国際秘密力05

第6章  IJC(国際ユダヤ幇)

                   『懺悔:神々の中の王がそばにおわしますので・・・』

 

今や西方の人々はキリスト教の魔力の下にあり、生活様式を変えるべき時にきていた。キリスト教以前のローマの人々は愉快な愛すべき人々で、良く働き良く遊び、人生を重苦しく捉え過ぎることはなかった。彼らの神々は名前をラテン語に変えられたギリシャの神々で、皆とても気さくでのんびりとした存在であった。どの時代のどの場所でも行われている様に、彼らも好き放題に政治を行い、指導者や支配一族の変更を行っていた。また隣国とのトラブルも抱えていた。さて、ここで彼らの隣国の様子を見てみよう。

キリスト教以前のアフリカの北海岸では、そこで貿易をしていた土着のフェニキア人、小数のユダヤ人、征服の結果連れて来られ買われた奴隷たちなどが混じり合い、その子孫たちが住んでいた。もちろん、これはカルタゴである。

彼らは一つの民族として発展するに従い、北アフリカ全体に影響力を及ぼしてきて、ローマの地中海における支配権を脅かしていた。その結果戦争が起こり、ハンニバル将軍<4> が登場した。彼はジブラルタル海峡を戦闘用象と共に渡り、アルプスを越えてイタリアを包囲した。軍略に勝るハンニバル将軍のお陰でカルタゴは軍事的優位を確立し、その軍隊は第四次ディアスポラの時代にローマを支配した。

ユリウス・カエサルジュリアス・シーザー<5> は、イベリアとガリア(ポルトガル、スペインおよび現代のフランス)を抑え、ブリタニア(現代の英国)の南半分をおおよそ支配した。ローマ人の鉄製の短剣は統治を安定させた。東方では古代イラン民族はまだ征服されておらず、ペルシャは問題ではあったがうまく抑えられていた。一言で言うと、コンスタンチヌス一世とキリスト教の時代を迎えるまで、ローマはその権力、富、軍事能力、生活の質そして領土の広さにおいて頂点にあった。

北方では古代ゲルマン民族が支配していた地域があった。当時の古代ゲルマン民族は、アレマン族、ヴァンダル族西ゴート族、チューリンゲン族、そしてフランク族ランゴバルド族と呼ばれる集団から構成されていた。後者の2部族については現代フランスと北海沿岸の低地帯<6> との関連で後述する。

ローマはこれらの民族を統治し、土地を占領すべく何世紀にも亘って試みたがそれはできなかった。深い森に覆われて殆ど農業もなく、人馬の食料も得られないこの地方では、軍隊の補給線が長すぎたためである。またローマの軍隊は自らの占領地を他国の攻撃から守らねばならぬほどには他国の土地の奪取には積極的ではなかった。

ローマの軍隊は時代が下がるに従い、要員の不足分をますますこれら敵側の人々からの雇兵に依存して行った。マッケベディーによれば、ローマ軍の短剣はこれら敵側の長剣に対して結局旧式になってしまった。

その様な状況下で帝国の終末は近かった。そして455年が訪れた。アラリック王が彼のヴァンダル族を率いてローマを略奪したのである。この略奪行為によりヴァンダル族は無茶苦茶な破壊行為の新しい英語の言葉として世界に名を残すことになる(ヴァンダリズム)。

マッケベディーは『ペンギン中世歴史地図』の26頁で、は誰よりも良くこのあたりの状況を説明している。

『4世紀になるとキリスト教会の勝利を見た。この世紀の当初はキリスト教徒はまだ迫害されていたが、世紀末になると皇帝がキリスト教以外の宗教を採用することは考えられない状況で、教会は不可侵のものとなっていた。キリスト教の異教徒に対するこの勝利は楽勝であった。

何故なら、キリスト教の教義は単純であり、その倫理的・社会的教訓はより進歩的なものであったし、そしてその組織は国家のそれに匹敵するものであり、効率的で闘争的なものであったからである。奇跡や不思議な事象の面でも明らかに卓越していたことに加えて、ただ驚くべきはその殉教者のあまりの多さであった』

彼はさらに当時広く行われていた様々な教義についても詳細に記述しているが、本書の目的からすればそれは詳細に過ぎる。しかし、当時の宗教の信仰や信条についてより深く真面目に学ぼうとする人のために、私はいささか記述しておく必要があると感じている。

まずギリシャの神々に由来する古代ローマパンテオン(万神殿)がある。次に来るのは新プラトン哲学。そして、アレイオス主義のキリスト教<7> 、サベリウス主義のキリスト教<8> 、ローマカトリックキリスト教、キリスト単性論者<9> の完全融合教義、ネストリウス教徒<10> の完全分離教義、そして7世紀にイスラム教がエチオピアを切り離した後のコプト教<11> がある。加えて、ユダヤ人は多少のベルベル人とアラブ人を改宗させた。

(私はこれは、ユダヤ人がイスラム教を支配する企みの準備であると信じている)

そして、ペルシャではゾロアスター教<12> が国の宗教となっており、マニ教<13>がいたずらに足場を築こうとしていた。

同じころ、552年にモンゴル人の帝国が、中国に近い東方のトルコ系の勢力<14>によって崩壊した。この崩壊した国の人々は中国では蠕蠕(ぜんぜん)<15>、西洋の歴史学者にはアバール人と呼ばれるが、彼らは西方に逃れた。ここで特に彼らを取り上げたのは、カザールの名前で知られる国との関係で後ほど第8章でより詳しく議論されるからである。カザールについては8章で引用するギルバートの地図4地図5に載っている。

これまでは本題に入るための事前の議論をしてきたが、本章の主目的は、人々各々の姿勢が宗教によって変化してしまったことを読者に伝えることである。人々は当時繁栄していた宗教に付け込まれ影響を受けた。それらの宗教は古代ユダヤを基にしたものであった。

人々は重苦しく、恐ろしく、無知に、そして迷信的になった。ローマの神々や、今や文明に置き替わられてしまった他の神々の下では、各人は自信を持ち無頓着であった。ところがこの段階に至ると、すべてのことに関して深く病的な恐怖が教会に都合良く定着した。そしてこの事がひどくなるほど、教会はより強大になっていった。信仰が高まるほど、法王はより強力に、人々はより貧しく従属的になっていくという構図はますますひどくなっていった。

熱海で偉大な啓示を受けなかったら、ここで議論しているような事件がすべて相互に関係しているかもしれない、などと言うことは私には思い浮かばなかったであろう。色々な活動が単純に符合しているというのは私には奇妙に思えたし、すべての領域で事態が余りにも一致し過ぎていたと思われる。

私は、様々な国に散らばっているユダヤ教信仰の人々を相互に結び付ける集団が、少なくとも一つはあったと信じるようになった。それはおそらく、全員ラビであったか、または少なくともラビに指導された人々によって構成されていた。そして彼らは、アメリカ独立戦争勃発前に、アメリカの各植民地移民団の間に設けられた『連絡委員会』と似たような機能を持つ、少なくとも一つの集団を組織していたのであろう。彼らの目的は、活動の団結力強化のための情報と指針を整えることであった。これらの私の判断が正しければ、彼らは確実に成功していたと推定される。

この本のここで議論しているようなことは、かっての私の思考の水平線上には全く浮かんでこなかったものだ。そして熱海で啓示を受けた時に、私はこれらの人々を国際ユダヤ幇(ほう)(International Jewish Clique) と名付けた。彼らは現代でも存在しているであろうと私は考えている。この名前を付けた1977年から時が過ぎたが、今でもこの名前を変更する理由は何もなく、私は今これを簡単にIJCと呼ぶことにする。この問題の調査と議論のためには、この名称は他のどんな名称にも引けを取らないと思っている。ここで何故この三文字を使用したのかを紹介する。

INTERNATIONAL(国際) は、すべての政治的境界線と地理的・物理的境界線を超越した彼らの活動領域に言及している。

JEWISH(ユダヤ)は彼らの本質を示す。会員の過半数ユダヤ教徒からなると私は信じている。但し現在はこの宗教集団に限定されないと思っている。というのは、彼らは必要に応じて他人の中に取り込まれてきたと思うからである。

しかし、この集団の少なくとも80%はこの宗教であろう。

しかしながら、すべてのユダヤ人がこの集団に属していると私が考えているとは思わないで欲しい。この様な事は明らかに真相ではないのである。世界のユダヤ人の0.1%の十分の一以下しかこの集団の存在を知らないと私は思っている。この集団の会員数は多くても150人を越えないであろう。 

CLIQUE(幇)は、他人をすべて排除する少人数の固く結合した人々の集団という意味である。

『GROUP(集団)』 という言葉は、それが一般的な英語の意味で使用される時は、『他人を受け入れる』という意味を持っている。しかし、CLIQUE(幇)という言葉はまさに『排除する』というフランス語の語源からきており、使用される時はまさにIJCの様に、その会員は神聖な秘密を絶対に守り続けなければならないという事を意味している。

 

【訳注】

 <4> ハンニバル将軍:(BC247~BC183(?))  カルタゴの将軍。古代における有数の戦略家で、第二ポエニ戦争中(BC218~BC201)にピレネー山脈アルプス山脈を越えてイタリアに攻め入った。

 <5>  ユリウス・カエサル:(BC102~BC44) ローマの有力政治家から独裁官になり、BC44年にブルータスやカッシウスなど共和政擁護派の元老員議員により暗殺された。

 <6>  北海沿岸の低地帯:現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ地方に相当。

 <7>  アレイオス(アリウス)主義:イエスは父なる神と同質(同一実体)ではないが、他のすべての被造物に先立って父により創造された高貴な存在であるとするアリウスの教説。キリストの神性を否定するものとして、325年のニケア公会議で異端とされた。

 <8>  サベリウス主義:サベリウスは3世紀にローマで活躍した神学者。三位一体の三位は唯一の神の単なる三つの顕現様式に過ぎないと説いた。

 <9>  キリスト単性論:キリストは神性と人性が一体化したものであると説く。

 <10>  ネストリウス教徒:キリストが神性と人性を別に持っていたと説く。431年にエフェソスの公会議で異端とされた。中国に景教の名で伝わる。

 <11>  コプト教徒:コプト教会エジプト人の国民教会で、アラビア人の支配(639~640)を受けて以来、異端とされた。キリスト単性論を説く。コプト人は古代エジプト人の子孫であるエジプト人

 <12>  ゾロアスター教拝火教。古代ペルシャに起こった宗教で、神Ahura Mazda を至高神としてあがめつつも、宇宙と人類の歴史を善悪二原論の対立・抗争として説く。

 <13> マニ教:マニが唱えた宗教で、グノーシスキリスト教・仏教・ゾロアスター教などの要素を一緒にしたもの。光明と暗黒の対立を説く二元教。別名Mazadism。

 <14> トルコ系の勢力:突厥(とっけつ)。

 <15> 蠕蠕(ぜんぜん、じゅじゅ):別名柔然(じゅうぜん)。