ドイツ悪玉論の神話044

猶太人の誇張は多くの人に否定されている

猶太人の大げさな泣き叫びと不平不満が國際的新聞を賑わしているのと時を同じくして、英國人のG.E.O. Knight が1934年7月に発行した彼の小冊子「In Defense of Germany」で述べていることは「私の(独逸國内の)猶太人との個人的な会話は、啓発的だった。彼らは、英國の新聞が暗示していることを裏付けなかった。針小を棒大に為すとはこのことだ。喜歌劇からメロドラマを創作している。「暴力」の主なものは、妬みの強い若者によるものだ。そして、殆ど全ての場合、新政権に対して特に敬意を払っていない、運の悪い人を「密告」することによるものだった。肉体的な害は殆どなく、精神的な害が恐らく大きかった。」

「独逸に在住していて去る意志が全くなかった、また、去るように言われたことも全くなかった猶太人の友人から私が知らされたことは、次のような事だ。独逸を去りたい者も、帰還する者も自由に、随意、そのように出来たのである。猶太人の自由に関する法律は、実質上、他の人々に関するものと同じであった。」

「持ち上がっている問題は、定住猶太人とは関係ない。彼らの多くは、今も政府のそれぞれ役に立つ様々な分野で雇用されている。独逸がずっと取り除きたいと思っていた好ましくない猶太人は、約8万人に上るが、独逸は彼ら全てを要望さえあれば喜んで英國米國に出國させたであろう。」

「これらの猶太人は、(第一次大戦の)休戦協定〈1918〉以来國に浸透し、独逸に相當な社会的政治的害をもたらす状況を作った。これらの好ましからざる中には、殺人者、犯罪歴のあるもの、潜在的泥棒、詐欺師の破産者、白人奴隷密輸者、あらゆる意味に於ける乞食、そして政治的亡命者が居た。多くがバルト三國、そしてポーランドから、また、少なからずロシアからであった。」

彼は更に、続けて書いている。「去年3月の革命(ヒトラーと國家社会主義者の権力掌握)以前は、猶太人は、ライヒ内であらゆる政府機関に蔓延り、あらゆる専門職と職業で最高の特権を享受していた。彼らは主要な共産党の組織者であり、國内72の戦闘分子と同一のものと見做された。」

「あらゆる意味で彼らは抜きんでた能力のある実業家であることが分かった。彼らの多くが裕福になった。独逸の戦争利得者の殆ど全てが猶太人である。元から居る独逸人は、緊迫していたときに自分自身の國で金儲けをするという考えに恥辱と恐怖を感じている様に見做されたと思われる。」

「独逸の人口の1%がその規則と文化を独逸人に課すべきだという事 - その文化が如何に傑出した物であろうと - それも6千万人の生まれながらの生粋の独逸人に対して...これは、強い言葉を使うまでもなく、理不尽な事である...」「そして、ナチスの輩が敵対し、多数の猶太人の仕事を分かち合った時、世界中の猶太人が蜂起し、こちらの報道機関を通して、ロンドンやその他の地方で意見交換会を開き、独逸政府を暴力的な言葉で非難したのである。」

「独逸人は、彼らの國を自分たちが支配するのを當然と考えおり、幸運であろうと苦悩であろうと彼らは、その立場を貫こうとした。独逸の人々は、どの様な体制であれ彼らの好きな政府を持つ資格を完全に有するはずだ。彼らにどうのこうの指図するのは我々に相応しくない(資格はない)。」

猶太人の独逸に対する戦争は、独逸國内に住む猶太人に対する独逸人による一層の締め上げの原因となった。そしてそれがまた更に、一層大げさな泣き叫びと不平不満を國際猶太の間に再生産するのであった。1933年9月29日、猶太人は、文学、美術、映画、劇場を含む全ての文化的そして娯楽活動を禁止された。ヒトラーは、何度も「猶太人の映画、劇場、娯楽産業から出て来る止めどない堕落」について、そして更に、猶太人の独逸文化を衰退させようとする画策、つまり独逸の道徳、価値観、伝統を馬鹿にし、キリスト教を攻撃する活動について、演説していた。彼は、断固としてこれに終止符を打ちたかった。1933年10月、猶太人はジャーナリズムを禁じられ、新聞は全て政府の支配下に置かれた。ヒトラーの意図は、猶太人の独逸國家機関への影響力を潰し、彼らの独逸からの移民を促す事であり、彼らを害する事ではなかった。

(次回は国家社会主義シオニストの関係)

 

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