリカの独立宣言はその中の特別の項目であった。
その当時も、そして今日の米国内でも、この様なことが起こっていたと信じる人はいないであろうし、また誰も信じられないであろう、またさらに重要なことには、誰も喜んで認めようとはしない。しかしこのことを誰かが知ろうと知るまいと、私は、それは実際に起こった事実であると確信している。人生を通してずっと教えられてきたこと、そしてその中で愛国者として信じてきたことは表面的なものであって、真実はその底に流れていたことを自分に認めさせることは、私にとってさえ難しかった。
追想したとしても、後知恵的に考えたとしてもIJCの最終目的は明白である。既成の体制を徹底的に破壊し、自分たちの利益のために再構築すること、これである。再構築に際しては、なお一層支配を強めるように導いてきた。彼らはそれを早い時代、エジプトとは言わないまでも、少なくともカザール王国の時代から学んできた。そして多くの実習を積み重ね、今やどのような時、場所、状況においても、円滑に適用し得るまでに洗練された。次にフランスに目を向けてみよう。
フランスはアメリカの独立戦争においてイギリスには勝ったものの、1783年のパリでの講和には失敗して、カリブ諸島および最後に残されたカナダへの要求も放棄した。フランスは今や、氷の滑走面上をそりに乗って落下するが如くに坂道を転げ落ちていった。
フランス国王が支払不能に陥ったことにより、将軍たちが1788年に召集されたが、この様な会合は1614年以来であった。(フランスの立法府は議会に似ているが、権力は殆ど無く、すべての活動については国王の承諾を必要としていた)
混乱は続き、1789年の革命に至った。国王(ルイ十六世)と王妃(マリー・アントワネット)はギロチンにかけられ、恐怖の日々は続いた。貴族階級は殆ど根絶され、混沌が支配した。ヨーロッパ中から事態を収集するために、また各国を肥やすために軍隊が行進してきたが、誰もそのどちらが本当の理由だとは言えなかった。フランス人たちは、暴徒たちが制圧されるまで結束して抵抗した。国内の秩序は、5人の急進論者で構成された理事会からの要請に応じたナポレオン・ボナパルトによって1793年に回復された。この集団はナポレオンをその支配下に置いていた。
その後ナポレオンは戦争ばかりでなく、政治的支配にも乗り出した。教科書はナポレオンがいかに戦闘、戦役、戦争で活躍したかを飾り立てており、それらは今日でも読まれ研究されている。
彼はイタリア、スペイン、オーストリア、ドイツ(西方は小さな王侯の諸領地からなるライン連邦、東方はベルリンを中心としたプロシャ王国からなる)、エジプト、近東等々、次から次へと進軍し、モスクワに到着するまで勝ち続けていった。1812年、モスクワでは頑強なロシア人たちと彼らの冬が、ナポレオンを罠に掛けた。ナポレオンは退却を余儀なくされ、彼の兵士たちは凍死していった。彼は流刑に処され、ヨーロッパ諸国は以前の状態に戻そうと、事態の復帰を図った。しかしそれがなされる前にナポレオンはエルバ島を脱出し、フランスに戻った。そこでは軍隊が結集し、それはかってないほど強力に見えた。しかし彼は、ウォータールーにおける短時間の戦役でウェリントンに打ち負かされ、今度は遠く離れたセント・ヘレナ島に流刑となった。彼はその地で死んだが、世評ではイギリスの捕獲人により砒素を盛られたという。
IJCにとってナポレオンの重要性は、彼が今日世界を支配している民主主義を生ぜしめる傍ら、統治貴族階級とその実権を永久に破壊したことであった。彼は恐怖とその恐ろしい集合体を通してそれを実行した。IJCは私がここに記載したよりも遥かに詳細な手法を持っており、彼らが所有し実行したその手法を彼らは今日も利用していると、私は信じている。
ロスチャイルド家は1805年にロンドンに銀行を設立した。そして彼らは伝書鳩の利用により大衆と政府よりも情報収集において先行し、先に入手した戦況情報に応じて、パリとロンドンで債券の売買を行っていたと言われている。
今日彼らの手先は愛国心を極めて声高に叫んでいるが、彼ら一族は愛国心など完全に無視している。私たちが話をしている人物にも確かにそれは言える。コンスタンス・バターシィ夫人によれば、後の英国のロスチャイルド家の一人は『小さなメシア(ユダヤの救世主)』のあだ名で呼ばれていたことを思い出す。
再び地図10に注意して欲しい。この地図には、彼らの銀行の支店とその開設年度が、閉店または吸収された彼らの競争相手の銀行とともに記載されている。これを見て、読者は銀行業務の原理と今日の政府の方式を理解されると思う。
さてこの後、IJCが彼らの玩具を使って北米で為していることを見てみよう。
【訳注】
<10> イギリス、ドイツの王侯から王を招く: ジョージ一世(ドイツのハノーヴァー家)の就任(1914)を指す。以降現在までこのハノーヴァー家が継続。これはイギリス王室の乗っ取りである。ドイツのハノーヴァー家はヴェネチアの黒い貴族(Black Nobility,ゲルフス家)の直系と言われている。
<11> イルミナティの創立: イエズス会士のアダム・ヴァィスハウプトが創立(1776年5月1日)。5月1日は、悪魔に使える魔女たちにとって記念すべき「ベルテーンの祝祭日」であり、ルシファー(悪魔王)が地獄より地上に戻り、空に宿る日である。この祝祭日とイルミナティの創立日およびメーデーの日は深く関係していると言われている。
<12> ジャコバン党:1789年、パリのドミニコ会修道院で結成。革命の進展とともに急進化し、1792年後半から山岳党が主導権を取った。
<13> 大陸会議(Continental Congress):英本国に対抗して米国で組織された13植民地の合同会議。第1回(1774)はフィラデルフィアで開催され、第2回(1775~1789)は臨時政府の役目をした。
<14> 連絡委員会(Committee of Correspondence) :米国独立戦争当時、緊急事態に即応するため各植民地間に設けられた委員会。