国際秘密力20

第21章  『シオン長老の議定書』上

             『・・・彼はレビの子らを清め、・・・<1>

 

ロシアに対するIJCの攻撃について前で議論したことを、読者は覚えておられると思う。それはナポレオンとともに始まり、1835年のより陰険なロシア皇帝(ツアー)への爆弾事件となり、さらには1905年のロシア暴動(ロシア第一革命)へと継続拡大していった。西欧側書物の中ではその頭文字を取って『チェカ(Cheka)』 と呼ばれているロシア皇帝の秘密警察は、長年その業務に従事して皇帝制に反対していた殆どすべての組織を見抜いていた。

彼らは、私がIJCと呼んでいる集団、およびその集団とレーニンの兄の様な人々との関係に関する膨大な情報を蓄積していた。レーニンの兄<2> は20世紀初めに活動するずっと前から、マルクス主義ボルシェビキ思想に対する忠誠心によって知られており、彼はその信条のために死んだ。チェカの能力の高さと徹底ぶりは、今日の基準で考えても信じられないほどであった。その大量の物的遺産が永久に失われてしまったか、または秘密の中に封印されてしまったことは真に残念である。

秘密の組織であったチェカは、彼らの活動自身を知られることなしに取得情報を流布する方法に困っていた。そこで彼らは

『シオン長老の議定書

(THE PROTOCOLS OF THE ELDERS OF ZION :以下プロトコルと訳す)』

と名付けた文書を準備した、と私は信じている。その文書は、ロシアにあるユダヤの共同墓地に深夜集まった12人のラビたちの話を知られないように書き留め、それらの12の項目を小説の付録として20世紀初めにパリで出版したと言われている。しかし私は、この本はそうしたものではなく、その内容を世界に公表するために発刊されたものであったと確信している。

ここは注意して聞いて欲しいのだが、発刊された本はたった一冊しか残っておらず、それは大英博物館の中に施錠されてしまってある。私はそれを写したマイクロフィルムを入手するのにほぼ10年を要した。それが得られたのは、たまたま丁度良い日に私と気のあったアラブ人がそれら希書部門の担当であったからであった。このマイクロフィルムは適切な時に適切な研究者たちが調査できる安全な場所に送っており、今日に至るまで私はそのマイクロフィルムを見ていない。

本書は今までのところ、エジプトによる最初の奴隷化から始まる、アウシュビッツを含む、何世紀にも亘ってユダヤ人たちが忍んできた試練や苦難に関しては殆ど情報を提供してこなかった。アイルランド人が英国との問題を言い続けているように、ユダヤ人たちも彼らの『悶着』を一世紀以上持たないで過ごしたことは無かった。

コロンブスの時代にユダヤ人たちがスペインから追放されたことは、彼らが受けた大きな迫害の一つであり、またロシアにおいて彼らは『虐殺』、『皆殺し』、そして武力による再移住に遭遇していた。それらは確かにそうなのではあるが、それらは、対敵情報機関のピカード大佐が進み出て真相を提供し事態を収拾した『ドレフュース事件<3> 』において、彼らがフランス政府と軍によって迫害されたというような、悶着的事件に関してはごく表面的にしか表していない。

これらの『悶着』を実演したものとして最も大きいのは、前出のローマカトリック教会におけるものであった。私たちはその権力がローマとアビニョンの間を行きつ戻りつし、また少なくとも一度はイタリアのラベンナにも来たのを見てきた。

私たちは歴史を通して、他のすべての民衆、国々、人種と同様に、ユダヤ人たちにも上昇・下降の両時代があったのを見ることができる。ただ他のどの民衆、国々、人種もユダヤ人たちとは異なり、二千年以上の長きに亘って世界の征服と支配を絶えず狙い続け、そのための指導をし続けるということは無かった。彼らは今、彼らの近代史の中で最大の『下降』時期を迎えようとしていた。

小説の付録という形での出版の後、英国のビクター・E・マルスデンはプロトコルを翻訳し、それの正当性を実証する事実に関する解説を加えた。マルスデンはロンドンの新聞『モーニング・ポスト紙』のロシア特派員として生涯を過ごし、ロシア語に堪能で政治関係に極めて博識な人物であった。

本書に証拠D・証拠Eとして添付した手紙とそれに対する返事は、その出版を阻止しようとする試みとそれに対する応答を示している。結局その出版は禁止させられたが、IJCが、その出版が彼らにとっていかに危険であると感じていたかを良く示している。

 

 

証拠D

議定書発行阻止に関する書簡その一

 

1920年10月15日の時点で、パトナムが自分自身を独立した米国人と感じていたことは間違いなかった。そして、プロトコルの製本はいつも通りに進められていた。しかし10月29日、さらに一通の手紙が米国ユダヤ人協会会長から届いた。

 

ルイス・マーシャルからヘイブン・パトナムに宛てた手紙

1920年10月29日、ニューヨーク市

 

町から離れていたのと、専門的な仕事の先約があったため、今月15付けのあなたの手紙に早めにお答えすることができなかった。あなたはその手紙の中で、『世界不安の原因』の出版方針を明らかにし、また『プロトコル』の出版予定を述べている。

ある種の活動についてあなたが正当化しようとしている論理を、私は容認しかねる。全ての現代国家の中で行われているというその活動について、私は今月13日付けの手紙の中でその特徴付けをすべく努めた。しかしあなたは、私が批判の根拠としている主張を全く無視している。

報道と言論の自由について、私は他の誰よりもその支援を行ってきた。これらの基本的な自由の促進を図る中で、重要な先例を生み出せるよう援助することは私の特権であった。しかし米国法上では常に、文書および口頭による名誉毀損の条項があり、報道および言論の自由の乱用、そしてあなたが引き合いに出された憲法による保証を不完全にさせるような攻撃、はこれに該当するとされている。

私は、ある意見に関する主題について、いかなる出版社がいかなる『意見書』を出版しようと、それを出版する権利に疑問をはさむ者ではない。それらの出版社は論争好きかも知れないし、また科学的、政治的、神学的理論や教義の健全性を損なわせるように攻撃するかも知れない。そうであっても、まともな気持ちの持ち主であれば、お気に入りの情婦が酷評されたからといって、あえて彼女の欠点を探すようなことは一瞬たりともしないであろう。

しかしながら、『プロトコル』と『世界不安の原因』は意見書ではない。これらの本は、事実を扱っているように装っている。『プロトコル』は、いわゆる『シオンの長老』の宣言文であると称している。『世界不安の原因』は、文明を転覆させて横取りし、世界を支配するという陰謀に、ユダヤ人とフリーメーソンが一緒になって携わっていると、非難している。

これらの本が虚偽であり、名誉毀損の犯意と実行の罪に該当すると、私が非難しているのは、これらの共謀を事実だと称しているからである。『プロトコル』は『世界不安の原因』の主張の基礎となっており、貴社はこれらを正式に姉妹書と表現している。グウィン氏自身ですら、これらの真実性に重大な疑問を抱いていることを認めているように、これらの本は本質的に虚偽である。『プロトコル』は偽書であり、何時の時代でも現れるものの類である。

これが偽書であるというのは、この本の全ての行間から溢れ出ている。確かな所からの情報では、この本の原稿は異なる7つの出版社に提供されたが、それらの出版社は関わりあいになるのを拒否し、やっと小さなメイナード社が米国大衆向けの出版を引き受けたということである。

『世界不安の原因』の著者は、著者不明の名の下に隠れている。あなた自身、グウィン氏が著者であるような言い方をしている。明らかにあなたでさえ、この扇動的な本の由来を知らない。しかし、あなたが責任を否定したとしても、出版という行為によって、あなたはこの本に承認を与えたことになる。このことを私は繰り返し申しあげる。あなたの行っていることは、この本を流通させるという手形に承認を与えると同時に、著者への責務追求に対して隠しだてをしているのと同じことである。

否、パトナム兄よ。あなたが確立しようとしている主義は決して成就はしない。朱に交われば赤くなる。虚偽を小売りして広める者は誰でも、それが口伝であろうと印刷物であろうと、それらの虚偽に対して責任がある。

あなたがユダヤ人の中に尊敬する多くの友人を持ち、またこれらの本は全てのユダヤ人に言及するつもりのものではないなどと言っても、何の足しにもならない。世界は、そのような区別のできるものではない。激情を目覚めさせられた人々は、区別など認めはしない。『プロトコル』の偽造者、および『世界不安の原因』の謎めいた著書は、何の区別もつけてはいない。中世における彼らの先駆けたちもそのような細かな区別にふけることはなかったし、現代ロシアの黒い百人(black hundred*)もまたそうである。トロイやツロ<1>はこの本の著者らに似ていた。

*黒百人組(Чёрная сотня, черносотенцы)は、20世紀ロシアに存在したいくつかの極右集団・反セム主義団体の総称。

一瞬たりとも私を誤解しないで頂きたい。あなたによって非難されているような陰謀に携わっているユダヤ人は今日存在しないし、今までも存在しなかったと、私は主張しているのだ。これらの本の中に書かれ、あなたの印刷機から煙として現れたような陰謀にである。

ボルシェビキ思想に関して叫んでいるが、それは満足できるものではなかろう。ブルックリン地区の反ボルシェビキ主義者に対するあなたの言い回しは、あなたが何と哀れな熱情に浮かされているかを物語っている。これらの本は、「モリス・ヒルクィットやレオン・トロツキーなどのユダヤ人によるボルシェビキ思想に対抗して」、米国の制度を守る、などとほざいている。

あなたは、いやしむべき人種によって書かれたこれらの破廉恥な悪口本の陰に隠れ、そして、それはこれらの本が主張していることだからと逃げている。その結果、あなたは同じ深さにまで身を落としていることになるのだが、そのようなことは、私には実に思いがけないことである。このような悪意の創造に、真に正しい米国人が手助けするなどとは、私には信じられないことであった。

ロシア系ユダヤ人の大部分の外側に、ごく僅かなボルシェビキがいるという事実だけで、ユダヤの人々がボルシェビキだと決めつけるようなことは許されない。ボルシェビキ思想がユダヤ人の活動であると言うのは、ユダヤ人は資本主義に責任があると言うのと同じくらいばかげたことである。それはまた、ユダヤ人の音楽家、役者、詩人がいるからという理由で、音楽、演劇、詩作がユダヤ人の活動であると言うのと同じことである。

私はシオニストではないし、また、これらの本はシオニズムに対抗しようとしているというそしりは取るに足らないと思っている。この本が攻撃しているまさにそのシオニストたちは、ボルシェビキたちに悩まされてきた。また、大部分のロシアのユダヤ人たちがブルジョア階級であるとして追撃されてきたように、シオニストたちは反対側の革命主義者たちだと、公然と非難されてきた。

私はフリーメーソンのメンバーでもなく、また他のいかなる秘密組織のメンバーでもないが、本中で述べているような陰謀にフリーメーソンが加担しているとして非難しようとしているこれらの本は、精神異常をきたしている著者らの病理学的な状態を示しているに過ぎないと言える。

ジョ-ジ・ワシントンを含む15人の米国大統領がフリーメーソンであったことを思い出せば、あなたが喜んで『意見書』の名称を与えたこれらの本に対して、これ以上非難宣告をすることもあるまい。あなたの関連している取扱店を通して流布された非難に対し、米国における一人のユダヤ人が自分たちの人々を守るために屈辱的な立場に置かれようとは、私には信じられないことであった。

これらの本に答えるべき時がいつかくるとしたら、あなたの会社を出版業者として利用することは私にとってもはや必要ないであろうと、私は確信している。

 

                             ルイス・マーシャル

 

【訳注】

 <1>  ツロ(Tyre):古代フェニキアの海港。富裕と悪徳で聞こえ、紀元前10世紀ごろ最も繁栄したと言われている。現在はレベノン共和国南西部の小都市。

 

 

証拠E

議定書発行阻止に関する書簡その二

 

二日後、パトナムはユダヤ人の意思の前に、次のような言葉で頭を下げた。

 

ヘイブン・パトナムからルイス・マーシャルに宛てた手紙

            1920年11月1日

 

 

グウィン氏からの依頼で、私たちは『世界不安』に関する彼の本の米国版を発刊いたしましたが、彼は、『プロトコル』として知られる文書の発刊は、ボルシェビキたちの組織の上に光を投げかけるかもしれないという根拠を得ておりました。ボルシェビキたちの工作活動は、世界中に重大な関心を引き起こしており、彼らは正当なる公の場での議論課題となっております。

もしボルシェビキ思想により引き起こされた社会不安がなければ、この文書はおそらく、世に知られずに休んでいることを許されていたであろう、というのがグウィン氏の意見でした。

この様な背景の下で、『プロトコル』の一つの版が、法律関係の高級な出版社であるロンドンのエア・スポティスウッド社(Eyre Spottiswoode)から発刊されました。

この発刊により、『世界不安』の読者たちには完全なる文書(グウィン氏の本中には、その文書から頻繁な引用がなされています)を調べる機会を得る権利が与えられた、と私たちには思えました。そこで私たちは、自分たちで注意深く翻訳した版の発刊に着手し、現在ほぼ準備を完了いたしました。この作業にはかなりの出費が伴いました。

しかしながら私たちは今日、ボストンで印刷された版は通常の出版物として配布されたことに気付きました。実質的に同じ内容の、もう一つの本を新たに出版する必要がないのです。従いまして私たちは、あなた様ご自身、および私の大切な友人であるオスカー・ストラウスからの反対意見に敬意を表して、この発刊作業を進めないことに決定いたしました。

                                      G・ヘイブン・パトナム

 

 

【訳注】

 <1>  旧約聖書 マラキ書3.3より。

 <2>  レーニンの兄:革命運動を推進した秘密結社「ナロードニキ」に参加して皇帝暗殺計画を立てたかどで刑死した。

 <3>  ドレフュース事件:フランスにおける反ユダヤ主義者の陰謀とされている事件。1894年、ユダヤ系のアルフレッド・ドレフュース砲兵大尉が、ドイツ軍への軍機密漏洩のかどにより軍法裁判所で有罪判決を受けた。これはフランスの世論を二分する疑獄事件に発展し、文豪ゾラらの擁護運動により、1906年復職し叙勲された。フランス軍はその後も公式には無罪を認めていなかったが、約90年後の1995年9月7日、フランス陸軍史料部長のムリュ准將がフランスのユダヤ教長老会議において、事件は軍の陰謀によるものであったと謝罪し、無罪を初めて認めた。      (『産経新聞 1995.9.13』)