ドイツ悪玉論の神話014

猶太人とロシア革命

1917年のロシア革命、同様にその後に欧州のいたるところで勃発したボルシェヴィキ革命における指導者の大半を構成していたのが猶太人であった事実は、今日、注意深く隠されている。その結果、猶太人の関わりは、現代の学術的歴史文献からは大部分が消されている。現代の歴史学者は、今日、研究者生命を奪われる危険を感じて、猶太人がボルシェヴィズムで特別な役割を果たさなかった、と言うだけでなく、寧ろ、その被害者だったという見方を支持するように強要されているのだ。

これは勿論、もみ消しであり、歴史的事実と矛盾する。時の政治家やジャーナリストは、ロシア革命の猶太的性質、しかも、革命が、ロシア國家に対する猶太人クーデターであったこともよく意識していた。更に、革命の結果、権力に就いたボルシェヴィキ政権が大方猶太人であったことも知られていた。更に、ロシア革命に続く欧州全体での共産革命も、ロシアで猶太人がしたこと ―それは、時の政権を転覆して猶太人が支配するソヴィエト社会主義國家に挿げ替えること― と同じことをするために猶太人によって組織化されたものであった。ここで重要な事は、欧州の國で、共産党が一時的にせよ支配した國では、共産主義者が最初にしたことは、反猶太主義の禁止と猶太人の制限の解除であった。実際の歴史的事実を手に入れるには、今日、インターネットで入手可能な、當時書かれた新聞、雑誌、それに書籍を読む事である。

実は國際猶太は、ロシア政府を支配しようと、二度にわたり、企んでいた。一度目は1905年で成功しなかった。そして二度目が1917年であり、企みは成功した。どちらの軍事政変もロシア國内・國外両方の革命家猶太人により計画・組織され、更にどちらも國外の猶太人銀行家に資金援助された。猶太人とロシア革命をどの様な形でも関連付けるのは、現在では厳しいタブーとなっているが、革命とその後のロシアで実際に何が起きたか、そしてその革命が他國にもたらした衝撃を理解するには、革命と、その後のロシア政府と、更にロシア革命に引き続いた欧州でのボルシェヴィキ革命とに猶太人が果たした役割を理解する事は、大変重要である。同様に、ロシアにおける、ロシア皇帝の政権とロシア領の猶太人の間に長い間に亙って存在した互いの敵意の本質を理解する必要がある。更に、普通のロシア人と猶太人が互いに感じた相互の悪意の本質も理解する必要がある。そして、更に最後に、世界中の猶太人が持っていたロシア皇帝の政権に対する復讐心に満ちた憎悪と、それをいつか倒そうとする執念の決意をも理解する必要がある。

 

東欧猶太人の起源

19世紀末、世界の猶太人の大半は、東欧にロシア政府が「猶太人居留地」(Pale of Settlement)と定めた地域-ポーランドベラルーシウクライナ、それにリトアニア ―それらは全てロシア帝國の一部であったが、ロシア國内ではなかった― に住んでいた。猶太人がどのようにしてその地域にたどり着いたのかは、それ自体、興味深い疑問である。その答えは、彼らはそこにいつも居たという事だ。彼らは、どこかから移民してきたのではなく、そこが元々住んでいた土地だ。

これらの猶太人は、聖書に出て来る、聖地の猶太人と同一ではない。彼らは寧ろ、古代からコーカサス地方黒海カスピ海の間の地域、大部分が現在のジョージアグルジア)に住んでいたカザール人の末裔である。カザール人は8世紀の末に大量に猶太教に改宗した。このイディッシュを話すカザールの猶太人と古代の聖地のセム系猶太人には生物的(血縁)関係はない。カザール人の末裔が今日のアシュケナジー猶太人である。世界の85%の猶太人、95%の米國在住の猶太人は、アシュケナジー猶太人である。イディッシュは、カザール人が創り、欧州中央部との交易に使用した、一種のクレオール語(混成語)である。イディッシュは、独逸語の方言とも言われるが、そうとも言い切れない。語彙の半分程度が独逸語ではあるが、文法的な構造が独逸語と異なる。イディッシュの語彙の多くは、カザール起源である。例えば、「Kagan」は、猶太人の典型的な苗字だが、これはカザール語で「王」だ。Elia Kazanの様な猶太人の苗字、「Kazan」は、カザールの名前だ。

 

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カザリア: 今日のアシュケナジー猶太人の祖、カザール人の出身地 世界の85%の猶太人、米國の95%の猶太人がアシュケナジー猶太人である。


カザールの人々は、黒海カスピ海に跨る草原、北はウクライナキエフ辺りまで広がっていた、二つの民族の混血であった。アーサー・ケストラーの著書「13番目の種族」によると、南のカザール人は、浅黒いトルコ-モンゴル系の一方、キエフに近い北方のカザール人は、金髪で目が青く、ヨーロッパ系に近い外見をしている。現在のアシュケナジー猶太人にもこれら二つの系統が見られる。

カザール人は、ロシア人がギリシャ正教を國家宗教として受け容れたのと同じ頃に、國家宗教として猶太教を取り入れた。どちらもほぼ同じ様に大量改宗した。ロシア人は教会の建造の手助けやロシア人の教化の為にコンスタンチノープルから多数の聖職者を連れて来た。同様にカザール人もカザール人に猶太教を教え、また、シナゴーグの建造の手助けのために多数のラビを連れて来た。カザール人は、猶太教の主流の中核テキストで、猶太教の法律、倫理、哲学、慣習や猶太の歴史を組み込んだ、タルムードも受け容れ、それらすべてを一括して自分たちのものとした。彼らは、猶太の聖日、伝統的猶太教の儀式や祭式も受け容れた。別の言い方をすれば、彼らは、猶太教をその民族の純潔の慣習や異教徒との結婚の禁止に至るまで、完全な形でそのまま受け容れたのだった。

この好戦的な人々は、一時期、地域全体を支配したが、そのうち、力を失い、ヴァイキングルーシ(ロシア王朝の祖)や東欧のスラブ族の中で、宗教的・人種的少数者として定住するに至った。19世紀から20世紀の東欧から中央ヨーロッパの猶太人はカザール人の末裔であった。これらカザール猶太、或いは、アシュケナジー猶太人は、ロシア帝國で、最大の少数民族を形成し、1897年の國勢調査では、総計520万人を数えた。欧州の殆どすべての猶太人が一般に知れ渡っている意見とは対照的に、パレスチナや地中海からではなく、東方のカザリアから移住してきたのだ。

東欧に密集していたけれども、彼らはまた、欧州全体にも広がり、受入れ國の都市や町で小さな少数民族を形成し、大多数のキリスト教徒と「寄生者/宿主」的な関係を築いた。彼らは、卸商、ブローカー、貿易商、金貸しなどの「寄生的な」仕事を自身で立ち上げ、農業や労働集約型の仕事を避ける傾向があった。彼らはまた「ゲットー」で知られる様な閉じた共同体で孤立し、自民族以外とは結婚しない傾向があった。このアシュケナジー猶太人達は、高い知性、仲間内の緊密な協力と相互支援(通常、受入れ國の非猶太人國民の費用による)を伴った、結合力の高い社会組織に特徴づけられた。

猶太人にはまた、彼らの生活を規定する彼ら自身の法律と道徳規律があった。タルムードは、猶太人が非猶太人を仲間の猶太人と異なる扱いをする事を許す。彼らは仲間内では、お互いに公正で正直であることを求めるが、異教徒に対しては、それは求められていない。その結果、彼らは、狡猾なやり方と、良い意味で控えめな異教徒を利用する、という評判を得るに至った。猶太人が住むところではどこでも猶太人は自分達では何も創造せず、受入れ國の國民の生産業によって生きる、寄生的な人間だということで決まって非難された。

[補足と感想]現在の舊ソ連地域の猶太人人口は70万人程度と言われている。つまりそれ以外の500万人近いユダヤ人がアメリカとイスラエルに移民したことになる。そして、現在アメリカ・イスラエルにそれぞれ600万人前後が住んでいる。そこで読者に熟慮していただきたいのが、20世紀初頭のロシアのユダヤ問題が21世紀初頭の今は當にアメリカのユダヤ問題となっている、と言う事実である。そして、アメリカでは野放しの彼らが、至る所で、執拗に、古き良きアメリカを攻撃し、次第にアメリカはその形を歪められ、最早アメリカの民主党社会主義政党に落ちぶれつつある。

日本は言わずと知れたアメリカの準属州である。このままアメリカの物真似のような政治立場を続けると、國が益々弱体化され、20世紀におけるロシアの憂き目を見ることは避けられない。しかし、これはどうしても避けなければならない。今のロシアをご覧いただきたい。あれは、國と言うよりは國の残骸で、冨は全て移民と共に国外に流れ、人心は利己主義(彼らは個人主義と言って礼賛しているが)と頽廃に流れ、経済的にはもう一度國際ユダヤの植民地になる以外に再生の道がないように見える、當に八方塞がりの状態である。

然し、ブログ主が見るところ、ゴーン事件に見る様に、日本もその富が「多国籍企業」に拠ってどんどん国外に流出し、國民は益々個人主義的、と言うよりは利己主義になり、國の為に働く軍人を馬鹿にし、或いは國の為と言いながら私腹を肥やす経済界や裏腹に國を壊しにかかっている左翼議員・官僚により、國の弱体化はどんどん加速度的に進んでいる。ロシアやアメリカを決して他人事と笑っていられまい。

是非この本を「ドイツは日本と関係ないし。。。」と言う視点ではなく、他山の石として肝に銘じ、日本國民として誇りある生活(自制)と國の為に一人々々が日本の正義と道徳と日本古来の慣習を大切にした生活を心掛けようではありませんか!

 

(次回はロシアでのユダヤ人の生活とポグロムの原因について)