国際秘密力03

第3章  古代ローマ帝国による統治 

        『さあ、シオン(エルサレム)に警報を鳴らせ・・・<5>

                  

バビロニアにそっくり連れ去られて後、ヘブライ人全部またはその一部が再び利用される時が訪れた。ペルシャ帝国は敵に包囲され、その敵の中には、西方と南方に勢力を延ばしつつあった中国と東方に勢力を延ばしつつあったギリシャがあった。ペルシャは戦場での形勢を逆転するため、征服したすべての地域においてすべての神殿を再建することが決められた。それは、征服されて怒った神々の中の一つまたはより多数の神を懐柔して、セレウコス朝<6> の衰微を盛り返せないか、という目論見からである。

紀元前200年ごろ、ユダ支族はベニヤミン支族とレビ族の残りとともに、破壊されていた神殿の再建のためにエルサレムに連れ戻された。はるか後世の18世紀に、その神殿を再建するという事業は、新たな神殿建設の目的とともにフリーメーソン団の創設につながった。いずれにせよ、神殿再建は、実はフリーメーソン団の最初の秘密命令事項で、当時もおそらくその後もラビ(ユダヤ教の律法学者)の指導者たちにより統括されてきたに違いない。

ここで私たちに必要なのは、中東<7> の長く曲がりくねった歴史に入り込むことではなくて、ユダヤに影響を与えた事件を考察することだけである。すなわち、アレクサンダーが進軍して来た時、エジプトが散発的に襲来し征服して来た時、ペルシャが襲来しまた去って行った時、末期時代の古代ギリシャとの絶え間のない戦争および最後の戦争があった時、そして古代ローマが国境を安定化させるためにユダヤ王国を属国として利用した時の事件についてである。そしてキリストの時代に近いころ、古代ローマに占拠され、属国としてのユダヤ王国もついに終わりを告げた。

古代ローマの軍団はパレスチナの端から端まで進軍したが、地方の民衆からなるゲリラ勢力の頑強な抵抗に会い、約50年後に最後の戦いがマサダで行われた。マサダは測り知れないと思われるほど巨大な岩山で、そこで最後のユダヤ戦士たちは滅びた。ユダヤ人たちの残りは中東全域およびギリシャで売られるために引き立てていかれた。またローマに連れていかれたたいへん多くの人々もいた。ユダヤの残り少ない人々の長期間の闘争の中で、この時期は『最も華々しい時』のように私には思われる。

イスラエルアブラハムは『パレスチナにおけるアレクサンダー大王による戦役』の中で、ユダヤ人側からの見方でこの時代すべてについて良い説明を与えている。また私が限られた紙面で述べたよりもはるかに詳細に記述している。

彼のこの著述は、1922年にロンドンで開かれた英国学士院の会合に先立ち配布された一連の講義資料であり、1927年の英国学士院の新資料を加えて、1967年にシカゴのアーゴノート社から前記の題名で一冊のすっきりした形にまとめられて出版されたものである。彼はその26頁でこう述べている。

『領土内に共通の単一宗教を強いたアンチオコス<8> の布告は、ユダヤ教と同様、ゾロアスター教にとっても忌み嫌うべきものであった。ペルシャにおけるヘレニズム<9> には同情を禁じ得ないが、ペルシャの宗教もセレウコス朝の抑圧命令を恨んでいた。

後日、ペルシャの宗教であるゾロアスター教の他の本拠地、パルティア<10> ローマ帝国に対し長く持ちこたえた。結局ゾロアスター教は親類関係にあったイスラム教に簡単に捕食されてしまった』

彼は革命、不穏な行動、ゲリラ戦争、テロリズムについても説明しているが、これらはユダヤ人の居住している地域での最初のものと思われる。

(これらは、ユダヤ人がその地に居住していた他の人々に対して、同様の行動をいつも行っていたためであろう) 

そしてこれらはイスラエルを他人の土地の上に作ろうという試みを伴って今日まで続いているように思われる。彼はマカベア<11> やその他のユダヤ集団の英雄的な行為についても述べているが、彼らの名前はシオニスト活動<12> や今日のイスラエルで『借用』されているので、私たちにも聞きなれたものになっている。

彼が19頁で述べていることを引用しておくので、注意しておいて欲しい。

 

『我々は、複数の理想主義との闘争に直面している。各々の理想主義は、譲歩はできない独自の権利を主張している。その闘争は我々の時代まで持続しているものであり、付随的にユダヤ問題と呼ばれるものを引き起こした。この問題は我々が今でも知っているものであり、公民権と宗教の間の問題である。

 

マカベアの時代の著述の多く・・・エステル書、ダニエル書、マカベアの著書・・・は、同様にある闘争を描いている。それはシリア人のヘレニズムと古代ユダヤ人のヘブライズムとの闘争であるが、これはヘレニズムとヘブライズム間の普遍的闘争といったものではない』

この点について、マッケベディー[1]ペルシャの人々<13> は『古代イラン人』と呼ばれる集団に由来することを指摘していることに注目したい。古代イラン人は、ヘブライ人たちがまだアラビアの砂漠の中の遊牧民であったころの、およそ四千年前からの基本的な土着の住民である。また、彼の論評はすべてユダヤ聖典を基礎としているため、他の考察を期待することは殆どできないことも指摘しておきたい。

[1] Colin Peter McEvedy(1930~2005)は、イギリスの数学者、精神科医、歴史家、人口統計学者、ノンフィクション作家。1961年から2002年まで多くの歴史における人口調査地図などの著作がある。

 

真実は、古代の闘争も、彼の講義の時代の闘争も、そして現在の闘争も、ヘレニズムとヘブライズムとの普遍的な闘争なのである。

西暦紀元の最初のころに、ローマ帝国ユダヤ問題に対する『最終解答』を実行に移すまでのこの時代は、パレスチナでの戦いは全般的に散発的なものであった。

決定された『最終解答』は、この人々の再度の奴隷化と強制連行であった。

前記の著述の一つから引用すると、

ローマ帝国の回答は、軍団の派遣であった。その軍団は、足鎖と金を持ったギリシャの奴隷商人を伴っていた。』

これは第四次ディアスポラユダヤの離散)と呼ばれている。

 

 【訳注】

 

 <5>  旧約聖書ヨエルの預言2.1より。 

 <6>  セレウコス朝セレウコス一世が創始したシリアの王朝。BC312~AD64(?)の間、小アジア・シリア・ペルシャの大部分を統治した。 

 <7>  中東:南西アジアおよびバルカン諸国など、もとオスマン帝国に占領されていた諸地域。

 <8> アンチオコス:古代シリアの王。アンチオコス四世(在位BC175~BC163)は、エルサレムの神殿にゼウスとして自分の像を据え、マカベア戦争の原因を作った。

 <9>  ヘレニズム:古代ギリシャ文化。古代ギリシャ精神。理性・知識の追求、芸術・体育の尊重などを特徴とする文化体系で、ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の源流の一つとされている。 

 <10>  パルティア(Parthia) :カスピ海の東南にあった古代の国名。現在はイランの北東部。

 <11>  マカベア(Maccabees) :紀元前2世紀のユダヤ愛国者。シリア王アンチオコス四世の支配からユダヤ教団の政治的・宗教的自立を勝ち取った。

 <12>  シオニスト運動:ユダヤ民族主義に基づいて世界のユダヤ人をパレスチナに集結させて国家的統一を与えようとする運動。

 <13>  ペルシャの人々:古代シリア王国は古代ペルシャ帝国の領土をほぼ引き継いだものであることに注意。

 

■ 第4章  諸 宗 教

                  『ユダヤの王として生まれた彼はどこに?・・・<14>

 

私は1977年に日本での講演旅行に招かれたが、その旅程の中に熱海の世界救世教会への訪問と講演があった。私はスケジュール通りに熱海に行き、町のはずれにある教会の屋外の聖堂での礼拝に連れていかれた。それは教会の創設者の墓だったと思う。そこには門というか神社の鳥居の様なものがあり、祭壇や建屋の構造も神社のそれと同じ様であった。

私は祭壇に向かう前に、二回お辞儀をした後に三回手を叩き、次にまたお辞儀をしてから静かに恭しくお祈りをする様に説明された。一通りお祈りが終わると、祈祷式の最後にもう一度お辞儀をしてからその場所を退いた。次に私は教会の付属建物に連れて行かれ資料館を見学した。

私は何年も前に、日本人は戦後に彼らの帝国が破壊されてしまうであろうということをいかに信じていたか、そして彼ら自身の文化財または古代中国の極めて貴重な工芸品を運び出し、当時の熱海のそばの一つかあるいは複数の洞穴にそれらを安置したということを読んだことがあった。読んだ本の説明では、早い時期の米国占領軍がそれらを目撃したとのことであった。しかしそれらがその後どうなったのかは、本には書かれていなかったので私には分からない。

その資料館に連れていかれた時、私はそれらの工芸品、またはその一部、またはもっと重要なものと信じて、これら展示してあった工芸品のいくつかを見た。その中には、銀縁のたいへん目立つ、やや年配の男の大きい絵が一枚恭しく飾られていた。案内の人に誰の絵かを尋ねたところ、世界救世教会の創設者だと説明された。さらに教会の創設時期を尋ねたが、彼は『1944年』と答えた。彼はその年の事を続けて説明してくれたが、その内容は次の様なものであったと思う。

創設されたのは夏で、当時日本の指導者や情報機関員たちは米軍が1945年か1946年に海岸に上陸し、強姦、略奪、殺戮を行い、そして日本民族を大量虐殺して絶滅させようとすると信じていた。これら日本人の指導者たちは、数千人の日本人たちが山々に逃げ込んで生き延び、何とかして千年以内に、天皇崇拝の何らかの形式や歴史的記憶を含めた日本文化の一部をそのままの形で携えて再出現することを願っていた。

その時私の心の中で閃光に似たものが炸裂し、鮮やかな天然色の中で何かが起こったのを見た!!!。(※燈照隅による強調)

エジプトでの第一次ディアスポラにおける屈服と奴隷化を通り抜け、さらに第二次・三次ディアスポラでの同様の経験を通り抜けて、第四次ディアスポラが訪れた時、ユダヤ人たちは準備を終えていた。彼らは、彼ら自身をことごとく包含するまさに都合の良い宗教を有しており、古代の神々を信仰していた人々をその宗教に引きつけることを続けていた。過酷な神を嫌っていた当時の人々を改宗させるために、彼らは愛と慈悲を装った。その宗教とはもちろんキリスト教である。

すでに概略述べてきた歴史を振り返って見ると、まさにこの事を成就するために必要なすべてを、ユダヤは第一次ディアスポラ後にすでに学んでいたことに私たちは気づく。そして少なくとも仏教とゾロアスター教も、また600年ほど後ではあるがイスラム教も、これら生き残りを賭けた人々によって易々と生み出された可能性が高いことに気づく。

少なくとも彼らのごく一部は紀元前6世紀にオクサス地方にいた。またより多くの人々が仏陀の時代にガンジス地方にいた。これらすべては、マッケベディー[1]により論証されている。というのは、彼は紀元前1000年からキリストの時代までの多くの征服が行われた時の、この地方全域にわたる住民・人口の一掃に関して論じているからである。

[1] Colin Peter McEvedy(1930~2005)は、イギリスの数学者、精神科医、歴史家、人口統計学者、ノンフィクション作家。1961年から2002年まで多くの歴史における人口調査地図などの著作がある。

 

私はイスラム教の発祥について殆ど何も知らないが、後にシーア派となったカリフェイト派が早期に分離した件に関しては読んだ記憶がある。カリフェイト派は何世紀も前に古代イラン人として知られていた人々と彼らの土地を基盤にしていた。

(現在のイランの領土は古代のもっと広大であった領土に含まれるが、私はこれらを混同してはいない)

この件に関する私の読書は限定されたものではあるが、シーア派ヘブライ人たちによって今日に至るまで、統治されたことも、ひどく侵食されたこともないことを私は思い出した。そのシーア派教徒とイスラエル、中東、そして世界中のユダヤ人との殆ど絶え間のない表立った戦いは今日再現され、約三千年に亘る過去の全世紀の間そうであったように、世界は今でも戦争に恐怖している。

ここで話をキリスト教に戻そう。

始めに言いたいのは、私の持っている聖書は国際ギデオン協会がすべてのホテルの部屋に配布しているのと同じものである。このプロテスタントの協会は、寂しい旅行者に安らぎを与えて信仰を広めようという団体で、約80カ国で活動している。この聖書は私が知る限り、最も簡単、安価で、最も混ぜものがなく、平易で、潤色されていない、権威のあるものである。それは、17世紀始めの英国ジェームズ一世の統治時代に翻訳され、準備され、初めて印刷されたジェームズ一世版<15> の写しである。私の手持ちは、1961年ナショナル・パブリッシング社版権の1971年版である。

もちろんそれは845頁からなる旧約聖書を含んでいる。旧約聖書は『原語』から翻訳されたと明言されているが、『原語』の真相は明らかにヘブライ語であり、実際にはユダヤのタルムードとトーラ-<16> の形式で書かれていた。

新約聖書の冒頭、最初の頁の直前には奇妙な文章が、少なくとも私には奇妙に思われる文章が載っている。

ギリシャ語原文からの翻訳。以前の翻訳と十分に比較され、改訂された』

原文が何故ギリシャ語なのか? それはおそらくユダヤ人がまだパレスチナに住んでいた時代に、ユダヤ人によって書かれたものであろう。私は、当時その場所に住んでいたユダヤ人の話していた言語は少なくともヘブライ語形式であったという印象を持ち続けている。

私はさらに、聖書の言葉は話されたすぐ後に筆記され、他の言語にも速やかに訳され、おそらくまだその言葉が一般に知られるようになる前に、世界の他の地域にさえ運ばれていったという印象を持っている。少なくとも私の年代の子供たちはそう教えられた。

この点に関して私は、およそ50年前の死海文書の発見に関する読みものを思い出す。それらはキリストの時代の文書で、新約聖書の内容を深く実証し裏書きすると思われた。それらは極めて迅速にイスラエルの学者たちに差し押さえられ、固く保護され、今日に至るまで公平な審査官による調査も、好ましくない審査官による調査も行われていない。事実ユダヤ人学者たち自身にも、この貴重な発見物の一部を眺める時間さえ殆ど許されていない。

それは、その文書が新約聖書を実証していないためではないだろうか?その文書はむしろキリストの存在さえ反証しているのではないだろうか?その文書の秘密はヘブライ人たちが長い間隠していたものだったのではないだろうか?

次に挙げたいこととして、新約聖書の最初にある『マタイによる福音書』(マタイ1.1~18)には、ダヴィデ王やソロモン王を含むヨセフ以降のヘブライ人たちの系譜が列記されている。これを見ると、これはたぶん彼らの正当な、認められた、抑圧されていない王たちすべての系譜であり、キリストは系譜を将来に残すための運搬人として登場したのであろうという考えが起こる。

キリスト教の信仰と聖典によればキリストはまだ生きている。ニケア信条の暗唱の中で私はそう教えられた。ニケア信条はキリスト教の初期段階での論争の産物であり、4世紀の初めギリシャまたはローマ帝国の統治下にあったトルコの町ニケアで開催された宗教会議で終結された。その中でキリストは、『全能の神の右手の上に永久におわします』と言われている。

ユダヤ信仰によれば、キリストはすでに死んでおり、待望されていたメシア(救世主)ではなかった。そしてキリストが旧約聖書の中で哲学的に考察されることを、今日ユダヤ人たちは期待している。彼らは新約聖書を無視している)

血統が彼らの王の系統を探る手がかりになるのはそれで良いのだが、ヘブライ人は本来は女家長社会であり、家系は全て母親を通して辿られるのである。この家系を探るためにすべての事実を得ることができれば、それらを探ることは完全に不可能ではなくなるのだが、ああ悲しいかな、私のような個人には全事実は一般に容易に手に入らない。私はそれらの全事実は誰にも手に入らない、それも故意の理由からで、と信じている。

今まで述べてきたように、ユダヤ人たちはマリアから生まれたイエスが彼らの王であること、またはかって王であったことを信じていない。むしろユダヤ人たちは、キリスト・救世主はいつの日かやってきて、『地球を支配』するだろうと信じている。このことは私が子供のころに教えられたことであり、またキリスト教徒の間では『常識』となっており受け入れられた事実となっている。

もしそれが真相だとして、現在誰がユダヤ人の『摂政』の地位にあるのか?その摂政に助言する『枢密院』を構成しているのは現在誰か?ヘブライ人たちを支配している神政の中心を構成しているのは現在誰なのか?

同様に重要な質問であるが、第四次ディアスポラの時、これらの地位を確保していたのは誰か? 当時、奴隷として多くのユダヤ人たちは地中海の辺境の地に散らばされた。またごく一部はアジア中に散らばった。

これらの質問をやや複雑にしてみると、第四次ディアスポラ以降二千年間これらの地位を確保していたのは何者か?

著者の基本的目的はこれらの事象に読者の注意を喚起することにあり、本書の次章以下でこれらの質問に答えるのは無理かも知れない。しかし私は能力の許す限りこれらの質問に精一杯答えるよう努力をしたい。しかしああ悲しいかな、多くの質問は永久に答えられないまま残るであろう。何故なら、通常の君主国、国家、帝国では当然存在するような記録が彼らには存在しないからである。

それらの国家では、些細な事にまで気を配る官僚が細心の注意を払った記録を残して自らの存在を証明すべく努力を重ねてきている。しかしここには二千年に亘る記録破壊の隠された秘密があり、真実のヒントを拾おうとする時でさえ、不正なる置き換えがなされているのである。

私はこの隠された秘密が、世界の『キリスト教徒』の部分だけでなく、その他の神道を除く主要宗教すべてに及んでいるのではないかと、非常に危惧している。神道は二千年以上に亘って攻撃下にあるにも拘らず、比較的純粋性、崇高性を残しており、襲撃の標的とされているものの傷付けられてはいないのである。

 

【訳注】

 

 <14> 新約聖書 マタイによる福音書 2.22 より

 <15>  ジェームス一世版聖書(King James version):ジェームズ一世は英国国王(在位1603~1625)。ジェームズ一世版聖書はユダヤ人による偽造が最も少ない聖書と言われている。

 <16>  タルムード(Talmud)とトーラー(Torah) :ともにユダヤの重要聖典。タルムードはユダヤ教の教えを集大成した膨大なもので、400~500年ころに原型が完成したと言われている。トーラーはユダヤ教の律法でモーゼの五書(The Pentateuch,旧約聖書の第一部)を指す。ユダヤ人は旧約聖書を「律法(Torah,the Law)」、「預言書(Nebiim, the Prophets)」およびその他の「諸書(Ketubim,the Writings)」に三分した。